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こんにちは、ゴリゴキャストです。今日は、
はるなさんが、加算時間価値と減算時間価値という言葉を見つけてきたのかならしいので、ちょっと話を聞いてみたいと思います。
減算かな?なんかずっとさ、変換で減算ってやってるのに、変換で出てこなくて、
なんでやろう、なんでやろうと思って減算ってしたら、漢字がちゃんと出てきたんやけど、
減らす算数の3の時間価値と、加算、加える算数の3の時間価値っていうので、
時間は、1日24時間で、どんな人も24時間で、平等やん。
一緒。
で、時間は大事だよ。例えば、ためたりとか、増やしたりすることもできなくて、減ってくばっかり。
常に等しい感覚だよね。よく言われていて、何回も言われている、古典みたいな感じはするけど。
時間は大事だよっていうのは、もういろんなところで言い古されてる感があるんだけど、
その時間の中でも、時間の価値っていうのは、一体どういうものがあるんだろうかって考えたときに、
その減算時間価値っていうのと、加算時間価値っていう2種類あるよっていうのを本で見て、
その、なんていうの?それは概念っていうことなの?
価値、加算すると価値があるという時間と、減算すると価値があるという時間という2つの時間の概念というか、価値観があるよみたいなニュアンス?
例えば、減算時間価値っていうのは、その時間を短縮することによって価値が得られるもの。
例えば、なんかそのポッドキャストを倍速で聞くと、30分のポッドキャスト番組が15分で来てることになって、
15分間短縮できたっていう、そういう価値が現れる。
テキストを右クリックでコピーペーストすると遅いから、コマンドC、コマンドVを覚えると早くなりますよみたいなのも、
その作業が短縮されて価値が出る。その減算時間価値がある行為だっていう言い方でいいの?
で、逆の加算時間価値っていうのは、自分がその価値があるって思う時間の過ごし方を増やしたりとか、
かける時間を長くするとか、回数を増やすことによって価値を感じられるっていう。
なんかその楽しい飲み会だったり、面白い映画を見ている、なんか幸福な時間は長く続いた方がいいよね、みたいな感覚ってことなのかな?
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多分その音声メディアの話で言って、短縮して中身の情報だけを知りたいものと、その時間そのものが喋ってる人のテンポがいいとか、
その柔らかい雰囲気がみたいなやつって、別に倍速で聞いて良くなるとは思えないやん?
その時間が楽しめる時間としての価値っていうので、30分の番組だったら30分まるまる楽しめるみたいな。
30分かけて楽しむことに価値があるから、それは短縮してしまっては、その本来の意味はなくなってしまうよね。
みたいなニュアンスで、減算時間価値と加算時間価値っていう、時間に価値を考えた時に、その2通り、短縮することによって価値を感じるものと、
その時間そのものが楽しい時間としての価値を持つものっていう、2種類があるよねっていう。
で、言ったらなんだけど、つい目に目が行ってしまうのは、時間を減らすこと、効率化をすることばかりを追求してしまいがちだけど、
そうじゃなくて、加算時間価値にももっと目を向けた方がいいぞ、みたいなことなのかな?
結局、その時間短縮して、余分な時間というか、本来なら30分かかってたものが15分間で終わりました。
じゃあ、その余った15分間を何に使うかっていうのが、結局大事だよねっていう。
なんかあれだよね、大企業で優秀な人はさ、仕事が超絶早くってさ、他の人が8時間かかることを3時間で終わらせるんだけどさ、
3時間で終わらせてしまうと、残り5時間分の仕事をさらに与えられて、それをさらに早くしても、今度その8時間をまた3時間に短縮しても、また仕事を増やされて、
無限に仕事が増えるだけで何も幸福にならないから、じゃあ初めから早くしない方がいいじゃん、みたいになってしまって、
なんかそのうまくいっていない企業みたいなものは結構あるらしいぞっていう感じのことは聞いたことがある。
それもあるし、あとはその減算時間価値にばっかり目を向けちゃうと、その時間短縮できることが目的になっちゃう。
時間短縮すること自体が目的化してしまって、じゃあその時間短縮した結果、余った時間をどう使うのかっていうのを考えないでだらだらこう過ごしちゃうみたいな。
それだったら時間を減らす意味ないよねってことになっちゃうってことやんな。
結局その目的意識の話なんだけど、短縮して、じゃあその短縮できて、残った時間を何に使うかをしっかり考えた方がいいよなってやっぱ自分でも思ったから。
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最近のゴリゴさん自身のテーマとかでもあるし、やっぱ時代の流れでもあるのかな、やっぱ忙しくなりすぎて、大変になりすぎて、なんか少しでもたくさんのことをやらないといけないみたいな感じになってきているけど、なんかそうじゃないよねっていうことだよね。
