文字でのコミュニケーションの難しさ
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、X:不特定多数に文字を使って何か言う、という話をしたいと思います。
最近、TwitterがXに変わりまして、
それが一応タイミングとしてきっかけなんですけども、
前々からいろいろ思ったこととか、最近いろいろな出来事が重なってですね、
今後このXの使い方をどうしていこうかな、というのを見直してみたいなと思ったので、
今回はそのあたりのことをお話ししてみたいなと思ってます。
結論としてはですね、解釈の余白がたくさんある文字で書かれたもの、
すなわち意見を含むような文章というのを、
しばらく書かないようにしようかなというふうに思っています。
これが決定だ、というような決定ではないんですけども、
本当にいろんなことが重なって、そうしてみようかなと思ったんですけども、
バラバラと言っていきたいんですが、
まず一つ目は前々からですね、
コミュニケーションムズいって話はずっといろんなところで言ってるんですけども、
特に文字で書かれたものっていうのはムズいなって思ってるんですよね。
会話で伝えるよりもはるかに難しい。
なぜかわかんないけども、
より文字の方が厳格に表現できるんじゃないかって、
僕なんか思ったりするんですけども、
どっちかというと文字で書かれたことを読んで、
傷ついてる人が多いような気がするんですよね。
まあ開かれた場所に文字を投げるっていうサービスだから、
投げた文章を勝手に読んで勝手に傷ついている、
知るかっていう考え方もできるんですけども、
できるし、僕は今までそうやって考えてきたし、
まあ今もなお、どっちかというとそういう考えではあるんですけれども、
こうやってね、声を使って発信をするようになってきて、
文字で書いたものとの比較というか、
違いみたいなものを感じるようになったんですよね。
実際僕の中ではツイッターで書いてることって、
誰かみたいなことをそんな書いてなくて、
僕の頭の中で抽象的に、
ただ思考を整理してるだけなのに誰かが傷ついていると。
一方でポッドキャストとかだと、
の方がより誰かに対してとか、
より具体的な何かに対して結構きついことを言ったりするんだけども、
そんな深刻じゃないということが伝わってるっぽいんですよね。
文字だと全然深刻じゃないのに、
えらい深刻に受け取られたりするみたいなことが起こって、
でもさっき言ったみたいに、
それを別に弁解するような問題もないから放置してたんですけども、
この喋ってる活動と書いてる活動みたいなのがコンフリックスするというか、
あのふうに喋ってたけどこうやって書いてるからそうなんだみたいな感じで、
勝手に喋ってることと書いてることを繋げられたりとかしてですね、
それが読解として正しければ全然いいんだけども、
全然違うことを繋げて、
全くそうじゃない勝手な想像力でですね、
書いたことと喋ったことを繋げて、
傷ついてる人がいたりするっていうのを最近経験してですね、
不要意にそのような誤解を招きたくないなと思ったって感じですね。
もちろん喋っても誤解を招くしと思うんだけども、
書いたことの誤解の招き方って結構ネガティブなんですよね、
僕の肌感覚では。
友人の絡まれた経験と文字によるネガティブなコミュニケーション
なんか傷ついてる人が多いなっていう印象。
で、この話し手の方はちょっときつすぎるなとかはあるんですけど、
そこまでなんか露骨に傷ついたりとかしてないような感じもするし、
もうちょっと傷つきそうだな、嫌だなと思ったら、
パッと止めれるんですよね、途中で。
Twitterの文章とかだと140字でバンって全部入ってくるから、
最後まで読んじゃうみたいなのがあるけど、
音声だったらね、もう例えば今この4分2点でですね、
もうこの人の話聞くのやめよって、途中でやめれるみたいな、
距離を取りやすいみたいなのもあるかなと思うんで、
音声の方がですね、言いたいことを言うにはですね、
いろいろといいのかなって最近思っていますね。
それは僕の個人的な最近思っていることです。
で、次に2つ目ですね、僕の友人がですね、
なんか粘着質な変なアカウントに絡まれて、
長年というか結構長い間絡まれてて、ずっと無視してたんだけども、
いよいよめんどくさいということで迷惑ですってことを
意思表明してあったんですけど、それでも全然、
なんていうかその対象と勘でないなっていう感じがあって、
やっぱりもともと持っているコミュニケーションの不可能性みたいなことを
より強く感じたし、またそれが文字で書かれていた場合の、
さっき言ったようなですね、どんどんネガティブな方向に行く
みたいなのを結構客観的に目の当たりにしたんですよね。
だから僕の経験でもそうだし、そうやって友人の経験、
友人のやつを客観的に見てもそう思ったし、やっぱ文字でのコミュニケーション
ネガティブになっちゃうよねっていうふうに思ったんですね。
特にその意見を含むやつね。
インプットツールの多様性と読書力の落ち込み
明日何時集合とか傷つく人いないと思うけど、
何とかであるとか何とかだと思う、何とかであるべきだとか言うと、
何とかじゃない人が勝手に自分のことと思って傷ついちゃうみたいなことが、
そういうこと僕、ポッドキャストでも喋ったりするんだけどね。
でも文字の方が傷ついたりするっぽいですね。
で、今言った僕の話、友人の話だけじゃなくて、また別の方がですね、
最近ポッドキャストばかり聞いてて、読書力が落ちてるのを実感できましたっていう風に、
僕が所属しているオンラインコミュニティの中で、
ポロって言ってるのを見かけて、その方はすごい賢い方なんですけども、
いわゆる一流の大学を出てる方なんですけども、
どう考えてもその読み物をしてきたような人が、
