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はい、ちょっと1点ね、付け加えたいなと思いますけれども、新聞記事に何が求められているかっていうことなんですよ。
この西田さんの提言っていうのは、ある種シンプルなところで、西田さんはね、これを機能のジャーナリズムだっていうふうにおっしゃってる。
規範のジャーナリズムから機能のジャーナリズムで変えていくべきだっていう話。
機能のジャーナリズムとは何かっていうと、情報を整理、分析、啓蒙する、こういうことに貢献するということだっていうお話なんですね。
だから、情報を分析したり精査したり、意味をふるいにかけたりしていく中で、意思決定に貢献をしていくと。
そうですね、それも本当にあるべき新聞の姿だと思いますが、他方ですね、これもまたデータでいうとですね、朝日新聞社も当然その読者の方が、とりわけ長く新聞を読んでくださっている、有料会になってくださっている方が、
新聞も何に魅力を感じて新聞を取ってくださっているのか、どの記事をよく読んでいるのかっていうのは調べてるんですよ。
そうするとですね、意外とそういう、いわゆるデータジャーナリズム調査報道みたいなのが人気があるか、あるいはルポが人気があるかっていうと、そうでもなくてですね、なくはないですよ。
人気もあるんですけど、一番人気あるのは実は数読だったりするんですよ。数読ご存知ですよね、1から9までの数字当てはめていくパズルみたいなやつ。
え?って思いません?新聞買うんじゃなくて、それだったらパズル雑誌とか買ってくれ、いいじゃん。違うんですよね。
新聞はもちろん普通の記事も読むんだけれども、何が一番大事なのかっていうのを先日目で考えたら実は数読だと。
あれが毎日違う問題が届くっていうところが大事なんだっていう人はいるわけです。
そういう記事の中に入ってくるのが、いわゆるエモー記事、ナラティブ記事の中に分類されるであろうひとときっていう欄。
これは女性の投稿者なんかの話を取り上げていくっていう欄であったりとか、患者と生きるっていう欄。
これは病気になった人がどういうふうになったのかっていう話を丁寧に書いていくという記事なんですよ。
つまり、マクドナルド行って、あなたはマクドナルドでどんなものが食べたいですかってアンケートを取るとみんな、
サラダがあるといいよねって答えるんだけれども、実際にサラダを導入すると誰も買わないっていう。
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新聞社も営利を求めているので、結局PVとかっていうのもそこにつながってくる話があるんですけれども、
独占の方がこれに価値を持ってくれるっていう記事に重点を置くのは当たり前ですよね。
これを読みたいなって思わせるものがあると。
それに関して言うと、残念ながら我々が心血を注いでいるデータジャーナリズムみたいなの、
調査報道みたいなのが、そこまで圧倒的に評価されているかっていうと別にそうでもないんですよ。
評価されてますよ。されてますけれども、何か抜きに出て他よりも魅力があるかっていうと別にそんなことないんですよね。
だとすると、そもそも一本一本の記事に何かを背負わせるっていうのがおかしいわけで、
全体として、数読だけだったらそれこそ数読雑誌読めるわけですから、
数読も載ってるし、ひとときも載ってるし、調査報道も載ってるし、ルポも載ってる。
ガンダムの話も載ってるみたいなのが新聞の良さなので、
一つ一つの記事をコトサラ取り上げるっていうこと自体にはあんまり意味がないっていうのもおそらく、
なんとなく新聞社内で一致した見解にはもう成りつつあるんじゃないかなと思いますけどね。
新聞ってパッケージで売っていくもんだよと。
ただ確かにネット上の空間だと一本一本で出ていってるっていう事実出ていってるんですよね。
そこをどう捉えるのかっていうのは認識を一致させかえらなきゃいけないところですけども、
一つの記事が撮るPVとかCVとかって本当にそんな大した意味はないっていうのは言えますよね。
それがジャンルによらないっていうことも言えるんだと思いますけどね。
だって実際もエモい記事はエモたれみたいなことも言って、
もう十分だとお腹いっぱいだっていう話も一方であるわけですからね。
どちらかというと減ってるんじゃないかなと思いますけどね、エモい記事ね。
