中江公大の紹介
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何か、ということをテーマに、あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を活かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第210回、2024年10月のゲストは、映像音声クリエイターの中江公大さんです。
中江公大さんのインタビューは、第210回から第213回までの4回に分けてお届けします。
1回目のインタビューは、映像音声クリエイターとして起用するまでのことなどお話ししていただいています。
では早速、中江公大さんのお話をお聞きください。
今日は、映像音声クリエイターの中江公大さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
あれ?何?君さん、今の挨拶が緊張している感じがあったけど。
そうですか。かしこまった感じだった。
そう、今かしこまってるなと思ったんだけど。
普段インタビュー受けることがないので、非常に緊張しています。
そうみたいですね。さっきお話しさせていただきましたけど、日頃は映像音声クリエイターということで、
例えばYouTube、音声だとポッドキャストを編集したりとか収録しに行ったりとか、そういったね、どっちかというと裏方業務が多いということなんですね。
もう完全に裏方ですね。自分で表にカメラとか映像とか。
自分が撮る側ですもんね。
自分が撮る側なので。
逆にこの収録される側じゃないですもんね。
全然違いますね。
緊張しますよね、確かにそれだと。日常的にインタビューされることないですもんね。
そうですね、ないですね。
何が飛び下すかわかんないですけど。ということでね、今日よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
きみさんのね、私のね、ポッドキャスト番組にもたまに出ていただいて、私のね、緊急報告みたいなことをね、インタビューしていただいてますけど、
今日はね、もう本当にきみさんにいろいろ聞いていきたいと思うんですが、聞いたことあることもあったし、
聞いたことなかったなっていうこともね、思い返すとあったりするんですよね、やっぱり。
あーそうですか、結構いろいろお話、表じゃないですけど。
表には出てないんですけど、させていただいてるんですけど、ただそのなんていうのかな、表面的には聞いてることも、深くは聞いたことなかったなとかって思い返すとそういうこともあったりするなと思ったので、
ということでね、いつもね、聞き手に回るっていうふうでね、私ね、きみさんと出会ったのが、きみさんが今関わってるね、キクタスっていう会社のプロインタビュアーでもあり、キクタスの社長でもある、早川陽平さんのオンラインコミュニティーが一時あって、
そこで私本当に、そのZoomでオンライン上でつながったときに初めて、Zoom上でお会いしたのが、何年前です?2016、17年かな。
そのぐらいだと思います。
ほんと7年ぐらい前かもしれない。
出会ったのはそうですね。
そうですね、オンライン上で出会ったのは。
そこから実際、私のポッドキャス番組に編集携わっていただいてる、もう多分2年半ぐらい前からだと思うんですよ。
そのぐらいだと思います。
そうですね、だからその間、7年前に出会って2年半で、4年半はそんなに会うこともなく、話すこともなく。
フェイスブック上でつながってて、投稿を見てるみたいな。
そうですよね。実際会ったのも多分3年ぐらい前。
そうだと思います。ずっとオンラインだったのと思うので。
そうですよね、急に私が思いついたかのように朝、そちらの、今神奈川にお住まいなんですけど、神奈川に行く機会があって、
君さん!と思って、今日夜飲むんだけど、差し出会いと。来ない?みたいな感じで。
その無茶な誘いに、本当に答えていただいて、来ていただいて、初めて会ったのが多分3年ぐらい前だと思うんですよね。
それが初めてでしたね。
そうですね、実際に会うのは。そうなんですよ。そして今、マザカドで今日インタビューさせていただいてるんですけど。
いつもお話しさせていただくと、私こういう感じで結構バンバン喋っちゃうんですけど、
僕ね、いつも聞く方が好きなので聞き手に回るんですよっていうのがね、いつも言われることなんですよ、君さん。
いつも言ってるんです。
毎回のように言ってるんですよ。だからね、よっぽど好きなのか喋りたくないのかどっちかだなと思って。
でも多分両方ですよね。
両方ですか?
自分が喋ってる時間があるんだったら人の話聞いてたみたいな。
それって本当にね、最初の頃からおっしゃってましたよ。最初に多分ね、Zoomで繋がった時におっしゃってて、
でも私すごく不思議だったんですよ、実は。その言葉が。え、すごく上手に喋るのにと思ったんですよ。
あ、そうですか。
お話し上手なのになんでってすごく最初からそれすごい強烈に印象残ってるんですよ。
だから自分が思ってるのと人から受けた印象は違うんだなってその時に思ったんですが、それを今聞いてどう思います?
