それで合計書くのはまあ多分50ページぐらいですかね。
申請書として書くのね。だからそう考えたらとんでもない額ですよね。1ページ。
1ページ200万300万ぐらいって言っていいんですかね。そんな現行料もらえることないですもんね。
でもまあほとんど落ちますけどね。
そうですねだからちょっとまず私のあれを言っておくといいかもしれないですけど、
もともとは私の方は日本で農芸会をしてたんですけど、
今はこちらでアメリカの方で農師を農にできるがんに対しての新薬を作るという仕事をしています。
研究室をアラバマ大学バーミハム校というところで主催してまして、
今話してたのは研究費、研究するためのお金が必要なんですけど、
それをどこから振ってくるわけでもないので、
アメリカのガバメントの方に申請書を書いて、
これは面白いだろうって書いて、向こうが面白いってなるとお金をくれると。
そうすると研究ができるという仕組みになってますよね。
そうですね。やっぱり2年前に出てくださった、あの頃に独立されたんですよね。
そうなんですよ。ちょうど2年前ですね。
だから2022年の10月に独立してるんで、ちょうど2年経ったところで、
もうラボもだから徐々に徐々に大きくなって、
今メンバーも5人今働いてて、
もうミーティングするだけでも忙しくて一人一人と。
大塚さんの発表がこのインディアナの隣のシンシナティであるって言った時に、
僕ホテルまで撮ったんですけどね、ちょっと予定が悪くて行けなくなっちゃって。
今年シンシナティの方に呼んでいただいて、佐々木先生の方にね。
シンシナティの方でも今やってる研究の話をさせてもらって、
田畑さんに会えるかなと思って。
行こうと思ってたんですよ、本当に。
いやいやいやありがとうございます、本当に。
ちょっとね、ガンの研究の話も少しある方でしていただこうと思ってたんですけども、
今回呼ばせていただいたのは科学広報省ですね。
僕ね、大塚さんのことを研究者、これまでかなでる細胞に来てくれた研究者の方々を、
例えば今出てきた佐々木敦夫さんはですね、三浦和義で例えてるんですね。
三浦和義?
そう。
サッカー選手。
サッカー選手で例えてきてるんですけど、
大塚さんも実はですね、かなでる細胞で大スカーンっていうあだ名がついてまして。
マジっすか?そんなあだ名がついてたんですか?
これはね、本当は今の日本代表とか若い世代で例えたかったんですけど、
これね、世界のオリバーカーに例えさせていただいて。
マジっすか?オリバーカー出てきちゃいましたか?
もう古いよ、分かんないよってみんなに突っ込まれちゃったんですけど、
本当に患者さんがこれ見て死んじゃったら大変なことになるなっていうところから始まって、
Facebookでコツコツ書くようになって、
そうしたらだんだん見てくれる人がどんどん増えていって、
そこから最終的にはブログに行って、それでTwitterに行って、
Twitterに行ってからですよね、すごい広がったのが。
本も出版されましたよね。
そうですね、あれはもう結構前になりますけど、4年前かな。
宇都賀先生と勝的先生と一緒に世界の化学研究を調べて、
分かった最高のがん治療っていう本を出させてもらって。
最高のがん治療っていう、このタイトルをつけた理由がまた素晴らしいと思ったんですけど。
そう、これ結構お医者さんの方に最高のがん治療ってタイトルつけるって結構どういうこと?みたいに言われて、
お医者さんの中ではね、最高の何とか最高の食事とかね、
ああいう感じのって結構怪しげな本が多くて、
そうなんですよね。
あんまり科学的じゃない本がね、物によくつけられるタイトルで、
だからなんでそんなタイトルにしたのって、
普通そういうタイトル一緒だとつけないので。
ただ結局その時思ったのは、いろいろな人と話したら、
がん患者さんって結局本屋さんで何探してるんだろうっていうのを考えると、
がん患者さん探してるのは結局最高の治療なんですよね。
治る治療を探してて。
結局そういうがんの解説本みたいなのを丁寧に書いてても、
結局そうじゃなくて、
助かるのは何なんだってみんな必死で探してるので、
そうなった時にやっぱり手に取ってもらえるタイトルつけて、
その中に書いてあるのは別に怪しいもんじゃなくて、
標準治療こそが、
科学エビデンスに基づいた治療こそが最高の治療なんですよっていうのを知ってもらうっていう、
とにかく手に取ってもらうためにっていうね。
やっぱ大塚さんがTwitterとかで患者さんたち、
本当に困ってる患者さんたち、
過去に騙された経験があって、
その後ちゃんと病院に戻ってきて、
早く治療すればよかったって後悔されるような方々の気持ちを、
すごい寄り添ったからこそ分かる、
本当に困ってる人たち、
そして自分はあんまり医療とかが得意じゃないから、
どんな本を読めばいいか分かんないと思っている人たちが取っちゃう怪しげな本の棚に並んでも、
それでもなおかつ目に引くような、
怪しい本のデザインまで真似して、
その赤色で、
そして最高のがん治療というタイトルも、
怪しい本の代表みたいな名前をわざとつけて、
本当の治療法っていう、
