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2021-12-14 29:40

腰痛が私の人生を救ってくれた?件

去年の12月の日記を読み返したら、すっごい変化にきづきました。なんかほんと昔の自分、バカじゃね❓としか言いようがない💦
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こんにちは、IKUKO Laboです。
12月14日火曜日の朝10時20分ぐらいになります。
先ほど10時ぐらいからね、録音を始めてたんですけど、
15分ぐらい喋ったところで電話が鳴って、
で、出て切ったら、もちろん営業電話だったんですけど、
切ったら何喋ってたか忘れちゃったし、
この録音を止めずにずっとやってたんで、
編集するのも面倒くさいなと思って一旦消しちゃって、
もう一回最初から喋り直しっていうところになっています。
最近かかってくる電話はほとんどが営業電話で、
ありとあらゆるものがあるんですけど、
さっきのは、御社の活動に必要な情報をご提供しますので、
っていきなり言ってくるけど、
お前は何者だと。
うちのこと何を知ってるんだって。
本当に突っ込みたくなるような、
でもそういうマニュアルなんですよね。
で、切ろうとしたら、
なんか補助金、助成金についても大丈夫ですか?
って言うので、あ、いりませんって言って切ったんですけど、
あ、そういうことかと。
そういうコンサル的な方面のやつかって思いましたね。
補助金とか助成金とかはやらないんですけど、
基本的に何、なぜやらないかっていうと、
全ての作業は私がやることになるからですね。
で、私、今の会社でやっている事業っていうのは、
楽筆というね、筆文字の教室というか、
教育事業みたいなやつなんですけど、
そんな、何て言ったらいいかな。
普通のインダストリアルな製品を作って販売しているとか、
そういうことでもないのに、
補助金持っていくのすごいなんかね、
すごいこじつけて何かしないと、
とても通るような企画にならないんですよ。
過去の経験から言って。
できなくはないと思いますけど、
全ての作文を誰が書きますかって言った時に、
例えばうち新勤さんとかも来てくれているんですけど、
新勤さんが書くわけないじゃないですか、知らないから。
じゃあ社長が、ツトムが書きますかって言った時に、
作文力もないし、なんか全然書けなくて、
結局私がやることになるので、
そっか、私がやらないからできないんですよね。
なんで、まあまあ、
何て言うんだろうね、
作文だけしてお金がもらえるって言うならまだしもですけど、
ああいうのって実際に事業を行わないといけないので、
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それまで私がやることになるので、
それはちょっと無理だよっていうことで、
それでお断りをしています。
どんな素晴らしいコンサルさんが入ろうと関係ないっす。
うちの会社を買い取ってでもくれない限り、
そして全部の授業に関わってくれて、
全部やってくれるのでない限り、
やはりできるわけがない補助金申請なんです。
そんな暇があるぐらいだったら、
朗読の一本でも作るしっていう、
そんな気持ち。
で、何の話だっけ。
電話が入って中断しちゃったっていうことなんですけど、
それまでに喋ってたことも、
そう大して重要なことでもなかったんで、
まあいいかってなったんですけど、
最初に言ったように今日12月の14日。
昨日月曜日にヒップホップの教室だったので、
帰りがけに車の中で、
ちょうど1年ぐらいになるかなって思ったので、
帰ってきてから当時の日記を振り返って見てたんですね。
エヴァノートにただ書いてるだけなんですけど、
この頃はまだ文章で書いてたんで、
とっても閲覧しやすくてバーって見てたら、
12月の15日に去年の初めてその教室に見学に行ったらしいです。
その場でやろうって決めて、
それから12月中に2回か3回受けたかな。
その後年が明けてすぐに、
お風呂場で滑って腰をひねって、
それで動けなくなっちゃったので、
それきりヒップホップ教室はお休みというふうです。
お休みする前に2回ぐらいしか行ってないかもしれない。
すごいちょっとしか行ってなかったなと思って。
ついでに、
なぜ去年の12月にそんなものを突然やろうと思ったんだろうということで、
その前の日記とかもちらちら見たんですけど、
それから去年の9月ぐらいから、
9月にちょっと腰痛めたんですよ、本当のこと言うと。
ただその時はそんなにはひどくなくて、
歩けるし、行きつけの治療院に行って治療してもらったら治って、
普通に痛いは痛いけど、動けるという感じだったんです。
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ちょっと最近腰痛いなぐらいだったんですよ。
なので9月、10月、11月と日にちが過ぎるにすれて、
とっても気持ちはもやもやしてたようだということが、日記を見るとわかります。
