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はい、みなさんこんにちは。kkeethこと桑原です。 本日もやっていきましょう、kkeethのエンジニア雑談チャンネルです。
この番組ではウェブ業界に関することや、エンジニアリング、いろんな技術についての雑談などの情報を発信していきたいと思います。
今日は、短いタイトルですけど、雑学と人生みたいな主語がデカいタイトルにしようとしています。
そんな大行なことを言えるわけではないし、思ったことをダラダラ喋るだけなんですけど、
僕は末席ですけども、一応教育に携わっている身であるのは、今までも喋ってきた通りで、
プログラミングの講師という立場で、教育の現場に携わらせていただいています。
教育の現場においてよく聞かれる、「数学ってこの先必要なんですか?」とか、「この学んだことって何に活かすんですか?」とか
「何のためになるんですか?」とか、「無駄じゃないですか?」みたいな問いをよく言わなげられます。
言葉はいっぱいありますけど。
それについての回答は僕なりには持ってますし、毎回それを喋ってはいるんですけど、
そもそもこういう発言が出る時点で、その教育の現場における敗北だなって僕は捉えちゃってますね。
そんなことを言わせてしまっているのかっていうのが、僕としてはすごく悔しいです。
学校教育機関の目指すところであったり、親御さんの教育方針であったり、いろんな環境があるので、
別に否定する気はないですけど、僕としてはそういうふうな言葉を子供たちに言わせているっていうこと自体が、
今の教育の敗北だっていうふうに僕は捉えてます。
なので、できていないとは思いますし、全然まだまだ道半ばでもあるんですけど、
僕がもし教える側の立場に立って受けてくれる学生さんなり人に対しては、
学問っていうのはすごく面白いし、その学問をやったことで人生が豊かになりますよっていうことを伝えるだけではなくて、
実感として肌で感じてほしいなっていうのがあって、僕はそういうふうなお話をしたりはします。
刺さるか刺さらないかはあれですし、私の考え方は割といわゆる昭和チックな考え方が本当に強くて、
英語風に言うとトラディショナルって言うんですかね。
ちょっと古典的な感覚、価値観で喋ってしまっているので、刺さらないかもしれない。
なるべく現代の子たちにもアップデートしながら伝えてはいますけど、
言うて人っていうのはそんなに僕変わってないっていうふうに思ってて、
昔苦労したこととか昔得た知見なり感覚っていうのは、
ツールとか環境は変われど人自体が変わらないのであれば割と刺さるんじゃないかなっていうのを思いながら今も喋っているところですけど、
今回はその雑学っていうことをタイトルに出しました。
雑学って聞くとピトって聞いてくれたりするし、雑学なら学んでくれる子は多かったんですよね。
けど真面目に学問の話をするとすまんなかったりとか、
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学問そのものを面白いと思うから、これは割とほぼ先天的に近いところはあると思いますね。
知的好奇心をどこまで幅広げたり深みを持たせるかは個々人の差があるんですけど、
とはいえ学問になると難しいみたいな固定観念もあったりするし、
教え方が教科書通り教えてるからこそ楽しさを伝えられてないっていうのはもちろんあるかもしれないです。
今の文科省が作った教科書は割とカリキュラムは4年に1回でしたっけ?見直されてるんですよね。
で文科省がここまでは義務教育であるべきですよねっていう教科書を決めてるんですけど、
いわゆる詰め込み教育であることに間違いはないし変わりはない。
なのでそこに面白さなんて正直ないわけなんですよ。
もともとは世界大戦が終わった後のマッカーサー原生がいろんなものを整備して、
日本という国をとりあえずこれで走れっていうので走らせて形になったんですけど、
その時の教育方針が割と根強いって僕はまだまだ思ってて、
たまに今の子たちの教科書を拝見させていただいてますけど、
その根本にある詰め込み教育っていうところがあんま変わらないなって思ってます。
ただこれは捉え方の違いとしては本当に良い面はあって、
どんな人でも日本における動き方としてちゃんと食べていける、
そういう大人になるっていうための必要な知識を義務教育なんで中学生まで、
15歳まではしっかり学ばして、そっから社会に出ても何とか食べていけるようにするっていう、
その教育方針であることに間違いはない。
だからそこを満たすための教育であるので面白さとかは一旦土返しですよね。
とにかく必要なものを短期間で身につけるってなるとそれは詰め込むしかなかった。
なので詰め込み教育の教科書になっていて、
