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2024-12-06 30:49

イエというシステム#5

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科学系ポッドキャストの日:「システム」

伝統的なイエってなんだろう? 家族の幸せとは…? 農村社会学や家族社会学の知見を借りて考えてみました。

ホストの工業高校農業部のみなさま、素敵なテーマありがとうございます! ーーーーーーーーーー 考える農みそは、月2回金曜日に、17時からPodcastにて配信しております。 【お便りはこちらから】 メール parpos@abashiriradio.com GoogleForm https://forms.gle/pwcT9z6Zu1Us1VUu9 SNS https://lit.link/parposradio 番組への感想は「#考える農みそ」を付けて、投稿してください!


[参考文献]

鳥越皓之『家と村の社会学』世界思想社,1993年増版(1985年初版).

柳田國男「家の話」『柳田國男全集20』ちくま文庫.

前田卓・奥村芳和「明治初期の姉家督慣行の諸形態」『関西大学社会学部紀要』6巻2号.

柄谷行人『世界史の実験』岩波新書.

川島武宜『日本社会の家族的構成』岩波現代文庫,2000年.

落合恵美子『21世紀家族へ:家族の戦後体制の見かた・超えかた(第4版)』有斐閣選書,2019年.

サマリー

このエピソードでは、「イエ」というシステムについて話し合い、男の子が後を継ぐという暗黙の了解と、それが農村社会における家族や相続に与える影響を探ります。CHIEさんとTOMOMIさんは、伝統的な日本の家族形態や相続の方法について過去の事例を考察し、家族の多様性を再認識しています。江戸時代における農家の女性の権力と近代化以降の家のシステムの変化についても考察しています。特に、武士の家系と一般の家族における権力の位置付けや、家という制度がどのように人工的に形成されたのかを探っています。現代の家族の在り方やコミュニティの変容についても深く考察しており、特に幸福感が他者との比較から感じにくいことや、知識の重要性について語られています。

