1. テツセカ ~哲学の世界を知りたい!~
  2. #73 コニタンゲスト回③ 自我を..
2024-06-23 49:45

#73 コニタンゲスト回③ 自我をなくすとは

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コニタンゲスト回③です。 コニタンの人生中毒 ⁠⁠https://open.spotify.com/show/01KD0woNpDS4963fIacgeg?si=2abead66489f4a23

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この番組は、哲学を知りたい3人が、知らないながらも知ろうとあがく番組でございます。ミソです。
モーです。
トモキです。
コニタンです。
引き続きコニタンにはご参加いただいているということで、よろしくお願いしたいなという感じで思っています。
自我をなくすとは、そんな話ね、ちょっと哲学的な話をしたいなということでね、今の話の投げかけはモーさんから出てきた話なんですけども、ちょっとモーさんどういう話ですか。
さっきね、さっきっていうか前回の時にコニタンが悟り、悟りたくって、それは煩悩をなくして自我をなくす、なくすって言ったかわかんないけど、そうすると平穏が訪れて幸福がになるんだよっていうことをするための技術が、まあ瞑想。
瞑想だよ。
そういうことで言ってた時に、ちょっとなんかアメリカ育ちの子たちと話してたことがすごい入ってきて、なんか日本にいると、なんかこう自分を出しちゃいけないみたいな空気ってめっちゃあるから、自分の意見を言わないみたいな、そういう簡単に言うとね、でも言ってそれでこう話し合うっていうことがあって、
なんかまさか自我をなくすなんていうような、こうインディビジュアルっていう英語があるけど、この一人の人のことっていうの、そのインディビジュアルがないってことが問題だよってよく、まあ私たちがよく聞いてる深井さんが言うことなんだけど、それがないと民主主義ってなんか成り立たないよねみたいなことあるんだけど、そういうことを聞いたことがあって、それで私もお友達とそのアメリカ育ちの日本人のお友達とかと話したりとかしたときに、
その自我がないっていう、なくすことが美徳であればね、日本人で言って、いやそりゃそうだよねって黙ってた方がいいっていう風になっちゃうよねっていうことを、さっきね、コニーたんがおトイレに行ってる、おトイレじゃない、お飲み物を持ってくるっていう時間にちょっと2人に聞いてみたのよね、そしたらやっぱりちょっとちゃんとね、答えがあるっていうことだったので、教えていただけたらと思うんです。
はい、自我がなくなっていくっていうところで、なくしていくで悟りを開いて、悟るっていうことが自分の自我をなくすっていうのではなくて、執着をなくすっていうところが大事なところなんですね。
執着をなくしていくことで、自分の心の癖だったりとかっていうのが反応する癖だったりっていうのがあるんですけど、それがクリアーになっていくことできちんと他者と協調して生きていくことができる、調和をして生きていくことができるよっていうのが悟りの境地の良さであって、
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自我をなくして自分の意見とかを言わないとかっていうのではちょっとまた違う話になってくるんですね。
アイデンティティっていうのはアイデンティティとして存在はしてるけども、その他者を傷つけたりとか、押しのけて自分だけ勝とうみたいなっていうところをなくしていく。
調和をしてみんなで楽しく生きていけたらいいねっていうのが悟りの境地なんですよ。
例えば、全部自分の意見とか自我をなくして、言われるがままに、例えば奴隷のように言われたことばっかりをずっとやり続ける、思考停止してやっていくっていうことではなくて、きちんとこれは自分がしたくないことだということはきちんと主張していいし、
ちゃんと抵抗していくっていうのは全然やってオッケーというか、やるべきことなんですよね。
そこは打ち入りがちなとこなんですけど、違うんですよね。
ガンダムさんもずっと抵抗はしてたじゃないですか。
ただ暴力は使わない、人を傷つけるということはしない。
でもちゃんと抵抗はしていくというところで、その瞑想をすることで、非暴力かつきちんと自分が積極的な行動を起こすことによって現実を変えていくっていう力を、知恵を発揮するために瞑想をやってたっていうのがありますね。
自我を完全になくすっていうのとはちょっとまた違うなっていうのと、あとは最終的には悟るっていうことは、一瞬は結局自分のままでいいんだっていうところに行き着くんですよね。
自分の思考をきちんと把握して、正しく自分の行動を立して、積極的に自分の人生を構築していくための一つの方法として瞑想っていうのがある。
はい、解釈です。
なんかあれですよね。自我をなくすって言うと、自我とアイデンティティとインディビジュアルっていうのは全然違うのを指していて、
ここで言う自我ってエゴみたいな、そういうニュアンスを含んでるんだろうなって気はしましたね。
そうですね。おっしゃるとおり、自分だけがお金儲けをしようというところが自我であって、
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それは人を傷つける考え方につながる、行動につながるから、それは違うのね。
悟りの境地なんです。
なるほどね。なんかこう、今ちょっと僕、キャリアコンサルタントっていう資格を取るために勉強してるんですよ。
で、あれって結構理論とかそういう話っていうのがめちゃくちゃいろいろ出てきて、
心理的な部分の話も出てくるし、いろんな社会的な部分とかもいろいろいっぱい出てくるんですけど、
自我だとかアイデンティティだとかみたいな、そういうような話っていうのも結構出てくるんですね。
で、そういうこう、自我の確立みたいな、そういうのっていうのを測る時期みたいなのが、
人間結構決まってあるよみたいなことを言ってる理論家っていうのもいたりするんですよ。
で、なんかそういうこう、受ける人たちのそういう実際問題、
実際のところの年齢傾向みたいなのとかってあったりするんですか?
