2024-05-04 38:24

#66 環境因子と老害の話

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またもや老害の話!

サマリー

老害の話で、環境因子論について考察しています。環境が人間の意思に影響を与えるが、才能や特性も重要との観点もあります。そんなこと、どうしようもないと私は思います。自由意志、ポリティカルコレクト、環境因子論についての議論や、私たちの環境と能力、パーソナリティの関係、戦争の起因についての考察を行っています。環境因子と老害に関するエピソードです。環境のせいにすることはできませんが、自分を非難したかった私にとっては、言い訳できる存在となります。

老害と環境因子論
環境因子と老害の話。
テツセカ。
この番組は、哲学を知りたい3人が知らないながらも、
素人な学番組です。
みそです。
もです。
ともきです。
いやー、なんだっけ、よくわかんないけど、環境因子って何?
環境が、あれか。
三鷹さんと話してた時とかに、やっぱ人間で育ってきた環境とか、
そういうのに割と左右されて、っていう話してたじゃないですか。
してたんですよ。
そこからは、そもそも人間の意思ってあるんだっけ?みたいな話に、
最終的にはなっていったんですけど。
そこまで深くはいかないんですけど、
ふわっとちょっと思ったなーっていう話をしたいなっていうぐらいなんですけどね。
もさん何言ってるかよくわかんないですか?
全然わかんないけど、待ってるよ。
どうすかどうすか。
なんでそんな話したいっていうふうに思ったかっていうともきさんの話ですけど、
Spotifyのほうのコメントでいただいてるお便りが出して、
それの話をいこう。
黒猫さん。
黒猫です。
ごめんなさい。
No.55のともきは常にカッコをつけていたいに対しての感想ですかね。
黒猫です。まるで一緒に会話に加わっている気分で聞きました。
老害についてはいろいろ思うところはあり、
先日ニュースにもなった東京都でのカスハラ条例化にもつながるかなと。
暴言は今や老人特有のものではないと思いますし、
自分としては今の若いものはとかは言いませんが、
かといってコンプライアンス云々に縛られるのもことと次第によっては賛成しません。
何事も程度、みんどかな。
これからも楽しみにしています。
エクスタシーっていうことらしいです。
ありがとうございます。
ありがとうございます、黒猫さん。
一番テンション上がる言葉を最後にいただきましたね。
そうなの。
これについて何を思ったんですか。
これについてっていうか、
老害云々っていう話をしてくれてましたけど、
それこそ三嵐さんと話してたときとかに、
環境があなたの決めることとかする振る舞いとか、
そういうのを決めるんじゃないかみたいな話とかもしていて、
それって環境因子が大きいみたいな話ですよね。
その一方で、どうせお前はお前だから諦めろみたいな、
環境とかじゃなくて才能がなかっただけだから諦めろみたいな、
そういう観点もある気がしていて、
そういう意味ではどっちかっていうと、
環境因子論のほうがちょっと正しいっていうか優しく聞こえるというか、
別にあなたは育ってきた環境とかいろいろあっただろうから、
今のその決定に至っただけだよね。
失敗とかしたとしてもね、みたいな言い方もできる気がするんだけど、
環境がそうさせるみたいなのも、
なんか違う出方もする気がしていて、
環境因子と自由意志
例えば、若いうちに苦しい思いをしないとタフな大人になれないみたいなのとか、
若者はそういうのがなくて困っちゃうよねみたいな。
軟弱なんだよみたいな。
それもある意味環境因子にこだわってるというか、
そんな感じもしなくもねえなってふわっと思って、
それめっちゃ老害じゃないですか。
そうだね。
環境の意思みたいなのが、
必ずしもあなたが決めたことじゃないよねっていう言い方って優しくもあり、
とはいえお前が過去にすげえ頑張んなかったからそうなったんだとか、
そういうのにもつながるなとか思って。
あのごめん、老害になっちゃってる、
例えばこう一向人がいたときに、
その人がそうなってしまったのは環境が原因だったんじゃないかって話?
まあまあそう、そういうふうに。
かもっていうこと?
