1. しゅらの"今ここ"ラジオ!
  2. #70 わたしというアート 前編
2023-09-30 18:16

#70 わたしというアート 前編

コンセプトはアート(Art)/ワルイコあつまれに出ていたロボットクリエイターの古田貴之さんの話/ロボットクリエイター古田さんが持つ体に対する価値観/

身体はレンタル品/量子力学の研究をしている人は仏教に惹かれている/心臓の鼓動やお腹の動きは自分では止められない/ヨガを通じて実感した事/

ヨガのポーズは目的ではなく手段/野球選手イチローさんが辿り着いた境地/自分の身体ではなく、身体さんと捉える/身体さんと対話しメッセージを聴く/

わたしというアート/広告代理店の社員から聞いたEarth(地球)の語源/

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サマリー

今ここラジオでは、アートについてお話しています。古田孝行さんが出演されているNHKの番組で話が始まり、自分の体を借りているという意識やヨガを通して自分の体を知ることの重要性について語られています。

アートの話
こんにちは、しゅらです。
本日のしゅらの今ここラジオは、久々にですね、部屋で収録しています。
いつもね、車を走らせながら、思いついたことをつれづれになるままに話しているんですが、
今日は珍しく、メモを見ながら喋っていこうと思っています。
今日はね、アートの話ですね。
アートそのものじゃなくて、今日の配信のコンセプトとしてはアート、芸術ですね、の話になるかと思います。
そんな感じかなと思って聞いてもらえればと思います。
まず、そもそもこれを話そうと思ったきっかけというのが、NHKの悪い子集まれという番組があるんですけども、
子ども向けの教育、いいテレでやっている番組で、しんごちゃんと草薙君と五郎ちゃんが出ていて、
子どもの記者がゲストにインタビューする形式というので進んでいくんですが、
今回のゲストはですね、ロボットクリエイターの古田孝行さんという方が出られていたんですね。
四足歩行の犬みたいなロボットを開発されていて、絶望ロボットという名前なんですけど、
ただ顔がなくてですね、かつカメラもなくてですね、
カメラもないけど障害物を階段みたいなところを登ったり、落ちたら受け身を取ったり、
転んだら立ち上がったりするロボットを作ったそうなんですね。
カメラがないのに。
それをどうやって作ったかというと、仮想空間で同じ絶望ロボットと同じ形のロボットを4000体、
仮想空間なんでコンピューターの空間で4000体作って、そのロボットに繰り返し学習をさせて、
コンピューター上で2万世代進化させて、その動きをロボットに還元して、
2万回進化といっても時間的には計算というかコンピューター上でやっているのでそんなに時間はかからなかったらしいんですけど、
それを戻したらすごい動きをするロボットが生まれたと。
自分の体との関わり
実際古田さんもどうやってこの動きを覚えたかとかはロボットが分からないらしいんですけど、
ロボットのクリエイターだからガチガチの科学者、ロジカルな人なのかなって思うじゃないですか、普通は。
でもそうじゃなくて、そうはそんな感じじゃなかったですね。
子供からの質問の中でお金を儲けたくないですかみたいな話ができる、もし儲けられるなら儲けが多い方がいいんじゃないですかって質問のときに、
彼は自分の体は借り物なんだよ、レンタル品なんだよっていう話をしたんですね。
自分の体でさえレンタルされているものなんだから、お金が欲しいとかそういうことにとらわれずに自分の借りた体でできることを全うしたいっていうふうにおっしゃってたんですね。
先ほどガチガチの科学者かなっていう話もしたんですけど、最近というか、養子力学とかそういう科学者の話を聞くと、最先端でやってる人は結構ヨガとかベーダとか仏教で語られていることと同じようなことを言ったりする人がいます。
なのでふっとたかやきさんもそういう捉え方で世界を見ているのかなと思ったんですね。
彼は自分の体は借り物だと思っている。
どうせ彼は何歳なんだろうな、50歳なのか60歳なのかわからないですけど、年はそれぐらいで、あと50年もしたら土に帰ると。
ということはふるたさんの体は地球から借りているものなんだからっていう話をしたんですね。
借り物、レンタル品っていうイメージというのは、私もまさにそう思っているんですね。
その教えに出会ったのは今やっている奈良ヨガで行ったときに、奈良ヨガのご案内者である奈良さんに教えてもらったんですけど、
結局ね、自分の体は自分の体だと思っているけど、体のことをどれだけ知っていますかというような問いかけがあって、
結局ね、自分だと思っているけど体は自分のものじゃないんだよっていうようなことをおっしゃっておられて、
最初はちょっとピンとこなかったんですけど、ヨガをやっているうちに、結構わりと確信に近い形で、
俺は体は借り物なんだなと思っていますね。
なぜそう思うかというと、呼吸ですね。呼吸だったり心臓の鼓動っていうのは、自分で止めようと思っても止められないし、いつ始まったかもわからないし、
なので、やっぱり自分ではコントロールしようと思っても、完全にコントロールすることができない力っていうのがみんなの体の中にも備わっていて、
そのことをヨガを通して実感していったんですね。
だからヨガをやっている他のヨガにも全て共通すると思うんですけど、ヨガっていうのは自分の体をどう捉えるかっていうところだと思います。
ナーラヨガはシンプルなポーズが4つしかないんですけど、他のヨガも含めればいっぱいポーズがあると思うんですよ。
ただそのポーズが上手いかどうかとか、綺麗かどうかっていうのは、基本的に二の次というか三の次というかヨガのメインの目標ではなくて、
そのポーズをすることによって自分自身の体さんを知る術に過ぎないんですね、そのポーズっていうのは。
