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2024-11-28 13:19

#143 「あした死ぬかもよ」を読んで思ったこと

📖 死とどう向き合うか?『あした死ぬかもよ』を読んで考える

死を意識することで人生はより豊かになる――。
道元禅師の教えや、高齢者の人生の後悔に関する調査をもとに、幸せな人生を送るためのヒントをお話しします。

#死生観 #人生の意味 #仏教 #道元 #読書 #自己啓発 #standfm #蓮城院副住職のコウブン #死生学
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00:06
おはようございます。コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で、副住職をしております。
今日は、雑談から入っていきたいと思います。
この放送の収録をしているのは、
大体は、前日の夜、外を散歩しながら収録をしているというわけなんですが、
今、収録しているのは、11月27日の夜の9時頃なんですけれども、
なんと、ついさっきまで、私の住んでいる栃木県のもうかし、雷が鳴っていました。
この時期に雷が鳴るというのは、非常に珍しいですね、栃木県の場合は。
ちょっとびっくりしました。
なので、いつもは8時頃、歩き出すんですけれども、雨が止むのを待っていて、9時になったという、どうでもいいお話からスタートです。
今日はどんなお話をしようかというと、読書感想をちょっと言ってみようかなということで、読書感想をお送りしたいと思います。
何の本を読んだかと言いますと、
翡翠小太郎さんという方が書かれた本の、明日死ぬかもよという本。
そちらを読んでの感想となります。
明日死ぬかもよって、すごいね、タイトルですよね。
明日死ぬかもよ。
私たち人間、人間に限らず生きているもの、地球上にたくさんの生きとし生けるものがいますけれども、必ず死ぬんですよね、私たちは。
今偉そうにしゃべっているこの私も死ぬし、これを聞いているあなたもいつか死ぬんですよね。
いつになるかはわかりません。
今日この後すぐかもしれないし、明日かもしれない。1年後かもしれないし、30年後かもしれない。
でも少なくても100年以内には死ぬでしょうね、きっと。
もういるかもしれないですけどね。
テクノロジーが発展して、150歳の人もいるかもしれませんから。
もしかしたら100年後も生きている人もいるかもしれませんが、大概は死んでしょう。
ということで、そういったつい忘れがちな自分の命が亡くなるということ、それを突きつけられるようなタイトルの本でございます。
03:10
この本はどういったことが書かれているかというと、
ざっと言うと、死ぬということをきちんと心の中に留めていくことが、結局のところ幸せな人生になっていくんだよという話ですよね。
ちょっと解像度が荒すぎて、全然訳わかんないと思うんですけど、
まず自分が死ぬということをきちんと意識するというのは大事だよという部分。
それがすごくこの本の中で強調されております。
まずアメリカのほうで調査したお話が出てきたんです。
どういう調査かというと、もう年を取った方、年を召した方で、人生で後悔したことは何かないかということを調査しているんですね。
後悔したことは何かないかということを調査しているんですね。
自分の人生で後悔していることはないか。
そしたら、約9割の人が、もっと冒険をすればよかったということを言っていたらしいんですよ。
9割の方が自分の人生はあまり調査をしてこなかったということを後悔している。
冒険というのは、おそらくどこかに出かけるという旅という側面もあると思います。
実際に体を動かして移動する。
そして自分の知らない世界を見てくるというのもあると思うんですが、
他にも、自分の人生でちょっと難しいようなチャレンジをしてこなかったというところでもあると思うんですよ。
そういう意味での冒険。
そういったことをしないで、なんとなく無難に嫌なことは避けて、安全に安心を求めて過ごしていた。
ということが結局のところ、自分の人生を豊かだったのかといったらそうではないというふうに感じているということですよね、きっとね。
私の解釈です、これは。
ということは、やっぱり後悔のない人生。
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もっと冒険というかチャレンジというか、自分の人生に針を持たせるということが、死ということに対してとても大事なのかなと。
死を、死というものを自分の心に保つというところとつながってくるのかなというふうに思います。
ちょっと強引でしたね。これも解像度が悪かったんですけれども。