そうそうそう、環境因子論だとそうなるんだと思うんですけど、
そうなるんだと思うんですけど。
でも一緒のじゃあ例えば環境でも、
違う人と同じ環境で育つっていう人はほとんどいないわけだけど、
そうしたときにAさんとBさんが同じ行動を起こすかどうかっていうのは分かんないよねみたいなことあるよね。
そうそうそう。
一方で、環境じゃないその人の特性とか才能とか意思みたいなものがあるっていうふうに認めるんであれば、
それはあなたはもともと老害になる特性があったからそうしたんでしょっていうことが言えちゃうわけじゃないですか。
それも厳しい気もするし、とはいえ環境のせいに全部されてもなぁみたいな感じもあるしっていう。
なるほど。なんでそんなふうに。
そこが聞きたい。
これなんだっけな、これあれだな、スピノザですね。
スピノザの何かの本読んでて、それこそ自由意志の話とかが出てきたりしてたんですけど、
スピノザって、その前のデカルトは自由意志っていうのは無限大なんだみたいなこと言ってたんですけど、
スピノザってそんなことはなくて、
それこそ環境とかに影響を受けてきたじゃないのと、
あなたが決めてるのって本当にあなたの意思なんですかみたいなことを言ってたりするんですよね。
なるほど。
たぶんそこからだと思うんですけど。
あとは環境因子論っていうか、そっちのほうがなんとなく今はポリティカルコレクトな感じがするんですけど。
環境因子と親の責任
だから犯罪を犯してしまった人とか、それは育ってきた環境とかさ、親の影響とかさ、いろいろあって、
ある意味かわいそうな人なんだよとも言えるっていう意味で、なんとなくコレクトな感じがする気がするんですよね。
なんかそういうところでも思ったのかな。
ちょっと待って、あのさ、それの逆ってね、ちょっと教えてもらいたいんだけど、
キリスト教とかの教えとかで、なんかその人が、もしその環境なに、なんとか論、え?
環境因子論。
環境因子論っていうことはあんまり認めてなかったのか、
成人してからやってることっていうのは、その人のもう持っているDNAだし、
えっと、そこまでで育ってこなかったら、その先は、なんていう、自分で決めなきゃいけないみたいな、
そういうこう、戒律みたいのとかって、戒律なの?そういうのある?
厳しいのが。
いや、あったでしょうね。
あったかも。
あったはず。
だから、
キリスト教はそうでしょうね。
だからね、それちょっとすごい怖いことなんだけど、
私の主人はさ、クリスチャンで、たぶんちっちゃい時からはなんかカトリックだったのね。
で、私全然勉強してないんだけど、
あのね、怖いなと思ったのはね、うちの子供たちが、もし間違ったことを、例えばもう成人してから、
えっと、一応21歳が成人なのかな、アメリカだと今うちの、
違うところのステージだとね、
でね、もし間違ったことをしても、もしかしたらね、彼はね、
いや、あいつらのせいだからって言うかもしれない。
でも私はそうじゃなくて、やっぱり私たちのせいじゃないの?とか、
やっぱ、親のね、育て方が悪かったかもよね、みたいに、
まあ簡単に言うと言っちゃうと思うのね。
でもね、ちょっとね、怖いなと思ったことがあって、
それ、どうかな、キリスト教のそういうのある?
