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こんばんは、あきらです。 今日はですね、昨日収録でちょろっと、カナダの留学について話したら、なんか友達がコメントでね、
カナダの留学がちょっと気になったわ、みたいな感じで書いてくれたんで、 まあそうですね、そのことについて話して
いきたいとおもいます。 カナダのトロントに留学したのは、17歳の時だったんですよ。
17歳の9月に、あの語学学校にね、入学をしたんですけども、
行ってた期間っていうのが、20歳の時に日本に帰ってきたんで、3年なんですけども、でもあの私途中でね、
原因不明の病気になって、母親がめちゃくちゃ心配して、1回日本に帰ってきて、その検査を受けてほしいって言われてしまったんで、
1回帰ったんですよ、日本に。1回帰ってで、大きな病院で検査をして、何もなかったんですけども、そこから半年ぐらい、
家でグータルグータルしてたんですよね。 実質2年半ぐらいなんですけども、
そうですね、半年もその留学中、ビザは出して、ビザを取ってね、カナダに留学している状態だったんですけども、その間に半年間もね、日本にいて、
トロントに帰っていくと、まあ止められるんですよ、入国する時に。 ええ?みたいな顔をされて。
あんたさ、みたいな。 留学して、勉強しているのに、なんで日本に半年間もいたの?みたいな。
何しとったん、君?みたいな感じで、なんかごつい人に止められちゃって、なんか別室とか連れて行かれて、なんかね、怖かったですよ。
一生懸命説明しましたけどね、原因不明の病気になって、検査を受けて、ちょっと日本でゆっくりしてましたと。
ダラダラしてるとは言ってなかったと思いますけども。 そうなんですよ。
そんなこともあったんですけども、17、 なんでね、留学をね、こうしたのかって言ったら、なんとなくなんですよ。
もろふんわりなんですけども、 なんか元々、じゃあ留学に興味があったのかって言ったらないし、
なんかこう、なんかテレビの影響とかで、留学したいとかになったのかって言ったら、それもないし、 ただなんとなくなんですよ。
今でも理由がわからないです。 ただ、
私、そうですね、17歳って言うと、ま、世間一般的には高校生じゃないですか。 私なんですけども、高校、
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高校に入学をしたんですね。
して、中退をしてしまったんですよ。 実は、実はというか、ブログのプロフィールにもね、しっかりちゃんと書いてあるんですけども、
プロフィールに、中退したのは1ヶ月通ってから中退しました、みたいなことをね、あの、実は以前書いてたんですけども、
実はね、それ嘘で、 本当は、
3日しか通ってないです。 3日、高校に通って、辞めちゃったんですね。
さすがに3日はどうかなぁと思ったんで、ずっとブログのプロフィールには1ヶ月、みたいな感じで書いてたんですよ。
ちょっと前に、いやもう何十年も話の話だから、もう3日でも普通に書いときゃいいかな、みたいな感じで書き直しましたけど、
そうなんです。3日しか行ってないんですよね。
いやね、あの、なんだろう。
私、もともとその小学校の時に、
確か小学校1年生の時に、 まあ覚えてないんですけども、
あの、登校拒否をしてるんですね。 で、中学校の時も1回してるんですよ。
まあ家がゴタゴタしてたんでね、かなり精神的に巻いてたんですけども。
で、中学の時からかな、なんか、
なんでみんな普通に受験をして、普通に高校に行くんだろうっていう気持ちがずっとあったんですよ。
なんでみんななんか、そうやって普通に行くの?みたいな。
それって普通なんだ?みたいな感じで、常に何か思ってる自分がいて、
なんかこういうふうに思ってる自分って、なんかおかしいのかなってね、
思ってたんですよね。
当時ね、私のその中学生、それぐらいの時代っていうのは、
まあ普通に受験をして、普通に高校に行くのが、まあ世間一般的だったんですよ。
