2025-08-06 50:14

#213「マイクラおかん、逗子で韻を踏む。」

こんにちは、ズシレコラジオ編集長のキジママサシです。

今回のゲストは、“マイクラおかん”こと、ラッパーの下崎麻世さん
逗子に移住し、息子の不登校をきっかけに、
なんとラップを始めたお母さんです。


ラップ未経験から、いきなり全国コンテストで呂布カルマ賞を受賞し、
そこから今度は「言葉を吐き出せる場所」を自らつくりはじめます。
そう、「Cocoro Rap」という、心をさらけ出すラップイベントです。


今回のズシレコラジオでは、これまでの葛藤と挑戦、
逗子で広がっていった人のつながり、
そして「自分の言葉で人生を切り開いてきた」その軌跡を、たっぷり伺いました。


笑って泣けて、胸が熱くなる50分。
ぜひ、最後までお聴きください!


***


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下崎 真世さん a.k.a マイクラおかん

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ココロラップコンテスト

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▼MC

來島 政史(ズシレコラジオ編集長)

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Podcast番組「ズシレコラジオ」は、

逗子出身&在住,鎌倉勤務の編集長と

葉山在住の保育士&ライターの2人が

2019年から逗子・葉山・鎌倉エリアの魅力をお伝えしている

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サマリー

逗子レコラジオのエピソードで、マイクラおかんこと下崎真央氏が逗子への移住や家族との生活について語ります。彼女は不登校の息子と共にマインクラフトに夢中になり、ゲームの居場所を支援する親の姿勢を紹介します。今回のエピソードでは、マインクラフトを通じてゲームの居場所を作る取り組みや、ラップに挑戦する経緯について語られています。また、オーバー予約との共同作業を通じて、地域の親たちとのつながりを大切にしたイベントについても触れられています。マイクラおかんが逗子で行ったラップコンテストの様子や、その背後にあるストーリーが取り上げられます。彼女の挑戦から得た経験を基に、新たなラップの活動が展開され、「ココロラップ」という地域に根ざしたコンテストが誕生したことも述べられています。このエピソードでは、マイクラおかんが主催したココロラップコンテストについて語り、全国から集まった108組の参加者が多様なストーリーを披露しました。参加者のインタビューを通じて、彼らの思いを深掘りし、ラップを通じたコミュニケーションの重要性について考えます。また、マイクラおかんの活動や今後のイベントについて語り、逗子における文化的表現の重要性が強調されています。

