ドグラ・マグラの混乱の世界
さて、今回はですね、非常にユニークな資料を深掘りしていきたいと思います。
はい。
夢の草句のドグラ・マグラから抜粋とされるテキストですね。
あー、ドグラ・マグラですか。これはまた強烈な。
えー、ヒトリン賞の語り手がかなり混乱した状況で、奇妙な出来事とか思考を断片的に記述してるんですよね。
うーん。
なんか文字化けみたいな箇所もあって、内容の断片性がこう際立ってる感じです。
なるほど。
で、今回の狙いとしては、この語り手が体験している方向感覚の喪失とか、奇妙な理論との遭遇、これを追っていって、その確信にあるもの、あなたにとって一番重要に思える点は何か、というのを抽出していきたいなと。
非常に興味深いテキストですね、これは。
語り手の主観的な体験が強烈で、特に閉鎖的な空間、コンクリートの独房みたいな描写がありましたけど、あそこでの混乱とか、あとは唐突な場面転換、これが強く印象に残りますね。
ですよね。
ここから何が見えてくるか、じっくり見ていきましょうか。
まず、やっぱり語り手が置かれている状況のその異様さですよね。
ブーン、うーん、うーん、っていうあの音の描写。
あー、ありましたね、あの持続音。
それで、自分が誰なのか、どこにいるのか、それが分からないっていう混乱が繰り返し語られてて、まるでコンクリートの部屋に閉じ込められてるような、そんな感覚が伝わってきます。
この閉鎖空間の描写は重要ですよね。
感に物理的に閉じ込められてるというだけじゃなくて、
と言いますと?
なんていうか、精神的な迷宮に収納されてるみたいな、そういう感覚を象徴してるのかもしれないですね。
なるほど、精神的な。
ええ、で、しかも唐突に場面が変わる。
例えば、あの食事の場面、カステラとかサンドリッツとか。
あー、ありましたね、急に出てくる。
そうなんです。あとは時計に関する奇妙な技術とか、こういうのがポッと挿入される。
うーん。
これって、論理的な思考がこううまく働いてない、そういう意識の流れそのものみたいな感じがしますね。
そこに若林と名乗る、と言うか呼ばれる人物ですかね、登場して。
はいはい、若林。
語り手に対して、胎児の夢とか心理遺伝とか、かなり難解な理論について語りかけますよね。
ええ。
巻物みたいなものも出てきて、そこにまあそういう内容が書いてあるらしいと。
ここで出てくる胎児の夢とか心理遺伝、この言葉は多分このテキストの確信に触れる部分なんでしょうね。
確信ですか。
ええ。語り手自身のアイデンティティが揺らいでる感じとか、自分は正気なのか、それとも狂ってるのかみたいな問いと深く関連している可能性があると思うんです。
ふむふむ。
でも、語り手自身はそれをこうすぐには理解できない。ただ混乱している様子が描かれている。そこがまたこう。
ええ。まさにそうですよね。語り手は何度も自問してますもんね。自分は狂人なのだろうかとか、私の名前は何かとか。
ふむ。
アイデンティティと問い
この問いかけ自体が彼の精神の不安定さを示している。
そうですね。
かと思えば、ああ、面白な夢だぞって突然笑い出したりもする。
ああ、あの笑い。
この笑いって何なんでしょうね。ちょっと不気味というか、自己防衛なのか、それとももう。
その自己認識の不安定さ、それこそがこのテキスト全体を覆っているあの独特の不穏な空気を作り出しているんでしょうね。
なるほど。
提示されたあの奇妙な理論が客観的な真実なのか、それとも語り手の精神が生み出した、まあ、芸なのか。それがこう、半然としないんですよね。
ええ。
だからこれを読むあなたも、なんだか語り手と一緒にその迷宮をさまようような感覚になるんじゃないでしょうか。
現実と非現実の境目がこう曖昧になっていくような。
確かに。そう考えるとこの抜粋テキストは、極度の心理的な混乱と方向感覚を失った語り手の主観的な世界。
それを断片的ではあるけれど、非常に鮮烈に描き出しているということになりますかね。
まさにその通りだと思います。
実験するとこう尻滅裂に見える記述の断片なんですけどね。
その中にアイデンティティとか正気と狂気の境界、あるいは遺伝や記憶といったかなり深遠なテーマが散りばめられている。
で重要なのは、このテキストが明確な答えを用意してくれてるわけじゃないってことですね。
あー、問いかけるだけというか。
ええ、そうです。むしろ読む者自身に根源的な問いを突きつけてくるような、そういう性質を持ってる。
あなたにとってこのテキストのどの部分が一番強く問いかけてくる感じがしましたか。
うーん、そうですね。こういう極度に断片化されて混乱した意識の中から継ぎ乱されるような世界に触れるとですね。
私たちが普段、まあ当たり前のように安定してるって思ってる現実認識とか自己同一性みたいなものが、実はどれほど危うい基盤の上にあるのかなんてことを考えさせられますよね。
ええ、確かに足元が揺らぐような。
そうなんです。他者の意識、特にこういう極限状態にある意識を理解しようとすることのその限界、そしてもしかしたらその可能性について、あなたはどう考えますか。