1. 奏でる細胞 MUSIC & SCIENCE PODCAST
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2024-11-18 48:54

3-17. ゲスト大須賀覚さん「がん研究とやさしい医療発信」Let it be 家族がくれた言葉 #サイエンスコミュニケーション #科学コミュニケーション

3-17. 「がん研究とやさしい医療発信」 Let it be 家族がくれた言葉  ゲスト大須賀覚さん がん研究者。筑波大学医学専門学群卒業。医学博士。現在、アラバマ大学バーミンハム校 助教授

大須賀覚/ ブログ http://satoru-blog.com

大須賀覚/ 毎日新聞連載 https://mainichi.jp/premier/health/

大須賀覚/ X (Twitter) @SatoruO

<過去の記事寄稿・取材協力メディア>日本テレビ・テレビ朝日・朝日新聞・毎日新聞・バズフィード・講談社ブルーバックス・女子SPA・サイゾーウーマン・週刊医学界新聞・ガジェット通信 Cancer X: https://cancerx.jp/ UJA論文賞UJA科学広報賞:https://cheironinitiative.wixsite.com/uja-award  1)アメリカの研究費はでかい 

2)攻撃的な世界的ゴールキーパー

3)世界中の化学研究を調べて分かった最高のがん治療

4)誰のための本なのかを真剣に考えた

5)本当に患者さんの気持ちを理解して伝えることの大切さ

6)父が亡くなることに気持ちをうまく向けられなかった

7)17歳の自分が冷静にいた 難しい1年でした

8)天国に羽ばたく父と、大学へ羽ばたいていった子供達

9)手を握ってもいない状況では何も言えない

10)優しさと正確さは正比例しないことがある

11)正確さに優しさを入れたい

12)最期の時の後悔が良かった日々を蝕んだ

13)夢に出てきた父と救ってくれた言葉

14)「申し訳なかった」「そういうことじゃないんだ」

15)ビートルズのLet it beと親の優しい言葉

16)子どもにやさしい言葉をかけ続ける


Spotify 奏でる細胞 By タツ(細胞学)ゆりか(リベラルアーツ講師)⁠⁠https://open.spotify.com/show/0xUhOqvpo69YiT7pmYdech⁠⁠ アメリカから配信する科学番組 「心を開いて相手の話を聞くことで自分の人生に役立てていく」 学びあり、笑いあり、出会いあり、科学教室の先生が様々なゲストと語り合います。 細胞の中にある音楽やリズムの研究に夢中になっているタツさんがリベラルアーツ講師のゆりかさんと細胞、老化、物理学、など様々な分野の専門家、ポッドキャスター同士のコラボ、留学や海外生活などについてポッドキャストを通して楽しく学ぶ番組です。 リスナーからの感想お待ちしています! ⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/ihwyMGuX7iZLrV6W8⁠⁠⁠⁠⁠(お便りはこちらフォームから受け付けています ) ▼X:⁠⁠https://twitter.com/tatsukono⁠⁠    ▼ハッシュタグ:#奏でる細胞 ▼スポンサー:はたなか内科・糖尿病クリニック ⁠⁠⁠https://hatanaka-naika.com/ ▼スポンサー:ひらく(ウェブサイト準備中)

