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2024-09-23 12:20

#97 いなくなってしまった友人を思って

いなくなってしまった友人を思って

仲間の突然の訃報、その日の思いと経験を赤裸々に語ります。動揺と混乱、弔問の様子、そして儀式を通じて少しずつ心が癒されていく過程を丁寧に綴ります。

僧侶として死と向き合うことは多くても、身近な人の死に直面すると戸惑ってしまう。

葬儀や死別を経験した方、これから経験するかもしれない方に、心の支えとなるヒントが詰まった放送です。儀式の持つ力、仲間と共に故人を偲ぶことの大切さを、僧侶ならではの視点で語ります。

人生の節目に寄り添う僧侶の、等身大の姿をお聞き下さい。

#突然の別れ #お坊さんの本音 #死別 #喪失 #癒し #儀式の力 #人間らしさ #命の尊さ #心の整理 #standfm
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00:01
どうも、コウブンです。 栃木県の片田中にある蓮城院というお寺で復讐職をしております。
本日と言いますか、この放送ではですね、
自分の気持ちを整理したいというか、
そういう思いでね、今録音ボタンを押したわけなんですけども、何があったかというとですね、
私のお坊さんの仲間、
週に2回くらい同じような仕事をする仲間がいるんですけども、 その仲間がですね、今朝突然死にしたという情報を受けてですね、
今、 その方のお寺のところに向かって、
朝門ですね、に向かっているというわけなんですよね。
何だろうなぁ、 自分でもこうなんというか
モヤモヤとした気持ちというかね、 ふわふわとした気持ちと言うんであろうか、ちょっと言葉にするのがすごく難しいんですけども、
一緒にいた仲間がですね、ある日突然会えなくなるという、そういう事実に多分動揺してるんだろうな、
って今感じています。 今日、
今、夕方の4時30分なんですけども、朝この話を聞いて、
いろいろとね、その仲間の人のことを思い出しながら、一日過ごしてたんですけども、
ずっとね、頭から離れないんですよ。
仲間のね、 一緒に過ごした、
なんていうのかな、 会話した内容だったりとか、
一緒に行った場所だったりとか、仕事のことだったりとか、 いろんなことを思い出して、思い出しては消えて、思い出しては消えて、
繰り返しでね、 なんで
人って死ぬのかなとか、 そういったことって普段から
お坊さんですから。 携わっててね、
勉強してるはずなのに、 なんだかね、いつまでも頭離れないし、
繰り返しちゃうんですよ。同じような思いをね、ぐるぐるぐるぐるってね。
どうしていいかわかんないっていう状況なんですよね。
03:00
なのでね、この
今の
釈然としない思いというのはですね、 声として記録して
行きたいなというふうに思ったんです。
別にこれを放送する必要はないとは思うんですが、もしかしたら
同じような思いをする人っていうのが、 全国にね、この放送を聞いてくれた人の中で、
同じように自分の身近な人が
亡くなって、一体どうしたらいいのかわからないという気持ちをね、 抱えてるかもしれない。
その時に、 私が
こう思ったっていうことを聞いていれば、 その人にとってもしかしたら少しでも
救いになるかもしれないなっていうね、 勝手な私の思いで
放送しているというわけなんですけども、 とにかくですね、今から
その仲間の
坊さんの寺に
向かってですね、彼の
亡骸、ご遺体に向かって、 相対してくるわけです。
手をね、合わせて精一杯ね、
お詰めを、お経を唱えて、 個人の冥福を祈りたいなと思います。
とりあえず一旦ここで、 録音を停止して、
またね、帰り、
その顔を見てきた後の、 手を合わせてきた後の
状態というものをね、また お話ししたいと思います。
一旦停止します。 おそらく聞いている人にとっては一瞬だとは思うんですけども、
一旦停止します。 はい、
今ですね、 亡くなった仲間、
お坊さんのですね、
お寺に行って、著文を終えて、 行ったところの帰りです。
うん、まあそうですね、
その亡くなった
お坊さんは、
先週ね、会ってお話をして、 一緒に仕事をして、
何だったかな、最後の言葉は。
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一緒にね、仕事の内容というのは、
総統州、私たちの州派は総統州ですけど、 総統州の
いろんな寺を取りまとめる場所、 州務所という場所が核県にあって、
