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  2. S3 ep12 福祉とアートとものづ..
2023-11-14 49:57

S3 ep12 福祉とアートとものづくり Good Job! に至る50年 ゲスト:たんぽぽの家/Good Job! センター香芝のみなさん(前編)

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今回は奈良県に出張してお届けするゲスト回。奈良県香芝市にある福祉施設 Good Job! センター香芝の一角をお借りして、同センターの森下静香さん、藤井克英さん、センターを運営するたんぽぽの家の岡部太郎さんのお三方にお話を伺っていきます。
福祉と工芸との関わりについて知るために、まずは50年前まで遡り、たんぽぽの家の活動と日本の福祉について聞いていく初回エピソード。
内容の充実したそれぞれのウェブサイトもチェックして、ぜひ現地にも遊びに行ってみてください!


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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

Cra出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、さまざまな手法で生まれ変わらせるコレクティブConCraのメンバーが、工芸を中心に、物と人との関係や物を作ることについて考えている番組です。障害のある人たちが表現活動を通じて作品を生み出し、価値を創造するイメージがあります。また、Good Job! センターは障害者が働くことができる環境を整え、さまざまな仕事やものづくりへと発展しています。福祉施設での手仕事やものづくりは、地域の文化として確立しており、デザインや外部の意見を取り入れることで新たなクリエイティビティが引き出されています。また、Good Job!プロジェクトでは、異なる分野の人々との出会いやコラボレーションを通じて、社会へと価値あるものを提供しています。福祉とアートとものづくりの関係性について、50年以上にわたる話が展開されます。水野大二郎さんがGood Job! へデジタルファブリケーションをもたらし、障がいのある人たちの表現活動など、福祉とアートとものづくりの関係性が探求されます。

福祉施設とアートの活動
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、さまざまな手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
ConCRAのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、みなさんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
四方です。
よろしくお願いします。
今日は、ちょっとざわついてたりするのが聞こえたりするんですかね。
そうですね。
奈良県の柏市というところに来ております、我々。
初めてです。
私、柏市来るのは。
そうですか。
修学旅行ぐらいのイメージしかない。
しかもね、多分柏ってあんまり、僕、親戚がいたりするんで。
割と来てたんですよ。
あんまり観光で来るところでもないっていう感じで。
大阪寄りの奈良ですけど。
あれですね、京都以外のとこで、ゲスト会とかでしたっけ。
初めてぐらい。
初めてです。
ちょっと隣の県に来ました。
ピクニックっていう感じ。
一つずつ行動範囲を広げていきます。
広げていってますね。
柏に何があるのかということですけど、
グッドジョブセンター柏という場所に我々来ておりまして、
その一室というか、一室室なのかな。
今収録をしているところですね。
ここから周りに聞こえるのは作業をしていることだったりとか、
ここのセンターで働いている方のお仕事中にお邪魔しているので、
音は出ますよ。
現場のライブ感も楽しみください。
というわけで、当然ここに来て3人で喋るという趣旨ではないので、
しっかりグッドジョブセンターの皆さんをお呼びしていますので、
まずは順番に自己紹介、お名前だけ発声していただいてよろしいでしょうか。
グッドジョブセンターの森下です。よろしくお願いします。
同じくグッドジョブセンター柏の藤井よしひでといいます。よろしくお願いします。
タンポポの家の岡部と申します。よろしくお願いします。
さて、
名前がいい。
グッドジョブって感じにちゃんとビックリマークが入っているのがいい。
勢いがありますね。
ビックリマークがあっていい仕事をしようという勢いを感じる。
倉田市ラジオで来るわけですから、何かしら工芸絡みの話題で来ているはずなんですけれども、
グッドジョブセンターというのがどういう場所なのか、
まずは一言全然じゃなくていいんですけれども。
そうですね。
ここは障害のある人が通ってくる福祉施設でもあって、
障害のある人と一緒にアートとかものづくりとか、
そういうことを通して新しい仕事を作っていこうということで、
7年前にオープンした場所になります。
タンポポの家とグッドジョブセンター
福祉施設。
福祉施設ですね。
18歳以上の人が日中に通ってきて活動したりとか、
仕事をするという位置づけの福祉施設でもあります。
なるほど。
初めてこの番組で福祉という言葉が出てきたはずで。
そうなんですね。
今までにないんです。
意外と。
まだ今の説明の段階では、
なんでここに僕らが来たのかわからない状態ですね。
障害の方、素敵には。
一応ここに流れ着いた。
流れ着いた経緯をお話しすると、
僕が最初に藤井さんのお話を京都でファブカフェというところで
お話をされているのを聞いて、
その翌日とかに京都工芸会館じゃなくて、
伝統工芸館か。
伝統産業館でしょ。
全然覚えていなかった。
恥ずかしい。
都芝市のところで、
あそこでニュートラ店というのを開催されているタイミングで拝見をして、
というところがまず最初のファーストコンタクトとしてあって、
ということなんですが、
そのニュートラ店というのを、
もう既に昨年の10月?