あ、その瞑想?
そう。
やっぱりそうですね、年齢的には30代ですね、が一つの人生の節目だなと思ってまして、
瞑想を受けるに来る人も、20代もたまにいるんですけど、
30代ってやっぱり結婚したりとか出産したりとか、あとカリアを変更したりとかっていう大きな節目の時期だと思うんですけど、
そこで今まで30代までやってた法則とかっていうのが全く通用しなくなったりするのが30代だったりすると思うんですね。
っていうのがあって、多分30代っていうのは一つあるかなと思いますけど。
うーん、なるほど。おじいちゃんおばあちゃんはあんまりいないですか?
あ、もういらっしゃいますよ。
いらっしゃるんですね。
ただそこまで足腰が立たないような方とかあまりいなくて、30代から40代っていうのが、やっぱり人生の苦しみとか。
まあそうなのか。
そういうところがやっぱり如実に出てくる時期かなっていうのがあって。
苦しいんだね。
35から45ぐらいまでの間を中年の危機って言うらしいんですよね。
そうね、言うね。
いや、これは別に何か俗的な言葉じゃなくて、何かそういう学術的な言葉であるらしいんですよ、そういうのが。
実際それぐらいの年齢っていうのは本当にキャリアとかについて悩む時期らしいんですよね。
大きい人生についてね。
だからやっぱあるんだなっていうのは今聞いてても思いました。
僕個人の話をさせていただくと、割と僕はあまり悩みもなく、割と運良く世の中渡って生きてこれた方だったんですけど、30ぐらいまでは。
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やっぱりその結婚とか離婚っていうところの節目で、これも自分の力ではどうにもならないっていう状況に陥ったんですね。
今までは自分の力で何とかやってこれたし、自信あったんですけど、それが全部崩れてしまったんですよ。
35ぐらいの時かな。
もう絶望したんですよね、その時初めて。
で、ニッチもサッチもいかないなっていうところもあって、それも一つのきっかけだったなっていうのはありますね。
で、ビパッサナ瞑想やってみたらちょっと良かったなっていうのはありましたね。
なんか今の話聞いて、もしかしたらコニターンさんが瞑想を進めるのと、ミソさんがキャリアコンサルトするのは同じなんじゃねえかって思った。
どういうこと?
