ちょっと落ち着いてきたかなと思うんで、やれたらいいなと。
なんかね、七夕、仙台の七夕のね、いつもとか久しぶりにやるとか、
いろんな全国で結構各地でニュースが入ってきますけど、
そういう意味ではマナさんは何ですか。
私はもう圧倒的、早川さんと一緒、花火とあとさっき言った夏祭りこれです。
大学に入ってから行ってないんですよ、コロナで。
そうだよね。
今年こそは私も夏を満喫したいという思いで。
そうですね、楽しみましょう。
ということで今回も本編に入ってまいりたいと思います。
今回は藍坂東雅さんのインタビューの第1回です。
はい。
これすごい楽しみにしてました。
本当ですか。
藍坂さんこれデビュー作でいらっしゃるんですね。
そうなんですよね。
私がこれ知ったのって、地元の本屋さんに本当に大きなポスターというか壁紙みたいなのが貼られてて、
ポップとかね。
そうです。
ポップレベルじゃないの。
じゃないんだ。
本当に。
でも絶対に読むべき本みたいな。
それでこう知って、読みたいって思ったのがきっかけだったんですけど、
早川さんはどういうタイミングでこの本を知ったんでしょうか。
僕はですね、別番組でね、小説家の石平さんと大人の捕獲ラジオというのをやっていて、
毎年2回直木賞でね、もう間もなくまたこれ流れる頃ちょうどぐらいかな、
次の直木賞も発表ありますけどね、2回直木賞が発表されるんですよ。
前回の候補作にこの藍坂東馬さんの同志処理できる手が入っていて、
僕はですね、実を言うと、その時読んでないんです。
っていうのも、これ打ち合わなしなんですけど、毎回候補作5作あるんですね。
イラさんは全部読むんですけど、僕と相方の武井ひろなさん、
最近吉水ノアさんに改名しました。
ノアさんは分担して読んでいいよと、イラさんの優しさで。
5作を分けて。
僕はこの藍坂さんの方入ってなかったんですよ。
なんですけど、惜しくも直木賞は逃されたんですけど、
その放送の収録の時にね、イラさんとノアさんも絶賛して押してたんですよ、対象に。
なのでずっと気になってたし、直木賞自体は逃したんですけど、
でもその後多分マナさんも見たように、
どんどんどんどんどんどんどんどの本屋さん行っても、
いろんなところでどんどん積み上がって。
一番目立つところに。
ただ僕はずっと読んでないけど、どんどん本屋さんでこの本が積み上げられていくというのにずっと気になってたんですけど、
やっぱりね、インタビューの本編でも出てくると思いますけど、
自分自身もそうですし、世の中のね、さらに多くの人に読まれてるなっていうのはなんとなく肌で、
諸者ではないように感じた、やっぱりね、ウクライナ振興のところからだと思うので、
そこでも本当にお話伺いたいなっていう気持ちが一気に高まって、
今回ご依頼させていただいた、そんな次第です。
今のご時世的にも時代を象徴する本屋さんです。
今の時期だからこそ、みんなに読んでほしいなと思うので、
ぜひインタビュー、この後愛坂さんと早川さんのインタビュー第1回を聞きください。
さあ、今日はですね、小説家の愛坂東馬さんにいろいろお話を伺いたいと思います。
愛坂さんよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
さあ、今日はですね、このやはりね、同所住、敵を打て、
これを中心にいろいろお話を伺いたいんですけども、
ツイッターを拝見していたらですね、
ちょうど6月3日頃ですかね、
書店の全国巡り案外をされていて、
それがちょうど終了したというふうに拝見したんですけど、
結局全国回ったんですか?
そうですね、確か最初に書店巡りが始まったのは、
発売直後の福岡からだったんですけれども、
その間に本屋大賞の後にですね、
沖縄書店大賞という沖縄の書店員さんが選出する賞も対象いただきまして、
それで沖縄にも行っていまして、
ですので、その後、今回の書店巡りの最後の方に北海道も行っていますので、
北は北海道から南は沖縄までという感じで、
全国あちこちを飛び回っておりました。
書店巡りというと、やっぱり本を知っていただくとか、
書店員さんとの交流だとか、いろんな目的あると思うんですけど、
実際どんな趣旨なんでしょう?