逗子レコラジオの紹介
こんにちは、逗子レコラジオ編集長のキジママサシです。 この番組、逗子レコラジオは、神奈川県逗子・葉山エリアの魅力を紹介している、声のローカルメディア。
逗子と葉山に暮らすMC2人が、ローカルで気になるゲストをお迎えしたり、海と山に囲まれた、このエリアならではの地元トークをお届けしています。
今日は、キジマ会ということで、逗子からのゲスト、そして前回、逗子のゲスト会、逗子文化プラザ市民交流センターの元藤太郎副館長からのご紹介で、この方をお呼びしました。
よろしくお願いします。
いろいろと、相性というかニックネームがあるんですけども、マイクラおかんさん。
ということで、今日はマイクラおかんにお話を伺いたいと思うんですけども、おかんの方から本名も含めて自己紹介を軽くいただけますか。
マイクラおかんという名前で活動させていただいております、下崎真央です。50歳になりました。
下崎さん、おかん、よろしくお願いします。
先日、テレビ朝日の激励さんを連れてきたという番組にゲストで、メインのゲストで出演されているのを拝見しましたよ。
そうなんです。
そこでのエピソードとかもね。
僕から喋っちゃうとちょっともったいないなって感じなんですけども、
あのラッパーのりょふかるまさんからの評価だったり賞をいただいたりみたいなところで話題になった方ということで、
そういった意味でもね、いろいろとここと図紙がどうつながるのかみたいなところをお伺いしたいなと思っております。
はい。
マイクラおかんは図紙には移住されてきたという感じなんでしょうか。
はい。67年前ですね。
移住してきたのは。
2019年ぐらいとかですかね。
そうです。ちょうどコロナの真っ只中で、息子が小学校1年生のタイミングだったんですけども、
自然の中で子育てをしたいというふうに思いが高まってですね、引っ越してきちゃいました。
ご家族で引っ越してきたと。
引っ越してきました。
ありがとうございます。
前回のゲストの本久寿太郎副館長からはですね、本当におかんにはいつもお世話になってますと、
あとはそのおかんからいろいろインスパイア影響を受けて、僕もラップを始めるようになりましたってことで、
多大なる影響を与えている人という形ですごい笑ってますね。
太郎くんからそういう評判を聞いて、今日のインタビューを楽しみにしていきたいんですけども、
図志に移住したきっかけだったり教えてくれますか。
はい。本当自然の中で子育てしたいっていうのと、ちょうどタイミングよく1年生になるタイミングだったので、
ならば時々遊びには来てたので、このタイミングでともに引っ越しをしたんですけれども、
ちょうどコロナが前世紀の頃で、息子も小学校1年生楽しみにしてたんだけれども、
入学式も15分で終わり、その後3ヶ月のお休みがあり、
描いていた小学校1年生像とはちょっと違っていてですね、
ちょっと寂しい思いを親子共々していた時期が、引っ越しと重なりましたね。
どこからの引っ越しだったんですか。
この時は横浜からだったですね。
なるほどなるほど。
じゃあ結構近いというか、遊びに来ていたこともあったということで。
はい。
なるほど。何故図志だったのかみたいな。
お友達の家が、図志ではないんですけど空き家にありまして。
葉山と横須賀の境目ですね。横須賀市の空き家。
空き家の空き家海岸も素敵だなと思ってたんですけど、
通勤が便利な方がいいなと思っていまして、図志だと始発で東京まで行けますし、
なのでアクセスの良さで図志で程よく自然もありということで引っ越してきました。
なるほど。ありがとうございます。
横浜から図志っていうことでしたけども、やっぱり自然の多い環境になったかなと思うんですが、
アウトドアだったりマリンスポーツとかそういうものを求めたりとか、そういう感じだったんですか。
そうなんですよ。自分もサーフィンをしたいとか思ったりしてましたし、
息子にもウィンドサーフィンとか最初やったり、
自然の中のアクティビティを中心にやっていき始めたんですけど、
なりぶんインドアだったということで、もう嫌だということで。
なるほど。やっぱり図志、引っ越されたり移住されてくる方ってマリンスポーツしたいからとか、
海が山があってというふうな形で、そういうアクティビティを日常的に仕事の前にサーフィンとか。
よく聞きますよね。でもインドア派だった。
そうなんですよ。そういうことにめちゃめちゃ憧れてたんですけど。
めっちゃなんかわかります。僕はこういうポッドキャストやっておきながら、
マリンスポーツあんまり縁がない中で育ってきて、図志育っているけども、
やってボディボードとかちょっとサップやりたいなぐらいのところだったんで、
ほんとサーフィンとかヨットとか縁のない、割とインドア派な感じだったんですよ。
なので図志って言うと、いいねサーフィンとかできてっていうふうな人ばっか住んでるかと思いきや、
インドア派もいるんだぞっていうのを、僕はちょっと声を大にしていきたいみたいなところなんですね。
共感の目で見てくださってる。
共感、大共感ですよ。ほんとね、自然のアクティビティはいっぱいあるんだけど、
インドアの子たちの居場所がないってすごく感じたんですよね。
そうですね、それまでほんと自然の中中心に考えてきたんですけど、
テレビも置かないみたいなところでやってきたんですけど、
コロナでもうやることもなくなって、少しずつテレビを導入したり、
YouTube導入してみたりっていうのをしたら、反動がすごかったんですよ。
そっちに振り切れた感じですか?
もうそうですね、かじりついちゃったというような、
程よくやっぱり自分のさじ加減で何でもできる方がいいなっていう教訓を得ました。
なるほど。
でもこれからはわからないですし、うちもそうですよ。
うちも子どもたちYouTubeとかiPadとかで朝から見てますけど、
何々ちょっと勉強したら朝の時間これ見ていいよとか、
ゲームは1日1時間までとか昔ありましたけど、
1時間以上やってるなと思いつつも、
コロナ禍で大人自体がやっぱりそうだったじゃないですか。
やることがオンラインだったりとか中心になったり、
子どもに向けてどの口が言うみたいなところもあったりすると思ったので、
すごく共感できるなって思いました。
そんな中でコロナ禍で引っ越しされて、
お子さんも小学校入学と同時にコロナみたいな感じだったんですけど、
