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2024-08-29 35:07

#16 宮大工集団でブランドマネージャーを担当。都会でキャリアを積んだ彼女が京都市左京区に移住した理由とは(有限会社匠弘堂 富沢真由さん)

今回のゲストは、新卒で大手消費財メーカーに就職し、都会暮らしを経験したのち、価値観やライフステージの変化に伴い、京都に移住。現在は「京都の宮大工集団」有限会社匠弘堂でブランドマネージャーを務める富沢真由さんです。子育て、古民家暮らしを楽しみながら、キャリアアップにも挑戦している富沢さんが考えるよりよい暮らしとは。


▼今回のトーク内容

自己紹介/新卒で大手消費財メーカーに就職/営業からマーケティングへ/福岡、東京の暮らし/30歳になる前に/ワクワクする仕事を探す/どこで暮らすのが幸せか/日本の伝統を次世代につなぐ会社へ/旅が好き/匠弘堂に転職/京都暮らし/キャリアや生き方に悩む人へ/古民家をリノベーション/さらなるキャリアアップ


▼出演

ゲスト

富沢 真由 Mayu Tomizawa

兵庫県出身、神戸大学 経済学部卒。消費財メーカーにて営業(大阪・福岡)・マーケティング(東京)に従事した後、2016年に「日本の伝統を次世代につなぐ」株式会社和えるへ入社、同時に京都へ移住。2024年には、「京都の宮大工集団」有限会社匠弘堂に入社し、広報・経理・イベント運営企画など、設計・大工仕事以外何でも担当。保育士資格も保有しており、子どもが大好き。プライベートでは、庭師の夫とともに子育てを楽しむ二児の母。左京区に古民家を購入し、京都暮らしを満喫中。


匠弘堂のインスタアカウント

https://www.instagram.com/kyoto_shokodo

富沢さんのお家リフォームアカウント

https://www.instagram.com/rokko_kyoto


メインパーソナリティ

中村千波:⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/chinamaily⁠⁠⁠⁠

京都に生まれ、大学卒業まで一貫して京都で過ごす。学生時代から「納得できるキャリア形成」に強い興味を持ち、人材業界へ就職。東京・大阪での勤務を経験し、京都へUターン。「これもいいし、あれもいい。」多様性が生まれる生き方・働き方を探究・探求している。


▼番組概要

京都の様々なプレイヤーが集まり活動している様子や「居・職・住」について、鴨川でゆっくりしながら雑談する番組。記事に載せきれなかったことや、日々の生活のことなど、音声コンテンツならではの情報もお届けします。ホストは「京都移住計画」のメンバーが務めます。


▼京都移住計画

WEBサイト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kyoto-iju.com/⁠

サマリー

今回のエピソードでは、商工道でブランドマネージャーを務める富沢真由さんのキャリアと京都移住の理由について深く掘り下げます。彼女は様々な地域での勤務経験があり、特に営業からマーケティングへのキャリアチェンジについてお話しします。都市でのキャリアを経て京都市左京区に移住した富沢真由さんは、宮大工集団でブランドマネージャーとして働く理由やライフスタイルの変化を語ります。彼女の話からは、自然豊かな環境への移行がもたらす心の豊かさや職人との繋がりの重要性が伝わってきます。京都市左京区への移住を選んだ富沢真由さんは、子育てや伝統行事の環境を重視し、新たなキャリアを築く意義を述べます。彼女は心地よい感情を大切にしながら自己実現を目指し、京都でのライフスタイルの向上に取り組んでいます。

