コンピューターでの表現に結構がっつり関わってるっていう感じですね
割とこうなんていうかな
守備範囲広くっていうとあれなんですけど
浅く広くやっているという感じで
メインでその教育者として活動していて
その二足のわらじという感じで個人でのクリエイターとしてもやってるという感じなんですかね
そっちは自分だとクリエイティブコーダーという感じで肩書きを名乗ることが多いんですけども
プログラマーだったりとかアーティストのちょうど間というか
なんかいいとこというかそういうなんかコウモリ的なスタンスでやっています
でもそのスタンスはすごく僕もより理解できるというか
プログラマーと言い切るのもちょっとあれだしアーティストと言い切るのもちょっとみたいな
狭間の存在なのでちかしいところがあるかも
なんかそのあたりって実はなんかつい最近までというか
どっちかを選ばないとなんかいけないんじゃないかみたいなふうに自分は思っていたところがあったんですけど
アーティスト的にやっていくのかそうじゃないのかみたいな
最近はそのコウモリを追求していくとか
あの状況に応じてそのなんかこういう側面もありますよみたいな感じで
こうなんか軸足を重心をずらしてやっていくみたいな
その自分の軽妙さみたいなところはあの一つ他の人と違うところかなっていうのは
思うようになって意識してそういう動きをするようになった
RPGでいうと魔法戦士みたいなポジションとか
そうそうそうそうだからそんな強い敵は倒せないんだけど
間だからこそできることをやるみたいな
そうそうそう仲間を呼ぶとかそういう
クリエイティブコーディングっていう言葉が出てきましたけど
その基本プログラミングって何かしらの目的があってやるというか
システムを作るだったりとか何か問題を解決するみたいなのがあって
そのための道具としてコードがあるっていう感じですけど
なんていうか目的を持ってコードを書くっていうよりかは
なんかその高尾さんの日々の活動とかを見てると
そのコードを書く中で自分が何かを発見していくことに
重きを置いてるのかなっていうふうな感じはあって
僕らもそのディレナティブアートの本とか読んだりとかはしていて
そのプロセッシングでコードを書くだったりとか
っていうことも僕も鉄頭さんもあの経験者ではあるので
なんとなくそのスタンスっていうのは結構理解してるところではあるんですけど
その中でその高尾さんのデイリーコーディングっていう
毎日それその新しいことをやり続けるっていうのを見ててすごいなと思って
オープンフレームワークスだったりとか
あとはまあデバイスといろいろ接続するときにCプラの方がいい時もあったので
使っているんですが
ただ2次元のグラフィックをきれいに描画するときにプロセッシングの方がきれいだなと思うことも結構あるなぁと思っていて
まあ気の利いたメソッドが多いですよねこの
なんていうかラインのこうエンドをプロジェクトにするのかラウンドにするのかみたいなそういうことをそういう細かいところでもオープンフレームワークスと違ってちょっとフォントの描画がすごいやりやすかったりとか
そういうのが必要なときはプロセッシングだなぁと思って使う時もあります
なるほど
はいちょっと細かい話になっちゃいました
すごいなんかただなんかそのいろいろ行き来ができるのはすごいなんかいいなと思います
僕は実は今P5JSっていうクリエイティブコーディングの環境で主に
プロセッシングのブラウザ版みたいな感じですよね
そうですそうですJavaScriptの記法で書けるっていうやつですね
それを使ってるんですけどもう多分できない気がする
プロセッシング1本でしたっけ田川さんは
そうですねというかもう今P5JSじゃないとダメかもしれないなみたいな感じで
かなりがっつり1本でやり込んでるっていう感じなんですね
なんかちょうどいい感じというかあの適当JavaScriptってあの結構適当な感じするじゃないですか
関数の概念だったりそうそうそう型とかなんかいろいろな部分がそれが実はすごい自分のコーディングのスタイルと合っていて
例えばそのなんか画像を使うとか音を使うとかっていう時とかも
なんかいちいち型の型のことなんて考えなくて画像を使いたいしとか色だったりとかっていうのも
なんかその型を意識しながら作っていくとって結構なんか構造的にというか
