00:05
こんにちは、あきらです。今日はね、昨日の続きのカナダ留学後半ですね。
15分とかね、シャワーの時間を制限させられてた ホームステイ先から移動して、新しいところに行ったんですね。
そこはまあ、学校から同じく近い場所にあったんですけども、 女性が一人だけだったんですよ。
結婚もしてなく、地元のどこか学校の先生かな?やってる方だったんですけども、私がそこに行き、
それでその後に、韓国人の女の子がね、もう一人入ってきたんですよ。 その子ともね、結構仲良くなったんで、すごいね、
真面目な子でしたね。 めちゃくちゃ、絵に描いたような真面目な子でした。見た目も
全然メイクをしないし、眼鏡かけてて、みたいな感じで。 すごいね、本当に素朴な感じの女の子でしたね。
でもね、その子ね、途中から 彼氏ができて、彼氏ができた途端に、なんかメイクをすごいし始めたりとかして、
結構変わってたのがね、すごい新鮮でした。やっぱこう、
お付き合いしている人ができたりすると、やっぱそういうのって意識するんだなぁと思いましたね。
そこでは、料理も本当になんかパスタとか適当なのしか出てこなくて、
私はこう日本食が長く住んでいると恋しくなるじゃないですか。 だからしょっちゅう
日本のその調味料とかそういったものが売っている場所、お店っていうのを知ってたんで、そこに行ってはなんか味噌買ったりとか、
あとはお米買ったのかな、お米買ったりとか、 あとはね、なんかねビデオとかもあったんですよ。懐かしいですよね、ビデオって。
VHSですよ。ビデオもあったりとか、そのビデオっていうのが、
日本のそのドラマをやっているものが、遅れてこうなんかVHSのビデオに録画されたものが入ってきて、
それをなんか借りることができたのかな、確か。 あと本。
本もその週刊ジャンプとかあったりとかしたんです。ジャンプ読んでたんで、ジャンプ結構買ってました。
ちょっと高かったんですけども、なんかね、買ってね、 だだっぴろい公園とか行って、椅子に座りながらね、学校サボってね、読んでた時があります、そういえば。
そんな感じで、新しいホームステー先のところでは結構ね、良かったですね。
03:03
着いた時に一番思ったのが、めちゃくちゃあったかいな、この家って思ったんですよ。
暖房をちゃんとね、しっかり入れてくれるようなところだったんで、すごい寒さっていうのを感じなくて、どちらかというともう室内は本当に暑い状態だったんで、
まあ半袖とかそれぐらいでしたね。
北海道とかそういう寒い場所っていうのは、家のつくりも二重扉になったりとかして、
結構その防寒対策してあって、昨日も言った通りセントラルヒーティングっていうところが多いらしいですね。
なのでね、全然私はカナダに行って、その冬をね、長い冬を過ごしたんですけども、寒い冬ですね、本当に。
それでもなんか、全然寒くなかったです。
外に出たら寒いんだけども、室内がね、かなり暑い状態だったんで、
逆に私は日本の冬の方がちょっと寒いなって思っちゃいますね、未だに。
そんな感じで、そうですね、新しい場所は暖かくて、まあ一人の女性しかいなかったんですけども、
まあいろいろ話したりとかしたりとか、あと一番そうですね、
英語力が伸びた時期でもありますね。
なんでかというと、めちゃくちゃ早いんです。喋るスピード。そのホストマザー。
最初聞いた時に何言ってんだろうみたいな。
ちょちょちょちょ待ってみたいな。早い早い早いって。
めちゃくちゃ早かったんですよ。逆にそれが良くて、やっぱ人間って慣れるんで、慣れてくるとそのスピードでもやっぱり聞き取れるんですよ。
なのでね、それがすごい良くて、リスニング力とか、また飛躍的にそこで上がりましたね。
留学、その語学留学っていうのは、学生ビザ1年だったんで、学校も1年の契約だったんですね。