それが未だに根強くその成功体験があるので変わらないと。
今の指導者たちとか教える側の人たちは詰め込み教育で、
もう段階世代はバブル崩壊も味わっている人たちでもあるので、
ちょっとずつ変わってきてはいますけど、
結局成功体験のまま人は教えるので仕方ない面はあるんですけど、
日本は国民の識字率の高さも世界有数ではあるし、
その識字率に立脚した教育方針でもあったりはするので、
教育水準自体は結構高いんですよね日本って。
あとは言語の壁さえ突破すれば日本人って
割とどこの国行っても本当に働けるし、
最低限のバリーはしっかり出すので生きていけるっていうところは
本当に達成できたと私は思っています。
その意味では日本の教育は成功はしたんですけど、
ここから先じゃあ世界と戦っていくためには
やっぱアップデートとかブラッシュアップはしていかなきゃいけない。
どっかで根本的に方向転換をしなきゃいけないっていうのはやはりあると。
というので、トラディショナルに日本のままずっと生きていって
日本で骨を埋めるんであればいいんですけど、そうじゃないところ。
それを国民がやっていかなければ、国全体としてやらなければ
ゆるゆると世界に取り残されていくしかないので、
それは怖いですけどね。
まあさておき、そういう話を今日はしたかったのではなく、
学ぶっていうことは人生を豊かにするよなっていうのが
僕の根本的に言いたいことです。
必要じゃないものは必要じゃないから学ばないっていうのは、
視野を狭めますし、自分の必要だと思う興味関心を取って、
はっきりと学生ぐらいの、人生たかたか10年ちょっとしか生きてない
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人の見てきたもので、決められることなんてほぼないと思うんですよね。
それは本当に視野を狭めてしまって、人生固定化してしまう気がしているんですよ。
なので、好き嫌いとか必要必要じゃなさそうとか、
今後使わないかもしれないっていうのはある程度見えてきてるんでしょうけども、
まずはやってみるのがなんだかんだいいと思ったりしてます。
ただ、一番はその理想じゃなくて、
自分が面白いって思うものが幅広ければ一番いいんですけど、
面白いと思うものはだいたいサブカルとかに行ってしまうと思います。
日本はサブカルが本当に強い国で、
それはそれで日本の一大事業でして、
伸びたっていう実績もあるし、
これは今後も伸ばしていきたいのは全然あると思うんで、
いいんですけど、ただただいわゆる面白さって言っても、
まずインテリジェンスな面白さもあるし、
いわゆる笑い的なコミカルな笑いもあるし、
幅広いファンみたいな笑いもあるし、
面白いっていう言葉ってすごい他人語で、
何に対して面白いかとかどういう面白さがあるのかっていうのは、
本当に人によって言うと、
間違って感覚も違いますけどね。
その面白さを一つに絞っていくと、
人生の豊かさはやっぱり狭まっていくなっていうのがあるので、
なるべくはいろんなものに対しての興味関心を持ってほしいと思っています。
で、その中の一つにやはり学問、アカデミックも
面白さはちゃんとあるんだよっていうのを味わってもらいたいので、
数学っていうかこの先使わなくて良くないとか必要じゃないよねって
いうことを言わせてしまうのは僕は悲しいし、
敗北だっていうのはそういう背景があるんですよね。
数学には数学の面白さはあるし、
数学、学自体がなんか面白くなくても、
数学者の人たちの人生とか電気って聞くとめちゃめちゃ面白いんですよね。
この放送でも何度か言いましたけど、
フェルマーの最終定理、
最終的にはアンドリュー・ワイルズが証明したんですけど、
厳密にはフェルマーの言った予想を解いたのではなくて、
最終的には日本人の志村谷山予想っていうものですね。
いわゆるモジュラーの話をしてるんですけど、
彼らの予想を解けばフェルマーの最終定理が証明されることに
最終的に繋がっていくんですよね。
なのでワイルズが証明したのはフェルマーの予想ではなくて、
志村谷山予想を証明したってことなんですよ。
それは誰も知りも予想しなかった楕円関数に関する何かが
キーになって、整数の話だったんですけど、
その整数の話を楕円関数のなんちゃらかんちゃらを
ひも付けていくと、モジュラーの話とひも付けられるじゃんってなって、
そのモジュラーの話で日本人の2人が予想した、
その予想を証明すればよかったっていうふうにどんどん繋がっていくんですよね。
数学ってそういう全然違う分野だと思いきや、
意外と深掘っていくと繋がることがたくさんあって、
その繋がった中でそれを証明すればいいみたいな話がいっぱいあるんですよね。
そういうドラマが割と数学の世界にはたくさんあって、
結構面白いんですよね。
これはどう面白いと感じるか、面白さをどう伝えるかはまた難しいんですけど、
