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こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イクコです。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
8月8日木曜日のお昼12時26分になりました。
高校のところ、すごい勢いで毎日配信してるかなと思うんですけれども、
なんでですかね、ちょっとこう、ポッドキャストを録音するっていうことは、
自分の中のいろいろ思いついたり、思ったり、感じたりしていることが、ちょっと整理されるというかね、
そういう効果があるので、私が整理したい時期に来ていると、
ポッドキャストの配信回数が増えると、そんな感じかなと思います。
やっぱりもう明らかに、何かが整理されて、新しいことが始まっていく、
そんな予感しかないっていう、もう明らかにそうだなと思って、
前からそう思ってはいたし、当然、世の中的にも今8日ですけど、来週お盆休みじゃないですか。
そうするといろんなことがね、一旦ちょっとお預けになって、お休みして、
で、お盆明けからまた日常が始まっていくじゃない。
で、そうすると9月になると新学期ですね。
私、やっぱり小中高とずっと学校のシステムの中にいて、
予約解放されて大人になったと思ったら、また職場が学校だったので、
4月に始まって3月に卒業して終わるみたいな、そういう1年のサイクルがもう身に染み付いちゃってるんですよね。
で、学校辞めたと思ってしばらくしたら、今度子供が学校に入って小学校に、
で、またその1学期、夏休み、2学期、3学期っていう流れが、あれ何年ぐらい続くんですかね。
10年とか続いちゃって、もう自分のこの計画の立て方として、
1月1日から12月31日って一応は元旦に新年の目標とか立てますけど、
でも実際には4月始まりでぐるっと回って3月までを、
大体こう3ヶ月スパンでなんとなくイメージしてて、これぐらいの期間にはこうしてこうみたいな、
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実はそういうのが無意識的にあります。
今は8月夏休みの時期ですので、何を始めるっていう時期ではないんですよね。
お休みしながら遊ぶというか、そんな息抜きの時期。
で、9月になるとそういうわけにもいかないぞっていう感じがなんとなくあるわけ。
今なんか何にもないんですけど、その見張ってる上司とかもいないので、
どうでもいいんですけど、でもやっぱりそういうサイクルで生きてて。
で、偶然たまたまワックビズが6、7、8っていう3ヶ月が第一期だったんですね。
これは狙ったんじゃなくて、準備の都合でやろうと思いついたのが4月かな。
5月に準備して6月スタートっていう、それぐらいの短い期間でスタートできたんですけど、
それでもやっぱり6月からだよねってなった。
4月始まりにはできなかったって感じです。
なので、第2期が9、10、11とこの3ヶ月始まります。
で、今から第2期の募集を始めていくわけですけれども、
すでにお一人様が体験会に、体験説明会があるので、そこに予約をしてくださっているようです。
そういうわけで、9月になったらもう一回気持ちを仕切り直してね。
また新たな気持ちで第2期の人たちと関わってやっていこうっていう思いですね。
なので、それまでの8月の間はちょっとのんびりしようかなみたいな感じです。
暑いっていうこともあるし、あんまり自分をギューギューに絞り上げて、
あれもしなきゃ、これもしなきゃってやっていくと本当にパタッと動けなくなったりするんで、気をつけないとなっていうのもあります。
8月はとにかく最後の24、25がど真ん中祭りに出てよさこいを踊るっていうイベントがあって、
今年はこれに意外と楽しくて、連帯感みたいなのも感じつつ、
練習ができてるので、これを一生懸命やればいいやって、他のことあんまり頑張るのやめようっていう、そんな感じです。
とは言いながら、あちらでもこちらでも、本当今年の前半にこうやってやっていこうと思ったことの多くが、
うまくいかずに消滅してます。
よく覚えてないけど、多分今年の初めぐらいは楽筆をもう一回こういうふうにやってとか、マーケティングちゃんとしてって思ってたと思うし、覚えてないけど。
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その他にもファスティングの方とか、いくつか自分の中でこういうことをやってみよう、やっていこうっていうのを考えてたと思うんですよ。
しゃべりながら本当に何を思っていたのかなと思って、
Mac付属のフリーボードっていうアプリで図が描けるんですよ、簡単に。丸とか三角とか四角とか。
それで結構自分のやることを整理はしてるんですけど、そうですね。
3つの柱っていうのを常に常に常に常に自分の中で持っているので、
2024年はそれでも楽筆を消してますね。
去年までは入ってたんですけど、今年は消して、いくこラボとしての教育事業、これ枠ビズになったんですよね、きっと。