あるんじゃないかな、少なくともアウグスティヌスとかは、
やっぱりその自由意志っていうのをすごい大事にしていたし、
えっと、なんだ、だから、なんて言うのかな、
こう、まあ神、神はまあ、こう、善なるものなわけじゃない、圧倒的な、絶対できる。
で、まあ、あの、なんつうの、それにだから、ある意味こう、
背いて、罪を犯すっていうことができるのが人間なんだ、みたいな、
たぶん組み立てをしていたはずなんで、
まあそういう点で自由意志っていうのは認めてたし、
やっぱり罪を犯すっていうのは、それは人の罪なんだと、
いうことなんでしょうね。
まあただそれね、あれだからね、カトリックだから、
まあ全くわかんないですね、プロテスタンとなると、
いやそんなことねえだろうっていう人たちも、たぶんいっぱいいるはずで、
まあプロテスタンっていっぱいね、教えがあるから、わかんないですけど、
いや別に聖書を読めば、そのアウグスティヌスが言ってることって、
別に聖書に書いてあるわけじゃないから、
そのエヴァンジェリストみたいな人たちがすれば、
いや全然そんなこと書いてないことはありますよね、
だってキリストは別にね、みんなの罪を許すみたいな感じで言ってるわけだから、
それは全然違うのかもしれないけどね、
まあまあちょっとそこはわかんない、そこはわかんないけどね。
怖いなと思ってね、だからなんかうちの子たちはまだ成人してないからさ、
いいんだけどさ、なんかの表紙で、もしかしたらちょっと間違っちゃうことしたりした時に、
なんか私と考えが違ったら、なんか守ってあげられないかも、
とか思っちゃったりする時あるよ。
守ってあげられないっていうのは。
なんでかっていうと、彼らは彼らで勝手に、
まあもう成人しちゃったらもうね、法律に背いたらダメなんだけど、
でも何かのきっかけで何かこうちょっとなんか悪いことしたって、
そしたらもうあいつらは自分で決めたことだからって言って、
なんか親子の縁も切っちゃうようなそのぐらいの勢いなんじゃないかみたいな、
ちょっと恐怖があるみたいな。
いや、でもちょいその気持ちわからんではないっすよ、僕は。
え?
条約の縁切るまでは言わないけど、ことず次第によるかもしれないけど、
いや別になんだろう、成人したら、成人しなくてもある意味、
一人の人間だし、別に自分とは違う個物というか、人なわけだから、
そこなんかある意味親がどうこうしようみたいな気持ちはあんまりない。
まあわかるね。
それともきさんの感覚に僕も近いっちゃ近いが、
ただ、旦那さんが本当にそういう感じで言うかどうかはわからないけれども、
そこまでがっつり割り切るみたいな感じでは、
僕も多分ともきさんもないんじゃないかなって。
まあそうですね、困ったらそれは助けるけどね。
助けるというより、私多分なんか、やっぱり育て方とか環境因子のせいだと、
環境の中の自分は一部じゃない、親は。
はいはいはい。
ね、育てちゃってるから。
そこになんか責任を感じたりとかしちゃうというか。
まあわからんではないですけど、
いやわかるわかる、めっちゃわかる。
自由意志と環境因子論
なんかそんなんどうしようもねえじゃんって僕は思っちゃうかな。
自分ができる精一杯をしたし、なんか、まあしてないのかもしれないですけど。
あの、なんだっけ、もうさんは、ちょっと話がずれちゃって申し訳ないんですけど、
もうさんはなんでその旦那さんがそういうふうに思うように感じた?
そういうふうに言っちゃいそうだなって感じたんですか?
いやそういう、ほらやっぱり育っていく中でとか、成人してからとか、
いろいろこう信じられないような行動するような子供たちというか、がやっぱり近しい中にいて、
あ、いるんだ。
で、その時に私がやっぱりこの、やっぱね、その子たちが育ってきた環境とかを見る、レビューするというか、
こここうだよね、あの子たちってこうに育っていったよね、みたいなことを話したいなと思って話すじゃない?
そうするとそれ何が関係あんのって言われるわけ。
彼らはもう自分たちで選んでるよねって言って大人になってるし、
それ何?なんか君はその、その環境を作っているその親とかのせいだって言いたいわけ?とかちょっと怒り出すんだけど。
はいはいはいはい。
なるほどね。
いい質問だね、やっぱみそちゃんさすがそこちょっと隠しながら話そうと思ったらやっぱりね。
そうだね、その具体例がね。
なんかあんま個別化で見れないみたいなそういう感覚があるんですかね。
なんかそのアッキーさんのストレングスファインダーの因子論で言う。
個別じゃなくて、なんかそういうもう大人になったらそういうもんでしょうっていう、そういう感じで語ってる感があるから。
確かにそういう感じで言われちゃうと自分たちの子供に対しても怒っちゃうかもしれないですね。
それで喧嘩になったことあるのね。
もしものことがあって、なんかが、なんかうちの子たちが悪いことしちゃったとき、同じこと言うのって言ったの。
なんか私たちのせいじゃないって言い切れるわけって言って。
でめちゃ喧嘩になるので多分これは結構なんか宗教の教えだろうなと思って、そういう時結構あのもう何もそれ以上はちょっと言わないことにしてるんだけど。
でもそのそれに対して旦那さんはなんつう、そうだよって。
もうこのことは、このことは君とは絶対になんかあの意見が合うはずはないみたいなこと言って話さなくなるんだけど。
その子供に対して、自分の子供に対してもそう思うかって聞いて、それに対して答えないですか?
