2023-11-05 21:08

【##55】「株式会社エスケイワード 代表取締役 沢田 圭一さん」前編

第29回目のキッカケインタビューは、1974年生まれで49歳とキッカケインタビューでも先輩の方である株式会社エスケイワード代表取締役の沢田さんにお話を聞かせて頂きました。学生時代にバルブ崩壊を経験して、就職氷河期に新卒として就職活動を経験。インターネットの黎明期からIT業界で働き始めたエピソードや取引先であったエスケイワード社に2006年に参画して、名古屋から東京組織の立ち上げを経験して2023年には創業家以外から初めての代表取締役に就任するお話はまさに偶発的なキャリアはキッカケによって誕生するお話だと思いますので、ぜひ聞いてみてください。


⦅プロフィール⦆

1974年生まれ。株式会社エスケイワード2005年に入社(転職)。

名古屋本社にてデザイン部門と情報システム部門を統合したWeb部門の立ち上げと事業責任者を担当。

2012年より東京支社の立ち上げで赴任し、自社のビジネスの中心と拡大すべき市場を東京として拡大する。2015年に取締役に昇格、2019年より取締役COO就任。

2023年1月1日より代表取締役社長就任。


■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)


■本日のインタビューゲスト

沢田 圭一さん

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株式会社エスケイワード

Wantedly

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この番組「キッカケラジオ」は、20〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人はキッカケがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた、内的キッカケや外的キッカケをご紹介していきます。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

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Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

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▼こどもの未来株式会社

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サマリー

番組では、大学生の頃にIT界に触れ、地方の情報が少ない中で悩んでいたデザイナーである沢田圭一さんのインタビューが行われています。沢田さんは、転職を考えるきっかけとして、父親の体調や自分の働き方の悩みがあり、株式会社エスケイワードに入社することになりました。そして、その後はエスケイワードでの仕事やリーマンショックの影響、関東に進出する経緯について話しています。