12月。
12月ですかね。
12月になっています。
で、倉田市ラジオもやっている中で見て、
工芸と福祉というのの接点が全く思いも寄らなかったので、
こういうアプローチがあるのかというので拝見して、
いつか話を聞きたいなというふうにずっと思っていたんですよね。
で、ちょっと笑っていいと思うのを、
テレフォンショッキングじゃないけど、
前回の、
三田地さんからJuJu Tsunagi的なところがちょっとあったりして、
別に三田地さんの紹介できたらいいと思いますけど、
聞いてみたら。
まだ頭の中でずっと待っているっていう。
っていうのがあってね、
このタイミングで話を聞こうということで、
そのニュートラテン、ニュートラディショナルということですよね。
これの話を聞きたいなというのが、
まずここでようやく、なぜここに来たかというところが、
聞いている方にもお分かりいただけるかなと思うんですけど、
福祉と工芸というところの、
どんなことをやっているのかというのを聞きたいなというので、
来させてもらっています。
最初かなりニュートラって聞いたときに、
ニュートラルのほうかと思って、
それでニュートラディショナルなんだって、
なるほど、この二つはいい掛け合わせだわって、
今聞いてて一瞬思ったっていう。
皆さんがメモっている。
そういう意味じゃなかったんだ。
ニュートラル。
それは初めて、そういうような人は初めて。
後付けでいきますね。
本当にいいと思って、後付けで。
そのお話を聞きたいんですが、
やっぱり僕らも番組として福祉のことって、
今まで何も語ったことも、
何の知識も、
素人も素人なんで、
やっぱりそこからお話を伺っていく方が、
いいんじゃないかなと今回は思ってまして、
多分、どこからお話をしていただくのかわからないですが、
このグッドジョブセンターという場所の、
さらにその前の成り立ちのところから、
どういう経緯で、
工業というところにたどり着くまで、
どんな課題であったりとか、
取り組みがあったのかっていうのを、
順番にお聞きしたいなと思っているんですけど、
ちなみにごめんなさい、
最初の自己紹介で、
グッドジョブセンターの森下さん、福祉さんと、
タンポポの家の岡部さんという、
福祉と工芸の結びつき
その違いがあった、何なんだろうってことですよね。
そうですよね。
だからグッドジョブセンターの取り組みも、
全部をくるめて言うと、
大きくはタンポポの家という、
ちょうど今年で50周年。
活動を始めてそうです。
50周年っていう、
古い運動体がありまして、
運動体ですよね。
市民団体、市民運動。
市民団体、市民運動の一つなんですけど、
そのタンポポがやっている取り組みの一つが、
グッドジョブだったり、ニュートラルだったり、
ということになると思うんですけど、
たどるとしたら50年前ってことになりますよね。
意外と先ほどのことだね。
50年前ですね、今から50年前に、
自分たちの、奈良の障害のある、
特にですね、その当時、脳性麻痺って言って、
身体に障害がある人たちが、
自分たちが支援学校という学校を出た後に、
行く場所がないということで、
自分たちでご本人や親御さんたちと、
一緒にその場所を作ろうということで始まったのが、
自分たちで作った。
だから福祉の世界は、
割と国とか行政とか、
いろいろ何かするというイメージもあると思うんですけど、
自分たちで作るっていうのが、
最初のきっかけだった。
他にも多分いろんなね、
全国各地いろんな活動してたと思うんですけど、
タンポコンの映画その中でも特色があったのが、
最初は音楽。
音楽の活動をして、その後アートの活動をしていく。
まさに表現していくっていう部分で、
自分たちの生涯の人たちの存在とか、
思っていることを考えていることっていうのを、
広く社会に伝えていこうという、
そういう取り組みから始まったっていうのが、
最初いろいろ箱書っていうと、
そんなところから始まりましたということですね。
なので今日は、
あまりご紹介しないんですけども、
私自身はタンポコンの家に乗っていましたけど、
奈良市ですね、奈良県奈良市の西の京という地域が、
ずっと拠点になっていまして、
そこにはアートセンター派なんです。
主にアート活動。
ものづくりもしているんですけども、
障害のある人たちがアート活動できるような、
そういったスペースがあったりとか、
生活活動をするスペースというのがあって、
そこで長らく活動をしていて、
先ほど藤井も言いましたが7年前に
このグッチブセンターというのがまたできていったというのがあります。
表現というのが活動の中心としてあったんですね。
そうですね。
特にアート活動に関しては、
90年代くらいからです。
94年かな。
私たち自身が、
一つのアートのムーブメントということで、
エイブルアートムーブメントというのを提唱して、
障害のない人たちもいらっしゃるんですけども、
その人たちのできないことより、
その人たちに向けて、
いかに伸ばしたいとか、
いろんな人と共有していくかということを、
いろんなプロジェクト、大小さまざまなプロジェクトとして
展開をしてきたということがあって、
そこからまた大きな広がりを見せているのかな、
というふうには思っています。
不勉強で初めて、
エイブルアート。
おそらく、特に障害のない人たち、
障害のない人たちは、
なかなか知らない部分もあると思うんですけども、
主に福祉のアートというよりは、
一人の人間といいますか、
人たちの作っているものを考えていることを
ちゃんと伝えるという、
そういった取り組みをしようということ。
もう一つは、今のグッジョブにも繋がるんですけど、
ネットワークを作るということですよね。
一人でやっている方もいらっしゃるし、
一人一人から今までやっている方もいるんですけども、
その人たちと繋がり合って、
大きなムーブメントにしていくというのが、
90年代にそういったネットワーク作りというのを
すごい盛んにしてきたというのが、
結果的にはグッジョブの取り組みにも
繋がっているのがあると思います。
ちなみに、あっという間20年経ってしまった。
そうですね。
30年ですか?
