2023-10-08 24:09

【##47】「創業明治25年の鰹節企業の8代目跡取り ヤマキウ株式会社 鈴木 彰」前編

第23回目のキッカケインタビューは、創業明治25年の鰹節屋の8代目跡取りである鈴木彰さんにインタビューしました。幼少期から跡取りを意識して過ごされて、20代を専門商社やIT業界の経験を経て、30代となるタイミングで家業であるヤマキウ株式会社での後継者への道を歩み始めたエピソード、「逆算思考」や「強み」をどう形成していくのかなど、一歩踏み出す人に参考になると思うので是非お聴きください。後継者の問題は日本という国家単位でもこれからさらに深刻となる課題であり、そういったコミュニティ活動もされている鈴木さんと繋がりたい方もぜひ直接問い合わせしてみてください。僕も自営業の長男でもあるので共感する点も多くありました。


⦅略歴⦆

鰹節をはじめとした出汁の素材を扱う創業明治25年のヤマキウ株式会社の後継者。茶農家、味噌屋さん、醤油屋さん、酒造メーカーなど、食に関わりのある若手後継者との横の繋がりを活用して、これからの日本の食のあり方を模索しつつ、コミュニティーの拡大を目指す。


■本日のパーソナリティ

こどもの未来株式会社:千葉祐大

Twitter(X)


▼鰹節Night - Podcast on Spotify

https://open.spotify.com/show/0zUog6K7ETFe8RC2hHaiu7?si=fd78a6da87e74fdd

▼X (旧Twitter)

https://twitter.com/katsuo_a_suzuki

▼Facebook

https://www.facebook.com/akira.suzuki.116

▼ヤマキウ株式会社

https://yamakiu.com

▼Instagram

https://www.instagram.com/katsuo_a_suzuki/


この番組「キッカケラジオ」は、20〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人はキッカケがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた、内的キッカケや外的キッカケをご紹介していきます。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

Twitter:https://twitter.com/Baccho1983

Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

note:https://note.com/babytech2020

mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp


▼こどもの未来株式会社

HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/

note:https://note.com/kodomomirai

Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz

Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba

E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp

サマリー

鈴木彰さんは、商社を選んで就職活動をしました。彼は電子部品の専門商社に入社しました。新設された新規事業部では、プロジェクトリーダーとして仕事を任せられ、電子部品についての知識を身につけ、プロジェクトマネジメントの経験を積んできました。商社でのプロジェクト経験と樹脂の専門知識を活かし、彼はイロンナ専門家とコラボしながらプロジェクトを進めることを目指しています。

