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2023-08-20 28:10

令和五年葉月の回「だいたいの日本史」3

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」今月のお題は「だいたいの日本史」です。


先月のガチャの中身改変から入ってきたお題で、ざっくりざっくり、苦手な人に向けて「だいたい」で説明する日本史のお話です。

だいたい3つずつに分けて覚えていくと良いようなので、3週目の今回は武士の時代の流れをだいたいでお話していきます。

一度に聞くより、何度も聞き流すくらいの気持ちでいると、覚えられるかもしれません。お休みのお供などにどうぞ。

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続きまして、武士の時代に入っていきますね。
武士の時代は、一週目にも話したとおり、幕府という単位で考えると3つあって、
鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府。
この幕府は、今、地名プラス幕府っていう言い方もしたんですけれども、
室町幕府以降は足利幕府とか徳川幕府っていう言い方もします。
ただ、鎌倉幕府のことを源幕府とは言わないですね。
そうですね。
そんな感じになっておりまして、ここは幕府と間に入る県務の新生と、
安土桃山時代がありますので、合計5つのパートになっています。
鎌倉時代でピックアップした3つの要素。
これは、実は最初の2つはまさに先々週かな。
話した幕府の成立に関するところで、
1885年の守護自当の設置と、
1192年の源頼朝政位大将軍就任。
そして3つ目が現行です。
守護自当の設置っていうのは、
源頼朝政の家来になることによって、
一定の所領の統治を任されるっていうのが守護。
その守護のさらに下に自当というのが存在するという感じで、
認識してもらえばいいかなと思います。
この構造自体は同じ幕府という形になっている江戸時代とかとも大きくは変わらないので、
イメージとしては湧きやすいかなと思います。
政位大将軍に就任した源頼朝ですけれども、
名前のとおりなんですけれども、
政位大将軍っていうのは、
エビス・エニシとかいったのをしますけれども、
今で言う関東から東北、もっと言うと北海道にかけてのエリアにいる、
京都ならの都を中華思想的な感じで中心と見た場合の蛮族みたいな意味の、
東日本の土着の方々を整敗する、整敗する、やっつけるための職、
03:00
軍の大将みたいなのが政位大将軍なので、
本来で言えば政治統治のおさとかという意味では全然ないんですね。
ですが、この頼朝が政位大将軍という立場で、
その守護寺島の統領に当たるという位置にいるということが、
今後の武士の時代の基本のフォーマットになっていくという形にはなっていきます。
ただ、実際のところ鎌倉幕府においては現時武士の将軍というのは3代しか続かなくて、
この辺はね、鎌倉殿の十三人という大河ドラマでよく描かれてるところですけれども、
3代しか続かなくて、後は皇族という言い方でいいのかな。
皇族、貴族から将軍が置かれるようになっていって、
実際の政治機構としては執権の北条氏が実体を動かしていくという形に変わっていって、
もちろん現行のときも、現行の説明も後でしますが、
現行のときにも北条氏が政治の責任者として対策に当たったという言い方ができるかなと思っております。
その現行というのは、不備来派の時代ですかね。
広く、モンゴル帝国という言い方でいいかと思いますが、
チンギス藩が広い領土を支配していく中で、
今でいう中国大陸みたいなところからヨーロッパにかけてという広い面積を支配下に置いていき、
それが子どもたちに分割相続されていく中で、
元という中国の中の一つの国家というか王朝となっていく元という国の長が不備来派。
チンギス藩からすると孫にあたるんだと思うんですけど、
ちょっと記憶だけでしゃべってますが。
その元が領土を広げるっていう、それまでのチンギス藩からの伝統がありますので、
東に進行してきた中で、それに防衛に当たったのが北条氏を主人とする当時の武士たち。
勢力差とかもろもろあったり、
もともと黄魔民族なので海戦とか海を渡って戦うってことに慣れてないとか、
いろんな要素もあったり、よく言われるのは神風が吹いたとかっていう話もあるんですけども、
それももちろんあるんですけども、
