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こんにちは、ゴリゴキャストです。今日は、レビューを見ない方が幸せになるものもあるっていうのを、最近思うようになったので、そういう話をします。
レビューっていうのは、本のレビューとか、映画のレビューとかっていう、あのレビュー。
あのレビューを、ちょっと前に確か、harunaと話していて、そういえばって思って、そこから話が広がったところなんだけど、
Amazonでさ、例えば小説とか漫画とかをセールしていると、買おうかどうか迷ったときに、割と下にあるレビューを見ているんだよね。
で、その癖がついたことにより、そのね、もう買った本とか、今から読もうと思う本とかも、なんとなくレビューを無意識に見てしまうというか、
もうその、何もしないと目に入ってしまう、見てしまうという現象が当たり前になっていたんだけれども、これは全然よろしくないなっていうことを最近思うようになって。
なんか、自分の場合だと、小説とかをあんまり読まないので、映画の話になるんだけど、映画のレビューっていうのは、基本的に見た後にしか、
なんか、見ないかな。そのレビューを元に、見ようか見ないかっていう、ジャッジみたいなことをそもそもしなくて、これ見たいなとか、なんか面白そうだなって思った場合は、
映画の場合はなんだけど、だいたいPR映像というか予告編みたいなのが、
webとかyoutube上で簡単に今見れるようになっているから、それを見て、面白そうだな、これ見てみようかなっていうことはするけど、
その、見た人の感想を元に、なんかをするとかは特になく、見終わった後、自分が映画を見終わった後に、自分はこういう感想を持ったし、
このシーンはこういう解釈だったんだけど、他の人はどういうふうに思ったんだろうって思って、
口コミだったりレビューを見るっていうことはする。 そう、っていうふうに春名に言われて、えっとね、自分の場合で言うと、言われるまでそういうことを最近全く意識しなくなってしまっていたというのかな。
その、違う話なんだけど、ゲームを買うときにね、steam っていうゲームストアがあって、steam のゲームレビューってね、自分の中でね、めっちゃ信用できて、信頼できて、それを参考にして買うことはすごいあって、
さらに言うと、それによって面白さが損なわれたというかどうかというと、気づいてない部分であるかもしれないけれども、ほぼゼロだったと感じているんだよね。
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その感覚が当たり前になってしまって、あと例えば洗濯機を買う場合とか、テレビを買う場合とかっていうのでも同じくレビューを見て、
そのレビューによって、自分の何らかの体験が損なわれたとか損をしたみたいなことは、まあ基本的にほとんどないような認識があったせいで、
なんか無意識で、特にあれかな、kindle のセールの時とかだったりすると思うんだけど、その本とか漫画とかを買おうとする時も、なんかこうレビューを見てしまうことを無意識にするようになっていた。
これがすごく良くないんだなぁと思って、何が自分にとってよろしくないのかっていうのを色々と考えるきっかけになったんだよね。
その家電とか物に関しては、説明書、商品説明だけでは分からない部分がどうなんだろうって思うから、もちろんそのレビュー、実際に買って使ってみた人が感じた問題点だったり、逆にメリット、良かった点みたいなのをチェックするために、購入前にレビューをチェックするっていうのは必ずやるかな。
でもそのコンテンツの中身、特にそういう娯楽系、楽しむ系の映画とか小説とか、漫画とかのレビューに関しては、なんか見ようって思ったことがなかった。
むしろなんか読むと面白くなくなってしまうっていうか、ネタバレを含んでいるものを見てしまったら嫌だなぁとか、その読む人によって感じ方ってそれぞれだから、この人はあんまりって言ってても自分はめっちゃ良いかもしれんし、逆もあるかもしれないって思ってるから、
そういう楽しむ系のコンテンツに関しては、後から見ることはあっても、自分が見る前にレビューを見ることっていうのは意識的に多分しないようにしてるんだと思う。自分の中で。