それからダンスともう一個新しい何かみたいな風に書いてある。
これだけかな。
もうちょっと詳しいバージョンではもっと細かくいろいろ考えてはいますけれども、
まあまあ、今年前半でやろうと思っていたことの多くに、あったあった、バツ印つけているのがありますね。
そうですね。
これやろうかなと思ったけどやめたって言って、バツ印をつけているものがいっぱいあります。
残っているほうが少ないので、そうですね。
残っているのが少ない。
特にお仕事的な感じのものはほぼほぼ入れ替えですね、たぶん私の中で。
枠ビズが新たなそういうお仕事的な活動に、私の中でちょっとやってみるかっていうところから、
ちゃんとやっていこうっていう風に、割とこの周辺にあったやつが自分の目の前に来るみたいな。
そんな感じに重要度が増しているというか。
と同時に、それに伴ってというか、枠ビズをやっていながらいろいろ思うことってたくさんあるんですよ。
こういうことがわからないのかとか、こういう情報が足りていないのかとか、それをまとめてというか、
情報提供として、何らかの動画か何かにまとめて残しておくべきだろうというのもあったりするので、
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たぶんそれを今年後半で手をつけるかもです。
自分のコンテンツ制作っていうことをないがしろにしがちなので、めんどくさいとかね、売るのが無理とか言ってね。
売れる売れないじゃなくて、アウトプットして残していくっていうことが自分にとってのプラスになるっていうこともあると思うので、
発信していくって分量を増やそうかなと思ってます。
このポッドキャストもその一環っていうか、このポッドキャストで喋っててそういうこと思いつくわけなんですけど、
おかげさまで聞いていただいている皆様のおかげで、いろいろなことを考え整理することができています。
でも、とにかく自分の行く道を自分で決めないっていうことですよ。
つまりもっとイメージはあるんですけど、
今現在、誰ととかも分からないし、何ともはっきり分からないけど、何が来るっていう予感があって生きているので、
そういうのが入る余地を残しておくって感じですかね。
自分で行動目標とかをガッチガチに立てちゃうと、それしか目に入らなくなる。
それさえやっていればいいっていう風になって、新しいお誘いとかが来た時に、
まるっきり耳に入ってこないっていうか、そういう可能性高いですね。
私は何らかの本当に自分らしさ、自分が思っていることをそのまま飾らずにアウトプットするだけで、
それで世のため人のためになっていくっていう、そういう事業があるはずだと思っているので、
出会うと思っているので、そういうアンテナを張っておくっていうことは忘れないし、
期待するっていうのともまた違うんですけど、今はまだ存在しない何かに向かって自分を開放していくっていうか、
押し出していくっていうか、そういう感覚を大事にしていきたいなと思います。
どうかな、50代の頃はそういうことはいけないと思ってたんですよ。
ちゃんと決めないと。自分のやること、目標を持って。
この目標を達成するためには何月までに何々をしていなきゃいけないって逆算して考えて、
それに向けて行動していくんだって。
これある意味正しいんですけど、
同じぐらい間違ってるっていうんじゃなくて不足してて、それで人生を100%埋めたら本当のチャンスが入る余地がないよっていう。
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ベースのところはそういうものを持っていくのは必要かもしれない。
そうしないと1年をだらだらっと過ごして終わってしまうので、
ある程度この今月はこれをしようとか、3ヶ月後まではこういうふうにしていこうとかっていう道筋は必要だと思うんですけど、
それだけを見てそれだけやってれば絶対うまくいくっていうのは自分の想定できた未来なんで、ちっちゃいんですね可能性が。
人生はもっと広げていくもので、思いもしないようなことが起きてくるんですよ。
それを拒否るか拒否らないかっていうそこ、そこだけなので、
せっかく私のためにやってくるそういう変化っていうかそういうものを拒否らずに、
いつでもパッと動けるようなフットワークを軽くしとくっていうか、地べたにデーンと張り付いて根っこ張っちゃったみたいな風だと動きたいと思っても動けないので、
そういう古い根っこみたいなのはむしろ切っちゃって浮草のようにふわふわと、
どこにでも行けるっていう状態でいきたいと思ってます。
今浮草の例えをしましたけど、
10代くらいまで私は自分が本当に根なしの浮草だなっていう風に感じてて、
ものすごく損なこと、ものすごく不利だと、ものすごく不公平、弱い立場っていうか、損してると思ってたんです。
何と比較してかっていうと、普通の人たちは生まれ育った故郷があって、
幼馴染があって、小学校の友達、中学校の友達、高校の友達、大学の友達、職場でできた友達みたいな回想が深いんですね。
