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2023-10-24 1:04:20

インタビュー_2022_11_25_九州好青年科学館について

インタビュー音源

サマリー

九州好青年科学館は、宇佐美くんと井原くんを中心に作られた展示会です。様々なジャンルの作品が集まっています。初年度は作品点数が見えていなかったが、展示会向けの施設を利用し、作品の並べ方を考えていました。2年目にはアジア美術館でより大きな展示会を行い、好評を得ました。九州好青年科学館の展示は、科学館としてのコアコンセプトを少数のメンバーで共有し、多くの人が作品を出す部分や会場作りなどを手伝う形で展開されています。展示の目的は、モチベーション工場としての役割を果たすことであり、完成イメージの共有が重要視されています。九州好青年科学館についてのインタビューの内容をまとめると、展示会のコンセプトや企画、ワークショップの実施など、制作側の楽しさやプロセスを見せることに重点が置かれていました。九州好青年科学館は、学生たちのつながりを通じて協賛を受け、モチベーションの向上を図り、深く表現をしていくことで、科学館としてのコンセプトが生まれました。メンバーの卒業や就職もあり、自然にプロジェクトは終了しました。

九州好青年科学館の成り立ち
田野さんと、今回一緒に編集をする妻です。 文子です。
よろしくお願いします。
今日は、九州好青年科学館のことから。
そうですね。 概要というか、 共有いただいている感じですかね。
そうですね。
もともと、大学でそれぞれがどういうふうな関係性から、 一緒にものづくりを始めたかというところからお伺いしたいと思います。
九州好青年科学館は、もともとは宇佐美くんが、 宇佐美くんと井原くんが中心に作っていた。
電源が、電源がやばいです。
こっち入る?
一番最初の、あれですかね、 九州好青年科学館の成り立ちとしては、
僕、宇佐美と、
僕の視点からいくと、
当時は、だから修士、大学で委員に入ってたんですけど、
その学部の、
同じ学科の人たちとよく展示会をやってて、 作品展をやってたんですよ。
で、各々がいろんな自分の得意分野で、 ものを作るみたいなことをやってて、
照明が得意な人は照明を使った、 アート作品作ったりとか、
写真家もいたし、
僕もアニメーション家、 印刷物とかでやってたんですけど、
みんな卒業して僕だけ院に残って、
空虚感に見舞われて、
たまたまその時に同じ研究室だった井原くんが、
馬があって、作品展またやろうよ、 っていう話があって、
2人で企画してたんですよ。
農民屋で何かいろいろ話してて、
2人とも共通で、 科学が好きだみたいな話になって、
科学館は面白いよね、みたいな話になって、
で、何か分かんないけど、 作品展を科学館みたいな体で、
展示したら面白いんじゃないか、 みたいな話になって、
じゃあ仲間を募ろうかっていって、 いろいろ探そうとして、
まず一番最初に声かけたのが、 貞野さんだったんですよね。
作品の集まりと展示会の計画
貞野さん当時からメディアートで結構、
ぶいぶい言わせたみたいな。
なんか賞もらったりして、 ちょっとした有名人だったんですよ、大学内。
絶対刺激になるよね、みたいな作品。
一緒にやったら絶対楽しそうだよね、 みたいな話になって、
で、2人で会いに行って、
研究室が音響設計学科っていうところの、
アート寄りのことをやっている、 メディアートの研究室だったんですよ。
岩谷くんと僕が同じ研究室で。
そこで岩谷くんと、
他のメンバーも何人か行ったんですけどね、その時は。
で、みんなですごい熱い連中だなぁと思いながら、
パーティーを組んできたみたいな感じで始まったんですね。
たぶん前提として、
芸国高大、九州芸術工学科大学、
今は九州大学の芸術工学部ですか、
ですけど、そこが、
学部時代とかにはものすごい、文化祭っていうか学祭にものすごい力を入れる大学で、
生徒が割と全員、
なんか1軒から5軒ぐらいまで、
1軒、2軒、3軒、4軒、5軒みたいな感じで分かれて、
それで、1軒は何をする、2軒は何をする、3軒は何をするみたいな感じで、
それぞれにチーム組んで、
1つの学祭を盛り上げるみたいな、
そういうのはすごい盛んな大学なんですけど、
院に入ったらそれがないんだよね。
それで、ああいうのやりたいよなぁ、みたいなのを
宇佐美くんと僕らは思ってたっていう感じの流れではありますね。
同じように植えた人がいっぱいいて、実は。
学品展やるって言ったらまたたく間に噂が広がり、
会場作りをやってた人とかが入ってきたりとか、
照明をやってる人が照明をやるよって言ってきてくれたりとか、
プロダクトをやってる人がなんかわからんけど入ってきたりとか、
どんどん広がっていってしまって、
当初の目的というか、
作品展を各々が好きなことをやるが、
別にそれぐらいしか目標なかったから、
いくら増やしてもいいなっていう、
どんどんどんどん募っていって、
本当に幅広いプロダクトもあるし、
立体誌とかですよね。
3,40年ぐらいになったじゃないですか。