家というシステムの導入
CHIEちゃん、男の子生まれてよかったね。
これ、よく言われます。
なんで?
農家の嫁で博士号持ちのCHIEです。
あばトークのTOMOMIです。
このポッドキャストは、何でも農学の農みそで考えてしまう農学系研究者くずれのCHIEが、
時事問題やサブカルなど、様々な話題について楽しくおしゃべりする番組です。
北海道網走から気まぐれに配信いたします。
今日は?
ポッドキャストのCHIE共通テーマ、システムについて話します。
私が選んだテーマは、
\イエというシステム/
先ほども言いましたね、導入のとこでね。
男の子が生まれてよかったねって言われます。
なんで言われるんだろう?
確かに。
おそらくだけど、うちは農家だからかな。
でも、我が家も言われたよ。
我が家、ほら、娘、息子じゃん。
だから、うまいことやったねとか、よかったねって言われた。
うちも息子のとき。
なんでだろう?
それは、後を継ぐのが関係してるんでしょうかね。
後継ぎは、男の子と女の子、どっちが継ぐんでしょうか。
男の子じゃないの?
おー、なるほど。
面白いですね。
仏壇とか、お墓とかさ。
そうなんですね。
え、違うんですか?CHIE先生、その言い方。
次、結婚したら苗字はどちらになりますか。
男性の苗字と女性の苗字。
えー、私は男性だと思いますが、
最近そうじゃないパターンも、夫婦別姓だったりとかいるから、
「男性です」ってはっきり言い切れないなって思いました。
でも、どっちが多いですか?
男性でしょ、それは。
あー、そうなんですね。
それってなんでだろう。
女は結婚したら、男の人の家に入って。
あー、なるほど。家。
はい。
家族と相続の歴史
と思っております。
はい。これね、別にそう決まってるわけじゃないじゃないですか。
必ず男の子が継がなきゃいけないとか、
男性の苗字を名乗らないといけないって決まってるわけじゃないけど、
なんとなく暗黙の了解があるってことですよね。
決まってるってあれか、
法律で決まってるとかってことじゃないってことか。
なんとなくみんなそうしてるよねって。
そうだね。罰金があるわけでもないしね。
うん。それにさ、確実な論理を展開する人ってあんまりいなくない?
いるはいるだろうけど、自分なりの正義みたいな。
だけど、みんななんとなくで、そうしてるでしょ。
ある意味それが、社会的規範って言われるものですけど、
それを形作ってる家というシステムについて今日は考えていきます。
最初言いましたね。男の子が継ぎますよとか、
結婚したら苗字は男性の苗字が多いですよ。
それについてよく聞きそうな言い分っていうのを考えてみると、
例えば、伝統的な日本の家族の形だからとか。
聞きそうというか、考えられそうじゃないですか。
今までそうしてきたからね。
そうそう。あとは、家っていうのは、
代々男の子が継いできたものだから。そもそもそういうものだから。
だから、それに従って代々長男が引き継ぐべきだとか。
あとは、動物的な性差は決まっているんだと。
男性が家を継ぐっていう権威を持った方が都合が良かったんだ。
優秀な人を取り入れたから、男性が多くなったという結果論に過ぎないと。
それも何か分かりそうな言い分なんですけど。
今日はこの家という幻想をぶっ壊します。
イエーイ!という回ですね。
イエーイ!イエイ!イエイ!イエイ!
イエイ!イエイ!イエイ!
はい、どうぞ。
これ分かる人いんの?分かる人?分かる人いんの?
いいよ。触れなくて。
分かった。
イエイ!イエイ!イエイ!イエイ!って言うくせにもう一回言う。
盛り上がってますね。
じゃあね、私は今回、主に農村社会学の視点からおしゃべりしますね。
そして、家って言ってるけど、これ建物としての家じゃなくて、
共同体とかね、コミュニティとしての家。
それを考えますね。
家というシステムを考えるときにね。
建築物じゃなくて。
壁があって、柱があって、屋根があって、とか、そういうシステムじゃなくてよ。
2階建てとか平屋とか、そういうことは関係なく。
そうそう。
先生のご専門は社会科学?
そうですね。
社会科学から言うから、人と人なんですね。
そういうことですね。
人が集まったところの家ですね。
コミュニティの最小単位ですよ。
家族とか家っていうのは。
そこについて過去からいっぱい研究が積み重ねられているので、
今日は頑張って調べましたよ。
まずですね、農村社会学からの視点を取り入れて、
家の特徴を軽くまとめてみました。
はい。
家は人々の基本的な単位の一つですよ、と。
さっき言いましたね。
最小単位だと、コミュニティの。
そして、家は財産としての家産を持っている。
家産。家、家産、家産。
「家」に産業の「産」で、「かさん」って読むんだ。
そうだよね。家って漢字って「か」って読むもんね。
へー、家産。
これは家の持っている土地だったりとか、人によっては工場だったりとか、
