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2025-02-17 16:43

半生(10 存在としての公園)

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[第183話]

私の半生を振り返っていきます。振り返り最終回。存在としての公園。

「存在としての公園」

現象は、「存在としての公園」をコンセプトに活動している、上水優輝(うえみずゆうき)のソロプロジェクトです。

完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、場づくりを中心にさまざまな活動を行なっています。

自らを公園的なるもののシンボルとすることで、あらゆる空間を公園のように多様な人々を包摂する場へ。一体どんな現象が起こるのか、あなたもぜひ現象の公園に立ち寄ってみませんか?

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。完全招待生の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを築くなど、存在としての公園のコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ絶賛窓をお付き合いください。前回までですね、いよいよこの存在としての公園を始める手前のところまでお話ししました。
まずは、現象をですね、2023年のですね、3月29日に設立して、最初はですね、やらないことは決めていたけど、何をする会社なのかってことを模索している半年間、1年間だったのかなと。
で、2023年の後半に、ポッドキャストを通じてですね、いろんな方々と、リスナーさんを中心にですね、いろんな方々と出会う。その出会いを経てですね、過去のいろんな経験、成功体験、失敗体験と繋がって、コミュニティだと。
そしてそれは公園なんだと。公園ってそもそも物理的な公園ですね。いろんな人がいますよね。小さな子供もいれば、その親がいたり、おじいさんがいたり、おばあさんがいたり、ビジネスマンが昼休みの休憩をしていたり、いろんな人がいる。
そしてそのいろんな人がその空間に合わせているのに、一見カオスなはずなのに、そんなことはなくて、公園の景色として調和している。こういう様々な人たちが包摂される、調和する場所として公園っていうのは機能している。
その公園のような場所っていうのが、この社会にもっと、特に今の社会、もっとあったらいいのにっていうふうに思ったんですね。すべてのものやサービスがすごい説明的なんですよね。説明されなければ、分かったような気にならなければ価値がないみたいに、あまりにもなりすぎている。
そしてそれは、ものやサービスだけじゃなくて、人間理解みたいなものもそうかなと思ってますね。どこに所属している、誰なのか、どういうスキルを持っているのか、どういう経歴なのか、どこの大学を出たのか、年収いくら稼いでいるのか、そういうことで人間を判断している。
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それは、まさに説明されていないものは分からないし、分からないものは価値がない。そんな社会になってしまっているんじゃないかって思うんですね。そんなこと言ってられるのは、今のうちだけなんじゃないかっていう危惧が僕の中にはあって。
数年以内に、人間にしかできないことっていうのが、ほとんどなくなっていくだろうなっていうふうに感じるんですよね。その時に、機能でしかない自分、役割でしかない自分、機能がない自分には価値がない、役割のない自分には価値がないみたいな、そういう世界に生きていると、おそらく生きている価値のない人がもうほとんどなんじゃないかなっていうふうに。
思うんですよね。だからそういう機能とかじゃなくて、もっと存在として、存在そのものに、存在そのものに価値があるかどうかは問題ではちょっと議論が必要だけど、存在そのものに価値が出るように良好な関係性を築いていくってことはとても重要かなと思ってますね。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというふうに思っているし、でもそのコミュニティっていうのさえも、何ていうのかな、今どきコミュニティっていうときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
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そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
そういう意味でもですね、必要なものはコミュニティだろうというときに機能ありきというか、なんかテーマが必要だろうというふうに思ってます。
