1. じょいの声日記。
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2025-02-17 09:18

#043 昔の教え子からの報告。

昔の教え子からの報告や教員のやりがいについて話しています。写真は特に関係ありません。

#声日記 #高校

サマリー

教え子から久しぶりに大学合格の報告を受けたじょいは、嬉しい瞬間を感じています。彼女は、自分が教えた生徒たちとの繋がりを大切にし、教え子たちの成長を温かく見守っています。

久しぶりの教え子からの連絡
こんにちは、じょいです。
43回目の配信になります。
先週かな、うん、卒業してもう2年ぐらい経つ教え子の子どもから、
子どもっていうか、もう19歳とか20歳なんですけど、
からなんか、やっと大学合格しました、みたいな、うん、連絡が来て、
すごい久しぶりに、なんか嬉しい報告でしたね。
私なんか、もう卒業してね、2年ぐらい経ったり3年ぐらい経ったりしても、
で、しかも私もう先生辞めてるのに、こんなして連絡してくれるのって、
すごいなんかありがたいなって、うん、思いましたね。
そういう繋がりっていうのを大事にしたいなって、うん。
結構ですね、3年生、高校3年生を担任してた頃だけじゃなくて、
結構、何だろう、次の学校に行ってからも、うん、連絡くれる子もいて、
何の気なしな連絡っていうか、会いましょうみたいなことじゃなくて、
私は英語を教えてたので、なんか大学行くんですけど、
まあ、どういうふうに勉強したらいいですかっていう、ね、質問みたいな連絡もあれば、
あれか、先生が、あの次の学校行ってから、もう2年ぐらい経ちますけど、
やっと私も大学合格することができました、みたいなことをわざわざね、
あの、メールで連絡してくれたりとか、うん、なんかかわいいですよね、そういう
一生懸命やっぱりサポートしたのが報われる瞬間だったりもするのかなって思ったりして、
そういう連絡がやっぱり来ると、なんかあの時頑張ってよかったなとか、うん、すごく思うし、
これから頑張ってほしいなと、いろんな、ね、大学入って社会に出てみたいな、うん、子どもたちなので、
まあ、確かに大変なこともね、いっぱいあるっていうのはわかってるんで、
だけどまあ、それの彼らが夢のスタートラインに立つお手伝いが少しでもね、できたんだなって思うのがなんかしみじみと、
なんか教師っていう仕事しててよかったらって思う瞬間の一つだったりするのかなって思ったりします、うん、
新しい生活と未来への希望
やっぱ進路実現っていうんですかね、簡単に言えば、うん、それのまあ、お手伝いができたっていう実感を持てる瞬間かな、
合格の報告とかですね、今こうしてますとかですね、とか成人式とかが来れば、
特にね、あの成人しましたとか、あの時の部活のあの子たちこんななりました、みたいな、
だれだれさんはもうお母さんになってますとかね、そういう写真とか動画とかね、送ってきてくれたりする子もいるんでね、
あーなんか、うん、それだけこう親しく思ってくれてるんだなっていうのは嬉しいですよね、
そういうのはやっぱり、出会ってくれてありがとうってこっちが思える生徒だったりするのかな、
なんか、あの、出会いってやっぱ一期一会だし、その時にね、私がたまたまその学校にいて、たまたまその学年のそのクラスを担当してたっていうだけなので、
本当にね、あの運命っていうか、偶然というかですね、そうなので、それでそうやって、あの少しずつ信頼関係作って、絆ができてみたいな、
結構きついこともね、あの言ったりするんですけど、まあ指導上ですね、うん、なんだけど、それでも一生懸命そんなしてついてきてくれて、
で、卒業してから、クラスとか学校離れてからも、そんなして、あの連絡取ってくれたり報告してくれたりするのはすごくなんかありがたいですよね、うん、嬉しいですね、正直に、ほんと素直に、まあ嬉しいですね、
だから、まあ確かに先生っていう仕事、大変なんですよ、いろんな面で、うん、あの精神的にも結構ね、やられることも多いし、うん、結構24時間、365日のところもあったりするんで、
