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2022-10-21 56:58

第19回『悪趣味的な、あるいは悪趣味的な』

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【「この世に真実などない。あらゆる物事は、その内に外に”数限りない物語”を秘めている。そして、その物語は、人間様中心の妄想であるという意味で、”全て等価”なのである。だから何を考えても許される。これが当ブックシリーズの編集ポリシーだ。妄想にタブーなし!」】(『危ない1号』第1巻「はじめに」より)

【『権威の頂点』と『弱者』を同じレベルで茶化した場合、『弱者』のほうにはるかにダメージが行くのは自明だ。「等価である」と青山が言う時の視線は、自分の行為にしか向いておらず、社会構造の非対称性は一切無視されている。】(野間易通『実録・レイシストをしばき隊』より)

「悪趣味系」(≒鬼畜系、バッド・テイスト、電波系)というカルチャーが90年代を主に流行した、ということをご存知でしょうか。
ドラッグ、ゴミ漁り、特殊AV、シリアル・キラー、死体写真、奇人変人、身体改造、一般的には失敗作、評価されていない極端な表現を持った映画や漫画…等を取り上げていく文化です。
東京2020オリンピック・パラリンピック大会において音楽を担当する予定であった小山田圭吾氏が辞任した理由となった、90年代に発行された雑誌(ROCKIN'ON JAPAN、Quick Japan)での「いじめ」についての発言の背景には、こうしたカルチャーの影響があったと考えることができます。

今回は改めて(リアルタイムではこの文化を経験していないシャークくんが)「悪趣味系」、90年代という時代について情報を整理し、「(無邪気に)消費する」と言う態度について考えます。
また、自分たちも間接的に「悪趣味系」からの影響はあるという認識から、2chなどの匿名掲示板での言説、そしてその想像力から生まれている(と考えられる)、『ゴールデンカムイ』についてお話ししています。

心の砂地 第52回『いかがわしさのススメと葛藤』▶︎Spotify ▶︎Apple podcast
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2022 Special Thanks:おひるねむこ@ohirunemuco
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以前にも、少し告知というか、こんな話したいなっていうことを、お話しさせていただいたんですけれども。今回は、悪趣味系っていうことについてね、話していきたいなと思うんですけれども。
これも1回、ニアリーイコール、僕のテーマとしては、悪趣味系について、そこの距離感みたいなことを、去年の4月に心の砂地で、いかがわしさの勧めと葛藤っていう回で配信してるんですね。
ちょっといかがわしい魅力みたいなのに、惹かれてしまうところと、本当にこれを言ったら消費していいのかっていうところを、喋ってるっていう回なんだけど。今回もそこに改めてお話ししたいところでもあって。
改めて、この90年代っていう時代において、こういう悪趣味系っていうものが流行ったっていう土壌があるっていうことを、まずは知ってほしいっていうことが1点。もう1点としては、僕が最近のテーマというか、何回も言ってるんですけど、消費するっていう態度と本音っていう言葉について、ちょっと考えたいなっていうのはずっと思ってて。
で、僕は結構、無邪気って言葉を使うときに、結構ネガティブなニュアンスで使ってんのね。そういう無邪気と本音と消費するっていうことみたいなことをキーワードとして、お話いろいろしていきたいなっていう感覚があって。
で、なぜ今、悪趣味系のということを話すのかっていうのは、ちょっと前に、悪趣味系、鬼畜系カルチャーみたいなものに対しては、創生産というか、僕たちより世代が1つ、2つ上の世代の人たちが、いろいろ90年代とかを振り返って創生産してたっていうことがあったんですけど、これはなんとなく寺田さんはご存知ですか?
さすが知らんか。
創生産。うん。あんまりちょっとピンときてないですね。
うん。一つは、東京オリンピックの音楽を担当してたコーネリアス、小山田圭吾がいじめについて話してたみたいなね。
あー、はいはい。
いじめについて昔、雑誌のことを話してたって。結構なニュースになって、降りるっていうことがあったじゃないですか。
ロッキンオンジャパンであり、クイックジャパンとかで、実際に小山田さんが、まあそういういじめをしてたみたいなね、話を実際にしてるんだよね、90年代に。
で、それが、まあ今になって、そこが掘り起こされて、っていう。で、まあ世間に届いちゃったっていうね、ところで。
まあそこを振り返ったときに、なんで小山田圭吾がそういうことを言ったのかっていうバックボーンには、その90年代の悪趣味系カルチャー、鬼畜系カルチャーっていうものからの影響がでかいっていうことが確実に言えんのね。
03:03
あー、まあ確かに、あの話だけを聞いたら、なんでこんな自分がしてきた酷い行いをお聞きとして、何の罪悪感もなさそうに語っているのかっていうのが、今の時代から見るとマジで訳わからんと思う。
訳わからんから、でもめちゃめちゃヤバい人やんっていう。で、まあ実際言ってることの是非とか、編集側の問題、ロッキングオンジャパンの原稿チェックがないとかいう問題とか、まあいろいろ問題は、あの件に関していろんな複合的な問題がいっぱいあんねん。
まあ明らかに持って話しているっていうところとかもいろいろあるんだけどね。で、そのそれが広がった過程が、まあちょっと悪意のある切り取り方をされたネット上のブログっていうことがあったりとか、まあいろんな問題はあんの。そのリテラシーと悪趣味と大山田の問題っていうのっていうのは。
そうですね。
彼自身がぶっ飛んでヤバい人っていうわけじゃなくて、そういう土壌の中でいたっていうことをちゃんと話したいっていうことなんだよね。
うーん、なるほど。なぜあのような態度が生まれたのか。そしてそれがなぜ需要されていたのか。
まさしくでございます。90年代の悪趣味系っていうカルチャーとか90年代の出版文化自体が異様だったっていうことは間違いないんだけど、ただそれが90年代で全部終わってなくなったっていうわけではないと。それがいわゆるインターネットとかいろんなものにこう伝播して、そこから出てきたそういう露悪的なもの。悪趣味カルチャーの良くない部分みたいなのが全然今のノリにも残っていて。
うーん、かもしれないですね。
僕の見たてではそれは2000年代の刑事版とか2chとかそういったところとかに伝播してるっていうふうには思っているし、そこで生まれたそういうちょっと面白がるノリみたいな悪趣味的なノリを面白がることっていうのは、特に2000年代の2chの一部の板で交わされていた言動とか、あとはニコニコ動画とか。
