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2020-02-19 1:40:54

58. 塚原さんと最高に楽しいゲーム開発の話。

塚原さんとゲーム開発やメガドラについて話しました!

チャプター

  • オープニング
  • 塚原さんの自己紹介
  • 当時のゲーム開発について
  • ヒューマンやトレジャーでの開発について
  • 開発裏話、大変だった、楽しかった話
  • プレイする側としてのゲーム
  • Podcastの告知
  • ゲストからの告知
  • エンディングトーク

ゲストからの告知


FORTEからの告知


関連リンク

00:01
aozora.fm 第58回目。第58回目は、ゲストに塚原さんをお迎えしております。塚原さん、よろしくお願いします。
それでは早速なんですけど、自己紹介をお願いいたします。
P4match株式会社の代表をやらせていただいてます。塚原と申します。
昔はゲーム開発をしていたのですが、今はウェブサービスの方に携わっております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。塚原さんとは、テックフリーというテック系フリーランスが選ぶ、最近のKindle Topicsというポッドキャストがあるんですけども、
塚原さんがそのテックフリーというポッドキャストに出演されていて、その回を僕が聞いて、元ゲーム開発者の人すげーってなって、ちょっと興奮した感想を書いて、
それをきっかけにレッスンから、ぜひ青空FMでゲームの話をって形で、ちょっと知り合いにならせていただいたって感じですよね。
興味を持っていただいてありがとうございます。
こちらこそ、もう非常に有名なと言いますか、ファンが本当好きな、ファンは本当そのゲームが本当好きな、ゲームが多いっていう伝説のタイトルだった。
支えられた会社でしたね。
っていう感じだったんで、非常にテンションを上げさせていただきました。
ありがとうございます。
で、一応そんな感じで知り合って、ゲームの話をしようって感じなので、今回はその塚原さんが以前担当というか開発されていた、
ゲーム開発周りの話だったりとか、ゲームそのものについてちょっとお話ができればいいかななんぞと思っております。
で、そのテクフリで僕が聞いて覚えていた、そのゲーム会社の話が株式会社トレジャーっていう会社さんだったんですけど、
っていうトレジャーさんで会ってましたよね。
そうですね、はい。
で、トレジャーさんでゲーム開発を始められたんでしたっけ?
トレジャーさんは2社目で、1社目がヒューマンっていうプロレスだったりとかサッカーが有名な会社でしたね。
ファイアープロレスリングとか作ってた会社ですよね。
そうですね。
はいはいはいはい。
なるほど。
フォーメーションサッカーって感じですかね。
はいはいはい。
今ちょっとウィキペディアを見てるんですけど、作品の一覧を見てるとセプテントリオンとかゲームがあったりして。
それは僕の同期が作ってましたね。
あーなるほど。
同期の方、まだ会社にいた時にその同期の方が作られてたって感じですかね。
03:06
そうですね。会社にいた時というか、もともとヒューマンってゲームスクールの走りというか、一番最初にゲームスクール立ち上げてて。
僕その2期生なんですけれど、そこの同期がスクールの時期から企画立ち上げてプログラムして、
多分会社入社したくらいに完成してるのかな。入社する直前くらいに完成してるのかな。で、発売がヒューマンからっていう感じで。
じゃあスクールの時に企画を作って開発をしてっていう。
そうですね。
ほー。じゃあ何だろう。専門学校の卒業政策みたいな。
そうなんですけど、それをもう販売してるっていう。
へー。いやセプテントリオンかなり完成度高かったと思う。
優秀なメンバー5,000人当たりなんで。
今あるゲームスクールって、必ず卒業政策作ったら何か発表会みたいなのをやったりっていうのが普通だと思うんですけど。
まだ僕らの時は一応卒業政策やるんですけれど、チーム政策やるにしても優秀な奴らで集めて、そうじゃない奴らが好きにやれるくらいな感じで。
質問差があって、その代わり集めた1日チームの作品は商品にするぞみたいな勢いで。
学校とかに言いながら、お金もらいながら優秀な人材を雇用するための仲。
よくできた仕組みだったかな。
妖精機関みたいな。
妖精機関にお金がもらえるっていういい学校だったなって。
確かに。
その優秀なチームのメンバーが作ったのがセプテントリオって感じですね。
ちなみに津久原さんは何を?
全然何もやってない。
世の中から出てないかもしれないですけど。
ピーチクパーチクが課題だけをこなした作品作って終わりましたね。
なるほど、なるほど。
今ヒューマンの作品リスト見てたらガチャポン戦士2カプセル戦記っていうガンダムのゲームとかも作ってたみたいなんで。
後の方ですかね、僕が辞めた。
でも89年って書いてあるんで結構最初の頃かもしれないですね。
逆に僕らが入った時くらいかな。
そうですね。
意外とガンダムのゲームを作ってるんだ、あと筋肉マンとか。
プロレス関係があったせいで筋肉マンのプロレスのソフトも確かファミコンで出してるんですよ。
なのでバンダイとの繋がりは結構あって、ウルトラマンファイト作ったりとか。
06:00
資本的には繋がってないけど意外とバンダイのキャラクターゲームを作ってたりとかはしてた流れあったんですけど。
実は僕ヒューマンのファンでヒューマンに行ったわけじゃなかったんです。そんなに苦しくはなかった。
いやでも分かります。学校からだと結構ありますよね、そういうの。
そうですね。しかも僕が学校に入った理由が、僕は栃木の片稲川出身なんですけど、
高校卒業するときに大学行って4年間遊んじゃうなって思って行くのもやだったんですけど、
来年就職もちょっとやだなと思ったときに、
ゲーム雑誌見てたら、君もゲームが作れるようになるっていうところの学校の募集の住所が吉祥寺だったんですよ。
東京行けるなと。
ゲームは好きで遊んでたんで、とりあえず親には僕はゲーム作りしたいんだって言って、
なんとなく東京に行ける道に逸れてったというか。
じゃあゲーム好きな少年学生時代を過ごしてきて、
ただじゃあゲームどうやって作るのとか全然分からずに、それで東京に吉祥寺に行くと。
いやーなるほどなー、そっかそっか。
別にそれでゲームクリエイターになるとかいうビジョンすらなかったんで、
プログラムもなんもなく、ただなんとなく栃木にいるのは嫌だったなっていうか。
でもありますよね、その上京する、要は都会に憧れる的な、田舎はいやみたいな。
ありますよねー。そっかー、なるほどなー。
しかもその吉祥寺っていうのが、ろくでなしブルースの舞台でちょうど連載してて、
吉祥寺の説明はバッチリ聞いてるわけですよ。
あ、そうなんだ。
ジャンプの情報で、あそこにある学校なんだと思ったらつい、こう、いいかなって感じ。
そっかー。
ヒューマンクリエイティブスクールっていう学校は何年生だったんですか?