まあまあ、しんどめのね、仕事、公務員で安定してるとはいえ、やっぱりそれなりに結構きついこともあったりして、やっぱ時代とともに、特にあの厳しくなってきてるのかなとは思うんですけど、
まあそういった中でも、まあ自分が自分なりに考えて、いろいろ手を尽くしてサポートした子たちが、そんなして、うん、お返しをくれるっていうかですね、なんかそれがすごく、うーん、11年間続けてこられたのは、その礼があったからかなーとも思ったりします、なんか教師っていう仕事をですね、
嫌になって辞めたわけではなくて、うん、また単純にですね、場所を変えるっていうことになったんで、あの、県をですね、変える、住む県を変えるってことになったんで、うん、まったく私の事情ではあるんですけど、だから、なんだろう、精神的にきつくなって、あの教師っていう仕事を辞めたっていうことではなくて、環境の変化に伴って、まあ、うん、仕事を辞めるっていう選択だったり、
そういう選択私がしたので、たぶん、あの、その時住んでた家とか、その時住んでた県に、あの、住み続けることができるっていう選択肢があればですね、たぶん今でも、うん、教員っていう仕事は続けてたと思います。
ただ、それが、あの、教員を続けながら、あの、別の県に暮らすっていうことができない、あの、環境というかですね、まあ、距離的にかなり離れる場所に、あの、引っ越すことになったんで、うん、まあ、それはやっぱり、あの、仕方ないよねっていうことで、私はそちらを選択した、辞めるっていう選択をしたっていうことなんですけど、まあ、それぐらいなんだろう、その、教員を11年間続けてた場所での教員生活
あの、英語の先生の生活っていうのは、ある意味、まあ、自分に合ってたっていうか、向いてるとは思わなかったです。向いてるっていうよりは、まあ、続けることができる、あの、耐性ができてきてたのかなっていうのと、やりがいを感じられるようになってたのかなっていうこと、うん、それはすごく思いますよね。
辞めたことを後悔してるとか、そういうことではないんですけど、うん、そうやって、あの、つながりが、教え子のつながりとか、横のつながり、同じ同僚の先生たちとかですね、先輩の先生たちとか、うん、そういうつながりも結構できてたところだったんで、そういう意味ではすごく、うん、あの、恵まれた環境
きついけど、大変だけど、まあ、何回も言いますけどね、大変だけど、まあ、恵まれた職場環境だったのかもしれません、うん、で、まあ、今、新しい生活してますけどね、あの、後悔はないですけど、時々、そんなして、あの、教え子から連絡くれば、ああ、あの時、頑張ってよかったなあ、これから社会に出て頑張ってほしいなあ、みたいな、うんうん、そういった希望的な意味も込めて、うん、
ぼのぼのとする、心がこう、じんわり温まるような、うん、報告というかですね、瞬間、うん、でした、うん。
まあ、今後ね、これがどうなっていくのかなあ、また5年、10年経てば、あの時、そんな人いたよね、みたいな、そんな先生いたよね、みたいなぐらいに思い出してくれればいいのかなあ、ね、なんか同窓会とか、呼ばれたりするのかなあ、呼ばれないのかなあ、とか、思ったりもしますけど、うんうん、それはそれで全然かまわないかなあ、またここで新しい出会いとかつながり、ね、このリッスンもそうですけど、うん、ができれば、うん。
前に、みんな前に進んでいけたらいいなあ、と思った、今日この頃でした。
はい、ちょっとまあ短めから、うん、ですけど、2月もね、中旬なんで、中旬というかもう下旬に差し掛かっているのかなあ、うん、まあ日々は続いていきますので、寒いですけど、皆さんも体調を崩されませんように。
私も、まあやっぱり年齢とともにね、いろいろ、体はガタがきますけど、うん、向き合ってですね、年を重ねていければいいかなあ、と思います。
はい、今日のところは以上です。お疲れ様です。
09:18

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