古きゃいいってわけじゃないんですけど、でも小学校の時の思い出を共有できる相手とか、
いろいろなのがあるので、どこか一つでうまくいかない時があっても、中学の時の友達と会うとホッとできるとかね。
あるいは家が、実家が安らぎの場であったりとか、遅延、欠延みたいなやつ、それを残したまま大人になっている人が大部分のように思っていて、
心の拠り所っていうか、ここに帰れば安心できる場所とか、私に関しては何しろさすらいの転校生だったっていうこともあって、そういうのが一切ないんですよ。
もはや高校に入った友達なんて友達とも言えない知り合いみたいな、しかも高校出てから全然会わないので忘れちゃってるし、向こうも忘れてる、こっちも忘れてるんで、何の寄り所にもならないし、
って感じで、私にはいつも今現在一緒にいる人たちしかないなっていうのを、本当にちっちゃな浮き草のようだなと思って。
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根っこが水面からひらひらっと細いのが垂れてて、だから人生が大変なんだっていうふうに感じてたんです。
他のみんなは根っこに地面に根を下ろして、そしたら根っこがバーっと伸びて、栄養を吸収して、大きな幹ができて、葉っぱがいっぱい茂って、大きな木として安定して生きていける。
なのに私は根っこが土の中に根っこを張ってないから、ふわふわっと吹けば飛ぶような存在で、頼みの綱の、俺が働くから結婚しようとか言ってくれた夫は結婚後3年ぐらいでバブルがはじけたので仕事うまくいかなくなって、
結婚後10年ぐらいかな、家に引きこもって収入ゼロになるでしょ。こんなことってあるって。私がもしも家がちゃんとしてて、大黒柱であるお父さんとかね、わからないけど、
なんか一般的にちゃんとしたお家みたいな人だったら、こんな扱いされないだろうなと思って、あんまりひどいと。で、その頃うちはまだ父親も生きてたかな。生きてたけど、もうそんな男別れて戻ってこいとか言ってくれなかったですからね。
まあ頑張れぐらいな感じで。本当に頼りにならない親だなと思ったし、そうは言ってもお金の援助とかはしてくれてたんですけど、実際問題。だから今にして思えば別に恨むことは何もなかったんですけど、当時はね、もうこちらも必死で余裕がないからひどいと扱いが。
もうその誰がっていうより、この社会全体が私を見捨ててるっていうか、社会全体にも見捨てられた存在だっていうふうに思ってたの、自分を。で、寝なしぐさだしって。で、ひどいなって。
なんで私ばっかりこんな不幸なのかなって。41歳から50歳ぐらいまでそう思ってたんです。で、50ぐらいになってからは、まあこの間もお話しした通りいろいろあって、自分と他人と比較とかっていう余裕もないぐらいにバタバタして。
で、60歳になったんですよ。それで、仕事もちょっと落ち着き、腰痛で自粛とかもして、ほらコロナも来たじゃない。いろんなことがリセットになって、ようやく落ち着いて周りを見て。
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で、同年代とか、昔の一緒に働いてた人たちが定年退職をしてくるんですね、60になってくると。で、定年した昔の同僚だったり先輩だったり先生してた頃に会って、話を。
この人たちと一緒に何かできるかなと思って話をすると、もう全然世の中のことを知らずに、昔と同じ価値観でまるで社会が変わってないかのような、要するにその人たちも変わってなかったということなんですけど。
でも、その後だってインターネットもできたし、SNSもできたし、いろんなことがガラッと変わってるじゃないですか、技術的にもね。そのこと知らないんですよ。
だから昭和のまんま生きてて、いやとてもじゃないけど一緒にお仕事なんか絶対無理って、それくらいだったらその辺で知り合った人とやった方が絶対いいっていうぐらいダメだったんですよ。
そんなこんなを見ていくと、私は自分に根っこが土の中に埋まってなかったから、浮草だったからふわっとインターネットができたってからの世界に順応できたんだって。
これ根っこが張ってて、つまりね、ちゃんとした旦那さんやお仕事さんやら何やらがいて、昭和のまんまの考えの人が周りにぎっしりいて、それで経済的にもそれで何とか生きてこれてたとしたら、変われるチャンスは一個もなかったな。
インターネットなんてやったら何やってるんだお前って、私も言われたからね、そんな変な危ないことやってって。この私でさえ言われたんですよ、浮草なのに。でも浮草だったからこそ、そんなのピーンと跳ねて、自分一人でこっそりやることができたんです。
ただね、根っこの張った立派なお家に暮らしていたら、自分一人でこっそりとかできなかったんだろうなって。みんなの目があって。いやー気の毒だなっていうことですよ。本当に根っこがない浮草でよかったわって。
この浮草を今さらどこかの土に埋めようだなんて思わずに、このままどんどんどんどんこのあげ塩に乗って行けるとこまで乗って行っちゃおうよっていうことです。その行っちゃおうよっていう結論が出たのが今月かなっていうそんな感じ。
