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あんた侘びじゃの侘びっていうのは、お詫びのお詫びから来てるんやで、と。
まあ要するに人間ってものは、その自然の犠牲の上に成り立って生活をしてるわけだと。
犠牲をいただいてる自然に対して、人間はお詫びをしなきゃいけないんだと。
で、そのお詫びの仕方はどういうことかというと、その犠牲を最小限に留める工夫をしてあげることが、せめてものお詫びの仕方なんだと。
だから、まあなるべくその犠牲を最小限に留めて、これだけはいただきます。ごめんなさいよ、っていう。
で、それは人に対してやるときも、これだけのことしかできません。ごめんなさいってお詫びしながらやるっていうことになっていくんだっていう。
デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、伊藤穰一ことジョイさんが、今一番興味のある分野を深掘りしていく、ジョーイトースポッドキャスト。
佐藤、武者の工事専権の家元講師、千宗屋さんをお迎えしています。
ジョーイトースポッドキャスト。
この間、熊健吾さんがリキューって、もしかすると結構再利用も含めてエコーでSDGっぽいなっていうことを言ってたような気がして、
原健也さんが、絶対彼はそんなこと考えてないとか言ってて、すごいなんかバレてたんだけど、どうなんですかね。
あんまり当時はエコーとかそういう考え。ただまあエコーじゃないにしても、そのほら善的な。
無駄はなし。
無駄はなしっていうのは当然あったし、しかも当時はやっぱり物が少ない、もったいないというか、その無駄を少なくしてっていう考え方はあったし、
あとやっぱりお茶の基本的な考えって禅寺の生活様式から来てるので、お寺っていうのが特にそうじゃないですか。
だからまあそれは結果としてエコとかSDGsっていう考え以前に、そもそもやっぱ日本って資源の少ない乏しい海に囲まれて物の限られた場所でもありますし、
ある意味それまでからもの中心で中国から伝わってきたものを使って、中国や朝鮮半島とか輸入品が茶道軍の大半だったところ、
お茶の需要も増えてきて、からものだけでは賄えなくなってきて、やっぱり国産の道具を作るっていうことにシフトしてきて、
それによってお茶っていうのはある種日本の文化として完成していくわけですけれども。
禅のちょっとミニマリズムもあるんだけど、これもそうくさんの本だと思うんですけども、資源もその時ちょっと少なくなってるんでしたっけ。
時代的にあるでしょうね。例えば桃山時代とかやっぱり一種のバブルですから、建築がたくさん建ったりとか、そうするとやっぱ木材枯渇してくるでしょうし、
人もやっぱり増えたり、戦乱でね、あちこち焼かれたりして物質的にも疲弊してみたいな時代的な背景もあったでしょうから、
特に和美茶が暴行した、つまり室町の書院の茶なんて言われますけれども、
そういう辛物を使った豪華なお茶が成りを潜めて和美茶になったきっかけって、やっぱり黄泉の乱挟んでると思うんで、黄泉の乱でやっぱり京都が焼け野原になって、
それこそそれまでね、一級品と言われてたような辛物の名物道具みたいなものがやっぱり都の中心地にあったわけですから、
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当然黄泉の乱でもその辺が全部なくなると、それまではあまり大事にしてなかった二番手の辛物みたいなものを今度は大事にするようになってきて、
それで必然的に順位が繰り上がってきたようなところはあると思うんですよね。
それまで上津方があまり注目もしてなかったような素そうな辛物と言われる、ちょっと灰がかぶってくすんだような景色の茶の方が、
おーこっちの方が味わいがあって見所があっていいじゃないかっていう風になったというのと同時に、そういうものが結局大事にせざるを得なくなったっていう、
歴史的な一番のものが戦乱で失われたりしたっていうところの時代背景も当然あったんじゃないかなと思います。
りきゅうと村手重工とかその時期が一番わび茶になって、そっからオリベとかで戻ってきて、そうなるとうねるんですか。
うねると思います。ゆり戻しあります。
じゃあ例えばね、今の戦型のなんとか会みたいな華やかな広間のお茶会で使われる道具ってあんまりわびてませんよね。
そうですよね。
だからああいうのって結構戦後の高度成長期にやっぱお茶がバーっと、しかも女性を中心に伸びてきて、きらびやかな着物とそれに負けないお道具みたいな、
