1. プロジェクトの秘訣を探る Project Design Room
  2. #16-2 まちは作るものではない..
2024-12-12 20:21

#16-2 まちは作るものではない、なっていくもの | Staple 代表 岡 雄大

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起業家、科学者、クリエイター、新時代を導くプロフェッショナルの原動力に迫るインタビューシリーズ。「プロジェクトデザイン」の視点から5つの質問を投げかけ、プロジェクト成功の秘訣を探ります。

第16回目のゲストは、株式会社Staple代表取締役 岡 雄大さんです。

広島県の瀬戸田をはじめ、日本橋・函館・長門湯本などで「豊かなご近所」をつくっている岡さんと、これからのまちとの関わり方、都市とローカルを行き来する豊かな生き方について対話しました。

<ハイライト> #自分と地域と国の動機を重なるところが気持ち良い #まちは作るものではなく、なっていくもの #人やまちとの出会いを通し、蛇行するように活動する #都市・ローカル・自然の3つの側面で楽しめる人生を #2Dではなく3Dで深く経済圏を広げる

<5つの質問> #1 VISION・個人的な主義 #2 CHALLENGE・うまくやる流儀 #3 RESOURCE・力強く推進するための資源 #4 INPUT・感性をアップデートし続ける入力 #5 COLLABORATION・産業を超えた協業の可能性

■株式会社Staple 瀬戸田(地方)と日本橋(都市)に拠点を置き、徒歩20分圏内の手の届く「ご近所」にフォーカスしながら企画・運営・開発を重ねる「ソフトデベロッパー」。人々の目的地となるホテルや、「街のリビングルーム」となるようなさまざまな施設を通じて、地域に多様性を受け入れる土壌を育むことを目指している。

