2023-04-30 27:10

【##16】「Fam株式会社」安藤 裕也さん(前編)

毎週1本、30-40代の方のキャリアストーリーをインタビューした収録をお届けします。

第8回目のキッカケインタビュアーは、Fam株式会社代表の安藤さん。学生時代から憧れのファッション誌で働く為に行動をするが、大学卒業直前に編集部がなくなるハードシングスを経験。通常の新卒就活に間に合わず中途入社と同じタイミングで人材大手のディップ社に入社。その後、GREEやSchoo、KDDIなど成長するIT企業や1人目マーケティング社員などのスタートアップなど大小様々なキャリアを自身の経験を言語化しながら次のキャリアを選択していき、独立に至ったキャリアストリーを是非お聴きください。


【キッカケストーリー】

学生時代から憧れのファッション誌で働くが、卒業直前に編集部がなくなり無職になる。その後人材大手のディップ株式会社に通常の新卒入社から数ヶ月遅れて入社し最初から中途入社として扱われる。約5年間様々なキャリアを積み、たまたま目にしたカンブリア宮殿をキッカケに株式会社GREEに転職。成長市場で広告やマーケティングなど多くを経験し、個人の実力を試したく当時どベンチャーだった株式会社Schooに1人目マーケティグ社員として転職。スタートアップキャリアを経て、その後再び大企業のKDDIに転職をしてブランディングなど経験を積み重ねて、現在は独立してFam株式会社を設立。


■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)

- 株式会社グロースX:酒井葉子(あhttps://twitter.com/youtin)