だからあんまりわびじゃないんですよね、少なくても。
それは別にいいんですね、りきゅうっぽく。
だからそれは多分行き着くと結局その黄金の茶室の話に結局なってきちゃうと思うんですけど、
りきゅうさんのお茶って決してわびばっかりじゃなくて、ある種結構臨機応変なところがあって、
それが例えばその新行相みたいなTPOの使い分けにあるわけで、場や人に合わせてふさわしいお茶の形っていうものがその時々で提示されて、
やっぱり秀吉には秀吉に一番ふさわしいわかりやすいお茶みたいなことで、それが名物を並べるお茶だったり黄金の茶室だったりしたわけですから、
でもその片方でそのわびって言われる人たちは当時いわば手元不如意な、そのいわゆる一持も持たずなんて言われる、
お茶に対しての志はあるんだけど、その手元不如意で道具が持てないっていう人たちを、
じゃあどうお茶を、そういう人たちにもお茶を広めようっていう中で、
まありきゅうは新作の道具を作ったなんていう話も一説にあるわけですけどね。
でりきゅう自身が若い時に決してそんなに裕福な、いわゆる大商人ではなく、
もちろん中堅どころの商人だから本当に手元不如意っていうわけじゃないにせよ、
お父さんも若い時に亡くしたり結構苦労はしてたみたいで、
他の社会の大茶人たちみたいに名物と飾り立てとお茶ができるような境遇ではなかった。
だからやっぱり物の見せ方を工夫して、自分自身が持ってる唯一の名物を繰り返し何度も使って、
で例えばその使い方を変えてみせる。
例えば花入れを、花を入れずに水だけ張って床の間に置いて、
来た客人にあくまで心の内の花を想像させるって見方をさせたりとか、
持ってた香炉を茶入れのように私服に包んで床の間に置いて、
一見それが茶入れだと見せかけて、後で袋を解いたら香炉が出てきて、
でお香を聞かせたなんていう話があったり。
そういう見せ方を工夫して、自分の乏しい持ってる名物を生かすっていうことをやって、
でそれ以外の動画も全部その新作のコンテンポラリーなものを使ってお茶をしていて、
で理屈はそういう創作、想像的なクリエイティブなお茶が楽しかったんでしょうね。
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既存の価値観のレールに乗った名物中心の高価な名品、美術品を持って遊ぶようなお茶は、
まあ興味はなかったわけじゃないけれども、自分には別にそこまで、そこに執着はなくて、
だから後年に信長や秀吉の茶道になって、まあそれこそ経済的にも大きな力を持っても、
理屈自身は意外とその世間的な評価が固まった名物茶道具にはあんまり興味なくて、
むしろ長寿郎に楽茶を作らせたりとか、そういうコンテンポラリー、全部その創作の方に自分の意を注いで、
でも考えたら信長、秀吉に使えてたら、最高のものは自分が持たなくても秀吉のものを自由に使えるわけですよね。
その分、自分はもうその作家を育てたり、新しいものを作るっていう、
そのクリエイティブな方向に思いっきり舵を切ったんじゃないかなというふうに思いますね。
そして、ジョイさんと曽吾久さんとの語らいは、茶の湯の美意識の一つともされる、
わびさびのわびについての話しに。
これも曽吾久さんの本に書いてあるんですけど、
わび茶とかわびさびのわびっていうのは、おわびから来てるんでしたっけ?
まあ一説ですよ、それあくまで一説で、
わびる、わぶるっていうのはね、そもそもわびしいとか、やっぱりそっちから来てる言葉ではあるんですが、
ただその一つの考え方の中に、わびとは足りないということを不足を不足と思わず、
そこ中で足りるということを工夫するんだということがあるわけですが、
それを非常にわかりやすく言葉を変えると、立花大輝郎氏から私直接直に聞いた話なんですけど、
あんたはわび茶のわびっていうのは、おわびのわびから来てるんやでと。
まあ要するに人間というものは、その自然の犠牲の上に成り立って生活をしているわけだと。
犠牲をいただいている自然に対して人間はおわびをしなきゃいけないんだと。
そのおわびの仕方はどういうことかというと、その犠牲を最小限にとどめる工夫をしてあげることが、
せめてものおわびの仕方なんだと。
だからなるべくその犠牲を最小限にとどめて、これだけはいただきます、ごめんなさいよっていう。
で、それは人に対してやるときも、これだけのことしかできません。
ごめんなさいっておわびしながらやるっていうことになっていくんだっていう。
その言葉はでも、理休の時代に出てくるんですか?もっと前から?