複合的な要因で二回に渡る元による進行は、
結果的に失敗に終わっていったということですかね。
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白村公のときは、壊れて助けに行く形で、
日本の領土の外で戦うって話だったんですけれども、
日本の領土を他の民族から守備に防衛するという形の戦争になっているっていうところが特徴的かなと思います。
という三つが鎌倉時代の三つですね。
いかがでしょうか、鎌倉時代という時代。
まさにね、さっきも言いましたけど、
鎌倉殿の十三人で、鎌倉時代が始まっていく様というようなものを、
我々は体感してきたようなこともあるんですが。
はい。そうですね。
印象が強すぎて、ちょっと今ドヨーンってなってるんですけど。
重いというか暗い話になりましたけどね。
ただ言い方も難しい。
北条氏っていうのが厳事を立てて、公権人的なことをしながら厳事にバックを作らせておいて、
結果的な実金を握っていった北条氏っていうところもあるし、
北条氏が実金を握るために、一緒に戦ってきた当国武士を駆逐していくような部分もあったりしたので、
なんとも言えないところもありますが、
でもその北条氏が頑張ったからこそ、
ここで貴族の時代に戻ることなく、武士の時代が続いていくことになったのかなというふうにも僕は考えていますね。
そうでしたね。
はい。ということで、次は憲務の申請なんですけども、
これはとにかく短いので、ここで何かを言うのは非常に難しいんですが、
せっかく三つずつ挙げるスタイルをとっているので、
ここでも無理くり挙げてます。
まさに憲務の申請の開始というのを一つ目の項目にしてまして、
二つ目が二条瓦の落書という言葉を選んでます。
三つ目が憲務の乱という三つで、
これ二、三年間のことなので、本当にあっという間に終わるんですけれども、
法上司が鎌倉で執権という立場にいるという状況から、
政治って一般論で言うと、同じ政権が長く続くと腐敗していって、
不満分子が出てきて、新しい政治体制に変わっていくってことはよくある話なんですけれども、
そういう中で法上司に対して反旗を翻した人、
あるいは人は人でいいのかという中で、
後醍醐天皇であったりとか、足利孝打であったり、
倫理大義定であったりという人が出てきて、鎌倉時代が終わっていくと。
鎌倉時代が終わった結果として、
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後醍醐天皇による天皇が日本の統治を直接行うっていう体制になるのが、
この憲務の申請ってことになるかなと思っています。
そんな中で二条河原の落書という、政治批判という言い方でいいのかな。
二条河原の落書についてはウィキペディアを見てますけれども、
憲務中高の官僚として活躍した人物が記録した憲務年間記に収録されている文章です。
本文は当時ですから漢文で書かれてるので、ちょっと難しいんですけれども。
内容についてわかるところはちょっとないな。
いずれにせよ作者不詳で、憲務政権に不満を持つ京都の宗家貴族であるのではないかと言われていると。
要するに政治批判だったということですよ。
こういうことが起こって、さらにこの後すぐに憲務の乱という形になって、
この憲務の新政という体制としては終わってしまう。
今、ずいぶん経つんですけれども、
週刊少年ジャンプで、逃げ上手の若気味という漫画が連載してるんですけれども、
ご存知ですか。
タイトルだけは知っていて、読みたいんですけど、なかなか時間がなく。
まさに今話したような、憲務の新政に至る法上の滅亡から、
憲務の新政ぐらいまでが、今のところ連載上ではそのぐらいまでかなっていう印象なんですけど、
逃げ上手の若気味自身は法上の最後の御蔵詩かなんかだと思うんですけど、
僕もそこまで読んでなくて、
ちょうど雑誌に載ってるのを見た回が、ものすごい最終回みたいな回だったので、
これ終わりなのかなって思ってたんですけど、
ちょうどその時代の流れ的に、ここから五代五体足掛かってなっていくみたいな感じのところだったので、
その次の週から読み始めてるので、入りやすかったので、そこから読んでるというような状況なんですけど、
まさにこの辺の時代の話を今、連載で書かれているということで。
憲務の乱についても、ウィキペディアの概要のところからいきますと、
憲務の乱は、憲政権期、公義の南北朝時代、
憲務2年の11月19日から延元の元年、
12:11
憲務3年の10月10日にかけて、