その場で、例えば書店を展開するための小さいパンフレットが、
よく無料配布されているのが書店にあるんですけども、
そういったものを配りして、店舗展開の手助けになったりですとか、
そういうのを得ると、書店の方たちも店舗展開しやすくなりますし、
そんな中で、例えば色紙を作成したりですとか、
サイン色紙を、あるいはサイン本を現地で大抵の場合は作るんですけど、
そういうふうにすると、やっぱり売り出しやすくなるし、
自分も何というか存在を覚えていただいたりですとか、
それに私にとって一番嬉しいのは、書店員の皆さんからの感想を聞けることなんですけれども、
売り場の人たちって本当に自分たちで何とか創意工夫して、
自分が売りたい小説を押し出していこうというふうにやっていただいているところなんですけど、
本当にありがたいところに、なかなか手作りのポップを作ってくれるところまで行ける小説ってそうはないんですけども、
この小説に関しては本当に色んなところが色んな方法で、
方向も全然違うし、だいぶミリタリーを前面に押し出すところもあれば、
反戦文学としての趣旨を非常に強く読み取ってくださるところもある。
この本に関しては結構他にない特質があって、
滑虎のアレクシエビティさんの戦争は女の顔をしていないであるとか、
あるいは独創戦の通信に関する本ですとか、
そういったものを併売するということを各本屋さんがやってくれているんです。
そういったところをこの目で見て、
実際にどういうふうな思いで書店員の皆さんがこの本を売ってくださっているのか、
というふうに確認できるのが自分にとっての大きな意義のあるキャンペーンでした。
今ね、戦争は女の顔をしていないに出てきましたけども、
やはりこの本の中でもちょっと出てきますけど、
今書店巡りの話が出てきて、
率直にそういう意味では最初にその書店を福岡っておっしゃいましたっけ?
はい。当時は福岡ですとか広島ですとか大阪、それから名古屋といったところを巡って帰ってきたという感じですね。
そうか。そうするとまだ半年ぐらいですよね。
そうです。本が発売されて半年と1ヶ月ぐらいです。今収録されている日。
僕らもチームで取り上げさせていただいて言うのもあるけど、まだ半年なんですね。
そうです。
どういう感覚ですか?ご自身は。
色々ありすぎて。
世界も含めて。
そうですね。出すまで、この小説って新人賞の応募原稿が最初ですから、
まず自分の動きとして決まったのが、アラスタ・クリスティ賞という最初の世に出る賞を取りましたというふうにお知らせをいただいたのが8月。
世に出るのが11月なので、もともと結構ハードスケジュールなんですけど、
その前にプルフって本屋さんとかに配る仮の成功のものを前倒しで作るっていうこともあって、
さらに第1章に関してはミステリーマガジンにも載せるよっていうふうになったんで、直すのがものすごいスケジュールになっちゃった。
そこまでは必死にやってた記憶があるんです。
世に出たら、僕の考えとしては世に出すまでが小説家の仕事で、
あとは好き勝手に受け止められればいいんだからもうやることないよねって思ってたんですね。
11月までは。
書版が3万本もあったんで、ちょっと尋常じゃないとは思ったんですけど、
発売日の前日くらいまで3印本作ってたんですけど、その時はいつか最初に釣った数が半端じゃないから、
すぐには難しいですけど、ロングテールでいつか売れてって10判ポコっとかかるといいですねみたいなことを言いながら作ってたんですね。
発売日の翌日に10判かかりますという電話をいただいて、
マジですか?って第一声で答えたんですけど、
直木賞候補の時はもう本当に耳を疑いましたし、その後の本屋大賞のノミネートも本当にすごいことだったんですけど。
決定的だったのはロシアがウクライナに侵略を始めたということですね。
本当に2,3週間ずっと寝込んでたし、自分の世の中での需要のされ方もここで決定的に変わるっていう。
どうやって向き合うべきなんだろうっていうふうに考えたら、
これはフィクションだから関係ないんですっていうふうに言うのも一つの手ではあったんだけど、
自分はやっぱり戦争について真剣に考えてこの小説を書いたし、
現代ロシアについても思いがあったからこそ、例えばウクライナ人の登場人物が登場したりしたわけだから、
自分の考えることをすべてあらゆる面で答えていこうっていうふうに考えられたのが本屋大賞の受賞式の直前ぐらいですね。
今2,3週間寝込んでたっておっしゃいましたけど、それはロシアのウクライナ侵攻を受けて寝込んだんですか?
