人間っていうのは基本的には多産多死で、できてるんですよ。
そっか、昔はね。今だったらね。みんな、じゃあ子供大事にしよう。今の時代でよかった。
100日でお祝いするっていうのは、100日未満で死ぬ子がいっぱいいるからお祝いするわけ。
それが、多産多死が多産少死。いっぱい生まれて死ぬ子が少なくなったのが大正期ぐらい。
西洋の医療が入ってきて、それで子供が死ななくなったっていう転換が生まれたのが明治期以降ですね。
だから、昔の人は子たくさんだったっていうのは、実はその昔っていうのは近代化以降です。
意外とみんなの思っている昔ながらの家の形っていうのは、そんなに昔じゃないんだよねっていう。
なるほど。
なんなら明治で明確に区切られてる。
そうなんですよ。
次に、近世の農家の人たちの男女について話したいんですけど、権力とか権威とかの問題ね。
近世ってのは江戸時代だと思ってもらっていいですよ。
女性は「ヌシ」、「オカミ」などと呼ばれて、権威を持っていた
江戸時代、はいはい。
主婦が一家を仕切っていたのは、家が労働組織だったから、これが成り立ったと。
だから、農村における伝統的な家っていうのは、女性にも権力があったんですよ。
これを聞いて実感ありますか?
なかなかないでしょ。
うん。
女性にも権力があった江戸時代。
だから、みんなで一緒に働いてるから、女性は女性で、管轄する部門みたいなのがある。
そう言われると、好きな漫画だったりとか、ドラマだったりとかで、バリバリ働いてる女の人みたいな、江戸時代で、ちょんまげで、
そういう描写を見たことがある気がする。
女の人とか。
それは農家にもあったわけですね。
我々が考える伝統的な家っていう規範と、その近世の農家たちの家っていうの、なんか一致してない気がするじゃないですか。
今の話聞くと。
では、今我々が考えている家の規範、農家っていうのは、後継ぎは長男がするものだとか、苗字っていうのは男が継ぐものだとか、
それはどこから来ているのかっていうことについて、次考えていきますね。
実は、近世において、権力を持っていなかった女性たちもいるわけですね。
どういった女性かというと、武士の家系です。
武士というのは、女性が権力を持つことはありませんでした。
なぜなら、労働組織ではないから。武士の家というのは。
そして、この少数派の武家の在り方というのが、標準化されていったのが近代化です。
では、なぜこの武士の家の規範が大衆化していったのかについて迫りたいと思いますね。
まず一つとして、賃労働者が増えて、家という組織が労働組織ではなくなったからっていうのもありますね。
まずお金を稼いでくる男の人がいて、家の形が仕事をするための共同体ではなくなった。
昔はね、家で畑をやったりとかって人が多かったけど、今の時代みたいにね、会社勤めしてね、お給料をいただくっていう形。
それに変わっていったのが、明治以降大正期ですね。
それも影響してますね。
次に、明治期以降ダイナミックに転換したのが、天皇が出てきます。
今までは江戸幕府が治めていたものが、次天皇がトップですよとなるわけですよ。
この天皇崇拝っていうのを進めるために、長男が家産を相続させるっていう大日本帝国が作られたんですね。
なぜなら天皇っていうのは、長男が代々継いでいく武家のシステムを取る家のシステムだからなんですよ。
それに基づいて、日本国民の家というのも天皇の家族、天皇をトップとした大きな共同体というものを描こうとしたんですね。宗教みたいな感じ。
それに、家のシステムっていうのが大衆化させて使われた。
天皇崇拝を進めるために、家規範っていうのが反映された。反映することを使われた。利用されたってことですかね。
みおじの文化っていうのも武士のものだったんですよ。これが大衆に普及したのが明治維新以降です。
みんなこぞってみおじをつけたというやつだね。
というか、みおじをつけることを義務化された。だからね、言ってしまえば、みんなの考えている伝統的な家っていうのは明治政府によって作られた規範なの。人工的な規範。
