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こんにちは、ジュリーです。今日は私が社会人になった後、就職して新人時代の頃の話を話してみたいと思います。
会社に入って新人研修が終わって、いざ配属発表ってなってですね、私は溝の口の事業所に配属が決まって発表されました。
その新人研修の最後に、もう今日で研修が終わりです、配属発表しますっていう時に、自分の上司が迎えに来てくれるというか、顔合わせを兼ねて来てくれるっていう、なんかちょっと儀式っぽいのがあったんです。
そこで配属発表になった、数人の当時の同期がいて、研修やっていた場所は本社だったので、溝の口からわざわざお仕事を抜けて、新人の配属される新しい部下に、顔合わせに来るっていう状態ですね。
その時に本社勤務ではなくて溝の口勤務になったの、私の同期がもう一人いて、ゆかちゃんって言うんですけども、ゆかちゃんと私は溝の口になったと。
迎えに来てくれた人が、ちょっとコアモテで、30代半ばぐらいだったんですかね。その方は当時最年少で課長になったと言って、仕事がめちゃめちゃできて厳しい課長さんだっていう噂のある方でした。
その人によろしくお願いしますって言って、その日はもう研修も終わって夕方だったので、じゃあ来週からオフィスに来てねみたいな感じで、近くの喫茶店みたいなところに入って、ゆかちゃんとゆかちゃんの上司と私と私の上司の最年少課長のできる人とお茶を飲んだ記憶があります。
で、その時は知らされてなかったんですけれども、なんで私がその部署に配属されたのかというのを後で聞くことになるんですが、その会社はですね、アメリカのリーディングカンパニーの日本支社なんですけれども、計測機だったり計測システムのリーディングカンパニーで、お客さんは日本のメーカー、電気メーカー、もしくはその関連会社と言いますかね。
もちろん大手から小さい会社まであらゆるアメリカの計測機器計測システムが欲しいという人たちに売っている、売ったり補修をしたり、日本にもですね工場があったんですけれども、そういう会社でした。
みぞの口の事業所というのは、神奈川県を中心としたメーカーさんを相手にする事業所で、その会社自体はですね、営業担当者を実はフィールドエンジニアさんと言っていて、その人たちもみんな理系なんですけれども、お客さんも理系だし、フィールドエンジニアの皆さんも理系でした。
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日本のですね、国立大学を出た理系の人がその営業職として配属されているんですけれども、大体一人ですね、クォーターという風に言ってましたけれども、ノルマが3億から多い人だったら10億ぐらいノルマが年間あって、営業のアシスタント、私はその仕事だったんですけれども、営業のアシスタント一人に対して、
フィールドエンジニア3人担当するという、これが基本のフォーメーションでした。当時ですね、90年代、半ばから後半なんですけれども、ものすごくその計測システムが売れて、何でかというとですね、携帯電話が普及し始めたりとか、そういう日本のメーカーもまだ元気だったんですよね。
大変ですね、売れ行きが良くて、その会社11月が起初だったんですけれども、新人が配属されるのって4月じゃないですか。なので前年の11月から始まった新しい機が、大体半分終わるか終わらないかぐらいのタイミングで、私たちは現場に出ていったんですけれども、私の担当する営業さんではなかったんですが、もう1年間のノルマを達成しちゃったみたいな人も、
何人かいたぐらい非常にですね、売れてたんですね。で、売れてるってことはめちゃめちゃ忙しかったんですよね。で、なんと、なんで私がそこに配属されたかって話につながっていくんですけれども、私が配属になったってことは先輩、その部署を辞めていくというか、人がいるんですけれども、その人は前の年の4月に配属された新人の女性でした。
で、彼女はあまりにも忙しすぎちゃって、仕事が。なんか救急車で運ばれたって言うんですよね。お仕事中に倒れちゃって、なんか貧血だったんじゃないかと思うんですが、なので、もうこの子はこれ以上この部署で、この部署、その担当する営業さんとは組ませられないということで、新人が入ってきたら、その入れ替えで別の部署に移動っていうことが分かっていたので、私は玉突き要員として配属されたと。