00:02
奏でる細胞。奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ、インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
こんにちは、ゆりかです。
こんにちは、UJA理事のタツです。
今年もですね、UJA論文賞の季節になりました。
海外で活躍する研究者の皆さん、または既に日本に帰国されている方も、
海外で発表した論文に関してはですね、受賞の対象になりますので、11月30日の応募締め切りまで、ぜひ応募してください。
そしてですね、今年は科学広報賞も同時にやっておりまして、そちらはですね、日本、アメリカ関係ありません。
世界のどこでも、科学のイメージアップにつながる広報を行っている方、こちらが対象となっておりますので、ぜひご応募いただければと思います。
ゆりかさん、応募はどこからできますか?
ウェブサイトからです。
そうですね、UJAの公式ホームページ、または公式のXからですね、応募情報などを見ることができます。
簡単に応募できますので、ぜひトライしてみてください。
そうなんですよね、普通こういうアプリケーションってとっても面倒くさいんですけど、これとっても簡単なんですよね。
だから自分が成果を出したよ、みんな見てねって言う方、すぐに応募してみてください。
僕がね、唯一頑張ってきたと言ってもいい10年ぐらいやってる活動ですので、ぜひみなさんのご応募お待ちしてます。よろしくお願いします。
はい。
さて、ゆりかさん、今回のゲスト、ビッグゲストがいらっしゃいましたね。
私の大好きな。
ゆりかさんと大塚悟さんはですね、なんとキャンサーXって言うですね、ガンと言われても動揺しない社会へっていう活動があるんですけれども、
そういったイベントなどで、大塚さんが発表するときの、要はパートナーのような立場を何年かやられてますね。
このポジションは奪われたくない。
キャンサーXって本当にすごい人たちがいっぱい発表する大きなイベントなんですけども、そのみなさんがざわついたんだ、そうですよ。
どうしてですか?
大塚さんの隣にいる女性があまりにもすごいと。
本当、私の耳にも入ってないですよ。
何者だというふうな意見まで来て、そして僕が教えてあげたんですよ、キャンサーXの実行委員の三島さんに。
三島のゆうたが。
そう、ゆうたさんに。
ゆりかさんのお母様アナウンサーですからって言ったら、そういうことかって言ってましたからね、みなさんね。
そこに収束されるの?
みなさんそういうことです。
はい、ということで。
そうなのね、嘘じゃないのね。
なので、アナウンサーのすごいアナウンサーですよ、すごいアナウンサーの血を引き継ぐゆりかさんを聞けるのは。
03:00
自称ね、自称女子アナの掛け出しとか言ってたからね。
この番組だけですから。
みなさん、リスナーのみなさん本当に素晴らしい。
そして大塚さんといえば。
そうそうそうそう、前もねいらっしゃってくれたんだけども。
これあれですね、ゆりかさんの親戚の関係で言うとシティハンターの次ぐらいに大物ですね。
そうよ。
そうでしょうね。
そうよ、シティハンター早く来てくれないかな。
そう、今度シティハンター書いてる人に来てもらおうと思ってますので、ゆりかさんぜひお願いします。
ということで、今回の。
大塚さん呼ぶの緊張する。
大塚さとるさん。
ちょっと待って、おかしな話になってきた。
いとこ呼ぶだけなので大丈夫でしょう。
そして大塚さとるさんの回なんですけども、本当に中身のすごい素晴らしいものになりました。
特に今回ね、一番最後の方に来てるポールマッカートニーの言葉、ここまでは絶対言ってほしいですね。
聞いてほしいですね。
そう、この話がポールマッカートニーにつながるとはね、奏でちゃったよね、久しぶりにね。
優しい言葉、発信とか科学広報っていうものに関しては、優しさと正確さ、このバランスが本当に大変だっていうことをおっしゃってくれて、
さまざまな科学広報のことのお話をしてるんですけど、
その中でお医者さんの言葉、僕たちの決める医療の選択肢をどうするかっていう話など、
本当にいろいろなお話をする中で、ゆりかさんからのいわば人生相談みたいな形になりましたね。
そうよ、大塚さんとがんになっても動揺しない社会っていう取り組みを一緒に歩んできたとはいえ、
やはり私もいろいろなことに動揺してしまうところがあったっていうことを大塚さんに告白できて大変いい時間でした。
はい、ということで素晴らしい中身がありますので早速聞いていただきます。
どうぞお聞きください。
奏でる細胞
今日は素晴らしいゲストに来ていただいております大塚悟さんです。
どうもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大塚です。
大塚さんどうもよろしくお願いします。
今日は久しぶりで本当にゆっくり話を楽しみにしてきました。
本当に忙しいとか大活躍の中で来ていただいて本当に嬉しいです。
そんなことないですけど。
もう日々行ってます。研究費申請かけて。
忙しいですよね。その額が大きいですからねアメリカの研究費。
大きいですね本当に。
2ミリオンとか3ミリオンダーラとかだからもう日本円に直すと4億円とか5億円ですから結構額大きいですよね。
例えで言うと1ページ何百万円とか言いますもんね。
そうですねだから本当にRO1だと書く。
RO1っていうのがNIHっていうアメリカのお金を出してる機関が出す一番基本的なっていうか根本的な一番スタンダードなサイズなんですけど。
06:06
それで合計書くのはまあ多分50ページぐらいですかね。
申請書として書くのね。だからそう考えたらとんでもない額ですよね。1ページ。
1ページ200万300万ぐらいって言っていいんですかね。そんな現行料もらえることないですもんね。
でもまあほとんど落ちますけどね。
そうですねだからちょっとまず私のあれを言っておくといいかもしれないですけど、
もともとは私の方は日本で農芸会をしてたんですけど、
