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2024-06-17 09:31

008 判断と行動

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前提と態度」の補足/世界には根本的に意味がない/意味のない世界だからこそ積極的に意味付けする/どういう状況に置かれてる人が聞くのか/何もかも主観で判断して行動すればいいとは言ってない/僕が付けた意味、他の人が付けた意味/ジョーカー/孤立、ダメ絶対/判断と行動はくれぐれも慎重に/それぞれが意味付けした世界が複雑に絡み合っている/前提と態度と判断と行動を切り分けて考える/

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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公演にレジャーシートを敷くなど、存在としての公演をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
第2回ということなんですけども、今日はですね、この現象のラジオの前身となるサイコパスのラジオというね、一人語りのポッドキャストがあったんですけどもね、
その第599回ですね、もう終盤にお話しした前提と態度っていう回の補足というか、続編みたいな話をしたいなと思っています。
概要欄の方にエピソードを貼っておきますので、今日の話を聞いて気になった方はぜひ聞いてみてください。
その話の中で言っていたこと、前提として、世界には根本的に意味がないというふうに僕は思っていて、
態度として、じゃあ一人一人が意味のない世界だからこそ自由にというか積極的に自分で意味づけしていこうよという意味づけをしたい者として生きていこうよという話を、
生きていこうよという話というか、生きているんだという話をしました。
それをいいと思う人は、そうやって生きていこうよという提案まで含まれるという感じかなと思いますけども、
あくまで僕自身が世界に意味がないという前提に生きていて、意味がないからこそ自分で意味づけして生きていこうと思っているという態度で生きているんだという話をしました。
この話というのは、どの立場から聞く、どういう状況に置かれている人が聞くかによって全然話は変わってくるかなと思っていて、
まずね、今所属している集団の中で規範に合わせすぎて疲れてしまっている人なんかにとっては、
ちょっと気が楽になるような、そんなに規範を意識しすぎなくてもいいんだなと最低限抑えて、自分でもっと意味づけしていいんだなというふうに解釈もできるかなと思うんですね。
それはそれで少しでも気が楽になっていただけたら何よりと思っているんですけども、
1点ちょっと心配なのが、何もかも主観で意味づけして判断して行動すればいいじゃんってことは言ってないんですね。
一人一人が意味づけの主体者であるってことは、僕にも意味がある。僕がつけた意味もあれば他の人がつけた意味もあって、その意味が異なる場合がある。
というかそういうことばかりだと。だからみんなコミュニケーションは成立しないんだということを僕は思っているわけなんですけども、前提として、
世界に意味がないから、これという意味がないからこそそれぞれの意味づけが微妙に違って、コミュニケーションにも底が生まれているんじゃないの?みたいなことを発展していくわけですね。展開していくわけですね。
なので、あくまで前提と態度で留めておいてほしい。そういう話をしたに過ぎないんだということに留めておいてほしいんです。
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自分で、どうせ意味がない世界なんだし、自分で決めて自分で判断してこうとしていいじゃんとかまで言っちゃうと、ジョーカーになってしまうということですね。
この間ですね、映画鑑賞サークルを最近やってるんですが、その映画鑑賞サークルの課題映画でジョーカーという映画を見てね、まさにジョーカーがね、映画の中で言うんですよ。
喜劇なんて主観差。みんなだってこの社会だってそうだ。善悪を主観で決めてる。同じさ。自分で決めればいい。笑えるか笑えないか。っていうセリフがあるんですね。
これってまさに僕が話した前提と態度そのものだというふうに思うんですね。善悪をみんな主観で決めてるよねと。だからみんなも自分で決めればいいよねと。
今これ笑えるのか笑えないのかって自分で決めればいいよねっていう。それを僕も言ってるんですよね。これジョーカーと一緒のこと言っちゃってるんですよ。
でも僕が否定したいのは、じゃあだからといってそのように判断して行動していくかというと別であると。