ちょっとモンドな動画をバカにして見るノリみたいなんていうのは、もう明らかにそういう土壌の流れがそこにたどり着いてるっていうふうに僕は思っているので、だから俺たちも全然そういう土壌の下で育ってるからなっていう自負があるわけね。
まあ引き継がれてきたもの自体は僕らも全然見てきてるよってことか。
そうそうそうそう。インターネットのロワーク的なノリっていうのはそこにあると思っているので。
なのでその辺をちょっと、まずはじゃあそういう創生産された生産、創生産されたその辺を歴史を整理してるところから始めようじゃないかっていうところでそういう話を今回はしたいなと思います。
06:12
この番組心のすな字は様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。私シャークくんです。
はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。
ということで本日も始まります。心のすな字。
いやだからほんま見た瞬間俺はランディ・サブエッジみたいになってますね。
あんまおらんけどね。派手さ引き出しにランディ・サブエッジしてますね。
ランディ・サブエッジみたいな。
で、やっぱ天竜とランディ・サブエッジって試合もいるよ自分の考えだと。
心のすな字。シャーク。
悪趣味とは何かとか90年代サブカルチャーの一つのジャンルとして悪趣味、バッドテイスト、鬼畜系、伝播系っていうものについて軽く紹介というかしていきたいと思うんですけども。
お山田慶吾の話があってからその辺の振り返りとかを様々な近くに現場にいた人とか受け取った人とかがまとめて語るっていうことはそれぞれ態度としてあって。
一番整理されてて面白いというかこういった土壌がなぜ生まれたのかどういう内容だったのかっていうことを知るためには
ロマン・ユーコさん、ロマンポルシェの90年代サブカルの呪いっていう新書が出てるんですけど、この本が一番わかりやすくまとまってるので、これを参考文献として今回は喋っていきたいなと思います。
他に整理してる人で言うと、精神科医の香山梨花さんって、寺谷さんはさすがにご存知だと思うんですけども。香山梨花さんが結構サブカルの土壌から出てきた人っていうのは意外と知らんかったりするよな、たぶん。
それは全然知らなかったですね。
知らんよね。エロ本の自販機本とかそういったところからスタートしてるけど、コラムのところはそういう当時のニューアカデミズムとかの流れを含んでるようなコラムであったり、面白い読み物を作ってたみたいなところに絡んでる人がいるんだけど、そういうところ出身なんだよね、香山梨花さんって。
そうなんです。根本隆さんとかがすごい香山梨花さんを好きだったらしくて、この辺の時に思うことが多分あったんでしょう。
というところで、ヘイト・悪趣味・サブカルチャー・根本隆っていう本で、自身の80年代から過ごしてきたそういうサブカルチャーの体験談、特にそういう悪趣味的なノリを含むものについて開講しながら考えていくっていう本を出されてたりして。
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これも結構1つの香山梨花視点として見れるので、これも結構おすすめでございます。これと90年代サブカルの呪い、ロマン・ヨンコウさんのね。
あとはドミューンの宇川さんが、その辺の悪趣味系のカルチャーのビジュアルを作った第一人者の1人ではあるので、宇川さんが。
なのでその宇川さん、実際にドミューンで今も多分YouTubeで8時間とかそういう鬼畜系サブカルチャーの振り返りみたいな配信をしたりしてるんだけど、宇川さんが重要作みたいなのを伝えてくれるんで。
これはノートとかにまとめておきますし、YouTubeでドミューン探せば見れるんで、その辺見てみるとって感じではあるかなと思います。
で、寺木さん的にこの悪趣味のノリっていうのは、今回台本とかにいろいろ書いていて、なんかこう、どうすか、知ってたり触れてたりっていうことは全くしてない?
いや、ほぼほぼ触れてないですね、この辺については。なんかその、当然名前とか聞いたことある人のはちらほらありますけど。
ねもつさんとかね。
なんかその時代として、なんかそういうのが流行ってたみたいなのは全然知らなかったですね。
ああ、なるほどね。まあ80年代ぐらいからそういったバッドテイスト的なものを好むノリみたいなのが始まって。で、たぶんそれは岡山理科さんの理論だと、全てのものを記号化していこうっていう価値相対主義みたいなのがあると。
言ったらもういろんなもん全部記号やと。どんなもんも。だから消しゴムも、ご飯も、天皇も、政治もとか全部もう統価値やと。
はいはいはい。
一つの記号やから。まあ80年代とか戦後の流れの中では、その言ったらあかんタブーみたいなものが今より全然あった。
言ったらあかんことみたいのがある中で、いやそれおかしいやろみたいな余裕が生まれてきた時に全部記号やっていった態度みたいなのがまあ80年代ぐらいに生まれてくると。
ああ、その悪趣味としてなんか口にしてはいけないような、そういうことも統価値やっていう。他のと同じ価値を持ったものとして扱うべきみたいな。
そうそうそう。同じ価値を持ったことは。で、悪趣味っていう言葉はたぶんその80年代ぐらいにはまずそこまでないんだけど、
なんでもこう全部タブーを取っ払っていこうっていうところからタブーにどんどん触れていこうっていうノリになっていくってことだよね。
うんうん。
全部統価値なんやから、そこもあることなんやから本音主義っていうか、だから全部いじっちゃおうぜみたいなさ、ノリっていうのがあったっていう。
なるほどなるほど。
で、悪趣味系っていうのを定義した一つとして青山正明さんが編集していた危ない一号っていうムックシリーズって言ったらいいのかな?
危ない一号っていうムックシリーズが一つ定義しちゃったみたいなところがたぶんあるっていうのはみんな言ってるんだよね。
12:08
で、これの始めにっていうところに今まさしく話してきた、どんなもんも全て統価であるっていうことが始めに宣言されるっていうところから始まるんだよね。
なるほど。
紹介されてるのはドラッグであり、みたいなのも言ったらアンダーグラウンドだね、情報っていうのを、いわゆる悪趣味って言われるもの。
そこに関わってた紫百郎さんが持ってた鬼畜っていう概念、鬼畜系っていう言葉であるとかで、悪趣味ニアリーイコール鬼畜系なんだけど、悪いテイストを楽しんでいこうっていう態度ではあるんだけど、
ちょっときついノリというかえぐいノリっていうのが注入されてしまってるところもあって、だんだんどんどん過激な方向に悪趣味系っていうのが向かっていくっていう流れがあるっていう感じかな?