鈴木彰の家業への戻りと学生時代
【キッカケラジオ】この番組は、 ワクワクのキッカケをつくる番組です。
20代・40代の一家で働く方を応援する番組として、 週に1回、キッカケインタビューとして、
内的なキッカケ・外的なキッカケを さまざまご紹介させていただいております。
おはようございます。 パーソナリティの小道未来株式会社の千葉です。
今日はですね、早速23人目──あってるかな? 大体毎回適当になっちゃうんですけど。
23人目ぐらいのインタビューとして ゲストに来てもらっておりまして、
創業100年以上の鰹節屋の後取りの息子として 今、活躍する鈴木 彰君に来てもらってますので、
鈴木さん、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いいたします。
いやー、ありがとうございます。 彰君、朝から急に。
いえいえ、こちらこそ。
あげたいなと思っておりますが。 よろしくお願いします。
彰君とはね、出会って1年ちょい。 まだ2年経ってないぐらい?
そうですね。
と思いますけれども。
会った時には自分で独立して、 マーケットの仕事をバリバリやってたって印象がありながら、
最近ね、先ほど言ったような家業のほうに 足元を移し始めたっていうところがあるので、
ちょっといろいろな話を 聞かせていただければなと思いますが、
最初にちょっと簡単な自己紹介だけ お願いしてもよろしいでしょうか。
はい、初めまして。 私、鈴木明と申しまして。
創業明治25年、1892年に創業した 鰹節屋さんの8代目後継者予定ということで、
今年の7月から家業のほうに戻りまして、 家業のほうに入りまして、
約2ヶ月ぐらい経ったっていったところですね。
ありがとうございます。
これまでの経緯はいろいろ深掘って いければと思うんですけど、
リスナーもね、ちょっと待って、1892年とか、 8代目とかってやっぱりすごいじゃないですか。
そうですね。まだちょっと僕は何もやってないんですけど。
本当に継承していくっていうのはすごいなと。
あとは別の活動で、後継みたいな活動も 多分されてるかと思うし、
僕も全然100年とかじゃないんですけれども、 創業40、今3年の子供服屋の、
僕も実家が自営業やってる長男取りというかね、 長男取り。
そのような話もすごく興味があったり、 心配しているので。
今日ちょっとね、そんな明君がどんなふうに そろそろ学生時代過ごして、
社会人のキャリアを積んで、明君が今年齢でいうと 何歳になったというか。
29歳で30歳の歳ですね。 ちょっと僕が早生まれなんで。
ありがとうございます。
最近のラジオとか、きっかけを見て聞いてください。
もともと30、40とかの、それこそライフステージとか、 キャリアをチェンジするっていうことで
聞いてくれる方が非常に多かったんですけども、 最近ありがたいことに20代後半の方とか、
やっぱり初めての転職だったりとか、初めての結婚とか、 何か変わるタイミングって聞いてくれる方も
非常に増えているので、それを聞くと明君世代の方の こんな話も聞けるんじゃないかと思っているので、
ぜひ聞かせてください。
ぜひよろしくお願いします。
そろそろ本当に生まれたときからある意味、 100年以上続いてる環境ですね。
お父さんがイメージ7代目っていう。
そうですね。
そういうところのバックグラウンドは あったと思うんですけども、
どこから聞いていこうかな。
鈴木彰の実家と学生時代過ごした場所
さっき少し聞いたみたいに、もともと実家は大阪でしたっけ。
会社が大阪で、家という意味では兵庫県の宝塚市ですね。
宝塚歌劇の込み拠地があるところですね。
いいところですね、宝塚の。
関西で生まれ育ったっていうのは。
さっき聞いたら東京に来てた時期が 結構早かったなっていう印象。
そうですね。
高校のころに東京に出させてもらって、
そこから寮とかいうわけでもなく、
一人暮らしでずっとさせてもらっていたので。
例えば東日本大震災とかも、
もろに一人で、確かあれ学校から帰ってきて、
昼寝とかがしてるときだったんですかね。
確かそんな感じだったんですけど、
めちゃめちゃ揺れて、すごい怖い思いをしたのを覚えてますね。
そうですよね。
今になってた時代なんで覚えてますよね。
午後の時間だったと思うので。
そっか、その時に高校生で一人暮らし、
一人暮らしってめっちゃ怖いですね、確かに。
めっちゃ怖いですね。
そんな感じで、結構高校の時に一人暮らしさせてもらったっていう経験は、
なかなかないんじゃないかなっていうのは思いますね。
変な話ですけど、僕の親父とかって、
じいちゃんがジェトロで海外に住んでたんで、
逆に中3か高1の時に日本に一人入ってきて、
そこで一人暮らしとかしてたみたいな。
昔のほうがまだそういうパターンあったなと思うんですけど、
同世代で高校で一人暮らししてるのは結構珍しくなかったですか。
そうですね。あんまりというか、
高校のときは僕一人だけっていうのはありましたね。
スポーツとかね、それさっきの寮とかだったら結構回ると思うんですけど。
ちょっとその価値観とか触れていくと、
中学受験とかっていうのも少しあったと思うんですけど、