3,40年。
そうですね。
3,40年までいったんです。
最初の段階で宇佐美さんと矢良さんが、
科学面白いよねっていう話をした段階で、
例えば宇佐美さんはこういうアニメーションを作りたいみたいな、
具体的にはその時に、
科学を基礎に作品面白いというのが出てきて、
それと全体の枠を作るのって平行して進んだんですか。
そうでしょうね。
最初どうだったんでしょうね。
何で科学って言ってたっけ。
何で科学。
まあ、科学館が好きだったんで。
科学館が好きで、
科学館作りたいよねっていう、
謎な。
だったよね。
どっちかというと、展示設計っていうよりも、
コンセプト設計から入っているので、
そのビジュアルイメージとか、
名称とか、
そっちに走りすぎちゃったなと。
最初にね。
もともとこの辺りの興味っていうのが、
作品そのものっていうよりも、
アウトプットするための仕組み作りとか、
そっちの方に興味が結構みんな行ってたんだと思いますね。
それぞれには制作してるんだけど、
通常のアート展示みたいなのとか、
そういうのと違った形で、
独自のアウトプットの仕方をするときに、
どういうやり方があるのかみたいな。
その仕組みを作るっていう、
モチベーション製造工場とか言ってたけど、
そういう部分っていうのを。
科学館的な見せ方みたいなこと言ってたんですよね。
でもそれって多分中盤ぐらいで言ってた気がしてて、
最初に言ってたかどうか結構怪しくて。
最初はもう完全にビジュアルから入ってますね。
ロゴとかですか?
ロゴとか名称とかからですね。
科学館っていうのが多分、
無条件にワクワクするものの対象だったのかなと思って、
ワクワクするものを作りたいっていう感覚だったんじゃないかなと思います。
青少年でじゃないから、
高青年で行こうみたいな。
それいいねみたいな。
その勢いのまま来た感じ。
それはもう最初に結構、
いはらさんとうさみさんのお二人で、
飲み屋とかで話しながら、
ワクグミは大ワクを作って、
ちゃんと演化するためにみたいな感じでした。
名称だけですね。
ワクワクを考えただけだったのが、
そこにいろんな人が乗っかってた結果、
展示会になったという感じですかね。
アジア美術館での展示会
そこに、さだもさんのところに入った時に、
メディアートみたいな考え方が入ってきたり、
さっきの会場作りが好きな人が入ってきた時に、
会場っていう概念が入ってきたりみたいな。
人と一緒に、
概念とか仕組みとかシステムが
ジョインされていった結果、
集合体として完成したという感じだと思う。
展示会の枠を作る人っていうのは、
実は最初からいなくて、
それぞれが作品を持ち寄った結果、
自分が作品と捉えるものを持ち寄った結果、
形として最終的に展示会になったみたいな感じですよね。
それって多分今もそのまんまな気がしてて、
一昨日ぐらいから飲みに行って、
メンバーの人たちと飲みに行って話をしてると、
結構そこに近い話になりましたね。
結局うちで働いてる働き方っていうのが、
いわゆる普通の仕事みたいに、
スケジュールを聞いて、
いついつまでにこれこれを上げてくださいみたいな感じの、
仕事をやるっていう意識でやるっていうよりも、
ある程度多くのものが、
困ってんの?僕これできるけど、
手伝おうかっていう感じでジョインしていく。
それの結果、全体の作品なり展示なりが、
色が組み上がっていくみたいな、
そういうのって割とそこの、
高生年科学館のところにすでに、
この状態が作り上げられてたのかもしれないなって思うね。
それこそ高生年科学館のときは、
何かやりたい、やろうとしてるうさみさんといはらさんが、
ふわっとこんなアイディアをどう形にするかっていうので、
声を掛けていったのがさだみさんだったり、ひわたりさんだったりっていう感じで固まっていったみたいな。
そうですね。
芸工大って5つ学科があって、
画像設計とか音響設計とか工業設計とかって、
それぞれアウトプットが違う学科で、
あんまりその横の交流ってあんまりないんですよ。
それこそさっき言ってた学際で混ざるぐらいで、
ほかは単純に授業とかでその分野の実技がちょこっとあるっていうぐらいなので、
なんとなく実践の場っていうのがなかったわけなんですけど、
そのときからこういう複合的にちゃんとアウトプットするべきだよねみたいな考え方が結構学校全体として取り組んでいて、
そこに国の国家プロジェクトみたいなのにジョインした、
先導的デジタルコンテンツ創生ユニットっていう長い名称の国家プロジェクトがあって、
そこが大学院生からだったんですけど、
ちょうど僕らの台で横の繋がりをきちんと持ってきちんと作って発表しましょうっていう組織ができて、
その繋がりがかなり中心になっていました。
その考え方が逆に浸透しやすかったっていうのもあるので、
すごくいろんなジャンルの多種多様の人たちが集まるための考え方とか仕組みがちょうどそのときに整ってたっていうのは結構大きいですね。
だから全然意図してなかったんですけど、先生たちにめっちゃ褒められて、
これが我が校が押し出す生徒だみたいな感じで、