富沢真由の紹介
鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間がやってきました。本日のパーソナリティは中村が務めます。よろしくお願いします。
鴨ラジオではゲスト会と称して、京都移住計画でお世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びして、それぞれの京都移住話を伺います。
今回は全国から若手の宮大工が集い、働く商工道さんでブランドマネージャーを務める富沢真由さんをゲストにお迎えしました。
複数の企業で働かれた経験であったり、子育てをしながら伝統産業に関わる富沢さんのキャリアへの思いであったり、暮らしについてじっくり伺います。
富沢さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずは最初に富沢さん自身の簡単な自己紹介を聞きたいと思います。
私は仕事では中村さんからの紹介にもあったように、京都の宮大工集団である商工道という会社でブランドマネージャーを務めております。
ブランドマネージャーって言うと、なんだろうって思われるかもしれないんですけれども、設計とか大工仕事以外ですね、経理であったり、イベントの企画運営であったり、バックオフィスのようなことを主に担当していて、中でも広報の部分が特に力を入れていて、
インスタグラムの運営だったり、発信というところも担当しております。
ありがとうございます。いきなり宮大工の会社で働いています。自分は大工ではないんですけれどもっていう、すごく面白いキャリアの部分をお話しいただいたかなと思っているんですけれども、
富沢さんは今回ゲストにお呼びをしたのが、今されていることよりもさらに遡ったときのお話もすごい面白いなと思って、
はい。私はいろんな観点から伺いたいなと思ってゲストで出演をいただいているんですけれども、そもそもの富沢さんは出身地は京都なんですか?
京都には2016年から住み始めているので、もともと出身は兵庫県で、大学を卒業するまではずっと兵庫県に住んでおりました。
大学卒業されてからでいくと、まず会社に就職をされたっていう形ですかね。
大学を出たのが2010年なんですけど、新卒で入った会社は割と大きめの会社で、日用品メーカー、消費材メーカーですね。
そこで最初の配属先は大阪、その後福岡に行ったり、東京の本社に行ったりという、転職して今に至るという感じです。
なるほど。いろんな県をまたぎながら仕事されてきたっていうことだと思うんですけど、一生命を選ばれたのはどんな理由からですか?
大学生の時にあまりいろんな企業のことを知らなくて、よく耳にする会社ですね、企業名を耳にする有名な会社にしかあまり知らなかったんでしょうね。
なので、人のためになって身近な人が喜ぶようなものを作っている、知っている会社っていうところで選んだっていうのが大きいですね。
あんまり深く自分が本当に好きなことを追求できていたかっていうと、その時はまだこれがやりたいっていうふうに明確に思えることがなかったっていうのが、今振り返るとありますね。
最初はそういった思いで、ある種キャリア感っていうんですかね、たくさんの仕事を知っているわけじゃないけど、一旦はこういった形のところを大事に仕事を選ぼうかなと入られて、何年ぐらいあったんですか?
そうですね、6年近くはいましたね。
その間に3県を経験されてっていうことですよね。
職種も、最初は営業職として入ったんですけど、その後数年、九州支店っていう福岡ですね、担当は大分だったんで、福岡から大分に毎週行くみたいな感じで営業をしていて、
ただずっと営業っていうのもどうかなって、自分のキャリアを考えたときに、キャリアチェンジの提案ができるような会社だったので、そこでちょっと商品を作る側ですね、マーケティングの方にも興味があったので、本社への移動っていうので、マーケティング部への移動をしたいっていう提案をして、
マーケティング部が東京の本社にあったので、そこで部長が変わって、住む場所も変わってっていう感じでしたね。会社に言われるままにというか、自分の希望でもこんな仕事したいっていうのを提案するっていうのはしてましたね。
一番最初の仕事を選ぶときの基準って、たくさんの人が名前を知ってたりとか、人々の生活に寄り添ってるみたいな価値観というか、そこの部分を大事に入られたと思うんですけれども、営業じゃないキャリアの部分を見てみたい。これ、どういった後々のキャリアとか、こういう生活ができるということばかりはわかんないんですけど、何を目指してそこのキャリアチェンジを選ばれたんですか?