結構早く独立というか、自立したいみたいな感覚を持っていたんですか。
そうですね。僕自身も独立精神みたいなのはありましたし、
やっぱり親としても早いうちから独立していきたいというか、
可愛い子には旅をさせようじゃないですけど、
どんどんと外の世界に触れていかせたいっていう思いはあったみたいですね。
そうなんですね。青本さんはそういうのは別に。
めちゃくちゃグレまくって、とりあえず東京にいない感じじゃなかったってことですね。
そういう反骨精神っていうのはあんまりなかったかもしれないですね。
失礼しました。
東京から一人会社を始めてっていう。
大学もあるんですよね。確か東京の大学。
そうですね。明治大学に行かせていただいて。
そうですよね。清水さんというのをさっき聞いていたので。
鈴木彰の学生時代の活動
それもさっき聞いてたんですけど、学生時代にどんな学生時代を過ごしたかというと。
大学生の頃は特にサークルとかも、実は一番最初入っていたんですけども、
ロッククライミングサークルに入ってまして。
そんなにじゃない。
フォルダリングサークルに入ってまして。
それがなかなか人がどうしても集まらないという。
半分配分みたいな感じで活動休止みたいな感じになっちゃいまして。
それがたぶん1年経たずぐらいですかね。
1年経ってなかったと思うんですね。
それぐらいでサークルはもうそこしか入ってなかったので、
サークルはもうそれ以降入ってませんと。
じゃあ何してたかというと、特にバイトもやってなかったんですよね。
ちょいちょいコマゴマとかやってたんですけど。
うちの僕が入ってたゼミがですね、
なかなか三大ガチゼミって呼ばれてるぐらい、
ちゃんとしっかり研究して、数値の分析とかもしてっていう、
なかなか文系としては珍しいようなゼミでして、
そこのゼミの活動で忙しかったなっていうところはありますね。
よくも悪くも忙しくて良い経験をそこでしてたわけですよね。
そうですね。
と同時に、もうすでに大学では小学部に入ったんですけれども、
家業があるっていったところもそうですし、
自分で一度家業に入る前に独立したいなっていう思いもあったので、
いわゆる意識高い系みたいな感じの人たちと一緒に話をしたりとか、
当時ウェブデザインみたいなところに若干、
ちょっとだけインターンみたいなのに行かせてもらっていたので、
そういうところの活動とかはやってましたね。
ありがとうございます。
僕も自営業の長男だったので、
大学も小学部で、
僕は中央大学小学部でいわゆる落小学部って言われてるから、
そんなに忙しくなかったんですけど、
僕も何となく将来自分の知恵のことを尊敬したりするつぐみたいなイメージはあったりしたので、
アキラ君も企業っていうことは学生時代からイメージをしてたっていうことですよね。
そうですね。知ってましたね。
周りの中では珍しいというか、
多分そんなに周りは就職、分級だと、
どうですか、就職する人が多かった感じですか。
就職する人ばっかりでしたね。
当然知らないところで多分独立してる人はいるんでしょうけど、
僕の周りは全員就職していましたね。
ただでも結構ベンチャー系とかも多かったり、
結構ベンチャー意欲の高い人たちが多かった気がしますね。
そうですよね。さっきの学生時代に過ごしたアキラ君も、
2016年とかそういう世代ですよね。
そうですね、はい。
確かに僕が2005年とかなんで、
鈴木彰氏の就職活動
それで確かに10個くらい違うんかイメージで。
そうですね、はい。
比較的にスタートアップと呼ばれるような、
確かにそういう会社も就職も増えてきたタイミングかなと思ったりはするので。
そうですね。
確かに確かに。
でも面白いのは、そこからすごい気になるのが、
そういうふうにバックグラウンドがあって、
ここから来るというふうにやってきた中で、
最初は就職してるわけじゃないですか。
はい。
この就職活動って、
どんな軸で最初どういうところに決めたか、
ぜひ参考になりそうな軸掛かってもいいですか。
実はですね、意識高い系あるあるなんですけど、
僕意識高い人って大学にいるのはいるんですけど、
僕どちらかというと意識高い系で終わってたんですよね。
というので、意識高い系あるあるですけど、
学生起業家みたいなのして、
あんまり就職するっていうイメージはなかったんですね。
当時ウェブ制作とかも若干できるっていうところもあって、
それで独立しようかななんてふわっと考えてたんですけど、
ちょっと母親からすごい、
さすがに就職しろみたいなこと言われて、
さすがに母親に言われたから就職しようかなみたいなこともあって、
なので結構遅れて就職活動をスタートしてたんですよね。
なるほど。
その時にある程度の軸は、
商売をしたいっていう軸が決まっていたので、
じゃあ商売ができるって何なんだろうみたいなところを深掘り、
深掘りしたっていうほどできてなかったと思うんですけど、
結果、やっぱり商社。
ゴリゴリプロジェクトを動かしてっていうようなところが、
飽きないみたいなところがいいなと思って、
基本的には商社を狙っていましたね。
本業から考えても商社は確かにビジネスモデルとかも。
そうですね。
その中でも、家業は食品の業界ですけど、
入社後の仕事
逆にせっかく就職するんだったら真逆の世界見に行きたいなと思って、