https://staplejp.com

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それでは引き続き、ステープルの代表岡さんにお話を伺っていきましょう。よろしくお願いします。
急にめちゃくちゃ本質に迫るような話が繰り広げられてしまったんですけど、
いろいろフォーカスするポイントをトークしたり、近くしたりしながら話を聞いていきたいなと思っています。
ステープルとはとか、インフラとはみたいな話がありましたけれども、
もうちょっと岡さんのパーソナリティについてお話を聞きたいなと思っていまして、
キャリアでいうと元々金融の界隈で活動されていたということですけど、
もうちょっと前の生まれの話とか、育ちの話とか、キャリアの話とか、
なんか結構ダイジェストで、一回この話を伺ってみてもいいですかね。
はい、そうですね。イニシャルキャリアは金融投資だったんですけど、
そこに至ったのも、生まれは岡山。
岡山で瀬戸内の景色がなじみ深かったこともあって、
それが転じて、広島瀬戸田で最初のプロジェクトを肌上げすることになったりしたんですけど、
自分の原風景というかルーツ的な場所ですね、岡山、瀬戸内っていうのは。
幼少期から家族で、父の仕事でアメリカ移住して、
ニューヨークマンハッタンにとっての、神奈川、埼玉的位置づけですかね、ベッドタウンで、
電車1時間かけてマンハッタンに父は仕事で通うみたいな、
結構自然豊か、庭にはリスとか鹿の家族が駆け抜けるみたいな、
そういうアメリカの町で育って、10歳で日本に戻ってきて、その後は大学含め、
大学・在学中に1年、またアメリカに留学はするんですけど、
基本的には東京で過ごしてきてっていうようなものだったんですけど、
やっぱりアメリカと日本を3歳から10歳ぐらいの絶妙な時期を過ごしたっていうのは、
自分の形成にすごく大事というか大きいインパクトを残していて、
周りの帰国史上の友人もいるんですけど、
中学生ぐらいで戻ってきた子たちって、
もうかっこたる自分が出来上がってるから、
日本に戻ってきてもアメリカ風邪吹かすんですよね。
で、僕は9歳10歳ぐらいに戻ってきた時に、
一人っ子でお兄ちゃんお姉ちゃんもいなかったみたいなのも影響してるかなとか、
今考えると思うんですけど、
もう正解ないまま日本語も片言ではないけど、
漢字はうまく書けないみたいな状況で帰ってきて、
僕はアメリカでバスケにハマってバスケばっかりやってたんですけど、
その当時日本っていうのはJリーグが始まって、
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ラモスとかカズラとか、東京ベルディ好きじゃなかったら人間じゃないぐらいの感じで、
もうみんなサッカーだったんですよね。
だからもうバスケやってたら、なんだお前それみたいな感じだし、
英語の発音がちょっといいと外人だみたいな感じになって、
でもなんかそれがもうちょっと自分が確立されていれば、
強い自分であれたんでしょうけど、
なんとかして自分が今より環境に染まんなきゃみたいな感じで、
頑張ってなじもうなじもうっていう、
なんかそういう子供だったんですよね。
だから今の社長をやってる自分っていうのは、
当時の自分とか中学高校ぐらいの自分からは全く想像できなくて、
まずみんなの後ろに隠れる、
一番最初に出てくるよりかは一番最後に出てくるタイプだし、
なんか質問とか発言する意見ありますかって絶対しないしみたいな子供だった。
のに対して、学生時代いろんな人との出会いもあって、
あと大学は非常に自由で、
ゼミ入らなくても卒業できるし、
授業行かなくても大変でなんとかなるみたいな、
いろんな大学そうかもしれないですけど、
そういう場所だったので、
ほぼ勉強せずにファイトしてお金貯めて旅に出るっていうことを趣味にしていたらば、
アメリカにいるとお前はアジア人だ日本人だってなるし、
日本にいると英語の発音し外人だとか、
なんか一人だけバスケやってるみたいな、
ちょっと仲間外れっぽくなっていくことに対して、
旅をすると3つ目4つ目5つ目っていう拠点と出会うんですよね。
出会って、そこからなんなら出たことない人たちだったり、
でもその町が一番好きって自信を持っている人たちだったり、
タイのホステルなんか行くと世界中から、
いい人も悪い人もうぞうむぞうが集まって、
酒を飲んでたりするんですけど、
そういう環境に触れたら、
2つの拠点の幅まで軸がない自分に悩んで、
コミジアンだった自分がすごい馬鹿らしくなってきちゃって、
もっと自分は自分でいいんだみたいなことを言葉にすると、
よく聞く言葉かもしれないんですけど、
本質的に自分の中でそれが踏み落ちた瞬間が、
やっぱり旅をしていた時だったので、
それがとても自分にとって大事だったし、
そういう瞬間瞬間だったり、
多文化に触れる行為って、
きっと自分以外にも世界中の人がすると、
究極相手のことがわかるようになって、
自分のことがわかるようになると、
相手の文化のことがわかるようになって、
戦争もなくなったりするのかな、
みたいな大それたことを考えるようにもなっていて、
だから多文化に触れるとか、
旅をし続けるみたいなことにすごく興味が出てきたのが、
学生時代からの金融っていう、
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一つの分析フレームワークを身につければ、
世界中の不動産であったり、
世界中の会社を分析できるって、
結構旅するように生きていきたい自分としては、
面白そうに見えたので、
そういう理由で金融業界に最初入っていった。
なるほど。
いろいろ情景が浮かぶような話が多かったんですけど、
まず聞いてみたいのが、
引っ込み事案時代、
さっきおっしゃってた中で言うと、
