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2023-08-13 32:15

令和五年葉月の回「だいたいの日本史」2

ガチャを回して出てきたお題について語る「文ガチャ」今月のお題は「だいたいの日本史」です。


先月のガチャの中身改変から入ってきたお題で、ざっくりざっくり、苦手な人に向けて「だいたい」で説明する日本史のお話です。

だいたい3つずつに分けて覚えていくと良いようなので、2週目の今回は考古学的時代〜貴族の時代の流れをだいたいでお話していきます。

一度に聞くより、何度も聞き流すくらいの気持ちでいると、覚えられるかもしれません。お休みのお供などにどうぞ。

00:08
はい。ということで、2週目に入りましてですね。
1週目でやった区分を、さらに大きく3つに分けて話そうかと思ってまして。
最初のパートは、考古学的時代から貴族の時代まで。
予告をすると、次の3週目で武士の時代。
4週目が近現代って感じで、ちょっとだけ踏み込んで話していこうかなと思っております。
で、せっかく3つって分け方をしてきたので、ここでもなるべく3つでくぐっていこうかなと思っています。
まずは縄文時代からですね。
さっきも言った通り旧石器時代ってのもあるんですけども、ここでは振れません。
で、縄文時代ってどんな時代かなというのを、キーワードを3つ挙げてみました。
狩猟採取、縄文土器、土偶。
紀元前400年とかそのぐらいまでの時代なので、
文化はあったわけですよね。文化文明みたいなものはあったけど文字がなかったということなので、
記録的なものは残ってないんだけど、その調べたりすると遺跡なんかを発掘すると、
狩猟採取というね。
動物を追いかけて、矢で打ったり槍で刺したりして、動物を取ったりとか、食物も、木の実を取ったりとかっていう。
今の感覚から言えば、計画性のない植生学という状態ですね。
ただ文明的に言うと、土器を器を作ったりとか、土偶の方は宗教的なものっていう考え方が一般的かなと思うんですが、
そういう文化も出てきていると。
特徴的なことだと思うんですね。
土器って器で、要するに道具だから必要に応じて作られているものなんだけど、
土偶の偶は偶像の偶で、
要は生きてくためにどうしても必要なものとかっていうわけでもないものっていうのが、
もうすでに文化としては出てきているというのが特徴的かなと思いました。
縄文時代ということについて話すことなんて特にないですよね。
そうですね。
もしくはキーワード的な感じでも。
次の弥生とどうしても比較されると思うので。
そこを話してからの方が。
03:00
では2つ目が弥生時代ということで、
こちらのキーワードは、水桃栽培、弥生式土器、山大穀という3つを選びました。
法則を入れておくと、いわゆる縄文人と弥生人というのは別系統の人種というかね。
人として種類が違うという側面があるよっていう話があります。
教科書みたいなレベルの話で言うと、
この弥生時代の後期に現れる秘美子という人物が日本史の教科書上では初めて登場する、
特定された孤児になるかなと思っておりますという感じですかね。
ということで弥生時代ですけれども、縄文と弥生ってことですよね。
そうですね。
どんな印象ですか。
そうですね。さっきもキーワードの中にあったんですけど、水桃、稲作が始まっているので、
計画的にご飯が常になんとか食べられる状態であると。
あと、それをため込むことができるので、
戦争が始まったという印象がどうしてもありますね。
弥生時代っていうのは、わりとそういう意味で言うとね、
山大穀とかの絡みも出てくるんですけど、
今でいうところは海外、外交というかね、
今の日本の領土みたいな地域以外のところにすでに存在する王朝や文化との接点も出てきてるという時代になりますね。
なので有名なのは、それこそ秘美子が出てくる儀式和神殿とか。
陶遺伝っていうのも儀式ですかね。
そうですね。
みたいなところに、いわゆる日本人を指しているであろうという個人の名前っていうのは複数出てきていて。
秘美子子とか、伊予とか戸予とか、そういう人の名前が出てきたりっていうのがあるので、
どこまで現実的に存在が確定してるかっていうのはなかなか難しいとは思うんですけど、
実は秘美子だけでもないよっていうところもあるかなと。