多分これは彼の性格だと思うけど、あのワーストケースをあんまり想像したくないというか。
あーはいはい。でもなんか、うんうんうん。
それは全然宗教とは関係ないと思うんだけど。
だから自分のポリシーと実際のその時のことっていうのが合致しないっていうような感覚がやっぱりあるんじゃないですか。だからそこで言わないみたいなところがあるのか。
実際やっぱその時になったら子供のことをやっぱりかわうよとか自分たちのせいだよと思うよみたいな感覚がありそうだから黙るんじゃないですか。そこで言わないじゃないですか。
そうだね。だけどやっぱりなんかこう自分の信念みたいなものというのが、だからその信念がやっぱり宗教ベースなんじゃないかと私は思ってるんだけど。
確かに。
あのそれが、あのそうだな、どっちにしてもそのさっき言ってくれてた、何?えっと環境因子論じゃない方は何?
うーん、まああの特に名前つけてないですけど、まあなんだろうね。
まあ先生の能力とか。
あーまあそっか。
そうだね。
自由意志っていうのはそれがもともと自由にやっていいよっていうことっていうのを本人に任せてるわけだから。
まあ環境は関係ないみたいなあるのかなと思うんだけど。
だからそれがすごいびっくりで、ちょうど同じようなこと言ってるのかなと思って。
うんうんうん、なるほど。なんかあのその宗教的な部分っていうのもあるような気もしますけど、結構アメリカチックな感じっていうのもあるよね。
あーそれもありそう。
結構アメリカって、いや僕もアメリカ行ったこともないし、ステレオタイプ的なこと言っちゃって申し訳ないですけど、結構自己責任論的な感覚っていうイメージはあると思う。
社会保険とかもほぼないし。
自分たちの身を守るのは自分による。
そうか。
なんかそういう意味ではなんか我々もその環境因子論の方にちょっといいなって思っちゃうので、
ある意味こう日本の元々の文化みたいなので、やっぱなんか昔から親の顔が見たいわみたいなことを言ったりするわけじゃないですか。
親の顔を見たいわはお前に言われたくねーよっていうのはあるんですけど、相手から言われるとなんか違う気はするんですけど、
なんかそれがどっかでこうね内面化されていて、やっぱ親の責任みたいなのはそういうところで思う。
その文化みたいなところにもあるのかもしれないなって言いましたね今の話で。
どの国とは言わないけど、本当アジアの国はやっぱり家族感をすごく大切にするので、
本当に本当に近しいところで、日本もまだそれ残ってると思うんだけど、
家族感っていうか親戚同士でこうね勢力をずっと保とうとするっていうのはあると思うんだけど、
分からさまにあるよね。
アジア系はやっぱり。
儒教でしょうねそれはね。
どこの国っていうと儒教でしょうね。
だから採用条件とかそういうのもやっぱりそのねお仕事を採用するとかっていうのも、
家族がまずは先みたいなね、まだまだ残ってるよね。
我が社もこんな感じで。
日本もそっかまだ。
ありますあります。全然あります。
だからそういうのあるね。でもそういうことが話したかったの?京都も。
いやまああの、議論がいろいろいけばいいなって思ってたぐらいなんですけど。
とりあえず僕喋るとまたなんかすげえまた当たり障りの話を喋りたいから喋ってください。
最後に当たり障りの話を。
いやなんかそう、それとなんだろうな、なんかこの、
なんだ、さっき黒猫さんもなんか言ってくれてたっけ、
なんて言ってたっけ、なんか見れない。
カスハラ?カスハラ条例か?
笠原じゃなくて、まあいいや、なんかその、
なんかこのポリティカルコレクト的な雰囲気というか、
なんかこれも、だからなんか微妙だなっていう感じがして。
何が?