50周年ということは、
73年くらいから、
その70年代時点だと、
かなりアートを障がいのある方が
市民代に対処してやるということが
特殊というか、新しい動きだった。
90年代になると
そういう人が増えてきた状態ではあったんですか?
そうですね。確実に70年代から90年代で
みると増えてはきていて、
その人はだいたい副施設で
アート活動をしている人が多かったと思うので、
その施設の中でどうやってアート活動を
支援していくかというのを
みんなで学び合う場を作ろうと思っています。
そういったことを90年代に盛んにやっていって。
記憶でいうと、パッタードーナツとかに
ねむのき学園とかの絵が貼ってありまして、
そういうイメージでした。
ねむのき学園は有名なところの一つですよね。
マリコさんという方が支援をしていて。
どこにあるんですか?
ミスタードーナツに貼ってあったんですか?
そう、ミスタードーナツ。
カレンダーになったりとか。
大小さまざまな副施設とか、
もちろん個人でやっている方もいらっしゃるんですけども、
ただただ作って描いたりするだけじゃなくて、
ちゃんと例えば美術館だったりとか、
ギャラリーだったりとか、
作品としてどう見てもらうか。
道場ではなくて、
ちゃんとアーティストとしてあるいは作品として
伝えていくかっていうところを、
いろんな形でみんなで方法だったり考え方を
ずっとシェアしてきたっていうのはありますよね。
それはアートブルートってよく言われているんですか?
どこと近いのか、何か違いはあるんですか?
そうですね、アートブルートってもちろん
アールブリュットと障害者の表現
その概念というのも我々は知っているんですけども、
たぶん僕たちがやっているのは、
原理的なアートブルートとはちょっと違うんじゃないか
というのもやっぱり思っていて、
僕たちが大事にしているのは
障害のある人の表現なんだけども、
そこにはアートブルートというのは
障害のある人の表現なんだけども、
そこには必ず一緒に寄り添って
スタッフがいたりとか、
いろんな周辺を支える人たちがいて、
環境があって、
さらに我々が伝える先の人たちがいて、
関わり合いの中で作品というのが生まれたり、
価値が作られていくっていうイメージがあって。
なるほど。
アートブルートももちろん
いわゆるヨーロッパのカラー、
ギター概念としてはあるんですけども、
ブルートって機能ってね、
生な純粋なってイメージなんですけども、
作者本人の本当にピュアな純粋な表現というよりは、
我々は関わり合いの中で
そういった表現が生まれていくとか、
その関わりの中で成長していくっていう、
そういう感覚もあったので、
あえてアルブルートとは言わずに、
独自に考えて展開していくということを
してきたんだろうなというふうに思っています。
なんかアルブルートだとやっぱり、
ジャンルっていうのを定義する見方があって、
定義があって、
孤独だったりとか、
いろんなそういう中で、
その人がやむにやまれる衝動的に書くものとか、
っていうところもあるかもしれないんですけど、
今岡部が言ったみたいに、
アルブルートたちって、
孤独の中で書いているかというと、
結構やりとりの中で絵を描いていたり、
あとは今、
仕事じゃないともう書かないっていう、
知的に障害のある人がいたり、
タンポコとかでもいるんですけど、
わりと注文を受けてから書く、
みんながみんなそうじゃないですけど、
そういう人もいたり、
そういう表現があるので、
アルブルートというともしかしたら、
イメージのある言葉かもしれないので、
その言葉でくぐらなくても、
その人の表現ということで、
良いのではないかというところかな、
というふうに考えていましたね。
タダイオンによると障害のある人が、
障害があるというだけで純粋な表現をする、
みたいなイメージも一方であって、
そこまで純粋じゃないよって。
グッジョブではある。
結構気になっていたのが、
例えばアウトサイドアートと呼ばれているものとか、
そういう、もっと意味が広いのかもしれないですけど、
そういうものと今のお話の中で、
コミュニケーションの中でというのが、
すごく印象的だなと。
現代美術的に言うとリレーショナルアートですね。
まさに関係性のアートなので、
もちろん一人で家に帰って描くことが好きで、
コツコツ描いている人もいるし、
そこは人それぞれだなと思って。
すごく細かく見ていけば、
タンポポとかグッジョブの中にも、
アルグレッドとやっている人も一人か二人はいるかもしれない。
そういう姿もできるというか。
それはもしかしたらそっちの筋で。
でももちろんいいと思います。
例えば団体として福祉施設を応援している国としては、
それぞれ超純粋に一人一人やっているわけではないというのもあるし。