その栃木県の州務所、 一緒に
仕事をしているという、 その仲間ということなんですけども、
私とその今日亡くなったお坊さんは、 一緒に同じ仕事をしていて、
その書類をですね、 総統州の
中央の
組織、州務庁というのがあるんですけど、 そちらに郵送するために郵便局に一緒に
行ったんです。 車の中でたわいもない話をしたんですよね。
何の話だったかな、 食べ物の話だった気がします。
そんなにね、大した話はしていない。 日常の話の中で、
またね、お盆、お盆じゃないや、 このお祈願が終わったら
再会するということで、 お祈願が終わったらまたよろしくお願いします、
みたいなね、挨拶を最後にしてのはね、 覚えております。
その亡くなった方の顔、どうだったかというとね、 表情自体は
穏やかでしたね。 だけどもね、顔の色、
まあ、血抜けがない色って言ったらいいのかな、 黒ずんで、
やっぱね、亡くなった人の顔なんだな、 と思いました。
確かに、 命はね、もうそこにないんだなって
実感しました。 あ、集まったね、お坊さん。
そうだね、 30人ぐらい集まったのかな。
いろんな、 栃木県の中の各お寺さんであったりとか、
あとは、 そうですね、修行時代、その
亡くなったお坊さんの修行時代の仲間だったりとかね、 駆けつけておりました。そして、
今後ね、お葬式どうするのかというところを、 今、その
そのお寺さんの住職でしたから、住職不在になってしまったんで、 代わりにね、その地域の近くのお寺さんが今後の
とりあえず葬儀のどういうふうにするかということを 話し合っておりました。
残念ながら私は、 そのお葬儀の方はね、予定があって
参列できない。 なのでね、今日はその姿を
その 個人のね、亡くなったお坊さんの姿を見る最後の機会
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ということで、最後ね、 きちんと手を合わせて、そして
じゃあまたねと、 頭をね、ひと撫でさせていただいて
失礼させてあげました。 触った瞬間にね、やっぱりね、改めて
体温がなかった。 冷たかった。人のぬくもりというものを失っていたというのを感じてね、
ああ、やっぱり命は 継いだんだなということを実感しました。
だけども、 その集まったお坊さん同士でね、
同士というか、集まったお坊さんみんなでお経をあげて、お線香をあげたんです。
お線香じゃない、お正香ですね。 そうしたらね、少しだけ心が軽くなりました。
なんだろう、一生懸命
一生懸命じゃないかもしれないな。 いろんなことを考えながら
お経を読んでましたから。
けどね、個人のことを一生懸命ずっとね、思い描きながら
ただね、今は 安らかに眠ってほしいということだけ思いながら
手合わせてお経を読んで聖行したら、少しだけ心が軽くなりました。
みんなも同じようで、帰りね、お寺に出てから少しだけみんなと立ち話したら
やっぱりね、すごく明るい方だったんで、その明るいエピソード
バカなことをやってたエピソードなんかね、話し合ってね、ちょっと笑顔がみんな
取り戻したっていう、そういう感じでしたね。 やっぱり儀式というのは
力があるって実感しました。 なんだろう、どうしようもないこの
なんとも言えないこの気持ちをですね、少しでも軽くする力、確かにあるなということを実感しながら
そして こういったことをですね
この軽くなるんだっていう力をですね、これからも
私がね、出会うであろう
一般の方の御葬儀、その際にはこのお嬢さんが一生懸命読んでくれたから、なんとなく安心したとか
ほっとしたとか、そういうふうに思われるようなことを進めていきたいと、そんなふうに思いました。
今日はもう本当に取り留めもないお話でした。 もしね、これ最後まで聞いてくれた方がいたなら
本当にありがとうございます。 本当大したことないというか
なんかね、皆さんにとって少しでも役に立つお話できればいいと思うんですけど、やっぱりね
どうしても動揺してしまう人間は
だから、そういう時は手を合わせるしかできないと、そんなふうに思いました。
これがちょっとでも、皆さんがね、本当に
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悲しみに、心が詰まってしまった時に役に立てれば幸いです。
では、今日の放送は終わりたいと思います。 連常院副住職の幸文でした。ではでは、またね。
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