そうですね。
寝込んの直前からもちろん情勢が大変なことになってるっていうのは年末のあたりからよくわかってましたし、どうなるんだろうとは思ったんですけれども、
ただニュースを見ててもいくらなんでもここから全面戦争ってことはないんじゃないのかなっていう気持ちと、
でもここまで軍隊を異常な量を集結させる、ただ同活するためだけで帰っていくっていうのも考えがたいっていう2つのものがきっこうしてて、
きっこうしている中ではやっぱりもう戦争は起きないんじゃないかっていう願いのほうが強かったですから、
起きてほしくないっていう思いのほうが流石にないんじゃないかなっていうふうにずっと思い続けてたんです。
でも本当に戦争が始まった時に頭の中が真っ白になった。
一体これで何人の人がこんな戦争で死んでいくんだろうっていうことと、
僕はそのロシアっていうものに情熱を傾けて小説を書いたわけですけども、
ロシアっていうものをどう捉えればいいのかなっていうことを考え続けて、ニュースを見ればその戦争をやってるし、ネットを繋いでもそれをやってるし、
何にも物を食べても味を感じないですし、本屋大将の受賞が決まりましたっていうお知らせ聞いたあたりがかなりどん底に行っちゃってた時期でした。
本当にね、歴史小説と言われてますし、歴史小説自体が当然フィクションですけどノンフィクション性というかその境目もあって、
さらに今の話でも、相坂さん自身がフィクションというか書いてたけどノンフィクション、世の中も混ざって現実と虚構の区別があったかもしれないんですけど、
そこでまたちょっと話戻るんですが、書店巡りをして、ちょうど終わったのでまさにこれは聞きたいんですけど、
率直に書店巡りをして、相坂東馬が初めて気づいたことって何かあります?
どんな括りでもいい、作家としてでもいいし、作品についてでもいいですし、人としてでもいいですけど。
やっぱり見えてないことがたくさんあったっていうことですね。
先ほど申し上げたことなんですけど、書店展開ってものがあって初めて小説が売れていくっていうことで、
それっていうのは別に、現場にいる書店の人たちって本当にただ自分たちが誰かに言われて売ってるわけでもなければ、売れ線の方を押していくっていうだけじゃなくて、
自分たちが売りたい本っていうのを多分常に考えてるし、自分たちでどうにか伝えようとしてるんだっていう。
広告貼ってるだけじゃなくて、自分たちでこれがオススメですっていうのをカードに書いていただいたりとか、
感想を作ったり、手書きのイラストを添えてくださったりっていうことを見れた。
それが本当に驚いたことでしたし、素晴らしいことでしたね。
本屋大賞っていう賞がそもそもできたのも、今後までいけば常に自分たちが売りたい本っていうものと、
世の中でこれがこの賞を取ると売れるっていうことは微妙にずれてたりする。
確か、きっかけになった回は出なかったっていう。困るじゃんっていうこともあって、
だったら自分たちが押したい本っていうのを賞にして、それをPRしていこうよっていうのが確かそもそもの始まりだったと記憶しています。
実際ね、このどうしよう女的を打てにいよいよ入っていきたいんですけども、
ズバリ僕なりにちょっと感じたのが、当然このどうしよう女的を打てっていうのは
あいさかさんにとって体験していないことを2つ書いていると思うんですよ。
1つは当然ですけど戦争、もう1つは女性っていうことだと思うんですけど、
それぞれにおいて一番こだわったことっていうのを挙げるとしたら何でしょうね?