何もやもやしてたかというと、
ちょっとは腰が痛いんで、
当時まだスーパーのレジのパートをしてて、
立ってても痛いわけですよ。
でもやりたくないわけです、その仕事が。
本当のこと言うとすぐ辞めたかった。
でも腰痛いし辞めたいなとか書いてあるんですよ。
11月ぐらいの時点ではすでに。
でも辞めてない。
やっぱり一人抜けるとシフトもあれだしね、
言い出しにくいってあるじゃないですか。
動けないほどでもないので何とかやれるんで、
騙し騙し続けててみたいな。
パートがそれでしょ。
それ以外にも、当時まだ副業でやってるネットワークビジネスの方も、
副業とはいえ、なんだかんだといろいろあって、
ああしたらこうしたらいいんじゃないのとか、
いろいろあってですよ。
それも行かなきゃいけない。
本当は行きたくない的な感じなんだけど、
でもやっぱり仕事だしね、みたいな。
私が関わることでその人が動いて利益が出るんだったら、
その人のためにもなるし、みたいなこと。
事実そうなんですけど、
でも当時の文章を見ると明らかに行きたくなさそうな、
やりたくなさそうな、
そういう用事がいっぱいあったみたいで。
それ以外にも、いろんなしがらみ的に受け負っている役割とか、
そんなのもいろいろあって、
さっき日記を見返した限りでは、
ほとんど全てのことが嫌だったみたいですでに。
気が進まない。
少なくとも楽しくはない。
でもやらなくちゃいけないことだから。
私がやらないと誰かに迷惑がかかるから。
あるいは私がやったら、
その人にメリットがあるかもしれないから。
なんとか理由をこじつけて、
一生懸命断らずにやろうとしていた。
というのが去年の9、10、11月ぐらいだったみたいです。
多分ですけど、
嫌になっちゃってたんですよね、そういう生活が。
我慢ばっかりで、
やりたくないことばっかりで、
だけどやらなくちゃいけないことばっかりで、
そんな中で、
ヒップホップを突然見学に行ったっていうのは、
たぶん、確かに前々からちょっと興味はあったんです。
いつかやりたいなって。
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でもいつかいつかって言ってる間に、
もう60歳じゃないですか。
で、いつやるの?みたいに思って。
で、いくらなんでもこの人生、私の人生なのに、
どうしてこんなにうまくいかないっていうか、
思うようにならないんだろうって。
せめてダンス習うぐらいはいいだろう。
好きなことやらせてもらうみたいな気持ちで、
見学に行ったみたいです。
だから、自分自身のささやかな抵抗というか、
そういう感じですよね。
で、そういうのをやり尽くした後で、
年明けの1月10日に、
お風呂場のマットでちょっと滑ってね。
ほんのちょっとですよ。
そんな3センチとか5センチとか。
とっさにキュッと体をひねった時に、
腰の骨のところがキッてなって、
そっから歩けなくて。
何もかもどんなにすごい理由があろうが、
全く歩けない、立てない、座れない、
寝てるしかないみたいになって、
緊急事態になりまして、自分の中でね。
当然パートの仕事はお休みするし、
それ以外のことも全部キャンセル。
理由が明確だったんで、動けないと。
で、そっから何ヶ月にも渡って、
腰痛自粛と呼んでるんですけど、
腰痛は理由にして全てを断るっていう、
生活をし始めました。
確かにね、最初の1週間、
3日ぐらいは本当に起きれなかったし、
それでも行きつけの治療院に、
なんとか連れてってもらって、
少しは動けるようになっていくわけですよね。
それでも最初の1週間ぐらいは、
マジ何もできんっていう。
家事もできない。台所も立てない。
立っても何もできない。
っていう風に全て家族にやってもらうっていうのが、
1週間はありましたけど、
その後は徐々にだんだん動けるようになっていくんですけど、
仕事関係は全部断ってて、
結果的には、
パートのスーパーのお仕事は、
先方から、
クビっていうか、
もう来なくていいよ的な、
次の契約更新はできないからねとか、
なんか言われて、
案に退職を迫られるみたいな風で、
喜んで退職したんですけど、
周りのみんなはね、
次の契約更新まで6ヶ月もあるんだから、
ずっといればいいじゃんって言われて、
そうそうなんですけど、
それ以前から私はすでに辞めたかったので、
よし、みたいな。
会社がこうやって言うもんしょうがないよねとか言って、
サクッと辞めたっていう、
そんなことがあったりして。
で、それ以外の用事も、
実際には頑張れば動けても、
ちょっと腰が痛いからいけない、ごめんかなんかで、
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全部キャンセルするようになって、
その時の、
その時の腰痛自粛の期間が、
あまりにも楽しすぎてですよ。
その間ずっと毎日YouTubeを見て暮らしてたんですけど、
それが幸せすぎて、
で、そこで私は一気に、
すっごい昔の子供の頃みたいに戻っちゃったんですよ。
あの、小学生だった頃の夏休みみたいな感じ?
