お待ちかね、2ヶ月ぶりのゲスト回。今回のゲストである佐々木恵介さんは、金属加工を行う会社で主に溶接の仕事に従事しながら、現在のキャリア以前から携わってきた金属工芸の仕事も同時に続けている方。金属という素材を介して工芸と工業どちらの世界にも身を置いてきた佐々木さんだからこそ見ることが出来る風景について、その足跡を辿りながら聞いていきます。
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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保
サマリー
クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸にして、物と人との関係や物を作ることについて考えていく番組です。金属加工に魅力を感じ、金属工芸を専攻することを決めた佐々木恵介さんは、高校時代に物を作ることの楽しさに気づき、金属の質感や重みに宝物感を感じていました。伝統工芸学校で金属工芸を学ぶ学生たちのうち、約2割が金属工芸を続けていますが、他の学生は工業や現代美術などの方向に進んでいます。 番組では、工芸家の佐々木恵介さんが工芸の経験や共同工房時代、そして就職への思いについてお話ししています。また、佐々木恵介さんの兼業工芸家としての経験と金属工芸の関連性についても話が進んでいます。
クラ出しRADIOの導入
クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの海です。
司法です。
岩田です。
今、噛んだけど。
噛んだ。
そのままいきましょう。
よろしくお願いします。
前回、家会やったんですけど、後編が、収録段階ではまだ公開されていないので、僕だけ聞き直してるんですけど、マジでね、グダグダで。
3人会も限界やなっていう風に感じました。
テーマは良かったと思うんだけどね。
テーマは良かった?
ちょうどいろいろ、ほら、正月にあったのもあるし、自分たちの家ってどういうものなんだろうとか、やっぱりこう、今は買うか借りるかとかいろいろ悩むけど、こうやって残るっていう家を建てるっていうのは本当に意味あるなって話して思ったので、
私はいい回だと思いながら、最後の方確かにちょっとなんか、
長すぎたから前半後半に区切ったら、後半の方がグダグダで、前半終わりじゃよかったけど。
90年代提出か何かみたいなしょうもない話をするとして。
JQでいい?
マジでどうでもいい。
あれですよね。平成運ちゃらま。
というので、年明けから3人で喋りすぎたところ、シーズン3のお参加ためのゲストを今日お呼びできたので、めちゃくちゃ個人的には嬉しい。
そうですね。
ちなみに言うと、前回の時にも言ってたからだけど、福井に行くから行き来れませんという状況ではないという方です。
年明けのすぐの震災とはあまりその文脈とは関係ない方をお呼びしています。
早速なんですが、お名前からよろしいですか?
佐々木です。よろしくお願いします。
下の名前がいいです。
佐々木圭介です。
どうしてお呼びしているのかといういきさつを僕から言いますと、
初回の倉田市ラジオシーズン1にゲストで最初にお越しいただいた金属工芸作家の須藤さんがシーズン2でも出ていただいていて、
お話が結構できるような関係になってきたところから、
僕も個人的に金属の仕事を相談したりする中で、須藤さんからのご紹介で知り合った佐々木さんなんですけど、
シーズン3のうっすらとした岩田編集長によるテーマなのか、僕が感じているだけかわからないんですけど、
その手仕事と暮らしの関係みたいなところが、なんとなく浮かび上がってきて僕は実感があって、
あえて刺激的な言葉かもしれないですけど、佐々木さんのことを兼業工芸家として僕がちょっと捉えていて、
普段サラリーマンで、給料をもらいながら普段されているお仕事以外のところで時間を作って金属工芸もやられている方なので、
あんまり僕の生活空間の中にはそういう方っておられなくて、
そういう人のお話を聞いているうちにやっぱり今回のシーズン3のテーマで、
ぜひともいろんな手仕事と暮らしの関係についてはヒントがありそうだなと思って、今回お呼びできてすごい嬉しいです。
ゲストの紹介と兼業工芸家について
簡単に僕の方から佐々木さんのご紹介いたしますと、違ったら言ってくださいね。
東京生まれ、普段会社員に勤めながら不定期に金属工芸の仕事をしている佐々木さんです。
今までの仕事は有名な神社の金具部材から仏具の金物など非常に多岐に渡る金属の仕事をされています。
会社員と工芸家のどうして兼業になっていたのか、その経緯を今日は聞いていきたいと思っています。
まずここで間違っていたらご指摘をお願いします。
間違っているところはないと思います。ただ、兼業と言われると、ちゃんと金属工芸をやっている方にからしたらちょっと悪いなという感じはあるかもしれないです。
その辺のニュアンスも聞きたいなと思っています。
本職でやられている方は、お前会社勤めながら草野球で野球をするぐらいの感じなのですか?
そうですね。僕も直接聞いたことはないので。
イメージで。
僕もプロですとは言えない立場なので。
と言いつつ、事前に佐々木さんのお仕事の写真とかをみんなで見ながら話し始めているんですけど、
じゃあこれが日曜大工とか草野球ぐらいのものかって言ったら、むむっ、ちょっとそのレベル感とはちょっと違うぞという。
非常に、僕言葉が下手なんでいい言葉が出てこないんですけど、ものすごい積み上げの上に経験の上に立っている技術というか。
技術だけじゃないですね。形の感覚であったりとか、伝統的なお仕事をされているということが素人にも分かりながらも、
ちょっとした遊び心みたいな感覚も伝わるような、一言で言うとただものではない。
一言で言うと、草野球にリーグ選手を紛れ込んでいるぐらいの感じじゃない。
これ突然趣味ですとか言っていて、ここまで鍛錬しても趣味で極める人もいっぱいいるからさ、プロじゃなくても。
でもちょっと無理だよね。趣味だけでここまで来ていたら、ちょっと逆に怖い。
ちょうど見ているのが、これはある物資の方のお仕事ですかね。
そうですね。
いっぱい手がある。
これは千樹観音の作品で、一つ一つ手には宝具を持っていますので、その宝具の一部を作らせてもらったという感じですね。
多分写真で見ているからあれですけど、一個一個はちっこい物だったりするんですよね。
そうですね。
ちなみにこの、そもそも全体のサイズはどのぐらいなの?