なんていうか形をまああの想像しながら書いていくところがあると思うんですけど
自分は割とこう何が出るかわかんない状態で書いていくみたいなことをやっているので
即興的というかジャズ的というかなんか かっこいいですね
いやかっこよく言うとそう だけど
ロマンの表現すごいいいなと思って
だからキャンバスはあるけどキャンバス何かかは決まってない状態で書いていくみたいなところがあるので
その時になんかその何がその型とかそのデータの状況みたいなものって
あんまり意識しないで書けた方が想像が広がるので
なんかその辺とJavaScriptっていうその曖昧な言語というか
柔らかい言語みたいなのはすごい相性がいいのかなと思って
それ本当あの僕が初めてそのプロセッシング触った時に本当に思ったことですね
プロセッシングもあのP5JSじゃなくてプロセッシングの方でIDEが最初から準備されてあって
インストールしたらすぐコードを書くことができるっていう環境なんですけど
あれってそのファイル1個作る時にそのプロジェクトのことをスケッチって呼ぶじゃないですか
あれとかもすごいプロセッシングのなんかスタンスがすごい現れてる部分だなと思って
新しくファイルを作るとそのファイルって普通なんかこう保存する時に名前つけないといけないじゃないですか
じゃなくてプロセッシングの場合ファイル作ったらそのファイルがもうすでに名前がついててその日の日付がついてるんですよね
で保存する時には名前のことなんか考えなくていいしもうコード書いたらすぐ動くしっていう
なんていうかスケッチってそのスケッチブックを本当に開いてなんか書き始めるけど
子供とかが落書きする時って何かを書くぞって思って先に構図を考えてとかってしないじゃないですか
書いていくうちになんかこれなんかに見えてきたみたいなとかこれ書いてみたらどうなるんだろうみたいな
その実験が行われる場所としてスケッチがあって何を作るかとかそんなことは考えなくていいみたいなのが結構色濃く現れてるなと思って
そこがなんか面白いなと思いますね
なんかちょうどその2015年とかテッドーさんと僕が始めた頃はそういう意味ではプロセッシングとかクリエイティブコーディングみたいなもので少し枯れ気味というか
僕の印象ではプロセッシングはそんなに盛り上がってなくてなんかその辺も僕はちょうどよく感じて始めたところがありますね
居心地の良さみたいなのが
なんかトレンドを追いかける的なそのやっぱりそのリアルタイム cg の世界だと色々ありますよね
だけどそうじゃないちょっと枯れたなんか畑というか
誰もいない山奥で
そうそうそうなんかそこまでじゃないんだけどなんかちょっとこう雑草とか生えてそうな
人いないかなーみたいなここはいないかもしれないなーみたいなところでちょこちょこやり始められたのは良かったかもしれないですね
なんかもうそこから大都会に出てきたような感じ
田舎のネズミが
最近はそんな感じもしますね
僕らも割とそういうとこあるのかもしれないですねまあ個人でものを作るっていうのは結構すごく個人的な行為だし
鉄頭さんとかはもう特にも実質で誰に言われるでもなくなんか変なものを作り続けて
それを最近になって世に出せるようになってきたみたいな感じじゃないですかね
そうですねまあ最初は今も今もかもしれないけど自分で見たいから書いていて
満足して表に出してないものも実は割とあるんだけどなんか良くないなと思ったりしながら
自分で満足して終わっているってことはまあまあありますね
デイリーものづくりみたいなのはコーディングに限らず色々
そうですねまあ3Dプリントとか基盤を作るとかそういうのを含めると
その何ヶ月か単位でテーマを変えながらちょこちょこ作ってるなという感じですかね
まあまあ僕の話は置いといてそれより
いやでも僕はでもイメージクラブの活動は本当にずっと拝見していてというか
恐縮ですもんねありがたい
特に関心が似てる部分があると思うのはやっぱりそのイメージってところかな
見てるものだったりとかあのテッドーさんのレンズのプロジェクトとかも
元々僕写真映像がすごくまあ研究大学院では研究してたので
こういうアプローチかっこいいなぁみたいな
テッドーさんのはレンズを自作するってやつですよねカメラの3Dプリントで
それって結構根源的なところになんかこう触れる感じじゃないですか画像解析とか