部活もない、品もないし、
ただ家でダラダラしててよし、みたいな。
そういうのにポンと戻って、
そうしたらもう二度とそこから動けないと。
で、戻りたい仕事が一個もなかったって言ったらいいのかな。
逆にスーパーも戻りたくないし、
それ以外のネットワークの仕事も、
辞めたわけじゃないんですけど、今も定期的に、
ほんのわずかですけど収入はあるので、
何か協力できることがあれば、もちろんやりますけれども、
自分から積極的に、
それが仕事のようにして動くってことはもうないなと。
で、他に何があったっけ?
あ、そうですね。ホームページ制作のお仕事ですね。
ワードプレスを使ったお仕事とかっていうのも、
あの、ちょっと問い合わせっていうか引き合いがあったんですけど、
ずーっとペンディングになってて、私も知らんふりをしてて、
やりたくないんじゃないの?と自分で思い、
そして、お友達が設立したばかりの会社があって、
そちらに全部振っちゃう。私はノータッチで振っちゃう。
というふうに、つまり辞めたわけですよ。
ホームページ制作、住宅も。
全部辞めちゃって、完全に無職っていうか、
その会社のね、さっきも電話かかってきましたけど、
会社の役員であるので、報酬はいただくんですけど、
でも、役員でいただくというよりかは、
まあ、会社のオーナーなんで、私の100%株主なんで、
当然もらいますよ、みたいなふうで、
あの、役員として、
ウェブの管理、運営っていうところかな、
報酬はちょこっといただいておりますけれども、
まあ、お仕事的にはほとんどしてないので、
無職というふうになりました。
あれ、タイミングどっちかな。
そのワードプレスの仕事をやめようって、
本当に決心したのが先か、
YouTubeチャンネル始めたのが先か、
YouTubeが先かな。
ほぼ同時くらいですね。
うん。
まあ、そういうのと入れ違いにっていうのかな。
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嫌なこと全部とにかくやめちゃって、
その直後に、なんか、
ふっと始めたYouTubeチャンネルにはまっちゃって、
で、以来、それ以外のこと何もやる気がしなくって、
というふうで、今に至っています。
だから気がついたら、
今年のね、2021年12月の時点で、
気がついたら残ったのは、なんとその、
3回しか行かずにずっと休んだヒップホップ教室と、
それから、前から続けてるジャズダンスはあるんですけど、
それと、朗読チャンネル。
以上終わりっていう感じじゃないですか。
もちろんね、ダンスの方は、
今言った以外にも、新しい、別のヒップホップ教室、
月に2回っていうのが、今月から始まってるので、
それとかも入れると、もっと回数は、
他にもあるんですけど、いくつか。
でも、そのヒップホップっていうものと、
縁のなかった私にとっては、
去年の、そうですね、12月に2回か3回ちょっとやっただけの
ヒップホップが、
こんなに自分の生活の支えみたいに、
楽しみ、毎週の楽しみの一つとして、
柱みたいになるとは思いもしなかったですよね。
当時あんなに嫌だったことたちは、
どこへ行ってしまったのかしらって、
あの頃なんで悩んでたのかしら、
なんで辞めれなかったのかしら、
ということがむしろ逆に不思議なぐらい、
なんでそんなことやってたのかしら、自分はって、
と思うくらい、生活が激変しています。
1年のスパンで見たら。
そうそうそうそう。
これどういうことでどうやって変わったのかなって、
時々私も思い出してはこう思ってて、
だからこのポッドキャストでも同じような話を何回も何回も、
多分ずっとしてると思うんですけど、
もちろん何かがあって突然変わるっていうんじゃなくって、
徐々に徐々にいろんなことがありつつ変わっていくんですけど、
今日振り返ったことで言えば、
もう明らかに腰痛ですね。
腰痛っていうか、
腰のお尻の、左のお尻の上の方って言ったらいいのかな、
腰に近いところの、
多分人体か、あるいは筋膜か、
そういうのに損傷、傷伸びちゃったとかね、切れちゃったとか、
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そういう怪我だと思うんですけど、
だから骨ではないっていう、
軟骨とかでもないっていうところです。
だから普通ね、スッと治っても良さそうなようなものなんですけど、
全然治らないところが酷くなるっていうところで、
今回腰痛自粛になったんですけど、
この腰痛がなかったら、
私は今でも去年のまんまの生活を続けてる可能性があって、
腰痛が思いの他に酷くって、
本当に動けないぐらい、
びっこ引いて歩くようなのが何ヶ月も続いたからこそ、
周りの皆さんも納得づくで、
いろんなことを免除してくれたし、
関係性を壊さずにですよ。
ネットワークビジネスもそんなに、
なんていうのかな、
すごく誰かをがっかりさせたとか、
失望させたとか、
感情的に対立しちゃうとか、
そういうこと一切なくて、
だって腰痛ですもん、しょうがないじゃない?