ということでした。なので、私の上司である最年少課長、仕事ができる人は、採用、配属、人事部の方にどういう人がいいですかって言った時に、とにかく体力あるやつ連れてこいみたいな。体力あればいいからみたいな感じでオーダーしてたみたいなんですね。なので私、体力配属でした。体力を見込まれて配属されたということだったんですね。
それで私、よくわかんないんで現場行くじゃないですか。よろしくお願いしますとかって言うんですけど、さっき言ったようにですね、その営業の人たちって理系だからって言うとですね、ちょっと差別っぽくなっちゃうんですけれども、どっちかというとやっぱりこう人当たりの悪い。
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お客さんはですね、理系同士なので、必要なお話はできると思うんですよね。商品の説明だったりとかお客さんの悩みを聞いてそれに問題解決するようなシステムを組んで提案したりするわけですから、そこはですね、おそらく問題ないと思うんですが、要はその社内だったり部署の人たちだったり、要は人間関係ですね。職場の人間関係という意味では難ある人が多かった。
特に私が担当している人が、これ別に自分のことを特別扱いしたいわけじゃなくて、どう見てもちょっと変な人たちを担当していました。なので、私が引き継ぎを受けていた、もう私が引き継ぎを受けたらさっさと別の部署に行きたいって思ってた先輩は、結構賢悪でしたよね。
やっぱりお仕事もそんなにスムーズにいってなかったんじゃないかなと想像できるんですが、彼女の机の周りには、当時紙の時代なので、たくさん書類が積み上がっていて、おそらく未達成だったり、途中どうなっているのかわからないみたいな案件がですね、たくさんある状態で、私が新人の具体的な実務の引き継ぎに入ったという状態でした。
当時だから、紙で、電話も常に電話なんですよね。受話器をですね、肩に引っ掛けるやつがついている受話器を常に耳に置いている状態で、お客さんからの電話はマストだし、営業さんからの指示、もしくはこちらからの連絡は、ボイスメールというシステムを当時は使っていました。
ボイスメールって何かというと、簡単に言うとですね、留守番電話なんですよね。例えば、お客さんからこういった要求があったということを、ベラベラベラって留守電に残して、それを担当営業の人にピッと内線番号が宛先になっていて、その録音したものを送るんですよね。
で、もらった方の担当はそれに対して返信してくるわけです。さっきの件だけれども、このようにしてくださいって。それをですね、いちいち一個一個メモるわけですよね。メモって、それを処理して、処理しましたって見せるみたいな。それを3人分やるわけです。
Aさん、Bさん、Cさんっているとすると、AさんはAさんの仕事のことしかもちろん感知してないし、Bさんは自分の仕事だけ、Cさんも自分のお客さんのことだけで、それを一気に対応しなきゃいけないのは営業アシスタントなわけですね。もう本当に忙しかってですね、驚きました。
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で、そのボイスメールシステムを使うのがみんなもう達人みたいになっていて、要はメールと一緒なんですけれども、そのボイスメールのメッセージ自体を転送できたりとか、なんかそれを複数の人に展開できたりとか、なんかですね、もう今となったらちょっと複雑すぎて対応できるかなって感じなんですけど、当時はそれをやってました。
で、とにかく忙しかったんですけれども、一人一人が変なのに加え、お客さんもかなり変わった人が多かったんですよね。
で、私の担当していた人たちがいかに変だったのかっていう具体例で言うとですね、その機械が結構大きいわけですよね。段ボールで1.1×1×1メートルぐらいの大きい段ボール箱に計測器だったりシステムが入っているんですけれども、
お客さんからの要望で、例えばデモ機、デモンストレーション。お客さんが買う前にそれを試してみたいから貸してくださいみたいな、そういうリクエストをもらうときがあって、そうするとその荷物をお客さん先に送らなきゃいけないんですよね。
で、そのデモ機をですね、デモ機もすごく当時お客さんからも貸して貸してって、お客さんはやっぱり実機を使ってみたいじゃないですか。なのでデモ機も営業さん同士で取り合いなんですけれども、じゃあ実際デモ機を借りられました。
