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みなさん、こんにちは。ダルマー競馬場です。
このポッドキャストは、競馬の文学や歴史など、文化的な視点にもスポットを当てていき、競馬ファンとしての視野を広げていこうという番組です。
あのー、この前ふと、参上開催って結構大変だよなーなんてカレンダー見たんすよ。
それはね、やっぱり見る側も馬券買う側も、結構せわしないじゃないですか、参上やってると。
競馬場とか行ってたらなおさらだと思うんですけど、最近はね、あまり競馬場に行けてないので、そこまでせわしなく動きながら現地でパドック見ながらみたいな感じではないんですよ。
カレンダー見て、映像見ながら、参上って大変だなーって思ってたら、
もうあれなんですよ、まだ脳汁出てるんで、本も読まずにボケーっとカレンダー見てたんですよね。
今週何やんだっけなーみたいな感じで。
そしたら、ふとね、あれ?九州ってJRAの競馬場って一個だよなーみたいな。
別に九州じゃなくてもないところもありますし。
あれなんで小倉なんだろうってなんかすごい思っちゃって、めちゃめちゃ気になったので、
なんで小倉に競馬場ができたのかっていうのをですね、私調べてまいりました。
ぜひ今日はそのお話をさせていただけたらなと思います。
お前の興味なんかどうでもいいわって話なんですけどね。
そう言わずにお付き合いいただければと思います。
小倉競馬場のイメージってあれっすよね。
九州サンバ限定の競走があるとか、
あとあれっすよ、北九州短距離ステイクスのレコードがずっとアグレッザワールドだったとか、
あとはね、福島とほとんど一緒なんですよね、確かね。
一周の距離が。っていうぐらいしか知識ないんですけどね。
ちょっとどういった成り立ちだったのかっていうのを調べてみました。
小倉の地では明治時代の中期からですね、陸軍の軍用地を借りてですね、草競馬が行われていたそうなんですね。
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なんですけど、詳しくは不明っていうふうに出てきましたね、最初。
いきなり?いきなり不明?
ちょっと小倉の歴史調べまーすって言って、いきなり不明って出てくるみたいな。
おーい企画だ俺もいいところ。いやいやいや、そんなわけではございませんよ、もちろんですね。
ここでもう、終わらないでくださいね。終わらないでくださいよ。まだありますから、ちゃんと調べてまいりましたから。
小倉競馬場ができた経緯、調べてまいりましたからね。
成り立ちとしては1907年、明治40年に福岡県の恩賀郡戸端町名古屋先っていうんですかね、
現在の福岡県北九州市戸端区中原の地に競馬場ができたそうなんですね。そこを戸端競馬場っていうらしいんですけど、
この戸端競馬場ができた翌年の1908年ですね、10月に法律が改正されちゃって、刑法で馬券を売ることが禁止されてしまうんですよね。
それからですね、なんとこの戸端の方々ですね、競馬への関心が薄れていってしまったみたいで、すごい戸端競馬場が閑散としてしまっていったそうなんですね。
なんという馬券の魔力。
みなさんはね、たぶんあれなんでしょうね、「よっしゃ競馬場できた!ようやく俺たちも馬券買って楽しめるぞ!」みたいな感じだったでしょうね。
そしてですね、なんと閑散としていたのもつかの、翌年の1910年、明治43年にですね、政府の方針でこの戸端競馬場を運営していた東洋競馬会が解散させられてしまう。
ひどい話ですけどね。いろいろあるんでしょうけど。
この戸端競馬場はですね、新たに設立された社団法人、小倉競馬クラブが引き継いで競馬を開催していくんですよ。
この小倉競馬クラブがめっちゃ頑張るんですよ。
なんですけど、なんとこの小倉競馬クラブですね、引き継いでからわずか8年後、1918年に東洋製鉄、現在の日本製鉄にですね、この戸端競馬場の土地買わせてくれない?って言われたんで、
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ああいいっすよ売ります売りますみたいな感じで売っちゃうんですよね。売っちゃうんだみたいな。競馬できなくない?みたいな感じなんですけど。
売っちゃうんですけど、この小倉競馬クラブはですね、小倉で競馬をやることを諦めてないんですよ。
売っちゃった翌年、1919年には、今度、北九州市小倉北区の三萩野っていうところに、現在の北九州市民球場っていうのがあるらしいんですけど、
ここの一帯をですね、3万5千坪の土地をですね、購入して、この土地代と設備代合わせて、前年に売った70万円の半分、約半分ですね、36万円かけて、この三萩野の土地に競馬場を移転させるんですよ。
この三萩野競馬場っていうのが、すぐにできるわけではないので、建設中の間もですね、この小倉競馬クラブは競馬をやりたいんですよ。
なんと、代替開催をします。この代替先がですね、なんと、宮崎競馬場。
うわぁ、宮崎?遠くね?みたいな。