まず営業からマーケティングっていう意味では、やっぱり営業って、やっぱり数字がわりと大事で、競合より多く、私たちは消費材メーカーだったので、たとえばドラッグストアさんのこの棚のこんだけの面積をとってこいみたいな、そういうのがあって、競争好きな人は楽しめるかもしれないんですけど、
私、まだそのとき20代前半で、いろんな競合の方、会社の方いらっしゃって、すごい年上の方とか、いろいろいらっしゃるんですけど、やっぱり自分って会社の名前がないと、何々社の社員っていうのがあるから、そういう多くのシェアをいただけるだけであって、そこにちょっと違和感もあったりしつつ、
競争がそもそもそこまで楽しめるタイプではないというのが、まだ営業してわかってきて、それなら価値を生み出すっていう、また別の仕事が、社内大きい会社だったので、マーケティングもあるので、
例えばパッケージをデザインしたりとか、こういうふうな広告をしたら、もっと売れるとか、そういうちょっと別の仕事でチャレンジしてみようかなっていうのがあって、前向きなキャリアアップという、キャリアステップというかなんですけど、そこを考えてた気がしますね。
実際に働いてみて、見えてきた自分の特性であったりとか、それであればこう目指そうかなっていうところが、今回いろんな地域をまたいで職種を変えてっていうのに、キャリアとしてもなっていかれたんだなと思った中で、今回のお話を多分聞いてくださっている方、ラジオですかね、でいくと関東にもお住まいの方多かったりはするので、
多分みなさん想像されてるのかなと思うんですが、それぞれのいろんなエリアを経験されたと思うんですが、それぞれの特徴であったりとか、どんな生活とか印象とかでいくと思い返してみると、どうでしたか?
仕事というか、住んだ場所っていう視点でですよね。
そのときの私のライフステージとして、まず20代、あと独身、彼氏もいない、みたいなことがあったんで、そういうライフステージでっていうお話なんですけど、福岡に住んだときは、天神というところがわりと繁華街のエリアで、
私が住んだのは、役員っていう天神まで歩いたり、博多までも車で5分ぐらいのところだったんですけど、やっぱりすごく一人身にとってはすごく楽しい、飲み屋さんがいっぱいあったり、雑貨屋さんがあったり、そういうところで、福岡は、というか、九州はすごく週末になると、ちょっと車を走らせたら、海があったり山があったりするので、
住むのは、とっても心地がよかったというか、街はすごいコンパクトだし、ちょっと車で走れば、県をまたいで、遊びにも行ける、自然とふれあえる、みたいなところは、すごいよかったなと思います。
そこからの東京ですよね。
東京も、すごく、私も都会出身ではないので、どうだろうと思ったんですけど、
会社は港区にあって、ものすごくビルがたくさんのところで、住むところまで、あまりビルの中で生活するのは、たぶん私は自然にもすごく好きなので、ちょっと難しいかなと思って、
ちょっと下町なら、関西出身の自分にも合うかなと思って、浅草、蔵前、あのあたりに住んでいて、
いいですね。
隣が川なので、ちょっと視界も開けているっていうところを選んだんですけど、やっぱり都会は都会でしたね。
でも、アクセスがすごくいいので、東京って、車もいらないですし、自転車もめったに乗らなくてもいいぐらい、どこでも電車で行けて、
人もたくさん集まっているので、わりと同業種の方としか、あまり出会うことはなかったんですけど、今も東京に友人たちはたくさんいて、っていう感じですね。
ありがとうございます。
そこから確か6年間は、一社目にいらっしゃって。
6年、5、6年ですね。
転職をする、何かきっかけがやってくるんだろうなっていうのを、見たりはしてるんですけど、
それは、ちなみにいつぐらいに、2社目のところにキャリアチェンジをしようかな、っていう出来事がやってきたんですか?
そうですね。
まあ、転職したのが、たしか28歳ぐらいのときで、そのときまだ独身でもあったので、漠然と女性であるということもあり、
30前に、今後どうしようということを考え始めた年が、その27、8ぐらいだったんですよね。
やっぱり、自分の人生考える上で、やっぱり働くっていうことは、私の中では続けたいことだったので、
いずれ子供を産んだりしても、働き続けたいなって思っていたので、