全体のサイズで、多分全高で30、40センチぐらいだと思います。
じゃあこの金具超ちっちゃいですね。
写真から見たら全然逆にもっと大きいのかと思った。
そうですね。
じゃあその一個一個持っている物具は大体どのぐらいの大きさなの?
そうですね。一番小さい物で言うと2センチぐらいのもの。
2センチとか。
そうですね。
2センチで斧とか壺、花瓶みたいなものとか。
これ逆に写真だから分かるけど、ちょっと遠くから私目悪いから何だか分からない。
よく見たいぞって感じの時に老眼が邪魔しそうな大きさですね。
今日はあれなんですよね。今までのゲスト会のパターンだと、
例えば概要欄にリンク貼っておいて、
今日のゲストの方のイヤゴーでやっているお店のサイトなり見ていただくみたいな紹介の仕方ができたんですけど、
たぶんこの後いろいろお話していくと思いますけど、なかなか諸事情によってそういうわけにもいかないというお仕事が多いということで、
金属工芸の立ち位置と役割
見せられるやつだけコンクラのXアカウントから写真投稿しておくので、
それ見ながら今日は聞いてもらえたらなと思いますけど、今言ってた仏像のやつは出せませんね。
そうですね。
出せない理由。
出せない理由は後々伺いたいんですけど、
金属工芸家の須藤さんも言ってたことですけど、
大体のトレンドとして金属は工芸、工業製品の金属に取って変わって、
基本的にはもう産業的にはもうとっくに負けているっていう、
岩手さんが天才的な感覚でつけたタイトルの回があったと思うんですけど、
とっくに負けている金属工芸っていう。
だから負けているとか言いつつ、そもそも僕ら大衆の実感として、
金属工芸の事自体の実態を知らんっていうことがめちゃめちゃあると思うんですよね。
そもそもが。
負けてることを知らん。
知らん。
最初に海さんが刺激的な言葉かもしれないですけど、
兼業工芸家のって言った時に、何が刺激的なやつ?
そこで突っ込みそうな。
でも佐々木さんの反応を見てると、これはあんまり言っちゃいけない言い方なのかっていう。
自分から言うのは何かって感じじゃない?
まあかも分からないですよね。
そういう工芸家同士のニュアンスとかがあって、
僕もあんまり地雷を踏まえように踏まえようにという気遣いがあるんですけど、
ちょっと今物資のお話もあった中で、
下請けというか、今工芸っていうとアーティストのように扱われる方もすごく多くて、
工芸とか作家とかアーティストっていう言葉が一般の人からするとすごく曖昧な区切りになっていて、
その曖昧さなんか逆に面白いところだと思いながら、
職人っていうことの立ち位置とかだと、
本当に自分の仕事を僕がやったって本当に出せない世界ってあると思うんですよね。
その辺についてちょっと何かありますか?補足というか佐々木さん。
そうですね。金属工芸自体がちょっと特殊ではないんですけども、
金属工芸その金属の作品そのままで出す場合もあるし、
やっぱり木工だとか漆、今回みたいに仏像だとかの金具として作品の一部として提供される場合が結構多いので、
そういう場合にはやっぱり元になる木工の作家さんだったりとか漆の作家さんの作品がメインになってくるので、
その作品の一部に徹しているというか。
なのでそれがさらにその先のお客さんのところに行く場合、それが決まっている場合だとかは、
あくまでその木工、漆、仏像の作家さんの作品として出しているものなので、
僕の名前としてはあまり言えないというよりは言わないという感じですかね。
前に出てくる。
そうですね。
コラボレーションという感じではならないんですか。
そういう場合もあるのはあると思います。
ただまあそれは、そうですね。
かなりその作家さん同士の信頼関係とかいろんなものが必要になってくると思いますし、
あとはその作品としてそのもの自体を誰が主導権を握るかというかプロデュースしていくかというのが、
それはやっぱり本体である木工の方だったり漆の方だったりとかというのが多いので、
逆に言うと金属主体でこういう金具をつけたいからこういうものを作ってくれっていう
木工とか漆の作家さんにお願いすることっていうのは少ないんで大分。
あっても良さそうなのに。
そうですね。
ただそうですね、あんまり二人で考えていくっていうのはあると思いますけど、
こちらからお願いするっていうのはあんまり聞いたことはない。
それは金属工芸っていうジャンルがそもそも割と自己完結できちゃうから?
