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メタ音声配信ラジオ、今日もよろしくお願いします。
7月23日の木曜日ですね。4連休の初日ということで、いかがお過ごしでしょうか。
僕は今日は、髪を切ってきました。今は家族の寝静まった夜中なので、こうやってボソボソ喋っていますが、よかったらお付き合いください。
今日話してみたいことはですね、自分の考えの矛盾に気づいた話をしてみたいんですが、どんな矛盾かというとですね、
まず僕はこの、今スタンドFMで音声配信をやっているんですが、その前にラジオトークという別アプリでやっていて、最近1ヶ月ほど前にここに映ってきたんですが、
その映った理由はですね、そのアプリによるユーザー層の違いで、自分の話す内容というのはどう変わるかというのを確かめたいという動機が大きな一つとしてあったんですね。
それで一方で、相手によってですね、話す内容というか話すコンテンツを変えるのはあまり褒められたことではないなということも同時に思っているんですよね。
何回か前というかだいぶ前の方の配信で、フォロワーに向かって話すなみたいな回とか、リスナーのリアクションに惑わされないで話すみたいな、そんな偉そうな話をしたこともあるんですね。
やっぱりこの2つって矛盾しているかなと初めに思ったんですね。
つまりオーディエンスというか、あるいはそのプラットフォーム、音声配信のアプリによって発想は変わるだろうと僕は思って映ってきたわけですね。
変えるべきというふうにも思っていたわけですけど、その一方で、特に音声配信で相手の反応によってリスナーのリアクションが変わるかどうか、
それによって出す内容を変えるというのは、話す内容を選ぶのもあまり良くないことだと思っているんですよね。
でも僕はこれは矛盾しているようで実は矛盾していないということが、より深く考えた末にわかったんですよね。
考えたおかげで解像度が上がったので、その話をしてみたいんですが、
もう一度繰り返しになりますけど、今いる場所とか聞いてくれる人によって、話す内容というのはやっぱり変わるものなんですね。
それは発想が変わるからなんですけど、それと同時に相手によって話す内容を変えるべきではないとも思っていて、
なぜこの2つの内容や考え方が矛盾していないというのかですね。
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つまり僕は相手によって話を変えていいと思っているんですよ。
それにも関わらずというか、それを話す内容とか話し方も変えるべきだと思っています。
なぜ矛盾しないのかというと、一つキーワードとして大切なことがあって、
それが何かというと、そこに感謝があるかどうかということだと思っているんですね。
ちょっと青臭い話に聞こえるかもしれませんけど、ちょっと違うと思っていて、それを今から話しますけど、
つまり別にいつも僕の配信を聞いてくださってありがとうということを別に言いたいわけではないんですよね。
それはもちろん大事なことだとは思うんですけど、それよりもっと具体的に正確に伝えるとするなら、
僕のこういった音声配信の話をあなたが聞いてくれることで、
そして何かしらの反応とかによってその存在をこちらに知らせてくれることで、
僕の意識というか考え方に新しい発見みたいなのがあるんですよ。
それは僕が勝手に発見しているだけのことなんですけど、
特に何を言ってもらわなくても、コメントとかを別にくれなくても、
こういう人が僕の話を聞いてくれたんだというのが分かるだけで、
何かちょっとした新しい空気が入るということなんですよね。
僕はですね、自分の考えていることというのが、
自分の言葉にしてみないと分からないというところがあるんですよね。
何日か前のコソラテサロンのオンラインをやってみて、感想みたいなことを話した回があって、
そのときに特に難しいというか一口で言えないような感情を言語化するときは、
特に言葉にしてみないと自分がどう思っているのか、
何を考えているのかというのが分からない部分が結構あると思っていて、
それを思っていること、感じたことを言葉にすることによって、
僕は自分が何を考えているのかというのを自分で理解しているという順番なんですよね。
話したり書いたりすることで自分の思考を作っているみたいな、
そういうふうに思っている部分があります。
それでちょっとここで話が脱線するんですが、
僕は結構忘れっぽい人間なんですよね。
もともとあまり記憶力が良くないんですけど、
それだけじゃなくて、割と過去のことをそんなに覚えていないというか、
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あまり気にかけないという部分があって、
最近その傾向が特に強くなったなと思っているんですね、自分では。
これはたぶん老化ということではなくて、環境適応能力だと自分では思っています。
まだ記憶障害が起こるような年齢ではないので。
それでいちいち考えていたら、動きが鈍るからとにかく前に進むほうがいいなって、
基本的にそういうふうに思っているんですね。