そのときに、今後10年先、20年先、どうなっていたいのかなっていうのを、本当に考えたっていうタイミングではありましたね。
そのときに、営業マーケティングを大きめの会社で経験してたんですけど、やっぱりこれ向いてないんじゃないかっていうのは、ちょっと思い始めていて、
もちろん会社が大きいので、お給料も本当にありがたいことに恵まれているなって感じてましたし、すごくいい会社だったので、
会社がどうこうっていうのはないんですけど、単純にマーケティングも、やっぱりシェアを争ったりとかするんですよね。
先週に比べて何%自社のシェアが伸びてとか、そこに今後10年、20年後も、面白さを感じながら、
お仕事をワクワクしながらできるかって思うと、やっぱりちょっともやもやしている自分がいて、
それって、自分にとってっていうだけじゃなくて、会社にとっても、もやもやした社員が働いてるよりも、これがすごく好きでやってるっていうような、
そういう方がいたほうがいいっていうのも感じて、お互いにとってっていうことなんですけど、
なので、自分が本当に心が動いて、ワクワクしながら働ける仕事っていうのだったら、ずっと続けられるんじゃないかって思ったんですね。
そのあたりから、ちょっと転職っていうことも考え始めました。
あとは単純に、やっぱりいろんなところに転勤で、会社にね、言われるがままって言ったら、すごく受動的なんですけど、
実際そうなっていて、あなた福岡ねって言われて、はい、福岡行きます。
じゃあ、マーケティング行けるから、東京ね。はい、東京行きます。
それって、自分の意思はどこまであったんだろうっていうところがあって、
関西への移住
で、そのときにもう一つ考えたのは、自分はどこで働くと幸せなんだろう、エリアですよねっていうのも同時に考えて、
で、そのときに、私、家族がすごく、実家というか好きで、関西も好きだったので、
やっぱり関西が好きっていうことを再認識して、かつなんか実家にも、帰りたいときにすぐ帰れるような、そんな距離感もいいなって、それが自分にとってすごく大事だなっていうのも同時に思って、
いろんなことが重なって、関西方面に転職しようみたいな感じにはなりましたね。
一つ節目になったのは、よく言われる30の壁。
それは全然、私も最近32歳になったんですが、何か年齢を重ねたからといって、ガラッと何かが変わるわけではなかったりするじゃないですか。
けれども、そういった、一応節目と言われているものを迎えるにあたって、長い視点に変わられたっていうのが、
10年、20年っていうのまでは今まで考えず、目の前のことを頑張っていたけど。
そうですね、一生懸命で。
その中で、まず自分の適性に合っているかとか、本当に思いを乗せられるか、そしてそれがどこの会社でというより、どの場所のものか。
場所も大事ですよね。
っていうのが出てきはったと思って、そこからどういった会社に入られるんですか?
そうですね、2社目になったところは、株式会社アエルといって、日本の伝統次世代につなぐっていうことがコンセプトにしている会社ですね。
なので、会社の規模も、1社目の会社とは全然違って、従業員も数人っていうところで、ベンチャー企業って呼ばれるような小さい会社に転職しました。
で、なんでその会社がいいって思ったかっていうと、
自分が本当に何が好きかっていうのを、30万円で考えたっていうときに、やっぱり私、もともと旅がすごく好きで、
バックパッカーとして海外に行ったりとか、それこそ薬師マンにずっと子供のときから憧れがあって、
山に1人で行って、山を登ってとか、そういうわりと旅行が好きで、
日本でいうと、各エリアにしかない魅力に、けっこうプライベートでは出会ってたんですよね。
なので、そこでしかないものとか、そこでしかない景色とか、そういうのに多分出会いに行っていて、
そういう旅先で器を買ったりとかして、でもそれはそこの現地の職人さんが作ってたりっていうので、
わりともともと職人さんの手仕事とかは好きだったんですよね。
会えるが、ちょうど日本全国の職人さんたちと一緒に、オリジナルの日用品ですね。
子供のときから使えるような日用品を作って、届けるっていうことをやっていたので、
職人さんたちと一緒に仕事ができるし、全国のしかも職人さんたちなので、
出張でいろんな日本の各地に行って、そこの現地の職人さんたちと会える。
しかも子供たちにそれをつないで、日本の未来を担う子供たちに、
そういったいいものを残せるっていうことにすごく魅力を感じて、