自分が無意識に、そういう本とか漫画とかにしても、レビューというものを購入の判断材料にするということを悩まずにするようにしていたということに気づいてしまって、最近の心理学的なものとかの本とかを読むと、もう絶対って言えるレベルなんだけど、人間は簡単に人の意見に惑わされるらしいんだよね。
この本は良いと思うか悪いと思うかというものが、人が良いと言っていたら良いと思いやすくなるし、悪いと言っていたら悪いと思いやすくなってしまう。というのはもう理性で判断できるものではなく、本能に伝わってきてしまうもので、その情報が入ってきてしまうと、確実に自分が作品を楽しむときに邪魔になるよなって思って。
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さらに言うと、例えばAmazonのレビューの話で言うと、一定以上売れている作品は自分の体感でほぼ100%ネガティブレビューが上位にくるんだよね。
売れた証拠だってよく言われるよね。ネガティブなレビューがつくってことは、それだけ分売れているっていう証拠でもあるみたいな。
平均点が星4.5だけれども、星1が最も参考になったレビューとして最も上位に入ってきて、気持ちはすげー分かるんだよね。
なんでこんなやつが売れているんだってムカつくとか、一般的に届かなくていい人にまで届いてしまって、その人たちはつまらないと思って、その届かなくていい人たちがまた束になって押し寄せてくるので、そのレビューが上に来てしまって、
本来面白いか面白くないかは自分の目で判断すべきであるのに、そういうレビューを目にしてしまったせいで、その歪んだ観点でしかものを見れなくなってしまう。
バイアスがかかっちゃうんだよね。たぶん。
その時点で、これをあえて言うならば、その生き方は損だなって思うようになって。
なんか楽しくはないだろうなぁとは思う。
自分がすべてジャッジできるのに、人からのその意見、良い意見も悪い意見もどっちもなんだけど、それが意識してないにしても勝手に入ってくる。
自分の中に影響を及ぼすっていうのがわかってるなら、そもそもなんかシャットダウンしておいた方が健全というか、
自分の判断でできるんかなと。
もう一つ、今日もう一個そこで気づいたことがあって、とはいえさ、自分一人でありとあらゆる情報をすべて、この本面白かったよという情報を私は受け付けませんにしてしまっては、それはそれでまた損をした人生になってしまうじゃん?
それはあるね。この間ちょうどそのポッドキャストで、デューンっていう映画を見てよかったみたいなのを聞いて、じゃあちょっとよ見てみようかなって思って、そのまますぐレンタルしてみたとかがあって、これは見といてよかったなって。
自分だけの範囲、観測範囲だと、映画があること、存在は知っていてレンタルして見れることも知っているんだけど、見ようとまではそのアクションが起こらなかったものが、ポッドキャストで見てよかったっていうのを聞いて、じゃあ見てみようポチってしてレンタルできたから、そこに関してはそのよかったよっていうのを聞いたことで見るきっかけにはなった。
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で、気づいた答えというか、1つの1個その考えが進んだことは、すごく平凡なんだけど、結局誰が言ってるかってことなんだよねっていうことを改めて思って。
その人の信頼性というかあれ?
Amazonのレビューはほとんど100%の人が、俺はその人がどういう人で、どういうものが面白いと思って、どういうものがつまらないと思う人かということを知らないじゃん。
そんな人が言っていたものを参考にしても、自分にプラスの影響を与えてくれる確率はきっと限りなく低い。
逆にある程度人隣を知っていて、例えばその春名がこういうふうに思ったって言っていれば、春名さんのことを一定程度知っているので、それを踏まえて、そういうんだったら俺は見てみようかな、聞いてみようかな、読もうかなっていう判断ができるんじゃないかということに思い至ることができて。
そうか、そのコメントの良し悪しじゃなくて、そのコメントを発している人がどういう属性か、どういうバックグラウンドを持っているかっていうのをいかに知ってるかどうかってこと?
