今、会社で組織改善というか、組織の目標みたいなのを決めるみたいなのをやってるんやけど。
なんか軸がない会社というか組織でね。ふんわふわしてて。もちろんやっぱり軸がいるなという話になって。
やっぱ真というか座標というか。そういうものがないとダメだなっていうことをめっちゃ感じてんのよ。
なるほどね。方向性みたいなのが一本ないとね。
そうそうそう。で、なんかそれ決めだしたら、なんかこう、いやここの組織に内部とかでね、こういうこと、こういうトラブルが起きやすいとか頼りないなと思ってたんが、
一個、軸が決まるとすごいちゃんとやってくれるみたいな。
いいじゃないですか。
急速にやっぱそういう組織って軸とか、どこにいるんかみたいな座標があるだけで決まるっていうか、すごい良くなるみたいなことを実感してて。
一個軸が出たらみんなそこには何かこう意見が出せるっていう状態にもなるしね。
そうそう。で、仕事も日々やってるわけですけども、毎週この心の砂地というポッドキャストも私はやってるわけで、
なんか改めて、結構考えてるし、やりながら動かしたりもしてるんやけど、
心の砂地の軸みたいなんて何なんかなっていうのとかもすごい考えたのね、改めて。
めっちゃあるんやけど正直。いっぱいそういう軸を持つっていうことが大事だったりするんだけど、
おっきい幹の一つとしては、僕の中で心の砂地っていうのは「再評価と反省」をやってるんですよ。
なるほどね。
基本的に自分が見てきたものとか、新しく触れたものとかでも昔のものとかだったりするから、
普通に評価しようと思うとも歴史的には再評価になるっていうこととかだったり、
自分自身が本当見つけてきて、レアグルーヴじゃないけど、再評価していくっていう。
それは自分自身にとっても自分への再評価でもあるし、作品とかある埋もれたものへの再評価でもあるし、みたいな。
そういう一個を再評価っていう言葉を置いたときに、結構座りが良かったっていうか。
いい言葉ですよね、再評価って。
いい言葉で、「歴史に生まれた歴史の男でございます」っていう言葉があるんですけど。
そんな言葉があるんですか。
奈良判定でね、この間お亡くなりになられたボクシングの山根会長がいろいろ言われてるときに言った言葉なんですけど。
あ、そうなんや。はいはい。
「歴史に生まれた歴史の男でございます。」
ちょっと面白いけど。
当時は小泉進次郎みたいな。
深みがありそうで何もないような言葉やなみたいな感じで、よく言ってたんやけど。
なんかあるたびに、やっぱ歴史に生まれた歴史の男やからな、俺は、みたいなこと言ってたんやけど。
逆にこの歴史に生まれた歴史の男っていうか、山根明再評価みたいな。
だからやらなければならない。
今割と、それこそY2Kとか言われたりとか、普通に『NANA』とか矢沢あい的なもんって意外とまた帰ってきてて、俺やらんくても時代追いついてきたやんみたいな感じとかもあったりするんやけど。
それが起きるかどうかって結構ガチャっていうかさ、起きない可能性の方が高いから。
だからそういうことは自分的に、ここはみんなめっちゃ見てたのに忘れてるやんみたいな。
なるほど。単純に知名度だけじゃないんだよな。みんな知ってたけど風化してる場合もある。
あるとか。例えば、いつもここからとか、鉄拳について誰かちゃんと再評価されなあかんとか思ったりする。
そうやな。エンタ芸人として残されちゃってるもん。ああいうお笑いの良さみたいな。
みたいな。ああいう時代があったみたいなもんとかってやっぱ大事やから。
ああいうのって言ったら大喜利ですもんね。
今はこんだけ大喜利流行ってんのにさ、ああいう形になるとちょっと乖離しちゃってるように。
でも、そこにどう座標を誰も打ったらいいか分からへんねん。
確かにね。大喜利の歴史に入ってないっていうね。
そこをなんか考えて、いやここ以前以降なんだとか、そのために僕は歴史が好きだし、
同時に何があったかみたいなことを調べて、俺なりな点を打つみたいなことをよくやってるんやけど。
一つこういうことはあるっていう。やらなければっていうやつ。義務歴史系の再評価っていうのが多分あって。
これはめっちゃ地下心やけど、今生きてるっていうことにもっと重心が乗っているっていうか、今どうなのかっていう再評価。
現代からの目線で見るっていうやつだね。
だから、さっきの座標っていうのは、例えば2000年だったら、2000年に僕がタイムスリップして、こういうことあったよって、2000年こうだったよって打ってるんやけど、
今の2024年から90年のものを、今のものとして見たときにどう見えるだろうねっていう再評価。
なるほど。
僕はこの2つ組み合わせてよく漫画の特集とかやってることが多いっていうか。