何でかというと、またこれ別のエピソードで、私の所属している宗派、僧東宗という宗派なんですけれども、この僧東宗を開いた道元禅師という方がいるんですよ。
道元さんといった方がちょっと親しみやすいかな。禅師というのは、座禅の禅に師匠の師と書いて禅師なんですけれども。
要は禅マスター。言ってみればスターウォーズで言えばヨーダみたいな、トップオブトップみたいなイメージですけれども。
そんな軽い言い方しちゃうと怒られちゃいそうですが、ともかく道元禅師という方のお話が載っていたんです。
どんなお話かというと、道元禅師の弟子が道元禅師に対して質問したんですね。
私たちの人間というのは、成功する人と成功しない人がいますが、なんでですかって聞いたみたいなんですよ。
そしたら道元禅師は、成功する人は努力をする人だ。そして成功しない人は努力しない人だ。その違いだっていう。
だからそういう差があるんだよっていうふうに言ったんですね。
ああ、なるほどって弟子は思って。とりあえずその日は終わったと。
そして次の日、ふとまた思っちゃったんですね、弟子は。
ん?なんで努力する人と努力しない人っているんだろうって思ったらしいんですよ。
でまた道元禅師に聞いたんですね。
そうすると、努力する人間には志がある人だ。そして努力をしない人間には志がない人だというふうに言ったんですね。
その違いがあるから努力するしないが生まれるんだっていう。
なるほどってまた納得した弟子は帰ったんですね。
で帰ってからまた疑問に思ったんですよ。
え?なんで志がある人とない人いるんだろうって思っちゃったんですね。
思っちゃったんだからしょうがないですよね。また道元禅師に聞きました、次の日ね。
そしたら道元禅師は、志がある人は人間は必ず死ぬということを知っている。
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そして志のない人は人間が死ぬということを本当の意味で知らない人。
だから志があるとかないとかそういう違いが生まれるんだと言ったんですよね。
そんなエピソードがあるそうです。私も知りませんでした。
つまり自分が命がいつか一緒なんだということをいつも忘れていなければ
自分が生きるための方向性というのを志ですよね。
どういうふうに自分は生きていくのか、何をするのかとか、どんなふうに歩むのかとか
そういったことを決める、誓う。そういったことも自分が死ぬということを
分かっていなければできないだろうと。それが志を立てることさえできるのであれば
それに対して努力もするし、そして努力をすれば成功につながるということなんですね。
結局のところ幸せな人生を、自分の後悔のない人生をもたらすのは
死ぬということをきちんと心に据えているかどうかということなんですよね。
すごいですよね、こんなこと言える人。
道元禅師、確か亡くなったのが52歳か3歳なんですよ。
今は私46歳なんですよね。あと数年でそんなこと言えるかな。
正直道元禅師の高みまではまだまだ私は至らないという思いが
突きつけられているような思いもしていますが、ともかくこの本を読んでの感想。
やっぱり自分はいつか死ぬということを忘れちゃいけないなということですね。
人生は80年、平均寿命は80くらいですから、男女差は多少ありますけど、おおよそ80です。
人生80年と考えて、自分が何回初祈りで見れるのかなとか、何回満開の桜を見れるのかな、
そういうことをカウントしてみると、もしかしたら自分の死というのを考えやすいのかもしれませんね。
80と仮定して、そう思っておけば、
それまでに自分は何回桜を見るまでに何をするんだとか、そういうことを決めやすいかもしれないですね。
そうしてくることで、自分がどういうふうに人生を決めていくんだというのも、
人生をどういうふうに歩んでいくんだということも決めやすくなるかもしれません。
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そうなったときに、きっと後悔というのはないんじゃないかな。
それがきちんとできれば、実行できれば。
実行できずにダラダラしちゃったら、きっと後悔しちゃうと思います。
しかしながら、そうやって志を持ってその通りに自分が歩むことができるのであれば、
きっと後悔のない満足のある人生、
したがって死というものが怖くない、安らかなものだというふうに受けることができるんじゃないでしょうか。
はい、といった本を読んでの感想でした。
菱井小太郎さんの著書、
明日死ぬかもよ、という本を読んでの感想でした。
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よろしくお願いいたします。
はい、では、連常院副住職の幸文でした。
ではでは、またね。
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