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2025-02-14 31:37

半生(9 コロナ時代)

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[第182話]

私の半生を振り返っていきます。新型コロナウイルスから、株式会社現象設立初期まで。

「存在としての公園」

現象は、「存在としての公園」をコンセプトに活動している、上水優輝(うえみずゆうき)のソロプロジェクトです。

完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、場づくりを中心にさまざまな活動を行なっています。

自らを公園的なるもののシンボルとすることで、あらゆる空間を公園のように多様な人々を包摂する場へ。一体どんな現象が起こるのか、あなたもぜひ現象の公園に立ち寄ってみませんか?

→ 活動予定は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

→ SNS:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠X⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠mixi2⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠YouTube⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園コンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
前回ですね、専門学校を辞めた後、30歳ぐらいからのお話をしましたが、
株式会社ビッグトリーでですね、Dコートというディスカッションの教室を立ち上げ、
それがなかなかビジネスとしては軌道に乗らなかったので、企業研修ですね、法人営業をしたり、
そこから派生してですね、コンサルティングに移行して、今に繋がるコンサル業の下積みをしたような感じ。
2019年にはかなり会社の中がですね、効率化されて売上が満点してきてという状況になったので、
自分の活動もやっていこうという感じで、ノートですね、エッセイを毎日更新し始めたというのが2019年11月でした。
2020年以降の話を今回していきたいんですけども、2020年2月にですね、ニューヨーク強制一人旅というのがありました。
それこそ売上が安定してきたかつ業務が効率化されてきたので、
野澤社長がですね、それまでのね、やっぱり頑張りみたいなものもねぎらうみたいな意味はあったと思うんですが、
あとはその仕事づくめになってたってことを少しね、危惧してってこともあると思うんですが、
ちょっと海外に一人で行ってきてくれと。
別に何をしろということは言わないから、チケットだけ取りますと。チケットと宿だけ。
宿も取ってないか。チケット取りますと。で、宿題出しますと。
で、あとはもうその時間仕事しなくていいんで、何かを感じてきてください、みたいな。
一応研修という名目でですね、ニューヨークに送り出されました。
僕はですね、海外旅行に行ったことっていうのが人生で1回しかなくて、
福岡に出てきてすぐ22歳ぐらいの時に、
韓国にですね、友達の大学の卒業旅行になぜか大学生でもないのに
呼ばれて一緒に行ったっていうね、韓国旅行しかしたことなくて。
で、その時はもうずっとね、友達から離れずにいたから、
何でしょうね、言葉も何も通じない状況で一人で過ごすっていうのは初めてで、
結構、もう出発直前まで怯えてましたね。
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で、もちろん英語も喋れないですしね。
で、ニューヨークに着いたんですが、奇跡的にですね、
高校の後輩がニューヨークで当時仕事をしていたんで、
その後輩と落ち会ってですね、時間が空いている時にはですね、
いくつか場所を案内してくれたと。
で、その時にですね、タイムズスクエアの協会、