それが終わると同時に、ホームステイ先も出ないといけなかったんで、
まだ私はちょっと延長して、カナダに行きたいなと思ったんで、高校に行ったんですよ。インターナショナルのね。
自分で見つけて自分でやって、ホームステイ先っていうのはもう卒業して、その後からは一人暮らしですねっていうのを始めました。
一人暮らしの契約、アパートメント、マンションもアパートメントって言うんですけども、そこの契約の仕方が直接そのオーナーさんに電話をして、
空いてる部屋はあるかみたいな感じで聞くスタイルだったんですよ、当時は。
友達にそうやって教えてもらったんで、私が興味があったアパートメントに電話をして借りたいと。
そこで借りましたね。借りて、なんかデポジットとか確かなかったような気がする。
06:06
マイヤチンぐらいで良かったのかな、確か。
そこで一人暮らしを始めてみたいな感じで、
一人暮らしを始めた、どのぐらい経ってたか忘れたんですけども、原因不明の病気になりまして、
一番最初、昨日冒頭で話した通り原因不明の病気になったんですね。
それが、いまだに分からないんですけども、東南アジア系の食事をしに行った後からお腹の調子がすごい悪くなったんですね。
なんか当たったっていう感じもなくて。
というのも、私人生の中で何かに当たるってことがまだ一回も経験したことないんですよ。
なんでかというと、そういったものを食べないし、
カンボジアでもリバフィッシュっていう品名の川魚を食べて、生臭さすんごい食べて、すんごい火通したのに、
めちゃくちゃなんか、本当にお酢の味しかしなくて、
私はもう一口食べて、無理と思って辞めるタイプの人なんですよ。
彼なんかはそれでも家庭環境で絶対食べなきゃいけないみたいな、
残すなっていう精神で育っているご家庭だったんで、
結構無理やり食べたら見事に当たってしまったんですけども、彼はね。
その後すごかったんですけども。
私は結構そういうのが本当にダメだと思った瞬間にすぐ引くんですよ。
なのでなんか食べ物とかで当たったことっていうのは本当にないんですよね。
そういった生物とかもあんまり多分、魚は好きですけども、
牡蠣とかも食べないですし、牡蠣はね、小さい頃牡蠣フライとかすごい好きだったんですけども、
ある日を境に嫌いになってしまって、牡蠣食べなくなったな、一切。
そうですね、そういったものっていうの。なんか当たりやすいものじゃないですか、牡蠣も確か。
彼はね、変なリバーフィッシュにも当たったんですけども、牡蠣も大量に食べて当たったことなんですよ。
彼はいつも欲張りなのかわかんないですけども、当たりやすいですね。
それで私全然当たったことがないから、なんか食べ物で当たるっていうイメージがあんまなかったんですね。
苦手な東南アジアの食べ物だったし、ほとんど食べなかったんですよ。
どうしても私苦手で、パクチーとかっていうのも本当に臭い草としか思ってなくて、
よくあんな変な味する草食ってんな、みたいな。苦手なんですよ、すごい。
09:02
なので、ほとんど食べてなかったから、調子悪くなるのがよくわかんなかったんですけども、
それでもすごいお腹が痛くなって、トイレ行って、あの状に下してしまって。
で、それがお腹の痛みがずっとなくならなくて、
それこそ5分とか10分とかに1回トイレに行って、下しちゃうって状況が続いたんですよ。
数十分の間に。数十分とか数時間か。
その中で、本当にお腹が痛くて、あんまり動けない状態。
トイレの近くで横になってるみたいな感じで、したくなったらトイレの便座に座って、みたいな感じだったんですよ。
それを繰り返してたら、血便まで出てしまったんですよね。
あれね、すごい見た目がもう結構やばいんで、私それを見た瞬間にもうやばいかも、死ぬかもって正直思っちゃったんですよ。