今はこちらでアメリカの方で農師を農にできるがんに対しての新薬を作るという仕事をしています。
研究室をアラバマ大学バーミハム校というところで主催してまして、
今話してたのは研究費、研究するためのお金が必要なんですけど、
それをどこから振ってくるわけでもないので、
アメリカのガバメントの方に申請書を書いて、
これは面白いだろうって書いて、向こうが面白いってなるとお金をくれると。
そうすると研究ができるという仕組みになってますよね。
そうですね。やっぱり2年前に出てくださった、あの頃に独立されたんですよね。
そうなんですよ。ちょうど2年前ですね。
だから2022年の10月に独立してるんで、ちょうど2年経ったところで、
もうラボもだから徐々に徐々に大きくなって、
今メンバーも5人今働いてて、
もうミーティングするだけでも忙しくて一人一人と。
大塚さんの発表がこのインディアナの隣のシンシナティであるって言った時に、
僕ホテルまで撮ったんですけどね、ちょっと予定が悪くて行けなくなっちゃって。
今年シンシナティの方に呼んでいただいて、佐々木先生の方にね。
シンシナティの方でも今やってる研究の話をさせてもらって、
田畑さんに会えるかなと思って。
行こうと思ってたんですよ、本当に。
いやいやいやありがとうございます、本当に。
ちょっとね、ガンの研究の話も少しある方でしていただこうと思ってたんですけども、
今回呼ばせていただいたのは科学広報省ですね。
僕ね、大塚さんのことを研究者、これまでかなでる細胞に来てくれた研究者の方々を、
例えば今出てきた佐々木敦夫さんはですね、三浦和義で例えてるんですね。
三浦和義?
そう。
サッカー選手。
サッカー選手で例えてきてるんですけど、
大塚さんも実はですね、かなでる細胞で大スカーンっていうあだ名がついてまして。
マジっすか?そんなあだ名がついてたんですか?
これはね、本当は今の日本代表とか若い世代で例えたかったんですけど、
これね、世界のオリバーカーに例えさせていただいて。
マジっすか?オリバーカー出てきちゃいましたか?
もう古いよ、分かんないよってみんなに突っ込まれちゃったんですけど、
09:01
いや、今の方にも伝わるように言うと、
ドイツがですね、ワールドカップ王者になった時のですね、ゴールキーパーなんですね。
すごかったですよね。
もう鉄壁なんですよ。
鉄壁で大塚さんがじゃあ守備的で攻撃的じゃないんですかって思う人もいらっしゃるかもしれないですけど、
なんか存在が攻撃的なんですよ。強いんですよ。迫力があるんですよ。
でも攻撃してるわけじゃないんですよ。
攻撃してるわけじゃないのに、直接攻撃をしていないのに攻撃的な防御ができちゃうっていう意味で、
オリバーカーンって思ってて。
多分みんなに伝わってないかもしれないですけど、私は伝わりましたよ。
あ、そうですか。ありがとうございます。
私の広報っていうかあれですよね。
がんの情報発信のスタイルの方がですよね。
その通りです。
がんの衛生情報と戦う大塚さんの姿が、攻撃的ではないんだけれども、
鉄壁に患者さんというか、弱い立場の人を守っていて、
衛生情報の方には威圧感をかけてるんですよね。
ありがとうございます。
今ご紹介いただいたので、ちょっと皆さんに聞いている方にご紹介させてもらうと、
さっき言ったように研究者なんですけども、
もう10年以上前からですけどね、がんの情報発信の方もやってまして、
それは皆さんもご存知だと思うんですけど、
いろいろな不正確な情報が本当に世の中にたくさん広まってて、
がんの世界も本当にひどい情報がたくさん広まってるんですよね。
それを放置するのはできないなというところから、情報発信をするようになって、
かれこれもかなりやってるんですけど、いろいろな仕方に見てもらえるようになって、
ツイッターが主に今のXですけど、中心にやってまして、
あと毎日新聞とかで定期的に連載させてもらったりしててという活動をしてます。
オリバーカーンみたいな、なんとかがん患者を守りたいとね。
そうですよね。素晴らしいですよ。
何年も本当に最初に見つけたのが僕とは6、7年前ぐらいじゃないかなと思うんですけど、
そのくらいやってませんか?
そうですね。もうだいぶ経ちましたね。
最初は実はFacebookでやったんですよね。
Facebookで普通にみんなが見れる公開記事を書くっていうのをやり始めて、
その頃ちょうどね、患者がんと戦うなっていう、
なんか手術とか受けちゃいけないみたいな、
近藤誠先生のそういう発信がすごい世の中に広まってた時で、
実際にその手術受けたら早く死んじゃうとか、
そういう不正確な情報が結構広まってて、
私もその時は臨床をやってたんでね、完全に患者さん見てた立場だったんで、
12:03
本当に患者さんがこれ見て死んじゃったら大変なことになるなっていうところから始まって、
Facebookでコツコツ書くようになって、
そうしたらだんだん見てくれる人がどんどん増えていって、
そこから最終的にはブログに行って、それでTwitterに行って、
Twitterに行ってからですよね、すごい広がったのが。
本も出版されましたよね。
そうですね、あれはもう結構前になりますけど、4年前かな。
宇都賀先生と勝的先生と一緒に世界の化学研究を調べて、
分かった最高のがん治療っていう本を出させてもらって。
最高のがん治療っていう、このタイトルをつけた理由がまた素晴らしいと思ったんですけど。
そう、これ結構お医者さんの方に最高のがん治療ってタイトルつけるって結構どういうこと?みたいに言われて、
お医者さんの中ではね、最高の何とか最高の食事とかね、
ああいう感じのって結構怪しげな本が多くて、
そうなんですよね。
あんまり科学的じゃない本がね、物によくつけられるタイトルで、
だからなんでそんなタイトルにしたのって、
普通そういうタイトル一緒だとつけないので。
ただ結局その時思ったのは、いろいろな人と話したら、
がん患者さんって結局本屋さんで何探してるんだろうっていうのを考えると、
がん患者さん探してるのは結局最高の治療なんですよね。
