それまで美術館ギャラリーで多くの人に見てもらえてよかったとか、
たまに販売で売れたら嬉しいというのもありますけど、
よくご存知のように日本の中では、
例えばオリジナルのアート作品が売れる場というのはほとんどない。
特に関西の奈良みたいなところでやっていると、
ないんですよね。
そこでアートをどう仕事にしていくかという、
いろんな四国作を2000年代半ばから始めるんです。
いきなりグッジョブに行ったわけではなくて、
まず2007年に始めたのが、
レイブルアートカンパニーという、
先ほど言ったレイブルアートというムーブメントの一つなんですけども、
その人のアート作品、特に平面作品の
主作権の二次利用をするというエージェントを自分たちで作ったんですね。
要はその絵を、
今日ショップで見ていただいた動画がありますが、
靴下を柄にしていただいたりとか、
企業やデザイナーに使っていただいて、
その表情をしょうがない人たちにも加盟していくという仕組みを作って、
そこで僕たちは今までアートのつながりだったのが、
デザイナーとかクリエイターとか企業と
たくさんつながりが出てきていて、
やっぱりそういった人たちも、
しょうがない人たちと一緒に何かしたいとか、
仕事を作りたいという思いを持った人も
たくさんいるということに気づいてきた。
エイブラートカンパニーも含めた、
いろんなアートと仕事というチャンネルに
だんだん切り替わっていった結果、
僕たちはグッジョブプロジェクトを
2012年に立ち上げたんですよね。
それはしょうがない人たちと新しい仕事を作ったり、
ものづくりをしている団体と、
たくさん出会いたいというのがあったので、
センターではなくて、東京でグッジョブアワーを取っていって、
しょうがない人たちとものを作っている人たち、
仕事を作っている人たちに応募していただいて、
審査員もいろんなデザイナーさんとかにお願いして、
それらを評価するアワードや展覧会をどんどんしていくと。
そうやって自分たちの中で、
たくさん新しいネットワークを作っていき、
このセンターの話も同時期ぐらいに
お話があったので、
実際に我々自身も具体的に新しい仕事を作る場所づくりを始めて、
2016年にセンターがオープンしていくという、
すごいざっくりとした流れなんですけれども。
ざっくりととか言いながら、着々と象徴と風景が変わりながら、
社会の状況が急激に変わったので、
うまく手探りで探して、ここまでの形になっていったというのが、
すごい良かったというお話ですね。
僕が教員免許とか取るために、
障害のある方の施設の実習があったんですけれども、
それが例えば2001年ぐらいですけれども、
どうしてもそういう施設って八王子の山奥で、
どっちかというと立地自体が隔離という受け入れが強かったので、
それが地域と関わるようにした方がいいというのは、
かなり大きな方針というか感じると思います。
ちょうど同じぐらいの時代から、
大学の教員実習の受け入れをするようになって、
そういった美術とか工芸とかデザインとかを学んだ人たちが
スタジオに入って、障害のある人と一緒に作品作りをしたり、
プロジェクトを外部のデザイナー、クリエイターとも
ご一緒するような機会がすごく増えてきたのが、
ちょうど2000年ぐらいから。
関係性的はすごいウィンウィンな気がします。
美大は私たち美大でなんですけど、
美大でどうするんだっていう、
たぶん同じ問題なんでしょう。
アートをいかに仕事にするかという問題がすごく共通してて、
個人で、一般のイメージで多くが、
アートって好きなことをやっている人だよねとか、
好きなことをやっているからお金を稼げなくても頑張れるよね。
そういうイメージは未だについてて、
それでもアーティストのご飯は食べていかなきゃいけないから、
機材とか絵の具とか、
作るにもお金がかかりますし、
保管、売るときも、
ただギャラリーで売ればいいわけでもないし、
流通とか発送、梱包、
すべてのプロセスお金がかかるから、
無償で好きなことをやっているから、
無料でやっていて未だに私は来るんですけど、
お断りするように最近なっちゃっているところは、
私が年齢的に中堅になってきたので、
若い人はいいかもしれない。経験とか体験とか、
あとは大御所もいいかも。
でも中堅は逆に、
私みたいにいいよって何でも、
気軽にボランティアでやっちゃうと、
他の人が値段のベースペインになっちゃうので、
最近はちょっと断りつつ、
ボランティアだって決めたのは、
自分が本当にお世話になった人とか、
やりたいとか、
自分にとって新しい体験をしたいと思った時にだけ、
お受けをさせたり、
むしろ逆に頼んでやらせてくれっていうのだけなんですけど、
本当に何て言うんだろう、
この貨幣経済、資本主義、ご飯を食べなきゃ、
お金がないと食べれない、
自分で野菜作ればって、
そんなこと言ったやつ言われ始めちゃうんですけど、
山に籠るしかないじゃんみたいになっちゃうんで、
やっぱり取らないで、
人との関わり合いを持って生活するってのは、
仕事がないと続けられないかなっていうのが本当に思った。
グッドジョブプロジェクトが立ち上がった頃から、
いわゆるアートワークというよりは、
デザインプロダクトみたいな方向性は、
わりかし定まってたんですか?
そうですね。
でもその前から割とものづくりはやってて、
結構古くから陶芸をやったりとか、
織物をやったりとか、
障がいのある人は和紙もやったし、
いろんなことをやってるんですけど、
福祉施設って手仕事的なものを、
割と伝統的に、
やっぱり日本はクラフトの文化が盛んだと思うんですけど、
福祉施設もやっぱりそうで、
どこの福祉施設でもやっぱり、
織物をやってたり、陶芸をやってたり、
なんかやってるんですよね。
それはそれの潮流として、
たぶん昔から福祉施設にはあって、
それを作ってバザーで売るとか、
なんかそういうことがあるんです。
それってちなみに、
社会制度としての福祉っていうものが、
成立する以前からの話だったりするんですか?
社会福祉っていうのは、
なんていうか、江戸時代とかの魚持ってるんですか?
それはちょっとわからないです。
本当に70年代とかで、
しがらきとかで知的障害のある人が、
陶芸の仕事を地域に出てしていたということがあったりもしますし、
それは現場でやってた?
現場でやっていたとか、
でももしかしたらやってたのかもしれないですよね。
社会福祉制度ができる前かなというか、
でも福祉施設ができたときに、
やっぱり何らか、
あまりいい言葉じゃないかもしれないですけど、
高知っていうんですけれども、
何か障害の人たちが働いて、
何らかのお給料を得るというときに、
その手仕事的なものとして、
割とそういうものづくりのことっていうのは、
日本の中でやられていて、
それで本当に北海道とか東北とか、
木が豊かにあるところだと、
結構木工のおもちゃを作っている福祉施設があったりもしますし、
というふうに割とやっているところはあったので、
そういうものは連綿と根付いては。