今聞いてもまだちょっとそうなのかってちょっと思うところが。
あ、そうですか。
でも半分理解できるのは、僕も個人でポートチャスト配信したりもしてるんですよ。
一人喋りとかもやってて、自分で喋って収録した時、喋りながら後で編集するんですけど、
喋ってる時はこれ人に伝わるかなとかこの喋り方とか変なこと喋ってないかなと思うんですけど、
後で編集するとまあまあいいこと喋ってんじゃんみたいな。
そうでしょ。一人喋りは本当に難しいと思いますからね。
ゆみ子さんもたまにされてますよ。
いやいやいやしてないですよ。
してないですか。
基本はやってないです。今も全然やってないです。
あ、そっか。だから僕がポートチャストを関わらせていただく前かな、ゆみ子さん。
なんか番組で1回か2回ぐらいですか。
いややってますよね。あの初期の頃このポートキャスト番組ね、今も残ってますけど、
もう聞き返すと恥ずかしいですが、リスナーからのコメント、メッセージを読み上げたりとか、
それに対して感想を述べてるんですけど、まあ棒読みですよね。
台本はありありのがわかりますんで。
ほんと難しいと思います。だから本当に、きみさんがそうやって言うんですけど、
いやいや、もちろんね、インタビュアー、インタビュー番組もやってらっしゃると思うんですけど、
とてもなんか、私も勉強になるなと思うぐらい聞き上手だなと思うんですけど、
でも喋り下手っていうことはないですよ。
じゃあちょっとそれは、その言葉を無理に刻んでおきます。
無理やり喋らさせようと思ってこれ言ってるわけじゃないんですけど。
ありがとうございます。
今ね、映像音声クリエイターということでご紹介させていただきましたけど、
独立して始めたのが、だったら丸4年ぐらいになります?
開業届けフリーランスになりましたね。ちょっと手続きちょっと怖いですけど。
開業届けを出したのは、確か2020年2月とか多分そのぐらいだったと思うんですよね。
そうなんですね。
開業届け出したばっかりの頃は、1年ぐらい鹿児島の方で水道屋さんの仕事もやってて。
そうですよね。ご親戚のね、おじさまの会社の。
おじいの会社に転がり込んで水道屋さんの仕事と、あと当時はヨガもちょっと勉強していたので、
ヨガの講師も不定期ですけどやってて、あともう一個編集を。
その時は撮影とかはやってなかったんですけど、動画編集とか音声編集をやってて、
そのトリプルワークしていたタイミングで開業届け出して、横浜に引っ越してきたのが3年前、2021年コロナ真っ只中の時に。
そうですよね。
はい、そういう感じです。
あのブログに書いてありましたけど、2021年6月30日に横浜に引っ越してきたって書いてありましたよ。
ブログ書いてました?
見てました。日にちまで。
全然記事が増えてないブログなんですけど、見ていただいてありがとうございます。
そうですね、だから3年ちょっとね、もう横浜に、鹿児島から横浜に引っ越されて。
そうですね。
そのでもトリプルワークだったところから、映像音声クリエイターとして個人でやっていこうと思ったきっかけって何だったんですか?
これはちょっと半分笑い話でもあるんですけど、そのキクタスの早川さんのお仕事とかもちょっといただくようになっていて、そのトリプルワークしていた時期に。
その中で僕自身がこのまま水道屋さんを続けるか、ヨガの仕事をやるか、あとはこの編集とかの仕事をやるかっていうのを、やっぱりどれかに絞らないとなっていうのは思っていて。
そのタイミングで、もともと僕自身がその以前は会社員をやっていたんですけど、転勤族だったんですよね。
だからちょっと異動の多い人生があって、なんか一個のところに留まるっていうよりかは、いろんなところに行ってみたいっていうのがあって、水道屋さんもヨガの仕事も編集の仕事も多分どれも異動は多いと思うんですけど、
その中で編集の方が一番なんか面白そうかなとか、もっといろんなことを知れるかなとか、ちょっと可能性を感じたんですよね。
そのタイミングで、ちょっと映像、音声、編集、制作にフォーカスしようと決めて、神奈川の方にやってきたみたいな感じです。
30代を自由に生きる
決めてから、その行動、横浜に引っ越すまでって、期間って結構すぐだったんです?それともちょっと時間かかったんですか?
3ヶ月ぐらいですね。
でももう決めたら結構次にこう、いろいろ情報収集したりとかして、すぐにいろいろやりだした感じですか?
決めて、3月ぐらいにどうしようかなって思って、1週間ぐらい考えて決めて、そっからはもう移動する前提で準備していったみたいな、そういう感じです。
そうなんですね。じゃあ、もともと何だろう、もちろんトリプルワークをなかなか続けると厳しいと思うんですけど、どっかのタイミングでやっぱりなんか絞らなきゃなーって思いながら働いてたって感じなんですかね?