治る治療を探してて。
結局そういうがんの解説本みたいなのを丁寧に書いてても、
結局そうじゃなくて、
助かるのは何なんだってみんな必死で探してるので、
そうなった時にやっぱり手に取ってもらえるタイトルつけて、
その中に書いてあるのは別に怪しいもんじゃなくて、
標準治療こそが、
科学エビデンスに基づいた治療こそが最高の治療なんですよっていうのを知ってもらうっていう、
とにかく手に取ってもらうためにっていうね。
やっぱ大塚さんがTwitterとかで患者さんたち、
本当に困ってる患者さんたち、
過去に騙された経験があって、
その後ちゃんと病院に戻ってきて、
早く治療すればよかったって後悔されるような方々の気持ちを、
すごい寄り添ったからこそ分かる、
本当に困ってる人たち、
そして自分はあんまり医療とかが得意じゃないから、
どんな本を読めばいいか分かんないと思っている人たちが取っちゃう怪しげな本の棚に並んでも、
それでもなおかつ目に引くような、
怪しい本のデザインまで真似して、
その赤色で、
そして最高のがん治療というタイトルも、
怪しい本の代表みたいな名前をわざとつけて、
本当の治療法っていう、
こうすると騙されるよっていうのをバーンって入れる、
その手法というか、
その相手方のやり口を分析した上で、
そこに乗っかっていくっていうところが、
僕は感動しました本当に。
ありがとうございます。
本当に誰のために書いてるんだろうなっていうところがやっぱりね、
15:04
思ったとこだったんですよ。
最初はね、もちろんちゃんとしたなんかね、
お医者さんが書くすごい経緯にあふれてるようなタイトルが、
いいなーって最初思ったんですけど、
ただやっぱりいろいろ考えてみたら、
いや別に医者のために書いてるわけじゃないし、
そのお医者さんに、
なんかすごくいいタイトルだねって言われたいから書いてるわけじゃなくて、
やっぱり本当に困ってね、
どこかに私の命を救ってくれる必要ないかって、
必死に血まなごんだって探してる人がやっぱり取ってくれないとね、
書いた意味がないんで、
そこだろうなって、
誰かに批判されるかもしれないけど、
お医者さんに、
なんであんなタイトルつけんだって。
実際そういうのありましたけど。
いやでも溺れかけの人たちがね、
藁を掴むって言うんですけど、
その瞬間にうわって手が掴んでしまって、
騙されるはずの掴み方をするときに、
そこに置いてくれてるんですよ。
これがやっぱりいいですよね。
いやでも本当にその時にやっぱり思ったのは、
本当にお医者さんがやってる工法って、
患者さんに向いてやってるんだろうかっていうところがやっぱりあって、
本当に病院とかが書いてるホームページとか、
あとどっかの学会が書いてるホームページとかも、
本当に患者見せんかって言われると、
結構難しすぎるよねっていうのは本当にあって、
お医者さんが書いてるお医者さんのための本みたいになってるものも多いですし、
やっぱりもっともっと考えないといけないなっていうのは本当に思うところで、
毎回毎回それの勉強ですよね。
それは本当にフェイスブックでやってて、
そうすると誰かからコメント来たりするじゃないですか。
そのコメントを見てると、
いやなんか一生懸命書いて、
すごいわかりやすいだろうって書いても、
全然わかんないって言われたり、
難しすぎてよくわかんないとか、
長すぎるとか、
そういう意見をもらっていくうちに、
全然ダメなんだなっていうのを、
勉強し続けていったらうちにたどり着いたところなんですよね。
そういうのが。
うちらが思ってる以上のものを全然全然もっとわかりやすくして、
そこのさらにもっともっとわかりやすくしないと、
実際には患者さんに伝わらないっていう。
そこは本当にありますよね。
向き合いましたね。
そこに大塚さんが。
今回UGAの科学広報賞というのを作って、
その第一回に大塚さんが大賞を取られた時にですね、
やっぱり向き合っている。
僕たちも科学広報賞っていうのを作る時に、
科学広報を表彰するってどういうことなんだろうっていうか、
僕たち研究者として、
やっぱり科学を世の中にイメージアップにつながっているとか、
その科学の世界を広げてくれる人たちを表彰したいっていう中でですね、
18:00
審査員の方々が大塚さんを高く評価したところに、
やっぱり多くの人に届くような、
わかりやすくしてるってところですよね。
本当にそこは大事だと思うんですよね。
よく科学広報って、
私は地下鉄とかになぞらえたりするんですけど、
地下鉄の駅案内、
それみたいに医療って選択しながら進んでいくわけなんですけど、
その病院に行って、
治療して選択して、
例えばどこまで行くっていうのをするじゃないですか。
大塚さんと一緒に、
じゃあどこの電車に乗りますかみたいな感じですか。
電車に乗りながらここの駅まで行ってってするじゃないですか。
正しい情報をすごい簡略化して、
正確に必要な情報だけを置いてあげて、
うまくそこに下りられるように、
間違えずに下りられるようにしてあげることが重要なんですけど、
どうしても大塚さんの場合にはそれをものすごい詳しい、
完全なGoogleマップにしちゃったりするわけですよね。
さらにそこに電車だけじゃなくて、
難しい言葉がたくさん入って、
今度は道路があったり、
ここにも池があったり、
危険性が全部言ってしまって、
大事なことは言わなくちゃいけないですよ、もちろん。
例えばここで乗り換えないといけないけど、
ここから乗り換える時にはこれに気をつけてくださいとか、
次急行に乗り換えないといけないですとか、
それは必要な情報だから伝えないといけないのに、
ここには池があってとか、
ここには高速道路が走っててとか、
いらない情報を地図に書いていくと、
最終的にどこで降りたらいいかわからなくなっちゃうんじゃないですか。
見てて。
心に響くというのがちょっとあるんですよ、今。
ゆりかさん今いないですけど、
お父さんが亡くなったんですね。
その時に治療の判断みたいな時に、
僕らは義理の母からいろいろ相談されるんですよ。