電子部品の専門商社に入ることにしましたね。
そういう軸だったんですね。
なおかつ、もうその頃には30歳ぐらいのときにはつい、
家業に入ろうとは思っていたので、
それまでにある程度いろんな経験ができるような会社がいいなっていったときに、
そんなに何代商社みたいなところにお勤めのOBの方とお話ししてると、
いや実はもう二十何歳になってるけど、
全然船の手配とかしかやってなくて、
全然そういうプロジェクトとか動かせてないんだみたいな話を聞いたときに、
めちゃめちゃ何代商社って面白さ、
プロジェクトという意味ではめちゃめちゃ面白いところではあるんですけど、
僕の30までの中ではなかなかそういうポジションにつくのは難しいんじゃないかなと思って、
それでそんな専門商社っていうところに入りましたね。
そういう程度その規模感っていうのを、一応規模感としては大企業の部類なんですけど、
中堅どころの商社に入ると決めましたね。
いやなんか素晴らしい、めっちゃ考えてちゃんと就活をしてますね。
そうですね、意外とクワッとしてる部分とちゃんと考えてる部分がありましたね。
いいですね、確かにその家業から逆算されて、
もちろんやっている、商社っていう選択肢もそうだと思いますし、
食品ではないところに行ったりとか、面白いなと思ったのが、
そのぐらいの時から30歳ぐらいには家業に入ることがあったんですね。
そうですね、それはありましたね。
それでなんかすごい興味があるんですけど、
なんか分かんないけど、お父さんとお母さんと喋ってる、
僕とかって結構これも後継ぎ、僕らも知ってる人あるあるかもしれないですけど、
あんまりいつもいつも親父とお話をするわけじゃないじゃないですか。
面倒がそういう話をするタイミングで限られてるというか、
家では絶対しないから、
一時期は月に一回外で飯を食うみたいな感じにして、
そこでコミュニケーションを取るみたいなことをやってたんですけど、
分かんないけど、学生時代とかに30で戻るっていうのは、
お父さんとも喋っていただいような、それも自分の中でみたいな感じですかね。
それで言うと、僕も親父と嗣々苗の話をしたのって、
ほんともうこの1年ぐらいで、それまでは全然ふわっと、
それは嗣ぐだろうなみたいな話はしてましたけど、
そんなにがっつりしてたわけではなく、
親父としても本当にこいつは嗣ぐのかどうかっていうのは、
実際に今年の7月から入りましたけど、
それまでっていうのはちょっとわかってなくって、
どうなんだどうなんだみたいなところはあったみたいですね。
なので、自分の中で思っていましたと。
むしろその親父からは、全然嗣がなくていいよというか、
嗣ぐなとまでそんな強い言葉では言われてないですけど、
そんなも業界も古いし、嗣ぐ必要ないよみたいなことはずっと言われてましたね。
この辺の家業あるあるとか、一時産業の後継問題とか、
またこれで違うテーマで広がりそうだね。
それはそれでまた喋りたいなと。
告知がないと思えばぜひ来ていただければ。
この30っていうのが何でかっていうと、
ふわっと20代のうちって本当にいろんな世界に触れて、
成長していく、成長というか本当に失敗とか経験する段階かなと思っていて、
それである程度の幅が、経験ができた段階で、
そこから30からスタート、またスタート、再スタート、切れるっていうのが、
ちょうど30歳かなっていうのもありましたし、
あと今まだ結婚してるわけではないんですけども、
おそらく30歳くらいには結婚してるだろうっていう淡い期待があって。
というので、いろいろ人生のタイミングっていうのが30前後であると思っていたので、
ちょこちょこその30っていうのは区切りにしてましたね、一つ。
ありがとうございます。
きっかけインタビューも20人以上させてもらっていて、
結構僕とか明君とかみたいに、
仕事とか考えてた人というのはパーセントとしてはそんなに多くないなと思うんですけども、
結構でも結果論的に自分のキャリアをきっかけのインタビューで振り返らせてもらうと、
30になる前とか、そのぐらいにスタンディングポイントが来る人ってすごく多かったなっていう感じなので、
本当にその通りですよね。ライフステージが変わることもあるだろうし、
あとは自分の経験を詰めるぐらいもいいかなと思うので、
素晴らしいなと思って聞いておりました。
それではそんな考えで、順調に普通に就職が決まって、
2016年の4月から電子部員の専門職者になりますね。
後半にまた独立話も聞ければと思うんですけど、
どうですか、入ってみた、言うても比較的人数は大きいだったと思うんですけども、
人数通りだったのが逆みたいなことを言うと。
それでいくと、ありがたいことに、2016年の4月入社なんですけども、
2016年の1月ぐらいに新設された新規事業部といったところがありまして、
そこに志望を出して何とか入れてもらったんですけども、
割と新規事業部なので人も足りないっていうのもあって、
早い段階でプロジェクトを任せてもらえたんですよ。
すごい願ったり叶ったりだなと思って、
ごメーカーの一眼カメラとある心臓となる部品の開発プロジェクトに携わっていたんですけども、
うちの会社としては僕がプロジェクトリーダーとしてやらせていただいて、