たまにはじっくり時間をかけて、例えば本を読む時間とかでも、即読法みたいなんでさ、さーって読める技術とかもいっぱいあるけど、そうじゃなくって、時間をかけてじっくり自分で考えながら読むとか、小説とかそういう物語性のあるやつなら、
小説を即読して何の意味があるんだっていうな。
じっくり時間かけて、頭で想像しながらとか、そのシーンを思い浮かべながらみたいなさ、そうやって楽しむ時間がやっぱ大事だよねっていう。
そういえば俺一時、ネットフリックスを2倍で見ようとかやっていた気がするね。それ別にどっちが正しいとかじゃないけど、まあそうじゃないよねっていうニュアンスのことだよね。
ネットフリックスとかを倍速で見れば中身はわかるし、まあ多分その楽しいっちゃ楽しいのかな?わかんないけど、でもそれってその加算時間価値的な話で言うと、もっと時間をかけて何回も繰り返し見るとか、
ゆっくり間を空けて余韻に浸りながら見るみたいな、そういうことができるコンテンツの方が本来は多分幸せになれるんじゃない?みたいな。
なんかわかるけど、正解がどちらとかっていうものではないんだけど、そういう価値観を見直さないといけないよなっていうのはなんかすごい思うね。
俺そういえばね、それ関連でね、ネスラボっていうニュースレターだったと思うんだけど、英語のやつで結構心に響いた言葉があって、英語なんだけど、
Don't work more, work mind freeって書いてあって、いっぱい働くんじゃなくて、たくさん成果を出すんじゃなくて、丁寧に、マインドフリーっていうのをどう訳すかっていうのがちょっと難しいんだけど、
もっと丁寧に心を込めて仕事をしましょうみたいなことを言っていて、なんか結構ね、今年の抱負がゆっくり時間をかけて一個一個のことをやるみたいな言い方をしているんだけど、
結構その言葉に影響を受けている感じがしていて、やっぱこう、まんまはるなが言ってる言葉なんだけど、早くやろうとしてしまいがちだったんだよね、自分も結構。
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でも早く済ませるのが、自分の場合は早く済ませるというのは、目先のことを早く終わらせるだけで、例えばで言うと、そんなことをやらなくてもいいんじゃないかということをすら考えずに早く終わらせようとしていた。
とか、もっといい方法があるんじゃないかって考えずに目先のことを早く終わらせようとしていたみたいな感覚は結構あったような気がして、
それをね、なんかゆっくり、逆にゆっくりやることを意識することで、ちょっと良くなってきた感じはあるかもしれない。
多分その時間効率だけの話で言ったら、それは現在時間価値を高めていった方が、より圧縮はできるんだよね。
でもその、自分が今日もいちいち楽しかったなとか、今年は1年すごい良い年だったなって思うためには、その加算時間価値、増やしていって楽しいと思えるような時間をたくさん持つこととか、
そもそもそういうものがあるっていう自覚。
多分自分が何をしている時が楽しいって感じてるのかとか、何をやってる時が楽しい時間なのかっていうのを言語化したり、書くだけでもいいと思うんだけど、そういうことをしておくと、ちょっと意識が変わっていいよね、みたいな。
記録とか日記とかがきっといいよねっていうのと、あとはそれだよね、その言葉自体を加算時間、減算時間っていう言葉として認識できれば、意識がしやすくなるからきっと良いよね。
そう、これもそのタイトルがあると、認識しやすくなるっていうか概念化しやすくなる。
その抽象的ななんか、ふわっと思ってたやつをそういう言葉にしてしまって、これもあれだね、オブシディアンのノートタイトルにその加算時間と減算時間って書いておいて、一個のノートタイトルになるやつだね。
そういうのをタイトルとして置いておけば、たぶん日々自分が過ごしている時間、どういう目的で今これをやってるかみたいなのが、結構はっきりするからいいんじゃないかなっていう。
なんかね、それはめっちゃめっちゃいい話で、いい用語だと思う。なんか最近自分が考えていることともすごくつながるような気がするし。
今回その紹介している減算時間価値とか、加算時間価値っていうのは、アフターソーシャルメディアっていう本で見つけた言葉?
割と新しいやつ。
そんなに新しくはないかな。
確かブックカタリストをやっていた時にらしたさんに最初に聞かれたのが、いつ発売された、どこの出版社の著者が誰かみたいな、そのメタ情報を覚えておくといいことがあるらしいよ。
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ちょっとじゃあ調べるわ。
概要欄にはそれは書いておくようにします。
ということで、今日は加算時間と減算時間っていう2つの概念を意識して生活を送ってみると、もうちょっといい感じになれるかもしれないよっていうお話でした。