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おはようございます。 絵本作家のアポロです。
いつもお聞きくださりありがとうございます。 今日は2月18日火曜日です。
この2月18日は、 私にとって
とても大切な記念日です。
なので、今のこの気持ちを 収録として
残しておきたいと思います。 何の記念日かっていうと
私の双子ちゃんの誕生日です。
ちょうど今日で彼らは 27歳になりました。
1998年の2月18日に
私のお腹から出てきました。 出てきましたというか。
本当に 彼らが私のお腹の中に
来てくれた時の喜びとか それからの
子育てが始まったこと
それが あっという間に終わってしまって今があるということ
絵本に出会って今が幸せだということ そのことについてちょっとどこまで話せるかわからないんですけど
少し記録に残したいと思います。
結婚したのは 私が23歳の時で旦那さんは
今の旦那さんで
高校2年生の時から ずっと付き合って
高校卒業して 彼は専門学校に通って
2年間 県外に出て
私はその実家の 民宿の
アルバイトをしながら過ごしていて
そういう期間もありながら それでもお互いの気持ちが変わらずに
結婚することができました。 彼は本当に誠実で優しい人で
そういうところが私は大好きです
そんな彼と結婚して3年経ちました 私はもうすぐにでも
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子供が欲しかったんですけど それでも
なかなかできなくて
親戚にも 子供が欲しかったけど生まれなかったっていう
人が言っててね
あなたもそうかもしれないから 一回病院に行ってみたらって
あるおばさんに言われて それで行ってみたらね
本当にたくさん 子供が生まれない原因が見つかって
そこから治療が始まり
いろいろ手術をしたりとかもしてきました
その結果 自然妊娠は諦めた方がいいですよっていうことで
で 対外受精だったら
もしかしたら
妊娠できるかもしれませんっていう 当時の話でね
なんかね私は
どうしても彼の子供が欲しかったんですね
そのことを伝えて
彼は
子供いらないって言ったんですけど 私は欲しかったんですね
そして
旦那さんの許可を得ずに
自分で 勝手に動いて
治療を始めて
どうにか卵も育って この日に
病院に一緒に来てくださいとお願いして
対外受精をしました
それまでもね そのもちろん治療に通っていることも
もちろん彼には話してましたし
そのそれ前にちょっともしかしたらということで人工受精も2回くらいやってたのかな
そんなことも知っているから
やっぱりこの人はやるのねって多分思ったんだと思うんですけど
で
それで
1回目はダメで2回目で
どうにか役所をして
で
彼らが生まれたんですけど
当時ね
もう
だから27年前28年ぐらい前になるので
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今は多少補助とかも出てたと思うんですけど
全く保険が効かない
あったので
まあそれまでコツコツ貯めてきた貯金とかっていうものは
ほぼそこをついていて
で2回目の時に
もう本当に
お金なくなったから
これで
妊娠できなかったら
私諦めるからって言ってたらね
そしたらね
3つ戻した受精のうち2つが着症してくれて
それで妊娠することができました
うん
もうね本当に舞い上がるように嬉しくてね
そのことを
私の親とか彼の親も
みんな親戚中で喜んでくれて
で大事にしなよって言ってくれて
そして
まあ何回も
切迫じゃろ何じゃろ
うーん
ちょっと四六花手術ってあるんですけど
相談とかにならないようにするために
支給口を縛る手術ってあるんですけど
そういうことをしたりとかしながらね
何回も入退院繰り返してね
で
出産前は結局3ヶ月の入院だったかな
天敵に繋がれてね
それで
どうにか
無事に出産になったんですけど
で
その出産も
結局最終的には
ICUのある大きな
県立の病院に
個人病院だったのでね
最初の入院が
そっちに
移されて
で
なるべく自然妊娠をお勧めしますというふうに
言われて
で
お腹の中でねT字になってたんですよ
一人はちゃんと頭を下にして縦になってたんだけど
もう一人が
胸の位置のあたりで
胃袋の上ぐらいで
横になってたんですよね
で
その下にいた子が
その上の子をこう
押し上げるような感じで
もうずっとなんか
うん
その上側にいた子は
押されてたのかなーって思っていて
でもお腹の中でね
もうすでに
体重とか成長の差ができていて
もちろん
受精団が2つなんで
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最初からニラン性っていうことは分かってたんですけど
それで
もし真下にいる子は
自然分娩でも
普通に下から生まれると思うけど
その横にいる子がそのまま下に下がってきたら
どうにかして自然分娩できたらいいんだけど
どうしても無理な場合は
その後すぐに手寄せっかいですって言われたんですよ
おいおい
一度の出産で
両方痛い思いをするのかと思って
もうそれだけはもうちょっと
耐えられないと思ったんで
もうだったらもう最初から
手寄せっかいで2人を安全に
取り出してくださいってお願いして
それで手寄せっかいで2人は生まれました
もう本当にその切迫の点滴を
二数学校
もう38週と0日で結局生んだんですけど
そこまで持たせたいという期間の間
ずっとお腹の針を止める点滴を流していて
そこに近づくとちょっとずつその点滴の量
お薬の量を減らしていくっていう流れをしていて
もう減らしていきながら
どんどん鎮痛みたいなものが起こっていたのは
わかっていて
で看護師さんも定期的に
お腹の針をチェックしてくれたりしていて
でそれでもう今日なりそうだね
っていう話をしながら
出産の準備をしていきました
ほんとね今思い出すのはね
ちょうどその入院中のことで
窓際のベッドにいたんですけど
もうねその年はね
大雪でねで本当に外見るとね真っ白な雪が積もってて
場所は愛媛県の松山市だったんですけど
もうね綺麗だなと思いながら