- グロースX | 業績につながる人材育成サービス:https://grtx.jp/


■本日のインタビューゲスト

- 安藤 裕也さん

- Facebook

- Instagram


- Fam株式会社


この番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

Twitter:https://twitter.com/Baccho1983

Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

note:https://note.com/babytech2020

mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp


▼こどもの未来株式会社

HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/

note:https://note.com/kodomomirai

Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz

Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba

E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp



00:09
30代、40代の生き方、働き方を応援する番組です。
パーソナリティの子ども未来株式会社の千葉です。
今日もまた、きっかけストーリーのインタビューをしたいなと思っておりまして、
今日は8人目となる方を、もう一人のパーソナリティのグロースXの坂井さんに紹介いただきましたので、
洋ちゃん、今日もよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。グロースXの坂井でございます。
本日はですね、私のかつての同僚を、絶対面白いだろうなと思いまして、お呼びしております。
はい、さっきちょっと聞いたけど、面白くて聞きたくてしょうがないんですけれども、
今日は、安藤さんに来ていただいておりますので、安藤さん、よろしくお願いいたします。
お願いします。
もうちょっとね、とても枠の中で収まりきる時間がないぐらい、面白そうになるんですけれども、
ちょっとじゃあ安藤さん、簡単な自己紹介を最初にお願いします。
はい、安藤優弥と申します。
今はですね、ファム株式会社というですね、コンサルティング、ブランディングとかマーケティングを主には、
なりわいとしている会社の、コンサルティング会社の代表をやっております。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。
ファムさんの話の方が、もちろん興味があるんですけれども、そこに至るまでのね、
リスナーの人にはきっかけっていうところをいろいろお伝えしていければなと思っておりますので、
そうですね、洋ちゃんにご紹介いただいて、完全に同世代ということですよね、確か年齢が今40歳ですかね。
今年で41歳で、今大学40なんで、ちょうど同い年なんですかね。
同い年では、本当に40と真ん中の世代でいろんな人に伝えていければと思っております。
今日はね、僕も知らないことが多いんで楽しみなんですけど、
いつも通りですけれども、社会人になったきっかけみたいなところからいろいろ聞いたりすることが多いんですけれども、
安野さんの場合、最初に入った会社のエピソードもちょっと面白かったので、そこからお伺いできればと思うんですけれども、
最初ってどんな感じでお仕事をしようと思ったんですか。
はい、最初の会社がですね、ファッション雑誌の編集部で働いてまして、
これがいわゆる新卒で入った会社というよりは、大学の在学中からずっとそこで仕事をしてました。
当時ですね、今考えるとですね、まだ出版ちょっと大変になってくるかもなとかっていう未来予想像は出てたんですけど、
ただやりたいっていうのが先行していて、で、ファッション好きで、あと文章書くのすごい好きだったので、
組み合わせるとシンプルにファッション雑誌の編集者だみたいな、そんな感じで、そこにほんとに絞ってそれ以外ほぼ受けてないっていうですね、
03:07
今考えたらかなり無謀な就職活動をやってたんですけど、たまたま引っかかりまして、関西のファッション誌に入ることができました。
面接受けたのが金曜日の夜だったんですけど、月曜日から来いっていう話になり、それよく知らない。
なんと、なんと。
そこからお仕事し始めて、編集部員が当時2人しかいなくて、1人が退職が決定していたので、僕ともう1人、2人、完全にヘッドカウントとしてカウントされまして、
新人2人と先輩1人と3人で編集部を回す雑誌を作っていくという、やばい体制からスタートするっていうのが大学在学中でした。
あれはちょうど大学の3年生ですかね。
いや面白いですね。これ一瞬かぼっちゃうんですけど、大学3年どうすればいいのかと。
僕もJURっていう会社でJJとかBBとかキャンキャンとか、東京ガラスゴレッシュって言ったのがスタートしたぐらいの時代ですよね。
はい、そうですね。