私はそれに対してね、なんかなんて行くんだろうな?みたいな。
もちろんすごい目的があって行くっていうのはベストだと思うんですけども、
ただただ流されるように受験をして、なんか行くんだっていうのが、
どうしてもね、なんか負に落ちてなかったんですよ、私の中で。
そんな中でね、私は私立に入学をするんですけども、私立結構厳しいところだったんですよ。
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高速とかがね、
あんまりその偏差値がなかったんで、やっぱね、あの偏差値が厳しいところって高速結構厳しいじゃないですか。
案の定こう行って、私はもうげっそりしてたんですよ。
やべぇ、この学校やってけねえかもしれないみたいな。
で、学校から帰ってきて、玄関のドアを開けると死んだような顔してるんですね、私が。
それを見たお母さん、その当時は私と母親と妹3人で暮らしてたんですね。
で、その母親はね、そんなひどい顔した私を見てね、言ってきたんですよ。
そんなつらいんだったらやめたら?みたいな。
普通言わないですよね。だって私立ですよ。私立ってめっちゃお金かかるじゃないですか。
もちろん出してるのは父親なんですけども、でもね、母はそう言ってきたんですよ。
普通だったらね、おそらくいやまだ俺頑張るよとか、いや私まだ頑張ってみるとかって言うじゃないですか。
私すごい下手でなんで、じゃああの遠慮なくやめますみたいな感じになっちゃったんですよ。
いやーね、で3日でやめたんですね。
いやね、やっぱり最短、最短というかね、あまりにも3日は短すぎて、あの
お父さんがね、1週間くらい口聞いてくれたんですよ。
すんごい怒ってて。
もちろん私の父っていうのは、そのなんだろう、昔から娘とか、その子供たちにね、なんかこう自分から怒鳴るとか叱るとかっていうことをね、一切してきてない人なんですよ。
なので怒ってるという、怒ってるけども別にその私に何かこう言ってくるわけではなくて、静かに怒ってるんですね。
一番立ち悪いんですよね。
まあね、でもその気持ちも今だったらもちろん理解できるんですけど、そうなんですよ。だからそれでまあ行かなくなったんですね。
で、まあ晴れて私はフリーダムになったんですけども、そこからまたダラダラした生活が始まるんですよ。
なんかバイトもせず、家でダラダラこうしてて、
たんですね。そしたらとある日から、いきなり急にですね、外出するのが怖くなったんですよ。
なんで怖いかっていうと、外出すると人の目っていうのがなんかこう、すごくね敏感になってしまってるというか、なんかすごい人の目を気にするようになってしまったみたいな。
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なんか自分のことを見てるんじゃないかと思って、なんかちょっと神経質じゃないですけども、まあ精神的になんかね不安定だったのかなって今思いますけども、
そういうふうな状況になってしまったんですよ私。
で、外に出ることも怖くてどうしようと思って、まあお母さんにね、あの相談したんですね。
いやちょっと外出るのめっちゃ怖いんだけどみたいな。なんか人が私をずっと見てるような気がするって。
怖くて出れないって言ったらね、お母さんがこう言ってきたんですよね。
いやねって、あったねって。 そのパジャマの色、色って言うんですよ。
そんなパジャマの色着てるからそうなるんだよって言ってきたんですよ。 え?と思って。
当時私は家の中でねパジャマを着て過ごす人だったんですよ。 完全なダメ人間なんですけども。
パジャマの色っていうのがどちらかと言うとその明るい色っていうよりも落ち着いた色。
そうですね、ネイビーとかモスグリーンとかそんなような感じの色が私好きだったんですよ。
で、その色だよって言ってもっとね赤とかのパジャマ着てみろみたいな感じで言われたんですよ。
何を言ってんだろうこの人って思ったんですけども、そうなのかなって私はちょっとね、そこの辺は素直なんで。
その後に赤いチェックのパジャマを買ったんですよ私。 それをこう着るようになったんですね。