なんか、なんていうの、手段は違えど、そういうね、キロに立つ人を救うというか、そこに方向性というかね、なんかこういう方法があるよっていうのを示すっていう手段の違いなだけで。
なんか、実は同じようなことをやってるのかもしれないみたいなことをちょっと思った。
おこがましいですわ。
ストレングスファインダーもそうだよね。
そうだね、あれはそうだね。
来ていただいてね。
アプローチの違いはあるのも、やっぱりそういう悩みとか苦しみみたいな人たちっていうのに、何かしらの指針を示すみたいな意味合いとか。
キャリアコンサルタントにしてもストレングスファインダーにしても、あれってこう、根本的な考えは自分で築いてくださいねっていうのを指し示すことなんですよね。
だから、ある種、そういう部分に関しては共通するところなのかもしれないなと思います。
築きを得るための手段みたいな。
でも私が思うのは、みんながちょっとだけ悟ったら、悟りに近づいてみたりとかすると、もっと簡単だと思ったりします。
それが一番難しい。
それが難しい。
人は自分で心が楽になるっていうのってすごく難しいことだと思うんだよね。
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だから瞑想10日間行くだけだよって思っちゃうんだけど。
とりあえず、ももさんが最初に聞いたことの部分に関してのあれはどうなんですか。
ほら、仏教ってすごいロジカルだよって聞いてたから、さすがだなって思いました。
日本人の自我がなくなることで黙っちゃうっていうような、そういうところの部分に関しては、そうだよねって感じってことですかね。
説明がそうじゃなくて、みんな調和するために自分の自我をなくすというか、
執着をなくして、知恵を使って悟ったらいいよって、そうすることが。
でも自分は自分のままでいるっていうことでいいけど、みんなと調和して生きていこうっていうところは、
ありにかなってるなと思うけど、それがうまくいってないってことは、全員瞑想して、
その境地に行けば、いろんな仕組みがうまくいくはずだよなって思います。
なるほど。
なるほどね。だから、僕が聞きたかったのは、具体的な瞑想の仕方ですね。
全然繋がってないんだけど。
繋がってる繋がってる。
飛んだ飛んだ。
悟りたいんで。
僕がまたうまく繋げようと思ったのに、いきなりびしょっといったね。
私が言ってることとか全然無視してさ、見事に無視してくれた。
ほんと奥さんと話したい。
調和を無視してましたね。
せっかくうまいこと繋ごうと思ってたんだなって。
まあいいや、乱暴に行きましたけども、ぜひトムキさんのその話に。
はい、わかりました。
ビパッサの瞑想の方法についてなんですけど、これは本当にそんなに難しくないんですよ。
大体1回10日間コース行ったらほぼほぼマスターできるものなんですけど、3段階ありまして、
まず1つがアーナパーナって呼んでるんですけれども、呼吸を観察するっていうのが1つの段階ですね。
このアーナパーナ、呼吸の観察をすることで手術の時のですね、
メスを作るっていう感覚ですね、段階ですね。
切り込み入れるみたいな。
ビパッサの瞑想自体を、
外科手術で例えてるってこと?
心の手術をやってます、すみません。
その心の手術に例えるんですけど、3段階ですね。
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1つ目の段階が幹部を切除する、切り開いて切除するためのメスを、ボディスマスというのが第1段階。
腹を開くと。
第2段階目が極意なボディスキャンなんですけど、これで幹部を切除していくっていう段階ですね。
3段階目が慈悲の瞑想っていうんですけども、
これで傷口を方法して癒していくっていうのがビパッサの瞑想のプロセスになります。
方法としましては、お尻が痛くないように座布団を敷いてですね、アグラをかきます。
姿勢を正して、すごく大事なんですけど、90度筋を伸ばして座ります。
これをその状態で鼻から出る呼吸をずっと観察します。
感覚だけを鼻から吸って鼻から吐く。
自然と鼻から入ってくる呼吸と鼻から出てくる呼吸を感覚で感じるようにします。
最初は全然感じれないんですけど、だんだん集中力が増していくにつれて出たり入ったりしていくっていうのが感覚として分かってきます。
それが第1段階目。心の手術のメスを作る。
第2段階目が切除をしていく。感度を切り取っていくという段階になるんですけど、
これは鼻の呼吸を観察してたじゃないですか。
その感覚っていうのを頭のてっぺんからつま先にかけて感じていくということをやっていくんですよ。
今は呼吸だけに最初は注目してたけど、全部?
全部。だから呼吸を感じる範囲って本当に人差し指ぐらいの感覚なんですけど、範囲として感じれるのは。
頭のてっぺんからつま先、皮膚の感覚をまず全部感じていく。
っていうのを丁寧にやっていくんですよ。
それをやっていくことで、第1段階目で沸き上がってきてた痛みとか心地良さっていうのを見ていくんですね、感覚で。
そうすると痛みが消えていくんですよ。不思議なんですよね、これは。
それをずっとやっていく。っていうのが第2段階。
第3段階目は、もう本当に聞くだけの話になるんですけど、慈悲の瞑想って言いまして、テープから音声が流れてくるんですけど、それをなぞらえていくだけなんです。
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最後は本当にまずは自分を愛しましょう。自分を生きとし生きるものが幸せでありますように。
言葉があるんですけど、それをまずは自分を愛しましょうみたいなところから、家族だったりとか職場の人だったりとか友人だったりとかっていうのをどんどん広げていって、最終的には自分を嫌っていた人とかも愛しましょうとか許しましょう。
っていうのと、自分自身が嫌っていた人たちも許します、愛しますっていうところを言葉をなぞらえていく。で、終わりです。
唱える感じですね。
そうですね、心の中で唱える感じ。
心の中でなんですね。
すごいのは、自分が嫌っている人とか、自分を嫌っているだろうなって思う人を幸せであるようにっていうことを願うっていうところがすごい良くて、
なかなかそれって意識的にやろうと思っても難しくて、
やっぱりどうしても心の壁みたいには、心の執着があることによって、それが素直にやっぱりできないんですけど、心のところからは。
手術として取り除いた執着がない状態で、それを自分の中でそらんじることによって、なんかそれが素直に。
すっと入ってくる。
そうです、すっと入ってくる。
できて、それができた瞬間にすごく楽になるんですよね。
なんか自分が、自分のことを落とし入れた人とか、なんかこう許せる。
結構素直にできるんですね。
だいたいその頭で考えると、頭だけで心は全然納得してないんだよみたいな。
あるんだけど、それがきちんと付落ちした状態で入っていく。
それって結局自分にとってもすごくプラスのことなんですね、最終的には。
人をやっぱり憎んだりするっていうのは害なんですよね。
憎みが出ているんですけど、それがなくなることですごく爽やかな気持ちになりますね。
なるほどね。
それは個人的に憎むとかっていう人が、例えばあまりいないときに、
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世の中がこんな悲しいこととかが起きちゃうとかっていうことに対しても、付落ちできるかな?
