【キッカケラジオ】この番組は、 ワクワクのキッカケをつくる番組です。
20代・40代の一家で働く方を応援する番組として、 週に1回、キッカケインタビューとして、
内的なキッカケ・外的なキッカケを さまざまご紹介させていただいております。
おはようございます。 パーソナリティの小道未来株式会社の千葉です。
今日はですね、早速23人目──あってるかな? 大体毎回適当になっちゃうんですけど。
23人目ぐらいのインタビューとして ゲストに来てもらっておりまして、
創業100年以上の鰹節屋の後取りの息子として 今、活躍する鈴木 彰君に来てもらってますので、
鈴木さん、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いいたします。
いやー、ありがとうございます。 彰君、朝から急に。
いえいえ、こちらこそ。
あげたいなと思っておりますが。 よろしくお願いします。
彰君とはね、出会って1年ちょい。 まだ2年経ってないぐらい?
そうですね。
と思いますけれども。
会った時には自分で独立して、 マーケットの仕事をバリバリやってたって印象がありながら、
最近ね、先ほど言ったような家業のほうに 足元を移し始めたっていうところがあるので、
ちょっといろいろな話を 聞かせていただければなと思いますが、
最初にちょっと簡単な自己紹介だけ お願いしてもよろしいでしょうか。
はい、初めまして。 私、鈴木明と申しまして。
創業明治25年、1892年に創業した 鰹節屋さんの8代目後継者予定ということで、
今年の7月から家業のほうに戻りまして、 家業のほうに入りまして、
約2ヶ月ぐらい経ったっていったところですね。
ありがとうございます。
これまでの経緯はいろいろ深掘って いければと思うんですけど、
リスナーもね、ちょっと待って、1892年とか、 8代目とかってやっぱりすごいじゃないですか。
そうですね。まだちょっと僕は何もやってないんですけど。
本当に継承していくっていうのはすごいなと。
あとは別の活動で、後継みたいな活動も 多分されてるかと思うし、
僕も全然100年とかじゃないんですけれども、 創業40、今3年の子供服屋の、
僕も実家が自営業やってる長男取りというかね、 長男取り。
そのような話もすごく興味があったり、 心配しているので。
今日ちょっとね、そんな明君がどんなふうに そろそろ学生時代過ごして、
社会人のキャリアを積んで、明君が今年齢でいうと 何歳になったというか。
29歳で30歳の歳ですね。 ちょっと僕が早生まれなんで。
ありがとうございます。
最近のラジオとか、きっかけを見て聞いてください。
もともと30、40とかの、それこそライフステージとか、 キャリアをチェンジするっていうことで
聞いてくれる方が非常に多かったんですけども、 最近ありがたいことに20代後半の方とか、
やっぱり初めての転職だったりとか、初めての結婚とか、 何か変わるタイミングって聞いてくれる方も
非常に増えているので、それを聞くと明君世代の方の こんな話も聞けるんじゃないかと思っているので、
ぜひ聞かせてください。
ぜひよろしくお願いします。
そろそろ本当に生まれたときからある意味、 100年以上続いてる環境ですね。
お父さんがイメージ7代目っていう。
そうですね。
そういうところのバックグラウンドは あったと思うんですけども、
どこから聞いていこうかな。
逆にせっかく就職するんだったら真逆の世界見に行きたいなと思って、
電子部品の専門商社に入ることにしましたね。
そういう軸だったんですね。
なおかつ、もうその頃には30歳ぐらいのときにはつい、
家業に入ろうとは思っていたので、
それまでにある程度いろんな経験ができるような会社がいいなっていったときに、
そんなに何代商社みたいなところにお勤めのOBの方とお話ししてると、
いや実はもう二十何歳になってるけど、
全然船の手配とかしかやってなくて、
全然そういうプロジェクトとか動かせてないんだみたいな話を聞いたときに、
めちゃめちゃ何代商社って面白さ、
プロジェクトという意味ではめちゃめちゃ面白いところではあるんですけど、
僕の30までの中ではなかなかそういうポジションにつくのは難しいんじゃないかなと思って、
それでそんな専門商社っていうところに入りましたね。
そういう程度その規模感っていうのを、一応規模感としては大企業の部類なんですけど、
中堅どころの商社に入ると決めましたね。
いやなんか素晴らしい、めっちゃ考えてちゃんと就活をしてますね。
そうですね、意外とクワッとしてる部分とちゃんと考えてる部分がありましたね。
いいですね、確かにその家業から逆算されて、