だからあの極めてありきたりな判断というか、答えとしてはごく平凡で何にも大したことはないんだけれども、
一周回ってきてやっと気が付くことができたっていうか、改めて誰が言っているかの方が同じことを言っているんだとしても、誰が言ったかが大変重要で、その人がそう言ったんなら読もうと思えるし、
街でいきなり出会った人にこの本面白いから読めと言われても、そりゃええってなるよねっていうことがAmazonのレビューを見ていると気づけないからさ、重要なんだな、そして逆にレビューを書くのであれば、そういう情報を含めることによってある程度信頼性を高めることもできるのかなとも思って。
本で言うなら、例えばこれとこれとこれはとかが好きで、その上でこれは面白いと思った、つまらないと思ったと言われればだいぶ説得力は増す気がするんだけど、何の根拠もなくツイッター140文字のような勢いでこの本はクソって書かれても何も参考にならないし、
さらにちょっと賢そうな文体でつまらないとか書かれていても、その人のバックグラウンドがなければ信用に値する情報にならないなということを思うようになった。
じゃあいかにしてあれかな、自分に合う属性を持つ人とつながりを持てて、そういう情報、良いとか悪いとかっていう、そういう口コミみたいなものを取り入れられるかどうかっていうことかな。
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そうね、だから情報が多すぎてもやっぱり良いとは限らないし、みたいなことは思ったし、それで言うと例えば最近そのブックカタリストのサポーターコミュニティみたいなやつで、その人たちが面白いと言っていたということをある程度バックグラウンドを知ることができているので、参考にしやすくなってきたみたいなことは思ったりとか、
あとそもそもまずAmazonレビューを買う前に見たらダメだぞっていうことが一番の基本ではあるんだけれども、さらにひょっとしたらテレビを買うにしても冷蔵庫を買うにしても、結構その視点を持ってもう一度ちゃんとレビューを見るようにしないといけないなって思って、
なんかいきなり壊れました、これはダメですとか言われても、まあそれが参考にならないことぐらいはわかるんだけどさ、なんかもう一、二段階ちゃんと深く考えないといけないなってことは思った。
なんかそう言われてみると、多分モノのレビューとかでも、そういうレビューは自然と排除じゃないけどスルーしてるかも、自分の場合。
スルー力が高いんだよね。でも多分ね、目に入った段階でね、影響を受けていると思うからさ。
その無意識化でなんか反映されているってことかな。
まあそれを完全にゼロにすることは無理だし、そのどうしたらいいかわかんないし、さらにあのアマゾンで言えば今さ、あの桜レビューの話とかもいっぱい出ているから、ますますそのレビューをどう信頼したらいいかがわからんっていうのはあるんだけれども、難しいね、その広告の話とかも絡んできて、そのステマなのかどうなのかみたいな話とかも絡んでくるので、
簡単に答えは出ることではないんだけれども、なんか帰ってきたのはやっぱ誰が言っているかということが大きな基準になるんじゃないかっていうところなのか。
だからあれよね、ゴリューゴキャストを聞いてくれている人がなんか教えてくれる新しいサービスだったり情報とかっていうのはかなり信用、信頼できるよね。
そうだね、その俺たちのことを一定程度知ってくれている人が、これは良いと思いますよって言ってくれているんであれば、いきなり見知らぬ人に言われるよりは遥かに信用できるねっていうのもあるし、その距離感で言うとやっぱポッドキャストはね、なんか良い距離感のメディアツールだなぁとも思ったりして、
幸いYouTubeにこの商品紹介してくださいって言われる勢いでポッドキャストとかにはあんまり今のところまだ来ていないからさ、これ良いよって思ったとか良くないって思ったところに金は絡んでいないからね。
ということで、もともとはあれだね、レビューを見る時にそのやっぱ娯楽に関してレビューはあまり、少なくともAmazonのレビューを見たらいかんなってことを思ったというお話でした。