こうすると騙されるよっていうのをバーンって入れる、
その手法というか、
その相手方のやり口を分析した上で、
そこに乗っかっていくっていうところが、
僕は感動しました本当に。
ありがとうございます。
本当に誰のために書いてるんだろうなっていうところがやっぱりね、
パーティーですよね、年度の終わりの。
それに行った時に、
アメリカの高校生ってまたさらにね、
ティーネイジャーとしての若さにあふれてるじゃないですか。
すんごい8期年ばかりの若さにね。
それ見た時に、やっぱりティーネイジャーのパワーって凄まじいなっていうね。
逆になんかその、
日本に帰ると、
私が住んでた街はそもそも、
バブルの前世紀の頃にできたベッドタウンみたいなとこだったんで、
みんながみんな同じような世代の人たちが住んでて、
それがみんなみんなお年になってて、
すごいお年寄りの人が多いんですよね、実家に帰ったりすると。
それ見ると、日本のレパートとか行った時とかスーパーとか行った時に、
みんながみんなすごいお年寄りの環境になってるのと、
アメリカでティーネイジャーがすごいあふれてるところっていうのを見ると、
なんかすごいパワーの違いっていうかね、感じる時ありますよね。
ありますね。まさにそれに飲み込まれた半年だったので。
ゆいかさんなんかもうヘトヘトになってしまって、
その後お葬式があったっていうのもあるんですけど、
国を越えてアメリカで生活してて、いいことも悪いこともいろいろあるんですけど、
こういう帰国っていうのはとてつもなくエネルギー使うというか、
アメリカ住んでてアメリカ最高でアメリカ良かったねと言えきれないものが一気にやってくると言いますか。
やっぱり親の近くにいれなかったとか、
こういう時に兄弟とかがね、すごい何度も通ったりして世話をしたりして、
僕らも一緒にお家の掃除とかいろんな片付けとかをやるんですけど、
その時に兄弟たちが親のそばにいてくれてよかったなとか、
そういうのはすごい感じられる瞬間とかもあって、
これができないのは海外暮らしのつらいところだなって思ったりするところも感じるところがあったり。
結局海外に住んでると何かあった時にすぐ駆けつけられないっていう、
本当に根本的に駆けつけられないですしね。
やっぱりいきなり戻るって言ってもね、
やっぱり子どもたちのいろいろ日常がある中でね、
全てをリセットしていきなり行くっていうのがね、簡単ではないですからね。
まさに大塚さんにお話ししたいなと思っていたのが、
この手をさすることもできない時に情報を父に与えるっていうのもできなくてね。
父がこの薬飲んでるああだこうだって。
葛藤したいよね。
私たちも調べるったりとか、
周りにお医者さんのお友達もいるものだからどうなんだろうかとか、
だけども手をさすることすらしていないのにそれを指示するだとか、
例えば手をさせている弟にこうした方がいいよだなんて絶対に言えないんですよ。
そこはそこの判断でやっていて、
その判断も私には少し遠いから、
的確には届かない情報で、
だからって言ってその情報が、
私が伝えたい情報っていうのは彼らにとって正しいものかどうかもわからないし、
だからお互い正しいことは言い合ってるんだけども、
それがこうフィットしていかなくて、
でもこれ以上もし弟や生きてるね、
生きてた時の父や母に何かを伝えたりとか正しいってことを、
私なりに正しいと言ったところで何にもならないなという、
だからとても選ぶっていうんですかね。
例えばその情報が正しかったとしても、
その治療によって伸びる命の時間っていうのはわからないし、
数週間だったかもしれないし、
でもそれを今そっちの治療に決めてる父とか兄弟たちの話の中に、
いやこっちの方がいいんだっていうのは、
例えばこっちの方がちょっと良かったとしても、
言って僕たちのその人間性で何でこんな時に言ってくるんだとか、
その場にもいないのに言ってくるんだって言われることを考えると、
言えないよねみたいになったりした瞬間もあったんですよ。
やっぱり私もその医療発信してる時にすごく感じることの一個の難しさで、
その優しさと正確さっていうのは決して整比例してないんですよね。
まさにその言葉がそうです。
正しいっていうのをどんどん追求していくとどんどん冷たくなっていくんですよ、情報は。
これ聞かない、これ聞かない、これ聞く、聞かないが試したらダメっていう、
そういう情報発信ってやっぱり限りなく冷たくなっていっちゃうんですよね。
逆に言うとめちゃくちゃ不正確な情報がめちゃくちゃ優しいことももちろんあるんですよね。
全然もう今の医療だと次の一点は全くないっていう患者さんに、
信じてこれを飲めばもしかすると助かるかもしれないっていう、聞かないかもしれないけど助かるかもしれないって、
何の意図があってそれを言ってるかにももちろんよるんですけど、
本当に悪気があって言ってるのはもちろん許せないですけど、
でもその不正確って先にもしかするとやっぱり優しさがあるかもしれないっていうのもあってね。
だから結局優しさって何だろうって私は結構情報発信の課題なんですけどずっと。
そこって正確さじゃないんですよね、そこにあるのは。