そうですね、できますね。
しょうがないって思うというか。
そうですね。
お互い考えがあるんだろうなくらいの。
そうですね、付落ちというか、言語化するのが難しいですね、そこは。
私が困ってるのは、ちょっと数日前とかもニュースで、すごい残虐なニュースとかを聞くと、
すごい困っちゃうんですけど、もしその、なんていうのかな、
迷走とかで落ち着くことができれば、そういうこともことでわざわざざわざはしなくていいとかあるかな。
そうですね、ざわざわしなくてよくないとは思いますね。
そういう、なんていうんでしょうね、残虐な事件があったとしても、
それは、結局言ったら、自分には直接関係はないわけじゃないですか。
そういうことは、やっぱり世の中に起こってはいるものの、でも、なんかそれはそれで、
何かの因果関係があって、そういう危害を加えたり加えられたりしてるっていう人はいるんだけども、
受け入れるっていうことはできるようになるなっていうのは分かりますね。
なんとなくね、確かにね、自分でコントロールできることじゃないから。
そうなんですよ。
なんか回り回って関係があるのかもしれないけど、
それについて思い詰めてても仕方がないかなっていう考え方できそうだなって気がしますよね。
まずはその周りもあるけど、まずはその自分の心の中が平静で穏やかでないと、
平和には絶対ならない。
まずはね。
あるんですよね、まずはね。
まずはそこがきちんと整っていないと、
すべてが伝播して、世界にも影響があるっていう因果関係が見えてくるので、
だからまずはその自分を愛して、周りの人とも愛していけば、
そういった生産のニュースで聞くような事件っていうのもなくなっていくから、
そこは因果関係があるんですけど、
それをなくすために自分は自分と自分のできる範囲の人をきちんと愛して、
平穏を保っていくっていうのだろうっていうのは考えますよね。
なんかこう、僕自身の考え方の部分っていうと、
24:00
なんかやっぱりいろんなことがあったりした時に、
嫌なこととかね、嫌なことをされたとかっていうのがあった時とかに、
その怒りの気持ちみたいなのが当然湧くわけですけれども、
だけどもその後結構すぐに、
まあそもそも人間ってこういう生き物だしみたいな、
そういう感じの諦めの気持ちの中で相手に期待をしないっていうところで、
心の平穏を保つような、
最近心のマインドのね、あれを覚えてるわけなんですよ。
平穏さを保つための技みたいなものね。
その諦めのところまで僕は行ってるような気がするんですけど、
その先みたいなところにも行ったりするんですか、瞑想をやることで。
まあね、そういうふうに聞こえますよね。
やっぱりこう愛ですもんね。
そうですね。
言っても僕も怒りとかはやっぱりちょこちょこ感じたりはするんですけど、
それってどうなんだろう、諦めっていうよりは、
理屈として話をしますと、
全てそういうふうに嫌なことが起こったりとか、
自分の責任じゃなかったとしてもですよ。
すごい理不尽な交通事故が起こって、
自分の足が折れちゃったとかってなったときとかにしたとしても、
これって多分自分の因果関係は絶対にあるんだろうなっていう考え方ができるようになった。
絶対にあいつが悪いっていうのは絶対なくて、
何がしかの因果関係があって、今この現象が起きているっていうのが、
理屈じゃなくて感覚として分かるようになったりしますね。
なるほどね。
だから全て自分に起こっている、
自分に起こっている良いことも悪いことも、
自分の責任として捉えることが大事だっていうのが、
瞑想してて分かった。
感覚的なところっていうのがすごく大事だなーって思いましたね。
だめだな、理屈っぽく考えすぎなんだな。
責任っていうか、運命というか、
だからその責任っていうんじゃなくて運命だったとしたときに、
こっちにザワザワしたものとかがあるうちだったらば、
それが私の責任だったかもしれないと思っちゃうわけだけど、
