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こんにちは、心理師のはるかめです。この放送では、あなたが自分に優しくしていけるように、セルフコンパッションやセルフケア、心理学などについてお伝えしています。
今日はですね、私はるかめが好き放題にお話をする自由な日となっております。
今日はですね、普段神々な私ですけれども、ちょっとね、取り直しをせずにそのままやってみようかなと思いますので、そのあたりも自由な日ということでお許しいただければありがたいかなと思います。
先日ですね、ルンバが来るんですよってお話をしたと思うんですけれど、今ですね、使用期間中なんですよね。
で、実際にやってきてくれております。現在ですね、我が家の床掃除を一手に引き受けてくれているんですけれども、
初期設定だとですね、週3日月水金の掃除になってたんですけど、自動でやってくれるとか、しかも床がね、毎日綺麗に保てるってなると、ついついね、毎日掃除お願いしちゃうんですよね。
誰だって埃の落ちてない家で生活するのが気分いいですよね。
あと、これはね、友人に前もって聞いていたんですけれども、床に物を置かなくなったりとか、部屋の物の置き方がルンバ中心になったんですよ。
段差もルンバが登れるようにスロープつけてあげたりとかですね。なんだかね、本当に子供のような扱いをしている状況なんですよね。
やっぱり、あれこれ言う図を聞かせられる人の方が、あれこれしてあげちゃうもんなんですね。ルンバでそれを学ぶというね。
そして何よりですね、かわいいんですよ、ルンバが。
ルンバ、機械じゃんって思うかもしれないんですけど、使ってみるとわかるんですけど、これがね、意地らしいんですよね。
あれこれ試行錯誤して、で、学びながら賢くね、めげずに掃除している姿とか見ていると、勝手に人間の方が愛情を感じてしまうわけなんですよね。
これって心理学的にも芯をついていて、人は自分がエネルギーを抜けたものを好きになるっていうところがあるんですよ。
労力だったりとか、気持ちだったりとか、時間だったりとか、お金とかね、そういったものをあげたら、自分の方がそれを好きになっていくっていうものですよね。
あまり出来が良くなくて、あれこれついついやってあげちゃう子供の方が可愛く見えるっていうのはよく聞く話ですけれど、それと同じようなものですよね、これはね。
今はですね、妻とルンちゃんって呼びながらね、毎日の掃除をお願いしている状況です。
なんか本当、ペットが一人増えたような、一人じゃないですね、一匹増えたような感じになってますね。
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で、本当はお試しが終わったら、一旦返却して新品を借りた方がいいかなと思ってたんですよ。
けれども、こうも愛情を感じてきてしまうと、そのまま使ってしまう可能性も出てきてるかなーって思ってるんですね。
いや、人間ってちょろいですよ、本当に。
そして、iRobotさんのね、戦略にたぶん、まんまとこれハマってるんだろうなーとも思うわけです。
ちなみに、お試し期間からそのままサブスクに切り替えて使い続けると、以降の月額費用が全部10%オフになるっていうサービスがあるんですね。
これは中古品を使うからっていうのもあると思うんですけど、いやー本当ね、アメリカの一流企業って商売うまいなーって思うところですね。
はい、ルンバのお話はね、これくらいにしたいかなと思います。
今日はですね、もう一つお題をお話をしたいかなと思っております。
浄土新宿の新蘭さんの考えについてなんですけど、ちょっと硬いお話かなーと思ったかもしれないですけど、
僕もね、詳しくないので、そんな難しい話、難しくないかな、わかんないですけど、ちょっとお話をしたいかなと思います。
リスナーさんは浄土新宿とか新蘭さんってご存知ですかね。
新蘭さんは浄土新宿を開いた人ですね。浄土新宿は日本で生まれた最も大きな仏教の流派の一つになりますね。
で、その新蘭さんが唱えていた大事なことっていうのが、お経を唱えていれば、生身だ仏で唱えていれば救われるよって。
で、悪人こそ救われるんだよっていうふうに説いた人なんですよね。
この悪人こそ救われるっていう考えが理想的でいいなって思う反面、私腹にストンって落ちないなっていうところもあったんですよね。
で、悪人が救われるのっていうふうに思う方もいるかもしれないんですけれど、これはね、ちょっと聞いていただきたいかなと思います。
噛みましたね、やっぱりね。
心理学とかね、福祉とかを学んだり目の当たりにし続けてきて、最近ああって腑に落ちたので、そんなお話になります。
新蘭さんの考えていたことと重なるかはわからないです。特別調べてもいないので、なので私の解釈だと思ってください。
そもそもですね、人の生まれっていうのは不平等なんですよね。
環境もそうなんですけれども、遺伝子的にもみんな異なっていますよね。
つまり自分でコントロールできない部分が結構な割合であるわけなんですよね。
そんな中で他の動物に比べて未熟児として生まれてくる人間っていうのは、自立する力がないんですよね。
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だから周りに染まって学んで、そして変化して生き残っていくしかないわけです。
そうするともちろん恵まれた環境にある人、そうでない人の差が出てくるっていうのも当然なんですよね。
いわゆる社会的な悪っていう風に呼ばれるものに染まるしか道がなかった人もいますし、
育ってきた家庭の学びの中で、どうしても憎しみとかネガティブな思考とか感情に支配されてしまう人もいます。
中には犯罪に手を染めたりとか取り返しがつかないことをしてしまったっていう人もいるかもしれないですね。
ただそれは本当に本人の責任だって言えるんでしょうかね。
そこに疑問があるわけなんです。
周りからいい影響を受けた人っていうのは自然といい育ちになる確率が上がりますし、そのまた逆も言うことができるんですね。
これは実際に研究でも証明されていたりします。
であるならば快楽で悪を求めている人以外の社会的な悪って呼ばれるものをやってしまった人たちこそ救われるべきではないのかっていう風にも考えられるわけなんですよね。
創造主とか神様のような全知全能の存在がいるんだとしたら、どうしてこうも不平等に人を生み落としてしまうのか。
もしそうやって不平等に生み落としたんであれば、その責任も神様とかが取るべきなんじゃないのかっていうふうに思ったんです。
せめて現世で苦しみ抜いた人、悪に手を染めるしかなかった人、もっと言うとそのように神に仕向けられた人こそ救われないといけないんじゃないかなって思ったんですよね。
それほどに福祉の世界を見ていると、人っていうのは不平等に生まれてくるんだなっていうのはよくわかります。
ですが不平等が自然なことであって当たり前のことなんですね。
もしそこに仏教っていうものが介入するんだとしたら恵まれなかった人っていうのは善悪関わらず救われるべきなんじゃないかと。
そういうふうに新蘭さんは考えたんじゃないかなっていう風な妄想でした。
それなら私は納得いくかなっていう風に考察したんですね。
なので本当に自己満足な考えなんですけれども、ちょっとお耳起こしではないですけれども、ちょっと楽しめたらいいかなと思っております。
それでは今日もあなたが自分に優しくありますように、心理師のはるかめでした。