もちろんやっている、商社っていう選択肢もそうだと思いますし、
食品ではないところに行ったりとか、面白いなと思ったのが、
そのぐらいの時から30歳ぐらいには家業に入ることがあったんですね。
そうですね、それはありましたね。
それでなんかすごい興味があるんですけど、
なんか分かんないけど、お父さんとお母さんと喋ってる、
僕とかって結構これも後継ぎ、僕らも知ってる人あるあるかもしれないですけど、
あんまりいつもいつも親父とお話をするわけじゃないじゃないですか。
面倒がそういう話をするタイミングで限られてるというか、
家では絶対しないから、
一時期は月に一回外で飯を食うみたいな感じにして、
そこでコミュニケーションを取るみたいなことをやってたんですけど、
分かんないけど、学生時代とかに30で戻るっていうのは、
お父さんとも喋っていただいような、それも自分の中でみたいな感じですかね。
それで言うと、僕も親父と嗣々苗の話をしたのって、
ほんともうこの1年ぐらいで、それまでは全然ふわっと、
それは嗣ぐだろうなみたいな話はしてましたけど、
そんなにがっつりしてたわけではなく、
親父としても本当にこいつは嗣ぐのかどうかっていうのは、
実際に今年の7月から入りましたけど、
それまでっていうのはちょっとわかってなくって、
どうなんだどうなんだみたいなところはあったみたいですね。
なので、自分の中で思っていましたと。
むしろその親父からは、全然嗣がなくていいよというか、
嗣ぐなとまでそんな強い言葉では言われてないですけど、
そんなも業界も古いし、嗣ぐ必要ないよみたいなことはずっと言われてましたね。
この辺の家業あるあるとか、一時産業の後継問題とか、
またこれで違うテーマで広がりそうだね。
それはそれでまた喋りたいなと。
告知がないと思えばぜひ来ていただければ。
この30っていうのが何でかっていうと、
ふわっと20代のうちって本当にいろんな世界に触れて、
成長していく、成長というか本当に失敗とか経験する段階かなと思っていて、
それである程度の幅が、経験ができた段階で、
そこから30からスタート、またスタート、再スタート、切れるっていうのが、
ちょうど30歳かなっていうのもありましたし、
あと今まだ結婚してるわけではないんですけども、
おそらく30歳くらいには結婚してるだろうっていう淡い期待があって。
というので、いろいろ人生のタイミングっていうのが30前後であると思っていたので、
ちょこちょこその30っていうのは区切りにしてましたね、一つ。
ありがとうございます。
きっかけインタビューも20人以上させてもらっていて、
結構僕とか明君とかみたいに、
仕事とか考えてた人というのはパーセントとしてはそんなに多くないなと思うんですけども、
結構でも結果論的に自分のキャリアをきっかけのインタビューで振り返らせてもらうと、
30になる前とか、そのぐらいにスタンディングポイントが来る人ってすごく多かったなっていう感じなので、
本当にその通りですよね。ライフステージが変わることもあるだろうし、
あとは自分の経験を詰めるぐらいもいいかなと思うので、
素晴らしいなと思って聞いておりました。
それではそんな考えで、順調に普通に就職が決まって、
2016年の4月から電子部員の専門職者になりますね。
後半にまた独立話も聞ければと思うんですけど、
どうですか、入ってみた、言うても比較的人数は大きいだったと思うんですけども、
人数通りだったのが逆みたいなことを言うと。
それでいくと、ありがたいことに、2016年の4月入社なんですけども、
2016年の1月ぐらいに新設された新規事業部といったところがありまして、
そこに志望を出して何とか入れてもらったんですけども、
割と新規事業部なので人も足りないっていうのもあって、
早い段階でプロジェクトを任せてもらえたんですよ。
すごい願ったり叶ったりだなと思って、
ごメーカーの一眼カメラとある心臓となる部品の開発プロジェクトに携わっていたんですけども、
うちの会社としては僕がプロジェクトリーダーとしてやらせていただいて、
とはいえ電子部品のことは新卒で全く文系なのでわからないですし、
電子部品の周りには部品なので、
石の樹脂製品とか金属の金属板とか、
あとはっていうような細々とした材料のことを覚えないといけなかったですし、
それの製造の仕方とかも覚えないといけないですし、
本当にいろんな知識っていうのを素早くキャッチアップするっていうのはすごい身につきましたね。
なおかつプロジェクトっていうのを動かしたかったっていうのもあって、
それをもう本当に新卒ですぐに経験させていただいたっていうのはすごい大きな経験でしたね。
いいですね。なかなかすごい素晴らしいチャンスをつかまれてる感じがしますね。