私たちが瞑想とかをすることによって、
その境地、
だから平穏であれば、
それを受け入れられるというか、
27:00
それ以上できたことはないはずだみたいになってくるという感じかなと思ったんだけど。
そうですね。
ザワザワするのは、結局は自分の受け方、反応。
そこはザワザワしてるっていう自分の感覚っていうのは、
ある意味極端な幻想でしかなくて、
それも結局今ザワザワしてるけど、
それをきちんと見つめていれば、
変化して消えていくものなんだっていうのは分かるので、
今すごい嫌なニュースを見てザワついてるな僕とかっていうのを感じて、
それはそれでよくて、
それですごい嫌な気分になってるっていうのももちろん分かっててよく。
それはちゃんとそういうふうにきちんと把握をしていれば、
ザワザワも消えていくんですよ。
そこが分かっていることによって、
平静に対処することができるかなというのはありますね。
自分のザワザワしている感情に振り回されずに、
きちんとあるべき事実、
自分が関与できる、
自分の力で解決できる部分だけはきちんと見ていればいい。
ここにあるっていうのをきちんと把握しているのが大事なことだなと思いますけど、
そこがリパスタなメソッドをしていることで、
培われていくっていうのはありますね。
なるほどね。
そうやってモヤモヤを消すみたいなのはすごくわかるんですけど、
交通事故にあって、理不尽に足を失ってしまって、
それは因果があるんだっていうふうに捉えるっていう捉え方が今一つよくわかってなくて、
なんていうのかな。
古代ギリシャの哲学者でいうとデモステネスとかは、ある意味物理法則なんて運命と同じようなもんで、
もう決まったようにしか動かないから、
それはたまたまそうなってそうなってそうなって車が突っ込んできただけだから、
足失っちゃっただけだよっていう感覚で諦められるみたいなのはある気がするんですよね。
それは一つの因果な気がするんですけど。
あとはストア派とかも運命論なんですけど、
運命っていうのはもう決まってるから、そうなったらもう受け入れろよと。
どうなるかはもう決まってることなんだから。
平成でいるしかないじゃん、みたいな。
ストイックに生きようぜみたいな。そんな感じなんですけど。
30:06
どっちに近いのかなというか、
その因果で辿るっていうのがどういうことなのかなっていうのが、ちょっと腹に落ちないなって感じかな。
すごい難しいですよね、説明が。
そうですよね。
結構そうなんですよ。そこってもう、
かなり下手するとスピリチュアルな領域になりかねない。
全然いいですよ。
ただ、そうですね、確かに。
なんか自分が起こしてしまったアクションに対して、
罰を与えられてるみたいな感覚とは違うんですよね。
違うんですよね。
違うんですよね。
起こったことに対して、でも確かにその諦めとかに近いと言えばいいでしょうか。
諦めというか、きちんとその現状を受け入れて、
平成さを保っておくことで、もっと最悪になりかねない事態を、
平成化することができるというか。
諦めるって言うとなんか、
そうね、言い方がね。
こっちかこっちで悪い方って思っちゃうと思うんだけど、
多分なんだけど、どっちでもないみたいな。
そこを自分の中で見るっていうのもおかしいんだけど、こう感じるというか、
ここだなぁみたいに。
で、そこから始めるから、こうなんていうのかな、
いい方にしかいかないというか簡単に言うと、
それ以上には悪くはならないよねっていう。
もうそういうもんだからっていうね。
そういうもんだからって言うと諦めてるよね。
僕の語彙がちょっと、諦めの語彙しかない。
難しいよね。諦めるっていうか、その状態であるってことを。
まあそっか、そうだね。
そうだよね。
私的には感じる。
感じるというふうに思ってるんだけど。
そうか、感じるね。
わかった、じゃあ察知する?
察知する?
なんて読むの?