なんかそういうなんか
そうですね結像ということ自体がちょっと好きというか
そこに触れるみたいなのを個人でスタートしてやられてるとかすごい刺さったし
恐縮です
あのあずまさんのgoogleストリートビューの作品もやっぱりその
googleマップとかでそのデジタルイメージというかなんか撮るもんないし
なんかあのどこでももうインターネット経由したらどこにでも行けるとか見れる感じとかを
でもなんていうかなそこでしか作れない作品というかなそういうものを作られているような気がしてそれがまあ生活とか
あの一市民というかなそういう目線で作られているところはすごく共感して見てました
いやー光栄もいいとこですよね
すごいきっちりこう評価されて恥ずかしい感じですね
そう僕らとその高尾さんとの違いはその正規の美術教育を受けてる人間ではないという
高尾さんはそのイアマスでその過ごしてた時期があるっていうので
ありますあります
なんで結構そういう視点からのこう自分僕らのイメージクラブの活動がどういうふうに見えているかみたいなのは結構興味があるところではありますね
いやそういう意味では本当になんというかあの素朴な問題意識からスタートして今のメディアというか
あの新しいメディアっていうところなんかもしれないですけどそこでできることでその問いというかなそこに
取り組んでいくみたいなところはすごく共通している部分があるしめちゃくちゃ共感してます
ちょっとどんな気持ちでしたらいいことしてる感じなのか悪いことしてる感じなのか
どうも想像できないんですよね
なんか当時その家族とラインをちょうど完売のタイミングでしてて
その日あの鉄頭さんと似ててあの引っ越しの退居の日だったんですよね
であの立ち会いに行かなきゃいけなくて鍵の受け渡しとかででなきゃいけないタイミングで完売しそうになってて
そわそわ
気が気じゃないです
売れるみたいな5分であの1000点ぐらい売れるみたいな
数字がどんどん減っていくすごいみたいな感じで見てて
今日ハンバーグ食べたいんだけどみたいなお祝いにハンバーグ食べたいんだけどみたいな話とかをしてたのが記録に残ってて
いやー相当ななんていうか
良い悪いじゃなく負荷がすごかったんだろうなと思いますけど
それからたぶんいろんなNFTに関してはいろんな角度からいろんなことを言う人がいると思うんですけど
なんていうかまあ善悪みたいなことだったりなんていうか合理的ですごい良い方法だと思う人もいたりとか
感情としてどうなのなんていうか騙されたらどう感じるかっていう観点もあるかもしれないし
だからちょっと僕NFTが怖くて近づけないというところにいるんですけど
なんていうかそこに勇気出してこう殴り込んでいったっていうのがめちゃめちゃかっこいいなと思って
なんていうか尊敬してます
ありがとうございますなんかその僕も似た感じというかNFTの負の側面というか
様々あると思うし今もあるとは思うんですよねその陶器的な状況にそれこそその
美しさみたいなものとかもうちょっとこう正しさみたいなものがなんていうかな置き去りにされる部分というか
網膜的にというかまあパッと見良かったらいいんじゃないかみたいな
すぐうるしみたいなそういう状況もまあなんか散見される中で
もちろん自分の作品をそこで発表することには抵抗が全くなかったかというとあったんですけど
ただ一方でその勝ちづけされてない感じというかそのNFTアートのシーン自体もなんかふわふわしてるじゃないですか
かなり流動的な
でそこと自分のそのまあなんていうかデイリーコーディングとかやってるようなコードで
まあなんかさっき言ったように即興的に書いたりとかするようななんかあのカッチリしてないもの
っていうのはもしかしたら合うのかなみたいなお互いふわふわしてるから
みたいなのは直感的に感じていてだから遠い側面に色々こう行動できる自分みたいな
なんかその僕自身も勝ちづけされているアーティストだと思ってないので
なんか大学の教員だったりもするしなのでちょうど状況に合わせて動けるし
アイデアもそこのよくわかんない場所で表現できるし
それがまあある種の寄付だったりとか社会をより良くするような活動に使うっていうので
ハックできたらまあ結構痛快なんじゃないかとかはあの当初考えてた感じでしたね