で、着てからは別に、それのおかげかなんのかわかんないけども、徐々に外に行く抵抗感っていうんですか、抵抗というものがなくなって、最終的には大丈夫になったんですよ。
でも期間的にはね本当に短い期間でしたね。 多分2週間とかそれぐらいだったんじゃないのかなって。
今でもね、なんでそんな風になったのかっていうのはまあ、 かなり前なんで覚えてないですけども、ただね本当に怖かったっていう記憶はありますね、今でも。
なんだろう、なんでだろうね、なんかね。 今だったらいろんなその精神的な病名ってあるじゃないですか。
まあそういうのを特徴とか入れたら出てくると思うんですけども。
当時はね、 病院、もちろん親がさ心配すれば病院行ったらとかそういうふうに言ってくる親っていうのもいるんですけども、うちの親はねちょっと変わってるんでね、なんか。
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なんかそんな風に言われたんですよ。 まあ治ったんでね良かったんですけども、逆にその
母親がね、 深刻にならずにパジャマの色変えろぐらいのことを言ってくれたから、私自身も変に深刻にならなかったのかなぁなんてね。
今振り返るとね思いますね。
そんなこんながあって、 その後留学をするんですけども。
なんでね、カナダ留学、海外留学をしようかと思ったのかっていうと、やっぱりねわかんないんですよ。
ただ、ただですよ。 その時の現状を変えたいと思ったんです。
私はこの現状が、まあ要は嫌だから他の
なんか変えたいと。 今と似てますよね。私もちょっと前にそういうふうにすごい思って、今のこの現状気に食わねえよみたいになって、
まあ行動を起こして、 契約をしたんですけどもね、仕事の。
シフトがね、あのさっき流れてきたんで、17日ですね、スタートしますねお仕事。
そうなんですよ。だからその当時もやっぱり現状を気に食わなくて、 まあなんか変えたいみたいになって、なんかいきなり海外留学になったんですよね。
なんでだったんだろう?不思議だなぁ。ぶっ飛んでるよなぁ。
であの最初はね、アメリカに留学する かもしれないってなったんですよ。
父の知り合いがアメリカのその留学する場所にいるらしくて、 アメリカにしたらいいじゃんって言われたんですよ。
で場所どこなのって聞いたらラスベガスって言うんですよ。 ラスベガスって聞いた時に、いやそれ留学する場所じゃないでしょみたいな。
だってもう火事の死がないでしょどうせみたいな。
だからアメリカはちょっとなって思ってたんですね。 私の中ではオーストラリアかカナダかなと思ってて、
オーストラリアは英語がちょっと鉛があると聞いてたんで、 最終的にカナダがいいってなったんですよ。
カナダだったらだいたい行くのがバンクーバーかトロントだったんですね。
バンクーバーの方が人気があったんですよ。 トロントよりもそんなに寒くなくて住みやすいみたいな。
だから日本人が多いところは嫌だから、トロントに行くみたいな感じになったんですね私は。
今思うとチャレンジャーですよね本当に。 何も考えてないんだろうなって思いますけども。
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トロントに決めて、
まあそうですね、それに対して学校とか色々準備をして、
父親がね色々準備をしてくれてたんですよ。
当時は全然子供なんでね、その親がどうした、どうやってくれたとかっていうのは全然わからなかったんですけども。
いつだったか、20代後半になってから父親と話す機会がすごい増えた時に、
そういう留学の時の話をやっぱり聞いたんですよ。
保証人とかって見せる場合だと必要だったんですけども、
すごい人に保証人になってもらったりとかもしてたみたいなんで、
そんなことがあったんだなぁみたいな、そうなんだみたいな。
それで成田に行って、成田からカナーディアンエアラインかな?確か。直行便があったんですよ。
それをね父親が予約をしてくれて、
そうですね、それで行ったんですよ。