お客さんに送り出しますっていう時に、倉庫にですね、そういったデモ機がガンガンガンと置いてあるんですけども、普通の通常の営業の方っていうのは、送り出し倉庫から荷物の会社のですね、送り出し口まで運んどくから電票を書いて、
転付してねとか、電票を総務に依頼してねとか、ちょっとそこはあるんですけども、要は電票周りをやればいいんですよ、普通は。普通の営業さんはそういう指示を自分の担当のアシスタントには指示するんですが、私の担当の人たちってそういうことをできるだけやりたくない、誰でもやりたくないですよね、めんどくさいですよね。
つまり、このデモ機が倉庫にあるからお客さんに送っておいて、お客さんから戻ってくるから倉庫に戻しておいてっていうような指示だったんです。
もう本当にですね、なんなのこの人たちってちょっと思ってたんですけども、文句言う時間もないっていう感じで、とにかく全てのタスクをどんどんどんどんこなさなきゃいけないっていうような状況だったんです。
総務にですね、アルバイトの大塚君っていうのがいまして、私、大塚君と割と雑談とかして仲良かったんですよね。
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大塚君、もうちょっと仲良くなって、このデモ機の配送のときにお願いできるんだってちょっと思って。
もともと仲良かったんですけれども、デモ機を送り出しするときは、ちょっとお菓子とか包んで持ってって、お手伝ってとか言ってやってました。
大塚君も総務の上司の手前、それは営業の人がやる仕事って言って、手伝ってるのバレちゃまずいんですよ。
総務の方も、そんな仕事は全部営業の方で、ちゃんと営業で完結してやれと、総務の方では勘違いしないってなってるんだけど、私はこっそりその大塚君に、お友達の吉見でやってもらってたっていう経緯があります。
ただ、大塚君と雑談したりとか、お菓子のやりとりとか、こっそり車内便封筒の中にお菓子とかをちょこっと入れて渡したりとかしてたんですけれども、どうやら仲がいいみたいな雰囲気を感じ取った営業が、
ねえねえとか言って、ジュリーさんみたいな、ジュリーさんとは呼んでないんですけども、私の苗字で呼び捨てですよね、なんとか、先輩ですから、木が上だから、なんとかとか言って、
大塚君と付き合ってんの?お前付き合ってんのか?とかって言うんですよね。ふざけんなよ、みたいな。あんたたちが荷物の送り出しやんないから、あんな重労働私ができないから、私が仲良くなってっていうか、まあ仲良い吉見でやってもらってんじゃねえかって、もうほんとに腹渡にえくり返って、ほんと温きましたね。
私どういう風にしてストレスを解消していたかというと、一人一人にあだ名つけて、あだ名つけてやってました。あだ名つけてて、私が本当に心を許せる一期上の女性の先輩がいたんですけれども、
その人だけはですね、自分の担当がいかにですね、人としてなってないかっていうことをですね、愚痴ったりとか、当時付き合っていた彼氏に、そのあだ名で喋ったりとかしてました。そのあだ名のその頃ってですね、濃密すぎて、たぶん今でも女子の先輩になんとかってそのあだ名で言えば通じるぐらい、私結構陰で悪口言ってたんですよね。
本当にですね、大変でした。で、ちょっとそういうクセ者の人たち、理系上がりのですね、自分のノルマ達成に必死になってですね、一生懸命仕事をするっていうのはですね、会社としてはですね、うまく機能していたんだと思うんですが、その陰にはですね、こうやって、
とにかく忙しい。忙しい。タスクをこなさなきゃいけない。こなさなきゃいけない。だからもう文句言ってる暇もない。そうすると、総務の人と仲良くなって、そうすると付き合ってんの?みたいな。なんか噂まで立っちゃうみたいな。なんかそんな新人時代でした。これ、たぶん入社して1年目とか2年目なんですよね。過酷だったなぁ。
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なんかその引き継いだですね、一級上の先輩は、もう本当に晴れ晴れとして移動していきました。大変だったんでしょうね。はい、ちょっとですね、このクセ者たちとの新人時代の話はまだ続きがあるので、またお話したいと思います。今日は聞いていただきありがとうございました。ジョリーでした。