やっぱり障害のある人との距離というかな、
関係性の作り方というのが、
あまり深刻化していくという形ではなくて、
一緒にいる人。
たぶんグッジョブはそこがさらに深化しているんだなと思うので。
本当に障害のある人って言いつつ、
障害というのはたぶんあって、
それは身体的なものであれ社会的なものであれ、
私たちでも誰でもあるんだけれども、
障害者とか障害のある人って言うときには、
やっぱりもうちょっとためらってしまう。
それはすごくためらってしまうところがあって、
障害者は手帳を持っているかどうかで言うと、
手帳を持っているか持っていないか、
ある人生の一時期精神障害の手帳を持って、
また返す人も持たなくなる人もいるし、
こういうところを利用するけど、そうじゃない人もいるし、
こういうところを利用しているけど、
障害者と言われるかというと、
なかなか難しいなというか、
そういう言葉で、
ただここを利用するにあたって、
そういう障害でこういうことができる、できないので、
ここを利用できますよという役所とのやりとりがあって、
利用に至る、必要なサポートを受けながら活動していくということは、
現実としてはあるので、
それはちょっとうまくいつも通って、
それはちょっとうまくいつもどう説明したらいいのかは、
わからないまま今に至る。
僕らも道すがりが一番進んできたと思うので、
今日来る前にね。
障害のある方というふうな、
言っていいのかもしれない。
英語だとやっぱり、
使わなくなったハンディキャップという言い方で、
people with conditionとか、
何か条件的なものがある、
難しい、何かが難しいとか、
苦手があるとか、
そういう言い方になってきている。
日本語って外で書くから、
漢字としてあまり好きじゃない。
あと、倉田氏ラジオでずっと聞いていただいている方は、
あると思うんですけど、
うみさんもしおさんも結構その自覚があるというか。
あまりオフィシャルに、
ちゃんと治療をしようとやっていたりとかするので。
そこ本当にグッチョグセンターをやり始めて、
ますますわからなくなってきたりとか、
そこはもう考えていけばいいけど、
一方でこういうことが苦手な傾向がある人たちがいるという、
医学的な見方とか、
実際耳が聞こえにくいとか、
目が見えなかったりとか、
そういうふうに、
発達障害でこういうことが音が苦手だとか、
そういう知識は知ったらいいとは思うんですけど、
そういう知識を知っていて、
でもそこの人と対峙するときは、
一旦それを棚にあげたらいいなと思っているというか、
こういうところで働く人は。
そういう知識は知らないでいいかというと、
そうでないとも思うし、
そのあたりはバランスというか、
一人一人に、
個性がやっぱり違うから、
その一人一人が見ながらされかける的な、
実際ここで収録をして、
前に見せていただいたので、
50人いらっしゃるということで、
50人やっぱりちょっとずつ、
みんな違うというところがあって、
それでも同じこれだけの空間とものに溢れているというか、
たくさんのこととものを、
溢れているスペースで、
みんな自分の場所、好きな場所を見つけたり、
自分の作業を見つけたりして、
すごい集中してやってらっしゃったり、
休むときはめちゃめちゃ寝たかったです。
一人寝そべってました。
うつ伏せがかわいかったです。
仰向けで寝るのはよくないです。
うつ伏せが収まりにくい。
うつ伏せで寝るのはよくないです。
寝て休んでいる姿を見たのは初めてだった。
かわいらしかったですけど。
うらやましいですね。
ああいう風に休みたい。
重要ですよね。
そういう切り替えとかもちゃんと時間も決まっていたりとか。
そうですね。
障害というのが、
福祉制度の変化とものづくり
昔は障害というのはその人の問題だったりとか、
あるいはお家族に何か問題があるんじゃないかというふうに、
言われていた時代もありますけど、
その人の責任じゃなくて、
その人と社会の間に生まれるものという認識もされてきているので、
環境が合わないので障害とされるという見方もありますけど、
逆に言うと環境を良くしていけば、
その人の障害というのはあまり気にならなくなったりとか、
その人が能力を発揮できる環境を作りさえすれば、
それが例えば単行ではアートでしたけど、
グループではものづくりだったりとか、
他のいろんなお仕事ということに
どんどん発展していけるんじゃないかというのが
大きな考え方としてはあると思います。
今日は見ていて、
私とうむくんは絶対向いている。
いくつかの作業で、
絶対にやりたいと思った。
楽しそうだし、
あと楽しいというのと、
やっていると多分気持ちが落ち着きそうだなという作業を