全然英語が話せなくて行ったんですね。
一応留学するっていうことになったから、3ヶ月くらい前から英会話の学校ですか、
当時はね、オンラインとかってもちろんないんで、普通にそういう学校ですか、
覚えてますかね、なんか駅前留学の場ってあったじゃないですか、あれに行ってたんです私。
3ヶ月間だけ行って、それでカナダのトロントに行ったんですけども、
まあ何の役にも立たなかったですね。全然ダメ。
3ヶ月ってもう短すぎますね、期間としては。
1年間学生ビザを取って行ったんですよ。
これもね本当私、ビザ関係はいつもなんか大変なんですよ。
カナダの時行く時もビザ取るの結構大変で。
でカナダにいる時にそのビザ1年しかね取ってないから延長する時、エクステンドする時に結構ギリギリでそれもすごい冷や冷やだったんですよ。
で6年前のカンボジア行く時もそのビザを取ったんですけども、それもすごい取るの大変だったし、
なんかねビザ関連はいつも大変だから、なんかあんま好きじゃないですね、個人的には。
でね、こうまあ、旅立って一人で行って、
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で、駅、駅じゃないや、エアポート着いて迎えの人がね、行って、その人に荷物とか運んでもらって、
市内の方に行くんですけども、カナダ当時はすごいエアポートから都市部まで結構距離があったんですよ、車で。
だからね、そこそこの時間を乗ってたんですけども、まあ17歳の私、今とは全然違うんで、またね英語もできないから無言、ずっと無言でしたね。
相手も分かってると思うんで、で連れられてってホームステイ先に行って、
トントンってノックをしてドアを開けた瞬間に、前の収録でも言ったんですけども、猫がいたんですよ。
猫!?と思って。 私は犬と猫のアレルギーがあるので、その家に住むことは不可能なんですね。
でもちろん、私が事前に学校側に伝えたわけじゃないので、まあそれはミスなんですけども、
焦ってね、一生懸命ホストマザーの人に言いましたね。
いや、アレルギーなんだって。 そこからまあ学校に連絡して、学校が急いで、その日のうちに仮の場所を用意してくれて、
どっかの家ですね、ホームステイ先の。 そこ行って、
行ったんですけども、なんかこう、やっぱ慣れない環境で、もう全部が違うから、英語も喋れないし、もうねすごいね、
なんだろう、もう疲れてました、精神的に。 初っ端からそんなんだったんで。
めちゃくちゃ疲れてましたね。 朝のパンとか出して、なんか用意してくれて、もうなんかジャムが1センチぐらい分厚かったり、
なんか塗ってあるんですよ。 ジャムくらい塗れるわ、みたいに思ってたんですけども、まあ逆に気を使ってくれて塗ってくれたんだろうなって、今はね、
思うんですけども、本当に甘くて、もうジャムを食ってるって感じになりますね、あれ。 あんだけ塗られると。
またそれもね、もうどんどんどんどん心が荒んでいくというか、心が蝕まれていくというか、もうね、しんどかったです。
ですぐにね、またね、ホームステイ先っていうのをこう、また、
決めてくれて、学校が。でまた移動するんですけども、まあね、もうコロコロコロコロその移動をしなきゃいけない状況だったから、もう本当にね、
精神的に疲れてましたね。
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仕方がないんですけども、今思えばね。
で、そうですね、行ったところが、私ともう一人日本人がホームステイ先にいたんですよ。
でその日本人は私よりももちろん年上の方で、先にね、いらっしゃってたんで、まあなんかね、通訳とかね、結構いろいろ
助けてもらいましたね。 イタリア系の人だったのか、なんかね、英語が結構ゆっくりだったんですよ。
聞き取りやすくて、私もたくさん結構コミュニケーション取りましたね。
そこでね、やっぱコミュニケーション取るから、飛躍的に英語ってすごい伸びていくんです。 喋れば伸びるんで基本的には。