それはそこは大きいですね。
結局金工を続けていると金工の世界にハマってやっていく人って金属の魅力みたいなのが多分大きく感じているところだと思うので、
金属の作れるものの幅みたいなものが一番魅力的なのかなと思うので。
そうですね、金属内で自己完結してしまうということが。
でも僕なんかすごい立場、佐々木さんの自分の仕事か言えないみたいなこと立場的に分かるのが、
僕センスの洗面の印刷うちの会社でやってるんですけど、
基本的にはセンス屋さんがプロデュースして、それぞれの骨の職人さんとか折りの職人さんとか付けて骨を刺すとかっていう、
分業されている中の一工程なわけですよね。
だからセンス屋さんの名前を出してここの仕事やってますみたいなことは、
クローズの場所では言いますけど、やっぱりオープンに会社のサイトに載せるみたいなことはできないし、
それで間接的に、間接的にでもないけど割と直接ですけど、
誰もが名前知ってる歌舞伎役者のやつとかの役者の方とかっていうのを結構やってるんですけど、
それは言えない。めっちゃいい仕事した、これはめっちゃ見せたいみたいな仕事あるんですけど、言えないんですよね。
工芸だけに限った話じゃなくて、産業の下請け構造の中で、下の方にいる人たちがとしては結構ありますよね。
今僕が本業でやってる仕事でもそうですね。
順番的に本業で何してるかっていうのは聞きたいんですけど。
本業では技術的には溶接をメインでやってるんですけど、
溶接って言ったら鉄とかステンレスがメインになるんですが、
それを溶かして接着していくというか、そういう作業ですね。
溶かして接着。
溶かして接着。
溶接をなるべく平易な言葉で説明しようとしたら、そうなるのも大変ですよね。
どんなものを溶かしてくっつけるんですか?
鉄とかステンレスっていう。
物質の話じゃなくて。
出会いと初めての作品
物としてですね。
その辺もちょっと公開できるかな。
それは別の理由で。
何を作ってるんだろう。
会社とかに行ったら何を作ってるってコンフィデンシャルじゃないですか。
NDAを結ばないと教えてもらえないのか。
それは別に会社的な事情で言うようなイメージですよね。
プロだな。
ちゃんとサロフィングしてますね。
ふわっと言うと結構大きい会社の輸送する、運搬する機械みたいなもの。
機械か。
精密にやらなきゃいけない。
フレームとかを作ってる。
それは確かに受けてやってる感がする。
すごい精密なCADで控えた製図があって、それを見ながら溶接してとか。
本当に…
自分で言うのをためらった。
精密なことをされてるんですね。
言いながら自分で受けちゃった。
なぜかというと、今のブーツを見て、すごい精密で、
その中で大きいのが、サイズ感が測り知れないくらい違うじゃん。
だって2センチ対何メートルとか比べる話じゃないから、
なぜそっちの方に行かれたのかとか、
ちょっとやっぱり、実はずっと疑問に思ってたんだけど、
そういう精密系の機械っていうのを、そもそも人間の手でちゃんとやれるもんなんだって今知ったし、
ずっと機械でやってる。機械の溶接っていうか。
だからトヨタの工場とかに流れてきてくるみたいにやってる。
でもそうじゃない時代もある。
アストンマーティンとかも未だに手でやってるんじゃない?
手作りを売りにしてると思うけど。
手で打って溶接してるのあれ?
分かんないけど。ただ、どうやってるかは別にして、
佐々木さんみたいな人からしたら、これ機械でやってるかと思ったっていうのは、
しめしめって感じなんじゃないですか。
そうですね。
うまくできとるだろうみたいな。
僕は世界に入るまでは、どの程度までがどういう工程で出来上がってるのだろうっていうのは、
工業製品に関しては全然知らなかったんだよ。
本当に普通に一般の方がテレビとかで見るような、
さっき言ってたトヨタの工場でロボットが溶接してるみたいな、
そんなイメージしかなかったんで。
どこまでをどんだけやってるんだろうっていう、
手作業でやってるんだろうっていうのが全然知らなかったので。
そういう意味では、
そうですね、もうちょっとまた後の話になるかもしれないですけど、
工芸的な部分とかっていうのがまた出てくるなっていう。
みたいなところに行き立つまでに、
大体、倉田氏ラジオのわりかし、熱心なリスナーって言ったらあれなんですけど、
で、ある佐々木さんはご存知かも分かんないんですけど、
大体ゲストの方はおいたちをちょっと伺ったりしてるんですけど、
どうして金属に出会ったのかとか、
どういう子供だったのかみたいな、
東京の品川区でしたっけ?
品川区ですね、はい。
そっからぶっ飛んで、今京都で兼業の工芸家っていうのは、
そんな遠くないよ。
品川だって新幹線止まるでしょ。
距離的な、時間的なぶっ飛びね。
ただ最寄りが近いだけで、新幹線の駅が近いだけの話ですね。
時間的なぶっ飛びを巻き戻りましょうっていう話で。
岡田さんだって言ったら岐阜鹿島、橋も近いよ。
そういう近さじゃないよって話で、時間的に言うと、
いつですか、高校の頃に進路とかって考え始める?
そうですね、結局高校の時ですね、高校卒業する時にあたって
どんなのにしていくかみたいなのを、
仕事、自分の仕事、この先何をやっていくんだろうっていうのは
ちょっと考えましたね。
高校卒業の前?
そうですね、卒業する前に。
松尾さんのところ知らないですけど、僕のところでもあったのが
進路規模みたいなのを書いたり、適正テストみたいなのをやったりして
多少学校が、お前こういうの向いてるんじゃないのみたいなのが
ありました、佐々木さんのところって。
僕の高校の時は全くなかったですよね。
高校は普通科の高校ですか?
普通科なんですけど、ちょっと割と特殊な高校だったので
北海道の方にある、途中退学した人とか
いわゆる引きこもりみたいな人とかを受け入れてるような高校だったので
ほぼ全寮生で、一人で東京から北海道の方に行って
方向が北海道ですね。
そっちの方はだいぶ飛んでる。
空気で。
いきなり買っておかしてきました。
それも面白いね。都内で収まるか、一応家に一人で電車乗って帰れるぐらいに
人口がかなり吸い飛んでる。
どういうことなんですか?だいぶ中学で激悪だったんですか?