とはいえ電子部品のことは新卒で全く文系なのでわからないですし、
電子部品の周りには部品なので、
石の樹脂製品とか金属の金属板とか、
あとはっていうような細々とした材料のことを覚えないといけなかったですし、
それの製造の仕方とかも覚えないといけないですし、
本当にいろんな知識っていうのを素早くキャッチアップするっていうのはすごい身につきましたね。
なおかつプロジェクトっていうのを動かしたかったっていうのもあって、
それをもう本当に新卒ですぐに経験させていただいたっていうのはすごい大きな経験でしたね。
いいですね。なかなかすごい素晴らしいチャンスをつかまれてる感じがしますね。
プロジェクトマネジメントの経験
すごいよかったです。
やっぱりおっしゃる通り商社って大きいんでね、鉄鋼だとか何かやるっていうのは、
やっぱりまずはそれからっていう印象もあったりしたので、
きちんとプロジェクトマネジメント経験ができると思いましたし、
素晴らしいなと。
なんかそこでいくと、それが自分の狙い通りっていうのもあった一方で、
逆にデメリットみたいなのも今となっては感じるなと思って、
何かっていうと専門分野がないんですよ。
やっぱり商社ってプロジェクトを動かすっていう会社なので、
やっぱり樹脂の専門、樹脂のプロでもなければ、電子部品のプロでもなければ、
部品を作るための開発プロジェクトを動かす人間なので、
そこは今の強みでもあり、逆に弱みでもあり。
でも弱みを語っておくしかないんで、
これからは強みであるいろんな専門家とコラボしながら、
一つのプロジェクトを推進していくみたいなのがずっと目指してましたね。
確かにね、IT業界も近いところだと思うんですけど、
やっぱりションというかたくさんしていく中で、
商社は俗に言う純活油みたいなイメージですよね。
それはそれで日本経済にとっても大事なことだと思うし、
会社にとっても素晴らしいことだと思うんですけど、
個人に専門知識みたいなことを言うと、
これもメリットデメリット足られればですけど、
樹脂の業界に10人いれば樹脂の専門知識がつくだろうと、
それはそれでクーには困らないスキルセットになるかもしれないけど、
ただ何を目指すかというと楽しいですよね。
そうですね。
そうかなと思うので。
確かにそういうことも見えてくるのはいい経験です。
そうでしたね。
ありがとうございます。
ちょっと前半のラストのエピソードを聞かせてもらっていいと思うんですけど、
比較的2016年ション社は順調にいったと思うんですけども、
そこから次のキャリアが、先ほど聞いたのは独立の秘密記録じゃないですか、
そこにちょっとション社で2年半くらいでしたっけ?
そうですね。はい、それくらいですね。
2年半も見方次第なんですけども、
比較的早いタイミングで独立に踏み切ったなと思っている印象もあるんですけど、
そのきっかけがあったら教えてもらってもいいですか?
実はこれも割と逆算でやってたところがあって、
就職の軸の時でもお話ししましたけど、
プロジェクトを経験したいっていうのがあったので、
それがありがたいことに、
新卒の段階でプロジェクト経験できちゃったんですよ。
それの開発プロジェクトが終わったタイミングが、
その2年半くらいのタイミングだったんですよね。
というので、タイミングっていうのは割と決まってたのかなっていうのはありますね。
独立のきっかけ
なるほどですね。
今はプロジェクトが終わったタイミングで部署移動になったので、
新しい部署でまたゼロから積み上げていくよりか、
だったらもうこのタイミングで独立しようかなっていう。
独立しましたね。
そうですね。そのぐらいのスパンでプロジェクト回ることになる。
最後に聞きたいのは、逆算指向で、
逆に言うときちんと狙い取りに蹴り集めたって言うのがあると思うんですけど、
もう1回次のキャリアで転職とかじゃなくて、
それも独立という感じで決めてたんですかね、パソコンは。
そうなんですよね。今から思うと、
もう1回転職っていう形もあったんじゃないかと思って、
後悔してる部分ではあるんですけど。
正解だと思うんですけど、
竹内君の場合、年齢で言うと、
当時で24か5くらいですかね。
そうですよね。新卒で25手前ですよね。
確かに考え方ですよね。
もう1回転職することもあったかもしれない。
なるほど。
そうですね。
いいですね。その時は独立をしようという気持ちで独立をしたんですかね。
そうですね。
この辺とかってやっぱりいろんなきっかけにというか、
インタビューにかけられたいろんな、
最近僕も転職支援で後輩の話もたくさん聞くことがあるんですけど、
もうね、やっちゃおうって言う子はもちろん独立することも言ったりするんですけど、
一方で、
もう少し言葉があるんですけど、実力をつけたいとか、
他の会社を見てみたいという子も一定数多くあったりすると思うので、
この辺を興味深いなと思っておりました。
前半はここまでにさせていただいて、
後半はそこから鈴木明、独立話につなげていきたいと思います。
OKです。よろしくお願いします。
前半はこちらまで。鈴木さんありがとうございました。
ありがとうございました。
OKです。
24:09

コメント

スクロール