私はやりたい気持ちがないわけじゃないんだよ、だけど、
腰痛だから、みたいなことで、
腰痛ってすごい、もう免税婦みたいに、
免税婦じゃない、免罪婦。
すごい免罪婦みたいになって、
みとこも陰謀家ぐらいの勢いで、
全てのことが免除されたんで、
本当に痛くさえなければ、
腰痛すごいな、いいなって思っちゃったりするぐらい、
すごいんです。
これが内臓系の疾患だったらね、
がんになっちゃったとかだと、
しゃれにならないじゃないですか。
それこそ、命が、みたいなね。
やりたいもやりたくないもん、
楽しいも楽しくないもん、
時間自体がなくなっちゃう、
大変じゃん、みたいに。
でも、腰痛って、どこまで行っても腰痛なんで、
たとえ治らなくて歩けなくても、
それでも命はなくならないのでね。
程よい感じの、
助け舟が与えられたというふうに、
私は今感じています。
これっていうのは、私の体が、
私のことを一番よく分かっていて、
この子が何か優柔不断にね、
いろんなことができ、
こどわれなくて、
何かやらなきゃいけないっていうふうに、
背負っちゃって、
本当はやらなきゃいけないわけでもないかもしれないようなことたちを、
こどわれずにいるぞと。
よし、腰痛になってやるって言って、
腰痛をくれたような気がして、
あんまりあちこちで言うとね、
品縮を買いそうなんで、
あんまり言わないんですけど、
でも本音のところでは、
しっかりそういうふうに思っています。
だから腰痛になったら、
あれしたら治るかも、
これしたら治るかもって言われても、
いや、そんなに早くは治りたくないんだみたいな、
そんな気持ちが最初からあったのは、
正直なところです。
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もちろん自分なりにはいろいろ探したりしましたけどね。
それでもおかげで、
腰痛のおかげで失ったものっていうのが、
いらないものばっかりだったっていう、
捨てたくてたまらないものばっかりだったっていうことは、
事実としてあるなと思います。
それからもう1個もしあるとしたら、
1月の30日か31日に、
腰痛の最中ですよ。
まだちゃんと座れないぐらいのときに、
Zoomで習っているエリクソンサイミンの自主練があったときに、
サイミンかけてもらったんですよ。
腰痛が、腰が痛いから。
ちゃんと治って、
自分のしたいような、
自由な生活ができますように、
具体的にはダンスがもっと踊れるようになりますように、
みたいなことを言って、
サイミン誘導をしてもらったんですけど、
そのことの結果と今起きている状況は、
かなりぴったり合うなって思っているので、
あれも良かったかなとは思います。
ただ、そういう誘導をしてもらうに至った、
その成り行きっていうのも、
腰痛あればこそで、
腰痛になっていなかったら、
じゃあ私が被験者になってかけてくださいっていうこともなかっただろうし、
またそのダンスが上手くなりたいだもんっていう、
唐突にそんなようなことをしゃべるようなこともないので、普段。
だからそんな話題も出せなかっただろうし。
やっぱり、そもそも腰痛になったこと、
1月10日にお風呂場で滑ってひねったこと、
あるいは、さっきだって去年の秋くらいから、
ぼちぼち腰痛だったこととかが、
私の人生的な進路をものすごく変えたような気がします。
横からバーンと、運転してたら横からバーンと、
なんか車が衝突してきて、
私の直進しようと思っていた車の進路がバーンと、
左に逸れちゃったみたいな。
でもその左に逸れた道が本当は行きたかった道だったみたいな。
そんな感じで、無礼事故的な腰痛だったんですけど、自分的には。
でも必要なことだし、望ましい展開になったなと思って感謝しかないです。
本当忘れてるんですけど、去年の日記を読んだら、
いろいろ悩んでるみたいでお気の毒さまだったんですよ。
自分の努力でいろんな人がうまくいかないとかいうのも、
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私の努力でなんとかできるんじゃないかと思ってたし、
今じゃそんなことは一切思わないですよ。
自分自身の未来でさえ、そんな自分で勝手に思うようになるわけじゃないのに、