あと金印もこの弥生時代ということになるんですかね。
そうですね。57年でしたかね。
漢の和の名の国王なので漢の時代ですもんね。
なので西暦、まさにそういう時代ですよね。
西暦0年前後数百年みたいな時代の話なので、漢王朝はですね。
06:00
というのが弥生時代と。
ここまではわりと原始的な文化っていう印象を持つことが多いかなと思ってて、
もうずいぶん昔の話ですけど、弥生のポッドキャストを聞いてて、
ちょっと構図が似てますけど全然状況は違うんですが、
男性のほうが日本史の話をしていて、
女性の方は全然日本史とかすごい苦手で何もわかんないっていう感じの方が聞いていたんですけど、
まさにこの儀式和神殿みたいな話が出たときに、中国大陸では三国志の時代です。
日本では稲作が始まった時代、弥生時代ですっていう話をしていたときに、
聞いていて若干不愉快という気もしないでもなかったけど、
どちらかというと不思議がかったのが、この文化の差を聞いて恥ずかしいって言ったんですよ、その女の人が。
言い方としてどうかなとは思ったんだけど、そんな発想なかったなっていうのが僕の正直なところで。
そう思うんだって思って。すごい新鮮だったな。
確かに文化の差はあるので、その時代に現実に自分がいて、
例えば大和大国の一員として優れた文化を持ってる儀の人とかが来て、
お前らこんなセカしてんのかよって言われたら恥ずかしいって思うかもしれないんだけど、
そんな発想はほんとになかったので、ちょっと新鮮だったなっていう思いがあったので、
ちょっとそういう話も足してみましたっていう話ですけど。
次の時代が古墳時代。
ここまでが文明の名前がついている時代ということですね。
さっきお話ししたとおり、ニアリーイコール大和時代。
大和時代は文献上の時代と書くんですよっていうのは、前回お話ししたとおりですね。
古墳時代のほうは考古学の時期を組むっていうのかな。
考古学上の分類になってるほうは、文明みたいなものが名前の由来になってると。
一方で縄文やよいと土器の名前、生活の道具の名前だったのに対して、
古墳時代っていうのはお墓のことなんですよね。古墳って墳墓、大きいお墓なんですけども。
これは誰のお墓でもいいわけじゃなくて、権力者の墓なので、
権力機構みたいなのができているのかなっていう印象が強くあります。
09:00
ここで選んだ3つのキーワードは当然古墳、そして埴輪、最後に仏教伝大ですね。
古墳は縄文時代の縄文土器、やよい時代のやよい土器と一緒で、
その時代を象徴するものだと思うし、縄文時代の土偶に対をなすというような感じで、
古墳時代は埴輪っていう印象もあります。
これも人型を模しているっていう点と、ある意味で宗教的な意味合いを持っているのかなっていう意味では共通してるかなと思います。
詳しくはどの程度まで言えるかっていうとちょっとあれなんですけど。
3つ目に仏教伝大。
仏教の伝大っていうのは、合わせて文化も伝大してくるので、
これがあってからが文化的には発展していくのかなという印象もあるというところで、
すごい大事なパーツかなと、古墳時代を表す意味で大事なパーツかなというふうに思います。
どうでしょうか。古墳時代について何か。あと大和時代でもいいんですけど。
そうですね。確かに仏教が来たから、文化と文字が伝わってきたというのがあるので、
そこが古墳時代と考古学の時代と文系の時代の境目になるのかなっていう感じはしますね。
必然と言えば必然なんですけど、古墳時代は始まりは考古学なので不明瞭なんですけど、
終わりは文系の時代に入っているので、
何年までが古墳時代っていうのははっきりとはわかんないのか。
飛鳥も曖昧なのか、飛鳥の始めも曖昧なのか。
だからそこまで接着してきてもいないってことなのかな。
というところまでが考古学的時代区分されている3つの時代で、
こっからが今日の文の後半。
飛鳥なら平安ですね。
それはいわゆる貴族の時代。
まずは飛鳥時代。
ここで選んだキーワードは、
聖徳太子の行跡、大化の改新。
これ読み方はいろいろあるんですけど、
僕が一番馴染んでる言い方で言うと、白村公の戦い。
の3つを選んでおります。
聖徳太子の行跡っていうのは、
関義十二会とか十七条憲法とか、
健水師の派遣とかっていう。
健水師の派遣が聖徳太子がどこまで関わったのかとかもあるし、