その時は1年生ですね。
あ、1年だったんですね。
で、みんな未経験、ほぼ未経験の人が来るんですけれど、
ですよねー。
半年で、半年、4ヶ月ぐらいかな。
で、一応プログラムも絵も音楽も一通り音は鳴らすとかドット絵を描くとかツールを使って。
なるほどー。
未経験の人は叩き込まれるんですよ。
はいはいはい。
で、後期になるとその中でどのクラスを選ぶっていう形で、プログラムコース、デザインコース、音楽コースみたいな感じで。
09:03
残りは、はい。
残りは、なんか。
もうその専門的なものを教わりながら、ほぼほぼ卒業に向けてものを作っていくっていう。
あー。
で、途中くらい。
まあそれでも最初1、2ヶ月やった時点で、さっき言ったように優秀な人たちを集めてチームにして。
チームにすると今度音楽チームもデザインチームもひっくるめてやるんで。
はーい。
本当に共同開発っていう形で。
で、僕なんかはそういう古いからは完全に落ちているんで、絵も音楽も自分でやって一つ、自分で作品ポテト作るので。
これもクオリティが低いという。
つらい、つらいですね。
それでも、スクールリソ、その時定員130人くらいだったんですけど、卒業したの多分30人加速ぐらいなんですよ。
結局その、みんな僕みたいな動機で入ってくるのが多くて、結局学校来ても目の前にある学習すべきパソコンのゲームで遊んだりとか。
東京に来て、東京にかぶれて学校に来なくなっちゃったりとか。
あー、はいはいはいはい。
あとは勉強してもちょっとプログラムが合わなかったりとか。
あー。
なので、そんなものでも形にしてるだけで僕まだ優秀な方だったんですよ。
なるほど。
そうですよね。学校って結構そういう、なんだろう、上から下までみたいな、ありますもんね。
ただ本当に優秀な人は本当に優秀すぎて、何やってるんだろう、こういったとか思いながら、自分ができるようになろうと思いましたけど。
当時、その半年、1年生の学校で半年でとりあえず手を動かせるようになるまでって話だったんですけど、
当時ってアセンブラバリバリじゃないですか。
そうですね。その頃は、
いきなり。
X6マーカスっていうパソコンで、6102っていうファミコンで使われているCPUのエミュレーターが走るようなものが学校で作ってて、
なので、我々学生は6102のアセンブラで組んでいくっていう話ですね。
うんうん。で、今みたいにいわゆる開発ツール、もっと今風に言うとゲームエンジンみたいななんて全然影も形もないと思うので、
本当に音楽もグラフィックも当然プログラミングプログラムもアセンブラで全部書く時代じゃないですか。
それ半年で全部ってめちゃくちゃすげえなって今思っちゃったんですけど。
12:01
ファミコンがすごくよくできた設計で、安く作るたびにVRAMとかメモリとかのアクセスの場数自体がすごい少ないんで、
覚えなきゃいけないところも少ないんですよ。
メモリ空間が広大で、ここには何でとか言うのなく、これやりたかったらここ叩けしかないんで。
メモリマップだけちゃんとマニュアルがあれば、よく使うのは覚えますけど、時々しか使わないのはそこペラペラめくれば大体分かるんで。
うーん。じゃあなんか音出したいとか絵を出したいとか絵を動かしたいみたいのは意外と決められた手順にのっとるというか。
そうですねはい。
へー。
いやなんかその当時から作りやすさみたいなのを意識してたのかどうかわかんないですけど、っていうのは任天堂すげえなってやっぱ思っちゃいますね。
そうですね。っていうか多分、作りやすく作ったというよりはコスト下げるために極力そういったものを省いて、省いた中でどれだけ表現できるかっていうのを多分頑張って設計してあるんじゃないかなと思うんですけれど。
うーん。
逆に言うとアクセスできるところがすごく少ないので。
あー。
アドレス的に結構、1からやってたら1万とか2万とかでアクセスしようとするとバンク切り替えだったりとか、1から100しか本来はアクセスできないんですけれど、
それを1バンク、1つのセッションと考えて、じゃあ200からアクセスしたい時には2のセッションで切り替えることで、今度はまた1から100のアクセスしようとするとセッションが100からなってるんで100から200がアクセスできるみたいな形になってて、
それをやるために両方のセッションに共通で使いたいものがあると、両方に同じデータを置かなきゃいけなかったりとか、そういった意味ではすっごく作りにくい日ですよね。
無人像にメモリ空間、メモリ空間って言ってるのも結構いろんな意味のメモリがあると思っていて、CPU、プロセッサーからアクセスできるメモリ空間だったりとか、ソフト、ハードとかカセットに保存できるメモリ空間だったりとか、
っていうのが多分いろいろあるんだろうなと今思っていて、CPUで処理できるメモリ空間っていうのが限られてるんで、そこに必要な分をロードしてきて処理をするんですけど、切り替えの時とかは、例えば町からフィールドに出るとか、
15:06
そういう時はバルクみたいなデータ領域を切り替えていろいろやりくりするみたいな、そういう涙ぐましい努力が必要な時代だったよね。
涙ぐましいどころじゃないとですね、多分CPU的には数メガビットぐらいしかアクセスできなかったと思うんですけど、後期には多分32メガビットロムのゲームとかも出てて、そこら辺も切り替えをガンガンしまくる、
涙ぐましいというか、無茶なゲームじゃないと売れなくなっちゃった時代だったんで。
いやー、そうですよね。ファミコンも結構息が長かったので。
しかも面白いゲームかどうかっていう判断が、ロムの容量が大きいゲームの面白い的な、大きければ大きいほど面白いみたいなイメージでみんな買った時代もあったんで。
プレステが出るぐらいまで何メガビットみたいなのがありましたからね。
ゲームの宣伝しろよって今なら思えるんですけど、あの頃は何メガビットのゲームっていうだけで宣伝になったんですよね。
たとえどんなクソゲーでも。
しかも売れちゃう時代でしたね。バブル崩壊した時代。
そうですよね。値段高くても全然売れてたんで。
すごい。だからドラクエ4、ドラゴンクエスト4とかってもう92、3かな?4かな?ぐらいなんですけど。
94まではいかないかな。ドラクエ4とかだと90?
91かに?
そのぐらいですかね。たぶん僕社会人になる前だったような気がするんで。
90年代かな?
ドラクエ1が86とかなんですよね。
僕中学生でした。
数年以内に3まで出てて、ちょっと空いて4だったんで、たぶん90入ってからだったと思うんですよね。
結構ドラクエ4の時点でサウンドとかがガリッガリにギリギリを攻めている感じのサウンドになっていて。
水山さんすごいですね。
今でも本当、いわゆるファミコン音源のドラクエ4の先頭を聞くと、すげえなって今でも思いますもんね。
僕今ドラクエウォークだけやってるんですけど、音楽ちゃんと生の音使ってやってるじゃないですか。
本物はこうだったんだなって思わずに、なんかファミコンのイメージと何も変わんないなみたいな。
18:06
ファミコンすごかったなっていう。
杉山光一さんが作曲したドラクエの曲って、オーケストラを念頭に作曲されてるので、
今そのふんだんにというか、贅沢にサンプリングした生の音でオーケストラの音を聞いても、やっぱファミコンの音といい意味で見劣りしないというか。
あのPSGの音なのになぜかそこはトランペットに聞こえるし、なぜかフードが聞こえるし。
なんか音色が違うんですよね。楽器が違う、表現されてる楽器の差があって。
あとはその複数のメロディーが重なったりしてるんですけど、ファミコン3音しかないはずで、
しかも効果音とか鳴ると2音しか鳴らなかったりするんですけど、そこでちゃんと鳴らす2音が、
人の耳が拾うメロディーをちゃんと残すように作られてる感じは、多分違和感の無さを作ってるんだろうなと思うと。
プログラム的に言うと3音目を必ず消すとかやってしまえば簡単に作れるけれど、
おそらくそんな風な作り方はしてないと思うんですよ。僕も内部の方ではわかんないですけど。
あれはすごいですね。
いや本当、あれ多分本当プログラミングもあったかもしれないですけど、
どっちかっていうと作曲の方がそういう効果を生んでいたと思うので、
いや本当すごいなって思いますよね。
やっぱりよくできたソフトは全員がすごいですね。
あー、確かに。
誰か1人かけてたら多分これできてないなっていうものが出来上がってますよね。
いや本当、当時のプログラマーとかやべえ人しかいねえみたいな。
本当。
いやー本当すごいですね。スクエアにいたナーシャ・ジビリとか、
ドラクエ作った中村小市さんとかもそうですけど、
あの辺のプログラマーは本当やばいですよね。
中村さんのインタビューとか読んでると、
思ってからコードを書き終わるまでの時間がどこにあったんだろうってくらいな。
あれ企画立ち上げたの4月で、発売が8月みたいな。
それでも論脈時間とか考えたら1ヶ月は、3ヶ月でどうやって作ってんだみたいな。
あれ任天堂のチェックも入るはずなんで。
あれやばいですよね。
本当上人じゃないって思いますよね。
自分もプログラマーで最低限はできてるつもりだけれど、
すごい人のレベルってなんて言うんですかね。上が見えないというか。
21:03
うーん。
本当、神業とかなんて本当。
雲上人みたいな。雲の上の人みたいな。思っちゃいますよね。
なんかね、中村さんが作ったドラクエみたいなレベル上がればみんな99までいけるのかっていうと、
プログラム絶対違うなみたいな。
そうそう。
本当、経験値得られる人の方が稀。
そうですよね。
そうそう。平気でみんな経験値が積めると思ってるけど、そんなことないからみたいな。
経験で積んだものじゃないですよね。
じゃないですね。本人は否定するかもしれないですけど、やっぱりセンスとかあると思うんですよね。
今、世の中にこんだけ出ればドラクエのワンでいいですよ。
機材も何もかも自由なものを用意してあげるから。
じゃあ1ヶ月で作れって言われたら。
絶対無理ですね。
困りますよね。
困る困る。たとえUnityとかUnreal Engineとか使っても無理ですね。
中村さん、しかもあの頃の6502でやっちゃってるんですよ。
ですよね。しかも当時のインタビューとか記録をひっくり返すと、ゲームバランスを普通に取ろうとしてるんですよね。
当時のドラクエ1って1対1の戦闘なので、敵の行動が結構後半だとワンパターンになってたみたいで、
殴るか殴られるかとか呪文を使うか使われるかみたいな感じだったらしくて、それを最後に全部作り直したらしいんですよね。
そうなんですか。僕それ読んだことない。
で、最後まで調整してて、だから相手を眠らせる魔法とか、魔法を封じる魔法みたいなのを敵が使ってきちゃうモンスターとかが生まれてきて、
最後まで気が抜けないというか、今で言うとちょっとバランス悪いって言われちゃうかもしれないですけど。
いやー、あの頃にしたらすごいと思うんですよ。
いやー、ほんとすごいと思います。
しかもあの頃はプランナーの調整をやり切ったのは。
あの時は本当、そうだからプログラマーが仕置きっているみたいな。
ドラクエで言うとホリー・ユージさんがいたんであれですけど、一人しかいなかったんで普通にプログラマーと仕置きってやってたと思うんで。
今でこそホリーさんもプランナーとしての大御所ではありますけど、あの頃に今みたく何でも聞けば答えられるほど確率はしてないはずなんで。
ドラクエ自体RPGとしては一作目ですからね。
そうですね。
それまではアドベンチャーというかテキストノベル的なゲームを作ってらっしゃるんで、全然違いますもんね。
24:05
それで一発目であれ作っちゃったのはやばいですね。
やばいですよね。
はい。
いやー、それより数年後の時代に松倉さんがゲーム開発されてたってことで。
そうですね。
いやー、なんかドラクエ話で盛り上がっちゃったんですけど。
一応その当時開発をされてたゲームの話をちょっと聞いていきたいかなと思うんですけど。
まずどっち?ヒューマンの話をしたほうがいいですかね?トレジャーの話をしたほうがいいですかね?