暮らしだったり、お子さんの様子だったりっていうのはどんな感じだったんでしょうか。
そうですね。もともと東京の港区に住んでまして、
徐々に、徐々に、
難過して。
そうなんです。横浜浜に移しに来たんですけども。
やっぱりその都会の息苦しさがすごく感じたんですよね。
うちの息子は割と裸足で外を駆けずり回ったり、
表参道のあの山道をですね。
表参道、原宿の。
あそこをですね、人混みがすごい中を、
もう小さいので通り抜けて行くんですけど、私が追いかけられなかったり。
裸足で。
裸足で。
そしたら通報されちゃったりしたり、
はい、パトカーに乗せられて。
っていうのが3回ほど。
3回ほど。
今すごいエピソードだなと思ったら×3だった。
×3。
すごいな。
日常茶飯事。
でも裸足で駆け回るっていうと、
図志でいうと、それこそ図志会館だと日常茶飯事ですけど、
それが表参道だと通報されちゃうんだみたいな。
本当にそうですね。
あと電柱登ったりとかもいろいろあったんですけど。
そんなムンスクさんは図志に来てからはどんなスタイルで暮らされてたんですか?
ちょうど1年生のタイミングだったので、
コロナ期間は新しく出会ったメディア、テレビ、YouTubeに夢中でございまして、
小学校に通えるようになったタイミングでは、
木職だったり。
ありましたね。
ありましたね。
あまりマスクをして友達と話してはいけないみたいなのに戸惑っていたところもあって、
思い描いてたのとは違ってたので、息しぶりがどんどんどんどん出てきまして。
最終的に小学校3年生のタイミングで完全に不登校になってきたんですよね。
なるほど。
やっぱり大人ですら会社行きたくないというか、
家でいいじゃんみたいなところもあったりで、
やっぱり僕らとしては子供がその時どういうふうに感じてっていうのはなかなか想像しにくいですよね。
昔そんなのなかったしみたいな。
なるほどね。
不登校ということですけども、どんな感じの家の中での暮らしとか、
ゲームの居場所と親の役割
どんな感じだったんでしょうか。
YouTubeで出会ったマインクラフトっていうゲーム。
マインクラー。
マインクラー。
それにすごく夢中になっていて、
最初はYouTubeの中で自分で妄想するで楽しかったんですけど、
実際やりたくなってきて、
パソコンでやるようになっていったら、
1日12時間から14時間くらい。
起きてる間ずっとみたいな。
本当にそんな感じで、
どうしたもんかなって私も見てたんですけど、
やっぱりそこが居場所になってるなっていうふうに感じたので、
そのゲームの居場所を応援できるような親になろうっていう風に舵を切りましたね。
なるほど。
マインクラーのね、
もうマインクラーおかんですから、
名乗ってるぐらいですけども、
このマインクラーおかんっていう名前、ネーミングはどこから来たんですか。
とあるフリースクールを代表している大葉雄弥君という方がつけてくれたんですよね。
はいはいはい。
この後ね、ちょっとご紹介しようかなと思って。
かしか。
はい、かしかという。
大葉君。
はい。
うちの息子が不登校になったことで、
フリースクールに通い始めたのが大葉雄弥さんがされているかしかというところなんですけど、
ここで私の人生相談みたいなのをしていて、
その後に私も仕事しに行ってたんですけど、
やっぱり子供、小さい子供を置いて、
ずっと家を開けられないなと思って、
家でできることをと思っていて、
何か家でできる仕事みたいなところに就くようなことをしたいなと思っていて、
でも何ができるかわからないので、
まずは今必要な子供のゲームの居場所を作るところから始めようと思って、
マイクラをしている息子がいるし、
私もマイクラをしろうと思って、
どんなところが楽しくて、
どんなタイミングで声かけたら嫌なのかとか、
その辺を探りたいなと思ったので、
自分もマイクラをして、
息子と一緒にYouTube配信をしたっていうのがあって、
それでマイクラを買うと。
なるほど。
子供のゲームに何やってるかわからないんじゃなくて、
何やってる、どこが魅力的でとか、
マインクラフトとの出会い
どんなコミュニケーションをゲームの中でしてるかっていうのが自分でも入っていたと。
そうですね。
マイクラ、そのマインクラフトね、
もう本当に超有名な、もう10年以上前のゲームですけども、
ちょっとご存知でない方に紹介すると、
いわゆるサンドボックス型のゲームっていう、
サンドボックスって砂場なんですけど、
自分で自由にブロックを作ったり、
ブロックを使っていろんなものを作れたり、
そういったクリエイティブモードっていうのがあったり、
サバイバルモードっていうね、
僕もやったことあるんで、
本当に魔物とかできて、
そこに家を建ててとか、
暮らしながら探索をしていくとか、
掘っていくとダンジョンがあったりとか、
っていうのが基本的な遊び方ですけども、
本当にそこのマインクラフトの世界にサーバーを建ててね、
自分たちの街を再現したりとか、
いろんな楽しみ方が無限大みたいな感じですよね。
めっちゃ詳しいですね。
僕もちょっとゲーム開発とか、
僕自身もやってたりしてたので、
もう今では子供の方が詳しいですけど、うちの子も。
かやくさんが拾ってくださったんですよ、私を。
何ですか、それ。
その話をし忘れてた。
何ですか?聞いてみたい。
子供のゲームの居場所、
それが仕事になるためにはどうしたらいいかなっていうところで、
分かんなかったんですけど、
とにかくゲーム会社の一覧を出して、
片っ端から電話かけてったんですよ。
なるほど。どうでした?どうでした?
もう全部ダメで、
全然相手にしてもらえなくて。
あれですか、求人ありますか的なアプローチなんですか?
それとも子供とマイクラやってるんですけどっていう、
どんな問い合わせをしたんですか?
ゲームイベントをしようと思っていて、
一緒にスポンサーになってもらえないかなっていう話になって。
なるほど。
そういう形でどんどん電話していったら、
かやくさんだけ拾ってくださったんです。
本当ですか?
確かの子供たちを連れて、
かやくさんのゲーム開発をされてる方だったり、
あとふとうこの小畑さん、小畑和樹さん。
ゲームトレですね。
はい、ゲームトレ。
つなげてくださって、
かやくの中でイベントをさせていただいた機会があるのを思い出しました。
