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はい、前回ね、社会部の記者の中でも、遊軍記者っていうのが、ちょっとね、不当に低く見られている部分があるよっていう話をしましたけれども。
そういう価値観は、でもだんだんこう変わってきているというのが今で、逆にその、そうだな、事件物でも殺人事件とかが一面コップを飾るとかっていうのは、本当に少なくなりましたよね。
価値観が変わってきたんだと思いますね。人が殺されるっていうことの意味合いが、おそらく30年前とかとだいぶ違ってきたっていうのが、今の世の中だと思いますね。
西田さんがおっしゃるところの、こういうナラティブでエモい記事を、このところを見かけるっていう指摘は、大きいスパンで言えば、まあまあなるほどなって思う部分もありますね。
ただ、昔からあるんですよ。で、その同じ記事ですね。そのエモい記事いりますか?っていう記事の中では、こういうふうに書いてある。
旧知の新聞社の知人によると、SNS上で詰まるところをデジタル版において、この手のエピソード型、ナラティブ型の記事はよく読まれるらしい。よくクリックされ、PVなどの数字が出るというのだ。
こうしたネット経由で読まれた記事は、事後的に紙面展開を模索したりすることもあるようだっていうね。
多くの新聞社でデジタル化が進み、執筆した記者本人が、今どれだけネット上で読まれているかを知ることができる時代である。
記者にすれば、ネットの反応が気になって当然だし、それが読まれる記事を書くインセンティブになるのもわかる。
とはいえ、新聞社の紙面とネットがシームレスにつながり過ぎている現状は、あまりにも批判すぎるように見えて、好ましいやり方は思えない。
そして、新聞社はクリック数を増やすために存在するのではないし、クリック数が増えたところでそれほど経営改善に役に立たないことも、過去10年で明らかになった。
公社の指摘はごもっともなんですよね。
PVなんかいくら伸びても、新聞社の経営にはなんていうこともありません。
それはさすがに新聞社内でも気づかれています。
まだ知らない人もいるかもしれませんけれども、よっぽどアンテナが低い人ですね。
前者の方はしかし、趣向しかねるかな。
PV稼ぎのためにエモい記事が量産されるのかというと、そういうことはないですね。ゼロではないです。
そういう考えを持っている人がいないとは言えないんですね。
でも、そういうことを思っている人がいるとしたら、だいぶ時代から遅れてるんじゃないかなというのが私の率直な印象で、
一応私はコンテンツ編成本部という部署にいて、
最近はポッドキャストの作成ばっかりやってますけれども、
2020年頃には一標即宝石といってデジタルの記事を出す最前線にいて、
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見出しをつけたりもしてましたし、あるいはこの記事を目立たせるべきだみたいな提言とかもしてましたし、
でも現場はもう3年ほど離れているので、そんなのも本当に3年前も30年前も一緒なんで、
この世界、半年でも全くいろんな価値観が変わってますからね。
今現役で即宝石に入っている人たち、デジタル記事の展開を担当している人たちの話も聞いた上で、
しゃべるようにしてるんですけど、これもそうなんですけど。
いずれにしてもですね、エモい記事が読まれるっていうのは、
あったとしても、僕の感覚でいうと5年前とかなんだよな。
2018年、19年くらいまではそんな感じがまだあったかなっていう気がしますが、
結局西川さんの指摘の通りで、そんな記事でPV稼いだところで、
そういう人が読者になってくれないと困る。
新聞に対して会員としてお金を払い続けてもらわないと意味がないわけなんですけれども、
結構こういう記事ってね、読んじゃうと良かったで満足しちゃって、
諸月無料みたいなところで辞めちゃうっていうケースがあるんですよね。
新聞社が今悩んでいるのって、会員になってくれる人いるんですよ。
すぐ辞めちゃうっていうところがネック。
紙の新聞って販売店さんが営業かけたりして、じゃあ取ろうかって取った人の場合、
就勤に行ったりもしますけれども、顔が見える付き合いっていうようなこともとりあえず地方では多くてですね、
私の住んでいた名古屋もそうでしたけれども、
中日新聞を取ってたんですが、その販売店は私の母のですね、昔なじみですからね、
なかなかそんな新聞買えられませんよね。
