1. 神田大介の経験
  2. マルはいつから使われているのか
2024-04-01 11:11

マルはいつから使われているのか

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こういう時って、大体マル原の話ですけど、歴史というか成り立ちを調べることにしていて、何でもやっぱり経緯を調べるといろんなものが見えてくる。
縦軸と横軸が大事ですからね。縦軸、時間軸をね、調べてみるんですけれども、
マル当典の句点、当典も含めてだけど、いつから使われているんだろうなっていうのを調べたんですよ。
調べたと言っても、ざっとネットを検索したぐらいですけれども、ありがたいですよね、論文とか出てくるからね。
いろんなことが書いてあったんですけれども、はっきりしないです。
ただ、例えば、幻塾物語ってね、これを収録・配信しているとしては、なんと大河ドラマでやっているね、紫式部の幻塾物語ですよ、光る奇名ですよ。
あれなんかは、口頭でないらしいですね。全然別に原文読んだことないけど。
そういえばって思いません?古文書とかって博物館とかで見ることあるじゃないですか。
天国武将が送った手紙みたいなのとかって、あ、天丸ないですよ。ずらずらずらーって書いてあって、きれい目とかないんですよね。
ひたすら文字が連ねてあるし、わざと続け字にしてありますよね。2、3の字が縦につながってる。
ちなみにもちろん全部縦書きなんですけれども。
天丸っていつ出てきたのかっていうと、おそらく漢文の読み下しで出てきたんじゃないかっていうふうに言われているようで。
漢文、今の中国語はもうすでに天と丸あるんですよ。
中国で天と丸がいつ出たのかっていうのも、俺の書説あるみたいですけれども、そこそこ昔からあるみたいですね。
で、その天と丸っていうのは、でもなかったです。昔は。
例えば徒歩の有名な、国破れて山があり、城を春にして草木不可してね。春暴っていう春臨むっていうね。
これだいたいみんなやるんじゃないですか。学校でね。古文と漢文の授業ってありますもんね。漢文ですけれども。
でね、これをしかしね、たどってみると、やっぱ天丸はないわけです。
で、中国語と日本語って語順が違うから、レ点とかつけるじゃないですか。あとなんか1,2,3みたいなのつけたりとかしますよね。
要は外国語を日本でも読みやすいように工夫をするというものの機能の一つとして天と丸もできたと。
長すぎるし漢字が羅列されていると我々意味わかんないからっていう話がありますと。
で、ただこれもだから漢文を読み下すときに使われていったものだっていうことなんですよ。
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じゃあ日本語の文章として天丸が使われたのがいつか。
これはね、よくわかんないんですけど。
何かの論文なんかに書いてあったのは、坪内松陽の小説真髄。
はい、出てきましたね。小学5年生には難しすぎんじゃないかでお馴染みのですね。
坪内松陽の小説真髄は天丸なかったそうですね。明治20年ぐらいの作品だそうですよ。
だからね、明治の時代でも、その頃から天丸が出てくる。
要はですね、当時って文言と口語って全然別物で、文章に書く日本語っていうのは、
口で喋る日本語とだいぶ違うものだったんですよね。
それを明治の文学者たちが、双葉天使名とか夏目漱石とかが、
自分たちが喋っているような言葉で文章も書こうっていう運動というか、
そういう動きがあって、それで現在のテキストの形に近づいていくと。
文言と口語が分かれている例っていうのがたくさんあって、
例えばアラビア語っていうのは、フスハーとハンミーヤっていって、
コーラントが書くような言語がフスハーなんですけれども、
自分たち喋られているのはハンミーヤとかアンミーヤとかいって、
結構違うらしいですね。
アラビア語全然分からないからどっちも分からないけど、なんか違うと。
書き言葉と話し言葉が違うっていうのは、これは黄金にしてあることだと。
ちなみに英語とかのラテン語系、ヨーロッパの言語も、昔はピリオドもコンマもないんですよね。
これがピリオドコンマっていうのが日本語に向ける苦闘点に当たるやつですけれども、
これも昔なくて。
面白いんですけど、ラテン語系の言語も、昔は全部繋げて書いてるんですよ。
空白入れるでしょ、単語と単語の間に。
I eat apple みたいな。
I と eat の間。eat と apple の間。
アンアップルの間か。
アンとアップルの間とかに空白スペース入れますよね。
あれなかったんですよね、昔ね。
ずわーって貫いて書いてあって読むのめっちゃ大変。
つまりね、全然違うものなんですよね、話し言葉と書き言葉って。