タイムズスクエア協会ってあるんですけども、そこにですね、
その友人と行って、ゴスペルを聞くっていうのをやったんですね。
すごいキンキラキンの協会なんですけども、その協会でですね、
信者の方々がいっぱいいて、で観光客の方もいて、
イベントがあって、でゴスペルを歌ったりするんだけど、
間違ってですね、観光客用の席じゃなくて、
信者の方の席に座ってしまったんですね。
なので両隣とか前後を信者の方に囲まれている状態で、
でゴスペルを歌いだすと、その時の熱量っていうか、
一体感と熱量みたいなもの。
そして僕はそのどれも共有できてないみたいな感じで、
ただでさえですね、不安だったそのニューヨーク旅行が、
究極的にですね、トラウマレベルで不安になって、
自分は今世界の別の場所で完全に孤立しているみたいな気持ちになってですね、
ちょっとパニックになったんですね。
でそのゴスペルを聞いてちょっとショックを受けている僕を置いてですね、
友人はちょっと仕事があるからって言って行って、
で一人もうちょっとどうしようと思って、
セントラルパークまで歩いて行ってですね、
公園で持ってたミックスナッツを食べながらリスを眺めて、
でだんだん落ち着いてきたと。
公園っていいなってその時思ったんですね。
この世界の遠く離れた場所に来て、
一人孤立している自分さえいてもいいんだなって、
思わせてくれる、なんかそういう空間でした。
でなんかニューヨークの公園、ニューヨーク公園いっぱいあるんですけど、
06:01
なんかそういう感じで機能してるなって思いました。
結構エリアごとにですね、
まあ何ですか、中国人が住んでるチャイナタウンみたいなところもあれば、
ゴリゴリのハイブランド豚毛並んでるエリアがあればとか、
美術館ばかりのエリアがあればとか、
いろんなある種の分断というか、区画で分かれてるところがあるんですけども、
ちょっと北の方に行くと薬虫みたいな人が路上を歩いてるしみたいな、
すごいエリアごとに属性が分かれているんだけど、
公園だけはね、いろんな背景を持ったいろんな人たちが平和に混ざり合ってるなっていう、
感じが得られて、
これもね、一つ僕が公園みたいなものにこだわっている、
その公園って素晴らしいよねって思っている現体験の一つなんですよね。
結局20日ぐらいニューヨークにいたのかなって思うんですけど、
3週間近くいたと思いますね。
2月後半に日本に帰ってきたら、
もうその直後です、本当に1週間後ぐらいに、
新型コロナがニュースでですね、
すごい、なんて言うんですか、やばいよねっていう感じになっちゃって、
3月以降っていうのは、皆さんご存じの通りですね、
いろんな社会活動がストップしていくと、
というところで、コロナ前のですね、
ニューヨークにギリギリ駆け込みで行けたという感じでした。
3月以降っていうのは、
なんて言うんですか、訪問、企業研修やってますけど、訪問できないよねとか、
オンラインの打ち合わせをしようとか、
いろいろそういうコミュニケーションの方法みたいなものが移行していったし、
実施の仕方みたいなことも移行していったしっていう感じで、
かなり生活が変わっていきました。
言ったんだけども、最初の3月、4月っていうのは、
一旦よくわかんないからみんなストップするみたいな時期だったと思うんですけど、
その時期にですね、結構重要な活動がスタートしています。
2020年3月にですね、初のポッドキャスト、
僕の初のポッドキャストを始めています。
サイコパスのラジオって言うんですけども、
岡田斗司夫さんという方がですね、
YouTubeでサイコパスの人生相談っていうのをやっていて、
それをね、見て、
あれ、なんかすごい言ってること分かるぞと思って、
09:02
あれ、サイコパスとか言ってるぞと思って、
ちょっと興味が湧いて色々調べたら、
セルフチェックみたいなのをやったら、
結構サイコパス度が高いということが分かって、
ああ、サイコパスなんだみたいに思ったのがきっかけで、
もっとサイコパスのことを知りたいなと思いまして、
色々調べて、その調べたことをお伝えすると、
サイコパスについてのラジオという意味で、
サイコパスのラジオを始めたんですが、