で、もうかなり水分を出してる状態だったんで、体も衰弱していくし、やばいと思って、なんとか友達に来てもらって救急車呼んで病院に行ったんですね。
で、やっぱ専門的な用語とかもわかんないし、
お腹がどういう風に痛いっていうのも、いろんな言い方があるじゃないですか。
そういう言い方ってわかんなかったんで、友達に通訳してもらって言ってって感じだったんですよ。
で、病院では点滴をやってもらって、
痛み止めの薬、何を処方されたのかよくわかんないですけど、
で、それを飲んだらスーッと楽になってきて、
で、私初めてその時に点滴っていうものを受けたんですよ。
多分、おそらくなんですけど、相当ひどい脱水になってたんだと思うんですよ。
だから点滴したから、体がこう水入ってくるじゃないですか。
その時にね、うわ、なんかすごい良いと思ったんですよ。
あの、くたばってたんですけども。
そこから私、点滴がなんか好きになって。
なんか、そうですね、好きになったんですよ。
そうだったんですよね。
それで、とりあえず病院ではそういう処置、薬をもらって、処方してもらって、帰るって感じだったんですね。
保険は日本から出る時に入ってたんで、それでその後ね、やったんですけども。
帰る時も、やっぱりまだ体がね、しんどかったんで。
12:04
結構あの、くだしちゃうと体力削られるじゃないですか。
それで、歩いて帰る。距離的にも歩いて帰れる距離だったんですけども、それでもやっぱしんどくて。
タクシーをこうね、病院にいたんで、乗って帰ったんですよ。一人。
その時に運転手のおっちゃんが結構夜遅かったんで、中学生かい?みたいな。
中学生がこんな時間に何してるんだい?って言って、病気でしんどい思いしているのに怒られたんですよね。
いやもうね、なんかね、普通だったらはぁ?みたいになるんですけども、そんな体力も気力もなく。
いやもうちょっと、しんどいんでみたいな。
そんなこと言われた記憶がね、ちょっとありますね。
やっぱあの、アジア系の人ってどうしても若く見られがちなんですけども、
私なんかもすごいやっぱ、めちゃくちゃ本当に若く見られましたね。
それで帰って、薬を飲んで過ごして良くなったんですけども、やっぱり海外の薬ってなんか容量が多いのか、
なんかね、何錠飲んでくださいって言って飲んだ時に、ものすごい危機が強くて、もうぐるぐるなんか回っちゃってて大変でしたね。
だからまあ量を減らしたんですけども、もちろん。
でその時に、やっぱりまだ体がね、動けない、あんま動けなかったんで、一人暮らしだったじゃないですか。
だから友達がなんか来てくれてご飯作ってくれたりとか、あとなんかそういうサービスがあるって言って教えてくれて、
それでなんかこう、そのサービスを利用したりとかしたんですけども、なんか料理作ってくれるやつで。
その時に、友達が作った料理が衝撃的だったんですよ。
湯豆腐を作ってくれたんですね。
今考えたら、すごくまあ消化にもいいし、味が濃いものでもないから、あまり刺激にならないじゃないですか。
それをね、今だったらちゃんと理解できるんですけども、
当時ね、私本当に10代なんで、湯豆腐というものを人生で食べてきたことがなかったんですね。
これは何だろう?みたいな。
なんか温かい汁の中に豆腐が浮かんでるみたいな。
え、これってどうやって食うの?みたいな。
ショックでしたね。
え、これ何?みたいな。
そうなんですよ。
今までも家庭でね、湯豆腐というものを私作ったことが一度もないんですけども、
私最近すごく豆腐が大好きで、大豆がすごい好きなんですね。
でも納豆はあんまり好きじゃないけども、厚揚げとか揚げ出し豆腐とか普通の豆腐とかすごい好きで、
15:05
多分今だったら湯豆腐めちゃくちゃ美味しく食べれるなって思いますけども、
当時ね、10代なんで、え?みたいな。
何これ?