すごいやりたくて楽しいことしかやってないのに、
ありがとうございますぐらいの学校の人生だなって。
学部まではそういう学際があったけど、
院に入ってからそういう繋がりがそれまでなかったっていうのが、
だいたい専門的な、自分に所属する音響設計学科とか音についての専門的な何かについて研究し始めるって、
結局院に入ってからの方が専門的なことができるじゃないですか。
そういう専門的なことができるようになってから横の繋がりができなくなって、
すごくもったいない状況だったんだろうなって気がして、
その中で先導校が始まって、
学校の仕組み的に横で繋がりながら複合的な授業をやりましょうみたいなのがカリキュラムとしてできた中で、
カリキュラムで用意された中にジョインしていくものの中に熱いものってあんまりなくて、
やっぱり成果発表会みたいな感じのものになってしまって、
そうじゃなくてやっぱり学際的に自分たちが好きなものをポンとやっちゃいましたっていう形で出す方が面白いよねって、
僕らが思ってたからこそ多分自然の感性的にそういうのが出てくるんだろうなって気がするんです。
じゃあその作品を出したいっていう人が集まってきて、
どこでどのくらいの規模でできるかとか、
具現化までのプランニングっていうのはどういう風に進みましたか?
最初は作品点数とか見えてなかった状態なんですけど、
学校に多次元実験棟っていう展示会向けの施設があって、
そこでやるっていうことだけは固めてたんですよね。
解除費とかはないですね。
そこだけ抑えて、あとはみんなが持ち寄った作品をどう並べるかぐらいなところでしたね、初年度は。
初年度はそれでやったところすごく先生とかからもすごく反応が高くて、
じゃあまたやりなよみたいな形で、
お金とかの面でも当てがなかったりしないけどちょっと取れるかもみたいな話とかもあり、
よく卒業発表会とか学校公式の展示会とかで使っているアジア美術館がいいので、
そっちでもっと一般向けにちょっと大きくやりたいよねみたいな欲が僕らに出てきて、
そこの時はかなりお客さん来てもらうようにするにはどうしたらいいかとか、
そういうプランニングっていうところは結構ちゃんとしっかりやりましたね。
営業回りして、ポンサリングしてもらったりとかね。
いろいろやったので、それを考え出したのは結構2年目からという感じですね。
1年目の成果があったから、今の仕事に近づいていったような感じですね。
そうですね。その2年目のアジア美術館でやった時もすごく好評をいただいて、
こういう形で形になるんだっていう、僕ら逆にびっくりしながらやれたという時間が。
この辺ってすごい当事者が説明するのが難しい部分ではあるんですけど、
結局コアの数名、8人くらいいたかな。
展示のコアコンセプトとメンバーの役割
コアメンバーみたいなので集まって毎週会議、毎週2回とか3回会議してた覚えがあるんですけど、
結局その学部の時に自分たちが学祭とかを通して展示する体験っていうのは
割とスキルを持ってた人たちが集まってたんで、こういう形でやったら具現化できるよねっていうのは
もうみんなが共通認識として割と持ってたような気がしてて、
ただなんかすごい誰かをじゃあこの役にしよう、この役にしようみたいなのを決めるっていうよりは
自然発生的に僕これできるよ、これできるよっていうのが集まってきて、
結果として何か具現化したっていう感じのイメージがあるなって思いますね。
それぞれ作品を出したいとかこういう仕組みを作りたいって思いのある人たちが集まってたからそういう
自分にこれでできるよ、君これできるみたいなそういうやり取りがどんどん絡まってきて
この部分またちょっと特集で、作品を出したいっていう欲求がある人ももちろんいるし、
それと同時にみんなで展示を作り上げたいっていう欲求っていうのを持っている人たちが結構多いんじゃないかなと思ってて、
そこをみんなで一つの展示を作るっていうのが一つのみんなでコラボレーションして作品を作ってるっていう感覚で
参加してた人が結構多かったように思いますね。
そこと同時に展示の中の自分の作品も片手間にやっぱり頑張らなきゃみたいな感じで頑張ってて、
それでその作品を展示するんだけど、割とメインのモチベーションはそのみんなで一つの展示を作り上げるんだっていう
そこに結構比重があったんじゃないかなって
こっちから言うと作品出してる人のほうが少ないね
学園祭も何年も3年くらいやって、4年くらいやってきてるんで、もうそういう体になっちゃってて
学園祭って裏方の集団なんですけど、裏方をやる人たちの集まりなので
それがしたいっていう
個々の作品を出してる人って多分いないんですよね、その学園祭では
やっぱりみんなが作るっていうのが、もうそういうモードになってるから
基本はそうなんだよね
そこに自分の作品を研究でやってた、たまたま作品があるっていうのを持ってきたみたいな
そっちに近いかも
全体の愛用を見せるために作品を作る
結構ね、多分
同時かな、同時
ずっと同時、色無き気がするけどね
多分、個人で作品を作れる人ってほぼいないんですよね
コラボレーションってない?