ヒューマンはあんまり面白い話はないですね。
一応さっきみたいな感じで、多分もう時効だからこれ使っても使わなくてもいいんですけど、
メガドライブが出たぐらいなんで、サードパーティー拡大するためにセガがいろんなメーカーに資本提供を持ちかけて、
そのうちの一つにヒューマンがあって、セガヒューマンというのを立ち上げようとしてたんですよ。
そこの社員として採用が決まって、学校卒業した後に入ったはずなんですけど、
ちょっと会社設立遅れてるからとりあえずヒューマンに入って開発してて、会社設立できたらそっちに移すからみたいな。
なんか今聞けば怪しさ満点じゃないですか。
入社した会社に入ってないってどういうことだろうみたいな。
ヒューマンに入りたかったんじゃなくて、セガのゲーム作れるから入ったのに、
でもヒューマンでメガドラの開発するんだったらいいかみたいな。
できるまでの間っていうシーンみたいな感じで入ったんですよ。
1年ちょっとしたらですね、まだヒューマンにいるんですよ僕。
上司に会社っていつできるんですかって言ったら、もう無くなったよってあっさり言われてですね。
じゃあやめますみたいな感じでやめちゃったんですよね。
なるほど。その時作ってたゲームは別にメガドライブのゲームではない?
メガCDのシューティング1本と、やめたのは発売されなかったんですけど、
メガドライブにスーパーフォーメーションスタッカー作ってたんですよ。
あーなるほど。
そこで僕、スーパーフォーメーションは拡縮機能、回転機能があるからって、
フィールドが3Dで奥に走っていくっていうような表現してたんですけど、
メガドライブは拡縮機能とかないんで、
だけどその表現をメガドライブでもできるように、
ラスタースクロールとBGの書き換えとかを色々やりながら、
ちゃんと3Dでスクロールするみたいなのを僕担当して作ってて、
27:03
そういうのもちゃんとできてたんですけど、
そんな感じでやめた後に結局発売されてなかったんで、あれどうなったのかとか思うんですけど。
ちょっともったいなかったですね。
ファミコンよりも結構、スーパーミューよりもちょっと等身高くかっこよく作ってたんで。
メガドライブ、いわゆるスーパーファミコンって、
ワイヤーフレーム的なものが使えたりとか、
拡大縮小みたいな、よくある四角いフィールドみたいなのが、
くるくる回転しながらちっちゃくなったり大きくなったりみたいなのが、
スーパーミューのお家芸というか得意な表現。
そうですね。スーパーマリオの、マリオカートのコースとか。
あったと思うんですけど。
メガドライブって確かに無かったですもんね。2Dが基本だったんで。
すごいですね。それをラスタースクロールとBG切り替えで。
それってだから、僕全然経験なくて、庭科知識で今喋ってるんですけど、
要は奥行きみたいなのを表現するってことですもんね。
そうですね。
だから、手前にあるような背景と奥にあるような背景を、
なんとなくスクロールと切り替えで、奥行ったり手前に行ったりみたいなのを
表現するっていう感じなんですかね。
技術的に言うと、パースをつけたフィールドのラインのデータを用意して、
奥に行く分にはセンターラインだったりとか、センターサークルとか、
あの辺のラインを手前に、画面で言うと下の方にスクロールさせていくと、
奥から手前に来るような感じに見えたりとかするんですけど、
左右やった時に、スーパーフォンイコンの場合には、
ただ傾ければ1枚のフィールドがそのまま行くんですけど、
メガドライブでそれやると、手前になると横幅広がっていくときに、
その横のラインがBGの範囲を超えちゃうんで、
その横に行った分を必要なラインのデータに書き換えながら、
ラスタースクロールで合わせていくみたいな、
ちょっと口で言うの難しいんですけど。
何となくハード側、スーパーミとかメガドライブ側で、
スーパーフォンイコンの場合はやってくれていた処理を、
プログラムの実装で再現していくために、
いろいろ計算して移動量とか見てやるみたいな。
なるほど、いやーすごいですね。
回転は使わないから大丈夫、できる処理でしたね。
30:01
サッカーは回転しないですからね。
傾きが拡縮だけでオッケーだったんで、
あれがマリオカートとかみたく、
コースが回転とかしちゃうとさすがに無理でしたね。
確かに。
なるほどなー。
それでメガドライブやれないんだったら、
やめますわーって言ってヒューマンやめて、
トレジャーに入った。
そうですね、ヒューマンやめて半年ぐらい遊んだかな。
あーなるほど。
別に次決めずに辞めちゃったんで、
特に思い出あって入った会社じゃないから、
ここで稼いだ金は全部使おうと思って、
ありがちな技術者はアウトドアが弱いからって言うんで、
よくバイク乗ったりするじゃないですか。
なるほど。
そんなノリでちょっと免許取ってバイク買ってみたいな、
したんですけど、
そしたら半年しないくらいに、
あのガンスターヒーローズが発売されたんですよ。
うーん。
これはすげーなと思っちゃって。
当時メガドライブの、
メガドライバーってwikipediaに書いてありますけど、
メガドライブファンの間ではだいぶ話題になったゲームでしたもんね。
ほかのゲームが見劣りしまくったぐらいに、
雑誌の上で結構久々にワクワクさせていただいたというか、
うーん。
そんな感じだったんですけど、
トレジャーってコナミから独立して、
少ない人数で始めた会社だったんで、
あーそうなんですね。
求人とかやってなかったんですよ。
うーん。
だけどなんかもう僕そのガンスター気に入っちゃって、
会社には連絡取れないし、今みたくネットもないんで、情報ないじゃないですか。
ないないない。
なので、ゲーム雑誌の編集部に電話して、
僕はもともとゲーム開発の経験者で、
真面目に応募しようと思ってるから連絡先教えてくれって言ったら、
ダメって言われてw
逆に当時としては珍しいぐらいの情報意識というか、
そうですね。
当時だったら普通に教えそうだけどみたいな。
教えてくれなくて、
ただそういう人がいるのだけは伝えといてあげるよって言われたら、
なんか面接してくれることになって、
へーすごい。
連絡いただけて、
で、とりあえず入れてもらって、
3ヶ月ぐらい使用期間もらうけどいい?みたいな感じで、
もらいながら入ったって感じですね。
それでTREASUREに入って、
33:00
メガドライブでゲーム開発を始めたっていう感じなんですかね。
そうですね。
その前のサッカーとかも含めて、
結局メガドラ系の開発をずっと続けてたんですね。
なるほど。
当然その時もアセンブラでコードを書いてたんですよね。
そうですね。メガドライブは68000のアセンブラですね。
なるほどなー。
いやーアセンブラ書いたことがなくて、
だいたいどんなイメージかっていうのはあるんですけど、
いわゆるメモリからのロードだったりとか、
あのコードがグラフィックだったりサウンドだったり、
いわゆるスクロール的なプログラミング的な挙動になるのが、
今もエンジニアとして働いている今でさえも、
なかなかイメージがわからないですよね。
スクロールとか絵を出すのは意外とイメージは、
それこそRGBで一度と表現するのに、
RGBのそれぞれデータを持って、
そのRGBのデータが複数固まれば画像になるんで、
それをVRAMに、
ROMにあるデータをVRAMにコピーしまくれば、
表示されるっていうような、
ちょっと大雑把に言うとこんな感じで。
音楽は、音楽のデータを流すアドレスが、
例えばアドレスの1万とかにデータを入れれば、
数字によって音が鳴るみたいなところがあって、
そこにタイマーで一定間隔で呼ばれるプログラムがあるんで、
それをデータから送り込んでいくみたいな感じになるんですけど、
そうすると一定のタイミングで音のデータを送るから、
それに対しての音が鳴るっていう。
言われると確かにって思うんですけど、
ほんとすげえなって思っちゃいますよね。
逆にそれしかなかったんですよね。
そうですよね。
今みたいにそれこそマウスとかで、
ここで音を鳴らすみたいな、ある種RPG作るじゃないですけど、
みたいのでやれる時代じゃ当然ないので、
いやーすげえなっていう感じがありますね。
企業ごとではあると思うんですけど、
その辺のデータを作ったりとか、
音を鳴るイベントを作ったりするのは、
ツールを作って多少は人の手にやりやすいようなツールを作るんですけど、
36:04
多分あの頃は共有化してるようなツールがなくて、
どこの会社もオリジナルのものを持ってたというか、
だからここの会社の効果音がすごいとか、PCMがすごいとか、
会社ごとの色が出てた時代ではあったなと思いますけどね。
逆に言うと全部がすごい会社ってないじゃないかな。
あー確かに。
スーパーファミコンとかで聞いたことあるのは、
スーパーミのコントローラーを使って、
音の配置とかを決められるような、
作曲支援ツールみたいなのがあったみたいな話は聞いたことあって、
あーなるほどなーなんて思ったことがあったんですけど、
いやーそうですよねー。
当時もツールなんて自分たちで整備するしかないから、
まあ損なりますよねー。
それじゃあなんか音楽じゃなくて、
ゲームのマップ?背景とかのそこら辺をマップを組むのなんかは、
その実機上で動いて、デザイナーがコントローラーでそのマップを組んで、
っていうようなツールがあったりとかしましたね。
へー。
いやなんか、ガンスターヒーローズとか、
今見てもめっちゃドット綺麗というか絵綺麗ですもんねー。
もうあのデザイナーは天才としか言えない。
あの、ガンスターはガンスターは綺麗なんですけど、
あの悠々白書ってあるんですけど、
悠々白書の場合はキャラクターがいるので、
キャラクターだけでもあの4人同時とかであるんで、
実際には4色欲しかったりするんですけど、
実際3色なんですね。
そのパレットって呼ばれるその自由に使える色が。
キャラクターにも色を使いたいんだけど、
背景にも色を使いたいから、
普通の作り方をすると、
あの背景はこの16色のパレットで描いて、
キャラクターはこの16色を3本で、
合計64色使ってみたいな感じで作ったりするんですけれど、
もう鬼畜でキャラクターに3,4色しか使っちゃいけなくて、
逆に背景は12色しか使っちゃいけない、
11色かな?しか使っちゃいけなくして、
描いてあのクオリティー出してるんですよ。
あの、もう意味がわかんないですね。
本当そうで、今普通にグーグル画像検索とかで、
悠々白書魔境統一戦っていうゲームのタイトルで検索をすると、
今いった制限なんてみじんも感じないんですよね。
しかもこれ動いちゃうと、
あの全く気にならないんですよ。
はいはいはいはい。
39:00
さらにパソコンで見ると多少ドットとか見れちゃうんですけど、
あの頃はメガドライブで、
しかもテレビに映して遊ぶわけじゃないですか。
うん、当時ブラウンカーで。