え、こんなの腹の足しにもならないじゃん。みたいな。
病人なのにね。
そう思っちゃったんですけども、まあ食べましたけどね。
あんまでも記憶ないな、食べた。
まあそんなこんなで、友達が結構来てくれたんです、お見舞いに。
その時にやっぱ母がね、母親がめちゃくちゃ心配しちゃってて、
やっぱ異国のうちでね、訳の分かんない病気になってなんか血便まで出してるなんてね、
普通親だったら心配するじゃないですか。
あんのじゃ本当に心配しちゃってて、
その状況っていうのを友達が電話をしてくれてね、
全部代わって事情を説明してくれたんですよ。
なのでちょっとそれを聞いてね、母親も一安心をしたんですけども、
結論ね、何が原因だったかっていうのは分かんなかったんですよ。
病院でももう食中毒とかではないって言われたんで。
お母さんは逆に日本からトロントの場所に行くぞぐらいになってしまってたんで、
その後私が一時帰国をして、大きな病院で検査を受けて何もないようにと。
検査を受けたんですよ。
それでまあ、母親もね、とりあえず安心だったんですね。
でもね、大きな病院で検査を受けた時に、検査を受けた当日、
先生が若い女性になりやすいこの病気っていうのがあって、
説明してくれたんですよ。
もしかしたらそれかもしれないって言われて、嘘でしょ?みたいな。
検査結果が出ないのね、分かんないんだけども、
もしあれだったらそれなのかもしれないって言われてて、
検査結果が出る1週間ぐらい時間があったんですけども、
ストレスでね、なんかハゲそうでしたね。
めっちゃ怖かった。
もともとそういう大きな病気っていうのをしたことがなくて、
もちろんその大きな病院でね、検査っていうのもしたことがなかったから、
すごい怖かったですね、その結果が出るまで。
で、検査の結果何もなかったんですけども、
その後すぐ帰ればよかったんですけども、
なんとなく日本でゆっくりしてたんですよ。
そしたら半年ぐらい経ってたんですけども、
それでね、昨日の収録でも言った通り、
カナダに入国、再入国するときにコピドクン叱られたんですよ。
18:03
半年後にカナダに帰って、
その間のね、アパートメントの家賃とかやってなくて、
やべえと思って行ったら、荷物が倉庫のところに全部バーッと出されてて、
そこに連絡をして、荷物を取りに行って、
新しい引っ越し先を見つけなきゃいけないなと思って、
探したのを覚えてますね。
その間、カナダに行っても部屋がないから、
ホテルみたいなところ暮らしてて、
そこで知り合った子もいましたね。
最初ホテルだったけど、ホテル高いなと思って、
ユースホテルってやつだっけ?あんま覚えてないな。
それに2日ぐらい泊まったのかな。
その時に同室だった日本人の女性と知り合ったんですよ。
年上の。フルネーム今覚えてますね。恐ろしいな。
恐ろしい記憶だな。看護師の子だったんですよね。
めちゃくちゃバイタリティのある子で、酒も大好きだし、
遊びに全力みたいな感じの人だったんですよ。
その子とその後も仲良くしてましたね。
新しい引っ越し先が決まったから、
引っ越しをしてもらう、自分一人だとできなかったんで、
業者までいかないけど、個人でやってる人を頼んだら、
一人しかいなくて、嘘だろみたいな。
で、私も一緒にやりましたね。
引っ越しをやって、無事終わって新しいところに住み始めたんですけども、
やっぱりね、一人暮らしだと英語を話す環境って減っちゃうんでね、
英語力を意識して話さないといけないんで、ちょっと低下しますよね。
もちろん日本人の集まりとかもあって、外人の集まりとか、そんなところにも行ってたんでね。
もちろん使ってたんですけども、
ホームステでこうやって生活してた時よりも、
ちょっとだけ自信がなくなった感じがありましたね、英語に対して。
そんなこんなで、そうですね。
で、カナダの高校ですか、インターナショナル高校行きながらもそこで暮らして、
急遽ね、日本に帰国する感じになったんですけども、
うちの父はね、不動産を経営してて、
21:00
で、バブルが弾けて、うちも弾けちゃったんですよ。
親みたいになって。
でね、それでまあ、留学してる場合じゃねえだろうみたいな感じになって、
まあ帰国する感じになったんですよ。
まあでも、私的にはね、全然なんか、
あ、そうなんだみたいな感じで、すんなり帰りましたね。
なんかまだ痛いとかそういった感じもなく、なんか普通に帰ってきましたね。
でも、そういえば思い出したんですけども、
ホームステイをしてる時に私、両親が正式に離婚したんですよ、実は。
その電話が、ホームステイ先の電話にかかってきて、
なんかホストマザーが、なんか男性のなんか、わけわかんない言葉喋ってる人から電話きたんだけど、
あなたの身内じゃない?みたいなこと言われて、変わったらお父さんだったんですよ。
お前日本語全開できたんか?みたいな。
よく電話したよね?みたいな。
で、その時にまあちょっと正式に離婚することになったみたいな感じで、
ちょっとごめんね?みたいなことは言われてたんですけども、
まあね、その前から、要は中学生の頃からもう別教してたから、
まあそんなにショックでもなんでもなかったのかな?