これは難しいんですけども、戦争については体験していない世代しかいないんですね。
はっきり言って現在の世代でいえば日本人の錯覚に関していえば、戦闘を描くときにどうしても絵空事になりがちになってしまう。
何でかっていうと一番安易なのが映画から参照してしまったり、あるいは先行する小説から参照してしまうということなんですけど、
でもそれだとやっぱり今1つ追体験にはならない。結局自分が体験していないものを小説としてどう展開するかといったら追体験するのが一番いいんですけれども、
追体験するもとっていうのは多分フィクションでは成し得ないというふうに思ったんですね。
オーラルヒストリーというものがそこで重要になってくる。だからこそ戦争は女の顔をしていないのもそうなんですけども、
その他にも色々ありがたいことに、今は日本語で読めるものもありますので、
赤軍兵士がどういうふうに戦ってたかっていうこととか、逆にドイツの兵士たちがどういう手紙を書いてたとか、
捕虜になってどういう会話をしてたとか、そういうこともわかるようになってきたので、
そういったものから戦場にいる感覚ってどういうことなのかっていうことを少しずつ学び取って、
それを小説に展開したらどうなるかっていうことを考えていった。
例えば自分たちが戦っている局面がよくわからなかったりすると、
どういう局面で今対局を見ると戦っているのかわからないままとりあえず突っ込めって言われたりするのが結構実情だったりとかね。
あとはまあこれはそんなに強調しなかったけど、とにかく移動する、待ってるっていうことがすごく重要だったりするとか、
そういうふうにやっていくと本当に臨場感に優れてるっていうふうにいろんなことにおっしゃっていただいたんですけれども、
それはやっぱり一重に資料を読み込んで、そこに戦争のリアルというのを自分なりに想像力を働かせる、
そこに自分がいたらどう感じるんだろうっていうことを考えてから五感にまで訴えていくっていう、そういう手法でしたね。
今オーラルヒストリーの話も出ましたけど、確かこの図書でね、お姉さまと一緒に対談してたりもあって、
祖父の時代にやっぱり戦争体験の話を聞いたりとかって、
僭越ながら僕自体はその戦争の記憶っていうプロジェクトをずっとこの10年やっていて、
まさに実際の体験者の話を聞いているので、本当にちょっと話前後しちゃいますけど、
この藍坂さんの背読して、フィクションでいろいろ調べたにしてもそれにしてもリアリティがあるなっていうふうにちょっと思ったんですけど、
そこは藍坂さんの中にそういう昔、戦争の体験の話を聞いてたとかも関係してるんでしょうか?
大きく関係してると思います。
一番印象に残ったのが、祖父は戦争というか軍隊に行って、前世まで幸いにして出なくて済んで、
軍港が破壊されたんで、ひたすら軍港が爆撃されたりしながら、そのまま敗戦を迎えたわけなんですけど、
ただもう軍隊に行く前と帰ってきてからでだいぶ人間性が変わったっていうんですよね。
それはもう諸説家になりたかったんですけど、祖父って。諸説家になろうと思ったんですけど、そういう意欲っていうものはやっぱり戦争から帰ってきて失われてたっていう。
ただそこで無気力になったんじゃなくて、身に染みて分かったって、軍国主義だけは絶対ダメだっていう軍国少年だったけど、
やっぱり戦後得られた平和ってものを勝ち取るっていうか、それを守るために自分は活動していかなきゃいかんのだっていうことで、
農協とかの活動とかやりながら地道に政治運動やってたんですけど、農業やりながら。
ただ本当に人間の内面が容易く変わってしまうんだなっていうことをやっぱり、実際に軍隊に入った時に感じたこととか言ってたこととかを聞いてすごく思ったんですね。
だからこの諸説でいろんな人の人間の内面が変化していくっていう。
鹿を撃つのにもやっぱり同情するし、序盤では人なんて殺せるわけがないって疑いもなく思ってた主人公は気づけば自分が何人殺したかっていうことを誇るようになってしまう。
そうでないと生き残れないからってことなんですけども。ただ逆説的に言えば僕らもそうなりかねない。
適切な訓練を受ければそうなるのかもしれない。適切っていうのはつまり戦場における適切さなんですけど。
どうしても戦争における殺戮マシンのようなものを、狙撃兵というものの変化に関しては特に連想しがちなんですね。
何百人殺害とか何十人殺害っていう遠もない数値だけが出てくるから。
でもそこに至るまでの人間的な変化っていうものを考えるとそれは確実に誰にでも起き得るし、時代と場所によってそれは起き得るんだっていう。
それがやっぱり戦争の恐ろしさでもあるっていうことですよね。