お医者さんに直接お話できる機会はなくて、
そうするとめちゃくちゃ不安になってるんですよね。
がんの治療とは違くてもですけど、
わからない言葉が多いから、
こっちの先生とこっちの先生どうしようかみたいな、
大丈夫かなと、
こっちにもいい病院にあるらしいんだけどどうしようかなみたいな、
かなり不安になっちゃってるんですよね。
もっと詳しく聞きたいって言って、
じゃあもっと説明してほしいんですねって言われて、
その説明の意味は安心材料が欲しいだけなのに、
お医者さんの方では、
じゃあもっと詳しくってことはということで、
より医療情報を出して、
聞いてる方は全然不安が収まらないというような、
泥沼に入ることがあるってことですよね。
本当その通りで、
情報もそうですし、
あと心に寄り添う一言があるだけで、
全然違いますよね。
患者さんに入ってくる情報もね。
欲しい、その一言欲しくなりますよね。
もちろん今のお医者さんは結構そういうことも、
一生懸命医学部で習ったりしてて、
どうやって話したりとか、
どうやって寄り添ってとかね。
そういうことを習ってますけど、
それでもやっぱり難しいところはあって、
情報をすごくうまく簡略化して、
21:00
必要な情報をうまく伝える。
ネセサリじゃない情報は、
できるだけ削除して分かりやすくするっていうのが、
たぶんものすごい重要で、
聞かれれば答えるにしても、
何が必要なのかを、
やっぱりよくつかまないといけないのと、
あとやっぱりその信頼性ですよね。
信頼してくれて聞いてるのと、
信頼してなくて聞いてるのでは、
話がそもそも全然違って、
だからどのぐらいその人を、
信頼した上でやってるのかっていう、
信頼関係を築けるのかってところが、
本当に重要ですよね。
そこのね、
それはもう本当に求めてる人の手元に
行くのかっていう問題があるんでね。
やっぱり私がやりたいことは完全に、
困って、
民間であるなんとかのやつを、
実とかを飲んだら治るって思ってる人たちを、
本当にね、
その人たちがたまたま私の情報を見たことで、
やっぱりちゃんと治療を受けなきゃいけないんだってね、
なってほしいっていうところがやっぱりあるんでね。
今、ゆりかさんが来ました。
どうも。
お久しぶりです。
お久しぶりです。
どうも。
お元気でしたか?
元気です、元気です。
ゆりかさんもいろいろ大変だったみたいで、本当に。
そうね。
うちの父の話?
そう、うちのお父さんのお話を今してて、
やっぱり医療のね、
判断っていうのは難しいよねっていう、
お話を聞いてたところなんですけど。
難しいですね。
医療のね、伝え方みたいな話をさっきはしてたんですよ。
いろいろ困った状況の中で医療を受けるってなったときに、
じゃあ、お医者さんが伝えてることって伝えすぎてるっていうかね、
情報がものすごい増えてる中で、
本当に重要な選択するのに難しくしてるよねっていう話をしてたんですよね、さっきは。
いかにうまく簡略化して、
さらに必要としてるものとか、心に寄り添う話とかをどうやってするのかっていうのが
とっても難しいですよねっていう。
難しかったのは、さらに多くの人に当てはまることではないのかもしれないけれども、
日本とアメリカで離れていたっていうことは、
でも多くの人に当てはまるのかな、そうよね。
それが例えば日本であったって毎日一緒に住んでるか、
それとも年に1回会うのかとか、距離感だとかで、
だからいろいろと悩む中で、
自分が例えばアメリカに来てしまったからこうなったんじゃないかとか、
二次的、三次的、四次的な悩みと重なっていくんですね。
この時に早く帰れなかったのを後悔するだとか。
けれども、ちょっと話が前後するんだけど、
私はすごく後悔したんです。
亡くなるとは思っていなかったのと、
自分が思ってたよりも、こんなに科学のことについていろいろとお話なんかする割には、
24:04
父の前では17くらいの娘だったんですよ、私の気持ちっていうのが。
考えてみると父は単身婦人があったので、
高校1年くらいの時からもう一緒に住まなくなって、
一時住む時があったけれども、それは1年続くような長さではなくて、
私も大学に行ったしで、アメリカに来たしで、
いつも電話なんかしたり仲が悪いとかそういうことでは決してなかったんだけれども、
一緒に住むっていうことを考えたら、なんて短い時間だったんだろうと。
それは今まで考えたこともなくて、
それで父が死んで、死ぬというか死が近づいてくるっていうことが分かってはいたんだけれども、
私自身の成熟度が父の前では16くらいのままだったっていうのが、
もう痛いほど後から気づいて、
冷静にではいたんだけれども、16の私が冷静にいたんですね。
でもそれ、16の時ではもちろんものすごい色々なことを経験してるじゃないですか。
それでもやっぱり前ではその16の時のままだったってことですか。
そうだなと今になってはね。
ふと右を見て左を見ると夫がいて子供が3人もいて、
そして弟だと思っていた三つ下の弟は立派なおじさんになってるわけですね。
弟がとても頼もしくて、
私だけ16のままだったなぁなんて思ったりするんです。
ですから例えばお医者さんがいろんなことを言ったりだとか、
あとは父がいろんなことを言ったりするんだけども、
その情報処理していたのは今の私ではなくて、
16の私だったんだなぁなんて思ったりもして、
次元が行き来するっていうんですか、
父ももちろん死が近くなるにつれ、
次元を行き来したんですね。
父が父じゃない瞬間が時々見られたりだとかして、
次元を行き来した時に私も同時に次元を行き来していて、
一面的にその事態を受け止めていなかったんですね。
でも、もしかするとこれは半年経って、
5月の末に亡くなってから経って、
そういう死というものに対する防御が、
私の中で働いたのかなぁとか思ったりとかして、
それはもしかすると、
誰が与えたことかはわからないけれども、
父が与えたことかもしれないし、
人間に備わっていたのかもしれないし、
27:01
人というのは意外に多元的なんだなっていう、
まだ結論は出てないんですけれども、