なんかそういえばあったかなみたいな。
僕もゲーム事業部にいたのがものすごく長い。
10年くらいいたんですけど、
今は地域系の移住とか関係事項とかやってるんですけど、
ゲーム事業部時代とかは割とかかってたんですけど、
そんなことあったんですね。
僕知らなかったのですいません。
すいません。
ラップコンテストの挑戦
そうですね。
うちの面白個人かやくも、
eスポーツだったりとかゲームトレもその名の通りですけど、
ゲームの習い事としてゲームがうまくなろうっていう風な
オンラインのセミナー教室だったりとかをやってたり、
いろんな事業をやってたりするので、
そんな接点があったとはみたいな。
そうだったんですね。
ありがたいと思っておりました。
自分も知ってみようみたいな形で、
親子で配信をしてみたりとか、
マイクラの世界を知っていくっていうところがあったと思うんですけども、
先ほどフリースクールの可視化で大葉くんに出会って、
っていう風なところなんですけども、
劇例屋さんを連れてきたというテレビで紹介されている時は、
ラップっていうキーワードがやっぱり中心に紹介されてたんですけども、
このラップに関わる興味を持ち出すとか、
自分がやり出すっていう風なところのきっかけっていうのは、
どういったところだったんでしょうか。
これはゲームの居場所から発展してなんですけど、
ゲームの居場所を作るには、
親のマインドみたいなものが大事だなと思っていて、
スポーツはいいけど、ゲームはダメみたいなのが、
自分の子供の時からも根付いていて、
親がダメって言ってたからダメな気がするみたいな、
言語化できないゲームに対してダメみたいなのがあって、
それは世の親たちはどういう風に思っているのかなと思って、
いろんな親に聞きに行き出したんです。
そうすると、親たちは自分たちもよくわからないと。
だけれども、自分たちも子供に一生懸命なってるけど、
まず自分のやりたいこととかもわかんなくって、
もちろん子供のやりたいことも応援したいと。
そのためにはまず自分たちのやりたいことをやってみることをしようということで、
おかんばんぱくっていうのをやってみようと。
関西大阪万博みたいな、その万博ですよね。
はい、そうです。
どんなイベントだったんですか。
それは本当に自分たちのやりたいことをやれれば、
どんな変なことでもいいので、自分たちがパビリオンになる。
ドアを開けると、こんな人がいてもいいんだっていう世界観を見せる。
で、裏テーマをサイバーにしようと。
サイバーっていうのは朝とか昼の光ではなくて、
夜の出会いとかネオンのような、そこの場しか見れない光だったり、
そういったものを出すっていうのをみんなに裏テーマとして持ってって言って、
それでその可視化の場所でやらせていただいたっていうのが一つありましたね。
なるほど。そういったところをいろんな人を巻き込んで、
一緒にやろうとかって声をかけていくっていうところ。
図志に引っ越してきて、やろうってなった時に、
やっぱり繋がりとかがないと、なかなか勇気踏み出せないかなって思ったんですけども、
そういったところはやっぱり可視化に集まる親御さんだったりが中心だったんですか。
そうですね。みんなのやりたいことを可視化するっていうのがテーマ。
はい。でもあるので、私もそこにインスパイアされて活動してきたんですけど、
そこで岩盤博でやってみたら、飲食をする人が割と多かったんですよね。
飲食ってお母さんたちの身近なものだったりするので、
その飲食と何かお母たちができるものと思ったら、
図志の商工会が貸し出しているキッチンカーの授業があったので、
これだと思って始めたんですけど、なんとレンタル期間3ヶ月という短い期間だったので。
トライアル的な位置づけだったんですね、キッチンカーが。
そうなんです。みんなもせっかく軌道に乗ってきたタイミングでなくなってしまうのは寂しくて、
じゃあ自分たちのキッチンカーを買おうというところで、100万円が必要だったんですけども、
そのタイミングで日経新聞が出したラップコンテストの記事が、
優勝賞金100万円と繋がってきた。
それでラップを始めました。
なるほど。日経新聞さんやりますね。そんなラップコンテストというのを企画されていたんですね。
しかも賞金100万円ってすごいですね。
すごいですよね。お堅い日経新聞がめちゃめちゃ責めてるし、
子供にいろいろチャレンジしなさいとか言ってきておきながら、
それこそどの口が言うとるねんって話で、自分はチャレンジしてこなかった人生だったので、
じゃあこの日経新聞の責めた姿勢のコンテストに出てみるかというのを私のチャレンジにしてみた。
作品の制作過程
なるほど。そこで一緒にやろうよっていうか、自分がチャレンジするぞっていう、
自分が主体的に応募っていうふうな形でいったということですね。
オーバー予約も一緒に出たんですよ。
本当ですか。そこは知らなかった。
はい。
なるほど。どういう感じでコンテストは進んでいったんですかね。
ミュージックビデオを撮るんですよ。
向こうがビートを3曲用意していて、それに自分が歌詞を書いて載せていって、
ミュージックビデオを撮って応募するっていうスタイルで、審査は全然わからないところでやっていかれて、
30人絞った段階で、日経新聞に載るんですよ。
そこで初めて。
そこにオーバー予約も30人載って。
すごいじゃないですか。
はい。主子から2人。
すごい。30人の枠に。
めちゃめちゃすごい。じゃあオーバー予約もラップできるってことですかね。
オーバー予約が私のラップの先生でもあります。
そういう流派があるんですね。
流派。
そこの下に元藤太郎副官庁がやってくると。
そうですね。孫的な。
なるほど、なるほど。分かってきましたよ。
私にはラッパーが意外と多いと。
そうなんです。
なるほど。
キッチンカーの購入資金っていう風な感じで、100万円を目指すぞっていう風な形だったと思うんですけども、
作って応募するっていうことだったんですけども、
やっぱり作品だったり歌詞だったり、そういうのも必要になってくるわけですけど、
どういう風な形で応募したんでしょうか。
やっぱりラップといえばですね、リアル、自分のリアルを出すという定義があるんですけれども、
私は本当人前で話したりとか、自分のことを晒すとか本当は嫌いなんですよ。