いくつかありました。
別の回で話していたんですけど、
山崎パンのバイトが結構大丈夫だった。
大丈夫というか、
言われること自体は逆に私は分からない。
人もいるのか。
すごいメディテーティングというか、
リピーテッドな作業ですね。
無心に慣れて、
考えていつもバーってなっているのが、
静まった気持ちが落ち着くという感覚があったし、
あとは、
手で触るけれど、
結果が変わっていく、
質感が変わるという作業、
お仕事もたくさん、
あとでもうちょっと紹介していただくんですけど、
そういう視覚情報じゃない。
見るだけではなくて、
手で触ったり、
あとは意外だなと思ったのが、
新しい技術を結構使っていたりしていて、
それがノルマティック、
手作業、手手法というのと、
機械というのも両方一緒にガチャッとなっていた、
いくつかお仕事があったのがすごい感想です。
すごいなって想像していた、
斜めを見ていたというのは思いました。
もうちょっと、
そこのグッドジョブセンターに至るところを、
今の岡部さんのお話を聞いておきたいんですけど、
今、岡部さんのお話の中で、
タンポポの家のアートと、
グッドジョブセンターのものづくりということがありましたけど、
明確にそのものづくりをする場所として、
このグッドジョブセンター、
およびそのグッドジョブプロジェクトというのが先にあった。
そうですね。
それはどういうコンセプトというか、
どういう取り組みでしょうか。
まずそのアート活動をずっとしていた時期から、
仕事とかものづくりに移った経緯というのは結構はっきりしていて、
2000年代半ばぐらいなんですけども、
日本の中で福祉制度が大きく変わったんですね。
すっごい簡単に言うと、
それまではすごく国も予算が、
障害のある人に対して予算をつけて、
手厚く保護といいますか、
暮らすことも含めてサポートをしている状態だったんですけども、
まず国にお金の余裕がなくなってきたことと、
障害者以外に特に高齢者とかですね、
国の課題が変わってきたということがあって、
簡単に言うと、障害のある人も働ける人は働きましょう。
地域に、より地域に出て、
いろんな人たちとつながりましょうという風に、
こういう方針が大転換してきた時期というのが、
だいたい2000年代半ばぐらいですね。
それでどういうことが起こるかというと、
割と障害のある福祉施設、いろんな形態がありますけども、
働く、暮らすというのが大きな目的としてはあったんですけども、
障害のある人自身が収入を得るために、
ちゃんと仕事を作らなきゃいけないという意識に、
福祉の世界がだんだん変わってきたんですね。
そうなった時に、
のんびりというわけではないんですが、
その人に合わせてアート活動をしてきたような施設も、
辞めざるを得なかったりとか、
ちゃんと仕事をしなきゃいけないみたいなマインドになっていくという施設もあって、
そういうところもあったし、
逆にアートでいくぞという施設もあったんですけども、
パンポコンの家はその時に、
やっぱり自分たちが大事にしてきたアートというのを、
どう仕事につなげられるかというふうに、
やっぱり考え始めるわけですね。
福祉施設でのものづくりと地域文化
それまで美術館ギャラリーで多くの人に見てもらえてよかったとか、
たまに販売で売れたら嬉しいというのもありますけど、
よくご存知のように日本の中では、
例えばオリジナルのアート作品が売れる場というのはほとんどない。
特に関西の奈良みたいなところでやっていると、
ないんですよね。
そこでアートをどう仕事にしていくかという、
いろんな四国作を2000年代半ばから始めるんです。
いきなりグッジョブに行ったわけではなくて、
まず2007年に始めたのが、
レイブルアートカンパニーという、
先ほど言ったレイブルアートというムーブメントの一つなんですけども、
その人のアート作品、特に平面作品の
主作権の二次利用をするというエージェントを自分たちで作ったんですね。
要はその絵を、
今日ショップで見ていただいた動画がありますが、
靴下を柄にしていただいたりとか、
企業やデザイナーに使っていただいて、
その表情をしょうがない人たちにも加盟していくという仕組みを作って、
そこで僕たちは今までアートのつながりだったのが、
デザイナーとかクリエイターとか企業と
たくさんつながりが出てきていて、
やっぱりそういった人たちも、
しょうがない人たちと一緒に何かしたいとか、
仕事を作りたいという思いを持った人も
たくさんいるということに気づいてきた。
エイブラートカンパニーも含めた、
いろんなアートと仕事というチャンネルに
だんだん切り替わっていった結果、
僕たちはグッジョブプロジェクトを
2012年に立ち上げたんですよね。
それはしょうがない人たちと新しい仕事を作ったり、