和歌の世界には古くから出てきますよね。和歌の世界には古くから出てきますよね。
もし穂たれつつ和舞と答えをなんていうね、和歌にもありますし、
藤原定家なんかにも出てきたり、室町ぐらいにもやっぱりもうすでに。
お茶の文脈の中でも、和歌っていうのはもうすでに山の上草地域の中にね、
一物も持たない、胸の覚悟はあるけど、物は持てない。
でもそのお茶に対しての情熱、気持ちは人一倍強い人っていうのを、
和美だっていうふうに言ってるので。
秀吉ってあんまり和美じゃないですか。
まあそうですね。
だから秀吉の元で和美茶をやってるのは、
なんか気持ち的に出てくるのもイメージできるような気がする。
でも逆に言うと、秀吉の元は和美人なんですよね。
和美人から天下人になった人だから、
だから秀吉もある段階までは和美に対してすごくシンパシーを持ってたんじゃないかな。
あと、これも自分の本でもたびたび言ってますけど、和美っていう考え方の中には一つは、
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おのれの持てる精いっぱい、不足で足りない中でそれを恥じずに、
その中で精いっぱい自分のできることを工夫するっていうことが和美の本位なんだ。
だから決してこと足りない乏しい様を、形を真似ることが和美じゃないんだよっていう話があって。
これは李宮の孫の宗泰があるとき、稲葉城主だったかな。
大名の弟子がいたと。
恋が非常に名産地の大名だったと。
そこの大名に招かれて、宗泰が茶事に呼ばれていったと。
あそこは恋が名産だから、きっと解析で恋の洗いが出るに違いないと言って、
それを楽しみに行ったと。
ところが、宗泰の弟子だから大名は一生懸命和美茶の形をなぞって、
その宗泰のお茶のスタイルで非常に簡素な、シェスなもてなしをした。
そしたら宗泰がブチ切れたって言うんですよ。
お前が大名なんだから、形だけは俺の真似するんじゃねえって。
あなたは大名で、それこそ自分のできる精いっぱいのもてなしをするんであれば、
もっとよっぽど食う食べたかったと思うんですけども。
面白いですね。
でも形を真似る和美は和美じゃないんだよと。
だからあなたはあなたのできる精いっぱいのもてなしをするべきだから、
恋でもなんでももっと大名らしいお茶をしなさいって言って、もてなしなさいって言ったと。
それでいくと、この世のすべてを支柱に収めた天下人である秀吉が、
できる精いっぱいの和美が黄金の茶室かもしれない。
なるほどね。
精を尽くして。
しかも黄金の茶室というのは、剣をひけらかすためにやった部分も当然あるんですが、
ただあれはもともとその天章13年に金中御所茶会といった、
秀吉が甘博の供えをいただいたお礼として京都の御所にやがって、
時の扇町天皇におけん茶をしたお茶を差し上げる。
で、武家の文化が宮中の茎の文化の画像、
つまり和美がみやびの画像に占め込んだ文化の大転換点でもあるわけです。
今まで文化においては武家は茎に対抗できなかったわけですよね。
みんな一生懸命源氏物語を読んだりとか、茎の文化を真似してなぞろうとした。
例えば武家が茎化した最たる霊は足利将軍家だったりするわけじゃないですか。
ところがそこに真っ向から武家の文化から始まった茶の湯を御所に持ち込むっていう、
いわば文化の下告状だったんですよ。
で、その時に宮美の文化である天皇のもとに行くのに、
そのままの和美茶を持っていってもインパクトがないのと、
それに秀吉は和美というものを考えた時に、
自分の持っている精一杯で天皇にお礼の気持ちでもてなしたいっていう。
そしたらやっぱり神様である天皇を迎えるために、
一番最上のもてなしはなんだというと、
黄金づくめのお茶っていう。
そこの発想はものすごく天真爛漫で秀吉らしいのかもしれませんけど。
ただ黄金ってなりきん趣味で趣味が悪いなって片付けるのは簡単なんですけど、
ただあの時代にその黄金の茶室、金づくめの空間っていうと、
例えばお寺とか中尊寺の金色堂とかありますよね。
ああいう仏様の世界は貝金色って言って全て金色に埋め尽くされて、
あれはでも金というより光の表現なわけですね。
その極楽浄土というのは光満ち溢れている美しい空間ということですよね。
