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こんにちは、やっちーです。
やっちーの心のコンパスルームは、自分らしい心と暮らしの整え方を発信しているチャンネルです。
本日もお聴きくださいまして、ありがとうございます。
週末、土曜日の朝ですね。いかがお過ごしですか?
いつもね、聞いてくださっている方、そして、いいねやコメント出たくださっている方、本当にありがとうございます。
これが励みになって、私も今3年目に入って続けられております。
あと、最近聞いた方でメールマガとか公式LINEに新たにご登録してくださっている方もポツポツといらっしゃって、こちらも本当に嬉しいです。ありがとうございます。
土曜日はですね、がんサポートナースの人生を豊かにするラジオ、片岡幸子さんのチャンネルの心のスポンサーを担当させていただいております。
なんかそれもあってね、ちょっと土曜日は自分の介護とか、そういう経験からの話とかを少しするようにしようかななんて、最近少し思っているところなんですね。
で、なんか今朝これツイートでもしたんですけど、なんか私ね、今回話そうと思っているのは、思いもしなかった30代での親の見取り経験の話をしようかなと思っているんですけど、
なんかこの経験を通してやっぱり自分の働き方とか生き方とか、そういうのが大きく変わったなって思ったんですね。
で、もう7年前になるんですけどね、父が亡くなったのが。
で、ちょっとなんかこういう話聞きたくないなっていう方いたら、全然ここでポチッと止めていただいて大丈夫です。
で、あのちょっとその時のね、見取りの話だったりとかね、家族としてどうだったかっていうのって、なかなかちょっとね、この話聞くこともないかなと思ったので、
2年前かな、私ノートの方で記事を書いて、その時のことを急になんか父の日に思い立って、ブワーって書いた記事があったので、
なんかね、やっぱり1年2年経つと覚えてるんだけど、やっぱり気持ちだったりとかね、あの細かいところって薄れていくことがあるなと思ったので、
ちょっとその時のをね、見ながらちょっと話していこうかなと思います。
よかったらね、記事の方、リンクの方から見てみてください。
で、その父がね、亡くなる前、3年前ぐらいにね、私たちの家族の生活ってすごい一変して、何があったかっていうと、本当に何の前触れもなくね、
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突然病気が発症して、突然告げられたのが、余命半年っていう宣告だったんですね。
で、当時どんな状況だったかっていうと、父と母は2人暮らしで、2人とも60代かな、その時。
で、私もその時30代後半で、ちょっと離れたところ、1時間ぐらいの距離のところに夫と、当時1歳だった息子を育てながらフルタイムのワーママをしていました。
で、その時ね、私ケアマネージャーっていう在宅介護の相談の仕事を管理者としてね、していたんですけれども、
まさかそんな自分が家族の介護をするなんて全然思ってなかったから、
もちろん心の準備もそうだけど、何にも考えてなかったんですよね。
なんか親がその介護を受けるようになったらっていうことを全く考えてなくて、
で、なんかそのもう終わりが見えている状態で、じゃあどうしようかっていう話を父とか母とするのって結構しどかったんだけれども、
でももう迷ってる時間とか止まってる時間がほんとないぐらいにね、
ああもうなんか終わるんだっていうのが現実として突きつけられて、
で、なんか父も最初はやっぱりなかなか受け入れられなくて当たり前ですよね。
なんだけど、徐々にね少しこう気持ちが落ち着いてきた時に、なるべく家で過ごしたいなって言ってて、
でも母はね、母の希望を叶えてあげたいって言ってて、じゃあ娘として私はどうしようって思った時に、
やっぱりその両親の希望をね、叶えてあげたいなって思ったし、
なんか自分が介護の専門の仕事をしている私ができることっていうのをやろうって思って、
で、この時本当に自分のその思いだけで夫を説得してですね、実家の近くに引っ越しをしたんですね。
で、なんかその転職をしたりとか、保育園を転院したりとか、とにかくもう記憶がないんだけれども、
まあでも本当にやれることをやろうと思って、その引っ越す前もね、