そうなんですか。超意外です。
本当に苦手で、マイクラオカンというキャラを借りて今やれてるんですけど、
下崎真央だとできないんですよ。
なるほど、キャラクターが。
そうなんです。だけども、やりたい思いは下崎真央にもあって、
それをマイクラオカンがペアで、そんな感じでやっているんですよね。
なるほど。応募されたミュージックビデオだったり、歌詞、作品のテーマみたいなものってどんなものだったんですか。
テーマは世の中に言いたいこととか日常に感じることをですね、歌詞に載せるというものになりまして、
それだったら何でもいいんですけれども。
実際にどんな曲を応募したんですか。
反省を振り返るところから始めたんですけど、何分初めてなんて思うんで、わからなかったので、
カラオケが大好きな夫婦がおりまして、来ていただいて、こんなことをしたいというふうに話した途端、
じゃあやるぞってそっからすぐ始まってですね。
スイッチが入って。
入って。でも彼らが私にインタビューをしていくわけですよ。
ネホリハホリ、言いたくないこともグリグリグリグリ突っ込んで。
なるほど、反省をね、振り返るから。
涙流しながら。
なるほど。
それでみんなで作って、そのまま止まっちゃったんですけど、合宿みたいになって。
合宿ですね。
2日間で作り上げた。
曲を、歌詞を作り上げた。
歌詞を書いて、ミュージックビデオ撮って。
ミュージックビデオはどこで撮ったんですか。
ラップコンテストの挑戦
ミュージックビデオはいろんなシーンがあるといいねってことで、やっぱりオカンなので火事をしている様子だったり、
図紙なので海のテトラポットの上で撮ったり。
渚橋コーヒーのね、あの辺。図紙海岸のロケ地みたいな。
そうですね。そのいろんな日常の風景を切り取るようなものを作りました。
なるほど。そういう風な形で応募してから、結構経ってから乗ったって感じなんですかね。
そうです。8月に出したんです、確か。
で、8月で12月が決勝だったから、3ヶ月くらいか。
きてから審査がありましたね。
応募してたことはもちろん覚えていて、いつ発表とかっていうのは分かってたんですか。
発表分かんなかったです。
その10人に絞った段階でもまた新聞が出て、それで分かるって感じなんですよ。
30人ではなく10人?
30人と10人と2回、新聞に。
じゃあ途中経過は新聞で知らされるみたいな。
新聞なんですよ。
なるほど。連絡来なかったんですか、これ。
一応ね、メールが。
さすがにそうですよね。日経取ってね、みたいな。これ上手いなって思ったんですけど。新聞取ってね、みたいな。
なるほど。30名から10名にってことで、大場裕也君も30名には残ったってことで、10名には残ったんですか、2人とも。
10名にはね、私だけだった。
支障を超えた。
超えちゃいました。
なるほど。やっぱり反省を振り返って、合宿で作り上げたもの、金銭に触れるものがあったんでしょうね、きっと審査の方々の。
なるほど。
旅婦カルマ賞の獲得
10人に残った時、どんな感じだったんですかね。
12、本当にね、皆さんの応募動画っていうのもYouTubeで見れるようになってたんですけども、もしかしたら私これいけるかもって思っちゃったんですよ、12の。
12の見て、あ、私ちょっとなんか尖ってるものがあるみたいな。
そうなんです。キャラの尖りは私が一番ではないかと。
なるほど、おかんだしみたいな。
おかんラップに初挑戦みたいなね。
そうそう。
いいですね。
はい。
10人に絞られて、で実際日系のラップコンテスト、日系ラップライブボイスというふうなものに決勝戦に残ったと。
10名がいきなりあれですか、壇上に上がってステージで披露するみたいな感じだったんですか。
そうなんです。
いきなりです。
いきなり。じゃあもう日程は決まってて、この場所でこの日やるから、それまでに練習しといてねみたいな感じですか。
そう、池袋で。
池袋で。
はい。
めっちゃなんかクラブみたいなとこで。
クラブで。
すごい。もう初じゃないですか。
初です。
それまで別にライブとかしたことないですよね。
したことないです。歌うとかしたくなかったんですよ。
なかったのに、自分の中のマイクラおかんがやるぞと。
やるぞと。
すごいなーすごいなー。でも100万円取れたらキッチンカー買えてっていう風に。
ここまですごいストーリーができてるじゃないですか。
そうなんですよ。レールが敷かれてると思っちゃいました。
決勝戦10名順番に披露していくっていう風な形だったと思うんですけど、当日ステージ上だったりその前だったりその後だったり、どんなテンションでした?覚えてることは。
テンションはもうめちゃめちゃおかしいですよね。
おかしいですよね。普通考えたらね、心臓が飛び出ますよね。
落ち着かなかったですね。
初めてだし、ただ審査員はこの方だって4名いらっしゃったんですけど、分かっていたので、
どの方に向けて歌おうみたいなのを、作戦をカラオケ大好き夫婦たちと考えてやってたんですけど、
私の局長だと旅婦カルマさん、審査員の旅婦カルマさんに刺さるんじゃないかという予想の下、旅婦カルマさんがいつも着ていらっしゃる柄シャツを選んで勝負服にしていきましたね。
なるほど。旅婦カルマさんというとね、
結構テレビ、本当に最近だとACのCMとかで、コンビニに並んでるおばあちゃんが小銭を出すのがモタモタしてたらいいんだぜみたいな感じでラップを始めていくみたいな。
あのCM結構ね、皆さん見たことあるから、あの方ですと。
あの方が審査員だったってことなんですけども、実際に披露した後、その表彰も含めて、どんなコメントだったりとかいただいたんですか?
やっぱりスキルはまだまだだけれども、だからこそ伝わるものがあるし、その同世代のオカンという立場で歌っているところに心を打たれたと言ってくださいました。
旅婦カルマさんが?
はい。
旅婦カルマさんからコメントをもらえたってことは、何か10名の中で結果が出たってことですか?
旅婦カルマ賞をいただきました。
まさに狙い撃ちですね。
そんなありがたいコメントをいただいたと。
旅婦カルマに認められたラップのマイクラオカン、初めまして。よろしくお願いします。
ここで自己紹介がね、伏線回収ですよ。
いやーそうだったんですね。それは嬉しいですね。
嬉しかったですね。狙ってたのは優勝です。
旅婦カルマ賞は100万円ではなかった。