農地だったりとか、
それはお金を産むじゃないですか。
そういったものを代々受け継いでいくでしょ。
これ農家とか漁師とか、そういうのは想像しやすいかもしれないですね。
普通の家庭だと、家財の方が思い浮かぶな、私。
家財ね。
でも、家財って要は買ったもんなんだな。
お金を出して買ってるもので、家財じゃん。
だけど、家産ってのは産むがついてるから、
土地だったりとか、工場だったりとか、財を生み出すものなんだ、家産。
っていう納得で合ってるかな。
あ、そうなのかもね。
なんか、相続するものみたいな。
生み出すもの。
資産として。
家として持ってるもの。
その理解でいいかも。
先生、裏付けを後ほどよろしくお願いいたします。
すいません。
で、次ね。
この家産ですよ。
家産とか家督とかって言いますけどね。
家督はわかる。家督を継ぐ。
家督とも言ったりするけど、
この家は、まず先人である先祖がいると。
そして、その家は相続して、後々に繁栄することを重視する共同体ですよと。
これが家の特徴です。
はい。
ちょっと今、軽く言いましたけど、
時代を超えた家の形
この家の特徴に、男女って出てこないことをお気づきになったでしょうか。
うん、そうだね。
男だとか、長男だとか、そういった話は出てこないんですね。
はい。ということで、
実は、昔ながらの家と、今考えられている家の規範、
ちょっとね、違う点があるんですよ。
うん。
だから、今日は、農村社会学から家について、
ちょっと違った見方をみんなに提供しようかなと思います。
うん。
実は、明治以前ですね。
時代的には、近世って言ったりしますけど、江戸時代とかね。
その頃には、いろんな家族の形があって、いろんな相続の方法があったんですよ。
これはね、柳田邦夫家の話に書かれてますけど、
そこで語られてるのは、
日本の先祖信仰の特徴というのは、
死者が母系、父系のような血のつながりがなくても、
養子や結婚、その他の縁故があれば、
祖霊の中に入れられるって書かれてますね。
うん。
だから、血のつながりなくても相続できる、みたいなこと書いてあるわけですね。
なんか、あれだね、文系系の、なんていうの?
難しい言葉をいっぱい使うね。
さっくり言うと、母系、父系って言ってるから、
女でも、男でも、
そして、血のつながりがない養子だったとしても、
ご縁があれば、相続できますよ、ってことですね。
おー、ありがとう。
なんかもう、明治時代のさ、なんかさ、こうあるじゃん、すっげー漢字ばっかり並んでさ、
ちっちゃい脳があって、
あれ、聞かされてる気分。
ちょっと、わかりやすく言ったから。
ありがとう。
基本的に、でもそうだよね。
社会科学とか、そういう文字ってさ、そういう感じだよね。
見るのがね、あの、戦前とかを見ると、
はー、そうなんだ。
ダメね。
難しい。
ちえ先生がわかりやすく解説してくれるということで、
ハードルを上げてみる。
やめてくれ。
やめてくれ。
ドキドキしてるんだから、このテーマ重すぎて。
例えば、いろんな相続って言ったけど、
例えば、女性が家産・家督を相続するっていうのが、
実は明治期まであったんですね。
明治、はいはい。
あとは、末っ子が相続するっていう例もありました。
ほうほうほう。一番下の子が?
男女関係なく?
そうそう。男女関係なく。
で、なんで末っ子が相続する事例がよく見られたかというと、
家として繁栄するためには、いろんな土地を開墾してね、
農地を広げていくってことが繁栄することじゃないですか。
農民はね。
長男とか次男に開墾地を与える。
そして、末っ子は余ったものというか、元の屋敷に戻るわけですね。
そうすると、自分家を末っ子が継ぐっていう事象が発生するわけですよ。
これが、末っ子相続の起源ですね。
先生、すいません。今ナチュラルに子供は3人でした。
あ、そうですね。
長男、次男、末っ子とでしたよね。
そうですね。
ですが、昔は7人とかいたんじゃなかろうかという私のちょっとした疑問が出てきてしまいました。
その場合でもやっぱり末っ子なんでしょうか?
実はですね。
すごい面白い質問なんですけど。
皆さん、江戸時代7人8人兄弟だと思ってますか?
え?
違いますよ。
そうなの?
はい。それは、ドラマの中の話ですよ。
え、嘘。じゃあ、基本的に3人なわけ?
2人とか3人とか。
なぜなら、大量に産んで大量に死ぬんですね。
あ、なるほどね。
医療が発展してないから。
江戸時代の家族の在り方
人間っていうのは基本的には多産多死で、できてるんですよ。
そっか、昔はね。今だったらね。みんな、じゃあ子供大事にしよう。今の時代でよかった。
100日でお祝いするっていうのは、100日未満で死ぬ子がいっぱいいるからお祝いするわけ。
それが、多産多死が多産少死。いっぱい生まれて死ぬ子が少なくなったのが大正期ぐらい。