ものづくりをしている団体と、
たくさん出会いたいというのがあったので、
センターではなくて、東京でグッジョブアワーを取っていって、
しょうがない人たちとものを作っている人たち、
仕事を作っている人たちに応募していただいて、
審査員もいろんなデザイナーさんとかにお願いして、
それらを評価するアワードや展覧会をどんどんしていくと。
そうやって自分たちの中で、
たくさん新しいネットワークを作っていき、
このセンターの話も同時期ぐらいに
お話があったので、
実際に我々自身も具体的に新しい仕事を作る場所づくりを始めて、
2016年にセンターがオープンしていくという、
すごいざっくりとした流れなんですけれども。
ざっくりととか言いながら、着々と象徴と風景が変わりながら、
社会の状況が急激に変わったので、
うまく手探りで探して、ここまでの形になっていったというのが、
すごい良かったというお話ですね。
僕が教員免許とか取るために、
障害のある方の施設の実習があったんですけれども、
それが例えば2001年ぐらいですけれども、
どうしてもそういう施設って八王子の山奥で、
どっちかというと立地自体が隔離という受け入れが強かったので、
それが地域と関わるようにした方がいいというのは、
かなり大きな方針というか感じると思います。
ちょうど同じぐらいの時代から、
大学の教員実習の受け入れをするようになって、
そういった美術とか工芸とかデザインとかを学んだ人たちが
スタジオに入って、障害のある人と一緒に作品作りをしたり、
プロジェクトを外部のデザイナー、クリエイターとも
ご一緒するような機会がすごく増えてきたのが、
ちょうど2000年ぐらいから。
関係性的はすごいウィンウィンな気がします。
美大は私たち美大でなんですけど、
美大でどうするんだっていう、
たぶん同じ問題なんでしょう。
アートをいかに仕事にするかという問題がすごく共通してて、
個人で、一般のイメージで多くが、
アートって好きなことをやっている人だよねとか、
好きなことをやっているからお金を稼げなくても頑張れるよね。
そういうイメージは未だについてて、
それでもアーティストのご飯は食べていかなきゃいけないから、
機材とか絵の具とか、
作るにもお金がかかりますし、
保管、売るときも、
ただギャラリーで売ればいいわけでもないし、
流通とか発送、梱包、
すべてのプロセスお金がかかるから、
無償で好きなことをやっているから、
無料でやっていて未だに私は来るんですけど、
お断りするように最近なっちゃっているところは、
私が年齢的に中堅になってきたので、
若い人はいいかもしれない。経験とか体験とか、
あとは大御所もいいかも。
でも中堅は逆に、
私みたいにいいよって何でも、
気軽にボランティアでやっちゃうと、
他の人が値段のベースペインになっちゃうので、
最近はちょっと断りつつ、
ボランティアだって決めたのは、
自分が本当にお世話になった人とか、
やりたいとか、
自分にとって新しい体験をしたいと思った時にだけ、
お受けをさせたり、
むしろ逆に頼んでやらせてくれっていうのだけなんですけど、
本当に何て言うんだろう、
この貨幣経済、資本主義、ご飯を食べなきゃ、
お金がないと食べれない、
自分で野菜作ればって、
そんなこと言ったやつ言われ始めちゃうんですけど、
山に籠るしかないじゃんみたいになっちゃうんで、
やっぱり取らないで、
人との関わり合いを持って生活するってのは、
仕事がないと続けられないかなっていうのが本当に思った。
グッドジョブプロジェクトが立ち上がった頃から、
いわゆるアートワークというよりは、
デザインプロダクトみたいな方向性は、
わりかし定まってたんですか?
そうですね。
でもその前から割とものづくりはやってて、
結構古くから陶芸をやったりとか、
織物をやったりとか、
障がいのある人は和紙もやったし、
いろんなことをやってるんですけど、
福祉施設って手仕事的なものを、
割と伝統的に、
やっぱり日本はクラフトの文化が盛んだと思うんですけど、
福祉施設もやっぱりそうで、
どこの福祉施設でもやっぱり、
織物をやってたり、陶芸をやってたり、
なんかやってるんですよね。
それはそれの潮流として、
たぶん昔から福祉施設にはあって、
それを作ってバザーで売るとか、
なんかそういうことがあるんです。
それってちなみに、
社会制度としての福祉っていうものが、
成立する以前からの話だったりするんですか?
社会福祉っていうのは、
なんていうか、江戸時代とかの魚持ってるんですか?
それはちょっとわからないです。
本当に70年代とかで、
しがらきとかで知的障害のある人が、
陶芸の仕事を地域に出てしていたということがあったりもしますし、
それは現場でやってた?