いや、だからさっきの親の顔を見たいって言われんのは、
すげえポリティカルコレクトじゃないじゃないですか。
まあそうだね、確かにね。そうだね。
ふざけんなっつって炎上する案件じゃないですか。
親と関係ねえだって。
そうそうそう。
差別ね。
の一方で、なんか環境因子論が、
なんか正しいっぽくなってる感じがするのも、
なんか不思議だなーみたいな、なんだろうなーっていう。
なんでですかね。
ほら自分が間違って、私はさ、
自分が間違っちゃったりする時の環境のせいにしたくなるよね。
環境のせいにしたくなるんだ。
だって私別にもともと悪い子じゃないしって思ってるし、
きっともし私が悪いこととか言っちゃったりとかやっちゃうなら、
誰かとかそういう元なんかさせられてると思っちゃうかも。
分かんない、みんながどう思うか分かんないけど。
だから環境因子論の方が私は、
なんかこう自分のもともと否定されてないから、
なんかこう可能性も逆に言えばさ、
大したことなくてもさ、環境のおかげで何とかなるかなーとか思ったりすればさ。
そうかもね。
出会う人とかによって変えられるみたいなね。
逆、そうそう。
だからどうしようもない子だったけど、
いい人に会ってとか、いい経験したらいい感じになるとかっていう希望を持ちたいから。
そっか、そうだよね。
宗教や環境の影響
だからなんか僕みたいに、なんか自分が小みしょうだからちょっともうダメなんですとかって言ってるのとは真逆ですよね。
もう絶対真逆。
いいお水を飲んで、いい太陽の光にあたれば、
すくすく育っていくっていう。
なるほどね。実際そうなんだ。
でもなー、もともと持ってるものがどうしてもそのまま出ちゃう場合もあるもんね。
なんかそことの、なんだろう、
まあそのね、才能とかさ、それこそストレングスファインダーとそうですけど、
なんかそういうのだって、ある意味人の何つーの才能みたいなのを、
言語化というか、分かるように示すみたいなところで、
一人一人持ってる特性は違うんですよっていうアプローチで、
なんかそれも良さげな感じで語られてるわけじゃないですか、今。
の一方で、その、いや、その周りの環境とかもあるよねっていうのもあるわけじゃないですか。
老害に対する理解
それどっちもあるんでしょうけど。
どっちもあるんでしょうけど。
え、だから、例えば老害とかの話でなんかこう、なんか字とかを読んだときに、
それを、それに対してどうやって理解しようかっていうことを考えたときに、
どうしようかって話。
ああまあそうかもね。
なんか理解する。
どう理解すりゃいいんだみたいなね。
そうだよね。そうなんだよね。そうなんだ。
なんか。
もう毎日あるよね、そういうの。
毎日ある。そう、どう捉えりゃいいんだみたいな。
もう本当にさ。
一方でこうも言えるよね、みたいな言い方になっちゃうっていうかね。
確かにひどいことしてるけど、なんか。
それで、こないだあれだな、妻と喧嘩しましたね、そういうの。
じゃあそれ、それが元になって今日話したくなってんの?
それか。
そうですね。
でも、あの、例えば悪と善とかって、
これは悪ですって言えちゃったら、すごい楽だし、決めちゃえば。
で、これ善だよねって言って、なんか悪っぽいこととかを見なければすごい楽だし、
だからやっぱりね、私ね、やっぱりね、しょうがないんだと思う。
そこでね、なんかこうもやもやするのが、
なんていうのかな、もやもやしたいチームだね、ここは。
まあまあそれはそう、それはそう。
ずっとこれやってたいんですよ。
ずっとこれ、ずっとこれ。
ずっと決めくり回して、何回老害の話してんだ、お前らめな。
そう、だけど、だけどそこで、なんか老害だよね、そいつ嫌なやつだよねって、
なんか決めつけられないし、なんかどうしたらいいのかなって、
これ好きなのよ、そういうのが。
私も絶対だから一人じゃなんかなって思っちゃうんだよね。
そうね。
で、こっちとかって、例えば絶対こっちみたいな人とかいると、
本当?って聞きたくなるし。
それはそれで、いやー、こういうアプローチもありますよね、みたいなね。
そう、それででも、じゃああんたなんて思ってんのよとか、
例えば聞かれちゃっても、
うーん、長くなるけどいい?みたいな。
まず前提が、みたいなね。
そうそう。
どういうことか、そういうこと、なんかやっぱりニュースとか、
日本のニュースとかエグいなと思うときあるもん。
やっぱ日本、たまに帰って東京、東京じゃない、テレビとかあまりこっちで私見ないけど、
アメリカのニュース番組とかもすごいけどね、
ほんとこの人たちさ、こっち、大統領選挙のこととかもそうなんだけど、
なんでこんなに信じられるの、こっち側を、あっち側を。
なるほどね、確かに。
そういう感じなんだ。どう違うんですか、アメリカと日本として。
え、何が違う?