そうですね。20代はずっと会社員やっていて、さっきもお話しした転勤族で転勤が多かったっていうこともあって、いろんなところで仕事させていただくっていう経験はすごく良くて面白かったんですけど、なんかやっぱりちょっと高校卒業してずっと会社員だったので、なんかちょっと別な世界を見てみたいって思って、30歳のタイミングでニュージーランドにワーキングホリデーに行ったんですよね。
そうですよね。
その時に一個だけ決めたのが、やっぱりもう30代は自分の好きなことをやろうと決めてて、いろんな場所に行き、いろんな人と会う中で、会社員に勤めている時には出会わなかったような、それこそユミコさんみたいな人とか。
出会うことないですもんね。
それは日本人だけじゃなくて海外の人、いろんな人の話を見聞きする中で、やっぱり自分のやりたいことをやる方がいいなっていうのをちょっと思って、それで決めたっていう感じですね。
あれですね、ニュージーランド行かれたのが、ワーキングホリデーに行かれたのが、2017年から18年って1年間行かれてると思うんですけど、ちょうどキミさんが30歳になるぐらいの時に会社辞められて、ニュージーランドにワーキングホリデーに行かれたっていう。
そうですね。厳密に言うと、僕がその時に30歳になってたんですよね。ニュージーランドの当時のビザの条件が、誕生日が30歳の365日、要は31歳になる前だったらビザ取れるんですよ。ワーキングホリデーのビザ。
ワーキングホリデーのビザを取ってから1年以内に入国しないといけないんですよ。
そういうことね、決まりがあった。
だから僕は30歳でビザを取って、僕は誕生日は6月なので、2017年の8月にニュージーランドに行ってるんですよ。だから入国した時点ではもう31歳になってて。
そうなんですね。
で、32歳のタイミングで日本に戻ってきたみたいな。
そういうことなんですね。30代は好きに生きようと。
ちょっと人から言われるとこっぱずかしいですか。
いいじゃないですか、それ。そう思うから今の人生になってるわけですもんね。
その好きに生きてこれてなかったって思ってたってことです、その20代の頃は。面白いところもあったんですよね。
会社員生活の始まり
ただ嫌だったとかではなくて、僕が前に勤めていた会社は大きな会社、それこそ上場してて世界中に展開してるメーカーなんですけど、
日本各地に拠点があって海外にも拠点があってっていう大きな会社で、僕の仕事内容とすると会社の経理の仕事をやってたんですよね。
事務だったんですよね。
普通製造所の会社で事務の人が転勤なんかまずないんですよ、普通は。
そうですよね、あんまり聞かないですよね。
技術屋さんとか現場の人とか営業の人とか。
営業の人とかね。
頭偉い人とかそういう人だったら転勤とかってあると思うんですけど、その好評感で。
僕の場合はタイミングが鹿児島の会社に就職したんですけど、グループ会社の孫会社が鹿児島にあって、
当時その会社が、それまでは親会社から人がやってきて、経理とか総務とか人事とかそういう事務方周りは親会社の人がずっとやってたんですけど、
いよいよ孫会社である鹿児島の会社も自分たちで会社の運営をやっていこうっていう動きになって、それで僕が商城高校出身っていうこともあって、経理担当でその会社に入らせてもらって、
とはいえ自分もその経理関係の仕事を覚えないといけないから、そのタイミングで一回その親会社が山梨にあって、山梨の親会社に入社して3日後に山梨の親会社に実習で行って、
1年経って身も心も親会社の人間に染まった状態で、鹿児島に戻ってきてっていうところから僕の社会人生活が始まって、
その後も人の入れ替えのタイミングとかっていうのもあったり、あとその親会社の合併のプロジェクトとか、いろいろその会社の方針とかもあって、
でトータル12年間会社員やってて、でそのうち何年かな、5年か6年ぐらい転勤でよその会社を見ていたので、やっぱりなんか生まれも育ちも鹿児島なので、
言葉も山梨だったら、今日は何日っていうのを、今日は行くんちって言うんですよ。
そうなんです?今日は行くんち?