今までもそう思ってたけどとはいえ周りの人はみんな土に埋まってる人ばっかりじゃん。そういう人たちとペースを合わせていかないとこの世界ではやっていけないんだな的な話は合わせていかないと一人になっちゃうんだよね的な感じだったんです私。
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ただそれももう限界だと。土に埋まった人たちがさ、根っこがね、土の中に根っこを張り巡らせてどっしりと大地に根を生やしている人たちは私と一緒に移動していくのは無理だから、私は根なし草だから一時的にそういう人たちの近くにいることはできるんだけれども、
なんでそんなことをしなきゃいけないのかっていう風になったのが今月ぐらいですね多分ね。でもう根なし草のどこが悪いのと。そんなことなんか言われる筋合いもなければ私が勝手にひけ目に思っていただけで幼馴染がいいようがいまいが関係ないと。
でも今、今私がここに存在するんだからそれで十分ではないかと。だからもう全部捨てて、捨ててっていうか私のもんじゃないけど、全部やめてどんどんスピードアップしていこう。
先に進んじゃおうと。結果周りに誰もいなくなったとしても、誰も私のスピードについて来れなかったとしても、それでもいいから自分一人で行こうっていうことをようやく腹を打ちしたというか、お腹の底からもうそういう時が来たんだと。
というふうに覚悟ができたというよりも諦めがついたっていうのかな。普通の人っぽく生活したいっていうのがあったんですよ。若い頃からね。
ちゃんとしたお家があって、転校とかし続けない。定住してるっていうのかな。定住してるお家があって、そこにちゃんと働き続ける旦那さんがいてみたいな。
子供がいて、孫がどうのこうのでとか、そういうのが普通な暮らしだろうと思って洗脳されて育った昭和の人間なので、そういうふうにしないといけないんだろうなってうっすらどこかで思ってて、なるだけそれっぽい感じにしようとしてもしてもそうならないんですよね。
そういうとこから見たらボロボロの、どうなってんのこの家はみたいな状況なんですけど、一方で今の私はやりたいと思ったことを誰に遠慮することもなく飛び込んでやることができるし、仲間が見つかったらワクビズのようなプロジェクトでさえあっという間に立ち上げて実行することができるし、
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ワクビズが作れたっていうことは、もっといろんなものも作れるわけよ。これもう本当に成功、成功というか現実にできた第一号なんで、これからやれることの可能性がまだまだいっぱいあるっていうところで、
たとえ自分のそのいる場所が昭和の理想の家庭とかではないにしても、それが何?ってなったっていう。そもそも理想の家って何でしたっけって。ようやく腹の底からそういうふうに納得?
受容できたっていうか、自分自身を受容できたなって思って、何のひけ目を感じることもなかったんだし、今までもね、人と比較する必要もなかったんだし、自分がそうであるっていうことだけでそのように振る舞ってそのように生きてもよかったんだし、現実でそういうふうに生きてるのに、そのことをどこかでこれじゃないんじゃないだろうか。
これではいけないんじゃないだろうか。もっとまともな生き方があるんじゃないだろうかって、40代50代ずっとそういうふうに考えながら、個人事業自営業をやってきているんですけど、そのえ?って感じですね。
そうやってこんなに悩みながら事故、自分を否定しながら、それでもやってきた20年の経験が今、今誰かの役に立つんです。私が普通に喋ることがその人たちにとっては初めて聞く話だったりとかっていうことを知ると、
じゃあこれでよかったんだよね。っていうか、いいも悪いも関係ないねって。起きたことは起きたこと、起きなかったことは起きなかったこと、今ある自分が本当の私で100%自分に正直に物を言ったり振る舞ったりするのであればそれでいいと。
むしろ理想の何かの形に合わせるために自分を偽って、本当は言いたくないことやりたくないこと、付き合いたくない人と付き合っていくっていうことの方が物事をややこしくするし、私の行きたいところに行くのを遅らせることでしかなく、
私がそうやってちゃんとした人のふりをすることで幸せにしてあげられる人っていうのはほんといない。そんな嘘の振舞いで人に貢献できるってことはないんだ。みんな上辺だけのものは上辺で終わっちゃうわけ。
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相手の人の心を動かすこともないわけだから、本当に100%無駄なんだなって。その上辺を取り繕うとかね、相手の期待に応えて本当はそう思わないことでもそう思うっていうとか、そういうことではない。あるならばここからが本当の私の人生だみたいなことですよね。
具体的に何とことはないんですけど、新しいことをするっていうよりはそういう古い遠慮とか、自粛している部分とかをやめていくっていうことになるかなと思います。なんか漠然とした話ですけど、本日は以上です。