現在の宮崎育成牧場なんですけど、この宮崎競馬場ってね、ちょっと面白くて。
今競馬法第2条で、中央競馬の競馬場は12カ所以内っていうふうに定められているんですけど、今競馬場ってJRAって10カ所なんですよね。
今話してる小倉も合わせて10カ所で、そのうち、なんであれ12カ所じゃん?みたいな感じなんですけど、
この宮崎と横浜、新岸ですね、の競馬場がですね、戦後1948年に開催中止をしているだけですよっていう競馬場として、
今ある競馬場にプラスしているこの2つの競馬場があったんですよ。
なんで、今開催している10カ所に加えて、この宮崎と横浜が含まれていたから、中央競馬場の競馬場は12カ所いないっていうふうな法律がそのまんまの名残であるんですよね。
これね、面白いっすよね、みたいな。育成牧場になっちゃいましたし、宮崎は。
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ねぎし、横浜はね、馬の博物館とかであってね、馬事の発展にね、勤めている。
勤めているって、語彙力。
馬事の発展をしていく場所としてね、現在もありますけど、そういった名残だったんですよね。
話を戻しますと、宮崎の競馬場はですね、その後、旧競馬法が改正されたりだ、
いきなり福岡県がですね、この宮崎の競馬場めっちゃ人気だから独自の税金をかけようとしてくるわ。
九州って台風がよくするじゃないですか。その影響で暴風がすごいんですよね。
その影響で、めちゃくちゃこの宮崎の競馬場にも被害が出てしまうだ、みたいな。
結構そんなすったもんだがありながらやっていくんですけど、
1923年に競馬法が施行されたことにより、馬券の発売が正式にOKですってなるんですよ。
それまでは、この宮崎の競馬場ができてから競馬法が施行されるまでは、
一応政府黙認みたいな感じで馬券を売ってたりしたこともあったりしたそうなんですけど、
その辺はちょっとわかんないですけど、正式にOKですってなってから、
よーし、じゃあ宮崎のに行くぜー!って言って、みんな馬券を買いに行ったそうなんですよ。
で、この宮崎の競馬場がすごい人気になっちゃって、
今の競馬場ではちょっと手狭だよね、みたいな感じになって、
23年に競馬法が施行されてからわずか2年後、新たな土地を探し始めるんですよ。
どっかねーかなーって言って、あったーって言って、
陸軍第十二師団っていうところがちょうど小倉の地から、
久留米に移転したタイミングだったみたいで、
陸軍第十二師団の跡地である北潟っていう土地を購入して、
この宮崎の競馬場はですね、移転するわけなんですよね。
この移転をした1931年から、今の小倉競馬場の場所で競馬が開催されるようになりました。
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1936年に、今までこの小倉に競馬という文化を根付かせ、競馬の運営に携わってきた小倉競馬クラブが、
旧競馬法の改正によって解散させられてしまうっていう。
言えた?今大丈夫だった?解散させられてしまったんですよね。
法律とはいえ、俺らここまでめっちゃ頑張ってきたんですよ、そんなこと言わないでくださいよってもちろん言ったと思うんですよね。
いやそりゃそうですけど、いやいやいやいや、違うんだよと。
小倉競馬クラブというものは解散してもらうんだけども、
来年全国の競馬クラブを統合して、日本競馬会っていうのを作るから、
それでみんなでやっていこうよっていう風になるから、
じゃあそれだったらやりましょうって言って、
日本競馬会がこの小倉競馬場を管理するようになりました。
めでたしめでたし。
ではないんですよ。ではないんですよ。まさかのね、まだまだあるんですよ。
今の話は戦前の話ですよね。
第2次世界大戦中、1944年に戦局が悪化して、小倉競馬場はまさかの閉鎖に追い込まれてしまう。
まあしょうがないですよね。戦争してるわけですから。
1944年に閉鎖したんで、その翌年、1945年が終戦の年ですよね。
なんですけど、その終戦してから2年後、1947年に日本競馬会が、
じゃあ小倉で競馬やりましょうって言ってやり始めるんですけど、
まさかのGHQが、日本競馬会って何?みたいな感じで、
ダメダメ、そういうことしたらギャンブルとかさせない、賭博とかさせないで、みたいな感じで指摘されちゃって、まさかの日本競馬会解散させられるっていう。
おほほーい!みたいな。これどうする?ってなって。
GHQもそこまで鬼ではなかったかどうかわかんないですけど。
まあね、地獄でももちろん競馬はあるでしょうし。
日本競馬会っていう団体がちょっとわかんなかったから、解散してもらったんだけど、
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ジャパンの皆さん、国でやっちゃってくださいよって言って、国営競馬っていうのができるんですよ。
この国営競馬時代を経て、1954年に日本中央競馬会が晴れて設立させられる?