ブラウンカーなので色が結構にじむんですよ。
メガドライブは色がにじんで汚い、
見にくい、発色が良くないってよく言われてたんですけど、
もうにじむの前提ドット置いてるんで、
にじんでるから滑らかに見れて綺麗っていうのを、
その人やっちゃう人なんで、
逆に今パソコンで見ると、
なんかよく分かんないとこに変な色が入ってるなっていうのも
ところどころあったりするんですけど、
これがブラウンカーで見ると、
すごい綺麗に見えるんですよ。
いやーすげー。
確かに今言われてみたら、
なんか床のその表現だったりとか、
結構キャラの、なんて言うんですかね、
多分影だと思うんですけど、
結構きつめに描かれてたりしてて、
でもこれが結構にじむとそれっぽく見えるんだろうなーとか、
それがやばいとしか言えない、
ポケモンが好きだって感じなんですけど。
いやーすごいっすよねー。
理屈で置いてるドットじゃないなっていう感じはしましたね、見てて。
だからドットでそのキャラを再現するとかじゃないんですよね、
その発想というか。
なんて言ったらいいかわかんないですけど。
3つのドットで5個ぐらいの情報が人に入ってくるみたいな。
ここでこの、あえてこの色にしてるのはこういう意味があるんだみたいな。
そうなんですよ。
ちゃんと見ちゃうと、あれなんかゴミっぽいぞって見えちゃうんですけど、
ゲームやったら逆にそれがなんかの光に見えたりとか。
いやーほんと1ドットのこだわりですよね、まさに。
逆にブラウン管だったりメガドラの発色とか、そういうダメだからこそみたいな。
わかる。制限を逆手に取るみたいな。
いやー当時はすごかったっすよねー。
残念ながらこれメガドラの後期だったんでそんなに売れてないはずなんですよね。
あーそうなんですね。
遊白ですか?
はい。
あーそうなんだ。
なので後からすごいプレミアムついちゃって。
でも僕もメガドライブ自体を僕が子供の頃持ってなかったっていうのもあって、
やったことはないんですけど、
結構あのゲーム番組みたいなやつとかで、
なんかなんだろうな、声優さんがプレイするみたいなのであったりしたんで。
良い子の。
はいはいはい。
ゲームセンターDXとか、あれでも出たりとかしてましたね。
42:03
トレジャーに入ったときはこの辺りのゲームの開発もやられてたんですか?
そうですね。僕はダイナマイトヘッディっていうものと、
遊遊白書のデモを作ったりとか、
あとはその後のエイリアンソルジャーのボスを作ったりとかですかね、いくつか。
はいはいはい。
ガーディアン?
ガーディアンヒーローズとかも関わってたんですか?
ガーディアンヒーローズはそのメガドライブが終わって、
次のサターンの一作目って感じですね。
なるほど。
そっか。サターンはサターンでまたハードが違いますもんね。
さっきまで話してたのはメガドライブで、
ガーディアンヒーローズからはサターンに移って。
サターンの開発はもうC言語とかになってたんですか?
そうですね。最初はCでしたね。
あーそうなんですね。
ただ、サターンに積まれてるCPUがSH2って言って、
ヒタチのCPUなんですけど、
世の中にすごい広まってるCPUじゃなかったもんで、
コンパイラーがまだ全然、
その頃SHが出たくらいから、
それまたシスクっていう形がリスクに変わって、
もう人の手でアセムラ組む時代じゃなくなっちゃって、
で、Cとか使い始めたんですけど、
コンパイラーも未熟でそんなに早いコードを書いてくれなかったんですよ。
そのせいでガーディアンヒーローズでCだけで組んじゃったら、
処理落ちしちゃって、
メノドライブが8MHzで、
サターンは24とか28MHzが2つとか言ってるから、
めちゃめちゃ早くいけるはずとか思って組んだのに、
そんな早くねえぞみたいな感じだったら、
やっぱり吐き出したコードを見たら、
全然リスクうまく使えてなくて、
いやでもちょっと今のままじゃこのゲーム完成しないからっていうので、
処理を食うような当たり判定だったりとかそういった部分部分のところだけアセムラ化しました。
なんか別のゲーム会社、ゲーム開発会社さんの話を聞いた時も、
結構プレステのゲームも途中までアセムラ書いてたって話をしてて、
で結構Cは飛び越しちゃってCプラ行ったみたいな話をちょろっと聞いたりしたんで、
Cプラは僕サターンのプレステ2かな、プレステ2でCプラ始めた感じですかね。
ああ多分それぐらいの話でしたね。
45:00
ずっとアセムラ書いてたって人がいたんで、やっぱそうだろうなと思って。
コンパイラーが適応しないとどんなにすごいCPUでも早くならないっていうのがあって。
結局最適化の話じゃないですか、それって。
あれってそのある種経験というか。
そうですね、あとはやっぱりプレステの場合はCPU確か通し場だったと思うんですけど、
CPU作ること自体でもう苦労しちゃってたんで、
コンパイラーどころじゃなかったんですよね。
しかも最終的には出荷したCPUにバグがあったのが後から見つかって、
通し場が出してたコンパイラーがそのバグを叩いちゃうコードを吐き出してたんで、
もう開発者がどうしようもなくなっちゃって、
そこを回避するためのアセムラ関数みたいなのを用意されたりとか。
結構辛い思いはありましたね。
なるほどな。一瞬ちょっと余談になっちゃいますけど、
サターンに積まれてたCPUのSH2ってスーパーヒタチとかって名前だったりするんですかね。
そうです。
そうですよね。
はい。
僕実は昔ヒタチの系列会社にいたんで、
ヒタチって自社の製品にヒタチって付けたがるんですよね。
へえ。
だから他にもヒタチって名前が付いた製品多くて、
HiRDBっていうヒタチが作ってるリレーショナルデータベースあるんですけど、
あのHiってHiなんですけど、
ヒタチなんだ。
あれヒタチリレーショナルデータベースの略なんですよ。
Hiって高いの意味じゃないんですね。
じゃないです。
ヒタチのHiなんです。
っていうのを思い出して、
まさかなって思ったんですけど、
いやーやっぱそうだよなって。
昔はドリームキャスターSH4で結構セガのハードウェア。
そうなんですね。
ヒタチのCPU。
サターンとドリキャスで2台に渡って採用されてましたね。
へえ。
なんかドリキャスってナオミ基盤っていう。
はい。
多分アーケードの基盤が動くみたいな。
はい。どっちも同じ基盤です。
うんうん。
ああそうなんですね。
そっか。CPUヒタチだったんだドリキャス。
そうですね。
へえ。知らなかった。
それはSH4かな。
なるほどなるほど。
へえ。
なんか当時それでアセンブラーでコード書いてて、
何だろう。当然今と全然違うじゃないですか。
ああ。
そうでもないですか。
今と違うっていうのはやっぱ今のベースじゃないですか。
ああはい。
僕からするとアセンブラーがベースなんで。
なるほど。
48:00
なのであれを違うっていう感覚があんまりなくて、
そこからCだとかCプラだとかこう移り変わるんですけど、
まあ楽になるなっていうくらいな感じですかね。
ああ。
まあ結局どの言語もいじるのメモリだし数字だしみたいな感じなので。
結局アルゴリズム的なところは変わらないみたいな。
そうですね。ただ安全に組みやすい言語なのかとか。
ああ。
あとはライブラリーが充実している言語なのかなとか、
そういったのは感じますけど、
特にそのアセンブラーの開発の時には違ったっていう感じは、
単純に自分が作んなきゃいけないライブラリーが減ったなっていうくらいですね。
最近というかアセンブラー以降だと。
ああ。そっか。
当時はソフィターいわゆるOSSみたいなのとか、
いわゆるインターネット上でソース、
もうビルドが終わったものをダウンロードして組み込むなんてことはないですね。
インターネットなかったね。
ですよね。
はい。全部自社で作るしかなかったんで。
当時はだからあととしてもパソツーとか。
そうですね。パソツーはありましたね。
パソツーにコードを流すっていう文化はそんなになかった。
まあどっかのフォーラムとかではあったのかもしれないけど、
自分は見てないですね。
あったとしたらメーリングリストとかでやってたとかなんですかね。
どうなんでしょうね。
プログラムって外に出したらいけないものっていう認識しかなかったので、
その頃は。
わかる。
外から手に入るものとも思ってなくて。
はいはいはいはい。
もしかしたらそういった繋がりのある人たちは、
共有化したりとか勉強会してたかもしれないんですけど、
僕はそういった繋がりは持ってなかったので、
本当に何か作ろうと思ったら自分で作るっていう。
なんかそのベーマガとかだったかな。
昔は結構雑誌にゲームのソースコードが付いてて、
打ち込んでPC98で動かすみたいなのがあったと思うんで、
そういう意味でコードって確かに出回ってはいたんですけど。
確かにベーマガはそういう意味では共有サイトの役割をしてますね。
ただあれってアプリケーションじゃないですか。
だからベーシックにしてもアセンブラにしても、
ライブラリーとかツールみたいなものは確かに出回ってなかったんだろうなと思いますよね。
そこの中での画像の扱いとか音楽の扱いなんかで、
それこそ有名だったのはコシロユーゾーさんとか、
51:03
サウンドドライバーとか公開してたりとかしてたかな。
なるほど。
その辺はそうですね、そういったライブラリーの走りなんですかね。
当時世界的にはガラントバザールじゃないですけど、
ユニックスとかLinux系が流行り始めてたんで、
そういう文化があってもとは思うけど、
なかなか特にOSとかメインフレームとか、
そういった分野から来てる企業系の開発とは、
やっぱりゲーム開発とはちょっと違うので。
トレジャーはユニックス最初から開発で使ってました。
そうなんですね。
これはおそらくKONAMIさんが使ってて、
その文化をそのまま持ってきたんだと思うんですけど、
やっぱりWindows出てからはWindowsになっちゃいましたね。
やっぱそうですよね。
単純にそっちの方が便利って言ってたもんね。
あとはユニックス高かったですからね、めちゃくちゃ。
確かに。
桁が2つぐらい違いますからね。
2000年代に入っても結構ユニックスできるSEとか、
LinuxできるSEみたいな、
単価が高いみたいなのが普通にあったので。
僕もHumanにいた時にはPC98で開発だったんですけれど、
トレジャーに行ってユニックスだったんで、
初めにまずDIRが分からなくて、
LSR。
なんだこれはってところから、
記憶だけは残ってますね。
そうさ、コマンドみたいな。
そうです。
ただやっぱりPC98とかで開発した時には、
データのやり取りってフロッピーディスクだったんですよ。
それがやっぱりユニックスだともうつながってるんで、
相手のところからコピー、
CPってやるだけでデータのやり取りとかできて、
これやべえなというイメージがありましたね。
当時のフロッピーは、
98のフロッピーって8インチ?