そんなこと言われるんですけど、別に引きこもってたわけでもなければ、やんちゃしてたわけでもないんですけど
専用性に惹かれたってことですか?
そうですね、学校の交付が自由だったのと、中学生時代とかはだいぶひねくれてたんで
この先自分がどうなっていくんだろうかとか
ねじり具合がどうかにかかっていくのか
ということは、中学の時から普通の学校に行きたくないっていう子だったってことですね
このまま東京にずっといて、もう想像ができなかったんですね
普通に高校に行って、普通に大学に行って、普通にサラリーマンになるのかなっていう
将来のイメージがあまり漠然としすぎててできなかったんですよね
だから一旦とりあえず親に、親とか祖父と祖母とも一緒に住んでたので
守られている状態みたいなのから
一旦距離を置いて、ちょっと外に目を向けて
もう一回考え直してみようかみたいな
10年間?
早い
中学3年ですよ、考えたら
そうですね
大人じゃん
大人だし、全然15歳が中3だと思うんですけど
尾崎豊さんのかげむさ?
尾崎豊さんに怒られる
どっちにもあれですよ、だって尾崎豊っぽい15歳じゃないじゃないですか
盗んでないバイクで盗んだバイクの話したりして
別に順を追って考えた結果
全寮生の北海道の高校に行くって話だから
高校時代の経験
それで思ったのは、メタ視点と大人だなっていうのもあるけど
そこで自分を甘やかしているっていうメタ視点
メタ視点もいろいろあるけど
一旦ラディカルじゃん、選び方が
親からの距離もすごいポーンといくっていう
ある意味根拠っぽい展開になってきましたけどね
そういうめちゃめちゃラディカルな方が多いから
根本から考える方が多いから
そういうこと、根底、根本からひっくりパーンって返すラディカルさが
既に備わっているっていう状況だったってことだよね
中学のところまで今話、坂を登ってしまいましたけど
そういう中で、いろいろ見られている中で北海道の学校が上がってきたわけですよね
よく見つけたね、それもね
親が探すの手伝ってくれなそうだしね
そうですね、知り合いから教えてもらったというか
こういう学校あるよっていうの
それで、これはいいなと思って
これはいいなで北海道に
ちなみに札幌ですか?
えっとね、小樽の方が近いですね
あ、小樽の方が近い
与一っていうところなんですけど
与一日課の上流所がある
今私酒好きだからそれしか頭にかからなかった
あれあっててよかった
マッサンゴ
そういう情報に出会うのも
周りにやっぱ話をしているっていう状況がなかった
それ以上来ないじゃん
そうですね
だからコミュニケーションの差
そういう意味では既に取れる
メタ視点を持って周りの人に相談ができるっていう
中学校3年生だったっていう
時点で出来上がってるよねだいぶ
高校でやること中3で終わらせちゃった感じじゃない?
何を持って目的として高校に行くかは
それぞれ違うと思うんですけど
それで与一の全寮生に行かれて
夜はあれですか
与一のシングルモルトウウイスキー
飲まんで
高校生だから持ち込んで
飲んでたって家に
わかんないけど
でもあったわけですよね
高校は高校でさらに高校を卒業したらどう
そうですね
だからその先を
高校でもいろんな体験させてもらって
そこではいろんな多くのことを
勉強させてもらったんですけど
それでその先どうするかっていう風になって
やっぱりものづくりやってる人って
大体そうだと思うんですけど
ちっちゃい頃から作るのが好きでっていう
ところがあって
その時にたまたま高校の授業で
美術の授業で
一本指輪を作らせてもらえるっていう体験が
その授業は珍しいよね
いい授業ですね
その話時点から学校面白そうと思った
あと学生さんも多様性の振れ幅がすごい
勝手なイメージだけど
すごかったです
すごかった
その一人がケンさんなんですけど
どうでした?学校生活は
そうですね
ゆりやらの話を
ゆりやらの話
ごめんなさい
ゆりやらの話があって
そういう授業がきっかけにして
やっぱり物を作るのって楽しいなっていうのが出てきて
その時はまだ金属っていうのを
その時やったのは金属だったんですけど
金属っていうふうには
ちゃんと絞ってはいなくて
一応物を作るにあたって
どういう風な進路を取るかっていうので
選択肢としてはやっぱり学校に次行くっていうのが
やっぱり分かりやすいかなと思ったんで
最初は美術研の大学とかを探したんですけど
何しろ勉強が嫌いだったので
受験勉強をしなければいけないのかっていう
その時まで
高校も一応受験勉強なしで入ったので
これから受験勉強かというふうに考えたら
専門学校だなここはっていう
伝統工芸専攻への進路決定
ちょっと安易なある意味考えて
いろいろ探してたんですけど
ちょうどよく京都の園辺にある
伝統工芸大学校
今は大学校ですね
その当時は伝統工芸専門学校というのを見つけて