ん?違う。なんで?なんでそんなやらされたかん?違うのよ。
1954年に日本中央競馬会ができるんですよ。
ようやくここで日本中央競馬会小倉競馬場として運営が始まって、現在に至るというわけでございます。
めっちゃある。これ結構でもあれなんですよ。僕はしょったんですけど。
めっちゃあったね。
今と違って競馬法とか結構曖昧だったりとか、独自のクラブが運営してたりとかで、
気軽に土地の売買とか運営団体が変わったりとか、結構してたんですね。
すごい移転に次ぐ移転に次ぐ移転みたいな感じでしたね。結構びっくりでしたね。
あれなんですよね。確か目黒競馬場が府中に移転するときは、府中市があれなんですよ。
ここに競馬場作ってくれって言って競馬場を誘致したんですよね。確か。確かそうだったと思います。
福岡県でやってる競馬の代替えを宮崎で開催するって結構衝撃でしたけどね。遠くない?みたいな。
車でも3、4時間かかるけどみたいな。どうやって行く?どうやって行く?みたいな。
なんか宮崎でやってるらしいけど、でもこっからじゃ遠いだろう。でも我県海大ちゃん、じゃあみんなで行くべ!って言ったのかもしれないですね。
でもそれも楽しかったりするんでしょうね。きっとね。
結構こうやって調べてみると競馬だけじゃなくて、競馬場にもいろいろな歴史的背景があったりとかして結構面白かったですね。
このシリーズ定期的にやろうかな。競馬場の歴史シリーズ。なんか調べてても面白かったですね。
毎週定期的にやってるのが競馬でございますからね。今週もありますよ。
土曜日にはですね、東京競馬場で伝統の長距離範囲戦G3ダイヤモンドステイクスが行われて、京都競馬場ではヒンバ限定戦のG3京都ヒンバステイクスが行われます。
そして、日曜日にはですね、なんとこの今お話しした小倉競馬場で荒れることで有名なハンデ戦G3小倉大昇天が行われて、東京競馬場では2024年のG1開幕戦フレブラリーステイクスが行われます。
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いやー来たー!ついにー!開幕しちゃうよー!G1!うわー!年明けてから早かったー!すげー早かったー!ここの何回か早いしか言ってないー!時間が経つのが早いとかしか言ってないー!
このフェブラリーステイクスはですね、2016年からブリーダーズカップチャレンジの対象競争として指定されていて、優勝場にはですね、その年のブリーダーズカップクラシックへの優先出走券と、あと出走登録料のつい…えー…出走登録…言えないなぁ。
出走登録料と、あと輸送機の費用をですね、一部負担してくれるっていう特権が与えられそうなんですね。あ、そっちなんすね。ドバイじゃないんだ。
フェブラリーステイクスからドバイワールドカップ行きますみたいな。ワールドカップじゃなくてもドバイ遠征行きますみたいな流れが結構あったんで、もうてっきりそっちに優勝出走券なの。そういう特典があったのかなと思ってたんですけどね。ブリーダーズカップだったんですねーっていうね。
で、今年はですね、地方からの参戦もね、ありますし、残念ながら海外からの参戦はないんですけど、去年はね、カナダからね、シャールズスパイとか参戦してましたけども、地方はですね、あるんじゃないんですかっていうところがにわかにありますけどもね。
何があるあるしか言ってないね今ね。1999年の明星オペラ以来25年ぶりの地方場の優勝があるんじゃないかって。あーまたあるって言ったー。かなり注目が集まっております。
ちなみにこのフェブラリーステイクス。フェブラリーって2月ってことじゃないですか。ステイクスって何?っていう方。結構いらっしゃるんじゃないですかっていうところでね、お話しさせていただこうかなと思うんですけども。
急に。急に上から。すいません、そういうつもりじゃないんです。ステイクスっていう意味はですね、出走する馬の馬主たちが賞金を出し合って、その賞金を取り合うレースのことをステイクスって言うんですよ。
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現在日本ではJRAが主催していて、その本賞金、賞金の全額をJRAが出しているんですけども、このレースに登録するためには登録料っていうのが必要になってくるんですね。
この登録料をですね、過負傷として1着から3着までの馬に7対2対1の割合で配分する形で、このステイクスっていう制度がですね、残ってるんですよね。
これはですね、ステイクスって何だか知ってる?ってね、たぶんドヤれる感じの知識ですね。
ドヤることなんかないけども、ちょっと言ってたら気持ちよくなっちゃって、そういうことが言いたくなってしまったんです、すみません。
というところでね、今年はダート改革元年ですから、海外のレースを目標にしている馬たちの参戦はないんですけど、勝ったら間違いなくダート界を賑わす一頭になりますからね、このフェブラリーステイクス。
結構楽しみっすね。結構ってかなり楽しみっすね。
そして最後になりますけども、このポッドキャストへの感想や質問などありましたら、メールフォームからご連絡いただくか、アップルポッドキャストやスポティファイのレビューもお待ちしております。
今後ね、番組を良いものにするために皆様の感想をね、だしだしお待ちしております。
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ということで、また次回の競馬見聞録でお会いしましょう。
さようなら。