こうでした、で今僕と、寺津さんはこうでしたを聞いてもらってて、寺津さんはどっちかっていうと現代の狂人みたいな感じでやってることが多い。
なるほどね。
っていう感じで組み合わせてやると、2つその再評価の軸があって、面白いよねみたいな。
当時こうだったねっていうところに、リアルタイムの人はこうだったねって思い出したり、振り返ることもできるし、
今の人はそこがピンとこなくてそうだったんだってなっても、今どうなのかっていう再評価が入ってきたときに、
じゃあ自版が今見てみたらどう思うかなって言ってそこにアクセスしてくれるかなみたいな。
ああ、なるほどね。
時間の視点が違うわけですね。
そうそうそう。
過去と今ですね。
だし、なんかもっといやらしい言い方すると、マーケ的にこう2つの層がどっちも入れる感じになってるみたいな感じではあるかな。
なるほどなるほど。
ただ、だからそれやるためには今何が流行ってて、今こういう問題があったねっていうことはすごい僕も意識してて、
どっちかというと僕って昔の世界の方に憧れがあるし、そういうものが好きなのよ。
だから本当はもうずっと90年代前半に降りたいなみたいな、80年代中頃にいたいなみたいな気持ちがあるけど、
それは無理なんで、今の中でやらなければならないっていうところで、
頑張って今のものはどっちかというと、俺的には頑張って走ってるみたいな感じ。
でもただ、こういう感じでやっていくと、やっぱ結局今のものは今のもんで、すごい新しいもん出てくるから、
今の方が面白いなって思うジャンルとか、今のもんに引っ張られることもめっちゃあるし、
そういう中で2つの軸を持つことで分裂させながら自分を保ってるみたいな感じはあるんだけどね、個人的には。
シャークさん、過去にさ、昔のもんと今のもんで繋がってる部分とか、
そういうのを、言ったら上の世代と若い人らを繋げる役割をしたいみたいなことを言ってたんで、
まさにその2個の視点がそういう風になっているのかなって。
そうそうそうそう。そういう部分もあるね。
だからそういう、現代、今どうなのかっていう再評価のやり方っていうのもあるのと、
最後にもう1個あるのは、もうめっちゃ個人的な体験。
で、これを何の再評価っていうと、僕の作った言葉だと、心の底からの再評価。
心の底から。
心の底からの再評価っていうのが多分あって、
例えば本当にもう忘れてた、それこそ自分が、今さっきやった2つの義務歴史とか、
現代からの目線っていうのは、自分が専教師みたいな感じで、受け手の人に与えてみたいな感じなんだけど、
そういう与えられるとか与えるとかじゃなくて、なんかふっと、
いや、心の底からこの人のことを勘違いしてたわ、とか。
個人的なひっくり返って話したくなったり、もう1回見つけたくなるっていう、
そういう衝動的な点で再評価みたいなことをすることもあるし、
そういうこともやっていきたいなみたいなことも結構思ってて。
なるほどね。
その気づいたタイミングはもう本当にパーソナルなタイミングしかないよね。
そうそうそうそう。だからすごいパーソナル再評価っていうか、
ちょっとそういう言い方出したいから、僕の中では心の底からの再評価。
それもどうなんですか。
もう心から来る。
どっちかというとさっきのやらなければ義務歴史、今どうなのか現代からの目線は、
なんか冷静なんすよ。
ああ、なるほどね。
もうどっちかっていうと評論みたいなところに近いでしょうね、たぶん。
うん。
批評をやりたいと思ってるから、批評家鮫としてのシャークくんなんすよね。
批評家鮫。
そうそう。シャークくんというペルソナでやりたいこともあって、
でも確かに、やりに行くっていう言葉が持つその能動性みたいなんて、確かにちょっと当てはまりにくいっていうか。
このやりに行くって言葉が好きやから言ってるだけみたいなとこもあるけど、もっと確かにあのやられに行ってるみたいな感じの方が近いかもしれないよな。大人やられに行ってるみたいな。
そうそう。なんかそういう覇気の無さみたいな方の感覚に僕は近いなーって思う時があるんですけどね。
でなんかそれをこううまく、あのポパイとかは無意識なもの、だから緩やかでいいんだよみたいな、それがビシッ、おしゃれみたいなさ、チルみたいな、だからサウナ、キャンプ、チルみたいな。
なんかそういうので、その緩やか大人をやりに行きませんかみたいなビジネスとかやってるわけやんか。でもそれはそれでめっちゃ対抗意識あるやん。
あるね。なんかやっぱそういう。
いや俺そんなにやったら俺はやりますよみたいな。やらせてくださいよ俺は。俺に仕事をくれ。やりますよ俺は。みたいなさ。
いやーでもそれはね、めっちゃわかる。なんかこうせかせかしてんのダサいみたいな考えがダサいと思うもん。