そんな感じで、数学って面白くないし、
使わないからじゃあいいやっていうのを切っていくと、
感覚が狭まるのはもったいないなっていうふうに感じます。
今のって言うて教育におけるマストな要件ではないじゃないですか。
正直言うと雑学なんですね。
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雑学は直接使わないですけど、
でも雑学の方が面白いってのはやっぱりあるので、
教育現場においても雑学を含めて教えるのは全然いいと思うし、
っていうのって私塾だったり私学学校だったらできますよね。
公立校はカリキュラムが国からもう定められてしまってるので、
なかなか外れることは難しいと思います。
私立であればあるほど柔軟性っていうのはもう独自で勝手にやれるので、
中学校までの義務教育はちゃんと教育課程ってのが定まっているので、
それに従わなきゃいけないんですけど、
それさえ最低限に満たせば、ぶっちゃけ何してもいいんですよね。
っていうので私学は割と面白いと思いますので、
そういうところでやれたらなって思いますし、
僕も教育に携わる身としては、
アカデミックなところの面白さの側面から入っていって、
本堂に入ってもらうのもいいのかなと思ったりしました。
いろんな人生ドタバタしてて、
いろんな結果出した偉人たちがいっぱいいますけど、
その偉人たちが裏ではこんなことやったり、
こんな苦労したっていうのを知ると、
割とその偉人に対する感覚も変わってきたりします。
例えば僕らのコンピューターの世界では、
フォンノイマンっていう神様がいるじゃないですか。
神様というかコンピューターの父というか、
フォンノイマンは確か×1で奥さんに2人いたはずなんですよね。
2人目の奥さんの時の話を、
この前ポッドキャスト聞いて面白かったんですけど、
ノイマンで、ノイマンの名前を付けた
何たらかんたらっていう50個くらいあるらしいんですけど、
その中で一番面白いのはノイマンカーブっていうのがあって、
フォンノイマンは運転、車の運転が超絶下手で、
いつも仕事に行く途中のこの曲がり方で
しょっちゅうぶつかるっていうので
ノイマンカーブっていう揶揄される言葉が生まれたぐらい、
僕らノイマンってすごく偉人みたいなのがあるんですけど、
そういうポカする、人間見合うみたいなところがやはりあるんですよ。
車何度か事故ってて、
一回結構でかい事故をやらかして、
奥さんの鼻が結構ボキボキに折れてしまったらしいんですよね。
すごい美しかった方なんですけど、
ちょっと顔が変わってしまったらしくてですね。
なんですけど奥さんは割と気さくで、
それを後になって話しにできるぐらいな人らしく、
いいなと思いました。
いい関係性だと思いますけど。
などなど。
こんな雑学してってフォンノイマン何した人って、
コンピューターを作った人なんだみたいなところで、
本来のフォンノイマンの功績から、
コンピューターの歴史の話にもっかい戻すみたいなところができたりすると思うんで。
そうやって雑学から入っていくと、
本来やりたかったアカデミックな話にも
持っていきやすいのかなと思ったりするので。
教科書的に必要なものだけを教えるっていうのは、
そろそろ脱却するべきなんだろうなと思ってますし、
いろんな雑学っていうのをやりつつ、
学問っていうのをやっていくのが面白いかなって思ってましたし、
人生を豊かにしていくのは最終的には僕は学だと思ってますね。
何か物事を見たときに、
背景を知ってたりすると、感じ方、受け取り方って
一気に幅が広がったり深みが出ますよね。
絵画見ても、ふーんってなるのとかよくわかんないってなるのと、
この人確かこの時代にこういう絵を描いて、
だから賞賛されたんだっていうのを知って、
この絵を見ると割と感動できたりするとか、
そういうね、いろいろ深みがつけられるので、
まずは食わず嫌いじゃないですけど、
やってみるって、知ってよくこと自体は全然人生豊かにすると思うので、
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学ぶっていうのはすごく大事だよなっていうのを伝えたくなった。
その意味で雑学と言ってます。
はい、っていうので、今後もね、
日本の教育過程がどうなるかはわからないですけど、
僕もまだまだ教育に携わるポジションでいたいとは思ってますし、
末端であれながらお手伝いしたいなと思ってますのでね。
なんかそういう学問の楽しさと、
それが人生にどう影響するかみたいなのを伝えていけたらなと。
はい、そういうお話でした。
はい、今回はこんなところで終わっていきたいと思います。
いつも聞いてくださり本当にありがとうございます。
ではまた次回の主力でお会いしましょう。
バイバイ。