何日っていうのを行くんち。
初めて聞きました。
そうでしょうとかそうだよねみたいなのを、そうずらって言うんですよ。
ずら使うんですね山梨は。
山梨でも多分地域によると思うんですけど、僕がいたところが藤吉田市っていうところ、川口湖が近かったりとか藤級平田とかあったりとかそういう場所なんですけど、
そこにいた方たちはそういう言葉を使ってて、生まれも育ちも鹿児島なので、しかも18歳で山梨に行った時に、同じ日本なのに全然違うと思って。
まただって鹿児島弁って九州の中でもちょっとこう違うじゃないですか。
違いますね。だから良くも悪くもなんですけど、いろんなところに転勤する中で、最初は僕も地元根性というか鹿児島精神というか。
そうなんです。
鹿児島の方言とか使ってたんですよ山梨いても。変なプライドで。
染まりたくないぜみたいな。
染まりたくないみたいな。
そうなんだ。
でもだんだんと気がついて、やっぱ相手に伝わらないんですよね。鹿児島弁使っても。
なかなかね、そうな気がしますよ。
だからやっぱり相手に理解してもらう言葉で言わないとダメなんだなっていうのを。
18歳のね、君さんそう感じたんですか。
で、鹿児島は戻ったら戻ったで、なんか僕のその喋り方イントネーションがどうやら鹿児島生がちょっとずつ外れてるらしくて。
山梨ちょっとに染まりつつあったところに帰ってきちゃったから。
それでちょっとあれ中江さんちょっと都会に染まったんじゃないですかみたいなこと言われて。山梨は別に。
感じはないけどね。
そんなことをやったりとかして、言葉の違いとか文化の違いとかが面白いなっていうのは結構現段階にあるかもしれないですね。
他者の人生への興味
だからそれでいろんなところを見るとかいろんな人の話を聞くっていうのが楽しいって思い始めたのかもしれないです。
そういうこともあってインタビュー番組もそこにつながっていくんですか。そういった面白い体験があったからっていうところでの。
後から思えばそうだと思います。
ただ最初の方はそれこそ今もお世話になっているキクタス株式会社っていうところのプロインタビューの早川陽平さんのインタビューとかを聞いて早川さん自身が本当に有名無名問わずいろんな方にインタビューされていて。
それ聞いたときに例えばスポーツ選手とかスタイリストの方とか経営者の方とか本当にいろんな人の話をインタビューされていて。
でもそのインタビューを聞いて他の人生を生きている人たちってこういう生き方をしてるんだとか話を聞くとすごい面白そうだったんですよね。
だからそれは自分が聞きたいからっていうよりかはやっぱり20代だからこの先の人生どういうふうにしていこうかなっていうなんかいろいろ考えるじゃないですか。
そうですね。模索の時代っていうかね。
最初は今この仕事始めたけどずっとこれでいいのかなみたいな。
そうですよね。
当時まだホットキャストの番組もそんなにもう10年くらい前だったと思うのでまだそんなに多くなかったんですけどその中でもインタビュー級の番組ってお題があったというかなんか面白かったっていうのもあってそれもあっていろんな生き方をしている人たちって面白いなって思いました。
そっちもあって今インタビュー番組もやってらっしゃるっていうところがあるんですね。
変化を楽しむ心
そうですね。ちょっと個人の方は細々とって感じですけど。ちょっと毎月一人とかっていうレベルではないですけどたまにやらせてもらってます。
そういうことですね。なんかその転勤とかっていうといろんな環境が変化していくじゃないですか。それがやっぱり面白いと思うのか苦痛と思うのかってそれ人によって違うと思うんですよ。
はい。
もともとキミさん自身は何か変化を好む人間だと思ってます?
そうだと思います。人によっては転勤嫌だとかって地元離れたくないとか。家族やり方とか特にそうだと思うんですけど。僕の場合はよくも悪くもですけどあんまりその実家にこだわりっていうか僕自身がもう14歳で親元離れて生活してるので
なんか親と一緒に生活するっていうの家族と一緒に生活するっていうのと割と早い段階で離れちゃってるっていうのもあるんですけど。
だから結構気軽に、気軽というか移動するのに身軽だったっていうのもあるのと、最初転勤の話言われた時も全然嫌じゃなかったし、転勤先の人たちがすごいいい人たちが多くて。
そうなんですね。
自分が若かったっていうのもあると思うんですけど、かわいがっていただくことが多かったので。だからなんか転勤に対するネガティブなイメージは全くなかったっていうのが、移動先の人たちがいい人たちばっかりだったから、それが今も続いてるみたいな。
今も全然続いてるっていう。そういったことなんですね。
先ほどちょっとお話が出ましたけど、中2、14歳ですよね。の時に、グログっていうか、きみさんのホームページにも書いてあったんですけど、いっかりさんって書いてあったんですよ。
中池みいろさんにご登場していただきました。
次回は、学生時代に起こった出来事についてお話をしていただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、ポッドキャスト音声アプリのフォローボタンをポチッと押していただくと、新しく配信されたものがスムーズに聞きますので、番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。伊藤絵美子でした。