聖徳太子って今はね、馬宿王とか馬宿の王子っていうふうに
教科書に載ってると聞いていますし、
12:04
現在の歴史研究の極端な例っていう言い方は、
また語弊があるかもしれませんが、
聖徳太子になる人物そのものがいなかったんじゃないかって説もあったりすると、
聞いたりもしています。
でも一方でこの制度とか憲法とか、
健水師の派遣ってこと自体は実際に起こったことなので、
象徴的かなと思っていたり。
次に挙げている大化の改新っていうのもキーパーになる部分だなと思ってるんですが、
蘇我氏が討たれるわけですね。
この大化の改新以前に実力を握っていた、実力が実権を握っていた。
天皇の下でということにはなるんですけれども、
具体的な政治の実権を握っていた蘇我氏が滅ぼされて、
そこに貢献した中富の鎌子、中富の鎌足りが藤原政を受けて、
ここから以降藤原氏が貴族としての地位を高めていくっていう流れに、
ざっくり言うとなると思うんですけれども、
その滅ぼされていった蘇我氏っていうのは、
聖徳太子のときには、聖徳太子とともに新しい政治体制をつくってきた人物。
人物が家柄っていうのが一族だったというところがあるので、
飛鳥自体の前半は蘇我氏、後半が藤原氏っていうことになるかなという印象もあります。
白村公の戦いは、白隙之江の戦いって言うんでしたっけ?
そうですね。
複数の言い方があってもちろん、
これは今で言う中国とか朝鮮半島も関わりが深いというかね。
むしろそっちが舞台みたいな話なので、
それぞれの国での言い方読み方っていうのはまた違うらしいんですけど、
日本史として今話をしているので、日本史上の言い方にしています。
文化とかっていう意味では、
半島や大陸からの影響を、さっきの仏教伝来もそうですけども受けてきていたんですけれども、
そういう意味では外交関係というのはあったんですけれども、
対外戦争に関わっている例としては日本史上初なんじゃないかなという印象。
白村公は以前から朝鮮半島との関わりの中で、
求められて兵を出したりみたいなことはあったと思うんですけれども、
象徴的に出される名前っていうのも一連の流れの中の象徴としての
白村公の戦いかなという認識でおりますというところでピックアップしています。
飛鳥時代ぐらいまでくるとそれなりに、
僕が選んだ三つはこの三つでしたけど、
15:00
例えば三つじゃないにしても、
作家さんだったらこれ選んだなみたいなのも出てくるかなっていう時代に入ってきたかなと思っているんですが、
どうですか?
でもそのあたりが印象はありますよね。
割とやっぱり聖徳祭祀そのものの存在とか大化の戒心って、
さっき言い忘れたけど、大化の戒心から日本の元号が始まるので、
大化元年が始まるので、
そういう意味でも象徴的、大事な要素にもなるかなと思うし。
白村公は捉え方として、
そんなことより内政的にこういうのがあるんじゃないっていうのがあるって思われる方もいるかもしれないけど、
最初のっていうイメージがあったので、
最初の海外戦争みたいな印象があったので入れてみましたっていう感じかな。
そうですね。
続いて奈良時代ですね。
奈良時代はちょっとピックアップどうしようかなって思ったんですけど、
ここは僕は案外人物を選んでなくて、
まずは平城京銭湯。
そしてここもあえて3つにしようとしたので無理矢理なんですけど、
喜喜不動喜万葉集っていうふうにまとめました。
もう一つが今年年始財宝ですね。
平城京銭湯はまさに奈良時代の始まりを表すものなので、
今の世でも悠久のこと、奈良みたいなことを言われるように、
厳密に言うと平城京とか平安京以外にも銭湯されたときはあるので、
これだけが都・朝廷というものでもないんですけれども、
象徴的に大きい存在でもあるので、平城京は入れてみましたよっていうのと。
喜喜不動喜万葉集って表記をしてるんですが、
喜喜っていうのは、「言辺に己の喜」と「意図辺に己の喜」で書いていて、
古事記と日本書記をまとめて言うときの表現ですね。
ですのでこれは、神話から歴史ぐらいの感じの書物。
そうですね。
不動喜は知性学というか、各地の文化とか風習みたいなことについて書いてるもの。
万葉集は和歌、歌の歌集という言い方がいいのかな。
これもよく、間違いなく日本最古なんだと思うんですけれども、