ああそうなんだ?みたいな。
あんまなんかね、えーーー?みたいなことはなかったです。確か。心情的に。
それで日本に帰ったんですけども、
日本に住んでた場所を引っ越さないといけなかったから、
違う場所に引っ越して、ちょっと狭いとこなんですけども、
それでもね、全然私、なんだろうね、
不便。その前よりかは不便になるじゃないですか。当たり前のように。
でも私なんか精神的に別に全然気にしてなかったなって。
すごいお金がないわけでもなかったし、別に普通に生きていけたし、
なんか私部屋がなくて、その当時。
お母さんと同室だったけど全然平気だった。
ていうか私の人生結構同室っていうのは何回かあったんですけども、
全然気にしないんだなっていうのに今気づきましたね。
そういうのはタフですよね。あんま気にしないっていうか、
ほんと全然気にしなくてどうであろうと。
なんだろう、そういう環境が変わっても、いつもと変わらない自分みたいな。
不思議ですよね。今思うとね。
24:03
それで日本からね、日本に帰って、私はその時初めて、
要は20歳になって初めてバイトというものをね、し始めるんですよ。
せっかくね、留学して英語ができるから、英語関係のものを探してたんですけども、
いかんせん私の英語が中途半端すぎて、微妙なラインだったから見つからなくて、
家から走って30秒、歩いて1分ぐらいのところにあるお店に初めてね、アルバイトをし始めたんですよ。
お店なんですけども、ちょっと変わったお店で、ミリタリーショップってわかりますかね。
なんかああいう電動ガンとかモデルガンとか、あとなんか日本刀とかナイフとか、
そういった類のものが売られている場所なんですけども、
私ね、めちゃくちゃ好きなんですよ。そういったものが。昔から。
お母さんからはね、「なんであんな店で働いてんの?」っていう、本当にひどい顔つきで言われたんですけども、
いや、好きだしみたいな。申し訳ないけど好きなんだみたいな。
そこに一目惚れをして、バイト募集をしてたから、バイトしたいです!みたいな感じで行ったんですよね。
事務員みたいな感じで募集をしてたんで、それをなったんですけども。
もう一人の女性の方もいて、あとはほぼ9割が男性だったんですね。
まあ、かなり気持ち悪い人もいっぱいいましたね。今思えば。
私はそうですね、結構楽しく、通販とかもやってる。結構有名な、その業界では有名なお店なんですよ。
おそらくね、まだあると思うんですけども。
通販やってたんで、それの処理とか全部やってて、なかなか楽しかったですね。
個人経営なんで、そこの両親と息子さんが主にそのお店をやってて、あとアルバイトが数人いるって感じだったんですよ。
いやー、なんかね、モデルガン買ったような気がする。
ナイトホークスっていうモデルガンあるんですよ。
わかんないですよね、多分これ聞いてる人。はぁ!?みたいな。
それが好きで買ったんですけども。
どちらかというと、電動ガンのクルツっていうのがあるんですけども。
それがめちゃくちゃ好きで、今でも好きですね。
すげー可愛いやつなんですよ。
まぁいいや。そんな感じで、日本に帰ってきてアルバイトを始めたんですけども。
27:07
今回ね、カナダに行って、やっぱりターニングポイントだったなっていうのがすごくあったんですよ。
行く前と行った後では、やっぱり自分の性格、内面ですか?っていうのがすごい変わったんですよね。
まず、カナダにいる時って結構自分でやらなきゃいけない。
わかんないことも自分で処理しなきゃいけないっていうのが多かったんで、自分自身でやってたんですよ。
そういう意味では、多少なりとの自立じゃないですけども。
もちろんお金は出してましたんでね、あれなんですけども。
そうですね、自分自身でやるっていうことを覚えましたよね、カナダでは。
それが日本に帰ってきて、かなり自分の内面に反…ん?反面?違う。反応?違う。