しかし、ガラ系のサイトをやってたんで、いきなりシナジーを感じてるなっていうのがある感じだったんですけれども、
そこでいきなり来てくれと大阪行ってやって、そのまま社会人はそこに行ったんですか。
そこが結論ですね、新卒でそこに入ることができなかったっていう話なんですけど、
毎月、今だと怒られるような働き方してるんですけども、
何日間か寝ずに編集部に泊まり込んで、記事書いて、街に出て、お店の取材行って、スナップやってみたいなことをずっとやってたんですけど、毎月毎月。
大学の卒業式までずっと繰り返してたんですけど、大学の卒業式はちょうど3月の1日で、
2月の21日、全然忘れもしないタイミングなんですけど、大量の洋服をリースって言って、商品を撮影するために借りて編集部に帰ってくるんですね。
アンド集合っていうことでですね、みんな会社の全員が集められまして、今月号で終了というふうに言われまして、みんなやっぱり悪気に取られてるわけですよ。
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まだ最終号の準備なんてしてるわけももちろんある。普通の特集号なんで。
理由はやっぱり判件自体を、違う会社に売却に遭うっていうことが突然起こってしまい、僕たちはそっちの会社に移るか、別で仕事を下がるかということで。
僕はそんなにまだ大学生でしたし、そっちの会社に受け入れてもらえるかもちょっと謎だったところもあり、自分で仕事を探すというところで、みんな晴れやかな顔してですね、卒業式を迎える中に、
僕はある意味すがすがしく無職という大学の卒業式を迎えておりました。
笑ってしまって申し訳ないですけど、めちゃくちゃ面白いですね、最初から。すごいですね。学生時代からいわゆるスタートアップみたいなハードシングスといける経験してるわけじゃないですか。
今ので言うと本当そうですね、ハードシングス。
今はその頃スタートアップなんてなかったじゃないですか。
なかった。
すみません、今日楽しく聞けるかなと思って聞いてしまってるんですけど、いきなりきっかけが訪れたなとは感じてるんですけども、そこで新卒になるんですかね、卒業して働くところを探したと思うんですけども、その時はどういうふうに探してどちらに向かったんですか。
はい、結論はですね、ディップ株式会社さん、バイトルとか今CMとかガンガンやってる会社さんにですね、もう本当拾ってもらったに近いんですけど、今の大阪支社にですね、当時の支社長に拾っていただいたんですけど、その入社がですね、5月の30日ということで、
大学の卒業式が3月1日で、5月までで言うと3、4、5なんで3ヶ月ぐらいあるじゃないですか。
で、僕貯金がですね、本当に洋服を買いすぎて30万なかったんですよ、25万円ぐらいしかなかったんですよ。
で、もう3ヶ月25万で暮らすって普通に考えてちょっときついじゃないですか。
はいはいはい。
家賃があるじゃないですか、そもそも。
亡滅費とか普通に。
確かに確かに確かに。
日雇いとやりながら就職活動をするわけなんですけれども、フリーライターを最初やろうとしたらですね、父親に止められまして、ちょっと本当に1回ですね、頼むから土日がお休みの、
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本当に一般的に会社員と呼ばれる職についてくれということで、本当に3年でいい、3年間やってくれたら俺はもう満足だということで、裏ではそういう取引があったんですけど、
なのでちょっと頑張って、とにかく僕を拾ってくれる会社なら本当にどんなところでも働きますという。
第二人属通枠っていうふうになるんですけど、そこの会社で、ある種採用されてた会社の中で、リップさんに巡り会ったという感じでしたね。
で、採用の決め手はお前なんかべしゃりイケスやから営業やる気あるんかって言われまして、はい、ありますって言ったら最終面接で内定をいただいたので、本当に今でも感謝してます。
いやこれ30代40代がメインターゲットなんですけど、ぜひ20代に聞いて欲しいエピソードだなと。
いや洋ちゃん面白いですね、これだって、くしくも僕ら同世代がみんなスタッフ人材のキャリアでっていうところね。
今日の3人はそうですね、もともとね。
いやすごいですね。ありがとうございます。ちょっと後半も全然。
リップでじゃあ入って、そうですね。当時のリップもでも大きい会社でしたよね、上々。その頃からやってました。
はい。3かもう極方ぐらいかな。
はい。スタートいろんなシンクス経験してるけども、本当にじゃあべしゃりいけそうだと。スタートは大きい大企業からスタートしてたと思うんですけれども、そこには大体何年ぐらいって、例えばこういうエピソードあるとか、もしあればお伺いしてもよろしいですか。
そうですね。エピソードらしいエピソードは割と前半に固まるというか、なんですけど、本当に僕の第一手は05年新卒の世代なんですけれども、やっぱり新卒は新卒として扱われるっていうのがやっぱりあって、
ロープレとかいわゆる営業ロープレとか、もっと言うと、もっと手前で言うと明治の渡し方とか。
懐かしいですね。
こういうところからスタートされてたんですよね。なんですけど、僕同い年で、つい最近まで同じような感じで大学生だったはずなのに、僕は中途入社なんで。