これはいいと思って
一回見学に行かせてもらったりとか
いろいろ見て
ここは環境的にもものすごく田舎だったんですけど
そもそも北海道の田舎にいるんで
そんなにもう別に抵抗はなかったんで
入る段になって
何を専攻するかというところで
やっぱりいろいろあったんで
漆、木工、仏像彫刻とか
石とかいろんな分野があったんで
何がいいのかなって自分で考えて
素材としてやっぱり一番魅力的だなと思ったのが
金属だったんで
それで金属工芸を選んだというところはありますかね
金属のどういうところが最初にいいなと思ったきっかけだったんですか
金属はやっぱり質感と
全部触った質感もそうですし
重さとかやっぱり
子供的な感覚でいうと
金属でできたものってやっぱりピカピカしてるし
小さくても重さがあるし
なんとなく直感的に宝物感みたいなのがあるんですよね
視点変えると
ナイフとかもそうだし
やっぱりかっこいいみたいなイメージとか
本当に単純な直感的なものでしかないんですけど
でも例えば
子供の頃SDガンダムとか流行ったんですけど
あれの円化ビニールのやつとダイキャストのやつ
ダイキャストのやつが圧倒的に宝物感がある
だって合体ロボとか超合金っていう
学生たちの進路
めちゃくちゃだね
めちゃくちゃだけにね
クラシックじゃ作られない
SDって
なんかあったな
言われてみればって思いました
確かに
確かにその時代ってなんか
素材を前に出してたね
超合金とかさ
マテリアルでなんか
じゃあ黒の部分が漆だったら本漆とか
マイオマンとか
それも素材を前に出しだしさ
合金って言っとるもんな
確かに今思えば
結構超合金ってかっこいいものって擦り込まれてますね
擦り込まれてるよ
超合金もかっこいいって
目型っていうか重さもね
ちょっと格上だぞって感じあるし
そもそも指輪も宝物じゃん
大事に身につけてずっとつけて
人にプレゼントするものだったりとかするし
自分にご褒美って言って指輪買うわけじゃん
面白いよねアイテムとして
身の回りにあるいろんな素材の中での
特別感っていうか宝物感っていう
素材の魅力みたいなのが
佐々木さんの中にあったっていうことから
佐野部の学校では金属を専攻しましたっていう
順調に聞こえるけどさ
そこに行きたつってなかなかないよね
山ほどいろいろあるでしょうね
だって
うみくんも金属出身だけどさ
もともとやっぱ物が付くの好きですとか
なんかないとそこには行きたくないわけですよ
いきなり美術
普通に描いてて
いきなりなんとなく美大しかないのかな
なんて思うことも少ないけど
いきなりやっぱり
普通科で美術って選ぶ人っていうのは
少数派だよ
だって大変だもん
デッサン描けとか作れとか
やったことないこと言われない
勉強もやだけど
勉強ほら一応さ
ルーティンというか
誰かに教えてもらう家庭教師なり塾なりとかさ
なんか頼れるところがあるからさ
パスがわかるじゃん
頑張ればこの点数取ればこの大学行けんだ
パスわかるけどさ
工芸の学校いいなって思う感覚だったり
そこから先見えないじゃん
どこに行くかも
すごい勇気いる
勇気いるふうに志穂さんには見えてるってことですね
そうだね
だって私も一応大出てるけど
私は前からアーティストになるって決めてる
自分で言うの変だけどさ
珍しいって言われた
受験勉強が嫌でっていう
佐々木さんの話で深くうなずいてた志穂さんがいました
受験ね
本当に日本の無駄だと思ってるもん
日本の経済を打撃してるのは受験だと思ってるから
受験を私が総理大臣になったら受験をなくします
新卒一家作業がね
やめます
そういうあがりがちですけど
佐々木さんの話です
ようやく時代が
いわゆる金属っていう
今最初の話からだいぶ寄ってきた
その学校に行かれる方は
金属工芸作家になっていくものなんですか
金属工芸科に入った学生たちがということですね
僕が入った時の同期の学生で言うと
金属工芸を今でも続けてるのは
多分2割とかぐらいですかね
金属工芸ではなくても金属関係
例えば時計の修理というか
ジュエリーとかの修理とかでもそうですし
関係についているので言うと
本当に1割か2割かぐらいだと思います
広めに金属工芸の意味合いを取ったとしても
そんぐらい
その中で工芸科っていうのと
伝統工芸の意味とは
また現代美術とかに行く人はいる
アートの方に行ったのは
知ってる限りだと
僕の一つ二つ下の後輩かな
今でもアート活動を続けてやってる人はいますね
そう聞くと少数派なんだね
とりあえず現代美術コンテクストは少数派だから
金属工芸か工業
時計は何に入るの?工業に入るのかな?
たぶん間ぐらいじゃないですかね
ちょっと特筆すべきなのは
佐々木さんが入られた学校には
伝統工芸って名前になってる
伝統ってついてるんですよ
伝統じゃない工芸と伝統工芸って分かれるってこと?