そうなんですね、やっぱり。なんか全てのものを統価値として扱うみたいなことって、思想としては前行程はしないけど、
今では普通とも考えられるしね。
そうですね、かなりそういうのって広がったとは思うんですけど、なんか思想としてはいいなって思う部分もあるんですけど、
ただやっぱり、今言ってるような悪趣味な部分とかをどんどん前に出していこうっていう表層的な部分だけが流行ると、絶対過激化していきますよね、どうしても。
いやもう本当に、まさしく今寺田さんが言ってくれたことが全てで、
言ったらそういう80年代から続く、全部記号化して茶化しましょうみたいな。
例えば天皇制とか天皇をいじるっていうことはするんだけど、実際に天皇制がどうかっていうことについては別に興味ないっていう感じなのね。
そこをいじるっていうことだけが楽しいと思ってるっていうタイプ。
なるほどね。
だからそれは言ったらわからないことを言うっていう過激さみたいな。そこはすごく言ったら知的遊戯的に楽しんでるところがあるんだよね。
このノリがちょっと今だと理解しにくいところではあるんだけど。
ただそこがだんだんこう、作り手はそういう態度でアウトプットしてるつもりだったと思うんだけど、
受け取り手としては言ったらドラッグの情報とか、死体写真とか、ゴミ漁りの情報であるとか、性に関するタブーの話とか、そういうものがバッと並んでると、
やっぱり受け取り手としては、「やっば!」っていう、そこをおもろって思うところが多分先に来ちゃうと思うんだよね。
その過激性をどんどん求めてしまうっていうことはそういうふうになると思っていて。
で、実際そういうことが起きた。
見たことないものばっかりやから、そういう刺激的なものとして、まずはやっぱりそういう魅力的さみたいなのは先行しちゃうよね、どうしてもやっぱり。
そういったものを理解できてる自分、ちょっとヤバいみたいな、そういうテンションの上がり方もあるやろうしな。
いわゆるサブカル的なものを愛好する、テレビとかで語られてるような、みんなが知ってるカルチャーじゃないものを愛好するっていう態度は、そういった今の言葉で言うと中二病的なセンスみたいなね。
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そこっていうのはそういう薄暗い魅力が持つ何かではあるんだけども、そこがよりこの過剰にね、タブー言ったらあかんこと言おうぜっていうところがまずあるから、どんどん過激になるし、受けてはどんどん誤読していくっていうかね。
そこをこう、距離感持って楽しむみたいなさ、感じではなくて、これヤバい、やってみて、とかいうことになったりとか。
実際、例えば爆弾の作り方みたいなのを、言ったらそれって冗談で紹介してるんだけど、めっちゃ真面目にこうやったら爆弾作れるみたいなことを書いてて、実際爆弾作って事件に使われたりみたいなことがあったりとか、そういうことがあって終わっていくんだけど。
ギャッちゃいけないことをやったもん勝ちにどんどんなっていっちゃうからね、確かに。
たかし 実際その時に関わってた鬼畜系とか悪趣味系を発信してた人っていうのは、ほんとに90年代初めから終わりぐらいまでで、そこの表現の場からみんな離れていくんだよね。ずっとそういうことをやり続けた人ってほとんどいなくなってて。
たかし っていうのは多分そういったとこだと思うんだよね。誤読されていくし、根本たかしさんとかはそこを知的有儀としてやってたのに理解されないっていうところがあるから、そういうとこから離れたみたいなことを実際に話してたりもするんだけども。
まあちょっと本人の意図するものからどんどん外れて暴走していっちゃったんでしょうね。
たかし そうじゃないかっていうのが鬼畜系の元っていうか。でもその感覚はすごくよくわかるっていうか。
たかし それがない時代にそういったものが歓迎されるっていうことはすごいわかるっていうかね。そういうことをアウトプットしている人を見つけたら、「あ、そっか、そうやんけ。」ってなるっていうところは、いいこととは難しいんだけど、そこが歓迎されることがあるし、そこに救われた人ももちろんいるだろうなとは思うんだよね。
それはアウトプットがそもそもされてなかった時代だったからっていうね。
たかし そうそうそう。で、そこに関しては僕は今の感覚でどうしても思うから、ちょっと低くなって、やっぱ上の世代の人らの倫理化終わってるなとか思って待ったりするんだけど、第一印象で。でもそういう時代だったっていうこともあるし、その気持ちはたどっていくと、いろんな本とか読んでいくとよくわかるなというふうにも思うし、
18:00
そこの成果って言ったらよくないけども、そういったことがあった意義みたいなことっていうのはよくわかるっていうふうには思ってます。
なるほど。なんかその吐き出せる場所があったみたいなことはすごくいいことでは確かにありますね。
たかし うんうん。と思いますし。で、あと単純に個人情報保護法っていうのが成立したのは2003年なんですよ。
そんな最近なんや。
たかし うんうん。なんで90年代にはプライバシーの保護っていう概念がまずまだないんだよね。
なるほど。
たかし なんで個人情報保護法ができて、だから0年代後半ぐらいになってやっと個人情報とか社会的な道義に対する考え方っていうのが見直されてたっていうこともあるから。
なるほど。だからさっき言ったゴミ漁りとかそういうことが出てくるわけか。
たかし うんうん。そうそうそうそう。まあ今からすると完璧にアウトなんだけど。
うん。
たかし っていうこともあったりとか。さっきも話したけど現代の倫理で90年代のこういう悪趣味的なものを捉えるときにその人権意識的な問題が出てくるのはまあそこが大きいっていうところもあるとは思うし。
なるほど。まあ単純にその法律的なギャップもあるしなおさらやばく見える。
たかし うん。そうそうそう。であと問題点のところで最後紹介するので言うと、野間さんって実力レイシストをしばきたいっていう本で、これはネット欲的なヘイトデモっていうものがすごい出たときに、そこに対するカウンターとして動いてた。
たかし なるほど。まあミュージックマガジンの編集者で花電車っていうノイズバンドの人なんだけど、野間さんっていう人がまあそういうネット欲的な動き、その当時の在特会とかね、対するカウンターの動きとしてやってた話っていうのをまとめた本があるんだけど、そこでなんでこうそういうもんがネット上に関わるその人種差別的なヘイトっていうのが生まれたんかっていうと、
たかし 野間さんの論ではこの辺の悪趣味系カルシャーの流れっていうのがあるんちゃうんかなっていう感じで喋られてるんだよね。