なんか調べて喋るみたいなのは別に全然面白くないんですけど、
やりたくないなということにやってみて気づきまして、
しばらく寝かせてですね、
やりたくないなと思って寝かせてたんですけど、
2020年6月からは、
サイコパスの自分が喋ればサイコパスのラジオになるから、
ノートのエッセイの喋る版でいいやんと思って、
2020年6月からはサイコパスのラジオを毎日更新、
ノートと並行して毎日更新で始めました。
ビッグトリー本業の方はですね、
オンラインに移行したことによって、
顧客を訪問しなくてよくなったんですね。
ズームでよくなったりとかして、
それがね、僕に時間をもたらしてくれましたね。
前は北九州まで訪問したりとかですね、
移動で往復3時間とかかかったりとかしてたから、
ちょっとこれなんとかならんかなと思ってたんですけど、
そういうのがですね、かなり効率化されて、
仕事がね、かなり時間ができて、
自分の活動にもですね、
いろいろ活動できるような余力っていうのが
出てきているところでした。
余談なんですけども、2020年8月ですね、
6月、7月ぐらいのときにまた感染者数が
わーって増えたんだけど、
7月後半からちょっと落ち着いてきて、
で、また8月にイーカネパレットっていうね、
田川の廃坑利活用したような施設があるんですけども、
そこにですね、僕はちょっと泊まりに行って、
泊まりに行ってっていうか、経営合宿ということでですね、
野住社長と僕と、当時業務委託で関わってた人がいたんで、
その3人でイーカネパレットで経営会議しようと
言ったら、行く日かその前の日かに、
ちょっと野住社長が体調崩しちゃって、
コロナかもしれないから危ないねってなって、
キャンセル。野住社長キャンセルで、
でも僕ともう一人は予定開けてたんで、
イーカネパレットに泊まったんですね。
もうほぼ遊びですよね。もう会議なくなっちゃったんで。
予定なし暇だなって思って、
それをなんかね、ツイッターかなんかに書いてたら、
12:03
ちょうどね、それこそニューヨークにいた友達が、
ロックダウンを経てですね、
地元の田川に帰ってきてたんですね。
田川にいるんだったら会おうよみたいになって、
その友人の家がですね、お寺なんですね。
で、「ちょっとうちの寺来ませんか?」とか言って、
寺のね、でっかい仏像とか見て、
すごいねとか言いながらやってたんですけど、
その時にですね、僕が髪型が坊主だったんですね。
定期的に坊主になったり、髪を伸ばしたりっていうのを
やってるんですけど、その時ちょうど坊主になったばっかりで、
その坊主、頭と服装は、
いまいちマッチしてないような感じがしてたんですね。
坊主用じゃない服を着ていたというか、
自分の中で坊主の時に着る服じゃない、
髪があった頃に着る服を着ていたので、
なんかちょっとしっくりこないなと思っていて、
その寺についてですね、「坊主に似合うやつある?」とか言って、
けさを着せてもらったりとか寒いを着せてもらったりとかですね、
お寺のファッションみたいなのをいろいろやったんですけど、
その時サムウェイを着たらね、これいいねってなって、
その場で通販で適当なサムウェイを買って、
以来ですね、サムウェイを着てますね。
2020年8月から僕はサムウェイを着てます。
もちろん当時はまだ企業研修もがっつりですね、
営業とかもやってたんで、スーツを着てる日とかがメインで、
たまに休みの日にサムウェイを着てるみたいなのが始まったのが
この時期って感じですね。
そんな調子で仕事は少し、
何て言うんですか、やり方は変わっていたけれども、
なんとか継続できる状況で、かつでも時間がいっぱいあると。
なのでなんかできることあるなぁと思って、
ポッドキャストとかノートとかっていう感じで発信を
毎日頑張ってた時期であるかなと思います。
そうこうしてたら、
2021年になって、
クラブハウスっていうね、
おしゃべりするSNS、
音声通話というかね、みんなでおしゃべりするような、
しゃべるSNSが始まって、
みんなね、これは革命起こるぞって言って、
一瞬ですね、みんなクラブハウスを始めてやってみたんですけど、
数ヶ月でですね、一気に下位になってしまったと。