それは多分分けるつもりというよりは
伝統とは何なのかっていうのが一応あって
それを学べる学校ということを立て前という
そうですね
僕またちょっと後の話になるかもしれないですけど
工芸の定義というか
結構難しいものがあると思うんですけど
でも伝統工芸っていうのは
ちょっとやっぱり切り離して考えていかないといけないと思うんですよね
工芸と伝統工芸を
伝統工芸ってなるとやっぱり
日本の文化に根差したものになってくるので
例えば仏像の金具だったりとか
お茶の茶道の道具とか
花道とかでもそうだと思いますけど
その道具っていうのは寸法が決まってたりとか
ちゃんとルールがあるんですよね
様式美みたいな模様の意味とかっていうのがあるので
そういうものを踏まえていっているのが
やっぱり伝統工芸につながっていってると思うので
そことはやっぱりちょっと
ただ手で作ったものっていうのとは
別のものになってくるのと思うので
なるほどですね
そうすると時は伝統工芸には入らない
でも様式美
ある意味スイスの伝統工芸とも言えなくない
伝統工芸を続けたら一応伝統工芸化しても
良いのではっていうのはありながら
でもあれですよね
さっきからメタ視点の話があるんですけど
じゃあ日本の伝統に根差した技術だったりって
学びますっていう時に
日本の伝統をどう理解するかっていうことも
きっとめちゃめちゃ重要な視点だったりするし
普通は一言では答えられないものだと思うし
伝統工芸の将来と課題
人によって解釈も違うし
歴史家の方と別の専門の方でも
日本の伝統ってすっす答えられる人って
そんなにいないんじゃないかなって想像するんですけど
どういうニュアンスのあれなんですかね
伝統
でもあれですよね
今おっしゃっていただいた
金属における伝統工芸は
自社物価とか分かりやすく金属が使われているものを
時代をとともに下っていったりとか
歴史の中である種マニュアル化されたものとか
ルール化されたものとか
そういうものとかがいわゆる伝統っていうのは
一旦放っていく道筋としては
そうですね
あると思いますね
神社とか寺においては
トレンドに合わせて変えるとかって
できないでしょ
分かんない
新しく建てるなら
現代風の寺とか神社とかで分かるんだけど
もともとあるものを
デザイン変更しますとか言ってやったら
怒られそうじゃん
なかなかできないですね
最近ニュースで見たんですけど
どっかの神社が
斬新なモダンな建屋に変えたっていうので
割と賛否両論みたいなんですけど
そういうのは結構あるとは思うんですけども
基本的には伝統工芸っていうと
やっぱり昔からの様式美みたいなものを
踏襲してつなげていくっていうのが
主な役割かなという風に
築地の本願寺とか分かります?
結構派手
築地本願寺って明治ぐらいですか?
明治ぐらいじゃないですか
あれ変えたの?途中でデザイン
和洋説中というか
最初からそういうデザインで
作られていたのかと思った
立ててからやっぱり和洋説中にしましょうとか言って
ひっくり返したの?
それは調べるのかな
築地っていう場所はあって埋め立て地?
埋め立て地ですね
最初から
歴史はそんなじゃないですか
本願寺は東と一緒に
京都のでっかいのがありますけど
築地感は全くないんですよね
変えちゃう
なんだろう
デザインを変えないけど
時代によっては技術的に作れなくなっちゃったりとか
作れる人がいなくなる
あとは道具がなくなる
素材がなくなるということで
どうしても変えなきゃいけない時だってあるわけじゃん
それってどうなってる?
それはどういう状況で守られてたりとか
だって2割だよ
伝統工芸学校って
つけてるところの2割しかいないってなったら
聞いてると不安を感じてきて
ちなみに今ささきさんのさっきの
おっしゃり方だと
今同期でやってるのはそのくらいかなっていうことでしたけど
卒業してすぐは結構そっちの工芸の方に就職していったけど
一番最初
卒業してすぐにそっちの方面に行った人でも
結構少ないとは思います
最初から全然違う方向に行ったりする人もいたし
ちょっと作家活動みたいなことをやろうかなという人もいたり
そもそも僕らが行った時は
就職みたいなものがかなり少なかったですね
募集している会社みたいなものが
学校自体もまだそこまで
伝統工芸とかの業界に認知されていなかったので
深くは
なので認知されていたとしても
多分何だろう学校っていうぐらいのものだと思うので
だからそこから出てきた学生を信頼して
就職させる
社員にするとか
弟子として取るという風なことをしようという会社とか
工房みたいなのはだいぶ少なかったと思うんです
それこそ自社物価だったりの金具とか
茶道具っていうことの仕事の内容から考えたら
就職っていうイメージは湧かないです
なんか弟子入りとかっていう
言ったら長い技術者の職人型の人生の中で
学校でやってること数年とかなんて
ほんのまだわずかぐらいの位置づけじゃないですか
ちなみに何年やる?学校は何年?
僕は2年経ったんですけども
一応選択すれば4年間まで
2年間で人ってそんなに技術つけられるの?
いや分かんないです
分かんない
佐々木さんどうしても振り返って
学校の時代の2年間でどのくらいのレベルに達したって感じですか?
今から振り返ると
そうですね
金属工芸全体で言ったらもう全然
5%とかで
5%
5%はいったんですよ
佐々木さんご自身は卒業してどうしましょうってことになったんですか?