旅婦カルマ賞はですね、精打ちの置物だったんです。
ココロラップの設立
精打ちの置物。
そこに旅婦カルマって裏に書いてある。
それは何の繋がりがあるんですかね。
なんか審査員が賞を持ってくるってことになってたらしいんですけど、
商品とかだ。
忘れたらしいんですよ。持ってくるの。
慌てて買いに行って、ドンキで売っていた一番高級なものとおっしゃっていましたけど。
センスが。精打ち。精打ちの置物。
それは今もお宅に。
はい、あります。大事にしております。
今ね、まさにマイクラオカンのご自宅の地下のスタジオですかね。
スタジオでちょっと収録させてもらってるんですけども、
ファイナリストの盾ですか。あれもちょっと拝見させていただきました。
はい。
あれもちょっと後で見させてください。
はい。
ありがとうございます。
そんな感じで旅婦カルマ賞を獲得して、ラッパー初挑戦としてはもう栄誉なことですよね。
そのコンテストで実際に結果を出して、その賞を取って持って帰ってきた時っていうのはご家族の刃もどうだったんですか。
見に来なかったんですけど、家で待ってて。
息子がですね、どうだったって聞いたら、俺のおかげだよねって言いましたね。
この曲ができたのは俺のおかげだよねって。
間違いないですね。
間違いない。
でもそこでマイクラオカンがね、下崎真央という人間の反省をね、引っ張り上げてくれたみたいなところで、自分の殻が破けて新しい自分に出会えてというか、
そのラップという表現を手に入れた下崎真央さん、マイクラオカンはその後、どんな活動に取り組まれていったんですか。
誰かに向けて歌おうというつもりで帰って、コンテストにもエントリーしたんですけども、
実際歌ってみたところ、そうではなくて自分自身で歌ってるんだなっていうのをすごく感じたんですよね。
過去のネガティブだった出来事も消化できたんです。作品になった形で感じ取れましたし、
その出来事を消化して、浄化できたなっていうふうに思ったので、もしかしたらこれはセラピー要素があるなというふうにも感じましたし、
とても必要な方もいそうだなと思って、どの方も1人1曲ラップがあったらいいんじゃないかということで、
ラップ作りワークショップを始めたりしておりますね。
なるほど。そこでまた一つ活動というか、そういった企画が生まれたわけですね。
そうですね。そういうのを始めていって、この日経ラップライブボイスがですね、とても大好きなコンテストなんですけど、
2年間続いて3年目がなくなったということもあって、必要な方はいると思ったので、
勝手に意思を引き継いで、ラップコンテストを図志から発信するということを決めたわけですね。
やらせていただきました。
じゃあ実際に日経新聞が、日経ラップのライブボイスというふうにコンテストを立ち上げて、
参加者募集というふうにやってたように、図志でも参加者募集という形で、
イベントみたいなものを立ち上げたんですね。
街作りだと思っていて、ラップをするということは、どんな表現でもいいんだけれども、
自分の心の中に感じている思いを言葉にするということは、そういう街になるといいなというのを図志からやりたいと思って、
ココロラップコンテストという名前で、日経ラップライブボイスのやり方に従事した形でやらせていただきました。
意思を引き継いで、勝手に引き継いで。
勝手に。
ココロラップがここで生まれたわけですね。
それは今から何年前ぐらいだったんですか?
ココロラップはこの3月に始めました。
なるほど、2025年の3月に。
僕の中では、いろんなローカルのタウンシーンだったり、タウンニュースさんとかいろんなところで見てるから、
もう2,3年やってるんだっけなって、ちょっと錯覚しちゃったんですけど、今年だったんですね。
そうなんですね。マイクラオカになったのがちょうど2年で、
その年に日経ラップライブボイスに出て、
ラップのワークショップをしたり、
あとは精神会とか心霊内会と組んで、
ココロの声をラップにするっていうワークショップをやったりっていうのはやってたんですけど、
コーテスト自体は今年の3月でした。
なるほど、じゃあそこまでに、
そういったラップで自分の内面を吐き出してみるっていう風なところに取り組まれて、
ココロラップという名前がついたのは今年だったと。
そうですね。
今年の3月ということでしたけども、どういったイベントの形で実現したんですか?
それもビートを3曲用意して、
YouTubeで送っていただくっていうので、
審査員をこの寿司葉山エリアでゆかりのある方、
ちゃんと審査ができる方に来ていただいて、
審査していただくというような流れになりますね。
なるほど、これは3月どこでどういう形で告知されて開催されたイベントなんですか?
思いつきで進んでしまうので、
いつも人の問題とお金の問題が私の活動には付きまとうんですけども、
皆さんに応援していただくものにしたいと思って、
クラウドファンディングを取り入れて、
費用面についてはそこでまかないながら、
PTXとか使いながらやっておりまして、
会場はサザナミホール寿司のブロガルザの、
そこでやらせていただきました。
コンテストっていう形ですけども、応募は何組くらい?
応募はですね、108組。
108組、すごい105位じゃないですか。
どういった方々が応募されたんですか?
20歳から、上は80歳まで。
すごい、一桁から。
幅広く。
皆さんラップを?
初めてする方もいるし、
ココロラップコンテストの開催
ずっと取り組んでいらっしゃる方もいるし、
スキル重視ではなくて、
どれだけ心の思いを言葉にできたか、
っていうところに焦点を置いて、
審査させていただきました。
寿司だったり、葉山の方がメイン108組だったんですか?
寿司と葉山がですね、少なかったです。
意外と。
意外と少なかったですね。
全国から本当に来てくださっていて。
逆にすごいですね、全国から。
ニュージーランドからも。
ニュージーランドから。
はい、いらっしゃいました。
普通に日本にやってきて。
日本人の方だったんですけど、
届いたみたいで。
すごいですね、軽々と言ってますけど、
すごいことじゃないですか。
本当に最初10人来るのかな?
10人のファイナリストでやろうと思ってたんで、
10人も応募なかったら恥ずかしいなと思いながら
行ったんですけど。
そこはクラファンだったりとか、