ただでもやっぱり間違わないっていう命を危険に晒すような情報に晒されてはやっぱり大変なことになってしまうので、
これを食べたから成績が悪かったんだとか、
あとは前の日にこういうことしたから今日こうなんだとか、
特に日本の社会に暮らすとそういう訳のわからない因果関係が多いですよね。
バチが当たるなんていうのも、
そうやって私たちは納得して暮らしてきたことがあるんだけど、
父はよくそういうことではないんだってよく言ってましたね。
だからきっとそのお父さんの優しさが今もずっと守ってるんですよ。
ありがとうございます。本当に。
だから結局困った時にその言葉が夢の中に出てきたっていうのは、
本当にまさにずっとかけてくれてた言葉が脳に残ってて、
それが結局その言葉につながってるんだろうなと思って。
確かに本当にそうかもしれない。
因果関係を断ち切るっていうのはそうかもしれない。
だから自分たちの子供にそういうポジティブな言葉をずっとかけ続けるのって本当に大事だなと思ってて、
きっとそれがいつか、私がもちろん生きてる間は私がかけてあげることができますけど、
もし私が亡くなった後でもね、困ることがあったりつらいことがあった時に、
もしかすると夢の中で私が出てきて、
いや大丈夫だよって声をかけてあげられるかもしれないなと思って。
その考え方素晴らしいですね。
ずっと続けてたからこそ、その声が聞こえないはずの場所でも聞こえるってことですね。
励ましの声だったり、優しさだったり助けがあったり。
その気持ちがね、ずっと伝わるんだと思うんですよね。
よくね、歴史の中にはね、夢で出てきてなんとかってありますけど、
あれって、なんか全く偶然ではなくてね、やっぱり因果っていうか、
その前にあったことがあったからこそそこにつながってるんだろうなぁと思うんですよね。
確かに本当ですね。
きっと守ってくれたんですよ。
本当に前を向く、ちょうど1ヶ月、なくなって1ヶ月目ぐらいの夢に出てきて、
あれはとても心を前に向かせてくれたなと思っていて。
意外と僕ドキッとしたのは、7歳の息子が、僕もさっきまでおじいちゃんとお世話してて。
世界があなたのスタディバディ。
日本語も英語ももっともっと話したくなる。
ひらくのスポンサードでお送りします。
お送りします。
はい、聞いていただきました。いかがだったでしょうか。
大塚さんのですね、最後にユリカさんがね、見た夢の話と、
そしてポール・マッカートニーの歌の話をね、つなげてくれたところが本当に
心に響く回になりました。
そしてこの後、後半ではですね、さらに大塚さんの医療発信のお話と、
そして科学広報の、今度審査員になりますので、
審査員としてどういった今の科学広報に求められていること、
そして今後の受賞者、こんな科学広報をしている人たちを表彰したいという思いを聞かせていただいたので、
そういった話が後半で聞けると思います。
大塚さんを前につい心を開いてビッグバンしちゃったっていうやつですよ、私が。
ビッグバンでしたか。
ビッグバンです。
っていうのはね、ずっとお話ししたいなって思ってたんです。
この1年私はちょっと忙しくて、心がね、心がとても忙しくて、
でもふとした時に、これはちょっと大塚さんにお話しして聞いていただきたいなぁなんていう瞬間があったんです。
それが積み重なっていて、でもその時はとても心が散らかっていて、
大塚さんにお伝えするには、大塚さんも困ってしまうだろうなぁなんて思って、また次々いろんなことが起きていたから、
私としてもなかなか電話をしたりだとか、個人的に連絡を取るだなんてことができなくて、
ましてやメールなんか書き出そうと思ったら大塚さんに、自分で勝手にまとめちゃうじゃない、自分の気持ちを。
だからそれもできない状況だったから、
っていうのは例えばメールを書いてすぐにはパッて送信しないで、
2、3日回ってもう1回読み返してもう1回書くっていう作業しちゃうのよ、私はこういう時には。
そうすると多分2、3日後には変わってる感情だったのね、この1年間っていうのは。
なので、でもやっぱりいつもどこかで確実に大塚さんにお話ししたいなっていうふうに思っていたので、
父が亡くなって、そしてまたしばらく経って、
今日この日を迎えて大塚さんをね、わざわざお越しいただいて、お話をする機会を得たことにとって感謝しています。
本当にありがたい貴重な時間でした。たくさんアレンジしてくれてどうもありがとうございました。
本当に良かったです。もうゲストの方にこうやって来ていただいて、
人生相談をするという贅沢な時間をできるのも、
ポートキャストを2年以上やってきたからかなと思いました。ありがとうございます。
たくさん本当にありがとうございました。
こちらこそ。ということで大塚さんの出演会、またまた続きますので、
大塚さんの人柄とか声の良さとかそういったところに、
あと真面目さ、研究者として同じことをやり続けるみたいな情熱に関しても、
次の回に聞けますので、この後も楽しんで聞いていただければと思います。
あとここで大塚さんを初めて知った方、大塚さんは2度目のゲストになってますので、
初めてのゲスト会の時、またシーズン1ですね、