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おはようございます。ライターをしたり、デザインをしたり、在宅個人事業主として働いているこばやしです。
今日は京都の方に出張に来てまして、ホテルから収録しているので若干音質が違うかもしれないんですけども、申し訳ございません。
もしかしたらよくなっているかもしれないですけどね。若干小声で行こうかなと思っています。
今日の話題は、【9割当てはまると思う】「知っている」と「できる」は違うことを実感した話、です。
この文面自体はよく見たことがあると思います。「知っている」と「できる」は全然違うよね。
この話自体もそうなんですけど、「知っている」と「できる」が違うというのは、知識としては知っていることかもしれないんですけど、
それを実体験的に体験しないとわからない。できない。わからない。というようなことも結構あるんじゃないかなと思っています。
僕自身も当然当たり前のように知っているとできるは違うよねということは知っていたはずなんだけど、
それを理解した上で何か物事を捉える目を養っていたかというと、やっぱりそんなことはなくて、
今回は京都出張を来ていて、これを撮っている時点では予約放送なので日付がずれるんですけど、
昨日講義をさせていただいて、僕がずっと地域でやっているというか、地域に地方移住して地域活動をするようになって、
大学の授業の中でもそういう地域づくりみたいな授業がある。結構いろんな大学でやられているんですけど、観光学部だったりとか、
町づくり系でいうと都市計画学部だったりとか、いろいろな学部で地域づくりをやられているんですけど、
今回僕の方で、移住した当初から大学の授業のプログラムの一環に僕の地域が入っているので、それでずっとやってたんですけど、
もう4年ぐらい経ちまして、何度か大学で講義する機会が去年もありましたし、今年も今日明日と、昨日今日か、
講義をさせていただく機会があって、大学まで来て学生さんと一緒に講義をしたというような感じなんですけど、
その講義の資料の中でいくつか指摘を先生からいただいたことがありました。
それが、知っているとできるってこういうことか、みたいな実体験だったという話ですね。
何かというと、大学の講義は結構長かったんです。90分2コマということで結構な時間があったんですけども、
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その中の講義の中で結構、物事の考え方だったりとか、地域づくりに必要な思考力だったりとか、
あと実際地域活動を動かすためには、地域活動に限らずイベントを実施するとか、何かことを動かしていくときに考えておくべき思考力だったり、
解像度の話とかをちょっとしたんですけど、その中で結構例え話が概念的な話ばかり続いちゃうとちょっと分かりにくいので、
いろいろね、あれやこれや大学生に響きそうな例え話をいろいろ入れていったんですよね。
その中で指摘があったのが、例え話のところでジェンダーが考慮できていないところがここあったんで、
次回がまたこの話にマッチするのか分からないけど、これちょっと直した方がいいかもしれないですねってご指摘いただいて、
確かになって思ったんですよ。どういうことかというと、異性愛を前提にした例え話でしたねみたいな。
僕自身、例え話どういう感じでしたかというと、例えば、解像度を上げて物音を見ることが大事ですよねっていう話をしたんですよ。
その解像度ってカメラでやってる方は分かると思うんですけど、ピンボケすることあるじゃないですか。
物音を見ていくときにもピンボケすることってあるよねみたいな例えの話の中で、大学生なんで男女の恋愛のすれ違いみたいなピンボケみたいな、
そんな例え話をちょっと入れてたんですけど、この例え話の描き方が、僕は意識してやってるわけじゃないですけど、
根底には異性愛を前提にした話、ストーリーになっているよねっていう話をいただいて、
世の中で、あ、確かにみたいな、ジェンダー同性愛とかもあり得る世の中で、異性愛前提で話が進んでいることは配慮すべきことだよなって言われて気づいて、
なるほどなと思って、考えたわけですよ。普段世の中普通に暮らしていて、ジェンダー的に多様性、LGBTQみたいな単語は知っていたりとか、
別にそれでいいよねっていう、僕もあまり仕事とかでも会話することなかったので、それでいいよね、いろいろな考え方だったりとか、いろいろな人がいていいよねっていう完全に同意のスタンスなんですけど、
ただ今回そのご指摘いただいて、ちょっと前の認知が広がる前の感覚でいると、もしかしたら傷ついちゃう人がいるよなっていうようなところがあって、やっぱり気をつけないといけないなと思ったんですよ。
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ここで感覚があるじゃないですか、気をつけないといけないなとか、配慮した方がいいよねっていう知っている状態はできてなかったわけですよ、僕自身指摘をされて気づいたので。
って考えたときに、これは知っているとできるの間違いだなと思ったんですけど、なんで知っててもできないのかなって思ったんですけど、いろいろ考えた結果、多分そういう配慮すべきことだったりとか、知っている知識というものに今ここで使うんだよとか、こういうチェックが必要だよねっていう気づける目とか感覚みたいなのを養わない限りは、
知っていても無策になっちゃうというか、無意味ですね。知っていることが無に帰すなって思ったんですよ。だから知っててもできないということがたくさんあるんだろうなと思ったんですよね。
この気づける目とか感覚っていうのはどうやって養えるのかということなんですよ。本当に一人じゃ無理ですね。指摘を受けて初めて僕もハッとしたので。
大学の先生、指摘していただいたのはもうベテランの先生だったんですけど、僕と年齢近い若手の先生も、そうなんですよ小林さん、最近結構配慮するポイントがあって、僕もついつい抜けちゃうんですけどみたいなことを言っていて、
大学の先生で何年もやられている若手の先生でも抜けちゃう時があるんですねということで、感覚を少しずつ養わないと。普段から意識していれば防げることだったと思うんですけど、
詰まるところで重症化をすると、自分の仕事だったり文章を書いたりライターしたりしている時も、レギュレーションとかトンマラとか、デザインもそうですけどトンマラとかあると思うんですけど、
基本的な文章力っていうんですかね、テスマスだったり、レルラレルとかしたり、そういう基本的な文章力の追考ポイントって、毎回毎回やっていることでいちいちどこをチェックするかっていうところの感覚が研ぎ澄まされると思うんですけど、それに近いのかなと思っていて、
ゴミの3連続が良くないって知っている、ただ知っていてもゴミが3連続できていないっていうことは、それをチェックした時に気づける目だったり感覚がやっぱり養われていないからなんだろうなと思うし、これを養うにはやっぱり他人から検索を受ける、他人の検索を見るっていうところで、
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本当に自分のスキルだったりとか、今やっているライティングだったりデザインとか、そういうものに通じるなと思っていて、言われて初めて、やっぱり知っていてもできないことってあるなと思ったので、やっぱり検索を受けるとか、文章だったら検索を受けるとか、デザインだったらフィードバックをもらうとかっていう感じで、アップデートしていかないといけないんだろうなと思いましたね。
知っているとできるの間にある狭間、それは感覚だったり目、気づけて初めて知っていることが実践できるので、気づけるかどうかっていうところが非常に大事なんだなと思った話でございました。
また次回の収録でお会いしましょう。バイバイ。