5インチですよね。
一応1MB。
ペラペラのやつですよね。
ペラペラのやつですよね。
さすがに僕も見たことはあるぐらいで、
5インチのは使ったことがないので。
でも1MBでも、
あの頃のゲームはそこに収まってたんですよ。
確かに。
8MBっていうと、
ゲームで何MBっていうのは1MBビットなんで、
ですよね。
ビットでやると8MB分くらいは1枚に入るので、
ゲームの全部のデータまでは入らなかったとしても、
54:01
やり取りするデータに関しては1MBで十分やり取りできたんで。
結局今みたいに画像データみたいな、
すげえ乱暴な言い方しちゃうとJPEGみたいな、
データの持ち方はしてないじゃないですか、
当時の画像データとか。
結局その色情報と座標情報の塊みたいな、
本当生のデータになると思うので。
ビットマップでも使い、
自前で作ったランリング数らしくかけたデータを使うかくらい。
そんなレベルでしたね。
曲の位置を言えば本当にバイナリーですもんね。
そうです。
なるほどな。めっちゃ面白いっす。
めっちゃ懐かしいです。
こういう機会を思い出すこともなかったことなんで。
そうですよね。今別に話ししないですもんね。
ゲーム開発自体はその後、今Saturnまで来て、
あとXbox辺りまでやられてたんでしたっけ?
いや、Xboxはやってないですね。
どの辺りまででしたっけ?
最初にメガドラやって、Saturnやって、
プレスでやって、
またSaturnやって、
今度プレスで2やって、
Dreamcastやってって感じですかね。
なるほど。
時系列がちょっと怪しいな。
プレス2くらいまで。
ずっとDreamcastの最後って感じですね。
その時代まで行くとさっき言ったようにC++とかが出てくる。
その時代まで行くと、いわゆるソース管理みたいな、
いわゆるサブバージョンじゃないですけど。
ないっす。
ソース管理ってされてなかった感じなんですか?
その時は全くしてないですね。
それぞれの、一応インスタネットで繋がってるんで、
お互いに共有フォルダみたいのを公開にして、
人のものをいじったら、
その人のフォルダの名前のところにいじったファイルを入れて、
ツールの名前忘れちゃったんですけど、
ファイルの日付と中身を確認して、
新しいやつをコピーするみたいなツールだけはあったんで、
ファイルを立ち上げてポンってやると、
相手側の更新されたファイルを自分のPCに取り込んでみたいな、
本当に現地的なやり方で。
巻き戻そうとした時には、
コピー終わったフォルダはその日の日付に名前を付けて、
使わなくしておいて、
巻き戻そうとしたら、
その古いフォルダを本作りに返すみたいな。
57:02
温かみある手製ソース管理というか、
マージというか。
プロジェクト自体もそんなに大きくないので、
ガーディアンヒーローズとかでもプログラマー3人だったし、
担当もガッツリシステム系の優秀な人と、
格闘部分作る、ゲーム部分作るのと、
僕はデータ管理だったりとか、
イベントの演出だったりとか、
そういった感じで、
そんなにお互いに同じものを作っていくっていうことを
ないように分担してるので、
部分部分でシステムと絡んでデータのやり取りで、
関数的に引数が、型が違うとか、
引数の数を増やしたりとかいう時に、
こういう風にいじってみたいなのをやり取りして、
そこだけマージして、
それ以外はみんな別々にやって、
自分が完成したものを、
マージしてもらえれば動くっていうようなものを
作るようにしてたから、
そこまでコンフリクトとかは起こらないし、
起こるような作り方してたら、
多分崩壊してるみたいな。
それが自然とできるような優秀者というか、
空気を読めるというか、
そういう感じだったってことですよね。
あとは分担がもうはっきり分けて、
あとはもうそれぞれ与えられた方向に
突っ走るのみみたいな。
確かに何か他人のこと気にしてる余裕がない
みたいなのはありそう。
イメージですけど。
自分が終わってやり取りがあれば、
逆にマージしたデータでちょっと遊んだり
とかして、
気になるところをソース見て復興したほうが
よくねとか言ったり言われたりみたいなのが
あったってことなんですけど、
後半ゆとりができてからですね、そういうのは。
そうですよね。
物が動かないことには話にならないそうなんね。
なるほど。
C++ぐらいまでやってきて、
さっきもちょっと今とはちょっと違うとか
違わないなんて話をしたんですけど、
振り返ってみてこれはすごい大変だったなとか、
今思うとあれはきつかったみたいな、
開発裏話じゃないんですけど、
そういう話って大変だった部分みたいなの
あるんですかね。
何が大変だったかな。
自分のやってたプロジェクト終わって、
終わってなかったプロジェクトにサポートに
入ったりとかすることよくあったんですけど、
2点3点して全然アップの3ヶ月前なのに
スタートして3ヶ月くらいしか経ってないような
1:00:03
状態のプロジェクトがあって、
でも3ヶ月後には終わらせなきゃいけなくて
みたいなので解決しようのない話を
しなくちゃいけない時が辛かったですかね。
最終的には伸びたんですよね。
そうですよね。
いわゆる使用決まってないみたいな話だったりとか、
ゲームとして本当に面白いか全然ブレブレで、
ただパーツというか画像とかサウンドだけは
出来上がってきてるみたいな、
そういう感じだったんですかね。
Trojanはみんな優秀な人たちで、
しかも独立する人たちなので
自分たちが作りたいものっていうのがあって
作ってたんですけど、
そのプロジェクトは外部からお金が入ってきた
プロジェクトで、
完全に会社のリーダーに全権が任せてもらえない
ようなプロジェクトで、
企画ありきな部分があって、
そこを大切にするためにやみたいなのとか、
そこは残さなきゃいけないとか、
でもゲーム作るためにはそんなこと言ってらんなくね?