なので、そこの会社に転職しました。
移住の背景と育児
なるほど。
好きなことを仕事にできるって思って、わりと直感的に動くタイプなので、
いいって思ったら、そこから早いですよね。
そこがビビッときたんだなと思いますし、
そうですよね。3社目となる商工堂さんですかね。
ここはどういった経緯があって、キャリアチェンジをされたんでしたか?
そうですね。2社目、会えるっていうところに転職したときは、
まだ私一人で独身であって、子供ももちろんいなかったんですけど、
3社目の商工堂に転職したのは、ちょうど2人目の子供が生まれて、
育休をちょうど終えたぐらいのタイミングからなんですよね。
そのときのきっかけ、商工堂に転職したきっかけっていうのは、
やっぱりライフステージの変化がわりと大きかったですね。
2人目の子供を出産して、それで育休明けぐらいのときに、
京都市の査協区のほうで、小民家を購入したんですね。
いいですね。
その場所っていうのが、街からは片道40分、1時間かからないぐらいの場所なので、
通勤時間をちょっと減らして、子供たちとの仕事の時間も増やしたいっていうのもあって、
自然との調和
そういうので、ちょっと働く先を探してたっていうのはありますね。
この1社目から2社目、そして2社目から3社目のところでも、たくさんの変化が起こってると思うんです。
たくさんの中の分解をすると、それこそ、もともといた地域を移動するとか、移住をしたっていうところ、
あとは会社の規模感が全く違うところに飛び込むっていうところとか、
特に今の3社目とかですと、いらっしゃる方の属性みたいなところがまた変わったり、
多様な人との交流っていう。
日々、京都移住計画でもキャリアであったり、移住の相談を受ける中で、
今の環境のままのほうが、変化のストレスが少ないし、いいんじゃないかっていうところも抱えながら、
相談を受けることが多いんですけれども、
富澤さんがこれだけいろんなものを変えてこられた中で、
自分の中で怖さとかなかったのかっていうのもそうですし、
どう乗り越えてきたり、それを適応したりされてきたのか、そのあたり振り返るとどうですか?
今、まとめてくださったので、そんなにたくさん変化があったんだと再認識しておりまして、
立ち止まらないと見えないですよね。
怖さっていうのは、私はなかったですね。
変化に対する怖さよりは、ちょっとわくわくのほうが勝つ性格でもあるので、
もともと動いてみなきゃわからないっていう性格があるので、
ずっともやもやを抱えているっていう状態よりは、一歩踏み出して、ちょっと変化を感じて、
それが合う?合わない?あると思うんですけど、合わなかったら戻ればいいみたいな。
合うんだったら、そこを進めばいいっていう感じでやってきたので、
本当にその怖さっていうのはなかったですね。
なるほど。今のすごくいい言葉だなと思ったのが、
戻ればいいっていうところが、人によっては逃げなんじゃないかっていう方も多分いらっしゃるなと思ってて、
でも別にそれは逃げなわけじゃなくて、いろんな選択肢が、仕事変える、会社変える、場所変える、戻ってみる、前の会社行くっていう、
もう選択肢の一つでしかないから、そこに良い悪いはないんやなっていうのを、
このラジオはいろいろ発見がある場所ですねと思いながらではあったんですが、
そういうふうにご自身の気持ちの中では、環境も含めて変化あったけれども、受け入れてこられたっていうことなんですかね。
はい。さっきの中村さんのお話で言うと、戻るっていうことをやったかなって、自分ちょっともう一回振り返ってみたんですけど、
結局やっぱり動いてみると、なんかそっちのほうが、私は、私はなんですけどね、良かったので、戻るってことは、確かにやってはこなかったですね。
選択肢としてはあったんですけど、やっぱりもやもやした状態で一歩踏み出してるので、私の場合は。
なので、なんかちょっとでも良くなるっていうことじゃないのかなと思っていますね。
またもやもやした状態に戻るって、そういえば振り返ってみるとあんまりなかったですね。
踏み出してみたら、なんかわりとうまくいったことが多かったので、
でもやっぱりそれは勇気がいることかもしれないので、人にはよっちゃうと思うんですけど。
そこの意思決定というか、今までいろんな選択をされてくるときに、一人で決めることが多かったですか?
そうですね。わりと自分のことなので、結婚しようが、子供がいようが、やっぱり自分の進むべき道は自分だし、