で、そこで過ごしてたんですけども、まあね、そこの留学…留学じゃないや、ホームステイ先っていうのが結構癖のある場所で。
すごいケチなんですよね、まず。 ケチだからちょっと寒くなってきた時期になると、カナダって暖房入れるんですけども、セントラルヒーティングなんですよ。
だから、一台一台エアコンがあるわけじゃないのでね、スイッチ入れて暖かい空気が出る穴というものがあるんですけども、そこから暖房が出てくるんですね。
ケチだから全然暖房入れてくれなくて、超寒いし、入れたと思ったらすんげー弱なんですよ。
おーいみたいな、冷えるぜこれみたいな、なってて。 寒いなーなんて思いながらも。
で、あとシャワーを浴びる時は15分にしろみたいなことを言われてたらしいんですね。
私自身はあんまり分かってなかったんですけども、もう一人のね、その日本人のお姉さんがそれに対してすごい怒ってたんですよ。
私当時髪の毛はショートカット、今と変わらないショートカットだったんで、お風呂入るのもすごい早いんですよ。今も相変わらず早いんですけども。
で、そのお姉さんは髪の毛長かったんですね。 だから長いとやっぱ洗うのって結構大変じゃないですか。
だから時間もかかるんですよね。 だから15分無理に決まってんだろうみたいにすごいもう切れてて、
ホストマザーにすごい言ってたんですよね。 「ふざけんな!」みたいな感じで。
最終的にはその日本人のお姉さんは出て行っちゃったんですけども、こんなとこにいられるか?みたいな感じで。
で、私はしばらくいたんですけども、やっぱりね、食べ物もそうなの。食べ物何出てきたのか全然覚えてないな。
なんか大したもん出てきてないですね。 あと寒かったのがやっぱり嫌で。
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学校に相談して帰ってもらうことにしましたね。
まあそのことをね、家に帰ってホストマザーとかに言われた時に、なんかホストマザーがすごい
もっと長くいてくれると思ったのにすごい寂しいわみたいなことを言われて、いやいやいや寒いんだよみたいな。
風邪ひくわみたいな。 そういうふうに言わなかったですけども、そういうふうに思いながらもね、私は全然出てたんですけども。
そんな感じでしたね。
英語に関しては、そういうホストマザーとか、ホストファミリーと日々話すことと、あと学校に行ってもちろん習うこともそうなんですけども、
先生からは日々ね、英語で日記をつけたらいいよみたいなことを言われたんで、まあ素直に私はその英語で日記をつけて、そして日記をつけるだけではなく、それを学校に持って行って、
先生にね、文法とかの間違いとかそういうのないかっていうのを常にチェックしてもらってました。
そんなことをやってると、まあ必然的じゃないですけども、めきめきに英語っていうのは上達してて、
耳がね、英語耳になるみたいな感じだったんですけども、まあ本当にその通りで、
えーとなんだろう、こう、例えば、
アップルってあるじゃないですか、リンゴ、アップル、アップルってまああっちの人が言った時に、
わざわざ、あの、なんて言ったんですか、リンゴって変換しないで、日本語に変換しないで、そのままのアップルで理解するっていうんですかね、そういう脳みそがやっぱりできましたね。
まあいちいちだから和訳しないで、そのままの言葉を受け取って理解するっていうのが、
留学してだいたい3ヶ月ぐらい後、リスニングが上がるんで、慣れてくるんで、多分それぐらいで多分できてくるんですよね。
知らない単語とか出てきたら、まあ調べたりとかして、って感じだったんで、
そうですね、そんな感じでしたね。
やっぱりね、環境、英語しか喋れない環境に飛び込むと、やっぱり喋らなきゃいけないんでね、すごい伸びますね、やっぱり。
そんな感じでね、留学してたんですけども、ということで、ちょっととりあえず26分なんで、1回ね、切りたいと思います。
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ということで今回は以上となります。またです。後半に続きます。