うわ、それはそれで腹立つみたいなのもあるやんか。そうそう。
なんかゆるくやろうよ的なのはね、それはそれでちゃうと思うからね。
そうそう。バーンザポパイって感じになるやんそれは。
しかもそれをさ、ある程度お金ができた社会人とかを狙ってさ、ファッションやらキャンプやらサウナやらっていう方にもっと行こうとしてんやん、ビジネス的な方向にさ。
そこのやらしさは感じとってるよね、同時にやっぱり。
そうそう。で、実際なんかそのお金できたり、その時間というか、新卒とか3年目4年目の時に比べたら余裕みたいなのがちょっとできてくると、
許せるポケットみたいな、いったら僕がさっき言った大人をやりに行くことでできた空白みたいなもんは実際あるなっていうのはすごい実感してんのよ。
はいはい。
わからんかったけど、「余裕でできたら大丈夫になるよ」とか、そんなん出るわけないやろって思ってたけど、実際出てきたみたいな。
はいはい。
でも、同時になんかバーンザポパイみたいな、普通に20代の時に怒ってた気持ちみたいなのも全然、いや腹立つなみたいなのも全然あって、
その余白ができたところで、その怒るところが緩和されるみたいなことは全然ないみたいなことも同時に起きてて。
確かに。
なんならそこと距離感近くなった分、ちょっと怒り増してるような気がするしね。
そうそうそう。なんかそのターゲッティングされてる分、マジの怒りになってる。
舐めんなよっていう気持ちになってる。
舐めんなよお前みたいな感じになってくるからさ。いや複雑よね、その辺は。
そうやな。でもこれがどんどん対象が変わっていくんかな、やっぱりこう。
どうなんでしょうね。でも確かに、それこそ僕たちは男性性とか、
おじさんの内面みたいなことをどうしたらいいんかみたいなのを、30代のうちにある程度解というか、
こうなんじゃないんかみたいなことを考え続けるっていうことは一つの、またこれは一つの、それこそおじさん再評価。
そうね。
みたいな点では、これはやらなければというのも、でもあれ全部に心の底からやりたいし、
やらなければならないし、今どうなのかでもある。
そうね。
おじさん再評価というのは多分すごいやらなければいけないことだと思っていて、
それを多分30代に提示したいみたいなのめっちゃあんねんな。
だから30代でもなんか短パン履いて、なんか丸い眼鏡、金子眼鏡店とかの丸い眼鏡かけて、
バキバキになるかみたいなしかないやん。
30代のかっこいいロールモデルみたいなさ。
極端にもあるよね。
極端すぎるやんそれ。
そこのいい感じのものを出したいみたいなのめっちゃあって。
なるほどね。
そうそうそう。なんかその辺はなぁ思うとこがあるかなぁ。
そこをもうちょっとうまくできればいいなと思うし、
おじさん再評価にしてもそうなんですけど、
なんか今やっぱそのおじさんのいい面と悪い面っていうのがすごいごっちゃになっちゃってると思うんで。
そうそうそう。
単純にマッチョなものって悪いと思うけど、
でもなんかそこが持ってるエネルギーもやっぱ凄まじいと思うのはやっぱ働いてて。
うん。し、何かしらの父性みたいなところに依拠することでうまくいくことみたいなのがあって、
で、そこで生まれるネガティブなものだけ排除すればいいだけの話なんで。
そうなんですよ。
いやーここ辛いけど、はぁ食いしばらなっていう時に、
なんかそれに付随して起こるハラスメントとか、
メンタルの話とかっていうのはネガティブな部分。
だけど、なんかそこを頑張ること自体はすごいポジティブなエネルギーだと思うから、
なんかおじさん再評価において、
そこの切り分けをちゃんとおじさんが提示できたらいいなっていうのは思うよねやっぱり。
っていうのはあるよなー。
だからそこは急務っていうか、
そこに向かっていくべき、あれのために一つ軸みたいなのとか、
座標がどこにあるのかみたいなとこから始めなきゃみたいなのをすごい思ってんねんな。
そうねー。いや大事な部分ですねやっぱり。
そうそう。で、だからそんでこういう話で締めていくことにあるんやけど、
30代になって強烈に思うのが、
おじさん同士で戯れることがやっぱすごい少なくなってて。
。
そうなんや。
そう。だっておじさん同士でお茶してる?てらだとか。
てらださんはせえへんから元々。
お茶できる人はいるんですけど、近場にいないですね。
でもなんかやっぱもっとおじさん同士で戯れることから始めな、
なんともならんなってめっちゃ思ってて。
そうね。
そういう機会を単純に増やすことは大事だと思います。
そうそうそう。
その不器用なおじさんを捕まえてきて、
お茶するっていうことをやっぱやっていかなあかんねんなみたいなことは思ってて。