自分が抱えているもやもやって、あんまり他人に理解してもらうのって難しいかな。
アドバイスはもちろんいただくことはあるんですけど、結局決めるのは自分になるので、
わりと自分では決めてきたほうかなと思います。
ただ、2社目から3社目っていうときに、1つすごく良かったなって思うのは、
身内でもなく、友人でもない、初対面の方ですね。
ちょっとそれは、キャリアコンサルタントさんっていう肩書きを持っている方と、ちょっとご縁があって、
一度つながって、その方の無料で、初回無料ゾーンみたいなのがちょうどあって、
全く会ったことも話したこともない方に、もやもやとかちょっと悩みを話したら、すごくすっきりして、
それはすごくいい機会だったので、どうしても悩みって、友達とか身内とかに話しがちなんですけど、
そうすると、わりと余計迷いが大きくなったり、
よかれと思って、いろんなアドバイスをくれるので、実は決定しにくかったり、やっぱりやめとこうかな、みたいになっちゃったりするんですけど、
第3社の方に話すっていうのは、すごく良かったなって、そういえば思いました。
なるほど。第3社の方が、変な感情とか思い出、今までの関係性的によく知ってるしみたいな。
ものがなく冷静に判断ができるのもそうですし、
ちょっと前の話での、実はこのもやもやを引きずる方が、長期で見ると自分は幸せでなかったりとかするのであれば、
ちょっと行動してみたら、実はそっちの方に気持ちが適応していくみたいな発見もあられて、
そうですね。
ありがとうございます。キャリアの価値観の部分は、時間が足りないなってすごく感じたので、
少し京都でのこの暮らしみたいなところを伺っていけたらと思ってるんですけれども、
もともと東京にいらっしゃって、そして今現在いらっしゃるのって、
このラジオを聞かれている方の中で、京都の先を送って想像されている方はどれだけいるのかわからないんですが、
よく言われる出町穴城の鴨川のデルタと呼ばれるところを、さらに北に上っていった、
かなり自然豊かなところに、今いらっしゃると思うんですよね。
都会にいらっしゃったときと、そっちに移住をされて、どんなふうに暮らして、具体的に変わっていきましたか?
都会にいるときと変わったのは、やっぱり自然が当たり前にあるので、
えーいって旅行に行って、自然にふれあいに、キャンプとか旅行とか行かなくても、
当たり前に身近に山があったり川があったりするので、
週末に出かけなくても、日々の暮らしが豊かになったというか、
特別なことをしなくても、自然にふれられたり、おいしいものにふれられたり、そういう変化はありましたね。
なるほど。自然が近くにある中で、今具体的に食べ物が近くてとか、緑がっていう、すごい情景が思い浮かぶんですけど、
気持ちの部分とかでいくと変化?価値観が変わったなとかって出てくるものなんですか?
そうですね。気持ちの部分でも、やっぱり無機質なものに囲まれるよりも、心が豊かになってきたというか、
自然だったり、四季を感じられるエリアなので、そこですごく穏やかに暮らせるっていうのはありますね。
東京が別に悪いわけではなくて、東京もいいところたくさんあって、好きだったんですけど、
やっぱり私の働き方っていうのが、ビルの30階で、本当に無機質な、ちょっと観葉植物があるぐらいで、
やっぱりパソコンにずっと向かってお仕事をしていて、窓越しにはお空が見えるけど、窓は開いていないみたいな。
しかも開けれないみたいな。
開けたら危ないので。
なので、そこで何年も仕事をしたりしていたので、すごく週末に真逆のところに行きたい衝動が割とたくさんあったんですけど、
なので旅行もたくさん行ってたんですけど、自然に近い暮らしをしていると、日々ふれられているので、
そんなこともしなくていいですし、より今の暮らしをもっと豊かにしようっていうふうに思えるようになってきた。
確かに。東京でもそういったことは実現しようと思ったら、もちろんお金と労力を使えばできるけれども、
それがかなり近くにあって、ですよね。
なんか少しご自身の気持ち以外のところでいくと、お子さんもいらっしゃるということで、
それを京都でお子さんと一緒に暮らす、ここの魅力であったりとかって、どういうふうに感じていますか?
たくさん魅力があって、まず子ども2人いるんですけど、まだどっちも保育園に通っているんですが、
もうエネルギーがすごいので、先奥のあたりって山もありますし川もありますし、大きな公園もあるんですね。