みたいな普通のことがもうまかり通らないというか、
いうような感じで結構、
ただ僕はプログラマーだったんで、
じゃあそういう風になるっていうんだったら
手伝いに後から入ったので、
じゃあとりあえず割り振られたところは作るんですけど、
ブレてるから、
またそこの仕様が変わったりとかするわけですよね。
自分で作ってていいものじゃないと思ってるものを
作ってるときはやっぱ辛かったですかね。
そうですよね。
あの会社は珍しいプロジェクトでした。
そうなんですね。
基本はとってもいい会社です。
突然仕様変わったりして、
今まで作ってたのは無意味みたいになったりすると、
もう無しかないですもんね。
辛さしかない。
作って、ものがダメだから、
それ使わないとかやるんだったら、
僕の作ったのが低いからしょうがねえやって思えるんですけど、
作ってる最中に、
これ良くないよなって思いながら作るのは結構辛いですね。
多分採用されても採りなくても辛いですね。
確かに。
されたらされたら辛いですもんね。
あれでいいのかなみたいな。
なるほどな。
逆にゲーム開発してて、
これはマジ良かった楽しかったみたいなことってあるんですか。
それもめちゃくちゃありますよ。
ゲーム作ってる時点で楽しいです。
1:03:02
大雑把ですけど。
そうですよね。
なんていうんですかね。
よく今の機能できる人は、
ユーザーの声を聞いて、
組み取って、
ユーザーの求めるもので、
より良いものを作っていくっていうのが、
今の世の中の良いものを作る人の像だと思うんですけど、
あの頃のゲームって、
俺が面白いと思ったものをみんな遊んだよっていう。
逆にユーザーの声届かないんで、
インターネットないし、
聞いてらんないんですよね。
聞いてらんないっていうか聞けないんですよね。
別に聞いて作りたいっていう発想もなかったし、
企画立てる人も、
最近遊んで面白かったゲームとか、
インスパイア受けたゲームだったら、
俺だったらこんだけ面白いの作ってやるとか、
思いながら企画書いたりとか、
作ってる最中にも、
企画を通り越して、
こんなの入れたらもっと面白くなるって、
みんながみんな、
さっき言ったように、
それぞれが走ってるじゃないですか。
開発者が。
1週間前に話して、
1週間後くらいに、
こういうの作るって言ってたのと、
違うのも作ったりしちゃうんですよ。
こっちの方が面白いよねみたいな。
でもそれやられちゃうと、
それやるんだったら、俺もこれやりたいわって言って、
また違うことを作り始めたりとか、
そうすると最初の、
世の中にある製品って、
企画からは、
ある程度角を削り落として、
スケールダウンしたものになるじゃないですか。
でもあの時の、
僕たち作ってたのは、
ちっちゃな企画から始まって、
ガーディアンヒーローズとか、
そういったものができるように、
作っていく過程でどんどん進化していくのが、
進化させていける、自分たちが。
で、あれはもう、
なんでしょうね、
楽しいを通り越して、
こうこつというか、
これいい感じのできたよみたいな。
そう言って思ってると、
また、
他のプログラマーが、
だったら俺こんなのって感じで、
こっちこうしちゃったよみたいな、
やべ、それいいなみたいな。
そんなのが、
すごい楽しかったですね。
本当、
ものづくりやってる、
楽しいものづくりやってるとか、
本当チームで、
いい意味で刺激し合って、
やってるかなって。
本当に今、
なかなかそういう現場ないっすもんね。
難しいですね。
みんな賢くなってますからね。
いいことだとは思うんですけど、
ちょっと面白みがない現場も多いかなって、
ふうに思うときもありますね。
まあ、
たぶんゲームに限らない話だとは思うんですけど、
なかなか、
1:06:01
ないですよね。
いやー、
なるほどなー。
なんか今、
話聞いてて1個思ったのが、
ユーザーの
声聞く機会があんまりなかったって話なんですけど、
当時のゲームって、
アンケートハガキみたいな、
感想を書いて送れるみたいな、
ついてたりしたじゃないですか。
なんかああいうの送られてきたりとか
ありました。
そういうのは聞きます。
見ます。
ただ、
僕がさっき言った、
ユーザーの声聞けないっていうのは、
今だったら、
ユーザーの声聞けないっていうのは、
今だとウェブ開発ちょっと作ってる最中とか、
モックアップ見せて、
こんなのどう?って言ったら、
こっちの方がいいよとか、
これ入力しにくいよとか、
いろいろ聞きながら
完成品目指せるじゃないですか。
でも、
あの頃のゲームは売り切りなんで、
完成させるまではユーザーに触れる機会がないんですよね。
感想して、
面白かった、つまらなかったっていうのがあるんですけど、
こうした方がいいよねっていう声聞きながら
作るっていうのは
できなかったっていう意味ですね。
なんかその、
ゲームの体験版みたいなのも、
今だったら平気で
無料でダウンロードできたりとか、
まぁなんだろうな、
アーケードのゲームとかだと
ロケテみたいな、
ロケーションテストみたいなのが
あったりするんで、
なんか開発者が現地行って、
あの物陰から腕組みして
じっと見てるみたいなのがあったりする。
やりました。
そうですよね、
みたいなのがあると思うんですけど。
確かにコンシューマーのゲーム、
開発終わらないと外出せないし、
出したら終わりですもんね。
そうなんですよ。
サタンはCDになったんで、
あの、多少、
えっと、
シルエットミラージュっていうゲームを
サタンで出したんですけど、
それは確か1面か2面くらいは体験版で
出したことはありましたね。
ただ、出して、
ゲームショーなんかで配るんですけど、
それが
開発者に対してその
レスポンスがあった記憶が
ちょっとないですね。
単に反則として配っただけで、
ロケテで配ったものでは
なかったような気がしますね。
確かに。
今考えれば勿体ないんですけど。
言われてみれば、
ゲームショーとかで
サンプルのCDみたいなのもらうじゃないですか、
全てそれに
書きが付いてたりとか、
なかったですね。
一応当時も
インターネットはもうあったっちゃ
あったんですけど、
それにメールアドレス書いてるか
って言ったら別に書いてはなかった
気がする。
あって会社名くらいですよね。
しかもあの頃はね、
にーちゃんみたいな
掲示板みたいなのもそんな
気軽にゲームごとに
1:09:01
立ち上げるような時代でもなかったので。
そうですね。
確かに。
当時はいわゆるディレクトリーサービスというか、
Yahoo!みたいなところに
ゲーム、RPG、
アクションみたいな感じで。
ゲームの情報があるっていうだけですもんね。
そこに
登録してみたいな感じだったんで。
確かにそうだよな。
なるほどな。
やっぱだったらそうですよね。
開発現場でそういう
ある種熱量の高まりというか。
そうですね。
俺たちが面白いって思うものを
出すっていう
そこの熱以外では
たぶん作れないですね。
うーん。
そうですよね。何が当たるか全然
わかんないし。
それこそ
会社によっちゃこれが売れないと本当
最後みたいな会社もあったと思う。
ゲーム会社そんなのばっかりですよ。
そうですよね。
聞く話聞く話だいたいそうなんで。
1年か1年半
下手したら2年収入なく
売るわけですから。
いくらその給料
高くなくても
10人いればやっぱり
億ぐらいは飛んじゃいますからね。
確かに。
それが2,30人の会社だったらやっぱり
でかいですよね。
確かにそうですよね。
今みたいに
広告業じゃないけど
出しとけば勝手にお金が入ってくる
みたいな
ないんじゃないですかそういうビジネススタイルが。
物作って売るしかなかった時代だから。
そうですね。
なるほどな。
めっちゃ面白い
話が来ました。
ありがとうございます。
ちょっとなんか
枝分かれというか
余談っちゃ余談なんですけど
開発から離れた
ゲーム話なんですけど
学生
要はプレイする側として
どうだったのかなっていうのを聞きたくて
学生時代から
ゲーム好きで
東京行けるし
ゲームだしって感じで
吉祥寺出てきてみたいな話とか
あと
ニートの期間に
バイクの免許取ってみたいな
話もあったんですけど
当時開発しながらとか
学生時代から
ゲームってそもそもやっぱり
やられてたんですよね。
学生
高校めっちゃやりましたね。
うーん。
当時はやっぱハミコン
それがメガドライブだったんですよね。
なるほど。
中学校でもちょっとやってたんですけど
その頃は
マークスリーですかね。
あ、なるほど。
セガマークスリー。
はいはいはい。
マークスリー。
確か小学校の
高学年くらいで父親が
SG1000を
クリスマスプレゼント
1:12:01
そこからセガが始まっちゃったんですよね。
はい。
セガの最初のハードですよね。
そうですね。
その後がマスターシステムで
マークスリーかな。
マークスリーとマスターシステムは
性能はほぼ一緒なんで。
そうなんですね。
マスターシステムは
マークスリーに
FM音源と
カード式のゲームが
全部セットで
ハードに乗ってるっていうだけで
実はマークスリーのオプションで
FM音源つけたり
カード読み込みの
オプションでくっつければ
同じものにはなるんで
ハードウェア的には
マークスリーとマスターシステムは一緒ですね。
そうなんですね。
なるほど。
じゃあ完全にセガっ子というか。
そうなんですよ。
だったんですね。
なので先ほど話題にあったドラクエも
実は発売当初は遊べてなくて。
中学校3年の
部活引退してから
友達に借りてやったみたいな
そんな感じでしたね。
なるほど。
そっか、セガのゲームだと
ファンタシースターとかですか?
そうですね。
マークスリーだと
ファンタシースターとか
アレックスキットだったりとか。
アレックスキット。
僕がいまだに
大好きなゲームが
北斗の拳ですね。
北斗の拳、当時の
セガのゲームはアクションゲームですか?
そうです。
めちゃめちゃ。
これはソニック・ザ・ヘッジホッグ作った
中さんという方が。
中雄二さん。
作ったゲームなんですけど。
非常に良くできててですね。
そうか、当時だとまだ
ソニックチームもなかっただろうな。
ないですね。
僕、さっき言った
学校で
自社制作に入った時に
6550に
ファミコンの制作もやるんですけど
学校の先生が
勉強する気あるなら
6万8000も教えるよって言ってくれて
エミュレーターを使って
6万8000で開発もやったんですけど
それは
今話した北斗の拳移植中まで
しました。
すごい。
10年経ってもリスペクトしてた
ゲームですね。
10年までいかないか。
ちょっと大げさだった。
今でも覚えてるぐらいってことですね。
本当に良いですね。
なんか
テンポとか
ボタンを押していく
テンポだったり
敵のレスポンスとかが
非常に小気味よくて
触ってて
気持ちいいゲーム
触ってて楽しいゲームは
やっぱ良いですよね。
僕、基本はアクションゲームが多いです。
やるゲームは。
1:15:01
わかる。
開発に
携わるようになってからも
ゲームはされてたんですか?