やっぱり一人で行く範囲とか職種とか能力って限られてるので
それだけできるのって多分アニメーターとか映像の人たちだけだったんじゃないかな
今、いたはいただろうけどね
中村健都議
ほぼほぼそうかもしれない
その学部時代に、例えばその与谷さんと貞さんは同じ学科で
何か共有してた先のイメージとかっていうのはどういう風に共有しましたか?
本教設計学科
そこなんとなくなんですけど
いや違うな、いやなかったですね
なんとなくも別になかったです、僕
僕はね、学部は実は稽古大じゃないんですよ
九州大学の工学部の方にいて
完全に工学の、それこそ今のAIとかにつながるような研究室にいて
学園生の初体験ってことですか?
そうそう、院から入って
院の前に1回研究生として入って
院牢というか院に入る前にいて
それで学際とかもちょっと見たりして
これは飛び込むしかねえと思って
僕は基本そういう面白いものには首を突っ込んでいくタイプなんで
絶対やりたいと思って
学務生しかやらないイベントとかにバーッと入っていったりしてたんですけど
それで院から入る先導校っていう国のプロジェクトみたいなのにもジョインしたんですけど
すごいね、僕から見ると外から入ったんで
むちゃくちゃありがたいプロジェクトで
学びが超多いプロジェクトなんですけど
中にいる人はやっぱりね
自分たちが恵まれた環境っていうのを分かりきってない部分があるので
先生に言われたから入ったっていう人とかも結構多くて
そこの環境を生かしきれてないなって
すごいもったいないなみたいなすごく思ってたんですよね
そういうちょっとプツプツとたまる欲求みたいなのがある中に
宇谷くんたちが2年目なのかぐらいに入ってきて
それで入ってきた時に
ちょっと一番最初に葉っぱかける感じで
ちゃんとアウトプットしていただきゃダメだよお前たちみたいな感じの
煽りを入れる感じで僕が最初プレゼンしたような気がするんですけど
そのあたり多分ね
なんか響いたのかもしれないですけど
必死的にやろうっていうムードが
2年目からわーっと盛んになっていったような
欲が僕の中ではありますね
そこからその高専念科学館までは期間としては
時系列としてどういう感じですか
半年とかですかね
モチベーション工場としての展示
8月とか9月とかだっけ
秋だったと思う
1年目のね
そうかそうか
それが宇谷さんが委員に入った年です
そうですっけそうだっけそうですよね
そうかもしれない
ただ多分学祭と同じぐらいの感覚の
じゃあその宇谷さんと八原さんが
そだんさんだったり
よったんさんに声をかけるっていうのは
もうその前からつながりがあって
仲一緒にできる
宇谷くんと直接つながりがあったのは
レジスタっていうNHKの番組があって
昔なんかアーティストを紹介していく
若手のアーティストを紹介していく番組で
1週間に何作品か紹介して
その週のベストセレクションみたいなのを決めるみたいな
NHKの番組があったんですよね
それに僕が出させていただいた後に
番組のディレクターの人から電話がかかってきて
宇谷くんって子知ってるって言われて
ちょっと紹介してほしいんだけどみたいなのを言われて
それで宇谷くんにコンタクト取って
宇谷くんにそれ紹介したっていう経緯があって
なので僕の方はそこをきっかけに
宇谷くんっていう子がいるっていうのと
どういう作品作ってるのかみたいなのを知ってたんですよね
宇谷くんは宇谷くんで多分僕が
そういう作品を出したりしてたっていうのも含め
あと学内でちょっと
なんていうんですかね
若干の今でいうユーチューバー的な
アホなことばっかりやってたんで
バカな企画をするみたいなのを
学生ノリでやってたのがバズったりとか
そういうのをやってたんで
そういうのをどうして知ってたんだろうと思う
僕全然それ知らなかった
そっちは知らなかった
デジタルで出たんだぐらいで
作品も見たことなかった
千葉湖に葉っぱかけてるなとか言うのとか
宇谷さんが
同じ女性だし
ちょっと面白いみたいな話をしてたから
面白そうだなってなんとなく思ってたんだけど
書けられたタイミングは覚えてますけどね
食堂かなんかの前で
やろうよって話をしてきた時に
多分宇谷くんたちが想像した以上に
僕らが超ノリノリで
やろうやろうって
そんなに来るんだと思って
そんなに定義じゃなかったなと思って
150%ぐらいの
その時には科学館っていうのを伝えた上で
まだ展開をやろうっていうぐらいの感じでしたね
基本多分ネタだけど
この青年科学館っていうもの自体の
全体のクリエイティブのイメージも含めてっていうのは
やっぱりうさみワールドだと僕は思ってて
フォントとかも確か
あと漫画とかつけてたりするんですよ
科学館っぽい感じで
ナノナノちゃんっていうキャラクターを作って
キャラクターが何文字さんだっけ
四文字さん?
