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おはようございます。英語の歴史を研究しています。慶応義塾大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。
今回取り上げる話題は、接頭辞についてなんですけれども、post-truth にみられる接頭辞 post-、というものですね。
これ、日本語でもポスト、ポニャララというような表現が増えてきたので、非常に馴染みが深いと思うんですが、英語から来てますね。
post-truth なんていうのも、これも現在話題の用語だと思うんですけれども、これはそのまま言えば真実語、事実語というようなことですけれども、
事実がどうであるかということに関係なく、感情とか印象という主観的なものに、なびいて判断するというような含みがありますね。
なので post-truth politics なんていう言い方があって、今話題になっているということです。
この接頭辞を持つ単語というのは非常に多くあります。数百語以上ありますね。
しかも生産性が高い接頭辞なので、勝手に作っちゃえるんですね、新しい方。何でもいいんですけれども。
例えば、今の 2021 という年ですが、この年が非常に重要な年だとすると、実際、コロナで重要な年ですが、これを例えば post-2020 とか post-2021 みたいな言い方が今後出てくるということは十分に考えられると思うんですね。
同じように、その前の時代と後の時代では何かが異なるという言い方をだいたいするわけで、
post の反対語である pre とか anti という何々の前にというのも、同じように自由に語を作れるという意味で、非常に生産性の高い接頭辞だと思うんですね。
いくつか最近のものを挙げてみますと、あるいはよく聞くものということで挙げてみますと、
もちろん post-war というのは戦後という意味でよく使いますよね。
それから PTSD なんていうに省略されることがありますが、
Post-Traumatic Stress Disorder なんていうのも、これはもう事実上、日本語の中にも染み込んでいる英語の略語なんではないでしょうか。
他に美術史の用語で post-impressionism っていうのがありますね。
これは日本語では後期印象主義っていうふうに言うんですが、これ実は語訳ですよね。
後期印象主義という言い方をすると、印象主義の時代の前期と後期があってその後期、つまりまだ印象主義の時代の中なんだっていう含みがあるわけなんですが、
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実際には post は後ですから、after の意味ですから、これ本来的には印象派以降と訳さなければいけないところだと思うんですね。
これ語訳なわけですが、もう既に定着してしまって長いので改められていないということなわけですね。
この post という窃盗時なんですけれども、起源としてはさほど新しいわけでもないんですね。
16世紀ぐらいから例が見られます。
これはラテン語のafterとかbehindですね、何々の後ということを意味するラテン語のpostに由来するわけなんですけれども、
16世紀ぐらいに突き始めていわゆる合成語を作るようになったと。
Oxford English Dictionary を引くと、この窃盗時を持つ単語っていうのは700語を超えるぐらいきっとするんですね。
ですが、この700語は一番最初に現れた16世紀ぐらいから様子を見てみると、
順当に数を伸ばしてきたというよりは、ある時にグッと集中して増える時期があるんですね。
そして今も増え続けて今に至るわけなんですけれども、その時期は19世紀後半から20世紀、つまりほぼ現代英語期なんですよね。
この時代にある意味も爆発したと言っていいですね、造語力が爆発して多数の表現が生まれるようになったということなんですね。
つまりせいぜいここ百数十年ぐらいの間にある意味爆発期を迎えて、このpostが現代に至るまで非常に生産性の高い、自由度の高い、何でもつくですね、
説得時に成長してきたということなんですが、じゃあなんでこの百数十年で爆発したんだろうかと。
これを考えることは非常に面白いというか視察的な背景があるんではないかと思うんですね。
これを考える前に、日本語にもなってますのでpostっていうの。
これをいくつか例を挙げてみますと、post構造主義とかですね、postサンデーサイレンスとか、
post霊戦記、post山口桃江みたいなのがあるわけですね。
ちょっと霊が古いんじゃないかと言われるかもしれないので、一番最新のと言いますかね、あるのはpost菅。
今、総裁選が争われているわけですが、こんな表現まで自由に作れるということです。
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今、post山口桃江とかpostサンデーサイレンスというと、年が分かってしまう、時代が分かってしまうというようなことがあったんですが、
こここそこのpost説得時の面白いところだと思うんですね。
postとかその反対語のpreとかanteっていうのはですね、ある年であるとかある受験、歴史的な受験を境目として、
その前と後ろではですね、もう時代が変わってしまったっていう含みを持たせる、ある意味政治的な、それからジャーナリスティックな、ある意味主張できるですね、
そういった説得時になっていると思うんですね。
そうするとpostとかpreの後につくこのポニャララの部分、一番重要な部分ですが、これがですね、いつ現れたかっていうのは、当然時代性そのまま反映すると思うんですね。
これが先ほど述べた19世紀後半から20世紀にかけて、このpostが流行りだした一つのですね、背景としてこのpostが持つ歴史であるとか、歴史的事件であるとか、
その政治的思想であるとか、そういったものをですね、強烈に意識に残す一つのツールなんではないかと、そういうふうに見ることもできるわけです。
そうすると逆にpostポニャララっていう単語をですね、歴史的に集めてみてですね、その時代その時代で何が画期的とされたか、時代の変わり目と考えられたかっていうことを色濃くですね、
反映するっていうのがpostプリという窃盗時と、それが付加された語なんではないかっていうことなんですね。
時代の変化を読み取るキーワードとして捉えると、急にですね、ただの窃盗時がですね、面白いものに見えてくると思いませんか。
ある意味流行語的な使い方もできるわけなんですが、数十年経ってあるいは百年経ってですね、まだその単語が残っていれば、それは本当に歴史的に意味がある。
その当時だけではなく、今までかけてですね、ちゃんと有意義に使われてきたっていう証拠にもなりますので、単なる流行語だったのか、それとも有意義な単語として今に残ってるのかっていうような、こういう見方もできると思うんですね。
ただ、post-war periodっていうのは、戦後期ということで、まだ死んでいないと、非常に有意義な表現として今に残っているわけですよね。
一方で、post-sugaであるとか、post-koizumiなんていうのはですね、その時代の政治的流行っていう含みが強いですね。
つまりこの表現は、ある一定期間が過ぎると、ほぼ使われなくなるんではないかっていうことですね。
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postという瀬戸字を深掘りすることによってですね、社会が読めると、そんなことにもなるかもしれません。
それではまた。