各地、各地だね。
あ、どこ、各地か。
わかんない。
本当に事故に遭ったなって痛いなっていうのはあるんでしょうし、
これから先どうしようかなとか。
やっぱりどうしても普通にそういう事態に陥ったら出てきちゃって、
先のことをやっぱり人間って想像しちゃうじゃないですか。
で、そこでやっぱり想像することってすごい良いことなんですけど、
悪い面もあって絶望しちゃう。
33:03
最悪な状況で僕は一生車いすなんだとか。
ちゃんとまともな生活もできないし、結婚もできないし、
ずっと介護がついてないとダメだし、お金もどうしたらいいんだみたいな。
ところでいろんな想像をしてしまうんですけど、
それが結局自分を自殺に追い込んだりとか、
誰だけになって人を傷つけたりとかっていうのが最悪な状況なんですけど、
それを起こさないでいられる。
きちんと、今僕はもう足がない。
でも痛みは痛みとしてもある。
それはいつかは消えていかなくなる。
そこなんでしょうね。いつかは消えていくなんでしょうね。
そこがちゃんと自分の中で、
肉体感覚として理解ができていれば、
バタフタせずに、周りにも迷惑をかけずに、
きちんと一個一個の事態っていうのを処理していきながら、
目の前にあることだけです。
まずは足はないけど、ご飯を食べなければいけない。
で、こきげもしなければいけない。
っていうところを、
足が痛いなら多分病院行くしかないし、
っていうのはやっていくしかないんですよね。
そういったところをきちんと、先のことばっかりを妄想、
絶望とかって結局妄想の塊でしかなくて、
ここに押しつぶされないように、
することができるのが微発作なんですよ。
あと過去のこととかも、だから全て執着、
執着っていうのかな、そういうのは違う。
過去のことの執着とか、そういうのも、だから同じように、
ないものじゃなくて、なんて言えばいいんだろう。
そうですね、もう妄想でしかないですからね。
妄想であったということで、自立だと思いがちなんだけど。
妄想でしかないですよね。
過去でもね。
ごめんなさい。
人によってね、同じ事件もさ、
全然捉え方を違ったりするわけじゃないですか。
自分の中ではこういうストーリーだったんだけどと思ったら、
嘘でしょ、お前こういう風に捉えてんの?みたいなことがあるから、
本当妄想にしか過ぎないなっていう感覚はありますね。
これ奥さんになんか言われたときでしょ、それ。
自分はそういうつもりじゃなかったけどっていう話、それ。
もうほんとにね、もうやだな。
そういうことだよね、でも。
そういうこと。
そういうこと。
いや、めちゃくちゃ分かった。
なんかこう、やっぱそういう境地に瞑想で達したりすると、
例えば怒りっぽくなくなるだとか、
愚痴とかを言わなくなるだとか、
そういうようなこととかっていうのもやっぱあったりしますか。
そうですね。
36:01
怒ったりとか、もちろん感情としては、
イラってすることはあったりするんですけど、
そこはもう、自分って怒ってんだな、
こういうことに対して怒るんだなとか反応するんだなとか、
分かるし、こういうことをされると、
悲しいっていう感情が湧くんだなとか。
じゃあ次どうしようか、
そういうふうになったら、
じゃあどう対処しようかみたいなのを、
きちんと感情が入るとどうしても次の行動っていうのが濁ってしまうんですけど、
変な方向に行きがちなんですけど、
そこをきちんと冷静に対処していくことができる。
正しい選択肢を選ぶことができる。
余計なことを言ったりとかしないようになったりとか、
これを言わんと気が済まないみたいなのがやっぱりあったりするじゃないですか。
そこにきちんとブレーキをかけて、
きちんとした対応を選ぶことができる。
そういうのもやっぱあるかもしれないですね。
コニーさんは生活リズムとかめっちゃいいですか?
早く寝て。
そうですね。なるべく早めに寝て、早く起きて瞑想。
瞑想するために、
一日僕は寝る前に1時間と、
起きて1時間という2時間を数年続けてるんですけど、
だから生活リズムはいいですね。
ただ、どうしてもその瞑想でいわゆる1日の時間という2時間食ってるので、
結構大変と言えば大変ですね。
時間がやっぱり、仕事が遅いのもあるんですけど、
4時間だったり5時間だったりするので、
それはあんまり良くないなと思ってるんですけど。
そうなんですか。
あまりそうなんだ。
本当に申し訳ないんですけど、
私はできないのね、そういう生活が絶対に。
2時間瞑想とか、
あとは余分なことを言わないとか、できない。
それは無理。
それはわかるんですけど。
いません。
時間って大事なんですか?
1時間って決めなきゃいけないもんなんですか?
痛み消えればいいとかじゃないんですか?