西洋の医療が入ってきて、それで子供が死ななくなったっていう転換が生まれたのが明治期以降ですね。
だから、昔の人は子たくさんだったっていうのは、実はその昔っていうのは近代化以降です。
意外とみんなの思っている昔ながらの家の形っていうのは、そんなに昔じゃないんだよねっていう。
なるほど。
なんなら明治で明確に区切られてる。
そうなんですよ。
次に、近世の農家の人たちの男女について話したいんですけど、権力とか権威とかの問題ね。
近世ってのは江戸時代だと思ってもらっていいですよ。
女性は「ヌシ」、「オカミ」などと呼ばれて、権威を持っていた
江戸時代、はいはい。
主婦が一家を仕切っていたのは、家が労働組織だったから、これが成り立ったと。
だから、農村における伝統的な家っていうのは、女性にも権力があったんですよ。
これを聞いて実感ありますか?
なかなかないでしょ。
うん。
女性にも権力があった江戸時代。
だから、みんなで一緒に働いてるから、女性は女性で、管轄する部門みたいなのがある。
そう言われると、好きな漫画だったりとか、ドラマだったりとかで、バリバリ働いてる女の人みたいな、江戸時代で、ちょんまげで、
そういう描写を見たことがある気がする。
女の人とか。
それは農家にもあったわけですね。
我々が考える伝統的な家っていう規範と、その近世の農家たちの家っていうの、なんか一致してない気がするじゃないですか。
今の話聞くと。
では、今我々が考えている家の規範、農家っていうのは、後継ぎは長男がするものだとか、苗字っていうのは男が継ぐものだとか、
それはどこから来ているのかっていうことについて、次考えていきますね。
実は、近世において、権力を持っていなかった女性たちもいるわけですね。
どういった女性かというと、武士の家系です。
武士というのは、女性が権力を持つことはありませんでした。
なぜなら、労働組織ではないから。武士の家というのは。
そして、この少数派の武家の在り方というのが、標準化されていったのが近代化です。
では、なぜこの武士の家の規範が大衆化していったのかについて迫りたいと思いますね。
まず一つとして、賃労働者が増えて、家という組織が労働組織ではなくなったからっていうのもありますね。
まずお金を稼いでくる男の人がいて、家の形が仕事をするための共同体ではなくなった。
昔はね、家で畑をやったりとかって人が多かったけど、今の時代みたいにね、会社勤めしてね、お給料をいただくっていう形。
それに変わっていったのが、明治以降大正期ですね。
それも影響してますね。
次に、明治期以降ダイナミックに転換したのが、天皇が出てきます。
今までは江戸幕府が治めていたものが、次天皇がトップですよとなるわけですよ。
この天皇崇拝っていうのを進めるために、長男が家産を相続させるっていう大日本帝国が作られたんですね。
なぜなら天皇っていうのは、長男が代々継いでいく武家のシステムを取る家のシステムだからなんですよ。
それに基づいて、日本国民の家というのも天皇の家族、天皇をトップとした大きな共同体というものを描こうとしたんですね。宗教みたいな感じ。
それに、家のシステムっていうのが大衆化させて使われた。
天皇崇拝を進めるために、家規範っていうのが反映された。反映することを使われた。利用されたってことですかね。
みおじの文化っていうのも武士のものだったんですよ。これが大衆に普及したのが明治維新以降です。
みんなこぞってみおじをつけたというやつだね。
というか、みおじをつけることを義務化された。だからね、言ってしまえば、みんなの考えている伝統的な家っていうのは明治政府によって作られた規範なの。人工的な規範。
近代化による家の変化
習ったね。大政奉還、廃藩置県とかってやつでしょ。
その時代に、家っていうあり方、それも、がらっと変わったんですね。だから、当たり前だと思っている家の形っていうのは、実は人為的に作られた共同幻想なんですよ。
以上をまとめますと、今みんなが幸せだと考えている家のあり方、当たり前だと考えている家のシステムっていうのは、実は明治から作り上げられた人工的なものですよ。
そして、伝統的な家のあり方というのは、幻想に過ぎません。ということが言いたいと。
これは自分に言いたい。自分に一番言いたい。
この幻想の家族の幸せのあり方っていうのを、追うのをもうやめようっていうことですね。
家としては。結局、長男がついで、それで母さんを守っていくっていう、これはもうね、幻想なわけ。この幸せのあり方は。
そして、理想であれば、生涯添い遂げるという、これは幻想です。結婚式とかそういうのも、ある意味、家というシステムを強調する儀式に過ぎないわけですよ。
まあ、そうだね。結婚式って、そうだったな。
後継ぎのお披露目会みたいなね。古い結婚式はね。今、カジュアルなのも増えてるけど、結婚式あげないっていう家も増えてるしね。