昔の、昔って数年前ね、3年から5年前ぐらいの方がもっとみんな多かったって狙ってたんじゃないかな。
というかそもそもすごくすごく昔の話をすると、
スポーツの記事で、例えばナンバーっていう雑誌ありますよね。
テレビの番組でもスポーツジャーナリズムがいわゆるナラティブ、
選手の苦闘であったり他の選手とのドラマであったりみたいな、
そっちを描くようになってきたっていうのって多分もう50年前ぐらいから始まって、
50年言い過ぎかな、いやでも多分そんなもんじゃないですか。
昔は記録なんですよ。
大流島時代って大定晴さんが756号を打ったと、ハンク・アーロンを超えたみたいな、
やっぱり記録が大事、V9とかね、強い、打つ、守る、金田400勝みたいな。
じゃなくて、何か選手の苦悩であったり、
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ドラマチックな面を描き出していくっていう風に、
スポーツジャーナリズムも変わっていったわけですよね。
今なんかだと、例えば朝日新聞のオリンピックの記事なんて、
全然36位の人を取り上げたりしてるわけですよ。
そこにニュース性、ドラマ性があれば別に順位関係ないんですよね。
っていうような時代になってきているので、
多分ナラティブ自体も時代の流れとしてどうなんですか。
ここ5年、10年ぐらいで、すごく日本でも定着してきた言葉なんじゃないですかね。
多分5年前にナラティブとか言っても、多くの人は意味わかんなかったと思いますけれども、
今だと、なんかどっから聞いたなっていう人が多いと思うんですよ。
それぐらい人口に感謝しつつある言葉だと思いますけど。
つまりですね、物語で物を見せるっていうこと自体はおそらく、
昔からやっていることだし、最近も重視されていることであろうなと。
そのことと、いわゆる市政のニュース、
普通の人が起こしている日常を切り取るみたいな記録性っていうのは、
多分また別の話なんでしょうね。
だから読まれないんだろうな。
街のちょっといい話になって、全然読まれないですからね。
そういう記事が、しかしじゃあ新聞になくていいのかっていうと、
これが難しくてっていうか、あったほうがいいんですよ。
というのは、やっぱり基本的に新聞に書いてあることって、
政策の批判だったり、批判とは言えないから、こういう政策が出る。
でも、例えば力戦時問題とかに関しても批判をしたりとかね。
これ、このままこんなふうに決めちゃっていいのかみたいなことは書くと思いますけれども。
あと事件とかも、事件が起きたことをそのまま報じるだけですけれども、
読んだ人はやっぱりそれは犯人は悪い奴だなって思うでしょうからね。
そういう書き方をしてないとも言えませんし。
比較的やっぱり、社会の暗部を描き出すのが新聞の記事なんですよね。
だから言うじゃないですか、もっとポジ出ししようぜみたいな、
政治家の人たちも都合よく言いますよね。批判ばっかりしやがってみたいなことをね。
企業もそうですよね。トヨタとか日本共産党とかもそうですよね。
そうじゃなかろうと思うんですよ。
やっぱり、活発な議論っていうのがある中で、
いろんな物事っていうのは進歩していくものだと思いますからね。
改善していくものだと思いますから、そこはぜひやらなきゃいけないと思いますけれども。
そればっかりだとね、暗い締めになるんですよね。
だからやっぱりほっこりするような話題とかね。
だってそうでしょ、お弁当だってね、揚げ物ばっかりだったら胸いけしちゃうじゃないですか。
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箸休めが必要でね。
お漬物なんか入ってると本当に嬉しいなってことはありますよね。あれあれ。
なので、単体で取り上げる必要がないっていうのが一つと、
それから、いろいろなバランスの中で、やっぱり新聞っていうものを考えなきゃいけない。
あんまりその機能性ばっかり重視する。
こういう記事だけあればいいとかっていうのは、かえってやっぱり物事を狭くする。
もちろんね、日夜行、いろいろな社会問題に取り組んでいる方にとっては雑音っていうこともあるのかもしれませんが、
たまにはですね、お花が咲いたなみたいなところにも目をやる余裕があっていいんじゃないかなと私は思いますね。