大変不思議な時空の行き来でした。
そしてさらに日米という距離もあるので、
ものすごく触れ幅の大きい時年だったのかなって思って。
こんな話でよかった?
いやいや、本当にすごくわかるんですよね。
多分それこそ本当に防御反応だったのかもしれないですよね。
つまり大人の自分としてその場面で、
親には接せられないっていうのがあったのかもしれないですよね。
だから弱い自分としてしか接せない、何もできないっていう、
それがあって昔の自分にやっぱり戻りたかったっていうのがあったのかもしれないですよね。
死ぬだなんて思っちゃいないんですよ。
事実がたくさん並べられていても、
もしかして死ぬのかもしれないっていうのはわかっていても、
それがいつなのかなんていうことは思いも寄らないし、
あとは死ぬかもしれないと思うとそれは恐怖だし、
恐怖と同時に一番苦しいのは私ではなく母だったり、
本人父だったりするんだっていうふうに思うからこそ、
恐怖を恐怖として受け止めないというか、
まだ大丈夫なんじゃないかなんて思ったりもして、
難しい日々でしたね。
またそれと同時にですね、人生は続くわけだから、
ちょうど私の息子が高校を卒業する時期で、
大学に飛び立っていくっていう時で、
男の子17、18ですから強い強い大きな翼を得ちゃってね、
バササバササと羽ばたくんですよ。
その羽ばたきたるや、
ティーネイジャーの最後の羽ばたきですよね、
親元を離れていく。
だけども卒業の日まで羽ばたいててもらっては困るんですね。
それをね、私と夫で両足をそれぞれが掴んで、
まだだぞ、まだだぞって。
まだね、高校でやり残すこと、
あとは地域でやり残すこと、
あなたは子供としての義務がまだあるよっていうのがあってね、
それを必死で抑える日々だったんですね。
すごく印象的だなと思って、
死へ向かっていく父と、
手元ではバササバササと自分の人生に、
それはそれは強い翼でした。
それを卒業と同時に手放して、
それは軽やかに飛んでいきました。
そして父は父で飛んで行き、息子は息子で飛んで行き。
子供たちのね、高校生の前、
30:02
パーティーですよね、年度の終わりの。
それに行った時に、
アメリカの高校生ってまたさらにね、
ティーネイジャーとしての若さにあふれてるじゃないですか。
すんごい8期年ばかりの若さにね。
それ見た時に、やっぱりティーネイジャーのパワーって凄まじいなっていうね。
逆になんかその、
日本に帰ると、
私が住んでた街はそもそも、
バブルの前世紀の頃にできたベッドタウンみたいなとこだったんで、
みんながみんな同じような世代の人たちが住んでて、
それがみんなみんなお年になってて、
すごいお年寄りの人が多いんですよね、実家に帰ったりすると。
それ見ると、日本のレパートとか行った時とかスーパーとか行った時に、
みんながみんなすごいお年寄りの環境になってるのと、
アメリカでティーネイジャーがすごいあふれてるところっていうのを見ると、
なんかすごいパワーの違いっていうかね、感じる時ありますよね。
ありますね。まさにそれに飲み込まれた半年だったので。
ゆいかさんなんかもうヘトヘトになってしまって、
その後お葬式があったっていうのもあるんですけど、
国を越えてアメリカで生活してて、いいことも悪いこともいろいろあるんですけど、
こういう帰国っていうのはとてつもなくエネルギー使うというか、
アメリカ住んでてアメリカ最高でアメリカ良かったねと言えきれないものが一気にやってくると言いますか。
やっぱり親の近くにいれなかったとか、
こういう時に兄弟とかがね、すごい何度も通ったりして世話をしたりして、
僕らも一緒にお家の掃除とかいろんな片付けとかをやるんですけど、
その時に兄弟たちが親のそばにいてくれてよかったなとか、
そういうのはすごい感じられる瞬間とかもあって、
これができないのは海外暮らしのつらいところだなって思ったりするところも感じるところがあったり。
結局海外に住んでると何かあった時にすぐ駆けつけられないっていう、
本当に根本的に駆けつけられないですしね。
やっぱりいきなり戻るって言ってもね、
やっぱり子どもたちのいろいろ日常がある中でね、
全てをリセットしていきなり行くっていうのがね、簡単ではないですからね。
まさに大塚さんにお話ししたいなと思っていたのが、
この手をさすることもできない時に情報を父に与えるっていうのもできなくてね。
父がこの薬飲んでるああだこうだって。
葛藤したいよね。
私たちも調べるったりとか、
周りにお医者さんのお友達もいるものだからどうなんだろうかとか、
だけども手をさすることすらしていないのにそれを指示するだとか、
例えば手をさせている弟にこうした方がいいよだなんて絶対に言えないんですよ。
33:05
そこはそこの判断でやっていて、
その判断も私には少し遠いから、
的確には届かない情報で、
だからって言ってその情報が、
私が伝えたい情報っていうのは彼らにとって正しいものかどうかもわからないし、
だからお互い正しいことは言い合ってるんだけども、
それがこうフィットしていかなくて、
でもこれ以上もし弟や生きてるね、
生きてた時の父や母に何かを伝えたりとか正しいってことを、
私なりに正しいと言ったところで何にもならないなという、
だからとても選ぶっていうんですかね。
例えばその情報が正しかったとしても、
その治療によって伸びる命の時間っていうのはわからないし、
数週間だったかもしれないし、
でもそれを今そっちの治療に決めてる父とか兄弟たちの話の中に、
いやこっちの方がいいんだっていうのは、
例えばこっちの方がちょっと良かったとしても、
言って僕たちのその人間性で何でこんな時に言ってくるんだとか、
その場にもいないのに言ってくるんだって言われることを考えると、
言えないよねみたいになったりした瞬間もあったんですよ。
やっぱり私もその医療発信してる時にすごく感じることの一個の難しさで、
その優しさと正確さっていうのは決して整比例してないんですよね。
まさにその言葉がそうです。