それって辛かったですか?
別にそれはそれで日常で、
別に嫌ではなかった?
どっちでどうな感じでした?
当時は全く純朴な自分がただただ頑張って、
放り込まれた環境に馴染もうとして、
馴染めていただけだったから、
特段すごくいじめられていたわけではなく、
比較的、影の薄い存在だったのかな?
っていうだけで、
別に不幸ではなかったけど、
でも思い返すと、
なんで自分はあんなに萎縮していたんだろう?
みたいな感じが。
それが馬鹿らしくなったというところだったんですね。
そういう人、別にいっぱいいるだろうなって、
今思ったっていうところがあって、
自分も今子供が、
それこそ9歳とか12歳とかなんで、
別に周りにそういう人いてもおかしくないなって思っている中で、
別に不幸でもない。
そういう生活がそこにあるっていう状態なんですけど、
でもそこに旅っていうものが挟まってくると、
やっぱりいろんな変革の起点になるんだな、
みたいなのをちょっと次に気になっていて。
1個、なんかされたことあるかもしれない質問ですけど、
旅と旅行って違う言葉として捉えられてますか?
どうですか?
そうですね、英語で言うとトリップとジャーニーみたいな感じなのかな。
おお、なるほど。
ツアー、グランドツアーとの違いとか。
旅は明確に違うなと思っているところは、
そうですね、自由度が高いがゆえ、
お金の余裕はないかもしれないけど、
個々人の自由度と時間の自由が高いがゆえ、
その土地の生活を見つめざるを得ない、
みたいな行為が旅かなと思っていて。
旅行のイメージは目的意識が結構あって、
とある予約の取れないレストランに行くとか、
テーマパークに行くとか、何かを買いに行くとか、
その目的のために移動する。
だから、なんか出張とかも広い意味では旅行のひとつ。
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この人とミーティングしに行くみたいな。
でもなんか旅はどっちかというと、
旅そのものが目的で、
それがゆえ、自分の最良でいかようにでもできる状態を作って、
自分が普段いない生活、
誰かの生活圏に足を踏み入れるということが旅かなというふうに思います。
これいいですね。
なんか物心ついたお子さんとか若い人とか、
あとそういう人の親御さんとかには今の話、
結構聞いてもらいたいなと思っていて、
やっぱり旅いいなと思って。
僕の中でもやっぱり旅行って、
やっぱり消費のイメージが強いなと思っていて、
そこにせっかく行ったんだったらお金を使わないともったいないとか、
いっぱいお土産買って帰ることが何か義務とか、
そういう感じがするなというので、
全然旅行行きますけど、
やっぱりでも最近旅できてねえなみたいなことで、
すごく心の中に生きてという気持ちとかやっぱり出ますよね。
分かります、分かります。
そっかそっか。
だから旅から来てて、
かつでもそこで、
なんていうんですかね、
やっぱりジェネラルなスキルを得ることで、
スケーラビリティが出てくる可能性があるって、
なんか思われたのは、
なんか戦略的でしたね。
就職の選択が。
本当に間違わ、
どっちかというと、
一時期は間違ったなと思って金融を出ることになったんですけど、
結果的に本当に間違ってなかった。
そうですよね、投資関係の業務ですもんね。
そうです。
新卒で投資行くと、
もうむちゃくちゃしんどいイメージしかないんですけど、
やっぱしんどかったですか?
ああもう、バシャウマ。
楽しくるし、
記憶があるようでないみたいな感じですね。
もう寝なすぎて、仕事しすぎて。
めちゃめちゃ何だろう、
待遇がいいイメージもあるけど、
それ以上にブラックなイメージもあるみたいな。
特にアメリカの会社でもあったら、
すごい生活主義でもあるだろうし。
でもそこで、
不動産とかそういったところにもタッチしていく感じなんですかね。
そうです。
旅をするように生きてみたいとか、
旅という行為を広げていきたいみたいな。
学生時代に、
旅という行為そのものに、
深く魅力にハマっていった自分だったので、
新しく会社に入るときにも、
あなたはどういう人なのって問われたと。
今のような話をし続けてきたわけですよね。
それで、
うまく採用してくれた会社が、
投資会社なんですけど、
結構変わっていてというか珍しく、
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ホテル不動産にかなり強くて、
ホテルブランドなんかも自分たちで作るような、
投資ファンドなんだけど、
すごくエモーショナルというか、
ブランドっていうものに投資をしたりとか、
周りの家賃がいくらだから、
うちの家賃もこれってよりかは、
いいものを作って、
すればそれに価値がついて、
いいホテルができるっていうような、
思考もできるような、
結構柔軟な会社に入れたのは、
すごく幸せなことだったんですけど。
でも6年行って、
2年半ぐらい東京事務所に。
2008年入社だったんで、
リーマンショック。
同じっすね。
社会人同期だ。
同期だ。
というか、何年生まれですか?
85、6年の。
僕は85年生まれです。
同じっすね。
そういうことか。
めっちゃリーマンでしたね。
めっちゃリーマンですね。
リーマンマッターの中からキャリア始まって、
東京事務所が閉じることになって、
一番、もう東京事務所閉じるから、
転職しようと思って、
転職活動を始めてたら、
お前は残れって言ってくれて、
でも残るって言っても閉じるんでしょ、
アメリカ来ていいからって言ってくれたのがきっかけで、
残りの3年半はサンフランシスコ。
でもそれも、
僕が優秀だったからってよりかは、
僕が一番給料安いから、
日本人は一人いたほうが、
お人事だともいろいろ日本のことは調べなきゃいけない。