そうですよね僕もなんかその結構最初にGenerative Masksが公開された時の印象としては
割とちょっとなんていうかNFTっていうまあ陶器にしか目がない人たちがやってることに対して
アーティストの人がそのお金を集めるっていうことをやって
でその集めたお金をちゃんとアーティスト側に還元する寄付によって
その陶器の人たちからお金をこうなんていうかネズミ小僧的な感じというか
なんていうんですかねなんかそのかっさらっていくっていうその痛快さみたいなのを感じてはいたんですけど
多分そんな単純な構造じゃないんだろうなっていうのを後からこうじわじわその
Generative Masksも別にそれをやり切って終わりっていうプロジェクトでは全然ないし
僕そのGenerative MasksのDiscordが多分メインでコミュニティーになってると思うんですけど
そこにこっそり入らせてもらってて1週間ぐらい様子を見たりとかをしてるんですけど
偵察してたんですか
その中で活動してる人は別にその売り抜けたいみたいなモチベーションでやってるかというとそんなことはなくて
どうやったらそのGenerative Masksっていうコンセプトをうまく伝えることができるかとか
魅力を高めることができるかみたいなことを考えてやってるっていう活動してるっていうのが見えたりとかしてたので
なんかそんな単純な構造じゃないんだろうなっていうのはなんとなく感じてます
そうですよね、その辺って僕自身も実はその売上げが完売したタイミングで感じたことだったんですよね
でも完売するまでは想像が及んでなかったところで正直なところ1万点作品が売れたらイエーイみたいなハックでいってイエーイみたいな感じで
もちろん考えてたんですけど、さっき1ヶ月ぐらい9月ぐらいはプレッシャーがすごくてみたいなのはまさにそこで
プランを作って今動いてるところです っていう結構ハードな時期がありつつ
最近になってそのまあ収録始める前におっしゃってたのがなんか開き直ってきたみたいな
気持ちとしてはなんかもういいだろうみたいな何やったってっていう感じなんですかね
まあそうですねなんか吹っ切れたというか僕自身はこのGenerative Masksの作品は
僕個人の理工的な遠観と呼んでいるそのGenerative Masksと自分と
あとはあの広い意味でのクリエイティブコーディングのコミュニティの3つがあの価値を循環させるというか
あのなんていうか僕の活動が面白くなったらGenerative Masksにも価値がなんていうかな
認めてもらえる可能性があるしGenerative Masksの流通というかな売り上げとかがある程度確保できたら
それを僕が寄付できればそのクリエイティブコーディングのコミュニティにも支援ができて
で仲間たちが面白いことができたら僕も面白くできるみたいな面白くなるみたいなそういう風な
いいサイクルが ただまあすごいそんな絵空事いけるんかみたいなぐらいの
結構なんかいろいろツッコミどころが満載の遠観だと思ってるんですけど
それをまあ今を目指しててでそれをやる時にあの最近特にその9月頃ですね家族に言われたんですよね
今なんかそんな楽しそうじゃないんだけどみたいな昔ほど
なんかコーディングしたりとかなんか活動やらなきゃいけないみたいな感じで家では言ったりとか
時間ない中でコーディングしたりそのプロジェクトのことの打ち合わせとかをやってる中でもちろんそのある意味で評価されるというか
取材だったりとかなんかそのたくさんお声掛けいただいたりとかする中で
ただどんどん余裕がなくなっていって睡眠時間がなくなっていってその家族との接する時間とかも少しずつ減っていった中で
なんかそれってやりたかったことなのみたいな話とかになってその時にちょっとハッとしたというか
これ全然良くないみたいな
自分のなんか生活とかねあのデイリーコーディングってそういう活動だと思ってたので
生活とか人生とかそういうものをまあ行動とつなげて表現するって活動だと思ってるんですけど
それをないがしろにしてまでなんかこうやっていくことじゃないみたいな風に気づいて
もちろん昔からそうだったとは思うんですけどより何というか競争というか
コラボレーションだったりとか影響を受け合いながら
それをなんていうか形にしていくとかやっていくことが割と当たり前になってくるしもっと当たり前になるだろうなっていう