正しいっていうのをどんどん追求していくとどんどん冷たくなっていくんですよ、情報は。
これ聞かない、これ聞かない、これ聞く、聞かないが試したらダメっていう、
そういう情報発信ってやっぱり限りなく冷たくなっていっちゃうんですよね。
逆に言うとめちゃくちゃ不正確な情報がめちゃくちゃ優しいことももちろんあるんですよね。
全然もう今の医療だと次の一点は全くないっていう患者さんに、
信じてこれを飲めばもしかすると助かるかもしれないっていう、聞かないかもしれないけど助かるかもしれないって、
何の意図があってそれを言ってるかにももちろんよるんですけど、
本当に悪気があって言ってるのはもちろん許せないですけど、
でもその不正確って先にもしかするとやっぱり優しさがあるかもしれないっていうのもあってね。
だから結局優しさって何だろうって私は結構情報発信の課題なんですけどずっと。
そこって正確さじゃないんですよね、そこにあるのは。
ただでもやっぱり間違わないっていう命を危険に晒すような情報に晒されてはやっぱり大変なことになってしまうので、
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なんとかそれを防ぎたいんですけど、だから正確なことを伝えたいけど、
そこに優しさを入れたいっていうのが私のずっとやってる課題ではあるんですよね。
情報発信の。
でもやっぱり正しい情報をおすかさんのように発信し続ける方がいらっしゃらないと、
これはやっぱり何かに飲み込まれていくので、ぜひぜひ。
本当だから、これ言われたことあるんですけどね。
正しい情報はもちろん大事だし、それを発信するのはいいんだけど、
やっぱり優しさを忘れないでほしいっていうか、
許容する、患者さんの気持ちをわかった上で許容するっていうことを常に頭に入れてほしいって言われたことがあって、
それが本当に重要なところで、
なんていうのか、ハンドルの遊びじゃないですけどね。
決してガチガチに行かないで、やっぱりある程度のしょうがないっていうところとか、
当然そういう情報に引っかかってしまうよねっていう理解とかも大事だと思うんですよね。
やっぱり限界になっちゃえばね、本当にもう正しさじゃないですからね、本当に。
追い込まれてしまえばね。
本当ですよね。だけど人は生きてきたわけだから、
死ぬ瞬間だったり死ぬこの数年っていうのがその人の人生を決めるわけではなくて、
例えば父は77で死にましたけれども、
76年間の積み重ねだったり、私が娘であった40数年間という積み重ねがあって、
ずっと後悔してたんですね、この最後の最後の瞬間にばかり。
そして私の意識も最後の瞬間が私にとって後悔するものだったがゆえに、
そこの部分が今までの良かった思い出を食いつくそうとしたんです。
後悔が、これまでの40数年間の喜びを蝕んでいこうとしてたんです。
本当に困ったなと思って、というのは良かったことすら忘れてしまった数日数ヶ月があって、
そしたらね、夢に出てきたんですよ、父が。
そして、父が生き返る夢なんですね。
生き返った時にすかさず私は夢の中で謝るんです、申し訳なかったと。
本当に後悔してるって、お父さん生き返ってよかったよ、このまま死んじゃったら、
私は後悔のまま、後悔が私の良かった思い出を全部食べ尽くしちゃうとこだったって言ったら、
父がキリッとした表情を見せて、いや、そういうことじゃないんだって、
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全くそういうことじゃないんだって言って、夢が終わったんです。
ごめんねと、早く帰ってこれなくてごめんねっていうことを何回も謝ったみたいなんですよ、夢の中で。
それに対して、いや、そういうことじゃないんだって言ったらしいですよね。
それで夢から覚めて、すごく満たされた気持ちになって、
死ぬ瞬間っていうのは数ヶ月だったり、瞬間というか死ぬ辛さっていうのが数ヶ月だったり、
私の場合は5、6年苦しんだのかもしれないんですけども、
自分の中でね、私たちが知らない時になんだけども、
それだけが彼の人生ではなかったわけだし、
そう思ったら、生きてきたっていうことは、
もう少し多角的に理解してみようかなーなんて思った出来事があったんです。
そこから少し気持ちが切り替わって、
そのことを生き残った母や弟に伝えて、
そうするとやっぱりそういうことじゃないんだっていう話になって、
みんなでそうだねーなんて言って、
ようやく前に向かっていったというか。
あともう一つ面白かったことで、
それはまさにお父さんの優しさだったんでしょうね。
ビートルズのポール・マッカートニーが
レッド・イット・ビーっていう歌があるじゃないですか。
ポール・マッカートニーがお父さんが亡くなった後に、
ビートルズがうまくいってなかった時に、
夢に出てきたって言うんですよね、死んだお母さんが。
それでお母さんが出てきて、
お母さんにそんなの気にしなくていいんだって言って、
それでそのままにしておけばいいんだよって言って、
レッド・イット・ビーって言葉がそこに出てきて、
それで歌にしたっていう話があるんですよね。
そこから私が受け取ったのは、
たぶんそのお母さんが、
本当にそこでもちろん言ったわけじゃないんですけど、
たぶんお母さんが生きてる間にずっと
ポール・マッカートニーにかけた優しい言葉の多くが、
たぶんその言葉を作ってるんですよね。
そうですよね。
たぶんずっとずっとそういうことをかけ続けてくれたから、
亡くなってもまだ子どもたちを救ってあげる言葉を
作り続けてるっていうことですよね、夢の中で。
面白い。本当にそうかもしれない。
だからまさにその話聞いた時にそれを思い出したんですよ。
きっとお父さんがずっと人生の中でいろいろ声をかけてた言葉が、
それの言葉を作ってるんですよね。
本当にそうだと思う。お父さん本当そうだ思い出した。
やっぱりそういうことではないってよく言うのよ。確かに。
例えば因果関係がないものを因果関係作ったりすることってありますよね。
よく日常生活でしょっちゅうあると思うんですよ。