中途扱いなんですね。
同期のですね、おっちゃんたちと一緒、おっちゃんっていうかあれですけど、当時で言うとですね、と一緒にですね、当日はすっごい覚えてるんですけど、午前中に経費生産とか明治の渡し方とかそういうのを習った後は、歓迎ランチだけやっていただいてありがとうございますって感じなんですけど、
12:25
午後からはですね、はいじゃあテレアポを始めてみようかって。
苦戦力。
テレアポって何ですか?ぐらいの感じだったんですけど、本当に。リアルにそんな感じだったんですけど。
当時はやっぱりですね、インターネット求人広告と言ってもまだまだちょっと黎明期と言いますか、そんなに一般的ではなかったかなという。
そういうのがどさっと置かれまして、ここから誰も当たってない企業をピックアップして、そこには電話をかけていいんだよっていうですね。
あった、そういうのありました。
ここに載ってないやつ。
やっぱりそうですか。
もうね、顔よりもですね、机に座った時に顔よりも高くですね、タンワークたちが積まれまして、切り抜きながら電話をするみたいなことをですね、やった初日で。
ただですね、自分の中で割と感動的だったのが、みんなにやっぱり聞かれるんですよね、自分のトークを。
机でテレポするじゃないですか。
だから机でテレポするんですけど、断られると超恥ずかしくてドキドキしながらやってたんですけど、
一本ですね、甘ヶ崎当時の工場さんにアポイントが取れたんですよ。
そうするとですね、総出で拍手が起こって。
わー、みたいになって。
嬉しすぎて。
わかるな、この話も全部。
こういう感じなんだ、営業はみたいなのをすごく覚えてました。
いや、初アポとか、僕だって初受注とか覚えてますもん、求人の。
初アポ初受注ね、ありますね。
三井のリパイプの駐車場の、それこそあの、僕もフリーペーパーの営業だったんで、4区画の10万円とか取れたんですよ。
一番小さいのが2万8千円だったりするじゃないですか。
もう10万円取ったのか、ずっと覚えてるみたいなエピソードを思い出しました。
本当ね、僕もですね、甘ヶ崎の工場のですね、
15:00
なんかおっちゃんですかね、当時で言うと。
50代、60代ぐらいからも、若い子が電話してくるのとか、なんかいいよねみたいな感じだったんですね。
いいよ、ちょっと難しい触手かもしれへんけど、うちからちょっと出したるわって。
初アポ初受注だったんですよ。
すごいですね、それはまじで。
感動して帰ってきたのを覚える。
これだけの超いい仕事の現体験というかね。
そのときめちゃくちゃ感謝しましたね。
僕が何か優れてたわけでもなく、無我夢中で喋ってたというか、
商品説明も大してたぶんできてなかったと思うんですけど、
そういう意味で、そういう中で、思いで買ってくれたみたいな感じが結構強かったんですけど。
味方氏という感じで。
それもなんか、営業って楽しいなって思った瞬間はありました。
なるほど。
いやいや、めっちゃ面白いですね。
でもそんな楽しい営業は何年ぐらい続けてたんですか?
3年はっていうお約束があったんですか?
やっぱりそうなんですね。
ちょうどですね、3年行くか行かないかぐらいのタイミングで、
なんかどうしよっかなみたいな、本当にその約束期限がやっぱりあったんですけど、
裏側ではね。
DIPの人聞いてたらすいません。
なんですけど、面白くなっちゃってたんですよ、もう実際は。
もうやってたら。
3年とかってそういう話ではなくて、実際にもう営業面白くなっちゃってて、
いろんな役割とか、バネージメントとか任せてもらえるようになってたりとかして、
どんどんある種、自分に刺激をくれる環境をどんどん与えてくれていて、
これは別に言いように言ってるわけじゃなくて、本当に実際そうで。
ディーマーショックという、この世代の人ならみんなどんだけやばかったかわかるタイミングで、
全国から営業を集めるぞ、みたいなタイミングがあったんですよね。
そのタイミングでちょうどお声掛けいただいて、東京に出た。
大阪から東京に行ったっていうのが、ちょうど本当に26歳とか5歳とか、
そんなタイミングで東京のマーケットに行ってお仕事をさせていただくような機会をいただいたという感じですね。
18:08
それがやっぱりすごく刺激になったので、
結局最後は5年ぐらいにリープさんにお世話になったということで、
2000年から2010年までお仕事をさせていただいたという感じです。
ありがとうございます。偶然ですけど、僕も全く一緒です。
僕も2005年から2009年の12月まで石田道人材にいて、次に移ったんですけど。
石田さんも5年いて、世代でいうと2010年ぐらいに次に移ったという感じですか?
2010年の夏でしたね、本当に。
超対策になる匂いがプンプンしてるんですけど、どんどん聞きたいなと思って。
次のステージはどういうきっかけで選ばれたんですか?
当時ですね、東京でもお仕事としては、いわゆる課長職と言われるようなお仕事をさせていただいてたんですけど、
実際2つの課を兼務させていただいたりとか、
いろいろ頼っていただくような環境をすごい用意していただいていて、
個人的には本当に感謝してるんですよ。
なんですけど、漠然と東京に出ると、もっとすごい奴らがいるんじゃないかみたいなですね。
自分の可能性がどのぐらいまであるのかみたいなのを確かめたくなって、