世界的にもかなり古い例のように聞くことがあるかなと思います。
18:03
あとはあれですね、令和っていう言葉の由来が初めて、漢文というか漢語からじゃなくて、
日本の書物から取られたということで、
それが万葉集から取られたっていうのも話題になりましたね。
令和が発表されたときのことですが。
で、今年年資材法は、さっきに出てきた17条憲法について法律に関するものなんですけれども、
これは単純に名前の響きですね。
やっぱりちょっと、さくやさんが先月でしたか先々月でしたか言いたくなる言葉っていうのを出してたのに近い。
法律的に言うと、自分で開墾した土地は永久に個人の土地になりますよっていう意味合いの法律ですね。
っていうのが奈良時代。
文化としてはね、幸福寺とかそういうものもあって、仏教文化もねかなり花咲かり。
まあまあ飛鳥時代からありますけど。
奈良にお寺が多かったりとか、そういうのが今にも残っているののもとは平城京の時代のものかなと思うんですが。
奈良時代についてはいかがですか、思うところというか。
そうですね。その3つのキーワードが、地域、文化が伝わるものと、歴史が伝わるものと、それから最初が都でしたっけ。
きちんと押さえてて、あと法律っていう押さえ方がすごいちゃんと測れててすごいなぁと思って聞いてたんですけど、
コンデンエネ資材法に行くんだなと思って。
あーもう本当にこれは名前の響きですね。
大法律令のほうが大きい。そっちかなと思っていたら。
あーなるほどなるほど。
大法律令は大法っていうのが年号ですよね確かね。
そうですね。
え、そうでしたっけ。あれ、ごめんなさい。
違うかな。
ちゃんと調べたほうがいいですね。
そうですね。
大法元年ですね。
割とこれは全体的な、憲法まで言うと大げさだけど、
日本で初めての体系的な法律っていうことなので、
国家体制なんかにも記載があるってことになるのかな。
そうですね。
あと権力とか中央の官政?何々省みたいなものがあったりとか。
このときから大蔵省があったという印象にあるので。
21:05
そうですね。そういう意味ではそっちかもしれないですね。
まあまあ四通でもいいんですけど。
いえいえいえ。
そんな感じの奈良時代で、今回の最後は平安時代。
平安時代はまさに藤原氏の時代かなという印象でして。
三つ挙げたのも、今までの対価の改審とか、
今年年取材法みたいなキーワードばかりでもない構成にはなってしまったんですけど、
一つ目は城兵天行の乱を選びました。
これ難しいので後でちょっと解説します。
二つ目三つ目は、言葉としてはこういう用語があるわけでもないのかなっていう感じになる、
藤原氏の流星と平氏の聖水というふうに表現しました。
一つずつ見ていきますと、城兵天行は両方年号なんですけれども、
城兵の乱に当たるのが平野政門の乱、
天行の乱に当たるのが藤原住友の乱ということで、
比較的大きな政治的な反乱ですね。
平野政門のほうに関して言うと、関東で、
朝廷の支配から脱した状態で、いわゆる独立戦争みたいなニュアンスだったのかなというふうに僕は思ってます。
藤原住友のほうは、都に近かったのでそういうニュアンスはちょっと違うかなとは思うんですけれども、
こちらも大きな反乱、空出たみたいなものがありました。
これは二つセットで覚えたほうがいいのかなと思ったので、
平野政門の乱というふうにしないで、城兵天行の乱というまとめ方にしました。
城兵天行の乱というまとめた正式な言い方です。
冒頭にも言ったとおり、藤原市の流星がまさに花開いていた時代かなと思っておりまして、
藤原市の流星って表現にしましたが、
人物をピックアップして言うなら僕の中では藤原道長かなと。
人物として挙げるならばね。
外籍関係をつくっていって、発言権を強めていってということをやって、
藤原市自体はね、飛鳥時代に出てきた中富の鎌子が藤原政を受けたところから始まっているので、
飛鳥なら平安と三つの時代にわたって大きな存在であり続けたんですけれども、
24:02
特にこの時代に花が開いていて。
この番組の中では前々回ですかね、大河ドラマの話の中で、
再来年が紫四季部が主人公という話もありましたので、そんな時代だったと。
紫四季部であったり、清少納言であったりという人が現れたりしている時代と。
そこには藤原道長もまあまあ密接に関わってきているということで、大河ドラマも楽しみですし。