たかし なるほどな。ヘイトとかそういうものを表に出すことにもちょっとストップがかかりにくくなってきてる流れが後押ししたかもしれないですね、確かに。
たかし 実際だからそれを作った人らを急断するっていうわけではなくて、一番大元で辿るとそういうところからなんちゃうんかなっていう感じの態度ではあるんだけど、当時の野間さんの感じでは。野間さんがその本で書いてるところを引用すると、
たかし 「権威の頂点と弱者を同じレベルで茶化した場合、弱者の方に遥かにダメージが行くのは致命だ。等価であると青山が言う時の視線は自分の行為にしか向いておらず、社会構造の非対称性は一切無視されている。」っていうふうに書いてるんですけど。
たかし これは危ない一号で、青山さんが全部タブーなし等価であるって言ったことに対しての、それはそうなんだけど、社会構造として見たら、弱い人と権威の頂点みたいな人を同じぐらいで茶化すと、いや弱い人の方がそれはいっぱいダメージは行くよねっていう、そこの社会構造の非対称性っていうのを今の倫理で考えると、そこは考えなあかんよってことを野間さん指摘してるんだけど。
21:19
これ読んだ時に俺は、なるほどなっていう感じがすごいしてて。
たかし これはめちゃめちゃわかりやすいですね、確かに。
しょうた うんうん。
たかし うん、スルッと入ってきましたね。
しょうた ああ、なるほどね。
たかし 等価。等価っていうのはじゃあまあ、難しいよな。やっぱその茶化すっていうことがそもそもダメージを与えるっていう行為になっちゃうよね。
たかし 等価っていうもの自体はすごくいいと思うんだけど、じゃあそれ茶化しますってなった場合に、全部同じダメージ与えますってなったらそれはダメよっていう感じになる。
たかし うんうん、そうそうそうそう。だし、受けては誤読していくから、よりもっとそのエネルギーもどんどん弱い人にもかかるし、倫理性の高みたいなのは、ボーダーはもっとどんどん見えなくなるし、みたいなことが90年代には起きたっていう。
ちょっとわたわたしたんでわかりにくいかもしれませんが、まあノートなどを見ながらね、あの聞いていただければいいんですね。
改めて聞き終わったと見ていただければなとは思うんだけど、こういう土壌の中で、小山田圭吾はもう実際にその根本さんの本とかを、最近面白かった本とか、そういう影響を公言してたりするので、そういったものの中で彼がいじめをしてたっていうことを話したっていうのが、あの事件というか、あの現象のバックグラウンドにあるっていうことですね。
うーん、なるほどな。確かに確かに。そうやったら話さんようなことを話しちゃうぜっていう、長い話では。
うーん、そうそうそうそう。でまあ、小山田さんは文春で後にインタビューに答えてるんだけど、言ったらまあフリッパースギターとか可愛いイメージ、オリーブとか出てたからね。
そういうところだった人が、からちょっとこう90年代、まあ僕の論では80年代っていうのはやっぱりそういうバブルとか、そういうきらびやかなものっていうものがどんどん消費が増大していく時代で、90年代っていうのはまあバブルも崩壊して、そこを問い直す時代っていうか、地に足がついたものになるっていうのが僕の時代論、ディケイドとしての大元の論としてあるんだけど、
だからそういう80年代にデビューして、90年代のそういうヒップホップとかそういったストリートカルチャーが始まる流れみたいなとかと同じく、じゃあ現実でどうなんっていうところになった時に、ミュージシャン側としても可愛いイメージみたいなのから、地に足のついた、まあどっちかというとアンダーグラウンドなイメージみたいなのをつけたかったみたいなところはあるんじゃないのかなっていうところは。
たぶんそうだろうと思ってて、で、小山さんが文章のインタビュー答えたら実際に本人もやっぱそういうことを言ったのよ。やっぱそうだったんだっていう感じっていうか。
ああ、なるほど。まあじゃあ結果としては全然良くないけども、すごく時代の流れに乗ってる人なんですね、80年代から90年代にかけて。
24:03
もちろん。
流れを汲み取っての発言やったという。
うん。だからそこがすごく時代の最先端の人だったからこそ、そういうことをしちゃったって。まあ間違ってるんだけどね。間違ってるんだけどそういうことをしちゃったっていうことは言えるのかなっていうところが、僕の見た悪趣味と小山さんの発言、そういうふうに見てますっていう感じなんですけど。
はいはい。
次のパートでは、今までは分析と現状、こういうことがあったっていう前提のお話だったんだけど、もうちょっと自分の方に持ってきて、これは以前話したことにもう一回立ち返ることにもなるんだけど、なぜ悪趣味っていうものに惹かれてしまうのかっていうことを話していきたいなと思います。
はい。
…走り続け合う闇駄目の混濁。大砲泣く者、大婚約者。大丈夫、養護臭もあるから。思考回路はまるで迷路らかメトロール。この下目黒を我が城としようか。
なぜ悪趣味に惹かれてしまうのかっていうことなんですけれども、これも香山梨花さんの本で、香山梨花さんが31歳の時、92年に書いてる文章が初めに引用されるんですけど、見てはいけないと禁止されているものを見るのは恋と同じではないかって、92年の香山梨花さんは書いてるんだよね。
はいはい。
ミシェル・フーコーっていう現代思想の人って言っていいのかな?ミシェル・フーコーの理論と、日本の漫画家である根本隆さんの話っていうのをガッチャンコして、自分の体験と、見てはいけないものみたいなことに対しての文章みたいなことを書いてるんだけど、
この中で紹介されるのは、香山梨花さんが幼少期に、たぶん身体的に何か障害がある方を見て、その人の歩き方みたいなのがすごい変わってたというか、特徴的な歩き方みたいな、身体的な特徴がたぶんあって、それをすごく魅力的に感じたと。
ああ。
見たときに。で、すごい見ちゃったんだけど、母親に見ちゃダメっていうふうに言われたっていう経験っていうのとか。あとその後、香山梨花さんは精神科医なんですけど、医者の道に進むときに、小児科の志望になった時期があると。
まあ精神科医になるんだろうなと思ったけど、小児科にちょっと1回志望して、1ヶ月ぐらい小児科の研修受けたけど辞めたみたいな話があって。で、なんで小児科に引かれたかっていうと、同じくその小児科の本を勉強で読んだときに、いろんな生まれ方をする赤ちゃんがいたりするね、なんか。
うん。
いわゆる身体的な特徴があったりとか、まあちょっと、まあそういう障害を抱えたりっていう感じで生まれてくるっていう。
27:07
まあね、人それぞれありますよね。