もやもやそういうことを考えるようになったんですよね。
たまたまそのときにカンブリア宮殿をやってたときに、
グリー株式会社がそのときにカンブリア宮殿に特集されてたんですよ。
思いっきり同世代ぐらいの人たちが超巨大マーケット、
ソーシャルゲームのマーケットっていうのを作っていくみたいなことの特集をやっていて、
自家創作は何千億だみたいな感じの特集だったと思うんですけど、
それを見たときに衝撃が走るわけですよ。
こんな六本木の、当時リップも六本木だったんですけど、
こんな近所にこんな人たちがいるんだと思うと、
いてもたってもいられなくなり、受けてみたいというふうになり、
グリーの門を叩き、
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当時、自分の直接の上司になる、今も役員をやられている方とも面談させてもらって、
入らせていただいたという、そんな流れになってグリーに移るという感じでございました。
ありがとうございます。これも面白いですね。
カンブリア宮殿なんですね。もちろんいろんな背景があってね。
東京に来てとか、いろんな同世代の活躍とかっていうのはあったと思うんですけど、
カンブリア宮殿見てなかったらグリーってないってことですよね。
そうなんですよ。やっぱり。
そうですね。
カンブリア宮殿見て衝撃が走り、
それこそ今の会社の自分が胃の中の蛙なんじゃないか。
もっともっと成長を求め続ける人たちが、いろんな産業から飛び込んでたんで。
いろんな産業から、自分のある種腕ダメージじゃないですけど、
そういうことをやってやろうっていう人たちと、感覚的な話ですけど、
志が合うんじゃないかと思ったんですよ。
感性とかそういうものがあるんじゃないかなと思ってて、
このタイミングで入りたいとかって思うっていうこと自体が。
だからそういった人たちと働いてみたいなっていうのが芽生えたっていうのがあり、
移ることを決意しました。
ただ本当に、ご飯食べれないときからお世話になってるリップだったんで、
本当に感謝し尽くしていない部分もあるんですけど、
当時はやってみたいですって言って、とにかくお話をさせていただいて移ったという、
そういう流れがありました。
ありがとうございます。きっかけで伝えたいエピソードがたくさんあるんで、
話を聞いてよかったなと思ったより。
前編がかなり長くなってきてるので、
前編でグリーでどういうことをしてたかというのを簡単なお話と、
おそらく独立してその間のストーリーもあるなと思っているので、
さらにグリーからまた移ろうとしたみたいなところもお伺いできればなと思うんですけれども、
その辺をお伺いしたらよろしいですか。
グリーでは本当にいろんなことをやらせていただいて、
当時はグリープラットフォームという、
グリー自体にいろんなゲームの開発会社さんが、
24:00
ゲームアプリ、ウェブゲームが中心だったんですけど、
そういったものを置いて、そこでいわゆる商売をやって、
場所代をグリーがいただいて、
ゲーム会社さんとか開発会社さんがリーザーを取るというモデルをやってたんですけど、
そこのプロモーション支援チームを新しく作るぞというちょうどタイミングだったんですよ。
なのでそこの立ち上げメンバーとしてジョインしたというのが、
僕の入ったきっかけです。
それも求人広告をやったというので、
広告と広告で広告をやれるだろう、
そういう感じで入れていただいたという感じだったんですけど。
そこでお仕事をさせていただいて、
本当に僕ほぼ全社ぐらいのゲーム開発会社さん行ったじゃないですか。
その後は実際に、
いわゆるサードパーティーと呼ばれる外部の開発会社さんだけではなくて、
内製タイトルとかグリー自体の集客の責任なんかもやらせていただいて、
グリー自体を最適化したりとか、
グリー自体のプロモーションをやったりとか、
そういうことをやるところをやってたっていうのがグリー時代ですね。
なので本当に役割がいろんなことをやらせていただいたんですけれども、
規模感がすごかったんで、成長速度も速かったですし、
本当に成長できたっていう感覚がすごくあるかなと思います。
ありがとうございます。
洋ちゃんもその時代のお知り合いで。
そうなんです。
まさにハラン万丈のグリー時代。
それを目的に集まっている人がすごく多かったなっていうタイミングだなと私は思っていて、
まさに私はカンブリア宮殿ではないんですけど、
本当にいろんな業界からいろんな能力を持った人たちが、
この荒波を何とかしてやるぞみたいな。
そういう会社全体の気が満ちているタイミングだったなというのは思います。
ありがとうございます。
ちょっと一旦この辺で切りましょうか。
ちょっとそのグリーで、ハラン万丈で。
聞いてもらっている人たちも世代が多いので、
あの時代のグリーなっていうのが分かる人もいたんですけど、
そこからどう映ったかっていうところを、
ちょっと次お伺いできればなと思いますので、
ちょっと一旦ここまでを前提とさせていただきますので、
アンドさんありがとうございました。
27:00
ありがとうございます。
27:10

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