出来事自体は変わってないと思うけど、解釈みたいなものが変わったりとか、ピックアップするイベントみたいなのが違ったりとかして、意味付けが変わったりとかして、それはそれで面白いのかもなということを思ったりしました。
あと話してみてですね、存在としての講演、講演なんだ、みたいなことにたどり着いたのは、結構直感的に講演って思ったんですけど、いろんな伏線というか現体験みたいなものがたくさんあったなと、コミュニティに馴染みなかった自分であるとか、
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その情熱みたいなものをアレルギーというかね、すごく嫌うところがあったりとか、その情熱みたいなものの薄いコミュニティ形成に一時期成功したことであるとか、人間関係を立って自分一人で競争社会に飛び込んだ経験だったりとか、
ニューヨークで講演に救われたとか、ポッドキャストでいろんな方と出会ったこととか、そういういろんな点がつながってですね、講演という形で今活動しているというのが自分でもね、わかったというか、そう意味付けたという感じがしていますね。
あとこれは割と前から思ってたんですけども、僕の場合、人生の転機みたいなのがかなりね、身近な人の影響で起こってたりします。
小学校3年生の時にクラスの番長みたいな人に気に入られて、そこからガラッと生活が変わったりだとか、中学校でサッカー部の顧問と出会って、ガラッとまた変わったりだとか、高校卒業後は絶望している時にバイトの先輩からね、一緒にいてくれたことでですね、
なんとか生き返ったこととか、福岡に移住してきてですね、マーションの管理人さんに活を入れてもらったりとか、専門学校に行くときもお友達のね、作業療法士のお話を聞かせてもらったことがきっかけになっていたりとか、
専門学校で出会った人の会社で今働いているし、クラブハウスで出会った人から仕事を紹介してもらい、その仕事が独立するきっかけになったりとかっていう感じですね。いろんな縁で人生が転がっていっているという感覚がすごくありますね。
なのでそういう意味でもですね、公園で出会ういろんな人たちとの出会いっていうのはまた僕の人生を思わぬ方向にですね、変えていくようなきっかけになるかもしれないので、公園での出会いも楽しみにしていきたいなと思っています。
あとは最後にちょっとわかりづらい抽象的な話をしますけれども、僕たちは物理空間としての宇宙を共有しながらこの宇宙の空間をですね、けれども意識の宇宙みたいなものは一人一人が別の世界にいるんですよね。
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僕が思う赤色は誰かにとっては赤じゃない可能性があるみたいなのと一緒で、僕が思う正義は誰かにとっては正義じゃないとか、そういう無限にそれがある僕が思う美しいは誰かにとっては美しくないもの、見にくいものかもしれないとかっていう人数分だけ宇宙があると。
意識の宇宙はですね、全員異なる宇宙を生きている。でも全員一つの物理空間の中で生きている。なのでぶつかっちゃうことがあるんだけれども、このぶつかるときに別の宇宙生きてるよねっていう前提でいたら、この前提を共有できたらもう少しですね、交われるんじゃないかと。
もしくは交われない領域を無理に交わろうとしないんじゃないかっていうふうに思うんですね。ところが今の社会の価値軸みたいなものがかなり限定されている。
このお金だとか学歴だとか、そういう特定のもので固定化した序列を作ってしまうと、やっぱり様々な意識の宇宙みたいなものがみんな生きづらさを抱えていくというような感じがしますね。
多様性とか生半可な気持ちで言ってんじゃねえよっていう意識の宇宙は無限に広がっているのに難しいよって思ってます。そんなことを真剣に考える人、もしくは意識がみんな違うんだみたいな、そんな前提も共有できない人がたくさんいるなっていうふうに思っているんで、
正直、社会をひっくり返すみたいな、そんな野心は僕にはありません。けれども、一つの公園、そこに何人の人を包摂できるかわからないけれども、一定人数の多様性みたいなものを包摂できる場、
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みたいなものは作っていけるんじゃないかなというふうに思っているんで、僕は僕のできる範囲で、そういう多元的な価値を認めることができる場所っていうのを作っていきたいなというふうに思ってます。
別に1億人にリーチしなくてもいいから、周りの数十人でもいい。周りの人たちに影響して、手の届く範囲でですね、影響していけば、本来社会って結果としてね、ひっくり返るんじゃないかなって思うんですよね。
矛盾するようですけど、社会をひっくり返す気がないと言いながらも、地に足のついた手の届く範囲で変えていけるものを変えていくと、そういう覚悟で臨んでおりますんで、もしよろしければですね、現象の公園活動、ぜひ応援していただけると嬉しいです。
本日は以上です。
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