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お茶室もおそらくはあれは金の茶室より光の茶室だったのかもしれません。
その天皇の御意向があまりと及んでいるってことを表現するために、
あら人神の神様である天皇をこの世で一番物質として価値が高くて、
しかも永続的なものである金というものを対応した空間に天皇を招くということが、
秀吉が考えうる最高位の和美茶だったっていう解釈もできるようになると。
いい話ですね。僕もちょっとシンプルに考えすぎちゃって。
あとまあその黄金っていうものに対する価値観が今と昔は全然違うでしょうし、
昔の方がやっぱりもっと尊いものっていう意識が強かったと思いますよ。
そういうのは神仏に関わる物質、むしろこの世じゃないものっていう考え方だったでしょうから、
やっぱり大仏に金を全部塗ったっていうのもそういう最高のもので、
やっぱり大仏様を称御したいっていう気持ちに現れているから。
お寺の建築が金づくめでも別に趣味が悪いって言われないのに、
秀吉の黄金の茶室は不当に貶められる時があるんですけど、それは違うかな。
当時の城郭建築、いわゆる安土城とか地楽台とか桃山城って全部金づくめじゃないですか。
基本的に黄金の障壁画で、そこにカノエートクとか長谷川藤博の描いた
極彩色の障壁画が描いてあって、金箔張りの結構派手な、
今だったらデコトラみたいな感じの部屋じゃないですか。
あそこにむしろ、金無垢のゴールデンキューブがポンと置かれてたら、
かえってミニマルでシンプルだったと思いますよ。
光も照明じゃなくて多分薄暗くて、部屋の奥にあったら
鈍くそれがボワーッと浮かび上がる感じだったんでしょうから。
むしろすごく有限な、でも金が深く沈んで、
なんか非常に落ち着いた空間だったんじゃないかなと思います。
宗岡さんのお話を聞いていると、また違った味わいが出てきますよね。
暗闇で浮かび上がるお茶は、一体どんな味だったのか、想像が膨らみますね。
それと経済の話なんですけども、アメリカとか西洋って、拡大してないと死んでるんですよね。
だからベンチャーにしても会社にしても経済にしても、発展しないと終わってるんですよね。
でも家元とか日本の美学っていうのは、きちっと生き甲斐とエネルギー持ってるけれども、
拡大しないで続ける方法があるから、すごい古い会社とか古いお寺とかあると思うんですけども、
このエネルギー、アメリカは生き物って育つことによってエネルギーがあるので、
でも増えないけれどもエネルギーを保つ話に繋がってるような気がするんですけども。
たとえばお正月なんかはね、まさにその例で、私いつも正月って迎えると不思議なのが、
あの3日間、例えば3月って、ほぼ朝起きてから寝る前の3日間の行動って毎年変わんないんですよ。
簡単朝起きてお仏壇と神壇とお参りして、6時にみんな集まってお堂にお祝いして、
それからその後に理休さんのお堂に入って、家元が紅茶寝て家族と家出しだけでお紅茶いただいて、
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お仏茶終わっておめでとうございます。で、終わって初日ので見る。
それからその後職方さんたちが挨拶に来る。で、お客さんも大体何時に誰が来るとお客さん村で決まってたりするわけですよね。
で、それでお昼おせちいただいて、その後ちょっと初詣行ったりしてその日は終わって、
で、あくる日もみなさん集まってきて挨拶があったとか、じゃあその後に表選挙と裏選挙挨拶行って、
で、今度はこっちが挨拶行って、すでに向こうもまた玄関まで来るみたいなほぼ儀式なんですけれども、
ただ儀式だけどその中でもお互いに去年あったことなんとか、こんなことあったよね、あんなことあったよねみたいな当たり障りのない話をして、
それでじゃあ今年もよろしくお願いします。また初詣までみたいな感じで別れて、
それって全然生産性もないし、進歩もないし成長もないって言って、
でもじゃあ停滞してて衰退してるかって言うとそうでもなく、かけてじゃあそれが現状維持なのかって言うとみずみずしさはなんか失われてなくて、
でもなんかとにかくその3日間って、それをやっぱりなんかやらないと今年1年が始まらないというか迎えられないというか、
で、なんかそこに今ちゃんと安心もあるし、あ今年も無事くらいができてよかったなみたいな、