僕もね、あれ始めた時はすごい面白くて、
15:00
こんな色んな人と話せる、
SNSって感じだなっていうその感動を、
それこそサイコパスのラジオの中でも話していた気がするんですけれども、
まあでもやっぱりやってみると、
かみ合う会話っていうのが本当に少ない。
むしろ色んな人と言語コミュニケーションをする機会を得て、
それこそ文脈を共有していない人たちとの言語コミュニケーションですよね。
そしてお互いおそらくは成立させようと思っているにもかかわらず、
本当にかみ合わない。
別にそれは僕だけのせいじゃなく、
相手だけのせいでもないし、僕だけのせいでもなくて、
お互いのせいだと思うんですけど、本当にかみ合わないんですよ。
で、まれにかみ合う人がいる。
その時に出会ったのが、ムロさんっていう方ですね。
当時、コテンラジオでポッドキャストを出演されていたムロさんで、
その後ですね、一緒にコテンで働いたりとか、
同世春3人でポッドキャストをやったりとか、
新日本ダジャレ協会というポッドキャストを始めたりしましたけども、
そのムロさんと出会ったのは、実はクラブハウスでした。数少ないですね。
話がかみ合うみたいな人だった。
それからのクラブハウスからの縁って感じですね。
あとはクラブハウスで、かなぷりさんっていうね、
今僕、ヨガ教室を手伝っているんですけども、
そのかなぷりさんと出会ったのもクラブハウスでした。
っていう一部ですね、重要な出会いがあったのは、
このクラブハウスっていうアプリだったなと思っています。
同時に、さっきも言った通りですね、
コミュニケーションってかみ合わんよなっていうことも、
言語コミュニケーションに絶望したっていうのもこのクラブハウスでしたね。
人類のコミュニケーション能力の低さみたいなものを、
なんとなくは思っていたけども、革新に変わったと言ってもいいのかなっていう、
結構言語コミュニケーションを諦めよう、
人類の言語コミュニケーションは限界だって思ったのが、
このクラブハウスでした。
2021年の6月にノートのエッセイ、毎日更新を終了しました。
喋るのと書くのを並行してたんですけども、
もうどっちかでいいやんってなった時に、
喋るほうが楽だなということで、書くほうをやめて、
やっぱりそのラジオだけは残して、だんだんですね、
発信がポッドキャスト主流になってきたというふうな感じです。
そして仕事のほうはですね、
なお、ガツガツ新規営業する感じでもなくなってきて、
結構時間があったんで、
やっぱり自分の活動にもう少し時間を避けるっていう余裕があって、
ノートを辞めたのには以降、
理由があって、書くのは大変なんだけど、
18:01
ブラウザ上で見る文字列っていうのに、
質量を感じない、
重厚感が足りないなと思って、
大事なのは質量だ、みたいなことを考えてですね、
そこでブラウザ上に文字を書いちゃいけないと、
物理的に書かなければいけないということで、
紙に何か文字を書くかなと思ったんですけど、
いや、もっとだと思って、粘土版に辿り着くわけですね。
粘土版にブログを書いたら面白いやんと思ったんですよ。
でも結構大変だなということに気づいて、
え、まだ気づいてというか、そりゃそうなんですけど、
試しに粘土版1個ね、文字を彫ってみたら結構大変だったんで、
これブログは書けんぞと思って、
何を刻もうかなって考えた結果、
歌詞を刻もうということで、
粘土版に歌詞を書くっていうのを、
いくつか試作品を作りました。
2021年の冬かな、もう11月、12月には、
来年どうするかっていうところで、
本業のビッグトリーを続けながらですね、
もう1回音楽活動をやろうというふうに思ったんですね。
その音楽活動っていうのは、
僕が1人でギター弾き語りをすると、
曲を粘土版に、歌詞を粘土版に彫って、
僕は自分のギター弾き語り、
もしくはそこで単発プロジェクトで
サポートメンバーみたいな感じで呼んで、
毎回違うメンバーで、
違うアレンジで曲を演奏するというような、
完成形のアレンジがないみたいな感じで、
1個の曲を演奏する。
でも、曲のメロディや歌詞や構造は一緒で、
演奏のアレンジっていうのは、
その時奏でるメンバーとか、
何をリリースするかっていうと、