記録をするっていうのは、昔は紙も貴重だったし、特別な行為で、そこに何かを書くっていうことには、
話す言葉とはまた別の意味合いがあったと思われます。
ちなみに、ちょっと別の話になるんだけど、
これもね、歴史の教科書とかで皆さんやったんじゃないかなと思いますけれども、
さっきのヒカルゲンジの時代とかは、レンガ連なる歌って書いて、
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恋の告白とかをするときに、まずゴーヒチボを書くわけですよね。
なんか男性だったじゃないですか。
男性がそのゴーヒチボをしたためて、女性に送るわけですよ。
で、女性が下に七七をつけるみたいなことをやって、お互いの心情を表現してね、恋を深めていくと。
あれなんかもですね、実は話し言葉では、彼らは自分の心情の表現をできなかったっていう説があるんですよね。
単価の形にすることでしか、ああいう物の哀れ的な感情というのが表現できなかったと。
ことほどさようにですね、話し言葉と喚起語って全然別物なんですよね。
それをただ一致させていくっていうのが、現代社会の、現代日本の流れであるということらしいですよ。
これは丸の話なんですよね。
天丸って我々にとってはすごく自明のものだと思いがちですけれども、そうでもないっていうね。
実は比較的新しい、明治以降ぐらいにようやくできたもののようですね。
これね、興味ありますよね。
坪内松陽の時代の人って、最初に丸を見た時どう思ったんでしょうね。
何これっていうふうに思ったんじゃないだろうか。
だって文学自体は江戸の頃からずっとあるわけじゃないですか。
それも公職一代男とか矢仕北道中記みたいな、比較的庶民にも好まれる文学っていうのがね。
色っぽい話とかアハハッと面白い話とかがあったわけですから、結構たくさんの人が文章を読んでいたと思われ、
その人たちは多分天丸ない文章を読んでるんですよね。
なんかこういうふうに書くんだ、確かにこの方が読みやすいねとか思ったんですよね。
ちなみに文章の天丸を政府が決めたのは戦後みたいですよ。
戦後も別に法律疎開じゃなくて文部科学省、というか今は文部科学省、当時は文部省ですね。
文部省が政府の文章を書くっていうのに当たって決まりを決めますっていうふうに、
色々決めた決まりの中の一つが天と丸の使い方だったりですね。
書き言葉ってここに一つポイントがあるんですけど、国語って言うじゃないですか。
公文章を書く言葉なんですよね、書き言葉って基本的にはね。
だからそういうふうに天と丸を使いなさいよみたいなのも国というか文部省ですけどが定めて、
それをみんな真似ているというか、それに基づいているっていうね。
ただ、基づいてないのもあって何かっていうと、
その文部省が昭和の初め、21年とかその辺に決めている天と丸の運用の仕方によると、
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横書きの文章、ちなみにこれも日本語を横書きにする場合って明治とか大正の時代、戦前は
アラビア語みたいに右から左に書いたんですよね。
それを左から右に英文とかと同じように改めますよっていうふうに決めたのもその頃なんですけれども。
昔は右から書いたのは左から書くようになったっていう違いがあるわけですが、
それと同じようなところに書いたのは天丸じゃなくて、天じゃなくてカンマを使いって書いてたんですよね。
グリピョンみたいなやつね。
日本語の天じゃないんですよ。これ知ってました?
だからいまだに政府文書とかってコンマ丸で書いてあったりしますよね。コンマピリオドみたいなのもあるのかな。
横書き文章ですけど天じゃなくてコンマ使ってるんですよね。
これ学術論文とか、文部省といえば学術論文ですよね。
学術論文もそうで、これは大学によって作法が違うみたいで、コンマ丸を使っているところとコンマピリオドを使っているところと天丸のところとそれぞれ違うみたいですね。
ただ論文のフォーマットって決まってて、大学によって。それに合わせてるらしいですよ。
確かに東大と北海道大学と神戸大学はコンマ、なんだっけ、忘れちゃった。
なんか比較的珍しい。
天丸じゃないんですよね。
理系の文章とか、理系の人が書く文章とかもなんでコンマ使ってるのかなと思ったら、実は文部省が決めていたっていうことに気がつき、
常用漢字とかもそうですけれども、やっぱり書き言葉ってすごく政府が決めたことっていうのが大きい呪縛になってるというか、決め事になってるかなっていうことですね。
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