卒業してからもうどうしようかなという
でもあんまりここからすぐに実家の方に帰ろうとか
そういう考えはなくて
ちょっとこっち京都の方でどうするかをちょっと考えようかなというので
しばらくアルバイトをしようかどうしようかっていうのを
考えてた時期があったんですけども
そこで学校で教えていただいてた
中村聖一郎先生という先生がいたんですけども
そこがその先生の
今息子さんが代替わりしてついでらっしゃる宿泳堂という工房で
ちょっと働かせてもらったりとかっていうのをさせてもらったり
あとは京都にある
しっぽ焼きの工房とかにもちょっと手伝いに行かせてもらったりとか
あとは
同期の人が立ち上げたNPO法人
若手の工芸家を支援していこうというNPO法人の
手伝いみたいなことをしたりとか
いろいろやって
いつの間にか時間が経っていって
宿泳堂さんとかしっぽのところっていうのも別に
いわゆる雇用ではなくて
本当にアルバイト的な感じで仕事させてもらっていたという形です
工芸の経験と共同工房
でもそれで一応最低限のご飯と住まいはなんとかなっていましたね
一応他に何か特別アルバイトをするでもなく
工芸に関わることで一応お金をいただいて生活はできていましたね
それができるだけでまだ
ちなみに生活はできて
学校の時代5%だったところがその時代で何%くらいだったんですか
その時代でも多分
20から30%くらいじゃないですか
まあまあいきましたね
結構やっぱり弟子入りではないけど実践で
実践を積み重ねて時間かけてそういう感じってこと
そうですね
ただそうですね
その後ゆくゆくはさっきお話ししてた須藤さんのところに
須藤さんと仲間うちと一緒に工房を借りてみたいなこともあったり
そこで仕事をさせてもらったりっていうのもあったんですけど
だから数は少ないけどそこのネットワークの中にいて
ちょっとゆるいギルドって言ったらいいですけど
組合みたいな大げさなものではなくてあるコミュニティがあって
そういうところで仕事をシェアしてたとかそんな雰囲気なんですか
そうですね
結構須藤さんが主体となってやってくれてたんですけど
それって報酬をもらう立て付けというか個人事業主として
大きいところが取ってきた仕事の下請けをして
どこかからお金をもらうみたいな形になってたんですか
そういうことですね
なるほど
っていうのが何年か続くわけですよね
それもさ今さ普通にありそうに話していただいたけど
あんまりそういう人聞いたことない
そこに絡めるだけで相当一握りの人っていうイメージはあります
友達だとかこいついいやつだからって言って
広報を使わせてるって話じゃない
下請けだからやっぱりちょっと技術があったり
信頼・信用ができるってところもないと
声をかけるわけないじゃんそもそも
怖いじゃんか
バンドじゃないからね
バンドでもあれだけど
20パーになったけれど
その20パーでも十分声がかかるっていうこと
あれですけどね
須藤さんには最初は
お前は今まで何をしてたんだって言われた
びっくりきましたね
了解ばっかり
お前は何をしてたんだって
そうですね
そこからさらに技術を伸ばしていけたかなと
結構鍛えられたって感じですか
なるほどね
共同の工房時代が何年くらいですか
共同の工房時代は
共同だったんですけど
最初は先輩と後輩も何人かと含めて
5人かそれくらいで最初は
みんな出し合って借りていくっていう形だったんですけど
そのうち一人抜け二人抜けってなって
最終的に僕と須藤さんと
二人になったのかな
そこまでで
そこから最初に借りてから
僕はもう金属工芸から
尻属化たちになったところまで
ずっと工房ではやらせてもらってたんで
それまで含めると
5年6年くらいになるんですかね
突然20%からびょんっていく
そういうことになりましたね
二人になっちゃったら
頼まれる数が半端なく集中するわけでしょ
いろんな内容のものが
多分なんかビジョンとかそういうものも
変わってくるんじゃないですかモチベーションも
誰かがやらねば
やるならやらねばみたいな感じになっていくとかね
そういう感じのコンセントレート感というか
集中というか
ある種の趣味感がだんだん伴ってくるとか
適当に言ってますよ違ったら言ってください
ちなみに聞いていいかわからないけど
5人で始めて
出ちゃった人たちも工芸を続けないってことなんですか
本当に自分の仕事の方が忙しくなったりとか
本当に全然違う仕事に就いた人もいますけど
今でも工芸を続けてる人はもちろんいますし
たまたま自分だけのスペースが欲しくなったり
その方が仕事しやすくなったり
そうですね
なんで聞いたかというと
そんな工芸を続けるのは苦しいものなのかというのは
一人減りもう一人減りみたいな
あまり現代劇に聞こえない感じですね
そうだよね
現代においてなかなかこう
続けるの大変そうだなと思うけど
朝ドラくらいのちょっと昔のタイム感みたいな
工房での仕事と経験の成長
そんな話だけどこれが現代起こってることってことですよね
じゃあもう30代になってます?その時点で
その時で
みんなで共同で工房借りようってなった時点では
まだ25とかそのぐらいですかね
須藤さんと二人になって
でももう30ぐらいのところまで
そうですね
ちょうどターニングポイント
男性は分かんないけど
女性って結構30こだわる人が周りに多いんですよね
何こだわりですかちなみに
結婚と子供っていうのを
みんな30までにって
社会通年と日本のありような話ですけど
あんまり男の人とかはその
二者卓越にならない場合が多いので
っていうのはありますよね
もちろんその工房のジェンダーバランスは何なのかってのはありますよ
じゃあ女性の方もおられて
ちなみに女性はいたんですか
いやその最初のメンバーの中には女性はいなかったですね
ただ手伝いに来てくれる
仕事を手伝いに来てくれる
主に須藤さんの仕事を手伝いに来てくれる人たちの中では
女性もいましたし
学校的にもそんなに男性ばかり
金属っていったんですか
全然女性もいっぱいいます
美大ってやっぱり女性の方が多いっていうイメージが
どうしても私
美大って言っても割とエンジニアの方の
学校っていうかクラス行っちゃって
女子3人だけとかそんな感じだから
それはエンジンでも作るんですか
エンジニアっていうぐらいだから
一応建築学科なんですよ実は
そうなんだ
の中のデザイン
建築があってデザイン
建築が大屋根で小さな柱の中が
余計あんまり女性が
コンピューター関係だからっていうのもあって
建築デザインコンピューター