寺四文字さんとか
そういうキャラクターを作って
若干メディアミックス的な
そういうのをするみたいなのをやってて
そういうの結構妄想でガーッと一人で作れる人なんで
そこの原動力みたいなのを中心に
出来上がっちゃったものを
イメージみたいなのをみんながワーッと
骨組みを作っていくみたいな感じで
出来上がっていったんだろうなって気がしますね
ここら辺結構ごっちゃんの趣味も
あっそうですね
確かにね
電通に入った子がいるんですけど
そういうプレイヤーが結構いたんですね
僕らの他にも結構いろんな人がいて
仕組みデザインもあるしね
ブランシングに興味がある人もいれば
冊子に興味がある人もいれば
という形で
グラフィックをうさぎさんが描いてとか
誰々が描いてとかっていう形で
作っていたのかな
その展示は3,40名
どういうふうにみんなでテーマを共有したんですか
科学館にあるものを展示しましょうみたいな
コアコンセプトとかは結構少数でやってましたね
5,6人ぐらいで
コアメンバーって言ってたんですけど
そこでこれはこうしようとか
これが足りないからこれをやらなきゃね
みたいなことをマネージメントしてた
30名全員が全部のコンセプトを共有されてたというよりは
割と多くの人はその中で作品を出す部分は手伝うよとか
会場のチケット作る部分は手伝うよとか
そういう細かい部分で手伝うよっていう人がいて
そういう人たちは全体のコンセプトに関してはそこまで
グッとしてたっていうよりは
科学館の魅力と運命
友人が楽しいことやってるから手伝おうかっていう感じで
ジョインしてたような気がした
その辺って僕が意識できてたのは
科学館というかモチベーション工場というところで
それ多分みんなに強く言ってましたよね
作品の展示だけではなくて
プロジェクトの展示なのだとかプロセスの展示なのだ
みたいなことは多分出展者にはしっかり伝えてたんじゃないかと思いますけど
なるほど
作る人たちにどういうふうに作ってっていう形では言ってました
一緒に考えるっていうよりは
お願いみたいな形でお願いしてたのが多かったな
モチベーション工場っていうようなキーワードで
みんなで完成図
完成イメージを共有するじゃないですけど
そういう取っ掛かりとしての単語が
モチベーション工場みたいなことだった感じですか
そうですね
いろんな言葉を使ってたと思いますけど
今になって覚えてるのはモチベーション工場ですね
遊び心ね
モチベーション工場
この辺の部分僕もね
わりと記事小銭科学科に関しては
インプット側のまだここら辺の下校大の持つ
なんだろうねそういう哲学みたいなのっていうのは
僕はまだインプットの時期ではあったんで
わりとここのコアにある部分っていうのはやっぱり
下校大魂みたいなところがあるんだろうなって思いつつ
そだむさん大人しかったよね
そこに比べると
プレイヤーっぽい
そだむさんその時にちょっとやっぱりみんなと
まだ下校大歴浅いよって感じました
面白そうだなって入ってきたっていうのがあって
実際にメンバーたちと接触していく上で
この部分をもっと自分も
基本やっぱり学祭にしてもその学祭以外の
格闘技研究会みたいな学研みたいなのが
1年に1回プロレスしながらその映像を作ったりとか
演出みたいなのをイベント化したりする
イベントもあったりするんですけど
学生が主体になって作るイベントっていうのが
とにかく面白くてクオリティが高くて
普通にテレビとかで見るより全然面白いものが
そこにあるような熱さを感じてて
そういうのっていうのがある中で
陰性になった人たちがそこで活躍するってことは
ほとんどなかったんで陰で入ってた自分が
ちょっとそこからみんなの同じ代の人たちは
OBとして見てるっていう中で
少し寂しさを感じたりしてた中で
そういうのを一緒にやろうって話があった時に
やっぱりすごく嬉しかったし
そこから学び取れるものみたいなのが
自分が結構そこに魅力を感じたからこそ
ここに来たんじゃないかみたいな運命みたいなのが
それでそこから吸収できるものは
展示会のコンセプトとワークショップ
全部吸収したいっていう気で
いた覚えはありましたよね
ただ1年目とかは特に僕
個人的に海外の
芸術祭のイベントでジョインして
1ヶ月くらいちょっと
ヨーロッパツアーして回ってたっていうのもあって
最終的な最後の1ヶ月くらいは
結構いることができなかったみたいな感じで
最後のお部屋に帰っちゃったなみたいなのも
思いもあるんですけど
どうでしたっけ
当日とかに帰ってきて僕がヨーロッパから
岩谷くんにも僕のスペース準備してますよって
言われてありがとうみたいな感じだったような覚えが
やっぱりここのコアにあった
モチベーション製造工場っていうところ
だから自分たちの
アウトプットのみを伝えていくんじゃなくて
自分作ってる側の人たちが