そのニュースの報道の仕方とか。
あー、報道の仕方の違いか。
え、なんかエグいっていうふうに思う理由が知りたいというか。
あ、そうか、エグいのはなんか、
日本が、日本の国内のこと言ってるときは別にどちらもいいですけど、
なんか地方のこととか言ってたりとか、
あとまあ、なんかちっちゃい大きいって言っちゃいけないけど、
まあ、その辺で起こった事件とか言うときいいけど、
なんか海外の報道するときとかがすごく、
なんか一個の視点からしか報道されてないとかがあって、
もう、え、これ、全部の番組で同じ方向からしか言ってなくて、
ちょっと具体的に言えないのがちょっと私の頭の悪いとこなんだけど。
あー、いや、わかるわかる。
感覚として、ここでね、具体例とか出せるとかっこいいんだけどさ、
それができないから。
あー、でもなんか、今日の、今日昼に飯食いながら見てて、
なんか、あの、イスラエルの話とかやってて、
なんか毎日同じ切り口でしかやってねーな、これっていう感じで。
そうだね、だから戦争のこととかもそうだし、
それがね、あの、全部の番組が違う切り口とかからやってくれてると、
なんか安心するんだけど、
どれ見ても同じような、まあ日本人が好きそうな立場から、
夜明けの人からとか、のが多い気がして、
ちょっとそういうのはなんとなく、
いいの、これでいいのかなーとかってまあ思ったり、
とはいえ、やっぱりこう極端みんなこう、その、
多分テレビ局とかがそれぞれでやりたいようにやってるわけだから、
まあ他の国に行ってもそういうことはあるよっていうことだけど、
でもいっぱい切り口が違う切り口があるから、
私みたいなどっちでもいい人にとっては、
あ、こっちこんなこと言ってる、あっちこんなこと言ってるとは思うよね。
なるほど。
うん。
まあわかる。もうその気持ちはちょうどあるね。
でもね、そうすると面白いことに、なんかいろんな切り口があるから、
やっぱ自分はどれが好きかとか、どれなのかって決めなきゃダメなんだよね、アメリカなんかは。
うんうん、言ってましたね、前もね。
あ、言ってた?
うん、それ政治のことみんな語るのが大好きで、
だけども語りだすと喧嘩になるから、あえて勝手に。
そう、でも決めないと、どっちか決めないとしょうがないんだよね。
でも日本だと別にみんな同じような感じでいいのかなって思っちゃってていいわけじゃない?