それをやはり祖父の語りからはすごく感じることができた。
成長物語、成長物語としてのこの小説っていうふうに確か小野瀬彦先生がおっしゃってくれたと思うんですけど、
戦評の段階で、ただいろんな要素があるっていう、まさしくこれ成長物語なんですけども。
戦場において成長するってどういうことかというと結局その躊躇なく人を殺して生き残ることができるっていうものになっていくわけですね。
根本においては戦闘の描写よりもそこがブレスに描いたのがある種の臨場感をもたらしているのかもしれない。
確かにそうか。
もう一つ、女性っていうところではどうこだわったというか描けたんでしょうね。
これも悩みました。
一つ大きな問題として、一体これ何を描こうとしている小説なのかっていうことが問題としてあったんです。
モチーフとしてはソビレートの女性狙撃を描きますっていうことがだいぶ前から決まってた。
普通にやると下手するとフェティッシュになっちゃうっていう。
男性にとってのフェティッシュになっちゃう。
若い女の子が銃持って戦うのがフェティッシュになってるという場合でよくあるものになっちゃう。
それを回避しつつ、ではどうしたらいいかって言ったら女性が戦場に行った時にその視点からしか見えなかったものを描く。
それをやってみたいと思ったんです。
戦争小説の質を高めるだけじゃなくて、どうしてもやっぱり戦争小説って現実がそうだったこともあって、
主人公も同僚もみんな男で、男たちの物語で完結してることが多かった。
っていうことは、史実に依拠して女性兵士の立場から独創線を描けば、
戦争小説としてもなかなか新しいものが描けるんではないのかなって思ったんです。
であるからには、戦争とジェンダーっていう大テーマを持ってきて、これから逃げないで描いてみようと思った。
ところが、やっぱり描いてる自分が男性だっていうことからは逃れられないですし、果たしてそれって描けるものなのかしらっていう疑問はあったんです。
すみません、私男性なんで、戦争とジェンダーについて女性の視点からは描けないですって宣言しちゃったら、多分テーマからだいぶ後退してしまう。
いや、描ける。戦争において一番露骨に出るのが性犯罪なんだけど、それだけじゃなくて、
当時の実際の女性兵士が味わっていたどことなく屈辱的な扱い、2009の扱いされたりとか、
そういったのは戦争は女の顔してない、繰り返し登場するんですけど、自分たちだって戦えるっていう気持ちであるとか、
そういったものをきちんと組み取って、今の世に問うに恥ずかしくない小説にできるはずだと思ったんです。
ありがたいことに、現代的な小説だと言っていただいたこともありました、その結果として。
だからそこはもう本当に、世に出すまではそれでもこれで合ってますかっていう気持ちがすごくあったんですね。
ただ、ありがたい反応として、戦争小説としてはかなりイレナほど女性の読者からの支持が強いという声をいただきまして、
間違ってなかったかというふうな気持ちでいます。
そういう意味では、手法的な話なのか、それこそ編集者の方との何度もの遂行を通したのかわからないですけど、
いわゆる女性的な目線とか視点できちんと書けてるかっていう、出すまでの段階の時の検証というか、
そういうのって結構やられたのか、それはもう書き切ったのか。
これに関しては新人少女小説なので、途中でアドバイスもらえなかったわけですね。
とりあえずやりきるしかないっていう、800字一気に書き切って、
ディティールに関してはたまに出すまでの間で直していくっていう、
セリフなんかおかしくないみたいなのがたまにあったんで、
そこはもう自分の信じたい方法でやりきったっていう感じですね、この小説に関していけば。
デビューされるまでに今まで僕が調べた限りは、
1970年の南米を舞台にした家族もの、部活もの、テロが多発する近未来、
学校で信仰宗教を作るナチスドイツ科の少年たち、あたりをいろいろ書かれてたと思うんですけど、
その辺は最後は少年たちで出ちゃってますけど、いわゆる女性を視点で書いてたものっていうのはあるんですか?
主人公っていう意味では、あれなかったかな?
そうですね、多分初めて女性主人公で書いたらしい、主要登場人物がほぼ全員女性っていうのは初めてですね。
逆に今あれなかったかっていうぐらい、ちょっと逆説的かもしれないです。
あんまり、もちろん戦争とジェンダーっていうことはありますけど、
ご自身の中で何か小説を書くときに、男性か女性かとかですごく、
自分は男性だから男性を書こうとか、女性は逆に書こうとか、あんまりそういう意識今までもなかった感じですか?