だからさ、この家族っていうものをめちゃくちゃ調べたのは、やっぱり自分の悩みにもあって。普通じゃないと、自分が。結婚式もあげられなかったですよ。
学生結婚をして、批判殺到な時期もあったし。
実は、私の家族の在り方っていうのはね、普通ではないわけです。年は結構離れてますし、父と娘ぐらい離れてるんですけど、旦那とは。
で、6歳下の息子がいるんですね、私には。仲良しですよ、もちろん。
仲いいよね。本当に思う。仲いいよね。
私は子供は1人しか産んでないんですけどね。でも、子供がいっぱいいるわけですよ、ある意味。大きい子供たちも含めて。
ちえちゃんが今いる家には、長男が2人いるのか。
そうね、そういうことね。いぼ兄弟って言えばいいかな。
だからさ、そうなるとさ、変な家ですよ。噂がさ、地域の中でさ、周りにもあってさ、自分のとこにまで伝わったこともありますよ。
なんかね、網走ではね、こういう人がいるらしいよって、私(本人)のとこに伝わるっていう。
それ私だよって。
相手は知らないからさ。
誰のことか分からないから、私に教えてくれたんだけど。
それ私だよと。
最初は、「あ、似たような人もいるんだな」って思って聞いてたけど、よくよく聞いてたら、「あ、それ私だ」って。
いや、今はね、笑い話だけどさ、怖いよ。
当時ね。
当時は怖いよ。だって、まだ結婚の手続きまでしてないんだから。
その話し合いをしてたタイミングだよ。
その時点で、こんなん言われるわけですよ。
「知ってた?」って、「そういう人いるんだって」「えー気持ち悪いね」とかって言って。
あらあらあらあら。
なぜか「気持ち悪い」って知らんおばさんから言われたからな、私。
みんなね、自分のことを話されるのは嫌なくせに他人の話をするのは好きなんですよ。
そう、盛り上がってね。盛り上がるに盛り上がってさ。
他人の話かと思いきやね、目の前にいる人の話だったんですね。
直で言われたから気持ち悪いって。
悲しいよ。いや、当時はね、本当に辛かったですよ。
だからね、もう外にも出らんなかったわけですよ。
でもね、こういった家族社会学を、勉強して、皆さんもお分かりかと思うんですけど、
他人の人だってね、簡単に家族に入れるんですよ、日本っていうのは。
そういった土壌(文化)があるんですね。
同族団研究みたいなこともありますけど、
血筋が違くても家族として迎え入れるっていう文化があるわけですよ。
そういった中で、今考えられている直系、血がつながっている人にしか継がせない。
そういったものは幻想です。伝統ではありません。
で、私はこういった家族社会学っていう知識という武器を身につけ、
この馬鹿げた家の幻想に振り回されなくなったなって思ってます。
現代の家族観
それで、今どういった方が聞いていただけているか、分からないですけれども、
ありますね。理想の家族像。
それは幻想です。
私は今の家族の在り方が一番幸せだと思っている。
だからそれが正解なの。
時代の変化とともにね、「結婚・子供=普通の幸せ」っていうのが、
今はね、それを得られる人っていうのが、
なくなってきたと。
もうさ、こんな家のシステム、幻想なんだから、
辛くなったら追いかけるのやめよ。
って、過去の私に言いたい。
過去の苦しかった自分に言いたいですね。
結婚式をあげ、旦那さん、奥さん、
ちゃんといて、子供が、2人か3人かいて、
旦那とはね、せめて5歳差程度。
歳の差と言ってもね。
そんなんでね。
時々ね、ジジとババと遊んでねっていう、
ある意味幸せそうな家族の在り方ですよ。
そんなんじゃなくなっちゃったけど、私の今の家族は。
でも、幸せですよ。
そうだね。
そうそう。だから、
家族の在り方に困っている人に届けばいいなと。
ちなみになんですが、
ちえちゃんは家にいて、どの瞬間が幸せだなと思うんですか?
どうだろうね。
例えばほら、農作業終えて帰ってきて、
ご飯食べてくれてるところとかさ、あるじゃん。
ご飯作るの嫌いだからなぁー。
私はいろんな人の人生とか、
苦節とか幸せの話とか聞くの好きですから。
家族の中で、
例えば、6歳年下の息子がね、
愚痴をこぼしたりとか、
時にはね、面白かった話とかするわけで、
それ見てるの。
普通に面白い
家族の中で、
6歳年下の息子がね、
愚痴をこぼしたりとか、
時にはね、
面白かった話とかするわけで、
それ見てるのは普通に面白いですね。
で、歳の離れた旦那さん、
家族とコミュニティの変化
考え方全く違いますから、
それもまた幸せではありますね。
ある意味ね。
会話してる時にね、
自分と違う考えが聞けるとか。
そうだね。
面白いね、それは。
一緒に生活してて飽きない。
飽きないよ。
違いすぎて。
毎年ね、
なんか、ジェネレーションギャップを感じて、
面白いわけですけど。
なるほどね。
そんなところが、
幸せですよ。
仲いいね。
そうですか。
これからの社会ね、