習ったね。大政奉還、廃藩置県とかってやつでしょ。
その時代に、家っていうあり方、それも、がらっと変わったんですね。だから、当たり前だと思っている家の形っていうのは、実は人為的に作られた共同幻想なんですよ。
以上をまとめますと、今みんなが幸せだと考えている家のあり方、当たり前だと考えている家のシステムっていうのは、実は明治から作り上げられた人工的なものですよ。
そして、伝統的な家のあり方というのは、幻想に過ぎません。ということが言いたいと。
これは自分に言いたい。自分に一番言いたい。
この幻想の家族の幸せのあり方っていうのを、追うのをもうやめようっていうことですね。
家としては。結局、長男がついで、それで母さんを守っていくっていう、これはもうね、幻想なわけ。この幸せのあり方は。
そして、理想であれば、生涯添い遂げるという、これは幻想です。結婚式とかそういうのも、ある意味、家というシステムを強調する儀式に過ぎないわけですよ。
まあ、そうだね。結婚式って、そうだったな。
後継ぎのお披露目会みたいなね。古い結婚式はね。今、カジュアルなのも増えてるけど、結婚式あげないっていう家も増えてるしね。
だからさ、この家族っていうものをめちゃくちゃ調べたのは、やっぱり自分の悩みにもあって。普通じゃないと、自分が。結婚式もあげられなかったですよ。
学生結婚をして、批判殺到な時期もあったし。
実は、私の家族の在り方っていうのはね、普通ではないわけです。年は結構離れてますし、父と娘ぐらい離れてるんですけど、旦那とは。
で、6歳下の息子がいるんですね、私には。仲良しですよ、もちろん。
仲いいよね。本当に思う。仲いいよね。
私は子供は1人しか産んでないんですけどね。でも、子供がいっぱいいるわけですよ、ある意味。大きい子供たちも含めて。
ちえちゃんが今いる家には、長男が2人いるのか。
そうね、そういうことね。いぼ兄弟って言えばいいかな。
だからさ、そうなるとさ、変な家ですよ。噂がさ、地域の中でさ、周りにもあってさ、自分のとこにまで伝わったこともありますよ。
なんかね、網走ではね、こういう人がいるらしいよって、私(本人)のとこに伝わるっていう。
それ私だよって。
相手は知らないからさ。
誰のことか分からないから、私に教えてくれたんだけど。
それ私だよと。
最初は、「あ、似たような人もいるんだな」って思って聞いてたけど、よくよく聞いてたら、「あ、それ私だ」って。
いや、今はね、笑い話だけどさ、怖いよ。
当時ね。
当時は怖いよ。だって、まだ結婚の手続きまでしてないんだから。
その話し合いをしてたタイミングだよ。
その時点で、こんなん言われるわけですよ。
「知ってた?」って、「そういう人いるんだって」「えー気持ち悪いね」とかって言って。
あらあらあらあら。
なぜか「気持ち悪い」って知らんおばさんから言われたからな、私。
みんなね、自分のことを話されるのは嫌なくせに他人の話をするのは好きなんですよ。
そう、盛り上がってね。盛り上がるに盛り上がってさ。
他人の話かと思いきやね、目の前にいる人の話だったんですね。
直で言われたから気持ち悪いって。
悲しいよ。いや、当時はね、本当に辛かったですよ。
だからね、もう外にも出らんなかったわけですよ。
でもね、こういった家族社会学を、勉強して、皆さんもお分かりかと思うんですけど、
他人の人だってね、簡単に家族に入れるんですよ、日本っていうのは。
そういった土壌(文化)があるんですね。
同族団研究みたいなこともありますけど、
血筋が違くても家族として迎え入れるっていう文化があるわけですよ。
そういった中で、今考えられている直系、血がつながっている人にしか継がせない。
そういったものは幻想です。伝統ではありません。
で、私はこういった家族社会学っていう知識という武器を身につけ、
この馬鹿げた家の幻想に振り回されなくなったなって思ってます。