まあ例えばほら、年末になるとお茶の稽古場でよく無事っていう言葉が書かれる、あれなんか象徴的ですよね、
いろいろあったけど、こうやって何事もなく1年が終わる、無事これ機にんっていう言葉があるようにまさにね、
いろいろあっても何事もなかった、無事終わった、無事ってことがないって書くわけですから、
いろんなことがあったにもかかわらず無事っていう言葉で収めてしまうっていうところもそうだし、
そこってやっぱ成長が全てだっていう考え方とも全然違うし、かといって現状維持なのかって言われると、
でもその現状ってものがね、ある程度の水準までやっぱ達してるところにないと、維持する現状がないと現状もないわけだから、
だからあの辺の感覚ってすごく面白いなと思うんですけど。
ちょっと農民的なのかな、季節の変化が。
でもそれはありますよ、やっぱり基本農耕民族だっていうところはありますよね、だから生産して収穫して、
でもそれがね、生産量が増えるっていうことよりも、ちゃんと需要と供給のバランスが保ててて、
みんながちゃんとお腹を空かすことなく、ちゃんと満ち足りて、だからそれってやっぱり続けるためには欲張ってあんまり広げすぎてもよくないし、
逆に広げすぎると今度自滅していったりもするわけだから、なんかそのギリギリの腹八分め的な感覚。
島だと広げられないですよね。
業力はできないですよね。
プラスお互い、やっぱり限られた資源を分かち合うっていうことによって続いてきてる関係性でもあるわけですから、
そもそも領土を広げて拡大していこうっていう意欲が、限界ありますよね、そもそも日本でだとね。
ちょっと僕もアメリカ人に説明するとこう言っちゃってるけども、勝手な想像なんですけども、
日本が戦国時代が終わって、そこで結構ポライトにならないと生きていけないじゃないですか。
結果しないんだったら。で、お茶から出てくるお酒にお勝負にします。このポライトネスって前からあるんですか?それとも理休の時代にもっときちっと入ってきちゃうのか。
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ただ、お茶の世界だけ見てると、いやよくね、だからあんな作法とか約束ごととか決まったこと、理休の時代はもっと自由だ。
あんなものはね、その家元制度になって後世になってから、まあそれこそ戦家がああいう窮屈なものにしたんだっていう、だからけしからんみたいな意見があるんですけど、
理休はむしろその時代に、例えばクゲとかルケの作法ってむんのすごくやかましいわけですよね。
例えば伝柱に上がってお殿様から杯を受ける時とか、ものすごい一挙手一投足決まってて、一個それこそそれを外すと打ち首になるとか、そういう緊張感もある時代になるわけ。
身分制度も厳しいわけだし、例えば何位以上の人はこの部屋には入れないとか、ものすごくそういう規定もあって、伝柱の作法っていうのはむしろ元字絡め。
むしろ茶室は銅座の席場で、身分による畳の上下もないし、廊下込んで四畳半で、それこそ貴人も庶民も膝を突き合わせて一緒になるって、いわばものすごいデモクラティックな空間なわけですよ、茶室っていうのは。
むしろ理休はそれまでの武家とかクゲの元字絡めだった作法をむしろ茶室の場では開放した、すごくデモクラティックな空間にしたわけで、逆にその身分による上下がないから、
障客とか自客とか、それは世俗的な身分制度から解き放された中での序列じゃなくて、あくまで順番ですよ。
順番を決めて、それが乱れないためにお互い平等な人間であるから、先に座っている人が先いただくときに隣の人にもちゃんとエクスキューズしてお先にいただきますって言ったりとか、
隣の人もお処判しますって言ったりっていうのは、身分制度にとらわれないあくまで順番だけが秩序を保つ場だからこそ、ああいう言葉でその場を保とうとしたんじゃないかな。
だからむしろその元字絡めに作法があったり決まってるっていうより、むしろ自由な場であるからこその順番を決めて、
そこでお互いを平等な人間として扱うために順番であくまでお処判しますとかお先にいただきますという言葉ができてきたんじゃないかなというふうに思いますね。
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