現場でやっていたとか、
でももしかしたらやってたのかもしれないですよね。
社会福祉制度ができる前かなというか、
でも福祉施設ができたときに、
やっぱり何らか、
あまりいい言葉じゃないかもしれないですけど、
高知っていうんですけれども、
何か障害の人たちが働いて、
何らかのお給料を得るというときに、
その手仕事的なものとして、
割とそういうものづくりのことっていうのは、
日本の中でやられていて、
それで本当に北海道とか東北とか、
木が豊かにあるところだと、
結構木工のおもちゃを作っている福祉施設があったりもしますし、
というふうに割とやっているところはあったので、
そういうものは連綿と根付いては。
地域と関わりを持つことの重要性
ベースとしてはある。
ベースとしてはある。
やっぱり売り先っていうんじゃないかな。
売り先が。
対面でも多分きっと同様な感覚。
それこそバザーでみたいな話になりますよね。
福祉のものづくりというイメージを、
やっぱり出し切れないところがあったのだろうと思います。
それが例えば値段に反映されていたりとか、
ちょっと安い値段に設定せざるを得なかったりとか、
パッケージも含めて。
そうですね。
そこまでデザインプロダクトみたいな意識かって言われると、
ちょっとそういう意識はなかなかないかもしれないし、
もしかしたら地域のボランティアの方が陶芸を、
それもでもいいと思うんですけど、
っていう中でできてきたものかもしれないと思いますね。
そういう動きがあるってことは、
その青森だったら木のものが多いよってなると、
青森って何の木だろう?
青森は北海道とかが多いですね。
わかんないけど、
つらぬりぬりの元になっている木とかでしょ?
そう。
素材とかがやっぱり地域の。
さっきもツアーしていただいたときにおっしゃっていたけれど、
和紙で昔使っていたのが、
そうですね。
牛乳パックに変わったりとか。
より簡易な方法で障がいのある人が参加しやすいとか、
材料が手に入りやすいということを追求したときに、
割と簡単な方に今は行ってしまっていることも多いかもしれないというか。
たぶん良くも悪くも飲めるのもあって、
レサイクル的に牛乳パックとかで和紙、紙漬けをし直すみたいなのを
割とトレンド的にやっていたと思うし、
段ボールとか廃材を使って何かものづくりをするっていうのは
割と結構全国各地で見られるんですけど、
そこに例えばデザイン的な視点が入っているかとか、
作り方も解像度がどこまで、
例えばたまたまそこで支援している人たちの意識が
どれだけのものだったかによって出てくるものが変わってくるみたいなことは、
結構それぞれの施設ごとに文化があるので、
バラバラだったんじゃないかなというか。
グッドジョブプロジェクトの取り組み
障がいのある人も所得を上げていきたいという思いもあって、
安いままでいいのかというときに、
グッドジョブプロジェクトをやったときに
やっぱり面白いなと思う事例には、
デザイナーが入っていたからいいとかそういうことじゃないんだけど、
違うところとつながって新しいことをやっぱりしようとしているところを
一生懸命考えていたり、異分野の人と積極的に出会おうとしていたり、
外の意見を取り入れたり、
そのことによってまた障がいのある人のクリエイティビティみたいなものが
引き出されていっている事例であったりとか、
掛け合わせみたいなところがすごく大事なんだなというのは思って、
福祉の中だけで完結しない、売っていく先は社会の方なので、
そこにいろんな人たちと作るっていうか、
そのことが多分一つグッドジョブプロジェクトでは大事なんだというか、
いろんな分野の人と出会うとか、
新しいことを持ち込んでみることで何か違うものができるかとか、
それをもう一回伝統的なものづくりを福祉施設もやっていたかもしれないけど、
そこにもう一回持ち込んでみたいというところはすごくあった気がしますね。
ウェブサイトを拝見した時に、
これニュートラルプロジェクトのウェブサイトと、
これ手元の私の音声メディアで、
ダメなんだけど、
ハンドアウトを手に取ってます。
これウェブサイトはもちろん、
概要欄からなんですけど、
ニュートラルティッシュの15のおぼえがきっていうのを読ませて、
ちょっと急いで強化っていうふうに来る前に読みつつ、
また要約力にしてもらいつつ、
読むのが私苦手なもので、
難読というものがあるんですけど、
やっぱりこれがいろんな人と関わって出てきたっていう形跡を感じたんですよ。
視点が全部違うし、
あとやってきたり、語られてきたこととか、
外から来たコラボレーターが置いてった。
そう、とにかく今日グッドジョブセンターに来て、
皆さんのお話を聞こうと思った時に、
いろいろウェブで公開されてたり、
まとめられてたりっていうのを、
読める範囲で読んで予習をしたら、
関係性の網がものすごく広がっているから、
何から話を聞いたらいいかわからない状態で来て、
なんでそうなっているのか、今のお話で。
私の元同級生がいろんなところに名前が出てきて、
どなたですか?