っていうような引力がデジタル版は一切働かないので結構簡単にやめられちゃうんですよね。
で、それをいかに留めるのかっていうのが、
ここ数年の新聞社における大きな課題になっているのは間違いないと思います。
これは多分どの部署の人でも同じような考えを持っていると思いますね。
私個人の考えではないと思います。
なんで、記者がPVを意識しているっていうのは確かに最近のここ5年ぐらいの傾向とは言えるかもしれませんが、
故にエモい記事を書くっていう動線になってるかっていうと多分なってないですね。
記者は基本的に自分の書きたい記事を書くものなので、
あんまりそういう逆に、あんまりプロダクトアウトなんだっけ、
こういう記事を書けば読まれるからこういう記事を書こうっていうふうに行動している記者というのはあんまりいないです。
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逆に今もう少し増やしたいっていうふうに前者的には思っているぐらいの感じじゃないかな。
あんまり詳しいことはしておりませんけど、ただそれができるのって、むしろ新聞より雑誌の記者の方なんですよね。
雑誌の場合は毎週毎週いくら?500円とかでね。
買ってもらわないといけないので、お金出してもいいよって思わせるような記事を書かなきゃいけない。
つまり読者が読みたいと思う記事を書くっていうことにすごく敏感なんですよ。
だから朝日新聞社内で見ても雑誌を経験している人、なくなっちゃいましたけど週刊朝日とか今でもあるアエラとか、
雑誌を経験している人ってそういう嗅覚にすごく優れてますね。
今何を書けば読んでもらえるのか、そういう人たちはPVが多い記事を書くのも得意ですね。
一方で新聞社で仕事をしている人って、警察担当の何だった話もきましたけれども、
だいたい取材エリアを任せられていて、その中で記事を書くってことが多いんですよ。
郵軍というのは何でもやだって言いましたけれども、それにしたって東京の人は首都圏の話を書くぐらいの枠はありますからね。
あとだから警察のすりの話みたいなのは書かないし、政治の話も書かないみたいな枠は決まってるわけですよ。
その中で書くっていう仕事をしているので、自分が書きたい記事を書くっていうことの方が強いんですよね。
読者が読みたい記事というよりは。
ただそれだとやっぱり記事として読まれるものができないよねっていうのは、確かにここ数年で意識としては盛り上がってきた。
ただね、じゃあなんでエモい記事があるのかっていうので言うと、
そこでPVが撮れるからでエモい記事を書いてる記者ってのはほぼいない。
中間紙系の記者とかっていうのも、どっちかっていうと得種であるとか、
あるいは今こういう社会的な問題とかがあって、そこの情報をみんなもっと欲しがってるに違いないみたいな嗅覚で、
エモいから読まれるっていうふうに書いてる記者は僕は知らないんです。
知らないですね。一人も知らないかも。
一人知ってるかな。でもそういう人は中間紙記者じゃないですね、もともとね。
新聞記者のそういう嗅覚みたいなのって、やっぱりあまりそこには働かないのかなって感じがします。
じゃあなんでエモい記事ができるのかっていうと、PVを稼ぎたいとかそういうことでもなく、
こういうヒューマンストーリーっていうのは新聞の原型とも言えるんじゃないかなと。
昔からずっとあるので、それに基づいてみんな書いてるっていうところが大きいと思いますね。
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新聞記者になる人って基本的には、私はもう違うんですけど、昔から新聞を読んでる人が多いんですよね。
その中にそういうヒューマンストーリー、人間のひだひだを描くみたいな記事っていうのはずっとあり続けていて、
そして名文記者と呼ばれる人、文章が上手いなって言われる人にはそういう人が多いんですよ。
一段低く見られていたという遊軍の記者が多いんですよね。
だからジャンケンみたいなもんで、逆に遊軍記者の親玉みたいに文章が上手くて取材が得意な人っていうのは、
転生事務を書いたり論説主管になったりして、すげえ出世するんですよね。
ただ、新聞社内の社長になるみたいな、部長になるみたいな出世コースとはちょっと違うかなっていう気もしますけれども、
遊軍でも人門の人っていうのは事件記者なんかを全然超えていくみたいなケースもあって、
そこら辺のパワーバランスっていうのが社会部にはあるし、そういう中でエモい記事っていうのも存在しているんだとは思いますね。