オンラインを駆使して、
この思いを伝えていって、
それが伝染して108組になったと。
日経ラップのファイナリストのみんなにも協力してもらって。
そういったマイクラオカンの気持ちが伝染して、
皆さんに伝わって、
何とかしようっていう形だったんですかね。
ありがたいです。
108組集まって、
3月サダーメンホールで開催してみて、
どうでしたか?
自分が主催側に回ったわけですよね。
はい。
何か出場者として出た時と、
何かマインドの違いみたいなものって感じました?
そうですね。
自分もステージに立った経験があるので、
みんなの気持ちも分かるので、
みんなのお母さんになった気持ちです。
オカンだ、オカンに。
ちゃんと練習したことが発揮できますように、
そういう目で見ておりました。
発表会の自分の我が子を見るだけじゃなくて、
出場者みんなのオカンっていう。
みんなのポテンシャルが最大に発揮できますようにっていうところで。
なるほど。
やっぱりコンテストだったわけですよね。
なのでそういったところでは、
先ほどの優勝者とリフカルマ賞みたいな感じで、
残酷ながら優劣みたいなものをつけざるを得なかったと思うんですけど、
そういったところはココロラップコンテスト、
どんな形で優勝みたいな形が決まったりしたんですか?
どうしてもコンテストにすると、
そういう優劣の目線が出てしまうんですけど、
そういうことは伝えたいなと思ってはなかったんですが、
やっぱりみんな自分の思いを言葉にしているところで覚悟を感じるし、
それを歌うって本当にすごく辛いことだと思うし、
向き合うっていうね。
そこの過程も分かっているので、
みんなにリスペクトを送りたいと思っていて、
だからこそみんなの言葉とか、
この歌ができた背景とかを知ってもらいたいと思って、
全員にインタビューをしていったんです。
インタビューを通じて
応募全組ではなく、出場される方のみですか?
応募108組です。
応募のフォームが届いた時点で、
インタビューをさせてくださいっていうメールを送って、
もちろんお断りされる方もあったんですけど、
お受けくださる方には全員、
それを記事にするという。
なるほど。
じゃあそういったコンテストがあって、
ちょっと自分は一歩踏み出してみようっていう風な方と、
一人一人対峙して、インタビューして、
どんな声が多かったりとか、印象的なところありましたか?
やっぱりこうやって一人一人の話を聞いてもらうの、
とっても嬉しかったっていう風に言ってくれましたね。
それが一番私も嬉しかったですね。
結構そういったね、自分の内面さらけ出すっていう風なところの、
直球、豪速球に対して受け止めるとかって、
結構体力というか気力必要だったりすると思うんですけど、
マイクラオカンはそういった時にどう捉えたんですかね、豪速球を。
結構人によってはね、本当に深刻だったりとか、
あるかもしれなかったなと思うんですけど。
皆さんいろんなバックグラウンドを抱えながら生きてきているし、
私も私それなりにいろんなものを背負いながらやっているので、
辛いねとかそういうことではなくて、
そうなんだっていう風に割と一人一人を受け止められるし、
そこに私は沼ったりとかはしなくて、
だからこそ今があるし、
じゃあこれからどういう風にやっていけるかなっていうところを、
やっぱり見せ方だと思うんですね。
辛いを辛いで出したら辛いだけしかないので、
違う角度で見せていけるといいよねっていう話をしたりとか、
そういう動きをしていきたいねっていう話をしてますね。
町づくりとブロックパーティー
なるほど。
そういったインタビューも含めて応募の先行みたいな形になっていたんですか?
私自身は本当にまだ初心者なので、
評価できる立場ではないと思っているので、
ちゃんとした審査員、審査できる方を用意して、
私はその審査には全く関わらずに、
皆さんのストーリーに興味があるだけなので、
聞かせていただきながら、
そこはもう審査とは別ですということはお伝えしてました。
応募者一人一人に向き合っていったわけですけども、
事前にお話を伺った中で、
全応募者の歌詞、こちらを展示したというふうにお伺いしたんですけども、
どういった形でされたんでしょうか?
リリックパネルというものを作りまして、
リリックパネル、リリックとは歌詞ですね。
歌詞ですね。
それを1センチくらいの厚みのあるパネルを作って、
サザナミボールが黒い箱なんですけど、
そこに磁石がくっつくんですよ。
鉄ですね、その壁が。
なので裏にマグネットをつけて、
ペタペタペタっと貼れるようなものを作って、
来てくださった方には自分のサインをしてもらうパネルに、
あとそこにQRコードをつけておいて、
読み込むとその人が歌っているミュージックビデオに
飛べるというようなものを作りました。
すごい素敵ですね。
108組分がズワーってあるみたいな。
そんな感じだったんですね。
すごい。
めちゃめちゃいいコンテストじゃないですか。
全員で参加というか、全員の表現に圧倒されるんじゃないかぐらいな。
僕も行きたかったんです。
でもパネルがそのまま終わってしまうのはもったいないので、
今スマイル、体験学習施設スマイルのほうに、
内地運動公園の。
そうですそうです。
そこに転聴させていただくという準備を進めております。
すごいすごいすごい。
それ絶対見に行きます。
はい。
ずしアートフェスティバルの一環でやります。
なるほど。
じゃあこの秋に向けてと。
はい。
じゃあそういった形でアートフェスティバルだったり、
ずしのイベントとのコラボレーションというか、
その中の企画としても続いているわけですね。
はい。
なるほどなるほど。
マイクラオカーンが次に考えていることというか、
ココロラップを3月に終えて、
次の一歩として別の企画もあるというふうにお聞きしたんですけども、
それについて実際にもう1回開催されたというふうなことなんですが、
それについてお聞かせいただけますか。
はい。
先ほどお話にも出たずしの体験学習施設スマイル。
スマイル。
はい。
その中で子どもたちの居場所事業として、
スマイルブロックパーティーというものをやらせていただいて、
これは月に1回ほど、
今年はやるということで。
ブロックパーティーというと、どういったものでしょうか。
ブロックパーティーはですね、