そうですね。
一応その3大瞑想の競技の中では、
時間っていうのがやはり無いと呼ばれてるんですよ。
これもその10日間コースを離れた人っていうのは、
やっぱり続かない。
その1時間ってなかなか難しいので、
無い人がほとんどではありますね。
だから人によっては10分だったりとか30分だったりとか、
っていうのはやってますけど、
続けるっていうことがすごく大事で。
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まあまあね、やらないよりはね。
だから部屋の掃除と一緒で、
毎日毎日埃ってどうしても溜まっていくじゃないですか。
それを毎日きちんと、
起きたときと寝る前とっていうのできちんときれいにして、
1日終えるのと始まりっていうのをきちんとやるっていうのが
大事だっていうふうに言われてますね。
なるほど。
お釈迦様はもう悟った後は、悟った後でも、
ずっと瞑想はそういうふうな形で1時間。
1時間より1時間っていうのをきちんとやってらっしゃるというのは、
言われてますね。
そうなんですね。
でもあれですよね、5分だけでもね、できるよ、
なんかこう瞑想の方法が分かればね、
1日5分でも10分でも。
そうですそうです。
続けることが大事なんですよ。
アップルウォッチとか出てくるよね。
1分間マインドフルネスしてくださいとか。
ああ、出てくる。
速攻あの機能消したけど。
ゲーム?
違う違う、アップルウォッチで出てくるんですよ。
アップルウォッチか。
マインドフルネスの時間ですって言って。
やってやって、2人ともやって。
全然やったこと1回もないですね。
でも毎朝僕会社行ったら必ず30分ぐらいトイレにこもるんですよ。
なんか似た効果があるのかなとかちょっと思いました。
別に何にも考えてないわけじゃないですよ。
全然携帯見てるし。
手を振っていればだいぶ違うから。
効果があるから。
呼吸をね、観察しながら。
していれば。
大便の出方をね、観察しながらみたいな。
そうですね。
おもきがいつ大便してるか誰も知りたくないんでしょ。
知りたくない。
会社の人からね、クレーム来てますからね、毎朝。
押せんだよお前みたいな。いつまでうんこしてんだよ。
うんこの時間ぐらい自由だろって。
仕事してんだろこっちはみたいな。
なんかでもすごく、僕も全然詳しいわけじゃないんですけど、
なんか瞑想の効果って結構脳科学的な部分にもやっぱりすげえ通ずる部分があるような気がしていて、
なんかこう心の平成を保つってことは、
余計なっていうか心を高揚させるような脳内物質だとか、
そういうようなものの分泌を抑えてるみたいなところっていうのがすごくある気がするんですよね。
例えばこうアドレナリンだとかドーパミンみたいなね。
そういうのって効率的に何か作業をやる上で重要みたいなこと言われたりもするけれども、
実際重要なのかもしれないんですけど、
ただあんまりそれがドバドバ常に出続けたりしてると、
それもまた中毒性みたいなのがあって、それがないとなかなかやる気が起こんないだとか、
さらなる刺激を求め始めるみたいなのがあるかもしれないって言うんですよね。
42:05
だから何かこう心の平成を保ってると、そういうようなものに頼らなくても、
パフォーマンスっていうのを一定のものを出せ続けるみたいなところにも通ずるところがある気がするんで、
めちゃくちゃいいなっていうふうに思いましたね。
そういう生活的な部分的に言ってもねっていうところだね。
ちょっと思ったりもしました。
本当におっしゃる通り、生活とか仕事にも活かせる部分っていうのが多々あるなっていうのは思います。
皆さんがやるといい方向に活かせるなっていうのは常々思います。
スマホゲーまずやめるところから始めないとダメだな。
ログインボーナス。
それ気にしないようにね。
本能以外の何者でもないんで。
本当だよ。
でも、死にたくならせる番組だったのにちょっといい話になっちゃったね。
あー、確かに。
確かに。
ちょっと葛藤が今生まれましたわ。
でも今ちょっと小池さんのそういう話を聞いていると、すごく不謹慎なこと言ってるなってちょっと反省した。
そうですよ、本当に。生きとし生けるものを愛してくださいよ。
本当だよね。超不謹慎な話だよね、それね。
だから言ってるじゃない、ずっとそんなこと言わないでって言ってるのに言うこと聞かないから。
確かにでもその仏教のその瞑想もそうなんですけど結構なんかドライなところに行き着きがちなんですよね。
生きててもあまり意味はないというか。
あー、それもわかりますね。
人生自体にそんなに意味はないよって。
そうなっちゃいますよね、なんか境地に至るとね。
なんか色づけするのは自分自身だし、それは別に自由なんだけど、でもそれは薬にもなるし毒にもなるよねって。