まあね、単一民族って実際は違う。
だからそういうのってなんかやっぱり、面白いよね。
面白いですね、確かに。
能力とパーソナリティ
いやー、しかしまあさっきのなんだっけ、ともきさんの話、環境とかっていう話いろいろしてましたけど、
僕がちょっと思った話で言うと、なんかちょっといろいろと整理をしてなと思ったんですけど、
能力とパーソナリティみたいな、そういうような話があるような気がするんですよ。
おー、なるほど。
能力っていうのは何々ができる力とか、
どういうふうに考えられる力とか、そういうような感じだったって言って、
パーソナリティっていうのは価値観だとか、行動基準だとか、
培われてきたそういうマインドみたいなとかっていうのがあると思うんですよ。
そういうのって能力にしてもパーソナリティにしても、
醸成していくためにはいろんなものがあると思うんですよ。
先天性のものっていうのも当然あると思うし、
それこそ環境によって、育てられた環境によるもので培われていく。
まあどらくえで考えてみればわかりやすいじゃないですか。
経験値どんどん積んでいくことで能力が上がっていくわけ。
能力も価値観のね、強さみたいなのも上がっていくわけだから。
だからその環境と能力パーソナリティっていうところは相互にめちゃくちゃ、
相互にっていうか環境がそっちの人間を形作るところに対しての
影響度っていうのはめちゃくちゃでかいと思うんですよね。
だって経験詰める環境がなかったら能力上がる用ないじゃないですか。
だからやっぱりこうね、ひどい環境で育った人たちっていうのが
なかなかこうどうしてもね、あんまり賃金の高い仕事できないとかっていうのは
環境の影響
現実としてあるわけなんで、環境が因子として存在して、
それを人間を形作る因子として存在するっていうのはまず間違いないと思う。
っていうのが個人的な考えです。
ただそのある程度の基準まで達した人間たちにとって、
そこでじゃあ環境、すべて環境のせいにするみたいな話。
経験今まで詰めなかったんだからしょうがねえじゃねえかとか、
そういうようなことを言い出すみたいなのってのはまたそれはちょっと話が違うのかな、
みたいな感じのことも間違いない。
ちょっと今区切りましたけど、でもちょっと区切ったほうが分かりやすいような気がするんですよね。
極端に恵まれない立場の人たちっていうのが混ざっちゃうと、
ちょっと話が全然違くなっちゃって。
普通にサラリーマンぐらいのことをやっているような、
普通に生きているような人たちの中で考えていくと、
どっちが種でどっちが獣みたいなそんな話になるかわかんないけど、
どっちだとねっていう感じで。
まあまあなるほどね。
確かにね思考の整理にはなりますよね。
っていう感じのことを思って。
そうか、そうか。
どうよこの論理的思考。
論理的だわ。
論理的だわ。
でもその論理的な思考っていうのは、やっぱなんか何かに向かっている場合にはすごい、
あの必要なことというか有効なんだろうけど、
なんていうのかな。
答えを出すみたいな。
そうそう。
だからそういう思考した方が、何か向かうときには必要だと思うんだけど、
私が思うのは、私が困ることは、
何かもう事象が起こってしまったときに、
それを私が見たときに、
どうやってそれを理解するのかって言ったんだよね。
例えば大きい話で、なんで戦争をする人がいるんだろうかって言ったとき、
その人たちを理解するときに必要なのが、
その論理的には説明できないんじゃないかって思ったりする。
論理って分類するみたいな話だから、
分からないのをある程度分類していって、
それでこう一つ一つの印象を吟味していくみたいな、
そういう考え方があるから、
それは生理で。
そうだね、アリストテリアンですね。
ああ、そっかそっか。
だから、例えば戦争が何で起こるんだろうねって言ったときに、
やっぱりそういうふうに、ちっちゃいのがこうやって説明をしていく。
大きいところからだと。
大きいところからとか。
例えば政治的とか周期とか、もしくは個人の感情とかっていうような、
そういう要因がいくつか考えられますよね、みたいな感じで分けるっていうのも、
これもまた一つの分類。
そうだね、だからそういう思考ができれば、
なんかこうがむしゃらに、
いやーかわいそう、どうして?とかいうことじゃなくて、
ニュースの理解
理解できるからいいね。
僕はいいと思って。
僕はまたちょっと違うのかもしれないですけど、
そんなニュースとかを見て、やっぱり感情的になることはあんまりない。
まあまあ戦争の報道とか見て、ああひどいなとか思いますけど、
なんか本気で心が痛むみたいなところまでは、なかなかいかない気がしていて。
ただやっぱりなんか、これをどう捉えればいいのかっていうところは、
なんかすごいずーっともやつき続け、ずーっともやもや考えてるんですよね。
どういうこと?
それがだからやっぱり好きなのかもしれないっていうか。
なんか毎日のように、あっちにはこういう考え方があって、こういうことかとかっていうのが、
なんかコロコロ変わり続けるんですけど、
なんかそれはそれで、ずっとただ考えてたいのかもしれないなって気がしましたね。
いいじゃん。考えるのが目的っていう。
それが目的なわけじゃなくて、考えちゃうのかな。
そうだね。考えちゃうんだね。
私忘れてたけど、私がタイムキーパーだったらずいぶんこういう話をしてるの、
なんか久しぶりすぎて、結構長く喋ってるんじゃない?