ポッドキャストを聞きまくってることによって、
というか本を読む機会が減ることによって、
読書力が落ちているというのを実感しましたと。
それを見てですね、あ、そうだよなと思う。
今ってYouTubeとかポッドキャストとかオーディオブックとか何でもいいんだけど、
本以外にも勉強できるツール、勉強に限らずインプットするツールというのは増えてて、
その人なんかは元々本読んでる方だと思うんですけども、
そうじゃない人とかっていうのはなおさら本を読まないし、
どんどんどんどん読書力っていうのは落ちていく一方だろうなって、
その社会全体としてはですね、思ったりするんですよね。
やっぱり一部の学者さんであるとか本好きの方とかね、
っていう人、あとはそのビジネスパーソンとかでも、
結構その勉強してどんどんちゃんとステップアップしていこうと思ってる人とかは別かもしれないけども、
多くの人にとってその長文を読んで読解してみたいなことに、
エネルギーを注ぐような感じではなくなってきてるんだろうなというのを
必死と感じますね。
僕自身もそうですね、
僕の場合はインプット全般が最近足りてないという課題意識はあるんですけども、
やっぱり本を読む時間っていうのが減っていて、
文章と話す比較
やっぱり文章を読む力っていうのが弱まってる気がするんで、
それはもう社会全体としてもしかしたらあるんじゃないかなと思ったりしています。
つまりその使わないと落ちていく筋肉みたいなもので、
そしてその筋肉を使ってる人が減っていってるんじゃないかなって思ったときに、
わざわざその読む筋力がない人に向けて読ませるっていうのもコクかなと思ったりするんで、
だったら喋った方がいいんじゃないかなみたいな感じで、
あまり書きたいという、
書くことはするんだけど、書いてそれを誰かに読んでもらいたいみたいな欲がですね、
なくなってきていますね。
ウェブの記事とか見てても思いますけど、
本とかもそうかな、よっぽど専門書とかじゃない限り、
めちゃくちゃ平易な文章って書かれてないとか、
漢字もひらがなにした方がいいところはひらがなにするみたいな感じで、
読みやすくしていくみたいな文章が主流になってきてて、
読むということのハードルがとにかく上がってる時代なんだなと思うと、
わざわざそのハードルを超えてもらうようなことでもないのかなと思ったりしてますね。
特に僕の活動は絶対に読まなければならないとか、
読んでるような人がターゲットそうですみたいなことでもないから、
わざわざそのハードルを課す必要はないので、
より負荷の低いしゃべりとかの方が合ってるのかなとか考えたりします。
みたいなことをバラバラバラバラとなんか思ってた時に、
TwitterがXに変わって、
アイコンもですね、青い鳥から黒いXに変わってですね、
これ不思議なもんでですね、青い鳥のアイコンじゃなくなると、
アプリも意識しないと開かなくなるという感じで、
Twitter開く回数とか機会も減ってきた。
なんなら無意識に開いて無意識につぶやいてるぐらいのレベルで
習慣化されてたものが意識的に開かないといけなくなっちゃったんで、
つぶやくということに意思が必要になってきたという感じで、
わざわざ感が出てきたというのもあります。
とどめの一発としてTwitterがXに変わったということですね。
今言ったような、バラバラ言ったような理由から、
書くというアウトプットから遠ざかってみようかなという風に思ってますね。
僕自身はもちろん本を読んだりとかね、
インプットは文字でしていきたいな、文字インプットするのが一番
今後の発信方針
アウトプットはですね、このしゃべりでやっていこうかなと思ってますね。
書いたものの誤解のされ方の方が結構不本意すぎるというか、
怒られてるとか説教されてるとか、
自分が責められてるみたいな風に感じる方がいっているみたいなんですよね。
前回お話しした通りですね、僕は他社にそんなに期待していないので、
わざわざ説教するほどですね、モチベーションがないんですけれども、
そういう風に勘違いさせたりすることもあるみたいなんで、
なるべくその不要意に人様の自己肯定感を下げるようなことは、
なんだかなと思ったりもするんで、
しゃべりとかしばらくしていきたいなと思ってます。
改めてですね、今後のXですね、X限らずですけれども、
SNS等での発信なんですが、書くということに関する発信なんですが、
解釈の余白の大きい文字で書かれたもの、
意見を含むような文章はしばらく書かないという方向性でいきたいなと思ってます。
具体的な使い方としてはですね、挨拶ですね。
おはようとかこんにちはとかつぶやこうと思うんですけども、
あと最近いいスマホ買ったんで、
写真とかつけてね、おはようとか言っていきたいなと思ってますね。
あとはPodcastを更新した案内とかイベントやるときの告知とかですね、
そういった僕の活動の案内であるとか、
コミュニケーションという意味では、ほぼ誤解のなさそうな気心を知れた人を限定でですね、
時々絡んだりするみたいな、そういう使い方かなと。
あとはその用事でDMで連絡を取り合うとかね、
そういう用途でXを使っていきたいなと。
そこで意見を文章で表明するみたいなことはね、
しばらくお休みしてみようかなと思っています。
試しにという感じなんで、とりあえず8月から10月の3ヶ月ぐらいですね、
そんな感じでやってみて、またその後ですね、
どうするかというのを考えてみたいなというふうに思ってます。
なので突然あんまり意見とかを言わなくなって、
どうしたんだろうと思わないようにですね、
この会話で言ったことが全てなので、ご理解いただければと思います。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。