なんて言おうとしたんだっけな。反映されたのかなって思いますね。
だから、カンボジアの時もそうだったんですけども、やっぱ海外ってかなり大きなターニングポイントなんですよ、私にとっては。
すごいその後、行った後っていうのがガラッと内面が変わって、まあ内面が変わると世界が変わるじゃないですか。
だからすごい変わったっていうのを覚えてますね、今でも。
もちろん10代の時に留学させてもらったっていうのもすごく大きな経験だったし、両親には感謝しかないですよね。
あの時は全然そういうふうに思えなかったんですけども。
なので、カナダ留学はそんな感じだったけども、今でもね、もう一回短い期間でいいんで、トロントには行きたいなと思いますね。
よくトロントにある有名なイートンセンターってあるんですよ。
その中で食ってたベーグルのサンドがあるんですけど、めちゃくちゃ美味しかったんですよ。
まだそれがあるなら食べたいなとか。
ベーグルがすごい好きなんでね。
あとは、何十年も前の話だから、もちろん昔よりも日本人も多いし、中国人もすごい多いらしいですね。
どこの場所にもいるから仕方ないんですけども。
でもあれですね、私今思い出しましたけど、高校でインターナショナルだったから、韓国人とか中国人のお金持ちの方々が結構いらっしゃったんですよ。
30:02
私なんか知らないんですけども、どちらとも結構人気があって。
韓国人の男の人とかもそうですね。
友達ももちろんいたし、年下の男の子。
楽しく電話とかしてるし。
中国人のわけわかんない男の人に、この日みんなで遊びに行こうよって言われて、嘘つかれて二人っきりになって、最悪と思って。
キモいとか思いながらも、どうしようと思って。
帰るには帰れなくて。
車でどっか近くのアイランド的なもの、島みたいな、行けるとこあったんですよ。
そこに行こうよみたいになって、マジか。島なんて行きたくねえよと思いながら乗って行ったんですね。
で、そう乗って行って、途中でこれって言って、時計をプレゼントされたんですよ。
GショックのベイビーGか。ベイビーGを可愛らしいやつを貰ったんですね。
マジこれセンスなさすぎと思って。
私はごついのが好きだから、可愛らしいアクセサリーって、いまだにあんまり好きじゃないんですよ。
こいつ全然わかってねえなと思いながら、ありがとうってもらったのを友達にあげたのを覚えてます。
いらないからって。
ひどい人なんですけども。
で、島に着いて、なんかこう、モールみたいなものがあったんですね。
モールの中を散策2人してるんですけど、なんかすげえ距離感近いこいつみたいな。
なんか勘違いしてねえみたいな。
おい、友達の距離感じゃねえぞみたいな感じになってたんですよ。
気持ち悪いと思って。
ちょっと触んなみたいな感じで言ってて。
で、私はもう本当に、精神的な苦痛が耐えられなくて。
もうそろそろ私帰らなきゃ無理っぽいって。
お父さんがね、電話来るって言ってたんだよっていう苦しい理由をつけて帰りました。
マジでね、本当に嫌でしたね。
そう、あーそうです私。
その時に、なんかね、韓国人の男の子が自分家の家のオートロックだったんですけども、
そこまで勝手に来ちゃって、なんかすごいこう、インターホン鳴って怖い思いしたっていうのもありましたね。
なんか軽いストーカーみたいな感じですよね。
そうそう、それもありましたね。
なんかそんな、先駆けですよね、ストーカーの。
だってその当時ストーカーとかっていう言葉がなかったから。
ちょうど家に友達とこういて、うわ何こいつみたいになって、
いや私がじゃあ行ってくるよ、つって。
33:00
なんか友達がかっこよく言ってくれてね、なんか追っ払ってくれたんですけども。
まあそういうのもありましたね。
なんかね、だからあんまりそういう意味では、
中国人の男性は特に苦手なところは正直あって、
韓国人の男性は面白かったですね、すごく。
女性も強いし、女性はねなんかすごい強い人が多いなって思ってて、