赤ちゃんとかがいるやんか。で、それとかを、まあこういういろんな特徴があるっていう、真面目な医学の本なんだけど、そういうのを写真でこういろんな特徴を持った赤ちゃんがバーって並んでたんだって。
で、それを見たときに、すごい魅力的だって思ったんやって。すごい見ちゃう。
ああー。
すごい見ちゃうなっていう感覚があったらしくて、それで小児科の本を道に進んだんだけど、まあちょっと向いてなくて辞めたんだけどみたいな。まあそういった気持ちと体験みたいなのをセキュラーに書いてるんだけど。
うんうん。
まあこのエピソードを紹介して、僕はちょっときついなと思う感覚もあるんだけど、なんかその魅力的だと感じる感覚みたいなのは、まあその今紹介したものには、僕の中ではあんまないけども、まあ近しい心の動きをする感じはあるなと思っていて。
なんかその、身体的なことってその本人が自分の意思で表現してることではないじゃないですか。
うんうん。
なんかそうじゃなくてその、生まれ持ったもの、本人の意思じゃなく出てるものっていうものを、なんかこうちょっと興味本位ですごく見てしまうみたいなことは、僕はすごくまあ、今常識というかね、大人になってるから当然いけないこと、さっき言ったみたいなね、本人の意思と表現とは関係ないことだからっていうのはわかってるけど、なんか子供の頃はやっぱそういうのはわからんから。
単純に見てしまうと思うんですよね。だから僕は、感覚としては正直わかる部分はありますね。
わかる、うんうんうん。
その心の動きを、当時のかやもりかさんは言ったらこれは恋と同じなんちゃうんかみたいな文章を書いてるんだよね。
このヘイト悪趣味サブカルチャーっていう本では、ここで止まっちゃってるけど改めて恋で終わらせるっていうのはちょっとこう、生前説すぎるっていうか、ここまでであまりにもそのいろんなものをのっけにして魅力的だっていうことを伝えすぎたかもしれないみたいな。
その辺をちょっと振り返りながら、まあ反省と考えていくっていう感じの論が展開されるっていう本ではあるんだけど。
この見てはいけないと禁止されているものを見るのは恋と同じではないのかっていうのは、結構キャッチーで何かを捉えてる一文だなと思ったから、初めに紹介させてもらったって感じなんだけど。
うん、そうやな。その見てはいけないものが気になった時の初期衝動的なものをうまく表してる一文ではありますね。
そう、で、根本隆さんの《因果鉄道の旅》っていう本の中で、根本隆さんのデモやるんだよっていうのはご存知ですかね。デモやるんだよっていう言葉。
デモやるんだよ、それは一回シャークさんが教えてくれたので聞いた覚えがありますね。
ああ、そうだね。クレイジーキャンバンドもライムスターもスチャダラパーも、まあいろんな人が引用してたりするんだけど。
ああ、そうね、確かにスチャはありますね。
30:02
うん。デモやるんだよっていうやつあるよね。これは塩栽の里っていう、捨て犬を拾ってきて500匹以上の犬を飼っている施設っていうのがあって、そこでボランティアで働いている小汚い親父みたいなのがいるんやけど、その人に、まあ言ったら取材みたいな感じで行くと。
で、ご飯とかもう食べる暇もなく500匹ぐらいいるからね、捨て犬を拾っているのところに、そこの世話をしてて、言ったらもうたらいとかが、もうぐちゃぐちゃなわけ、言ったらもう施設をね。
で、そこの餌の入ってたたらいっていうのを、もうわざわざ、もうそんなぐちゃぐちゃな状態だけど、わざわざ洗剤をつけてその餌の入ってたたらいみたいなのを、その汚い親父が洗うと。
その時に、でもやるんだよって言って、洗ってたっていうエピソードがあるのね。
その塩砕の里っていうのは実在するもの?
実在する。どうせもうぐちゃぐちゃになるし、でも、わざわざ洗剤をつけて洗いながらでもやるんだよっていうことっていうのが、それはすごい言ったら滑稽に見えるやん。
うん。
汚い親父がさ。でも、やる。やってること。意味のないようなことを頑張ってやることっていうことに対して、すごいポジティブな。
言ったら、たぶんそれはミュージシャンとかは、自分たちが大人になって音楽とかをやるっていうこととか、表現活動をするっていうことと、重ね合わせてるところがたぶんあるんだよね。
うーん。
言ったら意味のないようなことをやる。でもやるんだよ。そういうのがあって。ただ、このでもやるんだよには感動するんだけど、その異様な状況?
犬が500匹くらいいて、小汚いおじさんがそう言って洗ってるっていうところにポジティブな印象を受けるっていうのは、最後は気持ちいいけどそこをちょっと半分面白く見てしまっているっていう視線もあるやんか。その異様な状況に対して。
うーん、そうやな。ちょっと、おじさんを下に見てるからこそ生まれてる発想でもあるかもしれないですね。
まさしくそうね。そこっていうのはちょっと今の輪廻からすると、あまりにも生前説的すぎるかなっていうところもあるし、っていうところはあると思うんだけど。
でも、今ここだけ俺がちょっと紹介すると、ちょっとそれ根本隆、どうなんかしらと思ったりもするんだけど、ちゃんと作品を読むと、対象に対して根本さんがそういう紹介する良い顔って言うんやけど、そういうちょっと変わった人たちのことを。良い顔した親父とか言うんやけど。
に対しては、ちゃんと作品に触れると、これ僕の感覚なんだけど、対象に対して本気でリスペクトする姿勢っていうのが感じるんだよね。
大事ですね、これは。
これから話していきたいのは、見てはいけないってものを見てしまってそれを魅力的だと思う。そういったところにアクセスしていって、面白いなと思う。
対象に対して本気でリスペクトがあるかどうかっていうことが、僕が思う大事なラインだと思ってて、悪趣味とかそういったものを考えるときに。
33:09
そうですね、確かに。
当たり前のことなんだけど、ずっと言ってた消費するとか無邪気に見るみたいなことっていうのに含まれている、僕が引っかかってるニュアンスっていうのは、
自分と相手が同じ土壌に立ってる、言ったら地に足ついてまともに向き合ってないみたいな感覚があるっていうニュアンスを消費するとか無邪気にする、
見るっていうものに僕は感じてしまう。言ったら観察対象みたいな感じに見てるから、お前はその安全な場所からそういったものを見て、好きなように見てるけどっていうところにちょっと僕は引っかかりがあって。
あー、なるほど。対等に見てない、リスペクトがないっていうところが、それがないと消費してるっていうふうに見える。確かに。
そうそうそう。だからそういったものを愛好する、魅力的に感じるっていう気持ちには抗えないってことが分かるし、そこを伝えたいっていうところ、そこを伝えるっていうところも素晴らしいことだと思う、魅力的に感じるのも素晴らしいことだと思う。