00:09
キッカケラジオ──ワクワクのキッカケをつくる番組です。
この番組は、20代、40代の生き方、働き方を応援する番組として、
週に1回、キッカケインタビューとして、これまでチャレンジをしてきた方のインタビューを行っております。
今日ですね、何人目かってちゃんとカウントしてないんですけれども、
大体32名ぐらいのはず、みたいなところと、あとですね、キッカケインタビューでは、
おそらく最年長のインタビューに確かなるかなと思っております。
株式会社エスケイワードの代表取締役になるまで
はい、今回ですね、現在株式会社エスケイワードの代表取締役でいらっしゃる沢田さんに来ていただいておりますので、
沢田さん、よろしくお願いいたします。
はい、沢田でございます。よろしくお願いします。
お願いいたします。ありがとうございます。お忙しい中お話を聞いてくださって。
はい、沢田さんともね、ミーティーですよね、応援にお話をさせていただいたときに、
すごく子供未来にも興味を持ってくれて嬉しいなと思いましたし、僕もすごい学びがあったので、
こちらからお願いをして、ちょっとどういう経緯で今、エスケイワードという会社の社長になっているのか、
どういう経緯なのかということを、今日ちょっと深掘っていければなと思っているので、お願いいたします。
ありがとうございます。
そしたら、最初にちょっとこの後深掘っていくんですけど、簡単に自己紹介だけお願いしてほしいですかね。
はい、ありがとうございます。沢田圭一と申します。先ほど千葉さんからご紹介ありましたが、
株式会社エスケイワードで代表取締役社長をさせていただいております。
年齢は最年長ということで今年49歳になりました。
1997年から社会人で出して、今社会人としては22年目ぐらいに入っているというような形でございます。
あとは仕事内容とかもお話したほうがいいですか。
仕事内容はここから伺ってくるので。
はい。ありがとうございます。
我々はスタンディーは22年で、さっきお伺いした年齢がちょうど49歳になられたところですからね。
そうですね。来年いよいよ50になります。
そうですよね。40代後半の方とかにインタビューしたことあるんですけど、
きっかけインタビューでは本当に最年長だなと思って。
僕今年40で今年41になる年齢なんですけど、やっぱり40代をどう過ごすかってすごい意識していたし、
逆に言うときっと50代をどう過ごすかって今考えられるぐらいの年齢かなと思うので、いろいろ聞いていければなと思っております。
ありがとうございます。
大学時代とファーストキャリア
じゃあちょっと早速ではございますが、どんなキャリアを形成したかということの前提として、
大学時代から聞くことが多かったりするんですけども、そもそも大学はどちらで、どういう大学で過ごされていましたか。
ありがとうございます。今平田区でデジタル系の仕事とかデジタル系の仕事をやってるんですが、
全く関係のない、出身が愛知県なんで、愛知県の大学の経済学部に所属してました。
専学理由も、なかなか今の立場上は社内で言いづらいんですけども、
もともと高校で給道にさまって、県大会とか出るぐらいのレベルだったので、
より強いとこ行きたいなーみたいな漫画のキャラみたいなので、給道部の一番県内で強いところに受けて入学したというのがあります。
そうなんです。給道をやってた、県大会っていうのはめちゃめちゃガチでやってた高校生だったと思うんですけども、
結構体育会系だったんですね。
そうですね。一番地味なんですけど、武道系ではあるので、先輩後輩であったりとか。
あと一応大学の部活時代も全国大会結構常連だったので、それなりの体育会っていう感じではございます。
なるほどですね。これ音声でお届けするんですけど、今僕が二回目ですけど、すごく穏やかな。
田端さんが社長で社員の方とかってきっと働きやすいんだろうなというか、話聞いてくれるんだろうなって印象すごく受けるんですけど、
やっぱりバックグラウンドで言うか背景はそういう結構。時代にもなったんですかね。
そうですね。時代的にもやっぱり土豪が標準化されてますしとか、社会人、最初の会社とかも平気で、今で言ったらどれぐらいガバナンスかかるんだろうみたいなのがあるので、
ベースの育ちはそれだったのと、それが結構嫌いだったみたいなのはあったりするので。
なるほど。この辺はちょっと興味深いですね。
僕自身が経験してきたことで、やっぱり好きなもの嫌いなもので、それじゃないものを自身の身体には取り入れてるのかなと思ってお伺いしていければなと思ってるんですね。
そしたら愛知大学ですよね。そこで、1993年から97年とかそのぐらいでしたか。
おっしゃるとおりです。