そういう時代であるということは、
作家さんがこの番組でも紹介してくれてる百人衆の過人たちが多く生きていた時代ともいえるかなと。
実際の話、作人衆でいろんな方が取り上げていただいていて、鎌倉時代とかまで入ってくるんですけれども、
個々の人物について説明もしてくれてるので、
わりと平安時代のことは、この番組を聞いてるとイメージが多少なりともあるのかなという気もしております。
最後が兵士の精髄。
この言葉でまとめたのは、実はこの中身が、
保元の乱、平治の乱、断の裏の戦いっていうのをどれ一個って選ぶのが難しいなと思ったので、
こういうふうにまとめたっていうのが実情です。
なるほど。
保元の乱っていうのは武士同士の争いっていう形で、保元の乱っていうのは先にあって、
この時は、
ちょっと個々の名前は僕は今は覚えてないんで言えないんですけど、
敵にも味方にも、幻治も兵士もいるよっていうような状況だったんですね。
その次の平治の乱、平に治めると書いて、平治の乱の時は、
保元の乱で勝ったほうのチームの幻治と兵士が対立して戦って、
源義友が幻治型の大将だったんだけど、これが負けてしまって、
平氏の時代というか平の清盛が、
我が物顔で政治を取りしきるような時代になっていったんですが、
さっきの負けた源義友の子供寄り友や吉津根の活躍で、
弾の倶楽の戦いというところで平氏が滅びていくというような流れになって、
来週話す話に続いていくような流れになっていくんですけれども、
平安時代について。平安時代ってわりと長いし、
文化の面では非常にいろんなものがある時代でもあるので、
話したいこともたくさんあると思うし、
僕はさっき奈良時代のほうでは、文化とか法律とかも抑えたのに関しての逆で、
27:00
ここはわりと人物をピックアップしたチョイスにしたかなっていうのも自分でも思ってるんですが、
逆に言うとさっき言った百人一首みたいなものも含め、
平安時代っていうのはわりと作家さんも好きな要素がふんだんにあるのかなという気もしてるんですが、
どうでしょう平安時代。
平安時代一番日本らしい文化っていうものが出てきたっていうイメージがあります。
国風文化とかもそういう時代ですかね。
国風文化始まりはもうちょっと前なんですけれども、
県都市を廃止してしまってから、余計に日本の独自の文化を作っていくんだっていうのが出てきた時代だなっていうイメージがあります。
だからそういうのがあるから安定してるっていう意味で言うと、
この後出てきますけど、来週以降出てきますけど、ちょっと江戸時代と似てますよね。
外国の文化の影響をあまり受けないような状態を作っておいて、安定した政治体制みたいなのがわりと長く続くっていう意味で言うと似た要素があるかななんて気もしますね。
文化が花盛りな感じがするのもちょっと似てる気もしますね。
ちなみに人物的に言うと、この時代の人で特にこれとかいます?
この人って言うと、やっぱり道長になってしまいますかね。
あと文化面的なところとかでもそうですけど、先に村崎志君とか名前出しましたけど。
っていう感じですかね。
わりとやっぱり時代が進んできて、縄文時代では当然人の名前は一人も出てこなくて、弥生時代もね。
名前もちらっちらと出しましたけど、ほぼほぼ弥生一般的には。
っていう時代から比べると、今の説明だけでも平野政方、藤原住友、藤原道長、源義友、平野清盛ぐらい名前を出してるので、
随分やっぱり歴史っていうものが人が動かしてる感じになってきたかなというふうな印象がある。
最後のほう、僕挙げたのは藤原道長は貴族ですけど、藤原住友も貴族ですかね。扱いというか。
住友はどうでしょう。
わからないですよね、これね。
でも一応任官官位があるので、受護院の下になってますから。
藤原北家の藤原戸夫の孫とかなってますね。
貴族、海賊っていう表記にユースペディア帳はなってます。すごい並びですけどね。
30:04
そうですね。
ということなので、藤原住友は貴族ですけれども、藤原道長も貴族ですけれども、
平野政和と平野清盛、源義友、頼朝義経と、割と武士の名前がたくさん出てきた平安の終わりの方の話を中心にお話ししたかなというふうに思います。
はい。
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