どういう楽しさを感じて作ってるのかっていうのを
ちゃんと伝えていきたいという
そのコミュニケーションスタイルみたいなのが
すごい僕は感銘を受けた覚えはありますね
だからやっぱり作家とか
作家に限らず科学者とか
普通の会社の人たちもそうなんですけど
世の中とコミュニケーションしていくときに
常にアウトプットの魅力のりで語っていって
自分たちがそのプロセスで
どういう楽しさを享受しているのかっていうのは
あんまりそこに乗せていく意識が
そんなにないっていうイメージを持ってたんで
例えば科学にどういう魅力を感じているのかとか
数学者が数学にどういう魅力を感じているのかっていうのを
ちゃんとアウトプットしていくっていうことができたら
もっともっと一般の人たちも
じゃあアートって楽しいじゃんとか
デザインって楽しいじゃんって思えるきっかけが増えると思うんで
そういう意味で多分科学館とかそういうテーマで
やってたんじゃないかなって気はするんですけど
でもやっぱりそうだ
今思うと1回目はそんなに
中身を見せようっていうのはなかった気がする
1回目はやっぱり科学館的なワクワク感だけしかなくて
そのプロセスの感じかとかね
会場もなんか六角形の仕切りを作ったりとか
その六角形のハニカムなのか
いったりするとかちょっとアトラクションっぽい感じ
2回目の時にモチベーション生産向上って言って
2回目にかなり深まってきた
研究をやってる人もそれをただパネルで紹介するんじゃなくて
どういうふうなところに面白みを感じて作ってるとか
このプログラムの仕組みのところを見せるっていう
それを見せるって科学館っぽいよねみたいな話になって
その後がものづくりっていうのが
いかに楽しんでるかっていうのを見せる
みんなにも楽しみを分けてあげたい
日常でものづくりとかに触発して作ってくれたらいいな
とかいう思いも多分入ってて
ものづくり好きが
シャイながらも
こんな楽しいこと実は僕らやってるんだみたいに
したかったんじゃないかな
菅地さんにはビデオで見せたことありますっけ
高生年科学館の説明ビデオみたいなのがあるんですけど
一応見といた方があれだよね
前流した
サイトに
サイトに
サイト以前にお見せしたと思います
一回目
アミジョンクですよね
もうちょっと緩かったんだ
その科学館の冊子のDDFとかってあります?
そうですよね
あると思います
僕物持ちから
DVDに映してるかも
DVDが読み込めれば
昔のハードディスクにあったんだと思うけど
昔のハードディスクを映してるか
DVDがあるんで多分データあります
分かりました
ジェネラルに
スラックにあげて
これで
これで
これで
これで
これで
これで
これで
この部分ですかね
こういう感じで作品を見せながら
これとかうさみくんの作品なんですけど
作品のアウトプットだけを見せるんじゃなくて
こういう作品を作るためのツール
みたいなのを展示してみせたりとか
あるいはメイキングビデオを一緒に見せて
こういう風に作ってるっていうプロセスを見せるみたいな
そういうのを中心にやった展示会ですね
会場の作る人たちとかがこういう
プラダンとかでこういうのを作ったりとか
タイトルの部分とか作ったりとかしてたんですけど
運営の部分も自分たちでやってたんで
じゃんけんに勝つと安くなるみたいな
工夫をしてみたりとか
あるいは前売り券にLEDを付けて配って
そのLEDを持ってきたら
会場の出口のところで
作品の人気投票みたいなのができる
ジオラマが置いてあって
自分の好きな作品にツッと差すと
ピカピカ光ってくれて見ることができるみたいな
そういうのを体験型のアンケートみたいなのをやったりとか
あとはワークショップを
学生たちにワークショップをして
作品のプロセスみたいなのを
頑張ってしまったりとか
うさみくんはその当時
断面でアニメーションを作るっていうのを
テーマに作品を作ってたんで
断面でアニメーションを作るっていうのを
粘土で作ってみようっていうワークショップをしたりとか
そういうのをやってた感じですね
公正な科学科の概要としては
一応記録としてここで
共有しておいたほうがいいかなと思って
ありがとうございます
一旦戻ります
あともう一回やりまして
2009年
学園祭でやったんだっけ
公正な科学科サテライトみたいな名前でやります
1回目大学で2年目に
アジア美術館でやって
時間を置いても1回大学で
学祭で3回目でやった
こじんまりしてましたからね
じゃあ1回目の
築きみたいなところから
学祭なんて他の
展示とかに人が
着かなきゃいけない
OBだからっていうので
人が着かなきゃいけなかったりして
ほとんど人が確保できなかったみたいな覚えがあるね
学祭
AGPでやった後
結構早いタイミングだったと思うんですよね
2008年の
8年の
夏とかだったでしょ