ただ、そこに対して消費する側は本気でリスペクトを持って付き合えてるかっていうことが大事だと思うんだよね。
うーん、なるほどな。ただ単にキーなものとして、面白いものとして楽しんでるだけっていうのはやっぱり消費だと。
うん。だからこの実際に多分足運んでるとかそういうことも多分大事だと思っていて、なんかそれが僕がそういった疑問的なちょっと嫌だなっていうニュアンスを感じるのは、
自分がそういったものを見るのが基本的にSNSでのアクションだったりとか、そういったもんだからっていうことは間違いなくあるんだけども、
なんかそんなiPhoneの中で覗いたものに対して面白いと感じるのが普通なんだけど、見てはいけないとされるものみたいなものを対象にするときには、そういった消費の仕方ではダメだと思うっていうか。
そうですね。普通のポップカルチャーとかと比べると、やっぱりキーなものというかマイナーなものであればあるほど、面白いもの、なんか変わってるもんやから、やっぱ消費する方向に動きやすいじゃないですか。
話題としてみんなで面白がって終わるっていう方向に傾きやすいからこそ、なんかよりそういうことを注意してみないといけないなと思いますね、確かに。
特にそういうことが当たり前になってるやん、ツイッターとか。特に僕らの世代だと2chとかがまさにそうだと思うんですけど、だから油断してると本当にそういう方向にコロッと持っていかれそうになるっていうのは僕もすごくありますね。
そうなんだよね。だから油断してるとそういう倫理の線を踏み越えて、自分がすごく悪い消費者になってるっていうことがあるから、そこを立ち返りたいっていうのが僕の態度であり、今回のそこを考えたいっていう話でこういうことを話してるんだけど。
36:18
僕は2chの悪影響みたいなのをずっと言い続けてるんだけど、2chの講座みたいなことをちゃんとやらないといけないと思っていて、2chで俺が見てたときって、いわゆる鬼人変人のコピペ、鬼人変人エピソードを語っていくスレッドみたいなのって結構定期的にあったんだけど。
そうなんですね。
そうそうそう。例えばフィンランドのロシア軍を一人でめちゃめちゃ撃ったっていうシモヘイヘっていうスナイパーがいたみたいな話って知ってる。これすげえコピペでもあったんだけどね。
僕はそのコピペを読んだことないけど、そのコピペを読んだ人が聞きとして僕に喋ってきたこともあったね。覚えてるそういった意味では。
そうそうそうとか、あと石川拓服とか野口秀夫とか、有名な野口秀夫が留学費用を一晩で全部遊んで使ったとか、そういう著名な人のそういうヤバいエピソードみたいなんていっぱいあるやんか。
文豪とかはね、特に多いかもしれないですね。
特にある。そうそうそう。なんかそういうものを語っていくスレッドでありとか、コピペみたいなのすごい出回ってて、そういうのってすごい流行ってたし、俺もそういうことを聞きとして喋られたことみたいなのも同じくあったりとかもしてて。
なるほどな。あと僕は音楽とか、軽音とか、やっぱりそういう流れで、海外のバンドのとかアーティストのめちゃくちゃなエピソードみたいなのもよく立ってた覚えがある。
はいはいはい。レッドゼプリンがホテル壊した話とか。
あーそうそうそう。なんか日本刀で壁バーンって壊したっていう話とかね。なんかそういう話を語ってるスレッドは多く見た気がしますね、同時に。
あとはオアシストがギャラガ兄弟の暴言集とかね。
あーインタビューとかのね、あったね。
そうそう。なんかそういう過激なところをコピペするみたいな。で、そん中に小山田圭吾のいじめの話っていうコピペもずっとあったわけなんだけど。
そうですね。だから知ってる人は昔から知ってたよね。
昔から知ってます。っていうところではあるんだけど。で、あとは芸能人とかでもさ、恵比寿さんがなんかめっちゃクズやみたいなさ、恵比寿さんのクズエピソードのコピペとかそういうのとかもあったりとか。
あと2chって今ちょっとセンシティブなとこありますけども、ロシアネタ?プーチンとかもすごい好きで、2chのノリ。
プーチンって元KGBで柔道家とか散歩をやってたりっていう目があって、すごいかっこいい写真とかすごいウェブに出してたんだよね、当時くらいから。
なんかそのインパクトのあり写真がね、多かったんですからね。
そうそうそう。だからなんかそういうんとかも結構楽しくプーチンとかもいじってるみたいなさ、感じとかもあって。
39:03
なんかそういう言ったら、名のある人とかもだし、実際のそういういろんな奇人変人みたいな人たちのエピソードみたいなっていう。
すごいコピペでありスレッドでありってすごい、僕の世代はすごくそれを消費した感覚があるのね。
うん、わかりますね。
で、ゴールデン神って作品があるでしょ、漫画で。
うん、もちろん知ってますよ、ゴールデンカムイ。
で、たぶんゴールデンカムイはまごうことなき傑作なんですよ、どう考えても。僕も寺田も大好きじゃないですか、ゴールデンカムイは。
大好きですね、ゴールデンカムイは。
でも、ゴールデンカムイってそういった想像力のもとで作られてるなっていうのはすごい感じんね、同時に。
そうなのよね、これは。本当にそう思いますね。
で、実際そういうもんをネタにしてると思うんだよね。出てくるキャラもそのまま石川孝福とかも出てきてるし。
そうね、すごくわかります、それは。
すごい魅力的なんだけどゴールデンカムイっていうのは。でも本当にその危ういバランスで成り立ってるもんだと思ってて。
そうかなと思うところもすごいあったりするんだよね、ゴールデンカムイを読む。圧倒的にエンタメとして面白いから。
そうですね、ゴールデンカムイは当然アイヌの文化とかそういったものをかなりいろんな文献とかを読んで書かれてるっていうところはある。
一方で、例えばその入れ墨が入ってるこの人たちの、よくネットで言われてる表現としては変態的な人がどんどんたくさん出てくるわけですけど。
そういったものの描き方としては僕かなりアウト、セーフじゃなくてアウトじゃないっていうのは正直ありますね、僕は。
そういった過激なものとかを書いてそれを楽しんでるときの感覚っていうのは、さっき言ってたような異人とかのやばいエピソードとか、そういうのを読んでるときの感覚と結構似てるなーっていうのは僕もすごくわかりますね。
そこを元にして作品の中に組み込みながら面白くその人の魅力を伝える。あくまでキャラクターだしっていう感じの逃げ方はできるんだけどね、ゴールデンカムイの場合は。
例えばでもそれにあれ読んで、元になってる人物やべーみたいな感じとかで消費するみたいなことが実際起きてるんだよね、ゴールデンカムイに影響を受けて、そこのネタみたいなものを掘っていくみたいなことってあると思うんやんか。