そうですね。タイムキーパーっていう役割があったんでしょうね。
それすら分かんない。
誰もやらないから。
私が切らないとどんどん長くなっちゃうっていう習性があるんじゃなかったかしら、私たちには。
そうですね。
じゃあどうぞ締めてください。
そういう感じ?
大丈夫です。Cパートがあるんで大丈夫です。
そうなの?じゃあこんな感じでいいですか?今日は。
別に、また同じ話を何回もこすり続ける可能性はあるんで、答えは大丈夫です。
じゃあ皆さんどう思いますかってことですね。
はい、では今日も最後までテツセカをお聞きいただきありがとうございました。
テツセカはSpotify、Apple Podcastで配信しています。
番組、気に入っていただけましたら高評価ボタンを押していただきますととても嬉しいです。
お聞きのPodcastアプリで番組フォローいただきますと更新時に通知が届きます。
感想や質問、みぞちゃんともきへのファンレターも引き続きお待ちしています。
番組概要欄のGoogleフォームにご入力いただいたり、
Xでハッシュタグテツセカをつけてポストいただければ全力で探しに参ります。
いつも感想いただく皆様本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
環境のせいにする人々
あれだよ、なんだっけ、環境のせいなんだよ全部。
え?
全部環境のせい。
急に手のひら返した。
いやでもさ、ちょっと今思ってた。
実際環境のせいなんだけど、環境のせいみたいな、
育った環境が悪かったからさとかさ、
老害機質の人の言ってるのもそうですよ、
しかも若いもんはみたいな感じのこと言ってるのもそうだけど、
何が腹が立つかって多分多色思考なのが腹が立つんじゃねえかなって、
そっちじゃねえのかなって。
なるほどね。
だとしても、人のせいにすんなと。
自責思考で物を言ってくれと。
おめえのこと知らねえからって。
知ってる人がそういうこと言ってたら、
あーっつって共感するかもしれないけど。
知らない人が何か多色思考で喋ってるのに関してって
ムカつくじゃないですか、多分誰でも。
まあね。
わかるわかる。
わかるんですけど、
自責思考と多責思考
自責思考をしろって言えないじゃないですか。
言えないね。
そう。それむずくないですか。
むずいね。
あのー。
むずいし、そんなこと言ったらその人死んじゃうかもしれないし。
そうそうそうそう。
あのーね、アドラーとかさ、
超厳しいじゃないですか、ある意味。
そうなんすか、そうなんだ。
まあでもそうだよね、
思考の転換で人生変わるみたいなそんな感じのこと言ってたら、
全ては自分次第だみたいなことをね、言うわけですけど、
そりゃそう。
そりゃそう。
そりゃそうなんだけど、
それをなんか人のせいにしてる人、
環境のせいにしてる人に対して、
いやそれはさ、
お前次第だよって言えないっていうね。
いやいいじゃん。
言ってね、よくね、
あのー妻と結婚してるときにね、
言ってね、よくね、
あのー妻と喧嘩してるんですけどね。
言ってんのか。
言ってる。
でも無駄な人には言わなくていいし、
言って引いてくれそうな人には言えばいい。
個別化のあれが高いので。
なるほどね。
それはそうなんですけどね。
でも人のせいにしたい、私。
あ、そうだ。
人のせいにしてる人いた。
たぶん、
先週の配信で私が飲んだくれちゃったのは、
みそちゃんがコロナにかかったせいだって言ったような気がする。
間違いない。
それはその通りなんだ。
自責と多責が噛み合うとちょうどいい感じなんですね。
そうだね。
うまくできてるってことじゃない、じゃあ。
そういうことですね。
バランスよくできてます。
我々さんにはバランスよくできてるんですよ。
噛み合ってんのか噛み合ってないのかよくわかんないけど。
わかんないけど。
こんな感じで終わりましょうか。
また話しましょう、老害の話は。
じゃあそんな感じで終わります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
38:24

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