福祉とアートとものづくり
水野さん。
同級生ですね。
いろんな人を紹介してきましたね。
こういうのでデザインをやってくれている原田さんとか、
水野さんの紹介だったり。
なるほど。
水野さんはグッドジョブたんぽぽにデジタルファブリケーションを持ち込んで、
それから水槽さん。
超本人です。
2010年くらいだったと思うんですけど。
インパクターをあの時に置いていったんですよね。
2010年くらいから日本のいろんな大学の中にも、
デジタルファブリケーションがスペースとして開設されたりとか、
オープンしていく中で、
障がいのある人の表現活動も、
その手仕事による表現とかものづくりだけじゃなくて、
グッドジョブセンターの話
デジタル工作とその手仕事が一気にするような時代が来るんじゃないか。
めちゃくちゃ早いというか、完全に同時仕事。
三田地さんの話で言うと、
大次郎さんの環境に持ち込んだのは、
まず三田地さんということですよね。
同じ大学なんですね。
大次郎君と呼んでいるので呼ぶんですけど、
大次郎君はもともとファッションの大学、
私たちと同じ大学院で、
彼はファッションで、
世界的にもファッションで博士号を取る人って、
本当に数えるほどしかいなくて、
友達だから言うけど、取ってどうするねんっていう。
ファッションの博士を取ってどうするんだというツッコミも、
本人も自分でも言ってたんですが、
そこでやっぱり、
大学院の時に彼が話していたことを、
今ちょっと思い出したので、
フェルトを彼がすごく素材で使っていて、
フェルトがすごく好きなんだと。
なんでって、
アーティストでフェルトをよく使うアーティストとかも、
たまにいますけど、
やっぱりその埃っていうか、
ゴミというか、
ある程度のカスというかが収積されて、
普段だったら廃材とか、
剣材とか、
人の服を包み込んで、
それをファッションとして使われるというものとしては、
あまり選ばれにくいものである、
どちらかというと敬遠されるものなんだけれども、
集まっているというものが好きだ、
みたいなことを言っていて、
ヨセフ・ボイスみたいだなと思ってたんですよ。
私、ヨセフ・ボイスすごく好きで、
社会彫刻という考えに影響されたから、
アートとして会社を作るということも、
実は大学院の時に構想して、
それで話が盛り上がった記憶があって、
今もやっぱりファッション、
彼ももちろんやってるけれど、
基本的な根底というのは、
物の成り立ちと、
人をどうするから、
身体というものを保護しながら装飾し、
そして個性というものを、
表現し、
それが社会とどうつながっていくかという、
関係性を研究している人だというのは、
実は大学院の時から何も変わっていないので、
それがたまたまフェルトか3Dプリンターに、
元々京都の、
これ間違えるとまずいやつかもしれない、
名前が最近変わった、
京都高校、
元造形体か一律形体かがわからなくなっちゃって、
どっちかに、
どっちかわからないながら、
ウルトラファクトリーという、
造形大学、
造形大学に行ったんでしょ、
だからそこから多分、
大きな造形だったりとか、
彫刻っていうのが、
作っている学生とか先生もいて、
それから、
SSCに行くんですね、
SSCが3Dプリントとか、
ファブとかを、
ムーブメントをやり始めた、
結構学校としてはまとまってやりだしたから、
そこにガチャって、
彼の社会での、
デザインがあるべき姿を、
日常というものと、
テクノロジーというものと、
かしあわせというものが、
やっと社会をつながるっていう、
だからテクノロジーだからいいとかではなくて、
架け橋を作る技術っていう風に見てるんだよな、
多分著作家からいくと、
今はサーキュラーということで、
それを多分表現してるんですけど、
サーキュラーを言ってるなと思って、
でもそれはフェルトの解説されていくように。
このニュートラルのハンドアウトの中に、
サーキュラー的な考え方はいくつか、
リファレンスがある気がするので、
素材があったり。
今はそういう話をどうなっているので。
グッドジョブプロジェクトの話から、
グッドジョブセンターの話を聞き、
そこからニュートラルの話を聞くっていうのが、
僕が先に準備してた流れではあったんですけど。
大体そんな感じ。
大体そんな感じなんですけど、
グッドジョブセンターの話って、
もうちょっとしたいんですよね。
せっかく見せていただいて、
場所だけではなくて、
ちゃんとツアーとして作品の説明を。
池田君とタムちゃんが案内を。
池田さんも才能の塊で。
タムちゃんですね。
タムちゃんさんって言ったら、
タムちゃんだから、タムちゃんさんではないって。
その継承かぶりがすごく立たされてしまったので。
タムちゃんです。
これもウェブサイトで見れるんですよね。
タムちゃん。
タムロイド新聞の概要欄に。
タムロイドの概要欄に。
それを温泉メディアでどこまで話せるか、
表現できるか分からないので、
写真も添えながら楽しんでいただいて。
グッドジョブセンターとはっていうところの話を。
もうちょっと深掘り。
とニュートラディショナル。
まだ全然触りも触ってないところが。
っていうのを2エピソード目でお聞きしたいと思いますので、
引き続き皆さんよろしくお願いします。
はい。
ありがとうございます。
最後に言うことがあって。
あ、忘れてた。危ない危ない。
ありがとうございます。
倉田スタジオは毎週火曜日に配信しておりますので、
皆さんフォローしてお聞きください。来週も。
はい。感想はハッシュタグ。
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質問やエピソードのこういうところにいて聞いてほしい。
いろいろあると思うので、
どしどしお気軽にください。
はい。というわけで来週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
49:57

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