五代五天皇の憲務政権と足利隆児ら、足利首都の間で行われた一連の戦いの総称。
というふうに記載されております。
さっきも逃げ上手の若気味の話も出しましたけれども、
北条が実態としてもう滅びたというような状況があって、
五代五天皇による直接の統治っていうのは始まったんですけれども、
さっきの落書のことなんかもあったりしつつで、
実際に実権を握って政治をしたい五代五天皇と、
それを武力の面で支えていた足利隆児が対立していくという状況で起こった戦い。
結構推してるかなと思うので、次に行きたいと思いますが、
次は室町時代ですね。
まさにさっきの憲務の申請の流れで南北朝時代というものが起こってきますので、
室町時代のピックアップした三つは、
南北朝統一、黄泉の乱、ヨーロッパ文化の流入。
南北朝は先ほども言いましたように五代五天皇と、
足利隆児は別の皇族を天皇にすることで、
南朝と北朝という朝廷が二つある状態になったのが、
最終的にはまた統一されて、
足利将軍家が実際の統治を行うという体制が安定してできていく。
安定もしないんですが、できていくっていうのと、
江戸中期から後期ぐらいの時期に、
大きい武士同士の争いが起こったのが黄泉の乱で、
日野富子とかいう人物が大きい存在として出てくるかなという印象。
そしてヨーロッパの文化の流入というのは、
鉄砲殿台とかキリスト教の布教ということだったので、
これもやっぱり一つにはどっちかだけを取り上げるのも違うのかなと思ったので、
まとめてヨーロッパ文化の流入という表現にしたんですけどね。
南北朝統一までは室町時代の中に入ってる南北朝時代の終わりを表してるかなっていうのと、
室町時代の終わりのほうは戦国時代でもあるんですが、
戦国時代の始まりを黄泉の乱からとする解釈もよく見受けられるかなと思うので、
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この黄泉の乱を入れているのと、
安土桃山時代にもかかってくるんですけれども、
戦国時代に大きく効果を出したのが鉄砲であり、
直接戦争のために存在するようなものではもちろんないんですけれども、
ヨーロッパから人が入ってくる理由として大きかったのはキリスト教があったと思うので、
布教活動のために来ていたという。
ひとつの側面としては、
西洋文化に興味を持ってもらうために需要がある鉄砲が使われたという側面もあって、
本来の目的は布教にあるということだったのかなと思っております。
室町時代です。
さくやさんもたしか、ケリーさんゲストのたいがわ北の回のときに、
今後やってほしい時代とかありますか?というときに室町時代を挙げていらっしゃったと思うんですが、
室町時代、現時点での印象とか、こういうことに興味があるとか、そういうお話がありますかね。
そうですね。あの時も言ったんですけども、
1,2,3代まではすごく、いろいろ歴史の授業でもやるんですけど、
そこから戦国時代までが薄くて、内容として、
なんかいろいろ、くじ引きで将軍を決めたとか、
面白い出来事はあるはずなのに、ふわっと流れていってしまうので。
なるほどね。そういう意味で細かく、もう少し深く知りたいってことですかね。
まあ、真ん中あたりで有名なのだと、足利義政とかなんですかね。
足利義政はそうですね。
本当にあの時、僕もちらっと言ってるんですけど、
最初が南北朝で終わりが戦国時代なんですけど、
どちらもかぶってない、室町時代としては比較的安定してるはずの時代ですら、
接種のときには必ず揉めるっていう。
たかうじと弟もだいぶ揉めてましたしね。
最初から揉めてたなーみたいなところもあるんですけど、そういう室町時代。
いつになるかはわかりませんが、この大体の日本史がまた出たら、
室町時代の話もしてみたいなと思っております。
ちょっと深めにいければなと思っております。
次ですね。四つ目かな。
安土桃山時代ですね。
安土桃山時代は、室町幕府が滅びた段階から江戸幕府が始まるまでの時代っていう言い方もできるんですけれども、
18:06
将軍家が滅びた、幕府が滅びたタイミングで一番実力を持っていたのは織田信長なので、
織田信長の拠点が今の滋賀県の安土にあったので、安土とついていって、
そのあと実権を握ったのは豊臣秀吉だったので、
豊臣秀吉の拠点である桃山というふうになっていて、安土桃山時代なんですが、
安土桃山時代の中で信長が生きてた時代というのは非常に短いです。
ちょっと数字も追ってみましょうか。
安土桃山時代は1573年からなんですけれども、
織田信長が死んだのは?