どんなコミュニティの在り方になっていくのか、
どんな家の在り方になっていくのか、
わかんないんですけど、
幸せを追い求めるために、
これからのコミュニティ、
在り方っていうのは、
変容していくべきだと思うし、
その在り方っていうのも、
考えていきたいなって思うわけですね。
そうだね、あとあれだよね、
結婚したからって一緒に住まない夫婦も、
いるじゃない?
お互いにさ、仕事があるからさ、
一緒に住めないとかさ、
単身不妊なのかとかさ、
なんかやっぱ、
考えるよね、そこがね。
そうだね。
だから結局じゃあ、
一緒に生計を共にして、
その一緒の建物に住むっていう、
家の在り方っていうのがありましたけど、
それも変わってくるかもしれませんし、
多分そこにとらわれて、
結構苦しい人もいるんじゃないかな、
と思ったりしたな。
結構私もそこにとらわれてるから。
自分が一緒にいる方が幸せだというなら、
それはそれでいいと思うんですけど、
あとは今までの、
幻想と私は言いましたけど、
その、
社会で、
明示されている、
規範的な幻想的な家の形を、
幸せだと思うのであれば、
それはそれでいいと思うんですけどね。
でも、
それが手に入れられなくて、
悩む時間はバカバカしいよ、
っていうことですね。
過去の自分に言うなら。
そうだね。
それを手に入れて幸せなら、
それはそれでいいけど、
それを手に入れられなかった、
親への申し訳なさとか、
うん。
社会に対して、
自分は胸張って堂々と生きていけないっていう、
そういった思いっていうのは、
無駄だったなっていう。
うん。
思う必要がない。
見るべきはさ、周りじゃないんだよ。
そうね。
自分じゃない?
自分と旦那さんと、
周り、
そうは言ってもさ、
周りじゃなくて、
自分たちがいいならいいっていう、
あるじゃん。
家の自分の形はさ。
だから、見るべきは周りじゃなくて、
目の前の家族、
みたいなのが、
幸福感と知識の役割
今パッと浮かんだ。
それも思ってたよ、私は。
うん。
思ってたけどさ、
幸福ってさ、他人と比較しないと、
感じにくくない?
そうだね。
そうだね。
だから、今日はあえて、
自分の例を出したわけね。
うん。
あー、そうだね。
うん。
それは、私はずっと思ってた。
そう思いたいと思ってたけど、
まあ、似たような人もいなければさ、
堂々とできない自分もいて、
うんうん。
自分はこれで幸せだと、
脅迫観念のように、
言い続ける時間があったなって。
あー、なるほどね。
うん。
そう、だから、
やっぱり、
自分だけだと幸せを感じれないんだよ。
それに役立つのが、
知識だった、私はね。
うんうんうん。
だから、200年前の家の在り方を、
考えることで、
あー、これは、
馬鹿げてるんだって、
うん。
自分と比べて、
うん。
うん、考えることができるっていうか、
私はですけどね。
おーー。
でもさ、そういう自分だけを見てさ、
自分だけの好きなことを追い求めて、
幸せを感じる人もいるだろうから、
うんうん。
ある意味、そういう人は強者だよね。
羨ましいなって思いますけどね。
私はそれができなかったから、
うん。
やったのが、こういった家族社会学を読む作業があった。
そこにどっぷりはまっていったわけですね。
うん。
以上です。
そろそろ終わりの時間となってまいりました。
考える脳みそではお便りを大募集しています。
メールやGoogleフォームにて投稿できます。
Xでハッシュタグ考える脳みそと付けて投稿すると、
CHIEが徘徊しに行きます。
チャンネル登録と高評価☆5、番組フォローもお願いします!
今日の話はどうでしたか?
ちょっと、すいません。
うまくまとめたかな?
いえいえい!
あいー!
それでは!
またねー!
またねー!
30:49

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

網走は閉塞感ありますねぇ。 私は20代後半に9歳年上の女性と結婚しました。その人には連れ子がいて、私より14歳下、思春期真っ只中の女の子でした!結婚したあとすぐに子供が生まれましたが、3人暮らしも楽しかったです。 都会だったからか親もそんなにやいのやいの言いませんでしたし、周りからもそんなには言われませんでしたかね。自分が気にしていないだけかも。感覚的には「たまたま好きになった人に子供がいた」くらいの感覚です。 最近男性性社会を勉強していますが、調べていくと結局は天皇制に行き着くんですよねぇ。天皇の法律みたいなのがあってそこには男性が受け継ぐって書いてあって、それが国民の象徴だから、そこが変わらないと国の価値観は変わらないんでしょうねぇ。(ちなみにそこに科学的根拠はないそうです)

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