粘土版をリリースするというようなイメージですね。
音楽の方は動画にとってひたすらですね、
いろんなアレンジのいろんなバージョンの同じ曲、
同じ曲のこともあるっていう感じで、
とにかくアレンジが固定されていない感じの曲をやるんだけども、
その曲の歌詞みたいなものは粘土版として1個ドーンとあると。
粘土版をリリースするっていうミュージシャン活動をしようって思ってたんですね。
で、2022年、年を明けて、
今年はアーティストだって思ってたら、
突如ですね、
倉場派生で会ったムロさんから連絡が来て、
21:02
ちょっとコテンラジオで台本を書いてくれませんかみたいな依頼が来て、
時間もあったし、OKですって感じで、
で、そのミュージシャンの案をですね、
一回取り下げてというか休止して、
本業のビッグツイート、プラス業務委託でコテンラジオの台本を書くっていうような活動が始まりました。
結構ね、ポッドキャスト界では、
なんていうんですか、
王道のというかね、すごく人気のあるポッドキャストだと思うんですけども、
僕がね、そのコテンラジオで書いたシリーズは、
日露戦争の台本ですね。
あれはがっつり最初から入って書いたのと、
あとウクライナの歴史みたいな、ウクライナとロシアの歴史みたいなのを特別編でですね、
作ったんですけども、
その時も僕は台本を書いてますね。
はい。
という感じで、年始からコテンの台本制作の業務委託のお仕事をしていたら、
採用を強化してですね、人数がガッと増えたんですね。
で、2022年、その年の6月ですね、業務委託で初めて半年くらいなんですが、
チームが17人くらいいるから、マネジメントする人が必要だってことで、
僕がその歴史調査チームのマネージャーとして、リーダーとして正社員になりました。
人生初めての正社員を、この2022年の6月にやって、
ビッグツリーと片わらでコテンって思ってたんですけども、
ダブルワークって感じにこの時になりましたね。
で、始まってみるとやっぱり激無でですね、やっぱり忙しいので、
半々ってよりはコテン7割、ビッグツリー3割くらいの時間の使い方になってたかなと思うんですが、
かなりね、朝から夜まで会議をしたりなんかしたり色々忙しかったですね。
で、2023年1月、もうそれこそまだリーダーになってからですね、
正社員になってから半年ちょっと経ったくらいだったんですけども、
少し経営層と意見の相違があって、
これをコミュニケーションして、
つまりなんかビッグツリーで通ってきた道ですよね、
全然意思疎通ができないところからやり切って信用されて、
自分の言うことが通っていくみたいなことをやろうとすると、
あのビッグツリーでやってきた5年間くらいをもう1回やらないといけないんだなって思った時に、
つまり選んだ答えを正解にするみたいな気概でやらないといけないんだなと思った時に、
まあ選びたくはないなと思って辞めました。
その時に何を選んだかというと、独立することを選びました。
24:01
で、2023年3月ですね、個展を辞めて、
その2週間後に、2023年3月29日ですね、
株式会社現象を設立しました。
この現象という会社は、特に細かいことは決まっていなくて、
その時決めていたことというのは、組織はやりたくないなと思っていたので、
個人会社にするということですね。
誰も正社員を雇用しないと、組織化しないと。
業務委託的にですね、プロジェクトベースで関わっていくような感じで、
いろんな人と仕事をしようと思ってはいるんですけども、
なんか固定して、誰か正社員を雇用するみたいなことをしない、
個人会社にするということを決めていました。
で、プロジェクトベースでですね、上下がない、
対等なコミュニケーションを取れる関係性で仕事をできる人だけ、
案件単位でやっていくというようなことをしようということを決めていました。
で、とはいえですね、何も、何ていうのかな、
事業があるわけではないんですけど、
今までやってきた企業のコンサルティングのですね、
委員長戦場で個人でですね、中小企業のコンサル、
案件をやったりとか、
それだけだとですね、別に何で独立したんって感じもあるから、
株式会社減少っていうぐらいなんで、