82年ですね。
82年。
1582年ですので、
10年ないんですよね。
そうですね。
すごいですよね。
ちなみになんですけど、僕は山梨県出身なんで何かにつけて武田家の話を出しますけど、
確か、
信玄が死んでから武田家滅亡までも10年ぐらいのはずなんですよ。
武田家滅亡、公衆崩れとかいう言い方をしますけども、
それから、信長が本能寺の辺で死ぬまでって数ヶ月なんで。
だから多分武田信玄が死んだところから10年。
で、そっから10年。
ん?違うか。
将軍家が亡くなったのと、武田信玄が死んだのがほぼ同じぐらいの年ってことか。
そうですね。
武田家が滅亡するのと信長が死ぬのがだいたい同じ時期ってことですね。
なるほどなるほど。そういう10年間。
そっから20年間ぐらいが、分けて言うなら桃山時代。
秀吉の天下ということですね。
ということで、この安土桃山も3つのトピックスを挙げておりまして、
さっきも名前を出していますが、
まずは本能寺の辺。
そして豊臣秀吉が間白になりましたということと、
関ヶ原の観戦という3つにしてます。
もう完全に武士の時代の話ですし、
信長・秀吉・家康という感じで三位決が揃い込みという感じになりますね。
本能寺の辺で信長が死んで豊臣秀吉が間白になって、
関ヶ原の戦いで豊臣秀吉が勝つという形で3つピックアップしています。
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いかがですか。この時代はそれこそ大河ドラマなんかではよく描かれるシーンだから、
よく見てきてるだろうし、
咲良さんは個人的には本能寺の辺で一般的に悪役とされる方のファンでいらっしゃるっていう、
なかなか珍しいパイプの人なので。
そうですね。
どうですか本能寺の辺そのものについては。
そのものですか。そのものは謎ばっかりなので。
せっかく大河で明智光秀をやってくれたのに、
結局黒幕は何だったんだろうって終わってしまっているので。
そうですね。
反乱時代の実行者として明智光秀っていう存在がいるんだけれども、
あれが単独でそういう判断をしてやったのか、
誰かが何か手引きというか黒幕的な人がいたのかっていうところが常々話題になるところですよね。
そして豊臣秀吉は豊臣秀吉漢白へという表現にしたのは、
よく言われることですが、昔の言い方、昭和の感覚で言うと、
農民から天下人になった人という言い方をよくされるんですけれども、
厳密には武士の血をもともと引いてるんじゃないかと最近では言われてると思うんですけども。
なので本当の先祖代々農家ですっていうような人だったわけではないのかもしれないんですが、
それでも当時の感じで言うと身分の相当低いところから天下人まで至った人。
家柄的には、いわゆる原兵統吉みたいな、武士の名門みたいなところではない人なので。
そういう理由もあって、豊臣という特殊な名字をつけていたりとか。
漢白になれるのが御節家のみっていう条件があるんですよね、確か。
はい、そうですね。
その御節家じゃないけど、なれるようにするために新しく御節家に並ぶ宇治っていうの?
カバネっていうの?よくわかんないんですけど。
そういうものとして豊臣というのが作られて、豊臣になって漢白になれたという形なんですかね。
でも藤原家の名前をもらってた時期もあるので。
じゃあその時点でもらうこともできたんじゃないかってこともあるのか。
そうですね。
なるほどね。
そういう意味で言うと、このあと出てくる徳川家康も、徳川生を言い方語弊があるかもしれませんが、
いわば買い取ったわけですけど、
24:01
松平も元々源氏なので、
よく誤解されるのは、将軍になりたかったから源氏の徳川っていう生を手に入れたんじゃないかみたいな言われ方もすることもあるんですけど、
松平自体も源氏なので、
別に源氏じゃなければ将軍になれないっていうことの条件はクリアしてたとは言えるんですけどね。
そんな感じの武士の時代の、ある意味華やかな時代。
武士が武士らしくいられる時代だったのかなというふうにも思います。
そして最後、江戸時代。
江戸時代のピックアップは、
大阪冬の陣、夏の陣。
そして次に、乱と改革っていう言葉を造語を作っております。
最後が黒船来航。
大阪冬の陣、夏の陣は、豊臣秀より対徳川康みたいな形になるんですけれども、
江戸時代に、江戸幕府が開いた後に戦われている、
言ってみれば武将同士の戦い。
そしては最後の戦いなのかなと思っています。
その次に挙げた乱と改革っていうのは、
これも乱と改革を3つずつピックアップしたので、そういうタイトルにしてます。
島原の乱、大塩平八郎の乱。
最後は、乱ってつきませんが天命の打ち壊しというものを選んでいます。
異種の米騒動ですね、天命の打ち壊しがね。
そしてもう一つ改革のほうは、
強法の改革、官政の改革、天保の改革という3つです。
それぞれ老中だったり将軍だったりみたいな人が、財政を改革するっていう話ですね。
これらはまた個別に取り上げる機会があれば掘り下げたいなと思っています。
そして江戸時代の最後は黒船来航で、
黒船来航がきっかけになって明治維新につながっていくということなので、
これがキーワードかなと思いました。
はい。
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