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2024-03-08 08:45

8分_ 【ゲスト?】カーネル・サンダースさんの昔話

【ゲスト?】カーネル・サンダースさんの昔話

エピソードを2つ
ハーランド・サンダーズ

①7歳の時にパンを焼く
②助産の手伝い、ケンタッキー州に同じ名前の子がいる

まとめ、ミッキー。ハーランドは14歳で志願してキューバ。ウォルトディズニーも16歳の時に年を誤魔化して戦争に
偉人になる人は早熟で強い気持ちで若い時から動くのかもね。

☆元ネタのツイート

https://twitter.com/zukkymm/status/1734693160255938959?s=46&t=AMO4dhgRPxiSIRtv7gkAgw

☆カーネル・サンダースさんの肉声

https://youtu.be/5Eu67vX3xPY?si=rXygCdsizl-1_xjN

#ケンタッキー #モノマネ

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00:05
おはようございます、ずっきーです。
今日の朝は、ローソンでホットカフェラテを買って、お散歩しながら財布の収録をしています。
今日もゲストですね、すごい大物ゲストに来ていただいておりますので、ちょっとお話ですね。
私結構すごい好きなんだお店なんですけど、その創始者の方にですね、来ていただいてお話を伺おうと思います。
はい、早速ですね、お呼びしたいと思います。カーネル・サンダースさんです。どうぞ。
はい、私はカーネル・サンダースです。
皆さん、カーネル・サンダース、カーネル・サンダースって呼びますけど、本当の名前違いますからね。
これね、ハーランド・サンダースですね。ちょっとね、たまに気になるんですけど仲良い人ハーランドとかね、ハールとか、ハーランドと呼んでもらえれば嬉しいですね。
今日お話は、私のお話、好きにしていいってことですけどね。
昔、最近はやっぱりフランチャイズのケンタッキーの話ばかりされますけど、それ以外のとこですね、私が昔何してきたかとか。
そう、私の物語の印象的なお話、2つ、エピソード2つお話していきたいと思います。
こういうことがあって、今の私があってフランチャイズが変わったってとこをお伝えできればと思いますね。
まず私がお話したいのはですね、小さきょきですね、私のお父さん早く亡くなりました。
で、お母さんと子供3人、お母さん育ててくれたんですけど、お母さんは遠くに働きに行ってた、結構歩くとこですね、もう数キロぐらいの。
お母さん、家族住んでるとこの5キロ先のところに働きに行ってた。
で、家のご飯、もう私がやるしかなかったんですね、私がやるしかなかった。
その時だって、私7歳の時に2つした5歳の弟いて、あとはね、5個した2歳の妹いて、7、5、2ぐらいの兄弟だったんですけど、もうご飯作ってましたね。
私の印象に残ったのとしては、やっぱりお母さんの作るパンですね、パンが素晴らしいんですよ。
自分で作る時に、工房もイースト菌じゃない、毎回自分でしっかり作る。菌を使って発酵もさせて、二次発酵もさせて、オーブンで焼いてほかほかのパンができる。
もう1日仕事ですね。夜から準備して、朝焼きたてにして食べるみたいな、そんなことやって、本当魔法みたいだなって思ってましたね。
あれ、私もね、すごいパン作りたいなーって思ったんですけど、ある時ですね、あれ、もうお母さんの手順を覚えたし、自分でできるんじゃないかなって思った時があってですね、
はい、工房ね、小麦粉混ぜて、第一次発酵して、膨らまして、なんとね、私ね、7歳の時にパン一人で焼きましたね。
03:04
これね、お母さん仕事行ってたんですけど、自分でね、パン焼けたのすごい嬉しかったんですね、これね。
もうこれ、お母さんに見せたい、その思いで、もう弟、5歳の弟とね、2歳の妹、ちっちゃかったんですけど、
この3人でパン、パン担いでですね、お母さんの職場まで行きましたね。
もう5キロ、5キロありました。妹はもう歩けないので、もう私と弟で順番に抱っこしながら5キロ歩いていって、お母さんにパン焼けたよって言いましたね。
もう職場の人みんな驚きですよ、そんなちっちゃい子3人してパン担いできたらなんて言ってね。
お母さんどうしたと思います?
これがね、めちゃくちゃ喜んでましたよ。
もうキスの嵐ですね。もうブチューブチューって言って。
これもとても私印象に残っているエピソードですけどね。