そうですよね。主情は別に幻想に過ぎないから、何もどうでもいいじゃんってなっちゃいがちな気もしますけどね。
そうだね。
え、ちょっと待って、ちょっとおかしな方向に。
ちょっとね、いつもの方向にちょっと行っちゃいましたけど。
いやいやいや、でもさ、僕なんかっていうのはもうその境地に今達してるけどさ。
まあまあまあ。
達してるけど、でもなんかその先に行きたいなっていうふうにはちょっと思ったりもするんだよね。
それもわかるよ、それもわかる。
ニヒルな感じに空虚な感じになっちゃうのは違うんだよっていうのはきちんと言われてます。
それはやっぱ違うんだよって言われてるんですね。
それはきちんと物事が見れてないっていうか。
そういう意味合いで言っても、その先のところに行きたいなと思うとやっぱりやったほうがいいって感じだよね。
45:11
だからさっきの愛の話とかもすごいキリストみたいな、キリスト教みたいなのに通ずる部分あるなとか思って。
なんかそういうの今すごい読んでるけど何言ってんだろうなこの人たちとしか思えてないので。
知りたいなっていうね。
やっぱもう一個上なんだろうなっていう感じがすごくする。
じゃあ愛についてでも語ってください今度ねみんなで。
ちょっと切らずにこのまま少し話展開させててもいいですか。
ちょっと次の一本撮るには少し時間があんまり、11時ぐらいには終わりにしたいなと思ってるんで。
でも40分ありますよ。
40分、ああそうか。
どうしますか。
じゃあいいよ切って。
一回切って30分で。
一回切ろうか。
いきましょう。
はい。どうぞ。
はいすいません。
今日も最後までテツセカをお聞きいただきありがとうございました。
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これからもどうぞよろしくお願いします。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
なんかですね、僕は歴史とかすごく好きなんですよ。
古典ラジオ界隈の人みんなそうかもしれないですけど。
なんかやっぱり人間クソだなって思うんですよね。
心の底から人ってクソだよなって思っちゃうんですよ。
その気持ちがちょっと解消されたいなというふうに最近ちょっとやっぱり
次のステージに行きたいなっていう心がちょっとあったりもするんでね。
そのきっかけみたいなのっていうのを掴めそうな気がするんで
ちょっと結構本当に興味ありますね。
確かに。
それはご自身にも思うし、ご家族にも思う感じがします。
人がクソだなってことですか。
僕の価値観って自分を中心にした縁がどんどん広がっていって
その近い縁の中にいる人に関しては愛してるっていうそういう発想なんですよね。
ただその縁の中に入れない人間たちはそうしてクソだなっていう感じで
思ってるみたいな部分っていうのが結構ある、そういう価値観です。
48:00
なるほど。
私なんかじゃあクソだわね、その縁に入ってないからもう残念だわ。
頑張る私クソから、クソから出せるように頑張るわ。
早がてにしすぎでしょ。
なんかこう意外とモウさんのネガティブさっていうのが面白いよなって最近思って。
ちゃんとモウさんも入ってるんじゃないですか。
え?
ちゃんとその縁の中にちゃんと入ってるじゃないですか。
自分に関わってる人とかそういう人たちっていうのはその中に入っていくみたいな感じなんで
その縁に入った人に関しては当然いいところもみんな見つけるし
別に外にいる人たちだっていいところもあれば悪いところもあるし
いろんな個性があっていろんな活躍の場があってっていう風に思ってはいるんですけれども
ただ全体、そういう人間たちが全体感として集まっていくと
変な方向に行ったりするところが人間の挙動としてクソの部分だよな
みたいな感じに思うっていうのが正確な表現かな。
いや分かる分かる。なんか種としてクソだなとは思いますよね。
そうですね。
分かる分かる分かる。
いないほうがいいと思ってます。
めっちゃ分かる。
嫌でしょ。嫌でしょコニーちゃん。
もうこの人たち本当にさ。
僕もそういう考えるときはありましたよ。
ありますよね。
ありますよありますよ。
今でもやっぱりちょっともうちょっと人口減ればいいのになとか。
ありますよね。
コロニー落としたくなりますよね。
分かる分かる。
もうやめなさい。
やめましょう。
プッチシンプの気持ちとか分かりますよ僕。
そうですね。
そんな感じでね。じゃあ終わりましょうか。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
49:45

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