そうなんです
大学院の建築なんだ
それだったら建築デザインがあって
そこに金属工芸があってもいいですよね
確かに
車があるの
建築が
真っ先に分かれそうだね
建築家の概念が真っ先に
そうなんだけどね
横にいた車
カーデザインが少なかった人
そうなんだ
カーデザイン
すげーそれちゃいますけど話
カーデザインからエンジンを開発する人と
ボディとかで別れるんですか
ボディだけでほとんど
ただエンジンもたまにいた
エンジンがどうしてもやりたくて
建築って大学院すごいな
大学院はこういう
入ってから知った
そうなのと思って書いてあったからさ
水冷のインジェクションエンジン
そういう感じでやりたいって人が
会話っておかしいっすね
話されてすみません
気球?気球作ったりしてる人いたよ
カーデザインで
もはやさ
車じゃないんだよ
本当に
発明でもないし
建築でもなんでもないし
どんどん離れちゃってる
たまにそういう体型とか
そうして線引っ張ってみたりすると
面白くて
最初に工芸能と個人のメタニッチの話が
佐々木さんからあったんですけど
自分らの仕事に取り囲まれてる仕事って
何なのかって想像するじゃないですか
どういう関係が社会とあるのか
補助線をどう引くのか
一番最初に言ったように
溶接をメインに仕事されてるから
就職への思いとバランス
ゆくゆく話を聞いていきたいなと思いつつ
その話の中で最後に絶対聞かなきゃいけないのは
なぜ就職しようと思ったのかっていう
でっかいポイントがまちそうですね
いつそう思ったのかとか
そうですね
単純といえば単純だし
一つの要素ではないんですけど
やっぱり一番大きい要素があれだったんですね
子供ができたことではあったんですよね
ここは多分外せないところではあるので
金属工芸に限らずなんですけど
フリーランスで仕事をしてるっていうことは
やっぱり自分の時間を削って仕事をしていくことになるんで
だいぶ
それで身を立てていくっていうのは
それと自分の生活とのバランスを考えたときに
そうですね
ちょっと自分のやりたいこととかよりも
より安定性の方を取ったということになりますかね
だから就職先とかは
お子さんができたタイミングで検討し始めたんですか
その前はうっすら就職するとしたらここかなみたいなのがなく
お子さんが授かった段階で探し始めた感じなんですか
そうですね
子供ができて生まれてからですね
生まれてからこの先工芸を続けていくかどうかっていうのは
やっぱり頭のどっかにあって
それからだんだんちょっとやっぱり
工芸やっていくのが精神的にも苦しくなってきた時期があったんですね
このままいくとちょっと工芸が嫌になってくるんじゃないかっていうのがあって
大体ウイルスですね
完全に嫌になる前にやっぱりちょっと距離を置いて
自分の生活の方を先にどうにかしないといけないなという考えで
就職というふうに考えて
本当にそういうところは人それぞれの人生観とかあるし正解のない世界だとは思うんですけど
ただこれ真面目な話する感じから
全然適当な質問で恐縮なんですけど
就職する、探す会社のポイントってあったんですか?金属を扱っているとか
一番最初がものづくりは金属に限らずなんですけど
探してちょっと
完全に機械加工とかだとあんまり自分の今までやってたことは活かせないかなと思ったんで
そんな活かせるような造形の仕事とかそういうものがないかなというふうに最初は探してたんですけど
なかなかやっぱり経験者とかを募集したりするところが多いので
なかなか難しいなというので
とりあえず受けてみて面接を
これがダメだったらというので
長岡郷にあるポリテックセンターという職業訓練校があるんですね
そこでちょっと一回技術を学ぼうかということを考えて
結局面接はダメだったので
次のプランとして職業訓練校で
それもちょっと迷ったんですけど
機械加工の旋盤っていう
機械を回転させて削っていく旋盤とか
フライスっていう
それも刃物の方を回転させて金属を削っていったりする機械とかを使う機械加工の
機械加工科っていうのと
あと溶接科というのと
金属に関わる分野としてはその2つがあったので
どっちにしようかなというのを考えて
より手作業に近いかなと思ったので
その時は溶接を選んで
溶接科の方で半年間ですかね
勉強させてもらって
その後就職という感じになったんですけどね
いきなり工芸が得意だからって言って
とんて
就職する感じでもない
面接でわかるのって正直思ってて
その場で溶接してみてみたいな
そういうのを想像してたってことですね
いけんじゃんとか入ってみるうちに
実際そういうノリでバイト入ったことあるか家具屋に
何も触ったことないのに
ちょっと削ったことあります
兼業工芸家の経験と金属工芸の繋がり
じゃあ教えるから教えて学んでいけばいいよみたいな
バイト入ったことあるから
それじゃやっぱ入れないのかと思って
むずいんだなと思った
私ラジオ的には思い出される
松原組夫もハッタさんの
ハローワークで5年続けてる
私もハローワークで見つけた
そのパターンもある
ちなみに溶接は職員訓練校に行くと
何かしらの難級とかあったりするんですか
一応技術検定という技術規格で決まっている
この程度の技術がありますよというのを
保証してくれる検定があって
その段階によってやることが違うんですけど
試験みたいなものですね
一応筆記試験もあって
実技では板
ステンレスとか鉄の板を2枚
平たく置いてその間を溶接して
完全にくっつける
その後くっつけた面を機械で曲げて
割れないかどうかという試験をしたりして
それでちゃんと技術がありますよという
保証をしてもらう
実の試験を取ってますよというのがあって
就職に繋がったという
次回の話の予告
今の試験の話を聞いて
金属工芸の経験との
繋がりみたいなことの話を聞きたいんですけど
いい時間になったので
ちょっとこれ来週聞いていきたいと思います
めっちゃ濃い話が最初から聞けて
面白いですね
後半も楽しみです
じゃあ来週も倉田氏ラジオ
火曜日に配信しますので
ぜひこの続きをお聞きください
ハッシュタグは
CONCRAでご感想などもお待ちしてます
質問などありましたら
あとはなんだろう
金属のことで聞きたいこととかあったら
とか違う分野でもあるあるみたいな話が
金属の建て方あるある聞けたら
面白いです
というわけで来週も佐々木さんよろしくお願いします
01:10:23
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