その時に記憶というのは割と邪魔者になることがあって、
例えば、あの時あの人にあんなムカつくこと言われたよなって、
だったら今回は俺も何もしないでおこうみたいなですね。
そういうことを考えだすと、結局何もできないというか動けなくなっちゃうんですよね。
それは嫌なので、だったら何か過去にあったような記憶はあるけど、
今回は今回だから思うように動こうと。
それで何かあったら、それはその時にまた考えたらいいかなとですね。
そうやって割り切るというか、過去を断ち切っていたほうが身軽だしですね。
僕自身が楽なんですよね。
もちろん大事なことは忘れないですよ。
家族との約束とか、仕事でお客さんから今度からこうしてくださいって言われたのも、
そういうのを忘れちゃったら問題になりますから。
たまにはそういうこともありますけど、そういうことはほとんど。
僕が言っているのは、もっとささいなこと。
そういうのはもともと忘れる方だったし、
最近は特に忘れるような精神の構造になってきたということですね。
脱線をしてしまったんですけど、僕は何を言いたいのかというとですね、
そういう変化が大きい環境に適応するにはですね、
こういう今を生きるみたいな、そういう考え方が大事だなと改めて思うということなんですよね。
最近ネットで読んだですね、養老武さんという解剖学者で、作家でもありますね。
バカの壁とかは有名ですけど、その養老武さんがインタビューを受けている記事があったんですよね。
コロナ関連のインタビューを。
その中で、夜には死ぬという前提で毎日を始めるみたいな話をしていたんですよね。
これはスティーブ・ジョブスが、YouTubeでも見えますけど、
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スタンフォード大学の式辞で述べたスピーチの一節として取り上げていたんですが、
そういう話を養老武さんがしていたんですね。
僕もこの考え方にすごく共感するところがあって、
毎日新しい人生が始まるっていうですね。
そうやって言えるほど、僕は客観はしていないんですけど、
なるべく過去にとらわれずに生きていった方が絶対楽だなということは思っているんですよね。
それで最初の話に戻るんですけど、音声配信の話。
プラットフォームによって発想は変わるべきだ。
同時に反応によって話す内容を変えるのは良くないと。
これが僕の矛盾するようで矛盾しない2つの考え方なんですけど、
なぜ矛盾しないのかっていうのは、そこに感謝があるからです。
感謝があるからだと思っていて、その感謝の内容は
あなたが僕の話に耳を傾けてくれることで、
その存在を教えてくれることで、
僕の頭の中にですね、思考の中に新しい発見がもたらしてくれるという。
ただ聞いているだけかもしれませんけど、何かしら僕はその気配を感じることですね。
新しい言葉というか、新しい思考がですね、
生み出されることがあるんですよね。毎回じゃないですけど。
ほんの些細なことかもしれませんけど、そういうのが積み重なっていくことでですね、
僕は成長しているんだなということを思ったんですよね。
そのことへの感謝というか。
特に音声配信を最近はですね、下書きみたいなものを用意しないで喋ることがほとんどなんですよね。
毎日配信をしているから、1回1回用意していたら大変というのももちろんあるんですけど、
それよりもですね、アドリブで話しているときのほうが、
自分でも思いもよらない言葉が出てきたりして、
結果的に聞いている側も楽しめる内容になるんじゃないかというふうに思っているからです。
つまり原稿を読むより、会話とか雑談のほうが面白いですよね。
それと同じことかなと。
それでアドリブというか会話調となってくると、
自然と相手がですね、聞いている相手がどんな人かというのは重要になってくると思うんですよね。
だから相手によって話が変わるというのは、やっぱり自然だし、ある意味当然なことなんですよね。
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決めたことじゃなくて、喋りながら考えているような場合は特に、
相手によって話は変わるというのは当たり前なことなんだなと思ったんですよね。
それで僕は自分の喋った言葉によって、自分の思考とか現在地みたいなのを確認しているんですね。
それは戦時ツメルトというか、たどっていくと、
聞いている人、そこにいる誰かによってですね、僕が作られているみたいなところがあるんですね。
それはこういう音声配信みたいなネットのですね、顔も見えない存在だとしても、
それは同じことというか、ある意味その巡り巡って、そちら側は何も発さないとしても、
そこにいることを僕がなんか気配を感じるだけでですね、
結果的にその僕の考え方というのはちょっとずつ変わってきて、
それを僕はこうやって言葉にすることによって、自分が作られていくというか、
ものすごくまだるっこしい話をしてきましたけど、
何を言いたいのかと簡単に最後に言うと、
いつも聞いてくれてありがとうございます、ということでした。
はい、それでは今日も聞いていただいてありがとうございます。
おやすみなさい。また明日。