えー、なんか複雑。
そういうこともあって、残ったわけなんですけど、
でも話を本題に戻すとというか、
次につなげるための話をすると、
金融業界で分析、世界を金融側面から見て分析をするっていう、
圧倒的強みを身につけた一方、
その視点だけで世界を見てると、
20部屋のホテルよりも200部屋のホテルのほうがいいし、
その街角にしかない唯一無二なものを一生懸命作る時間があったら、
100店舗展開できる、展開しやすいブランドを作ったほうが、
お金は評価しやすいから投資しやすい。
故に投資だけやってる僕らは、
そういうものにしか投資をしないということに、
本質的に5、6年もいると、
金融だけやってるとこういう世界になっていくんだって。
ある意味それで、金質化に向かっていくわけなんですけど、
世界中のいろんな場所が。
唯一無二性の高いものっていうのは、
なかなか作りにくくなっていくっていう。
どっちかで言うと、上場したり、
投資でお金儲けをした人たちが、
趣味で唯一無二ないい場所を作っていくみたいな、
そういうお金の世の中の再分配還元みたいなのが行われてる感じに気づいて、
これってそのまま行くとでも、
世界中どこも一緒になっちゃったら、
旅したくて旅好きでずっとそれを語ってる自分は、
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旅あんまりしても面白くない世界になっちゃう。
なるほど。
なるほど、おもろい。
だから資本主義って、金融資本主義ってどうなんだろうみたいな疑いが生まれたりとか、
お金だけ握っているからこうなるんだとか、
お金の扱いを分かりながら、
違うエモーショナルな価値を創造することだったり、
運営をすることだったり、
驚くさいこともやらないと自分の作りたい、
関わりたい世界には到達できないのかなみたいなことを、
6年いた後に思って、
間にまた別の体験、
違う働き方をするんですけど、
そこが結構一つの検体験になって、
ステイプルの創業に向かっていくという感じですね。
なんか序盤からずっと感じてますけど、
主体者であるとか、
自分本位であるみたいな話がすごくいいなと思って、
これから旅という楽しみが奪われるんだとしたら、
それは危機だみたいな感覚があったってことなんですね。
危機ですね。
めっちゃわかるな。
ありがとうございます。
どうやってここまで来たんだろうみたいなところは、
うなずきながら聞いてました。
岡さんを中心に、
今ステイプルにメンバーが集まってきてるんだと思うんですけど、
今何人くらいですか、チームは。
130人くらいですね。
それがいくつかの地域に分散しながら。
はい。
東京、日本橋中心に、
東京が今なので、
70人くらい。
瀬戸田に30人橋。
残りにじわじわと広がっていってるって感じですよね。
宿泊施設とかいろんなことを複合的にやってる仲間があんまり周りにいないので、
そもそもわかってないんですけど、
毎日ホテルで働く方とかも含めて応用されてるわけです。
含めてですね。
そういうもんなんですか。
いわゆるブランドを作ったりプロデュースしたり、
でもそこの運営はまた別の会社入ってたりとか、
いろいろ形態はあり得るなと思うんですけど、
やっぱり雇用されてるんですか、そこは。
そうですね。
垂直統合って言葉もよく社内で使うんですけど、
やっぱり何か得意なことに特化して、
広がりやすくするっていうのが、
金融コジラスみたいな側面が僕はあるから、
何かに集中して広げていくって、
すごく金融評価しやすいプレッシャーがかかったがゆえ生まれた
事業体なのかなって思うのがあって、
逆にうちは無理やり横に広がる必要はないから、
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一つの場所とか一つのプロジェクトでたくさん稼ぐ方法を考えたり、
より深掘れる余裕を買うためにはどうしたらいいかなっていう思考で、
事業の構造を作っていってるので、
やってないことはないっていう状態が僕の理想型なんです。
全部やる。
だから今、デベロッパーとして不動産を開発することと、
社内で設計デザインをしていくことと、
社内でパンを作ったりコーヒーを入れたり、
お客様をもてなす運営と、
あとはマラソン大会をやるとか、
お祭りをやるとか映画祭をやるとか、
まちづくり競技会を作って、
町の人たちと町の未来を語るとか、
そういうまちづくり会社的側面。
4つのものを、最初から4つをやろうと思ってたわけじゃなくて、
自分でやりたいことを積み重ねていったら、
従来は多分4つにそれぞれの会社があるところを、
1個の会社でボコッとやっているっていうことですね。
いやー、大変でしょ。
もう、それはもう。
コロナ禍とかは何度も、
もうダメかもしれんみたいな瞬間とかあったけど、
でも、そうしないとつながらない熱量とか愛情みたいなものが、
あるなーっていうのはすごく感じてみて。
次につながる話になりますけど、
相当リスクを背負ってるなっていう感じが、
やっぱり外から見えてて、
それがゆえにもう、
もうコミットしないわけがないでしょ、この人たちっていうような、
振りかぶり方なような気もしていて、
やっぱり町に入っていくとかって、
マジで生半可じゃないような出来事だと思うから、
なんかそういうことも含めて、
新しくローカルに入っていくっていうのが、
そこまでして初めてやっぱり勢いが出るんだなーみたいなのを、
ちょっと外から見て思ってましたというところで、
ちょっと岡さんの生き方とか価値観みたいなところを
少し深掘れた時間かなと思います。
じゃあパート2は以上となりますので、ありがとうございました。
ありがとうございます。
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