続けてはいるけどやっぱり減りましたね。
忙しくなりますもんね。
めちゃくちゃ
積み上げありましたね。
そうですよね。だって
本気方がゲーム開発だから
ある種資料じゃないけど。
資料という名のもと買ったりするんですけど
やらないですね。
やらない。
だいたい
木曜金曜日ぐらいのゲームの発売日に
他の社員とかもみんな
ゲーム買ってきて
お前何買った?俺これ買った?
昼休みとかに
あれ見ようよ
これ見ようよって感じでやるんですけど
そこでやった気になっちゃって
買い次みたいな
それ見て
オープニング超すげえとかになったら
負けてられるかみたいになっちゃいますもんね。
その頃そんなデモとかじゃない
確かに
アクションゲームとかだとそういうの多いですもんね。
RPGとかだと意外と
ドラクエ4とかぐらいから
オープニング的なやつが
あったりしたんで
机屋さんのせいで
どのロープレイも
ムービーが長くなっちゃって
クリアできなくなっちゃいましたね。
なんかこの間
テクフリで
1年ぐらい前になっちゃうかもしれないですけど
ドラクエビルダーズの話を
あれ
確かそんな話してましたよね
ドラクエビルダーズ
僕はやってはいないですね
知ってはいますけど
Sさんがそんな話したのかな
最近ゲームやってるんですか
みたいな話は
聞こうかと思ったんですけど
ドラクエウォーカーをやってますね
スマホの
位置情報ゲームというか
のやつですよね
実は僕もやってまして
俺だけは久々に
アプリダウンロードして
やってて
全然
クエストとかできないながらも
レベルだけは
上げているっていう状態ですね
意外と
昔の
難易度に忠実というか
辛い難易度になってて
ちょっと高いやつでも
余裕だろうって戦いを
思うと平気で
この感じ
懐かしいなみたいな
橋渡ったらやべぇ奴いるぞ
あれでもし死んだら
ゴールド半減とか入ってたら
やばいなって感じですよね
超やばい
普通に破産しているぐらい
ウォークモードとかで
てろてろ歩いてると
レベルの上がった
でっかいやつに
1:18:01
やられてたりとか
最初のレベル低いときは
簡単にやってるから
ウォークモードでも全然いけるじゃんって
言ってたのに
帰ってきたら全然勝てなくなってる
ちょっと前のイベントで
戦えば戦うほど敵が強くなる
みたいなのありましたからね
そういう仕組みかって感じ
全然
仕組みが違うようで
ちゃんとドラクエしてるところが
よくできてますね
本当昔のドラクエっぽい
シンプルさがすごい
よくできてて
なんて言ったらいいんだろう
懐かしさが
会話とか
なんか大味
大味じゃなくていいですよね
なんて表現したらいいか
あれですけど
がっつり
やらないんだけど
なんとなくやってる気がする感じ
別にシナリオとかも
昔のドラクエの焼き直しって
焼き直しなんだけど
セリフとか超適当ですよね
このくらいがちょうどいいというか
なんか
いい意味で昔っぽい
ファミコンっぽい感じですよね
あれでしっかり読ませたりとかしたら
めんどくさくなっちゃいそうな気が
よくここまでざっくり
割り切った
シナリオでしたなと思って
なんか本当昔のRPGみたいな感じで
洞窟行って
強い敵倒して
その度にレベル上げる
みたいな感じ
っていうのが
いい感じのバランスだな
なんて思ったりしましたけど
やっぱなかなか
スマホのゲーム以外は
できない感じですか
今ちょっと
横を見て思い出したのが
メガドラミニ買いました
確かにあれ9月ぐらいでしたもんね
発売
あれガンスターヒーローズとか入ってたんですか
ガンスターヒーローズも入ってるし
ダイナマイティとか
悠々白書も入ってますね
なるほど
それ聞くとちょっと欲しくなってきたな
ぜひ遊んでみてください
ぜひぜひ
ダウンロードで結構遊べるんですよね
ガーディアンヒーローズとかは
そうなんですね
確か今でも遊べるのあったんじゃないかな
確かに
ウィーダーとかスイッチとかも
なんかその辺
ダウンできるようなのありました
っていうのがあったんで
いつかやろうやろうと思ってたんですけど
いつかやろうやろうと思ってたんですけど
なかなかそのタイミングがなかったんで
メガドラミニいいなって
ありますね
結局自分は
コラムスとかああいうのはやっちゃいます
1:21:01
コラムスもいいっすね
コラムスいいな
ちょっとした生き抜きにやって
結局なんか
一時間やっちゃうみたいな
意外となんかそういう
昔のパズルゲームみたいな
ハマりますよね
脳に血が
巡る感じしますよ
なんだっけな
脳みそコネコネは
コンパイルだったな
なんかコラムスもありましたよね
そういうのなんか
なんかキャッチコピーみたいなのあったような
それあれ
ありそうだけど
コラムスあったかな
なかったかな
記憶ないですね
シャイニングホースとかも確かに
セガのゲームありましたね
ジュウオウキとか
それはもう一番最初に出た
メガドラの
発売当初に出た
ソフトって感じで
スペンハリ2とジュウオウキって感じですかね
ゲームは
なるほど
なんか
技術書店っていう
技術同人誌の
即売会イベントみたいなのあるんですけど
ツイッターでお見かけします
どうも
なんか
メガドライブミニの本を
出してる人がいて
なんか
技術書店当日の
3日前とかだったんですよ発売が
3日前とか
本にできた
手に入れて
バラバラに分解して
分解レポートを
そういう技術書店
ハードウェア
みたいな人がいて
なんかそれは当日
面白そうって買いに行ったら
売り切れてた
面白そうと思って
なんかその人
プレイステーションミニとかも
同じようなやつをやってて
発売から3日で本にできちゃうんですね
その人
でもなんかご家庭も
あったみたいで
家庭内事情みたいなのと
重なってすごい当日辛そうな
疲れましたね
そういう事情がなくても疲れる
スケジュールですよね
っていうのがあって
メガドライブミニいいですね
久々にゲームで遊んだな
って感じは
いいですね
なんかざっと
話を色々聞いてきて
今1時間半ほど経っているのですが
そろそろ
いい時間なんですけど最後に
これだけはちょっと話しておきたい
こういう話もあったみたいな話題があれば
そうですね
途中悠々白書で
デザイナーさん
すごい天才がいたって話したと思うんですけど
プログラマーにも
すごい天才がいたんですよ
これがですね
よく聞くプログラマーの天才って
コード作るのが早いとか
1:24:01
メモリーをあんまり使わないで
動くプログラムだったり
処理が早いプログラムとか
色々あるじゃないですか
技術的にこんなすごいことを
編み出したプログラマーとか
僕的に
天才だと思ったプログラマー
ただのプログラマーというよりは
ゲームプログラマーなんですけど
その人はですね
逸話がすごくて
アップデートの
完成の
1ヶ月前に
突然音信不通になって
1ヶ月会社に来たって
社長が電話しようが何しようが
全然連絡しなくて
死んじゃったのかなみたいな
これどうしよう完成しないよって言ってた
1ヶ月後くらいに
ひょこっと会社に来て
みんなが心配して
どうしたのって言ったら
一言目に
ゼルダって面白いねって言って
その1ヶ月前に
ゼルダの伝説の発売日だったんですよ
とか
僕同じチームで働いたことあるんですけど
僕もシステム組んで
彼はゲームの
キャラクター動かしたりとか
そっち系作るんですけど
僕がシステム作るもんだから
わからないことあったら聞いてくださいね
って言ってるんですけど
スカーラ君ちょっと聞いていいかな
とか言ってきて
何でも聞いてください
このマニュアルにある
ESCキーって何って聞いてくるんですよ
わかりますよね
ESCって言ったら
エスケープ
プログラマーだったら普通に
このエスケープキーで使うみたいな
エスケープキーってどれ
バカにされてるのか
ボケなのか知んないですけど
これっすよねみたいな感じ
なんだこれリモートじゃんみたいな
みたいな
キャンセル
そうキャンセルで
もう
ここで気づいていただけると
プログラムそんなに
すごいもの書かないんですよ
だけど
彼の動かすキャラクターはめちゃくちゃ生きてるんですよ
それこそ
キャンスターヒーローズだったりとか
彼の作ったキャラクターのボスの動きは
もうみんなを取り込みにしちゃう
でも
僕がそのソースとか見させてもらって
見ると
技術的には何も
目新しさも何もない
これ誰でも
こういう風に動かしてるだけだよね
みたいなプログラムの集まりなんですけど
やっぱ我々
ゲームクリエイターが
重要なのはすごいプログラムを書くことじゃなくて
面白いゲームを作ることじゃないですか
そういう瞬間
この人天才だと思って
技術こだわらなくなったのは
その人の影響が大きいかもしれないです
新しい技術取り入れるよりも
とにかく結果につながらなきゃ意味ない
的なのは
非常に根底に植え付けられた
1:27:01
というか
もちろんいいものを作るために
必要な技術であればどんどん取り入れるべきなんですけど
本当に
作るのは
ものを作るためかっていうのは結構
自分の中での
販売材料に
するようになったのはその
人がいたおかげっていうのはあって
いやーすげー
すげーいい話ですね
その人が本当に
見せる
魅力があるの見せる
プログラマーみたいな
ありますもんねしかも
作ってるのゲームじゃないですか
ある種エンタメ作品なので
本当そうです
それを本当
ある種誰でも分かるような
表現っていうのが実装の仕方で
見せる
ものを作るっていうのは
めっちゃ痺れますね
すごいです
無駄な処理とかいっぱいあったりとか
遅い処理とかも
いっぱいあるんですけど
そこは僕直しますから気にせず
作ってくださいってぐらいです
でも逆に
それが遅い処理が