私は一生この景色を忘れないんだろうなと
思いながらそのベッドの中で過ごしていました
時代は長野オリンピックの年です
それをジャンプの人たちが
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みんなが金メダルを取ってすごいなって
小さなテレビを置いていたので
それを見ながら出産までの時間を過ごしていたのを覚えています
そんな感じでねどうにかこうにか彼らはこの世に生まれてきました
生まれてきて一人は2000グラムなかったんですぐに
ICUだったっけ
未熟児のたちが入るところに連れて行かれ
もう一人は2300グラムあったんで
もう一緒にずっと同じところで過ごせるのかなと思ったんですけど
ちょっと心臓の方に問題があるかもしれないっていうことで
すぐに承認期間に連れて行かれました
私はとにかく出産して生まれてよかったという
安心とお腹の痛みとの戦いで
すぐにお父のマッサージが始まったりして
お腹で心と体が妊婦からすぐに母親に切り替わるっていう作業に追われていて
でも子供たちには会えないしっていう中でそういう時間を過ごしていました
結局その心臓にもしかしたら異常があるかもしれないっていうのも
もう一つあって
そのウンチが出ないというお腹がずっと張ってるっていうのもあったんで
腸にも異常があったらいけないっていうことで承認期間だったんですけど
それもかなり先生たちに脅されて不安だったけど
でも結局時間の経過とともに問題ないっていうことになって
ホッとして車椅子で押してもらって病棟を
その承認結果まで行って
抱っこさせてもらって
頑張って削認期で絞ったお乳を飲ませてっていうことを彼にはしてきました
ICUの方にいた子にはね
とにかくそこに行くと頭の毛をオチムシャのように刈り取られて
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まあまあふさふさだったんですけどね
刈り取られてね
でそこに点滴の針が刺さっていました
で鼻からミルクをつぶせに乗ってね
それでも大きな口を開けてあくびをしたり
小さな小さな手を思いっきり広げて伸びをしたりしている姿を見ることができました
とにかく私はしっかり食べて元気な母乳を出すっていうこと
もうそのことに一生懸命でした
でそんなことを繰り返して
とりあえず私一人が先に退院して
でそれで削入期でお乳を絞ったのを病院に毎日運んで
子どもたちに会いに行くっていうのをしながら
子どもたちがお家に帰ってくる準備をしていました
削入期間にいた子の方はが先に退院して
で初めてのその黙浴をしたり
母乳をね育わせてみたりっていうことをしてましたね
うん本当に懐かしい
そしてICUにいた子はどうにか体重が増えて
それでどのくらい後だったかな
2週間ぐらい後かなになってね
でようやく帰ってきました
そうここからが双子ちゃんの育児大戦争です
体もねなかなか回復しないけど
それでも人の体っていうものは
ちゃんと傷口もふさがって動けるようになって
でその子どもたちを見てるとね
元気をもらってね
とにかく毎日があっという間ね
楽しかったけど
この子たちの命を守るっていうことが
何よりも第一優先で育児してきましたね
転勤族だったんでね
お近くに親戚もいないし
まあそれでも双子
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本当1ヶ月2ヶ月ぐらいは
自分の親と主人のお母さんとに交代で
夜もね寝ないからね
寝れないんでしょう
親はねだから夫にもたくさん手伝ってもらって
育てていく
それはもう皆さんがねされてるのと同じなので
そうそうだからね
そうやって
どうにか命繋いで
そう妊娠までに貯金使い果たしちゃったから
本当にあの金のやりくりって大変で
だけど夫は真面目に貯金にお金入れてくれたし
お風呂入れるのは担当で毎晩やってくれたしね
本当にね協力的な夫でした
そうやって
みんなに支えられて双子が育っていって
そんな中でね
幼稚園で絵本の読み聞かせに出会って
絵本の魅力に取り憑かれて
それから絵本作るようになりました
そんな彼らの誕生から今が
そして彼らも我が家に生まれてきた以上
その引っ越しというものに
ついて回らないといけないというね
そういう生活をして
お友達と仲良くなんても別れないといけないし
そういうことをずっと彼らも経験してきて
でも何だろうな
双子で良かったなと思うのは
その引っ越した先でも
とりあえず双子同士話し相手はいるっていうことかな
家族が引っ越しの旅に一致団結するっていうのは
あるかなと思いましたね
で中学高校そして大学
そして社会人になって
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今年ねヒント何年目だ
5年目22からだから252627
そう5年目になるのかな
社会人になって彼らは独り立ちをして
いろいろ悩みながらも頼らずに一人で良い子で育ったしね
こうやって自分が好きなことをさせてもらってるのも
本当に彼らが自立してくれたからかなと思うし
本当に感謝です
なので今日はその気持ちも伝えつつ
今朝も夫と2人でもうあいつらは27歳になったよね
っていう話をして
自分たちが27歳の頃は何をしていたかっていうのも
ちょっと話したりしたんですけど
そう27歳は私は私たちは彼らを授かるための病院と家と会社との往復を頑張っていたっていう年ですね
話どうでもいいんですけど
そんなことがありました
これから彼らがどんな人生を歩んでいくのか
時代はどんどん変化しているし
とにかく彼らが自分の思う人生を自分が思うように生きてくれたら
私はそれで幸せだし
私は私でなりたい自分になるためにこれからもしっかり前に向かって進んでいこうと思います
こんな放送でどれだけの人が聞きたいと思うかわからないですけど
まあちょっとね今日の日に記録として残しておこうと思いました
間違いなく一つ言えることは
私は彼らの親になれて本当に幸せだということです
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生まれてきてくれてありがとう
本当にありがとう
母さんは幸せです