パン、もう一気のパンですね。一気のパン焼いただけで、もうキスの嵐。
私受けた7歳児は、もう後にも先にももう私、オンリーワンじゃないかなって思ってますね。
こういうおいしいものを作って人を喜ばせるっていうのは、もうちっちゃい頃からずっとやってましたね。
家が貧乏だったっていうのもありますね。
あともう一つ印象的だったエピソード、お話としては、私は40歳ぐらいの時にガソリンスタンドを経営してました。
ガソリンスタンドの売りとしては、もうガソリン、その当時みんなガソリン入れるだけだったんですけど、
私はワイパー、窓ガス掃除したりとか、空気圧大丈夫ですかとかね。
もうできることは全部やったんですね。
それがサービス良かったみたいですごい繁盛して、お客さんいっぱい来てくれて助かりましたね。
その時の働きが認められて、ちょっとそのお店なくなっちゃったんですけど、
違うとこでもやってくれないかって言われてやるようになってですね。
やっぱり今できることをどんどんやっていこうっていうのは大切だなって思いましたけど、
そのぐらいでちょっと店なくなった時にね、私はいろんな仕事をしてたんです。
いろいろお願いされるんで、その仕事の一つに助産師っていうのがありました。
助産師って赤ちゃんが生まれてくるからそれ取り上げるんですけど、
これがなかなか誰もやりたがらないんですよ。
そんなに赤ちゃんの中で取り上げるの怖いっていうお父さんばっかりなんでね。
それで私がやってたんですけど、
一個印象的だったのがね、結構難しいなんざんの赤ちゃんいて、
いつも取り上げてくれるお医者さんですよ。難しいときはお医者さんをお願いして取り上げてって言うんですけど、
ちょっとそのお母さんさん気づいちゃって生まれそうなの。
先生のとこに行って、さん気づいたんでちょっと立ち会ってくださいって言ったら、
いやーちょっとあっちの先生も一緒に来てくれるならいいけど、
俺一人じゃやれないなーみたいな言われて、
なんのこっちゃない怖いから行きたくないねってことだったんですね。
けどその先生が言ったら条件出したんです。
二津山向こうの先生も来てくれるなら立ち会ってもいいよっていうので、
もう私赤ちゃん取り上げるために必要だと思ったんでね、
山越えてその先生、違う先生にも声かけて来てもらって、
取り上げる先生にも来てもらって無事に男の子ですね、産むことができました。
06:04
まあ私は立ち会っててしっかり手出したというかお手伝いって感じだったんですけどね。
で無事に男の子生まれて、
そしてその男の子生まれたのを家の2階で作業したお父さんに伝えましたね。
無事に生まれましたよーって。
そしたらそのお父さんが聞いてくるんですよ。
ありがとうセンキュールって。
お前の名前は何て言うんだって言って。
私はハーランドサンダースですって言ったらOK。
自分のベイビーに私と同じ名前つけてくれましたね、ハーランドって。
嬉しくないですか?
ケンタッキー州ちょっともうそこ交流はないんですけど、
私と同じ名前の子がそこの州に居続けてくれる。
これは喜びですよね。
それが私の受産者さんだった時の喜びの一つとして、
よく印象に残ってます。
エピソード2つということで2つ話させていただきましたが、
いきなりフランチャイズとかそっちの話もありますけど、
いろんなことをやっていくといろんな経験ができて楽しいですよってことですかね。
こんなところで私のお話は終わりたいと思います。
お聞きいただきありがとうございました。
Thank you for everyone. Bye bye.
ハーランドサンダースさん、お話しを感謝していただきました。
どうもありがとうございました。
ではまとめはミッキーですね。
まとめミッキーお願いします。
ミッキーだよ。
今日はね、ハーランドサンダースさん、
有名なのはカーネルサンダースさん来てくれて、
印象的なエピソード2つお話ししてくれたよ。
1つは7歳の時にパンを焼いたら、
お母さんがめっちゃ喜んでくれたよって。
ああいうちっちゃい時のエピソードが本人の胸に残ってるんだね。
2つ目は、あ、助産師さんしてた時だね。
ちょっとすげえ大変だったけど、
頑張って生まれてきて、自分と同じ名前をつけてくれた。
嬉しかったんだろうね。
今更だけど、カーネルサンダース、ケンタッキーの創始者だよ。
ケンタッキー美味しいよね。
食べたくなるなるケンタッキー。
今日はお聞きいただきありがとうございました。
良い一日を。バイバイ。
08:45

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