ありがとうございます。結構だから僕よりもだいぶ先輩なんでね、結構聞いてる方も、その時代ってどんな時代なんだろうってことも聞くので。
その時代はそこでファーストギャリア就職されてると思うんですけど、就職って経緯とかも含めてどんな時代だったんですか。
ありがとうございます。いわゆるよく言われるロソジェネとか氷河区の第一世代ですっていうのと、環境的にインターネットエントリーはなかったので、
ギリ手書きで歯書きを書いて、僕は字が汚いので歴史書を書いて、面接をしてという形です。
特に氷河区最初だったんで、ほとんど就職先って限られてるっていうところはあったので、入れるところにどう入るかとか。そんな感じで同期とも話しながらやっていましたね。
これはすごいですね。今こそ、特に二次大は想像つかないと思うんですけど、インターネットが普及する前の話なので、エントリーも要は陸内で見るとかそういう世界じゃ全くないってことですよね。
おっしゃる通りで、採用サイトとかも僕ら作るんですけど、まず自分の体験として採用サイトを使ってないっていうのは、今なら笑い話なんですけど、30代前半とかのバリバリなときは、ある意味その経験を持ってないと意外と痛いなと。
面白いですね。最後はSKワールドさんがこのことやってるっていうのもぜひお伺いできればと思うんですけどね。まさにネットでいろんなコンサルティングとかサービスをやってる中で、その時代はネットがない時代を今、時代を戻して聞いてるんですけども。
確かに。まあ就職も楽ではなかった時代かなと思うんですけども、ファーストキャリアってどういったとこ行かれたんですかね。
とあるメーカーの営業でした。大体そういう時代のそういう営業って、体育会系出身、体力があり、軍隊的なつもりも元気にやってるじゃないですが、結構体育会みたいな形で、入社したらすぐ飛び込みなんて。
今だと伝説的に言われるようなものが普通にあったっていう感じの中の一時代にいました。
なるほどですね。ザ体育会系の印象のね、たぶん。実際そこはどうでした?もちろん大変だったこともあるなと。
逆に振り返って、やっと良かったなみたいな手軽なことは。
まず一つは、得意不得意が結構わかったなっていうので、人と話すのは全然緊張はするけど平気なんですけど、売るが苦手。
なので、特定の商材を買ってくださいみたいな形で買ってもらうっていうのが、
いや別に相手欲しくないんじゃないかな、相手に言われても。なんでみんなそれが売れるんだろう。
ただ何か必要があって、それに対してどうやったらそれが使えてとか、
なんか仕込みみたいなものをちゃんと提案してやるっていうのは意外とハマったので、
あ、そういうことは自分の中でも嫌いじゃないんだなみたいな。
営業なんてできないと思ったんですけど、そこが大きく自分の中でできそうなものっていうのがちょっと思えてきた。
というのがあって、結構転職がきっかけになったみたいなところもあった。
ありがとうございます。確かに学生と社会人って全然違うというかね。
やりたいことだけじゃない、ない人だけじゃない人と同然付き合うっていうのね。
すごくいいエピソードだなと思って。ありがとうございます。
でも売るのが得意じゃなく、そういう大会外の環境にいると大変そうですね。
わからないですけど印象としては。
そうですね。目標に対してやっぱりすごく熱いご指導をいただいたりするんで。
だからオンラインに伝えられるギリギリのラインだと思って。
なのでちょっと2年目ぐらいでここではないだろうなっていうのを考えだしたっていうのと、
あと世の中の流れで、ちょうどこれも歴史の授業みたいなのがIT革命とかインターネットを使ったみたいなキーワードが出てきだしてた時代でありましたので、
2000年前後っていうところかな。
なので自分自身もそちらのほうに移ろうかなっていうのがあって、転職を気にしたっていうのが。
ありがとうございます。すいません。その次のきっかけに戻してもらって。
2000年か。確かに本当にそうですよね。
2000年だと、ごめんなさい、僕も知識が多いですけど、ヤンハクジャパンとかが?
そうですよね。
ですよね。本当にそういう時代かなと思って。
2社目はどういうキャリアになったんですか?
それでちょっとディバの中で、一緒に在職中にHTMLとか触ったらうまくホームページとか作れて。
えー。
多分天才じゃないかと。そこの店が俺は呼んでいると勘違いして、次決まってないのに退職して、ちょっと専門学校に行こうと思って、専門学校をそれっぽいの受けたら、
プログラマー養成みたいな学校で、プログラマーは全く自分の中に相性が合わなかったっていうので、当日で辞めて。
そこから実は半年ぐらい無職風中職活動をしながら、入ったのがシステムインテグレーターの営業っていう形でした。