だから自分の体の動きだったり、部分だったり、どうやってどういう構造になっているかっていうのを知る術に過ぎないんですね、そのヨガのポーズ、アーサナですね。
なので、僕はそれを陸上とか競技スポーツをやっていたので、深く実感することになったんですけど、
体の部分というか体をどう意識するかでパフォーマンスってすごい非常に変わってくるんですよ。
体、たまによくわからないけどパフォーマンスは出せるっていう選手はいると思うんですけど、
レベルが上がっていくにつれて、やっぱり自分のパフォーマンスを観察できる能力がないとなかなかやっていけない。
トップレベルでは残っていけないっていう世界にどのスポーツも恐らくなっていってるんじゃないかなと思います。
そういう意味で、タメセイ大さんとか一郎さんとか、そういった選手がですね、体をどうコントロールするかではなくて、
私というアート
自分の体のすべてを知れば、おそらくその人の体にあったパフォーマンスっていうのが発揮できて、
いい成績を残せるっていうようなことをやってるんだと思います。
実際に一郎さんのインタビューを見たときに、一郎さんは試行錯誤されていて、
現役のときにオフシーズンにすごい筋トレをしたらしいんですね。
筋トレっていうのは、ウェイトをつけてウェイトトレーニングをしてた。それでシーズンに入ると。
そうするとシーズンの序盤は全然合わなくて、体の動きが合わなくて、全然結果が調子が乗らないと。
だんだん慣れてくるとウェイトトレーニングをやっぱりシーズン中減らすので、慣れてくると成績が噛み合ってきて、
自分の意識と体の状態が噛み合ってきて、パフォーマンスが残せる、結果が出るということに気づいたと。
だから僕は回り道したけど、結局自分の体のバランスっていうのがあるから、
もちろんウェイトトレーニングをした方がいい選手っていうのは必ずいると。
ただ自分のバランスがあるから、みんながみんなウェイトトレーニングで重りをつけて筋肉をつけてっていう風なやり方が万人にあるとは思えないっていう風なことをおっしゃってて。
一応まさに試行錯誤しながら現役時代にその答えにたどり着いて、それと違う方法でトライして結果を出した選手だと思うんですけども。
それだけ自分の体がどうなっているかっていうのを知ると同時に、スポーツ選手であれば自分の体をどうレベルアップしていくかっていうのを考えないといけないということで、
あえて客観的に見るっていう意味でも自分の体さんという風に体を別の軸で捉えるということは非常にいいことなんじゃないかなと思っています。
じゃあ、体を別の軸で捉えればずっとパフォーマンスが上がり続けるかっていうとそうではないですよね。
体っていうのは必ず衰えていきます。
一応僕が体育大に行ってた時の知識で言うと、20歳が成長のピークで、基本的には筋肉的にはそこから衰えていく。
使わなければ衰えていく。使っても基本的には維持する。
10代は使わなくても成長するという教えを受けていたんですけども、結局体は衰えていきます。
衰えてきた時に自分の体を観察したから衰えが克服できるかというとそういうことではないと思っています。
ただ、自分の体と対話して意識して生活していくと衰えていく体から必ず体からのメッセージが発せられていると思います。
それに沿っていけば必ず次に進むべき方向というのがわかると私は感じています。
最初にこのポッドキャストのテーマはアートというような話をしたと思うんですけど、
どこがアートなんだというようなことを言われるのかもしれないんですけども、
今言っていたように自分の体さんは自分ではないということを言っていましたが、
そこから私は私というのはアートだと思っています。
自分自身の体も含めて自分、私だと思っているもの、複合的なものはアートだと思っています。
ちょっと余談になるんですけど、僕は就職活動をしている時に最初は広告代理店に入りたくて、
広告代理店で働いている方の声というか、OB本門みたいな形で話を聞いていたことがあるんですけど、
広告代理店の人って発想が豊かというか、クリエイターが多いので、
普通のOB本門ってよくわからないですけど、広告業界以外に行ったことがないので、
広告の働いている方の話を聞くのはすごい楽しかったんですね。
そのうちの一人から聞いたことでちょっと印象に残っているのは、
地球、地球って英語でEarthですよね。
Earthの語源って知っている?みたいなことを言われて、それが本当かどうかは別として、
Earthってスペルで言うとE-A-R-T-Hなんですね。
Eがエデン、天国という意味ですね。
最後のHがヘル、地獄ですね。
そうすると、天国と地獄に挟まれたアートであるというような話をされていたんですよね。
地球というのは、まさにちょっと書いてみてもらうとわかると思うんですけど、
英語でEarthって書くと、地球って書くと、エデンとヘルに挟まれたアートであるということもわかると思います。
ですので、地球がアートであるということは、地球から送られてきたというか、
地球にルーツのある私たちの体さんというのはアートであり、
自分、今生きていることというのはアートなんだと思っております。
なので、これからも私は私という最高のアートと共に生きようと思っています。
というところでアートの話をしてきたんですけども、
私という最高のアートとどういうふうに関わっていったらいいのかというのは、
ちょっと長くなったので後半に分けるという形で、
ここで一旦今日の今心中は終わりたいと思います。
聞いてくださってありがとうございます。
後半は私というアートの関わり方ということで、
次回お話しできればと思うので、次回もぜひ聞いてください。
よろしくお願いします。バイバイ。
18:16

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