なぜならそれぞれの主観があるから、みんなにとっても自分が善だと思ってることは誰かにとって悪かもしれないし、
自分が笑えるって思ってるものは誰かにとっては笑えない。これいいじゃんって思ってることが誰かにとっては不快で仕方がないなんてことは当たり前になるわけですね。
それこそがまさにみんなが主観的に意味付けをしている世界だからだということですね。
僕が言ってるのはあくまで世界はそのようであるよねということだけなんですよ。
だから主観に振り切って判断して行動していいよねとは思ってなくて、それぞれの主観がある中でどう生きていくかってことはもう1段階、もう2段階、もう3段階しっかり考えていかなければいけないなというふうに思います。
ジョーカーの場合は映画の中では、社会のありとあらゆる場から排除されてだんだん孤立していくと、仕事を失ったりとか家族を失ったりとかいろんなことがあるんですけども、
そういう過程で、ありとあらゆる場から排除されていく中で孤立していく過程で、どんどん主観みたいなものを強めていった、偏った主観みたいなものを強めていった結果、あのようになっていったんじゃないかみたいに思ったりはしたんですけども、
要は孤立すれば誰もが他者が物理的に不在になると。他者が物理的に不在な状態で世界に意味がなく主観的に意味づけをするなら、何が起こるかっていうと、社会の規範なんてものを1ミリも想定しない、排除しないような行動に至るということが容易に想像できますね。
だから孤立がやばいんだっていうのが、改めてジョーカーを見て思ったことなんですけども、僕が活動している1つの理由としても、その孤立、社会全体の孤立を軽減できると思ってはいませんけども、一部だけでもですね、僕が何か影響し得る範囲において公園的なコミュニティーは作れればいいかなと思っていて、
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そのような孤立に対する対策というか、活動をですね、やっていこうとしているわけですが、そこはちょっとまた別で話しましょうね。ちょっとややこしくなるんで。とにかく、世界には意味がないし、だからこそ自分で意味づけができるんだけれども、そこに他者が存在しなければ、自分の意味づけで判断行動まで至ってしまうので、そうなるとちょっと恐ろしいよなっていうのはありますと。
だから念のためにはなるんですけども、僕が話したことっていうのは、あくまでこの世界をどのように見ているかという前提と、じゃあどのように望むかという態度の話であって、そのままの勢いで判断し行動するのはちょっと良くないよということはですね、注意喚起というかしておきたいなと思いました。
判断と行動はくれぐれも慎重にということをお伝えしたいなと思っています。
判断と行動ですね。
世界には意味がないし、だからこそ自分で意味づけができるよねという世界に生きている。
じゃあその上でどう判断していけばいいか、どう行動していけばいいかみたいなことっていうのは、いろんな事例でいろんなパターンでそれこそ話していかないと単純化できないものだと思うんで、この場合はこのようなことが考えられるし、判断し得るよね。
それもこんなパターンが想定されるしとかって感じで、本当に分岐しまくるんで、この判断と行動っていうのは単純化できない。
なぜなら他者にも世界がある。それぞれが意味づけした世界がある中で、僕たちは複雑に絡み合っているので、その複雑に絡み合っている中で行動していかなければいけないので、そこは主観で決めればいいじゃんみたいな単純な話ではないっていうことを念のため注意喚起したいと思ってお話ししました。
難しいですよね。他者が存在していないような状態の人はちょっと気をつけてねって話になるし、社会規範みたいなものにとらわれすぎて身動き取れなくなって苦しんでいる人なんかはもうちょっと主観を大事にしたらと思うし、バランスの問題なんで一概に言えないのがすごい難しいなと思います。
そういう意味でも判断と行動っていうのは結構難しく考えてしかるべきことだと僕は思うんですけども、前提と態度っていう意味ではもっと主観を大事にしてもいいんじゃないかなと思います。この前提と態度と判断と行動を切り分けて考えるみたいなことがとても大事かなというふうに思いました。
本日は以上です。番組のご意見ご感想はハッシュタグ減少をつけてXでボスとしていただくかSpotifyのQ&Aよりコメントいただけると嬉しいです。また減少の活動を応援してくださる方は番組をフォローして今後の配信もお聞きいただけると更新の励みになりますのでぜひお願いします。それではまたお会いしましょう。さようなら。
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