影響してそういう
いい見せ方になってるってわけでも
なかったりするんですね
逆にそういうところは
なんか
こう作ってて
やっぱ処理落ちとかした時に
なんかシステム早く
なんないのとか言われるんですよ
なるほど
システムって
その頃のシステムってそんなに重くないんで
結局キャラクターいっぱい出したりとか
当たり判定いっぱい出したりとか
そういうのは多くなるんですけど
そういった中で
どういう風に工夫すれば処理が軽くなるかとか
当たり判定が10個あったら
60分の1の交代で
5個ずつ
交互に座標移動して
ゲーム的には問題ないような処理にしたりとか
そういう風にやることで
処理軽くしたりとか
工夫はいくらでもあるんですけど
その人もベタに書くんで
当たり判定が50個あったりとか
そういうのだけじゃないんですけど
どういう風に遊ばせたいかっていう
意図が見えるんですよ
そんだけ当たり判定のあるものを置くことで
逆にと破壊した時の気持ちよさとか
そういったものを作るのが本当に
逆に僕だったら
処理が重くなっちゃうからこんなに出せないや
って思ってやらないような
ゲームに必要なものだから
作るっていうそのスタンスが
当たり前のことなのに
気づけてなかったなっていうのを気づかせてくれて
当時制限の中で
何かを作るって世界だけど
逆にその制限を
ぶっちぎって
ものを作って
ギリギリそこに収めていく
1:30:01
みたいなのって
逆に考えたら楽しいよね
面白いもの作れるよねって
なるほどけど
まだ真似できないっていう
わかる
いやーすごいなー
なるほどなー
なんかゲーム
開発者関連で言うと横井文平さん
かな
枯れた技術の水平思考みたいな
話言ってましたけど
やっぱり
新しいものじゃなくても
今あるもので工夫して
面白いものを作るっていうのは
いやー本当
さっきもものづくりの話ししましたけど
ものづくりの面白さの
一つですよね
逆に
このハードでこんなもの
作ったんだっていうのは
多分メガドラとか
ポリゴン世代じゃない
ゲーム作った人たちの中には
みんなあると思いますよ
うんうんうん
いやーわかる
なんかなんだろう
大人になってとか
あらゆるというか
多くの経験をしてきた上でまた
そこに感動するみたいな
ありますよね
うーん
いやーすごい
最後にめっちゃいい話言ってた
僕こういう話をする機会も
近年はなかったんですけど
ゲーム関係の人と
会って話すと
自分のことよりもその人の話だけは
絶対にしたくなっちゃって
あーなるほど
いやーいいっすねー
いやーありがとうございます
久々に
この話をして
勝手に自分の中で盛り上がっちゃいました
めちゃくちゃ楽しかったですし
今聞いた話を
誰かに喋りたくてしょうがない
感じです
ありがとうございます
じゃあ
このPodcastの締めをやって
告知をいただいて
エンディングトークって感じで
締めていきますね
このPodcast
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公開収録やってたりしているので
1:33:01
よかったら配信ページのリンクから
ご参加ください
ゲストの塚原さんから何か
告知があればお願いします
自分はP4マッチという
ゲームではないんですが
卓球の大会を
スマホでやるという
ウェブサービスを
作っておりまして
こちら今日話したような
情熱をもって
卓球をもっと
面白くしたいなと思いながら
作っているサービスなので
もし卓球
あと今バドミントンが対応しているんですけど
お近くで
P4マッチというのを見かけたときには
ぜひ参加してみてください
また運営の方とかも
すごく簡単にできるようなサービスになっていますので
興味がありましたら
ご連絡いただけたら嬉しいです
ありがとうございます
基本的にやっぱ卓球
バドミントンに対応している
って感じですかね
元々卓球やってたので卓球作ってたんですけど
なるほど
バドミントンはその仕組みを見て
バドミントンでも使いたいと
言っていただけたので
スコアの部分を対応したりしているので
他の競技
例えばテニスだったりとか
柔道とか剣道とか
囲碁とか将棋とか
対戦競技であれば
スコアの部分を対応すれば
それなりには
多少の時間はいただきますけど
対応できるので
今は対応していないのでも
使うって言ってくれるのであれば
開発は優先して行いますので
そういったご提案も
いつでも
って感じです
じゃあ身近で
卓球バドミントンをやられている方は
すぐ使えるし
もし他の競技で
ちょっと良さげじゃんって思ったら
是非塚原さんの方に
ご連絡いただけたらななんて
思います
配信ページにリンクありますので
よろしくお願いします
多分スポーツだけじゃなくて
最後囲碁将棋も言ったんですけど
カードゲームとかもおそらく行けるんじゃないかと
対戦
試合とかするときに
実力差があると楽しくなかったりすると思うんですよ
この仕組みは
試合の結果を全部データベースにとっておいて
レーティングっていうポイントをつけるので
近い数字の人と
マッチングするような仕組み作ってるので
結構楽しい試合が
バトルができるような
仕組みになってるので
おそらくカードとかの対戦とかでも
効果を発揮するんじゃないかなとは思ってるので
もし興味があればって形ですね
結構
身内でよく
部屋建ててやるみたいな
ゲームのプレイの仕方をされている人は
一回覗いてみると
そういう使い方もできるかもって感じですかね
なるほど
いやすごい
いいっすね
1:36:00
ありがとうございます
すごい語彙力なく
感想を言ってしまったんですけど
単純に
その
話が長くなったんですけど
アプリとかでやってるカードゲームとかって
全体のレーティングで
やっぱマッチとかしちゃうので
身内でやるときって
そういうのないんですよね
身内だから
好きにやってよみたいな
感じになっちゃうので
そういうのが
あるのは本当にいいなって
単純に思ってしまいました
あとは1対1とかでやると
例えば10人とか集まると
10人とやることって難しいと思うんですよ
時間的に
それを
スイスドローっていう仕組みがあるんですけど
リーグ戦みたく
全員とはやらないんですけれど
トーナメントほど組み合わせに依存しないというか
10人の中で
1試合ずつやっていって
勝った者同士負けた者同士っていう形で
当たっていくので
だいたい4試合くらいやると
10人の順位もそれぞれ出て
強い人と弱い人は
当たらずに10人の中でも
近い人が当たったりみたいな
感じで遊べるので
仲間内だから
多少実力下がっても
問題はないと思うんですけど
ちょっと
普段の
交流試合みたいなのと違って
たまにはガチで順位決めようね
そういうのが結構
楽しく
やれていいんじゃないかなとは思ってます
本当
将棋以後みたいな話から
カードゲームの話になりましたけど
電子でやってないやつって
自分たちでそういうのを管理しないといけないから
そういうのをアプリでできるのは
本当にいいですね
申し込みとかその辺も
当然ウェブで一括して
やれるので
僕も卓球で作ったのが
自分が卓球の試合してると
試合の申し込みが
メールならまだいいんですけど
ハガキだったりファックスだったりとか
いまだに結構
スポーツ業界そういうのが普通だったりしてたので
そういったものを
せっかくなんで
黒船的に全部
どっか一箇所じゃなくて全部
塗り替えちゃおうかなみたいな感じで
作ってるので
ありがとうございます
ぜひぜひリンクから
覗きに行っていただければいいな
なんて思います
ちょっと言い訳なんですがプログラマーなので
絵は一切使ってないのでデザインで
そうですねデザイン募集みたいな話も
デザイナー募集か
みたいな話もありましたもん
これは面白いって将来性を感じてくれるデザイナーさん
一緒にやりましょう
単純にUI UXデザイン
みたいな人も募集みたいな感じですもんね
そうですね
本当に今
テキストだけなんで
ぜひぜひ
興味があったら
覗きに行ってみてください
1:39:00
よろしくお願いします
最後にエンディングトーク
ポッドキャストの収録どうでしたって
話は毎回してるんですけど
ポッドキャスト自体は2回目になるんですかね
2回目ですね
どうでした
テックフリーについての2回目ですけど
ポッドキャスト
2回目は
ポッドキャストの
ゲームを作ってた時の
20年前のこと
ではあるんですけど
その頃の気持ちが
戻ってきて
すごい楽しかったですね
なかなか
20年前のことを思い返すこと
ないので
確かに
20年前
っていったら
忘れたい記憶どころか
むしろすごく楽しかった記憶ではあるので
いつでも思い出しても
ウェルカムではあるけど
日常で思い出すこと
まずないので
ゲームから離れちゃうと
そうですよね
自分のことをこんなに話すとか
聞かれるなんてこともないと思うので
そもそもゲームの細かいところとか
言語のところとか
聞く人がいないじゃないですか
聞いていただけると
興味持っていただけてるっていうのだけでも
嬉しかったし
結構エンジニア
だけだとやっぱり
そこまで興味持たなかったりするので
エンジニア掛けるゲームみたいな
のがあったりすると思うので
今日は本当に貴重な
お話をいっぱい聞けて
めっちゃ楽しかったです
本当に楽しかったです
ありがとうございます
ありがとうございます
というわけで
第58回目は
ゲストに塚原さんを
お迎えしてお送りしました
塚原さんどうもありがとうございました
ありがとうございました
01:40:54

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