モデルになった人物とかを調べていってみたいな。
名前も一緒だし、ゴールデンカムイ自体が言ったら茶化してるやんか。でもなんかそれがなー、受け手として同じく悪趣味系カルチャーの時と同じく、やっぱ俺たちが誤読してる部分っていうのはどんどん出てきていて。
42:10
そうやな。茶化してるねんけど、それ以上にストーリーの面白さとかいろんなもののクオリティが高すぎて、普通に読んでたら気付かへんくなってもうてんねん、そこ。
そうそう、置いてってんねん。でもなんかそこって、本当にいいんかなっていう。なんか僕の中では、リスペクト、それこそ大事な最低限のそういったものをネタにする側としてのリスペクトが払われてるから、なんとかゴールデンカムイはOKかなと思ってる部分があったんやけど。
うーん、そうやね。ゴールデンカムイの場合は。
なんかそうでもう、うーんみたいな。
まあでも、たぶん本人自身が歴史の話とかいろんなことを読むのが好きな人やから、そういった意味での参考にしてる文献はたくさんあるんやろなっていうのがわかるから、なんかうーんっていうとこはあるけど、なんかそれってどうなんやろ、それってイコールリスペクトなんかもちょっと僕はそこの判定はできないんだよ。本を読んでるからリスペクトなのかっていうのはさ。
勉強してるイコールリスペクトでもないっていう、言ったら変態みたいな感じで面白く書いたりさ。重感する人とかを面白く書いてギャグとして使ったりとかするわけやん。
そうですね。
で、俺たちはそれを確かに面白いと思うんだけども、なんかそれって本当に元にしてる人物に対してリスペクトが払われてるかって思うと、全然そんなことなくないって冷静になると思うみたいな。面白すぎて気づいてないんだけど。
そうですね。僕その動物性愛に関する本とか、ズルって呼ばれる人たちとかの本もゴルデンカム読んだ後に読んだけども、そういう人たちが実際本当に社会から理解を得られない話とか、自分たちでどういったふうに動物との付き合い方を悩んでるのかとか、
そういったものってめちゃくちゃ真面目な話なんですけど、やっぱりそこを茶化すって言った時に、それってどれくらいの覚悟でやってるんやろうっていうのは気にならざるを得ないんですよね。
うーん、そうなんだよね。まず作りでゴルデンカム本体に対する批判としてそういうことも言えるってことは多分あると思うし、俺たちの受け手側の誤読の仕方もはよりダメになってるっていうか、あれで誰々ってやばい奴だよねみたいな感じでさ、消費しちゃってるみたいなことすごい起きてて。
それはありますね。さっきも言ったけど、ゴルデンカムイ自体がものすごくゴリリが高くて面白い作品で、世間的にもゴルデンカムイは上手いことやってる政府だっていう判定になると、ゴルデンカムイ内で描かれてる表現全部が政府になっちゃうとやっぱまずいんですよ。
45:01
そうそうそうそうなんだよね。ここはダメなんじゃないかっていうところをちゃんと言わなあかんのちゃうかなと思ってて、今回話してるっていう感じなんだけどね。
ああ、なるほどね。
言ったらそこもあえて過去にあったこととかも、実際のエピソードと言われてたエピソードみたいなのをミックスして、面白かったらOKっていうもとにやってるじゃんか。でも本当はちゃんと文献調べてないのに、それがフィクションといえど、そこが使われていくっていうのも倫理の線というか、ちょっとどうなんかなって思う部分もあって、
また違う道につながらをやったとして。例えば、夏目漱石がI love youを月が綺麗ですねと訳したっていうコピペがあるんですけど、これテレビとかでも結構言われたりするけど、これってどんだけ調べても実際には記録がないらしいんだよね。
ああ、そうなんや。
それってなんか、僕の感覚からすると陰謀論的なものにもつながっていく怖さみたいなのもあったりとかしていて。
ああ、なんかその、史実に出てくる人たちのフィクションを描くときに伴う責任みたいな話になってくるよね、それは。
なんかその辺が引っかかってるのは、僕が悪趣味系から言ったら後半でちょっと違う話をしてるんだけど、思ってる引っかかってるとこっていうのは多分そこなんだよね。尊厳と消費する態度っていうことだと思っていて、リスペクトっていうかね。
そう、なんか難しいのよね。結構その、例えば、いやこれって事実じゃないよねって話をしたときに、いやそもそもゴルデンカムイってフィクションなんでって言ったらさ、全部逃げれるわけにはいってしまえば。
やけど、めちゃくちゃ事実、まあその例えばアイヌの文化とかさ、まあその一部は本間に事実を描いてるところは詳細に描かれてたりするわけじゃないですか。そういうものが混在してる作品ってどうすればいいんやろうね、本当に。
本当のところはすごく詳細に本当やけどって。
そうそう、まあできる俺たちの態度と、まあ一つの言えることとしては一個一個判断するってやつだよね。これはあかんやろとか。で、その好きな気持ちは、なんか最近みんな0-100にしがちだから、こう俺が批判するけど俺はゴルデンカムイっていう作品が大好きなんですよ。
48:04
それは何回も言いたいですけど、僕も大好きなんですよ。
そう、だから0-100だと思わんといてほしいっていうか、だから100の作品に対してもここはダメだよねっていうことを俺はちゃんと言いたいんだよね。
そこは議論の余地があるっていうふうにしたいですね。でもなんかそういう話って、最近地球の運動について、あれもそういった話が議論されてたんで。最近そういう歴史ものが流行ってるっていうのは当然あると思うけど、なんかこう議論されるようになってきた感じはありますね。
状況としてね。ちょっとずれちゃったんだけど、まあそういう史実と違ってどうのこうのっていうのと、あともう一個は、ダメな人をダメだねって笑い飛ばす素晴らしさとそこの周惑さっていうのが、やっぱり悪趣味系から続く流れっていうのはすごく考えたいところであって。
そこがすごい感じるんだよな。言ったら変態って言って笑うみたいなことの面白さとエグさ、本当にいいんかっていうそれの変態だねって言って笑うっていうことって、なんか俺すごいダメな気もしていて。
そうだなー。プレッシャーみたいなものを軽くしてくれる良さの一方で、何かこの被害状況を生んでる場合はそれを限りなく賄賞化してることでもある。
その気持ちがゴーレンカムイに出てくる人物、まあ史実であり史実じゃないものを含めて面白く描いてるものも面白いと思う。それは確か面白いんだけど、なぜ笑ってるのかっていうことをもうちょっと考えたいなと思ってるし、そこの笑いって結構周惑だよなっていうことを思うんだけど、言葉にはあんまりできへんのだよな。