ウェブがやりたくて、制作が難しかったので、営業才能でっていう形でしたので、プロデューサーみたいな枠で入ったっていうのが営業です。
ありがとうございます。いや、めちゃめちゃ行動されてますね。
1社目だから、次決まってないのに行動し始めたっていうのもすごいエピソードだと思いましたし。
あと、この時代のHTML回復って、たぶんすごくレアですよね、きっと。
HTMLの経験とウェブプロデューサーとしての仕事
そうですね。本がとにかく優しい系がなかったので、検索してもそんなに検索優秀じゃないし、
ブログみたいな頃もなかったので、個人のメディアで出されるのもやっぱりつまらなかったので、
情報は私が取るの下手だったのかもしれないですけど、少なめでしたね。
いやーでもすごいですね。面白いなと思うのが、結果的に2000年代でそういうHTMLとかに触れられてるとか、
今、菅野さんまさにそういう会社の代表をやってらっしゃるようになっていくのかなと思うのが、いろんな偶然もあったのかもしれない。
逆にこれ、なんでHTMLに書こうと思ったんですか、それは。
多分自分自身は結構オタク機質でも今もあるので、ゲームが好きだった日、それこそ高校生ぐらいのときにパソコンゲームとかもやってたし、
大学体育会活だったのでやってなくて、またWindows触りだしたら面白くなってホームページ作ってみたり、インターネットも楽しく作りたいなあみたいな。
それが仕事の中でも使えたらなっていう感じだったんですが、
全直、一番最初の会社は、とにかくパソコンを使ってるやつはサボってるやつ。
オフィスでパソコンを触ってるならお客さんのとこに行けみたいな。今まで言ったら考えられないようなところがあったけど。
これ聞いてる人の感想を教えてほしいけど、信じられません。本当に。
ありがとうございます。すごい時代だった気がしますね。
そこからいわゆる先ほどのウェブのプロデューサーみたいなお仕事っていって、そこはどのくらいの期間でどういうことをされてたんですか。
そのときは5年ぐらい働いてました。
企業とか地方自治体とかそういったところで、リニューアルっていうより新しく作りたいみたいなのがまだ結構多かった時期で、そこの相談を受けてやってましたね。
本当に時代としては早かったです。
大学生時代からのIT界での悩み
僕の記憶がうるほいかもしれないですけど、2000年とか2005年ぐらい。
あれですよね、きっとそもそも堀江門さんのライブドアの前の音材とかそういう時代ですよね。
そうですね。おそらくそれぐらいに近いですし、ライブドアが流勢を誇るみたいな流れの中でいらっしゃったかなっていうのを。
僕も当時、2001年、2005年大学生だったんですけど、僕もそのぐらいに、当然スマホない柄系の時代でした。
僕も大学の頃のインターンシップで、当時はやっぱり周りの友人から早くIT界に片足を突っ込んで、柄系のサイトとか僕も作っていたので、すごいその時代にもうバリバリやってらっしゃったんだなみたいなことを今聞いて。
バリバリというか、しかも地方、名古屋にこの頃いたので、地方側だったんで情報はすごく少なかったっていうのがありましたね。
ただ幸いだったのが、それこそSI系の会社さんだったんで、要件定義とか設計とかテストみたいな概念、ものを作る、開発する概念はあったんで、そこを先に知ってられたっていうのと、それを決めてお話ができたっていうのは柄の部分と、
最悪って言っちゃダメなんですけど、その頃のやっぱりそういう会社ってデザイナーが非常に、他のデザイナーと比べると非常にボタン感のあるボタンを作るとやったりとか、なんとかビルダーの素材感あふれるようなものになるっていうので、そういうクリエイティブのクオリティーがあんまり高くないみたいな、その両方で悩んでました。
なるほど。いいですね、今ありがとうございました。1社目でもかなり、もちろん先駆者メリットというか、早い段階で一番ネットに触れたっていうのがすごく強みになっていらっしゃると思うし、確かにSIAというかそういうところってまだまだなかったってことだと思うので、ありがとうございます。
前半にもうちょっとお伺いさせていただければなと思うんですけど、3社目のキャリアがあるんですよね、たぶん今、ちょうど結果的に今代表されている、いわゆるのが入ってると思うんですけど、ここに転職しようと思ったきっかけとかってお伺いしますか。
ありがとうございます。これは普通にお話ししてる部分なんですが、まず一つは、ちょうど5年目ぐらいのとき、4年目ぐらいのときかな、父親の体調が思わしくないところがあって、5年目のときに破壊したのがあり、そこでどうしようかなーって考える部分があったっていうのがあります。