秋やってるから
8月26でしょ
文化祭が11月とか
2008年やってた
2008年
僕も夏にいない
そっか
ほとんど準備期間も
ないし
AGPでみんな燃え尽きてるから
モチベーションがないんですけど
やりきった後だから
あんまり人が集まらなかった
制作側の楽しさとプロセスの伝え方
1回目から2回目
さっきさだめさんが
裏側を見せる
っていうところにもっと
ものづくりの楽しさの
根底の部分をもっと見せよう
みたいな感覚だった
2年目がそこの一番
3回目はほとんど何もなく
作品をみんなで作りましたぐらい
3回目は
2回目の
高専科学館というタイトルがあって
1回目でやったので
ブランディングができてて
美術館でやるときに
スポンサーという話をさせていただき
2回目だからやった
2回目で必要になってきた
新たにやったことは
お金集め
その要素はありましたよね
僕はあと単純ながら
やっぱり学内でやる
っていうのと学外でやるっていうので
姿勢として外向きになっているのは
すごくスポンサー
の周りみたいなのも含めて
外に発信するっていう意識が
すごく強くなっていた思いはあります
だから1年目はやっぱり
学際アゲインみたいな感じで
自分たちの内側の
モチベーションを
仲間たちに見せたいっていう感じの
そういう
イメージがなんとなく
ありますけど
そこが1週間
アジビの展示
50万円くらいだったよね
そのくらい会場費がかかったんですけど
その会場費とか含めて
展示の全体の予算を取るための
スポンサー周りとか
みんなでスーツ着て頑張って
渡してたような思いがあります
アジア美術館の人とも
ちょっと仲良くなって
アジア美術館が
推しているプロジェクトを
絡めてくださいみたいなのもあったんですよ
ワークショップは
フィリピンの学生を
連れてきて
一緒に何か共同で
アートをやろうみたいな企画があって
そこに乗っけられてというか
やりませんかっていうのがあって
3作品くらいワークショップを
やって
ワークショップをやったことが多分
僕とかなかったから
新鮮だったし
それが今に繋がってるなという感じで
そういうのがだいぶ
飛躍しますよね
またスポンサー周りみたいなので
それまでもちょっと繋がりはあったけど
それこそデザイン事務所の人たちとか
あるいは
音楽の方面で活躍している
会社の人たちとか
社会人の人たちに
僕たち学生頑張ってますという形で
スポンサー周りをしてたりしたので
その中で若い子たちがこういう感じで
頑張ってるねっていう認識を
持ってもらえたっていうのもかなり
後々にはでかかったなっていう気がします
メンバーも外の卒業生
OBで活躍されている方に引き入れて
やったりして今もだから
お仕事仮で
メンバーにも入れたから
クオリティ上げないとまずいぞみたいな
差が出ちゃうぞみたいな
気持ちもあったと思います
すでに仕事をしている人たちだからっていう
負けねえぞみたいな
かもしれないですね
確かに本当にみんな活躍されている方なので
本当に
外に
スポンサーに
伝える発信してとか
お客さんが来るようにどういう風な見せ方をして
っていうのをプラス作り手側も
外にもっと広がってきたっていうのが
大きい変化ですね
一回目やった後に
学生っていうのってそんなに
気にしてなかったというか
学生なんで
手伝ってくださいお願いしますみたいな甘える気持ちで
言ってたような気がしますよね
どちらかというと自分たちのやりたいことっていうのは
かなり強くあって
モチベーション
生産向上っていう
それこそ
一般の人たち
アジビに来てくれる一般の人たちとかに向けて発信したいっていう
そこの部分が中心に
あったかなっていう気がします
最初の学園内で大学内でやった時には
展示会をやろうよ
やりたいねっていうのからの始まりだったのが
それができるのをさらにどういう風な
膨らませ方をできるかみたいな変化
としてのものづくりのもっと
裏側を見せたりコンテを見せたり
関わる人が増えたことで
違う内容も入ってきたりっていう変化
そういう作り上げていく時に
みんなで成功イメージみたいなのを
どうやって共有したりするかっていうのありますか
いらないですね
超ノリで
成功イメージと学生の意識
成功っていう地球も持ってなかったよね
そうね
やれればいいっていうところなので
開催できることが成功でした
みんなで楽しむっていうね
そうそうやっぱり
学生ぐらいの
考えではありましたね
ある意味実行版なんでしょうね
学園作りと同じだから成功
お客さんが喜んでくれたら成功かもしれないですけど
学園
内側でね
スポンサー企業とかも
協賛金もらっておきながら
なんでこの人たちはお金をくれるんだろうみたいな
仕組みとか思惑の部分って全く僕に関しては
理解してなくて
どれだけ動員があるといいよねとか
報告書で作んなきゃいけないみたいな