でも面白くて、ご飯食べに行ったりとかよくしてましたね。
カナダ結構ね、本当に覚えてますよ、いまだにいろいろと。
訳わかんない病気もそうですけども。
すごい懐かしいなぁと思うから、やっぱり行く機会があるのであれば、
まあね、本当旅行みたいなスタンスで1週間とか行けたら面白いかなと思いますね。
すごい懐かしい、要は。
夏が一番いいんですよね、確か。
冬はやっぱりね、何も観光とかもできないし、
ないやがらとかも知ったんですけども、
冬場はないやがら凍っちゃうんで、
私は4月ぐらいにないやがらに友達と車で行ったんですよ。
ただね、まだね、やっぱ寒かったからフローズン状態でしたね。
微妙に溶けてねぇみたいな。
すごい良かったですよ。
友達、そうだ、日本の仲良かった、小学校の時から仲良かった友達も、
カナダに私が留学してるって言ったら、
遊びに行きたいって言って来てくれたんですよね。
1週間ぐらい滞在してたのかな。
そうそう。そんなこともありましたね、そういえば。
懐かしいな。
本当にね、3年間、2年半か、長い期間だったんだね。
その中で結構色々ありましたけども、やっぱり海外ってすごい良いなって思いますね。
もちろん日本の言語が通じない不便さはあるんですけども、
その不便さが逆に良いんですよね。
昨日の収録でコメントを残してくれた人がいたんですけども、
私はそこにも書いたんですけど、
初めてね、日本から出て、外から日本というものを見たじゃないですか。
その時に、日本ってやっぱりすごい便利だし、素晴らしい国だなっていうのをね、
海外に留学しててね、ものすごい実感したんですよ。
それで、今まで意識してなかった日本というものを意識して大好きになったんですよ。
大好きになって、30ちょいぐらいになってから海外輸出業をやったのも、
36:05
その気持ちがあるからだったんですよ。
海外輸出業で輸出してたものは日本のアニメ商品とかが主だったんですけども、
私はそのものを輸出してるものなんですけども、
私の中では日本を輸出してるって感じだったんですよ。
ここのアニメのフィギュアとかだったら、そこから日本を感じてほしいなって常にずっと思ってたんですよ。
輸出業をやってる時って。
日本の良さをもっともっといろんな国の人に伝えたいって思ってましたね。
それのきっかけがこのフィギュアかもしれないけども、そこから興味を持ってくれたらすごい嬉しいなって思ってたんですよね。
それ逆もしかりで、私はだから他の国っていうのももう全然知らないんで、
もっともっといろんなとこ行って、そういったものを感じたいなって思ってるんですよ。
なんかね、本当に何個か前の収録で言った通り、
すごい自分の価値観というものがね、やっぱりちょっとまた変わったんですよ。
昔は友達とかって狭く深くっていう付き合いの人が多かったんですよ。
でも今って、今なんか友達の付き合いは広く浅くがいいなって思い始めてる自分がいるんですよ。
これはね、本当にずっと生きてた中でそんな価値観一回も持ったことなかったんでね。
それが、その価値観に気づいた時にちょっとびっくりしましたね。
だから、今やりたいことはもういろんな土地に行って、その土地のエネルギーを感じたりね。
エネルギー的に言うと、あとその見る人とか。
もちろん日本もね、まだまだ行ったことない場所っていうのはすっごいあるから、
そういったね、行ったことない場所とか行って、いろんなものを感じたいなぁと思ってますね。
今一番やりたいことはもうそれだけですね。
他のことはね、全く興味ないかな。
なんかね、そんなことに最近気づきました。
これから、来週ね、来週の17日からね、お仕事なんで、ちょっと気合い入れてね、やっていこうかなと思います。
まだまだね、夏。
かなりね、また気温が上がってきて暑いんでね。
朝に気をつけながらね、生きていきたいと思います。
ということで、今回は以上となります。またでーす。