プレッシャー なんか笑い飛ばす、さっき言ったようなさ、下に見てるからこそ生まれる滑稽さとかかっこよさでもあるのかもしれないけど、そういったものが人を救うこともある一方で、なんかめちゃくちゃ腹立たしく本人は感じてる場合もめちゃくちゃあると思うんですよ。
笑われた側としてはな。
良くないんですよね。でも本人に聞く機会があんまりないんですよね。例えばさっきのいい顔をした詳細の里のおじさんの真珠とかをこれを写したときにみんながじゃあいいなって思いました。それに対してどう思いますかってことまでは語られることが基本的にないんですよね。
51:20
実際そのおじさんに聞いて、こういうことが面白いと思われることについてどう思いますかって言って、どうも思わんって言っても、だからこそオッケーってわけではないと思うんだよな。
当人がオッケーだからオッケーではないと思ってて、それっていじめられてる子がさ、ちょっと話しちゃうか。オッケーって言うんだったら全部オッケーなんて話になっちゃうからっていうことなんだけど。
なるほどな。
ヨウ うん。そこを消費するってこと自体が本当にいいんかってことを考えないとっていうことなんだけど。
なるほど。個別の案件じゃなくて、そういう姿勢全体として考えないとね。
ヨウ うん。考えないとっていうこともあるし、ただそれは個別の態度と行動でどう判断していくかっていうことじゃないと、その全体の姿勢は見えてこないっていうことでもあるんだよね。
まあそうですね、確かにそうか。
ヨウ 今回はそんなどっかな、思うこととしては。見てしまう魅力的に感じてしまうってことの感情は大事なんだけど、前それこそ寺田さんのパンチラインで感情の肯定と行動の肯定は違うって言葉があったんだけど。
そうですね、前シーズンで。
ヨウ うん。それは本当そうだとは思うんだけどね。
ヨウ 思ってしまう感情は大事にしてないといけないんだけど、そこの思ってしまう根源みたいなところをもうちょっと掘るっていうことが足りてない気がする。最近は。
確かに。
ヨウ うん。
感情をさ、実はこういうことを思うんですよねってなったときに、やっぱり今って、私もです、私もですって言って、人が集まったらじゃあやっていいじゃんって傾きやすいと思うんですよ、その数の暴力じゃないですけど。
ヨウ そうね。なんか共感みたいなもんちょっともてはやされすぎだよね。
ヨウ そうそうそう。なんかやっぱりその言っちゃいけないけど実は思ってることをツイートしたときに共感がバーンときて、ああじゃあこういうことって全然言っていいんじゃんみたいな感じになりがちな流れを僕は最近よく見ますね。
ヨウ そうだね。今回はその倫理のラインで考えた感じだと思うんだよね。
ヨウ うんうん。
ヨウ 本当にいいのかっていう。
ヨウ そうですね。
ヨウ うん。
ヨウ なんかでも多分このライン以外にも多分倫理じゃなくて感情の生まれどころみたいなところを考えていくといろいろもっとこう、なんか解決じゃないけど見えてくるもんみたいなのがあるんかもしれへんなあ。
54:02
ヨウ そうですね。
ヨウ うん。
ヨウ うん。
ヨウ まあちょっとね、そんなこともね。
ヨウ そうなんですね。なんかいろんな人とこの話題をちょっと一回話してみたいなってすごく思いましたね。
ヨウ うーん。
ヨウ そこのラインって僕とシャークさんって意外と近いと思うんですよ。
ヨウ 多分そうだね。
ヨウ 話してる感覚としても。多分人によって全然違うと思うんでボーダーラインが。その辺りをもっといろんな人と話してみたいなと。
ヨウ まあ実際に寺田とはこの辺の話はしたこともあるしね。そういう。
ヨウ うんうん。そうですね。
ヨウ どういう意味ね。
ヨウ その辺りがちょっとチューニングされてきてるんでしょうね。互いに。
ヨウ それがね。
ヨウ そうそう。っていうのもあるんだけど。
ヨウ うんうん。
ヨウ はい。
ヨウ うーん。そうなんだよね。だから僕はその悪趣味系カルチャーの上の世代の人がそう生産してるのを見て。
ヨウ うん。
ヨウ いや俺らの世代は俺らの世代で全然あるよっていうさ。だから俺は多分10年後とか20年後とかに。
ヨウ うん。
ヨウ 俺らがこうやってキャッキャゴールデン神とかキャッキャしてたところが。
ヨウ うん。
ヨウ いやそれヤバいっすよって言われること全然あるなって思って。
ヨウ うわー。あるやろうなー。いやめっちゃあると思いますそれは。確かに。
ヨウ うん。
ヨウ そうだな。
ヨウ 俺あると思ってるから。その10年20年経った時に。お前らさーって言われることあると思うから。
ヨウ ちょっと今の段階で考えなあかんと思って後半するとしゃべったんだけど。
ヨウ なんかその時にさ。
ヨウ うん。
ヨウ なんかそういう時代だったんだよねっていうだけの人にはなりたくないかもしれない。
ヨウ うん。
ヨウ うん。
ヨウ そう。
ヨウ それはね。思ってね。
ヨウ うん。
ヨウ なんかそこを今回はこういう感じだったけどそれぞれいろんなね場面とかいろんな作品とかいろんな触れるもんであるかもしれないんで
ヨウ その辺あなたのね感情の出どころとなぜそうなのかっていうことをね
ヨウ それぞれの物差しで考えてみて深掘っていくみたいなのはいいんじゃないかなと思っております。
ヨウ そういうことをねこの番組ではやっていきたいと思います。
ヨウ はい。
ヨウ というわけで心の砂地は引きずってお便りをお待ちしております。
ヨウ すべての当たり先はkokoronofunaatmarkgmail.com心の砂atmarkgmail.comまでよろしくお願いします。
ヨウ もしくはスポティファイアップルポッドキャストなど各配信サービスのエピソードの詳細に載っているグーグルフォームからお願いします。
ヨウ アップルポッドキャストのレビュー評価も絶賛募集中です。ぜひともよろしくお願いします。
ヨウ ツイッターでの投稿はハッシュタグKOKOSUNAです。よろしくお願いします。
ヨウ ツイートしていただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
ヨウ また本編で出てきた固有名詞などはノートに応募集がありますのでそちらもご覧ください。
ヨウ ノートのURLも各配信サービスのエピソードの詳細にございます。
ヨウ ということで今回も聞いていただきましてありがとうございました。
ヨウ ありがとうございました。
ヨウ それでは皆様ごきげんよう。
56:58

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