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これを食べたから成績が悪かったんだとか、
あとは前の日にこういうことしたから今日こうなんだとか、
特に日本の社会に暮らすとそういう訳のわからない因果関係が多いですよね。
バチが当たるなんていうのも、
そうやって私たちは納得して暮らしてきたことがあるんだけど、
父はよくそういうことではないんだってよく言ってましたね。
だからきっとそのお父さんの優しさが今もずっと守ってるんですよ。
ありがとうございます。本当に。
だから結局困った時にその言葉が夢の中に出てきたっていうのは、
本当にまさにずっとかけてくれてた言葉が脳に残ってて、
それが結局その言葉につながってるんだろうなと思って。
確かに本当にそうかもしれない。
因果関係を断ち切るっていうのはそうかもしれない。
だから自分たちの子供にそういうポジティブな言葉をずっとかけ続けるのって本当に大事だなと思ってて、
きっとそれがいつか、私がもちろん生きてる間は私がかけてあげることができますけど、
もし私が亡くなった後でもね、困ることがあったりつらいことがあった時に、
もしかすると夢の中で私が出てきて、
いや大丈夫だよって声をかけてあげられるかもしれないなと思って。
その考え方素晴らしいですね。
ずっと続けてたからこそ、その声が聞こえないはずの場所でも聞こえるってことですね。
励ましの声だったり、優しさだったり助けがあったり。
その気持ちがね、ずっと伝わるんだと思うんですよね。
よくね、歴史の中にはね、夢で出てきてなんとかってありますけど、
あれって、なんか全く偶然ではなくてね、やっぱり因果っていうか、
その前にあったことがあったからこそそこにつながってるんだろうなぁと思うんですよね。
確かに本当ですね。
きっと守ってくれたんですよ。
本当に前を向く、ちょうど1ヶ月、なくなって1ヶ月目ぐらいの夢に出てきて、
あれはとても心を前に向かせてくれたなと思っていて。
意外と僕ドキッとしたのは、7歳の息子が、僕もさっきまでおじいちゃんとお世話してて。
世界があなたのスタディバディ。
日本語も英語ももっともっと話したくなる。
ひらくのスポンサードでお送りします。
お送りします。
はい、聞いていただきました。いかがだったでしょうか。
大塚さんのですね、最後にユリカさんがね、見た夢の話と、
そしてポール・マッカートニーの歌の話をね、つなげてくれたところが本当に
心に響く回になりました。
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そしてこの後、後半ではですね、さらに大塚さんの医療発信のお話と、
そして科学広報の、今度審査員になりますので、
審査員としてどういった今の科学広報に求められていること、
そして今後の受賞者、こんな科学広報をしている人たちを表彰したいという思いを聞かせていただいたので、
そういった話が後半で聞けると思います。
大塚さんを前につい心を開いてビッグバンしちゃったっていうやつですよ、私が。
ビッグバンでしたか。
ビッグバンです。
っていうのはね、ずっとお話ししたいなって思ってたんです。
この1年私はちょっと忙しくて、心がね、心がとても忙しくて、
でもふとした時に、これはちょっと大塚さんにお話しして聞いていただきたいなぁなんていう瞬間があったんです。
それが積み重なっていて、でもその時はとても心が散らかっていて、
大塚さんにお伝えするには、大塚さんも困ってしまうだろうなぁなんて思って、また次々いろんなことが起きていたから、
私としてもなかなか電話をしたりだとか、個人的に連絡を取るだなんてことができなくて、
ましてやメールなんか書き出そうと思ったら大塚さんに、自分で勝手にまとめちゃうじゃない、自分の気持ちを。
だからそれもできない状況だったから、
っていうのは例えばメールを書いてすぐにはパッて送信しないで、
2、3日回ってもう1回読み返してもう1回書くっていう作業しちゃうのよ、私はこういう時には。
そうすると多分2、3日後には変わってる感情だったのね、この1年間っていうのは。
なので、でもやっぱりいつもどこかで確実に大塚さんにお話ししたいなっていうふうに思っていたので、
父が亡くなって、そしてまたしばらく経って、
今日この日を迎えて大塚さんをね、わざわざお越しいただいて、お話をする機会を得たことにとって感謝しています。
本当にありがたい貴重な時間でした。たくさんアレンジしてくれてどうもありがとうございました。
本当に良かったです。もうゲストの方にこうやって来ていただいて、
人生相談をするという贅沢な時間をできるのも、
ポートキャストを2年以上やってきたからかなと思いました。ありがとうございます。
たくさん本当にありがとうございました。
こちらこそ。ということで大塚さんの出演会、またまた続きますので、
大塚さんの人柄とか声の良さとかそういったところに、
あと真面目さ、研究者として同じことをやり続けるみたいな情熱に関しても、
次の回に聞けますので、この後も楽しんで聞いていただければと思います。
あとここで大塚さんを初めて知った方、大塚さんは2度目のゲストになってますので、
初めてのゲスト会の時、またシーズン1ですね、
48:02
まだそれこそ僕の心の方が散らかってた頃にシーズン1というのを送ってます。
今シーズン2、シーズン3まで来てるんですけれども、
奏でる細胞の中で僕は人生の学びというものを詰め込んでいまして、
僕がいろんなゲストから学ぶそういう過程を聞けるかもしれないので、
過去の回というのも興味を持ったら聞いていただければと思います。
以上、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
お相手は科学教室の先生、たつとゆりかでした。
バイバイ!バイバイク!
バイバイクって言わないと子供がさ、バイバイクは?って言われたんだよね。
48:54

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