いかに減少であるかっていうことを表現するためにですね、
人間の自我なんていうのは、
減少でしかないとさえ思っているので、
まずは僕という人間が、
確固たる僕なんていうものはなくて、
周囲との関係性であるとか、
自分自身のその日の体調であるとか、
いろんな条件が複合的に合わさった、
その時に現れる減少でしかないんだよっていうことを表現しようということで、
多面的な自分を発信するというテーマで、
ポッドキャストをたくさんやりまくったんですね。
いろんな番組を急に立ち上げて、
毎日、週の中で毎日違う番組が
配信されているということをやりました。
これはですね、自我は減少なんだよっていうことを表現する、
表現活動としてやったっていうのと、
一緒に話している人たちといろいろ話していたら、
そこから広がって、新しいアイデアが生まれるかな、
ぐらいのノリで遊びの延長でやってたって感じですね。
実際それで生まれたっていう実感があるんですけども、
その年の2023年の秋頃からは、
そのポッドキャストを通じてリスナーさんと出会う機会が
立て続けにありました。
そのポッドキャストのオフ会があったりとか、
27:01
21世紀の食いしん坊っていう福岡県筑豊地方のグルメを紹介する
ポッドキャストやってるんですけども、
グルメツアーみたいな感じでオフ会があったりとか、
あとは僕が東京に行く用事があったんで、
Twitterで会ったことのない人でも大歓迎なんで
飲みに行きませんかみたいな感じでしたら、
ラジオの中でお話を聞いてくれたりとか、
色んな方にお会いすることができて、
この感じは何ていうのかな、
20代前半の野古野島でキャンプしてた頃の感じだなって
なんとなく感じたんですよね。
それと同時に、
特に東京の飲み会で感じたんですけども、
飲み会みたいなところで感じたところかなって言うと、
食事をして喋るみたいになっちゃうんで、
やっぱ誰かが会話をリードして、
もうそれに食い気味にかぶせてくる人とか、
リアクションする人とか、
あとは黙って聞いてる人とかっていう感じで、
役割が固定化されてしまって、
たくさん人数がいても、
やっぱりトークの存在感みたいなので、
もう逆にその存在感があまりない人っていうのは、
表現できないままその会が終わってしまう。
あまり話せない人もいたなとかっていうのは
すごく残念だなと思ったんで、
会話だけじゃないよねと。
クラブハウスの体験もここでは生きてるんですけど、
結局会話ってそんなにかみ合わないから、
会話に依存してる飲み会が主流なのどうなのっていう、
すごい問題意識というか、
違和感みたいなものが生まれた時期でもありますね。
キャンプを思い出したのはそこなんですよね。
キャンプっていうのは、別に会話だけじゃなくて、
共に時間を過ごしている、無言の時間もあるし、
時間を共有する中で必ずしも会話だけじゃなくて、
何かを共有している、非言語の何かを共有して生まれる
信頼関係みたいなのってあるよねっていうのを、
なんとなくそこで思い出したんですよね。
そうしているうちに、
2024年を迎えて、いよいよ今やっている
公演活動、存在としての公演というところに
たどり着いて始まっていくというところです。
おおむね、これまでの人生の
いろんなことが、いろんな点がつながって、
30:02
うよ曲折あって、
そして、公演だっていう風になったと。
ニューヨークのこと、ノコノシマのこと、
クラブハウスのこと、専門学校のこと、小学校のこと、
いろんなことが点と点がつながって、
公演のような、あのとき、
究極的に孤立した自分が受け入れてもらった場所、
セントラルパーク、あったらいいよね、
ノコノシマのような会話じゃなくても、
みんながつながっていく感じ、いいよねみたいな、
いろんなことを思った。
そして、公演だってたどり着いた。
これが2023年の終わりですね。
次回、最終回ということで、
2024年、昨年の1年間、
存在都市の公演というコンセプトを掲げてからの1年間を
ざっと振り返っていこうかなと思っています。
本日は以上です。
31:37

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