京都への移住の理由
なので、子どもたちにとっても走り回れる場所が身近にあって、虫もとれるし、川遊びもできるし、みたいなところが、
本当に歩いたり、自転車で行ける距離にあるので、とっても子どもたちが家にこもらなくてもいい環境があるっていうのはすごくありがたいです。
エネルギーを発散できる場所があるっていうのもありますし、
あとは、京都って本当に年中、何かしらの伝統的なお祭りであったり行事が行われているので、
子どもたちが日本に生まれてよかったって思えるような、美しい伝統行事だったり、
そういったところに、がんばらなくても当たり前に出会えるっていう、そういう環境はすごくありがたいなって思ってます。
めちゃくちゃ今の話で発見だったのが、ここにいてよかったなと思いながら生きれるって、
引いて大人になった時の富澤さん自身の、どこで行きたいかみたいなところ、
それのもっと子ども時代からの愛着心というか、愛地域心というか、
自分の中の一つベクトルを育むきっかけになるんだろうな、
っていうのを子育ては私はしたことないんですけれど、人生の先輩から学んだ気がすごくしました。ありがとうございます。
なんかこのラジオを聞かれている方の中でも気になっているだろうなと思っているのは、
それこそこのまま、例えば東京とか大手企業でキャリアを継続した方が、
長い目で見たとしてもお金稼げたりとか、社会的地位もあるしさっていう悩みって、
移住計画でのキャリア相談もすごく受けるんです。やっぱりそれはもう自分が決めることやから正解はないと思うんですけれども、
そういったところを変化された富澤さんから見た時に、京都移住前の当時の自分に対して、
どんな言葉をかけたいですか?
そうですね、いろいろね、不安になりますよね。
私が自分自身にですね、移住前の自分に伝えたいことっていうのは、
自分の中にある好きっていう気持ちとか、心地いい、気持ちいいっていう感情。
逆に好きじゃないとか、心地よくないっていう感情に素直になってほしいっていうのはすごく思いますね。
その気持ちを大事にしていると、やっぱり自分の好きなことだったり、
これは譲れないっていうところがおのずと見えてきて、
もやもやしてきた時に、そっちの方向に進む方向が見えてくるので、
そこはすごく伝えたいことですね。
ありがとうございます。まさにそこを大事に実現をされてきた富澤さんが、
これからの京都暮らし、もちろん仕事も含めてですけど、
こんなおもろいことをしたくて、みたいな、これからでいくとどんなことを考えてありますか?
京都暮らし、小民家を買ったっていうふうにお伝えしたので、
プライベートのほうでは、絶賛リフォーム中なんですけど、
いったんのリフォームは終わったんですけど、もっとそこをおもしろい場所にちょっとしていきたいなっていうのは思っています。
あとは、仕事面では、全然今まで1社目、2社目とは違う、建築にたずさわる業界に、
会社に入社したっていうのがあるので、
ちょっと自分のスキルアップのために、図面をかけるようになるとか、そういったことですね。
やっぱり、新しい環境に身を置いたからこそ、やりたいことが今、どんどん出てきているので、
それを、あれもこれもっていう状態なんですけど、
子育てもありますし、いろいろやりたいこともあるので、それを整理して、
勉強だったり、自分の体力づくりとか、
そんなことを、うまくバランスを調整しながら、
でも、全部あきらめずに、挑戦していきたいなと思って。
次お会いするときは、どんな挑戦をされていいんだろうっていうのが、すごく楽しみになりながらでした。
そういったいろんな思いを持ちながら、今働いていらっしゃる商工堂さんも、
京都移住計画でも記事として出てますし、
時々オープンファクトリーみたいな形で、ワークショップであったり、イベントもされているので、
作業区ってどんな場所だろうもそうですし、
宮台区さんの仕事って、間近で見られる方って、なかなかいないんじゃないかなと思うので、
商工堂さんのサイトであったり、SNSもすごく素敵なので、ご覧いただければと思います。
鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間でした。
次回の配信をお楽しみに。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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