そうですね、テーマに即してそれが見つかっていくんですけれども、男性の方が書きやすくはあるんですよ。
だから、戦争とジェンダーって大テーマを見つけた時によって、これはもう女性主人公でやるしかないっていう。
これが男性主人公の周辺に女性兵士がいる話だったら絶対成立しないんだって書けるけど、
すげえしょうもないものが書けるけど、それじゃダメだからっていうふうに思って、
これはもう女性主人公でやるべきだし、周辺も全部女性にしようっていうふうに決めたのは今回が初めて。
ただ、今後やっていかないかといったら、やる可能性はあると思います。
別にそれはジェンダーが主要なテーマじゃなかったとしても。
エンディングのお時間です。
インタビューでは皆様からの早川さんへのご質問や番組への感想、取り上げてほしいテーマなどを募集しております。
いただいたご質問等はこの番組内で取り上げさせていただきます。
概要欄のURLからお寄せください。
そして、人と一体一で会う前、会った時、会った後に何をするか。
著名人から資生の人に至るまで18年間、2000人以上にインタビューし発信を続けるプロインタビュアーの早川陽生さんが、
そのすべてを余すことなくお伝えしているアウチから妖精講座。
早川さんからの無制限コンサルティングがついた映像コースとリーズナブルな価格でスタートできる音声コース。
映像と音声お好みの受講方法からお選びいただけます。
詳細や受講の申し込みは概要欄に記載してある、アウチから妖精講座のホームページをご覧ください。
そしてもう一つお知らせです。
早川さんと参加者の方がお気に入りの本をシェアし合うQRカフェも、
7月の15日金曜日19時からZoomにて開催されます。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
早川さん、今月の本の紹介をお願いいたします。
世界史を俯瞰して思い込みから自分を解放するということで、
深井龍之介さんという方の本を今回は取り上げたいと思います。
歴史って小学校、中学校、高校、大学とやっていますが、
果たしてどれだけの人がどれだけをきちんと理解したり生かしているかというところで、
これはまさに僕のことなんですけど、
深井龍之介さんは古典ラジオという大人気のポッドキャスト番組、
もともとはYouTubeから始まった番組なんですけども、
すごく歴史をわかりやすく楽しく学べるラジオで、
すごく人気の番組をずっとやっているんですけど、
その深井さんが今回この歴史志向ということで、
古典ラジオとは切り口が違うんですけども、
歴史上の偉人を通して、
例えばチンギスさん、イエス・キリスト、コーシー・ガンジ、
カーメル・サンダース、ゴーダム・シッタルさん、
偉人を通して歴史志向の大切さを伝える、そんな本となっています。
やっぱりよく言うのが、愚か者、愚者は経験体験に学び、
賢者は歴史に学ぶという言葉がありますけど、
愚か者の僕としてはですね、
そこに毎月勝手にはい郵便ですって新聞と一緒に届くんですよ。
届いて設定しておくと朝起きると通知してもしなくてもいいんですけど、
自動的にダウンロードされているので埋もれることなく、
そうそうこれ更新されたんだっていうことで自動的にもうダウンロードもされているんで、
パケットとかネット機にすることなく耳でそのまま外に飛び出せると。
当然やっぱり流れ劇が非常に大きな魅力ですので映像とか見る必要なく、
ランニングしながらでもいいですし、移動しながらでもいいと。
もっと言うとね、マナさんもそうかもしれないですけど、
YouTubeって僕も見ますけど、結構実は意外とYouTube聞いてる人多いんですよね。
見てるんでしょ。
実際あのYouTube別に有料版じゃなくても聞いてるって人多いと思いますけど、
僕は有料版で入ってるんですけど、有料版にするとオフライン再生。
つまりそのYouTube上にダウンロード。
もっと言うとさらに画面消えても再生できるバックグラウンド再生。
これってポッドキャスト側からするとまさにそれってポッドキャストなんですよね。
今話、君が話したように。
つまりそれはポッドキャスト側の話なんで、もちろんYouTubeというか一般のエンドユーザーにとってはどうでもいい話なんですが、
ただ利便性としてはそういうことだよっていうことなんですよ。
ポッドキャストっていうのは。
ありがとうございます。
今僕たちのお話を聞いて、
マナさんどうですか?
ポッドキャストに関してよくわかったこととか、
まだちょっとわからないことがあるなとかありますか?
よくわかんないことはないですね。
ただポッドキャストがすごく便利なものっていうのがめちゃくちゃ伝わったのと、
あんまり私たちの生活圏から遠いものなのかと思いきや、
実はYouTubeのように見えたり、それよりもっと便利な機能があったり、
すごく身近で使いやすいものなんだなっていうのが今回の私の大発見でした。
よかったです。
ということで、今回はポッドキャストって何っていうことについて、
インタビューチームの3人で話をしてみました。
ポッドキャスト、ラジオだったり音声配信に興味をお持ちいただいた方は、
詳細、概要欄に記載してあるポッドキャストブランディング講座のページをご覧になられてみてください。
ということで、エンディングのお時間ですけれども、
冒頭話してて、自分で言いながら気になったことがあって、
早川さんって夏休みってちゃんと期間区切って取られてるんですか?
区切ってないですね。区切ってないですが、
子供がね、学校とか幼稚園あるんで、
基本的に、それは土日の話で、夏休みはね、
子供と一緒に30日入るとかないから、かなり適当ですね。
だからもはやほら、夏休みだけにかかわらず年間何日休みがあるかとかさ、
数えたこともないし、全然わかんないですね。