休みの日には当時2歳になった息子を連れて、本当毎週末のように実家とか入院している時に病院に行ったりとかしていました。
で、なんか父もやっぱり痛みもねだんだん出てきたんだけど、
ちょっとずつね、自分の部屋の整理をしたりとか、母に引き継ぐことを伝えていたりとか、
なんかあんな風にね、自分の最後と向き合ってた父は本当すごかったなって今思うとね、思います。
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で、なんか毎日私もね、あの子供連れて行ってっていうのをずっと続けていたんだけれども、
言われていた半年過ぎて、1年、2年、3年って過ぎたんですね。
で、まあ覚悟してたんだけど、ある朝ね、父の状態が急変して、
今日明日が山かなって言われて、で、なんかその時のもうなんか記憶はないんだけれども、
もう泣きながら夫とかね、会社に電話したのが覚えてるんですね。
で、まあ家族が集まって、私とあと兄家族がいるんですけどね、で、孫たちも集まった時に、
父の意識がなんか奇跡的に回復して、で、家族一人一人にね、最後の言葉をしっかり伝えてくれたんですよね。
もうこれなんか本当奇跡だなと思うんだけど。
で、あの延命治療を希望していなかったから、食事も水分も何も取れない状態だったんだけど、
まあそんな状態でもね、本当に奇跡的に最後、ここから10日間かな、家族と一緒の時間をね、過ごせました。
で、まあなんか最後の瞬間はね、私が本当にちょっとこう、その場を離れて違う部屋に行ったほんの一瞬にね、
あの息を引き取ったんだけれども、
でもなんかその希望をね、叶えてあげられたっていうのは、
うーん、まあなんか気持ちはなかなかね、整理はできなかったんだけれども、
まあそれでも私も母もね、時間が経ってこうやって受け入れられるようになったのは、
まあなんかね、大変ながらもそうやって希望を叶えて、で、家族で力を合わせてきてよかったなっていうのは本当に思っています。
で、まあその後ね、私介護の仕事をしていたので、やっぱりこういろいろ関わる度に思い出すんですよ、父の時のことをね。
で、やっとなんか一周期迎える頃になってかな、少し気持ちの整理がついてきて、
で、なんかその時にね、父が私に教えてくれたことなんだったかなって思った時に、
なんか人の命はいつか終わるんだなっていうことを、
で、その最後の時まで精一杯生き切るっていうのかな、
なんかそんな生き様というか死に様みたいなね、その最後の時の過ごし方というか、
なんかそれをすごい身をもって私は教えられたなって思って、
で、まあなんかなんとなくね、その日暮らしをしていた私だったんだけど、
うーん、なんかやっぱりこう、後悔しない人生を送れるように自分らしく生きようと思ったし、
で、そういうふうに思っている人を応援したいなって思って、
なんかそこからその介護の仕事だけじゃなくてね、就活とかエンディングノートとか、
まあその後コーチングとか、ちょっとその最後の時期というよりは、
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その前にね、もっとこう人生を豊かにできるような、
まあそんなのをね、やっていきたいなってそこからえっと思った気がしていますね。
うーん、なんかそんなすごく大きな転機、転機というかね、今思うとですけどね、
うーん、でした。で、介護をしている時って本当に大変だし、先が見えないしね、
大変だと思うんだけれども、きっと少し時間が経っていくと、
なんかこんなふうに受け入れられていったりとか、
そこからね、教えてもらえたことで自分の人生が変わることもあるんじゃないかなと思って、
あの今日は、私あんまりこの配信で話してなかったんですけれども、
まあちょっと自分のね、その見取りの経験というのをお話しさせていただきました。
最後までね、聞き下さった方がいたら本当にありがとうございます。
なんか皆様のね、これからの人生の何かのお役に立てればと思います。
なんか介護とかね、こういうのなかなか相談する場所がね、なかったりすると思うので、
何かあればね、コメントでもレターでも、公式LINEのメッセージでもいただければと思います。
はい、では今日も素敵な一日をお過ごしください。さよなら。またねー。