そういうことも全く分かんなかったから
成功イメージっていうものを
科学館の誕生と成長
そういう面でも全く持ってなかったっていう感じでしたね
どっかの先生に相談いって
報告書の話から出てきたんじゃなかったっけ
作んなきゃいけないようなことを言われた気がする
それでやったんだと思う
仕方なく
で作ったよね
DVDとかの収支のやつとかね
報告書を作って
かつきくんが
違うワンポンだ
ワンポンがすごい社会人的な
ものの考え方をちゃんとしてて
たぶん仕事やってきた人がいて
メンバーに
ワンポンがすげえやってたもんね
OBですか
学生で
メンバーの中にいた人で
全体的に自分の得意なところを
やってあげようっていう
ある意味
ちょうどその時に
ビジネスストラテジーっていう
新しい学科がまた学校の方に
さっきの横のつながりも
頑張ろうねっていうのと
ビジネスとつながるのも頑張ろうねっていう
新しい学譜ができてたんですよね
デザインストラテジー
ビジネス
デザインストラテジー
こっちゃんとか
そっちに所属している人たちは
結構その社会とつながるとか
そういう方に興味があって
そこら辺をやってくれてた
戦略型の人と
作り手側の人がちょうどいたんだ
学校も押してたんですよ
だから自分の学生の実績になるっていうんで
学生たちのつながりで
その協賛とかをもらったりとかもしてた
だから本当に僕らは
甘えてた
ありがたい時期にありがたいことをやったら
ありがたい人たちが集まってきた
そういうものなのか
僕とか作ることしか考えてない
全体としてはやっぱり傾向として
1回目から2回目に移行するときに
進化っていうか
科学館っていう名前にしても
そこにどういうコンセプトがあればいいのかとか
そこから多分
モチベーション生産向上っていうのも
生まれた気がするので
全体的にこう
深くそこを表現したいっていうところは
増していった結果
そういうことになったんじゃないかなって気がします
プロジェクトの終了とメンバーの就職
その2回目 1回目2回目を終えて
短い準備期間で
次のサテライトというか
というのがあって
科学館を続けようっていうのではなくなったものが
いっぱいありましたよね
そうですね
多分あそこの2回目の終えて
3回目で燃え尽きて3回目の不完全燃焼があって
っていうのもあって
多分みんなの中で一度燃えたかも
あとメンバーの卒業っていうタイミングもありますよね
そうそう
メインのね
岩谷くん 三原くん世代が
卒業していくっていうタイミングで
就職も決まっていってっていうのもあったんで
自然に祭りは終わったっていう感じが
当時お世話してくれてた先生たちには
これは会社に早くしろみたいなことを言われてたんですけど
さっきも言ったとおり
そんなイメージ全く何言われても
頭に浮かばなかったぐらい分かってなかったので
とりあえず普通に就職してしまったという
タイミングでしたね
それぞれに就職して
岩谷くんは
ガンバリオンっていう
ゲーム開発会社に就職して
三原くんは
トヨタ関連の
大理店に就職して
宇佐美くんは
アニメーション作家として活動を始めて
僕は九州大学の方で
学術研究員として
雇ってもらって活動して
それぞれバラバラに働き始めましたね
ちょっと一旦
今日はここで区切らせて
これをもう一回
ヒアリングして
次にどういう風な話に
進めるかを
メールで応募させていただいていいですか
ありがとうございます
まだコラボ以前ではあったんですけど
すみません
本当に土台も育てるっていうのを
今日聞けてよかったです
たぶん4名の皆さんも
話しながら
おごろに記憶が戻ってきたり
こういう感じで
プロジェクトだったり
こういうテーマで
どのようなことを
発表してくださいみたいなのがあったり
リクエストさせていただくので
そうですね
一番最初に
お話した感じだと
最終的なアウトプットのイメージを
10周年書籍みたいに言っていたと思うんですけど
そこは
ゆくゆくそういうのに落とし込めるものが
見えてくればいいかなっていうかなり
大きなマイルストーンで
手前でもこういうのが記事になった時に
この記事が内部に向けても外部に向けても
僕たちがこういうことをやっているっていうのが
きちんと文章にできると
すごくいいなと思って
この辺りでまずは思っていただければ
ある程度継続的に
それこそ
月契約で
進めさせてもらって
これを整理していたら
こういう全体の
価値観みたいなのが見えてきたね
最終的に出てくると
そこが出てきた後にどうしようかっていうのを
また相談させてもらえるといいなと
ありがとう
ありがとうございます
引き続きよろしくお願いします
ありがとうございました
01:04:20

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