人様の人生を良くしてあげようだなんて、そんな無理に決まってんじゃんって。
その人はその人の人生ってものがあるわけだし、
私としてできることは言えることは言うけど、
実際にやるのはその人だし、
やり代わって私がやってあげるとかバカじゃね?って思うし、
聞いてる皆さんもそう思われるでしょ?当然じゃないですか。
だけど去年までの私って、なんかこの人がうまくいっていないんだから、
私が手伝わなくちゃって。
ほんと筆文字についてもそう思ってたし、
ネットワークの仕事についてもそういう風に感じてたし、
だから結果的に人のことばっかり一生懸命手伝うみたいな風になって、
もちろん感謝はされる。もちろん頼りにもされる。
でもその結果、その人たちは頑張らないですね。
だって私がいるもん。
なんでも私に相談したらいいじゃないですか。
そしたら私がものすごく心配して、
自分のこと以上に心配して、
ああしたらこうしたら、一緒に行ってあげようか、みたいな。
するわけだから、こんな便利な人いないですよね。
ただで、それをやるわけだし。
なんて、何してたんだろう自分。
バカじゃね?人よしにも程があるし、
それでも結果が出るならまだしも、何の結果も出やしないのに、
延々とそういうことをするっていう、こんな人生はやっぱり、
どこかで無理がきて、どこかで破綻するに決まってて、
それで守備よく、腰痛という形でね、
終了できて、本当に良かったです。
まだ60過ぎて、とかってみんなね、
え、もう60なんですか、とかって言うけど、何をおっしゃる。
まだ30年も時間があるので、平均的に考えて、
この30年をそういうなんか、くだらないことで費やすと思ったら、
もう今すぐ死んだ方がマシなぐらい。
じゃなくて、ちゃんと自分のやりたいことを普通にやる、
それの上でなんか、その上でじゃあもっと良くしようだの、
もっと工夫しようだのっていう話はありですけど、
そもそも全く自分のことでもない他人の仕事、他人の人生、
そういうものを良くするために、
なぜ私が貴重なるこの自分の時間を使わなくてはいけないのかっていうことが、
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去年までは見えてなかったのかな、分かんない。
もうすでによく、どうしてそんな風だったのか分かんないんですけど、
本当にありがたいです。
ちょうどその変わり目のところと、腰痛っていうところと、
ヒップホップ習いに行くっていうところがタイミング的に近かったんで、
こうヒップホップ行くたびに、今日もできて幸せだなって、
上手下手とかそういうレベルのことじゃなくて、
今日もちゃんと痛みもなくできて本当嬉しいなって、
いう風に幸せを感じることができていますし、
なんなら上手い下手はちょっと置いといてですけど、
そこね、なんとかみんなの動きにもついて動けるようになったし、
1年間半分休んで寝たきりだったのにしては、
後半6月からの今まで頑張っただけですけど、
まあまあいいんじゃないのと思って、
そしたらこれから来年の12月に、
私はどんな風に思ってこのね、
今日のことを思い返すのだろうなと思って、
この1年の変化っていうのを見ると、
ここから来年まで1年の変化っていうのも、
これがそのまま続いていくっていうことだとも限らないですよね。
今ちょっと想像もしないような新しい展開っていうのが、
次の1年のどこかで起きてくるっていうことは十分に考えられるし、
それがもう他の誰でもない私自身の喜びとして起きてきたらいいなって思ってます。
本当に。
年末だからこういう話をしたっていうわけでもなく、
日々私結構こんなことばっかり思ってるんですけど、
とにかく年齢とか全然関係ないし、
60からヒップホップやってもまあまあそこそこできるし、
何にもあれですね、それは若い人のようにはできないけど、
もともと自分が若かった時にどんだけの運動神経があったんだって考えたら、
若きゃできるっていうものでもなかったんじゃないのかなって思ったりもしながら、
来年はもっともっと楽しい人生を生きていきたいなと思ったりしています。
はい、すっごい長いこと喋っちゃった。
お聞きいただきありがとうございます。ではまた明日。
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