その昔アメリカの黒人の方たちが、
なかなか自由に自分たちの思いだったりとか、
社会状況が苦しい中でやりたいことができなかったんだけれども、
やりたいことができる場としてブロックパーティーというものを、
街の公園だったりストリートだったりで、
クラブに行けない方たちがクラブのようなことをしたいという思いで始まったものなんですけれども、
そういう自分のやりたいことができる場として、
スマイルが活用できるといいなと思ってまして、
スマイルにはフェイスができるレベルの記載があったりですとか、
そういったものの活用、場所の活用、
そういったものも含めて、
ブロックパーティーができるといいなと思ってやらせていただきました。
なるほど。
いろいろな企画をさざ波ホールだったりで実現できる場所があったということなんですけれども、
前回のゲストの、図志文化プラザ市民交流センターの副館長、
本藤太郎君からもちょっと聞いてたんですけども、
そのココロラップコンテストの後に、
また太郎君と一緒に何かを企んで、またイベントを実施したとお聞きしたんです。
それについてお聞かせいただけますか。
はい。やっぱり図志、自分の住む街図志がですね、
やっぱり何でも話せる街でいたいと思う、
街づくりをラップでしたいと思ってますので、
たくさんの方に知っていただきたいという思いから、
フェスティバルパーク、交流センターの前のところ。
隣のね。
そこでラップイベントをさせていただいて、
そこではですね、ラップバトルをするのと、
ラップで歌ったものを絵にするっていうものを入れて、
あと飲食と、そういったものをブロックパーティーのですね、
オープニングとしてやらせていただきました。
ブロックパーティーという話ね。
5月にブロックパーティーのオープニングというような形で、
そのブロックパーティー、今後どういった形で展開していったりとか、
既に開催はオープニング以外にもされたんですか?
はい、オープニング以外にもしまして、
図志の体験学習施設スマイルの方で、
これから月1回程度やらせていただく予定でございます。
なるほど。
ブロックパーティーという概念自体もね、
結構歴史のあるようなところで、これを図志の中でという風な形で、
また新しい企画が生まれていくと。
そうやって秋には図志アートフェスティバルの中でも、
いろいろと展開していくということで。
なるほど。
町づくりの、ラップで町づくりをっていいですね、なんか。
みんながこれっていいよねとか思ってたものも、
ラップになることで言語化されたりとか、
表現で広く伝えていくっていうところで、
マイクラオカンの活動
言葉にしていくとやっぱ重要だなって、今回思いましたね。
そのヒップホップの4大要素っていうものがあってですね、
ラップMCって言うんですけど、
ラップ、DJ、グラフィティ、ダンスってあるんですけど、
この図志の町にはスキルのある方がたくさんいらっしゃって、
ラップ以外でも表現はいいと思っているんですけども、
そういったものをブロックパーティーの中で見せていけるといいなと思っていて、
図志の町のスキルのある大人に関わっていただきながら、
一緒に町づくりをしたいと。
なるほど。
ということで、今日はマイクラオカンにも本当にいろんなお話聞いてきて、
現在進行形すぎる話だなと思ったんですけども、
そのマイクラオカンの活動だったり企画だったりイベントといったところは、
どこを見れば今後ウォッチできるんでしょうか?
ありがとうございます。
私のインスタグラムが一番情報としては早いかなと思うので、
インスタグラムが良いのかなと思います。
なるほど。では、図志レコラジオのこちらのインスタのアカウントありますけども、
そこからもちょっとタグ付けとか紹介させていただければと思いますので、
マイクラオカンのインスタ。
普段どんなものをアップされてるんですか?
自分の歌ってる歌もありますし、
最近三浦半島内でいろんなコラボが実現されていて、
コントラバスヒーローとやらせていただいたりですとか、
筆ロックさんとか、コラボ情報ですとか、
そういったものが見れるかと思います。
なるほど。楽しみです。
ありがとうございます。
今回マイクラオカンにインタビューするということで、
事前にも打ち合わせとかさせてもらったんですよね。
そこでいろいろお話を聞いている中で、
今後こういうことをやりたいとか、
今これ考えてるっていうことをたくさんいただいたので、
こういったものがいつローンチされるのか、
公開されるのかっていうのが楽しみではあるんですけども、
ぜひマイクラオカンのインスタをフォローしていただけると
良いかなと思います。
ということで、今回この企画はですね、
本藤太郎くんからの紹介で
マイクラオカンという形だったんですけども、
最後に次回のゲストをご紹介いただけないかなと思っているんですけども、
ゲストの方ご紹介いただけるでしょうか。
カシカの大葉優弥さんです。
冒頭にもお話ありましたフリースクールの
カシカの大葉優弥さんですね。
大葉優弥さんにつないでいただけるということなんですけども、
大葉くんに何かメッセージありますか。
名付けてくれてありがとう。
大葉くんは多分これ僕が今から取材申し込みを正式にするにあたって、
もうちょっとOKはいただいてますけど、
オファーにするにあたってこのエピソードを聞いていただけるかなと思いますので、
こんな感じで進めますので、大葉さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということでもう本当に1時間近くお話を伺いました。
本日はマイクラオカンに図紙で陰を踏むみたいな感じで
いろいろとお話を伺いました。
最後に一言リスナーの皆さんに向けてありますか。
心の声を声にしていきましょう。
ありがとうございます。
次回のゲスト紹介
では次回大葉優弥くんの回も楽しみだなと思いますので、
マイクラオカンから大葉さんへバトンが渡りました。
今日はマイクラオカンこと下崎真代さんにお越しいただきました。
はい、おかんどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ではまた次回バイバイ。
バイバイ。
50:14

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