働き方運用も含めていろいろ悩んでるところもあったので、ちょっとそれを機に人生どうしようかっていうのが、ちょうど3年ぐらいだと思うんですけど、考え出したっていうのが一個。
あと、今の会社がもともとはデザイン周りとかクリエイティブで優秀で、あとは外国語とかの対応もできてっていうので、ちょうどその頃は何言語か対応するウェブサイトであったりとか、結構クリエイティブ求められるときにご一緒したりっていうので、よく存じてたっていうところで募集があったっていうのがあって、
であるならばこれから考えていったときにちょっと変えてみるかっていうのがあったりとか。
ありがとうございます。ありがとうございます。お父様が戦いされてる。
ライフステージに大きな変化と価値観が変わることです。
特にそれが30というとまさに社会人も6、7年とかやっている。
結構今も、僕子供未来株式会社でいろんな人のこういう相談を受けたときに、やっぱり20代後半30になるぐらいで初めて転職をするとか、例えばそれが実は彼女と結婚しようと思っている子供も含めて多かったりするので、多分沢山もそういうフェーズの時だったのかなと考えていて、でもそのご縁ですね、お仕事でご一緒していたそのエスケープとかにとしては、
だから普通の転職活動というよりかは、お声掛けとかもあって入られたってことですよね。
そうですね。なので、こういって自分が働いている姿もなんとなく想像がつくしっていうところで、いって全然違う環境で失敗したっていうこともないだろうなーっていうところがあって動けたっていうのもある。
それではここからはSKワードさんの話をいろいろ見解されたように聞いていければと思うんですけども、最後そうしたら前半ちょっと、じゃあまずSKさんさんに入られて、前半後半とかでいろいろミッションが変わっていくかなと思うんで、ちょっと前半まず何をやったかとか教えてもらっていいですか。
ありがとうございます。転職当初はその当時と同じようにプロデューサーという形に入りましたので、基本的な行動としては同じでしたので、お客さんと打ち合って、その頃になるとリニューアルみたいなのも増えてきたりしておりますが、どうやってウェブサイト周りをどうするかみたいなところを一緒に話しながらやるっていうのを引き続き名古屋でやっておりました。
ダメージが大きかったのは、やっぱりリーマンショックがやはりその途中で。
2008年。
たぶん順調に、ちょっといろんな事情があったんですけど、2年目ぐらいに部長に昇格しまして、その当時でいうとまだ10人もいない部門だったんですが、そこを引き利用になってすぐリーマンが来て、
今でもトラウマ者の歴史的に残念な数字とかが見えまして、その当時はめちゃくちゃ胃が痛かったっていうのはありますが。
そういったところを、たぶん慣れないマネジメントと、ちょっとそういう世の中の流れの中で打ち込んだっていうところに巻き込まれながら、
幸いにもなんとか耐えしのぎっていうところがあったっていうのが、前の入社決め。
そこの中の選択肢の中で、地元で頑張るか、もしくはちゃんと新しい市場を開拓するかっていうところが、やっぱり自分自身の中のキーワードであって。
たぶん同じパイの中で頑張りきれなかったからその数字になったんだなっていうところがあったので、ちょっと市場を広げたいっていうところが、自分の中のキーワードであって。
東京に進出する、関東という市場に入っていくっていうのが、ちょっと考えるようになったっていうのがその後にあり、
たまたまお客様の紹介とかも含めてで、ちょっとまずは市場から関東に行くっていうのが増えていくっていうのが前段階です。
エスケイワードでの仕事と関東に進出
ありがとうございました。
いやーわかる。僕も2005年から社会人組なので、人材業界に行ってリーマンショックを経験してるんで、
あれは前回当然営業あったと思うんですけど、人材とか広告とかはもう違かったですよね。
我々も広報とか広告に関わる系だったんで、あれって気がついたらないみたいな状態で。
わかります。多分今の若いもんどのぐらい想像がつくかってことなんですけど、
やっぱりコロナじゃないんですけれども、やっぱり外部環境の変化によってすごく変わるっていうことも当然あるね。
その話を聞かせてくださってありがとうございます。
ちょっと今キーワードですよね。地元の名古屋でずっとこれまでやってきたところで、いよいよ関東に来られるみたいな。
前半ではここまでとさせていただきまして、後半はエスティバードさんのそれこそ代表取締役に至るまでの後半のエピソードを聞かせていただければと思いますので、
沢さん前半の方ありがとうございました。
ありがとうございました。
21:08

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