一方でなんかそれはそれで結構しんどそうだなっていう感覚も若干あって
NFTアートとしてプロジェクトとして立ち上げる
でそこにこうなんかNFTアートっていうもののその一つの側面として
そのアートにそのなんていうか資本の論理を流入させるみたいなところがあるのかなと思ってて
それで発行してしまった以上市場で取引されてしまうしそこでその取引価格というものが定まるじゃないですか
価格が数字で定まるとそれが点数みたいな感じで扱われて
これを上げるためにはどうすればいいかみたいな下がってきたぞみたいな
スタートアップとして立ち上げたのにいきなり投資を一部に上場してしまうみたいな感じというか
常に追い立てられてしまうみたいなところもあるのかなと思って見ていて
そういう状況にどうやって対応していくかみたいなのも結構考えないといけないんだろうなっていう感じはしますね
そうですね NFTとクリエイターの関わりでどういうふうに関われるかっていうところはあると思うんですけど
なんかそうだな自分のペースが多分一番大事
だってNFTはもちろん残るしなんかずっと続いていくというかその発行したものはずっとブロックチェーン上に残っていくもんですけど
でも一番近いのは自分だから自分が健康だったりとかなんか心をそれで病んだりとかしないようにとにかくした方がいい
めっちゃ大変だ 病んじゃうよこの状況に触らされると
分かります分かります 僕も特に8月からの1ヶ月とか2ヶ月の間は要はその作品の価値が変動するんですよね
そうですよね 数字で常にリアルタイムで
でまぁそのどれぐらいの取引量かとかなんかそういったことを今までは全く何も考えないで
なんか楽しいみたいな感じでクリエイティブコーティングができてたけどまあそういうのを意識するようになってしまって
でどうしたらいいだろうとか何ができるだろうみたいなそういうふうに追い立てられてた部分があったんですけど
結構その上場してる会社の社長みたいなメンタリティー求められます
そうそうそうなんかてこ入れしするべきかみたいなしか
少しずつこう健全にデジタルアートというかな
ジェネラティブな作品みたいなものを流通させたりとか
そういうシーンみたいなのは生まれつつあるって感じがしてます
そうですね結構そのままNFTっていうものに対する見方はかなりこう2分されてるとは思うんですけど
陶器の論理で動いちゃってるのでそのものの価値っていう作品の価値っていうよりかは
それがそのバブルだから上がるからそれを買ってもっと高く買ってくれる人に売りつける
それで終わりみたいな感じのその世界にその自分の作品を投じるっていうのに対してかなり
抵抗はあると思うんですけどもうちょっといろんなこう使い方というか
まだNFTっていう概念自体が何て言うんですかねこうばらまかれた新しいおもちゃみたいな感じで
それをどういうふうに使って遊ぶかっていうのをみんながいろいろ考えてる
いろいろ試している最中だなっていう雰囲気はあるんで
僕のやってみたいこととしてはやっぱりそういうクラフトというか
一人が自分の手で作ってみたものを小さく自分の手が届く範囲内で流通させるとかっていうのは
なんか実験としては面白そうだなっていう感じはしますね
イメージクラブなりの視点とそのNFTアートっていう一つのメディアというかな
の組み合わせでいろいろなんかできそうなことはきっとあるんだろうなと感じてて
僕があったので
そうなんですよね
なのでなんか楽しみというかだなと
新しい技術であり何ていうかそのオーナーシップについての技術だなっていうところはあるので
今までのものを作ってそれを売る人お金を払ってそれを消費する人みたいな構図ではなくて
何かしらその作る人とそれを楽しむ人の関わり方をちょっと変える新しい使い方がなんか
思いついたらやってみたいなっていう感じはしてますね
なんかそのTwitterとかまあそのオープンプロセッシングとか
そういう場所で自分の作ってるグラフィックというかコードとグラフィックを公開していて
いいねとかコメントとかをしてくれる人っていうのはすごく増えたし
そういうものを励みになってるんですけど
NFTによってそれになんかもっとこう強いプッシュというか
関係性みたいなものがその僕作り手とまあそのそれを受けてというか応援する人の間に